ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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ブランド好きなヒト
いますねえどう思います。
どう思うって言われても、いいんじゃない。

それだけですか。
本人がそれで満足してるんだから。

だってあんなに高いものを買っているんですよ。
高いからいいんだって。

そうなんですか、安いほうがいいけどなあ。
あなたの場合は安いほうがいいんだよ。

どういうことなんです。
高くても安くても満足できればいいんじゃないの。

なんかわかりづらい。
高いから品質がいいんだ。

そうですね。
安いのはコストパフォーマンスがいい。

それもそうです。
どちらもそれぞれにとって納得できる。

納得できれば満足もする。
気もちの問題だな。

そういわれれば。
だから最悪なのは高いものを買って後悔する。

そうか、安物を買って失敗したと嘆く。
そういうことだな。

9446アザミ

高い安いに焦点が移ってしまっていたのか。
なにが欲しかったのかを忘れているんだ。

ほんとですね。
必要じゃなかったのかもしれない。

それを言ってはおしまいです。
持ってるだけで満足するのがブランド品。


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飲みながら読書
酒をのみながらする読書ではどういったジャンルがいいか。哲学はいいが論理学は無理だ。恋愛小説
は肴になるがミステリは酒がまずくなるおそれがある。動物行動学、行動経済学、文化人類学おしな
べていいのじゃないか。しかし嗜好は個人差がおおきい。それぞれが好きな肴、もとい分野のものを
選べばいいのだ。飲みものについてもノンアルコールでもいいではないか。お茶や紅茶、コーヒーに
はカフェインというアルカロイドの一種が含まれている。だから中枢神経を興奮させる覚醒作用がも
たらされる。読書に最適ではないか。しかしだ、集中すると焦点がしぼられるのではないか。となる
と視野狭窄をおこすかもしれない。もちろん比喩的言辞なのだが。ゆるりと読めばいい。ときどき眠
って夢のなかでも読んでみる。不思議な解釈がわきおこることだろう。すばらしい思いつきだ。おれ
って天才かもしれないと思う。だが目覚めてみればなんのことはない、さっぱり思いだせないのだ。

9437白いクレマチス

「<心>はなぜ進化するのか」A・G・ケアンズ―スミス 北村美都穂訳 青土社 ★★★
まず最初に、生命の起源と意識ある心の起源とは、科学の二つの最重要課題である。とこう筆者は述
べるのである。この二つは分子生物学では解き明かすことはできないだろうともいう。
『脳は標準型の生物化学分子で、今日のすべての生き物に見られるのと本質的に同じ材料で、できて
いる。そして、脳の中で起こっていることのきわめて多くは、これらの種類の分子の活性として(究
極には)よく理解することができる。しかし、起こっていることのほとんどすべては無意識的である。
意識は依然として神秘のままだ。今日の分子生物学が提示することができないでいるのは、現象とし
ての意識の起源の理解、意識とは何であるかについての、物理学の言葉による妥当な理解である。』
こころあるいは意識は物理学の対象になるのか。すこし前までは無理だと思われていた。だからここ
ろではなく行動を解明しようと行動主義心理学が生まれた。しかし時代変わってきているのだ。では
意識と無意識とはどういうものか感覚としてはどう捉えられるのか。
『多くの人は、自覚は意識の同義語とみなしていることを、私は知っている。だが私は、それがまっ
たく正しいとは思わない。考えと同じように、自覚には意識的な型と無意識的な型のものがある。わ
れわれの、まわりに何があるかという通常の自覚は、概して、たぶんおもに、無意識的なものである。
見なれた部屋の中にある目に見える事物については意識的に自覚していないかもしれないが、それで
十分自覚しているのだ。』
人の行動は自覚的あるいは意識してなされていると多くの人は思っている。だが振り返ってみると、
そうではないことがわかる。うわの空でも駅に行けるし、意識しないでも電車に乗って家に帰りつい
ているのだ。意識することが必要なのではなく無意識が行動を律している。水を飲むとき、水が飲み
たいと思う前に行動は始まっているということが実験の結果として知られている。意識とはいったい
なんだろうか。まだまだ結論をだすには早いということなのかもしれない。

