ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 僕は活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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シオカラトンボ
いつのまにか気がついたらもう七月だ。

小学校の頃に夏休みになると近所の連中とつれだって山へ行った。
もちろんバスになど乗らずに川沿いを歩いていく。
神社があるあたりまでくると、もうそこは山がまじかだ。

登山道をのぼって途中から砂防ダムがあるところへ降りてゆく。
夏枯れてるとはいえ、池のように水をたたえているところもある。
そこをプール代わりにして水遊びをするのである。
だが、さすが山のなかである。
水は思ったよりも冷たくて、たちまちのうちに唇が紫色になる。
それがおかしくて、おたがいに笑いあうのである。
しばらく陽だまりでからだを温めた。
そしてまた水のなかを走りまわったりした。

そんなことを何回かくりかえして遊んだ。

いつか帰る時間になる。
行きはいいが、帰りは疲れてだらだらと歩いた。
それでもなけなしの小遣いで、肉屋の店頭でコロッケを買ったりした。
たったひとつのコロッケが熱くてことのほかうまかった。
あんなにおいしかったコロッケはそのときだけである。

田んぼを舞うシオカラトンボを見ていたらそんなことを思いだした。
でもどうしてシオカラトンボっていうんだろう。

1222シオカラトンボ

快読
読みながらこれはおもしろいとか、なんだか読むのが嫌になってきたというようなことはある。
もちろん論のすすめかたが粗雑な(わざとか)せいであほらしくなるのもままある。
つまり読者を莫迦(芥川龍之介はこの字を使っていたな)にというか、あまく見ているのであろう。
だがなぜそうなるに至ったかを推理し始めると、逆におもしろくなってくるから不思議だ。
人が主張したり反対するということからは、本人が興味をもっているということしかわからない。
批判するからといって、正しいことをしていることの担保にはならないのである。
そこを正確に理解していないと、まちがった判断をくだしてしまうことになる。
読みながら想像しながら、作者の意図などどうでもよいという世界で遊ぶのが楽しいのである。

「快楽殺人の心理」 ロバート・K・レスラー アン・W・バージェス
                      ジョン・E・ダグラス 講談社 ★★★

快楽殺人とは、なにかのために(例えばお金のためや怨みのゆえに)殺人を犯すのではない。
ただ殺すことが目的である殺人であり、人を殺すことによって快感をえられるという。
それゆえに快楽殺人は連続殺人へと移行しやすいことは容易に想像される。
『思考パターンが行動パターンに与える影響に関するこれまでの研究、
およぼサディスティックな空想についての調査が、われわれの仮説の基盤になっている。
その仮説とは、快楽殺人の動機づけ(モチベーション)は、空想がもとになっているというものである。』
ゆえに、衝動的ではなく頭のなかでいくたびとなくシミュレーションがおこなわれている。
そしてそのシミュレーションからまた快感がえられ、自信も深めてゆくこともあるのだろう。
では、どういう人物が快楽殺人をおこすのだろうか。
『警察が陥りやすい誤りとしては、たとえば次のようなものがある。
ひどくむごたらしい死体切断が行なわれている殺人事件の場合、
警察は性的変質者の犯行と判断し、捜査の対象を性犯罪の前科がある人間に絞りがちである。
しかし、そうした犯行は、
実はそれまで犯罪歴のない人間によって行なわれることのほうが普通なのだ。』
数々の事件を分析し、殺人者とのインタビューによってその心理が追求されていくのである。

「目撃証言」 E・ロスタフ K・ケッチャム 岩波書店 ★★★★
事件が起こったとき、物的証拠とともに決め手となるのが目撃証言である。
自白がその真実性が疑われだしたように、目撃証言もそんなに信用できるものだろうか。
心理学の側面から、目撃者の記憶を検証するのが彼女の仕事でもある。
一般に記憶とはいつでも再生可能なビデオテープのように考えられているがそうではない。
数々の実験や、過去の例を引いて目撃証言の危うさを知ってもらうのが使命だと彼女はいう。
証人が嘘の証言をしているというのではないのである。
記憶というものはどういうものなのか、証言者自身も気づかない落とし穴があるのだ。
『古い格言が教えているように、記憶はただ色あせていくだけではなく、成長する。
色あせていくのは初期の知覚であり、出来事の実際の経験である。
しかし出来事を思い出すときは、いつでも記憶は再構成される。
そして想起するたびにその後の出来事、他人の記憶あついは暗示、理解の深まり、
新しい文脈によって彩られて記憶は変容していく。』
ましてや、物的証拠がいっさいなく、被告にアリバイがあっても目撃者がいる場合はどうなる。
陪審員制度のアメリカでは有罪になる確率が高く、感情が先行してしまうことが多い。

「テレビ標本箱」 小田嶋隆 中公新書ラクレ ★★★
現代においてテレビは、新聞よりも良きにつけ悪しきにつけ影響力がおおきい。
だから見過ごすことなく、まちがったことはまちがっていると指摘する人物が必要である。
影響力と権力はテレビにおいては比例するからこそ、言わなければならないのである。
そこで小田嶋氏は、いいたいことをズバリとなぜそう考えるかとともに言うのである。
テレビを見ているとわかるのだが、声の大きい人は反比例して論拠が乏しい。
あるいは、その理由を隠す(隠せると思っているのか!)べく大声で封じようとするようだ。
正常な神経の持ち主であれば、テレビはテレビでしかないと理解しているのである。
もちろんその映像の圧倒的な迫力は、他に較べうるべきものがない場合もある。
『画面の中で道徳的なことを言っているのは、多くの場合、単に道徳を商売にしている人々だ。
それは、必ずしも道徳的な人物ではない。
お金より大切なものがあることを知っている人間は、テレビなんかには出ない。たぶん』
商業的に成り立っているテレビはたぶんCMのおまけなのだろう、というのは説得力あり。
こうまで名指しで批判しながら嫌な感じをあたえないのは、やはりユーモアがあるからだろう。

1223おたまじゃくし

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島影
船に乗って海をゆきながら風を感じないのは罪だと思う。
なにに対する罪なのかといえば、自分でしかない。
自らが自らに対して罪深いことをするものよ。
それが無知といわれるものだといわれれば、そうも思えてくる。
いままでにどれだけの罪を犯してきたことだろう。

静かに眼を閉じると、たちまちにして旅の景色があらわれる。
肌にべとつく潮風は決して気持ちのいいものではなかった。
汗と混じりあって、皮膚に白い粉様にひろがったりした。

 夏に旅しないものは若者ではない
 夏に労働しない若者はかっていなかった
 夏に恋しないのは若者と呼ばなかった

陽が落ちて風が海へとむかう時刻には、空にも星がもどってくる。
汀に寄せる波の音をききながら話すのはだれだ。
月の光をさえぎってシルエットだけが島影にうかぶ。

1227夏の電車

ありし日
ときどきヒトのからだってよくできているなあ、などとしみじみ思うのである。
それは日常のなにげない動作にいちばんよく現われている。
例えば、いまなら「冷やっこ」を食べるときなど、この動作はロボットでは無理かなと思う。
壊さないように箸でつまんで食べるだけなのだが、これがむずかしいのだと科学者は言う。
同様に読んだり書いたりすることも、日常意識をしていないが複雑なシステム構成であるだろう。
草むらのなかで動き回る蟻を見ていると、つい自分が蟻になっている想像をしている。
山あり谷あり(けっしてシャレではない)の荒野を今日も仲間とともにかけめぐるのだ。
ヒトであれ昆虫であれ、ただ生きているだけでそれは目を瞠る光景なのだ。

「ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト」 ニール・シュービン 早川書房 ★★★
進化論では、生物はすべてひとつの系統から変化・発展してきたということになる。
だから、なんの関係もないような生物の器官がヒトの器官のそもそもの始まりであったりする。
これらの器官はおどろくほど精巧につくられている。
だが、急激な変化にはついていけないのである。少し長いが引用してみよう。
『私たちの心臓は血液を送り出し、血液は動脈を通って全身の器官に運ばれ、
静脈を通って心臓に戻ってくる。動脈は心臓に近いので、血圧は静脈におけるよりはるかに高い。
このことは、足から心臓まで戻ってこなければならない血液に特別な難題をつきつける。
足からの血液は上に向かって、つまり脚の静脈を伝って胸まで昇っていかなければならないのだ。
もし血液が低い圧力のもとにあれば、目的地まで昇り切ることができないだろう。
結果として、私たちは血液の上昇を助ける二つの形質をもっている。
一つは小さな弁で、これによって血液が上に向かって流れるのは許すが下に降りるのを防ぐ。
二つめの特徴は、脚の筋肉である。歩くとき、私たちは筋肉を収縮させるが、
この収縮が脚の静脈内の血液を上に押し上げるのを助ける。
一方通行しか許さない弁と、脚の筋肉の押し上げ作用によって、
私たちの血液は足から胸まで昇ることができるのである。
 このシステムは、活動的な動物ではすばらしくうまくいく。
活発な動物は、歩き、走り、ジャンプするのに脚を使うからである。
しかし、じっとしていることが多い動物では、このシステムはうまく機能しない。
脚があまり使われないと、筋肉は静脈内の血液を押し上げないだろう。
血液が静脈内にたまれば、問題が発生する。
なぜなら、血液の滞留は弁の故障を引き起こすことがあるからだ。
これはまさに下肢静脈瘤で実際におこっていることである。
弁が故障すると、血液は静脈内にたまる。静脈はしだいに太くなっていき、
膨れあがって、脚のなかで迂回路をつくるようになるのである。
 言うまでもないことだが、静脈がそのような状態にあれば、
下半身に本当の痛みをもたらすことがある。
トラック運転手や長時間椅子に座る仕事をしている人は、痔疾にかかりやすい。
座ってばかりの私たちの生活が支払うべきもうひとつの代償である。』
ヒトはなぜ歩く必要があるのか、よくわかってもらえたことだろう。