「イングリッシュネス」ケイト・フォックス 北條文緒・香川由紀子訳 みすず書房 ★★★
第一版刊行より10年来のベストセラーなんだそうだ。ただし、本書はその前半の大部分だけという
抄訳なのだとことわっている。原著は566頁もあります。だから導入部分だけで本論の部分は割愛
されているわけだ。たしかに文章展開が中途半端な感じがしました。まあ、それはさておきです。ま
ずイギリス社会というと階級社会というのが最初に頭にうかぶ。といってもインドなどとはかなり意
味あいがちがう。たとえばイギリスあたりのセレブ階級というともう桁違いなんです。このセレブと
いうことば、日本では富豪や超金持ちというがじつは根本的にちがう。まず階級がちがうのである。
おいそれとそちらへはいけないわけです。このあたりが日本人には感覚的にピンとこない。逆に日本
は平等な社会で、ある意味中国よりも共産主義的なのかもしれません。で、その階級ですがどこで見
分けるのか。まず発音のアクセントがちがう。オックスフォード訛りなどという表現もあります。そ
れに使う語彙が階級によってちがう。そんなことが読んでいるとわかるのがおもしろいです。確実に
階級を識別できることばがあるという。その七つは、「パードン」「トイレット」「セルヴィエット」
「ディナー」「セティ」「ラウンジ」「スイーツ」だ。興味のある方は本書をお読みいただきたい。
そのなかで「ディナー」に関連してティーということばはこういうことらしい。
『高い階級の人たちにとって「ティー」は、四時ごろにとるお茶とケーキ、スコン(「スコーン」と
伸ばさない)、または軽いサンウィジュ(「サンドウィッチ」とは発音しない)のことである。低い
階級の人たちはこれを「アフタヌーン・ティー」と言い、「ティー」は夕食を指す。このことは外国
人客の混乱を招く。「ディナー」に招かれたら、昼と夜のどちらに訪問すればよいのか、「ティーに
おいでください」と言われたら四時なのか七時なのかを尋ねたほうがよい。答えによってあなたをも
てなす家の階級を見分けることができるだろう。』
しかしことばは時代とともに変化していくものである。ジョージ・オーウェルはイギリスを「この世
で最も階級に支配されている国」と表現した。このことをイギリス人は強く意識している。そのうえ
で礼儀正しく振る舞うことを是とする国民である。これは偽善ではないかといわれる。
『偽善かと言えば答えはイエスである。礼儀正しさとは、見せかけ、ふり、偽り――つまり、さまざ
まな社会的現実を覆い隠す、人為的なうわべの調和と対等性なのだから。しかし、わたしは「偽善」
とは相手を思いやって意図的に欺くことだと解釈している。一方、イギリス人の礼儀正しさに装われ
た対等主義は、集団的、いや協同的自己欺瞞でもある。礼儀正しさは、確かに偽りのない心情を反映
するものではないが、利己的、打算的に欺こうとするものでもない。おそらく礼儀正しく対等を装う
ことは、イギリス人がお互いの面子を守るために、そして強い階級意識を好ましくないやり方でさら
すのを防ぐために必要なのだろう。』


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

笑うヒト
笑うのはヒトだけなのかな。
いやサルやイヌだって笑っている写真なんかあるよ。

だって、あれは笑っているんじゃなくて怖れているんだというよ。
よく知っているじゃないか。

やっぱり知ってたんだ。
ひとつの説だけど、威嚇されたときに笑う。

どうして。
たとえば赤ん坊なんかの笑顔はかわいいよね。

だれだってやさしい気持ちになるよ。
それまで怒っていたりむしゃくしゃしてても笑顔にであうとおさまるんだ。

そうだね。
相手をなだめる効果があるんだ。

なるほど。
怖れを笑顔でもってなだめる。

集団での生活には必要だね。
そう集団で暮らす動物には笑いが発達したんじゃないかと。

それも集団をうまく維持していくためだというわけか。
笑いによってストレスも低下する。

免疫力もアップするってきいた。
そういうことだ。

笑いって大切なんだな。
笑う門には福来るっていうだろ。

笑いは伝染するものね。
笑いを忘れた政治家は民衆に見捨てられる。

笑えない状態というのは相当ヤバイんだね。

N0747サギ立ちぬ


ゴシップを好むヒト
女三人よればかしましいなどという。
どんな話をしているんでしょう。

まあ高尚な話はしていない。
疲れますものね。

ゴシップ、つまり噂話だ。
そこになにか理由があるんでしょうか。

これが人類にとって大切なわけがあるんだ。
どんなわけですか。

ヒトは話す。
そうですね。

なぜ話すようになったか。
なぜなんです。

ある有力な説によるとゴシップを話し合うためなんだな。
コミュニケーションをとるためじゃなかったんですか。

単なるコミュニケーションではなくゴシップなんだ。
どういうことなんです。

だれとだれがどうしたとか、まあまわりの人間関係についてだな。
ふーん。

ヒトは集団で暮らすようになった。
そうですね。

だからおたがいの関係を円滑にする必要がある。
それはそうです。

そこで噂話を頻繁にする。
どの程度かです。

会話のほぼ60%はゴシップだ。
そんなにですか。

ちゃんとした調査でわかっているんだ。
ゴシップは必要なんだ。

だから週刊誌はそんな話で満ちているだろ。

N0875葉の上のメダカ


昼ビールで読書
昼間に飲むビールはうまい。なぜなんだろうか。たぶんルーティンになっていない行動だからだ。日
常からの逸脱はゆかいだ。睥睨する気分に導かれる。アルコールは自立神経系の弛緩をうながす。つ
まりリラックスできるわけだ。故に自己が世界となり世界が自己となる。極端に走れば、矢でも鉄砲
でももってこいとなる。その量については個人差がおおきい。それを知ることができ実践できれば粋
な人になれる。しかし現実はそうころがらない。どうしてもつい度を越す。楽しい酒ならばなおさら
である。だからというわけではないが、ひとりで飲む。これはこれでまあいい。よほどのことがない
限り深酒にはならない。よほどのこととはなにか。それを書きだすと長くなるのでよす。ビールを飲
んで寝ころんで本を読む。高く掲げた本は重力の作用で下方に移動しようとする。はて、どちらが下
方なのだ。上と下なにが基準になっているのか。急におかしくなってくる。平和な昼下がりである。