「街場の教育論」 内田樹 ミシマ社 ★★★★
教育はなにをめざしているのか、だれもが見失っているのかもしれない。
なんのために勉強するのか、その意味もわからなくなってしまった。
だがとにかくいい成績をとらなければ始まらない、と焦っているのだろうか。
学力の向上は至上命題のようでもあるが、それはどうすれば達成されるのか。
それはなんのためか。一昔前なら、すべての人を幸せにするためにと教条的だが思っていた。
『今の日本では、学力の向上は「競争」を通じて達成される、と上から下までみんな信じています。
たしかに、個人の学力は競争を通じて向上させることができます。
けれども、「競争に勝つ」ことのたいせつさだけを教え込んでいたら、子どもはいずれ
「自分ひとりが相対的に有能で、あとは自分より無能である状態」を理想とするようになります。
「相対的に」というところが味噌です。』
これをあらわす端的な数値が、偏差値と呼ばれるものではないだろうか。
相対的に幸せになって、相対的に豊かになれればそれでいいのだ、ということだろうか。
しかし、相対的にとはつねに緊張していなければ維持できないシステムではないか。
相対的にということは、相手があってのことであるから到達目標も流動的にならざるを得ない。
あきらめと憂鬱とが緊密に関係している時代ということができるのだろうか。

「生と死とその間」 ハロルド・L・クローアンズ 白揚社 ★★★
神経内科医のクローアンズ先生の話は大変におもしろい。
それはフィクションではないからだ、ということもよくわかっている。
事実は小説よりも奇なり、なのでありそれゆえに悲劇的な物語は底が知れない。
ユダヤ人である筆者は科学者でもあるからナチスの行為をどう考えるべきなのか。
『動物実験に反対する権利はある、と私は思う。
科学的根拠があるわけではないが、権利はある。
胎児移植に反対する権利もある。
しかし、ナチの戦争犯罪と同一視しないという権利もある。
将来もし法律が変更されることがあったとしても、それまではそれをモラルに反するとか、
非倫理的であるとか、違法だとか、言わない権利もある。
法律が変ってもモラルが変わることなどないのだが。
 しかし彼らには権利がある。
 そして権利のあるところ、何らかの義務がついてまわる。』
よくわかってないというよりは狡賢い人は、決して法律を犯してはいないなどと弁明する。
あなたは法律に違反さえしなければ、なにをしても許されると思っているのだろうか。
モラル(倫理)と法律との間には、ある意味なんの関係もないものだ。
だからモラルは強制できないし、それだからこそ人生観がわかるのである。

4800石仏

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仲間はいい
仲間由紀恵さんのことをいっているのではない。
そうではなくて、森毅氏の話のなかにこんな文章があったのだ。

『いまからちょうど十年くらいまえに、僕は身の上相談の相手をしたことがあって、
そのときに女子高生から
「みんなで何かやるときにしらけてしまうんです。私はネクラなんでしょうか」
という相談を受けたことがあります。
 僕はこう答えました。
「そんなことないよ。やっぱりひっそりさんもいるからいいんや。
僕ははしゃぐのも好きなんやけど、はしゃいでくたびれると、しらけてるのがいたら気楽や。
気持ち良く、仲間から外れてもよくって、
気が変ったらいつでも仲間に戻れるというのが、ええ仲間ちゃう?」
このときの身の上相談で、これが一番ウケが良かったようです。』

   「寄り道して考える」 森毅・養老孟司 PHP研究所より

ええ仲間かあ〜、と思わず声にでたらいろんな顔がうかんできた。
いまはもういないやつも、どこでなにをしているのかわからなくなった人も。
でも思いだすのはみんな笑顔で、なんだかなつかしくもせつない。

生きていればいろんなことがあるのはあたりまえである。
だれにだって、あのいつも笑っているやつにだってそうなのだ。
愚痴だってみんなと言いあえれば笑い話にもなるから乗越えていけるのである。
悩み、迷い、それでも止まることはできないのが人生のつらいところだよね。
寅さんの「男はつらいよ」じゃないけど、ぐっとこらえているのはだれだって同じだ。
「女もつらいのよ」と言わないところが、女性のすごいところだと思う。

いつかきっと、
「ご無沙汰してましたけど、みんな元気だった?」
なんて声とともに現われる。

「おお、久しぶりやなあ〜」
と軽くかえせるように準備しておこう。
(けっして泣いてはいけない、男の子だから)
(って、おっさんやんか、とは言わないように)
(まじめに言うてるのに、そんなツッコミいれられたら、ほんまに怒ります(笑))

0853飛行機



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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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