N0867睡蓮とメダカ

「悲しみのイレーヌ」ピエール・ルメートル 橘明美訳 文春文庫 ★★★★
本作はフランスのミステリである。エスプリがきいている。主人公のパリ警視庁犯罪捜査部のカミー
ユ・ヴェルーヴェン警部は身長145センチという小柄な男である。彼の相棒となるルイ・マリアー
ニは富豪一家の息子で育ちがよく教養もあり身だしなみも非のうちどころがない。なかなかユニーク
なコンビというわけだ。ある朝匿名の通報がありルイがかけつけるが、凄惨な現場だった。百戦錬磨
の刑事でも直視できずおもわず吐いてしまうような事件である。
『犯罪現場に足を踏み入れるとき、若手は無意識に“死”の痕跡を探すが、ベテランは“生”の気配
がないか探す。だがここではそのどちらも意味をなさないとカミーユは直感した。』
被害者の身元がわかった。ふたりとも若い売春婦であった。顔は切り裂かれ胴は切断されている。し
かし不思議なことに被害者の髪はきれいにシャンプーされていた。それも死後と考えられる。調べて
いるうちに、これは犯罪小説の再現ではないか。ジェイムズ・エルロイの「ブラック・ダリア」に似
ているのだ。さらに捜査をするうちにおなじような事件がつぎつぎとみつかった。アメリカの作家ブ
レット・イーストン・エリスの「アメリカン・サイコ」だ(これらに二作は読んだことがある)。さ
らにスコットランドの作家ウィリアム・マッキルヴァーニの「夜を深く葬れ」と続く。まだあるのか。
『「犯行が計画的なのは明らかだが、特徴はそれを隠そうともしていないところにある。むしろなに
もかもが目立つようにしてある。それもやりすぎぐらいに」』
そこでカミーユは推理小説専門の週刊誌に三行広告をだした。すると犯人かと思われる人物から返事
の手紙が届いたのである。解説の杉江松恋氏がいうように『脳がざわざわするミステリー』なのだ。
これは三部作の第一部である。なかなか興奮させる作品だといえよう。

「スナック研究序説 日本の夜の公共圏」谷口功一・スナック研究会編著 白水社 ★★★★
世のなかにはいろんなことに興味をもったり、さらに研究したりする人たちがいる。世間にはなにか
を研究、調べつくさなければ納得できない性向をもつ一部の人たちがいる。彼らが歴史を作ったりあ
るいは作らなかったり。そんなことを考えもしなかったりする。でも知りたい調べたい研究したい気
もちは止めることができない。またそれが許される境遇、社会に暮らす幸せを噛みしめたりもしてい
るだろう。で、スナックである。「小さなスナック」という曲が流行したことを覚えている。スナッ
クは小さくなければいけない。大きくなるとキャバレーやクラブになってしまう。また法的規制にお
いてはスナックは対面の接待でなければならない。横に座ったりしてはいけない。でないと法律違反
となり摘発検挙もありえる。なにごとも始まりがある。スナックの系譜はどうなっているのか。
『女性が主体で酒類のサービスを行う。多くは西洋的な内装で、個室がない。誰でも入れるという視
点に立つと、スナックの先祖はカフェーである。』
カフェーといえば永井荷風である。そのころのカフェーとはどんなところだったのか。
『荷風が頻繁に通ったこのカフェー・タイガーでは女給の人気投票があった。ビール一本を買うと投
票券一枚がくるというどこかで聞いたことのあるようなシステムである。菊池寛はお気に入りの女給
に投票するためにビールを一五〇本(一本六〇銭)も購入し、飲み切れるわけがないので車で持って
帰った。』
これについては荷風は「田舎者の本性を露したり」と書き公共圏におけるはしたない振る舞いを嗤っ
ている。現代のAKBなんちゃら選挙もこれに端を発しているのかどうかは知らない。ではスナック
の数はどうなっているのか。都会に多いのは当たり前である。
『しかし、これが総軒数ではなく人口あたりの軒数となると、様相が一変することになる。対人口比
でのスナック軒数は、上から順に①宮崎県、②青森県、③沖縄県、④長崎県、⑤高知県、⑥大分県、
⑦鳥取県、⑧秋田県、⑨山口県、⑩佐賀県となっている。九州方面が圧倒的なのには目をみはるが、
人口規模から見ると決して都市部ではない地域にこそスナックが多く、また西高東低の傾向が強いこ
とが見て取れるだろう。』
表題にもあるようにスナックは昼間の公共圏である図書館、公民館などと対比される夜の公共圏と考
えるほうが理解できるのではないかというのだ。たしかに人はだれかと忌憚のない話がしたい。それ
もお堅い場ではなくくだけてすこしお酒もはいったりしての場がいい。そういうことを無意識に思っ
ているのかもしれない。スナック、なかなか奥深い文化ではないですか。


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Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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