ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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毒と薬
おなじものの別側面ということだろうな。
ふむふむ。

少量なら薬でも、多量になると毒になる。
つい忘れてしまうんですね。

言葉でもそういうところあるだろ。
言い過ぎるんですね。

腹八分にしておけば健康になれるのに。
どちらかというと少ないぐらいのほうが余韻もありますよね。

心理カウンセリングなんかその極み。
うんうんと聞いているだけ、みたいなのに高額ですから納得できない。

大きいことは良いことだみたいな価値観を刷り込まれているから。
コマーシャルは影響おおきいです。

なんども繰り返すことの意味は重要だよ。
聞いてないですけどね。

意識にのぼらないだけで残るんだろうな。
サブリミナル効果みたいなところがあるんでしょうか。

あるんだろうな、だから莫大な費用をかけてもするわけだ。
選挙カーの候補者名連呼もゆえなきことではないですね。

見慣れることも効果は大だ。
有名人は選挙に強いです。

顔を知ってる、それだけのことで親しいような気になるんだよね。

N9715カマキリ絶命


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自分探し再考
自分探しの旅とかっていうよね。
悩んでいるでしょうね。

なにを。
だから、ほんとうの自分に出会いたいと。

いまの自分はほんとうの自分じゃないってこと。
そうなんでしょ。

だから現在の不遇は本来の自分にもどった暁にはなくなって明るい未来がひらける。
まあ、そんな感じでしょうかね。

そう考えることで自分で自分を慰めているんだ。
自己グルーミングです。

いつも髪をいじっているけど、いつまで続ければいいのかな。
そりゃあ、王子様があらわれるときまででしょう。

確率的にはどんなもんだろう。
年末ジャンボの一等に当たるぐらいでしょうか。

望み薄いね。
でも必ず当たりはあると確信できますから。

買っているんだ。
だから喩えです。

多重人格なのかな。
えっ、精神疾患じゃないと思いますよ。

一種のモラトリアムかもね。
探している間は自己に向き合うことを猶予されると。

大人になりたくないのと似ているよね。
退行現象なんでしょうか。

言い訳だから心理学でいう合理化だな。

N9712満月


新品主義
新品と中古どっちがいい。
そりゃあ新品ですよね。

そうか、そうなのか。
どうしたんですか。

いやあ、どっちでもいいじゃないかと言ったらえらく反発されてね。
人によってはありますね。

一度使ったらもう中古だろ。
いやだから、他人が使っていないということでしょ。

でも家にしろ大工さんがある意味使っているわけだし。
そういわれればそうですけど。

車だってテストや調整で人の手ははいっているだろうし。
そうなんですけどね。

そういう製作者側のことは無かったことと見なすんだ。
そうですよ、でないと新品の定義ができないですよ。

ある意味気分の問題なんだな。
そうです、だからそんな神経を逆なでするようなことは言わないものです。

清潔好きもおなじだな。
どういうことです。

きりがないだろ、どこまでやったら清潔なんだ。
基準はその人にありなんです。

空気中にいくら塵芥、黴菌、ウイルスが飛散していようが見えなければだいじょうぶなんだ。
それをいっちゃおしまいです。

N9672雨だれ


ホールで読書
ひとしきり歩いた後にベンチに腰かけて空をながめる。汗腺からなにかがほのかに立ちのぼるような
気がした。風が肌をなだめるようにすぎてゆく。いま思いだしてもなんだか不思議な感情がすてきれ
ない。あれはほんとうに起こったことなのだろうか。朝食のあと、ホールのソファでガイドブックを
ながめていた。どこに行こうかと迷っていたわけではない。ただ日本アルプスの山岳写真を見ていた
だけなのだ。なにも思わなかった。こころはからっぽだった。斜め前に座っていた女性が声をかけて
きた。唐突に、今日は雨が降るでしょうかと。えっと一瞬つまったが、降るかもしれないし、降らな
いかもしれないですね。と答えになるようなならないような返事をした。そうですよね、ふるかふら
ないか。生きるか死ぬか、なるようにしかならないんでしょうね。そう言って彼女は長い髪を指で梳
いた。不可解な思いで本をザックにしまって顔をあげたら、すでにドアから出てゆくばかりだった。

N9695白象

「文士の遺言」 半藤一利 講談社 ★★★
長年編集者として暮らしてきた半藤氏である。そのなかでさまざまな作家と交流があっただろう。作
品ではなく生の生活も垣間見てきたのではないか、と読者は思うのだ。編集者ならではの視点から折
りにつけ書かれたものをまとめたのが本書である。永井荷風、坂口安吾、司馬遼太郎、松本清張など
とそうそうたる作家が登場するのだ。作家についてその作品のみに興味があるという方は残念ながら
少数である。やはりそこは人情、ふだんのエピソードなども知りたい。その作家がお気に入りであれ
ばなおさらである。しかし、その逸話が読者に満足をもたらすかはわからない。そのあたり、編集者
としての気配りも必要かもしれない。ちなみにわたしは作品は作品という立場である。作家の私生活
は心理学的な観点からならば、興味がわくというぐらいだ。で読んでいたら、こんな文章があった。
『いまは亡き大学の同級生磯田光一君の永井荷風評伝をひもといたりして、まことに興味深いことを
知った。荷風が生前に公刊した日記『荷風日暦』や『羅災日録』などと、死後刊行の岩波刊『日乗』
とが、削除があったり書き改められたり、微妙に違っているという事実であった。短いが、その顕著
な一例。
「五月三日。雨。日本新憲法今日より実施の由なり」
 この生前の、荷風の意志のもと発表された記述にたいし、死後の岩波刊のそれは、
「五月初三。雨。米人の作りし日本新憲法今日より実施の由。笑ふ可し」
 となっている。』
永井荷風、反骨の人ですね。最近は正しい歴史認観などということばが新聞に書かれていたりする。
ふーん、いつからそんなことがいわれるようになったのだろう。不思議な気がする。
『歴史を叙述することはまことに恐ろしいことなのである。わたくしなども長いこと、「ジャーナリ
ストは現代史の生き証人」などという言葉に踊っていたのが、恥ずかしくさえ思えることがある。
 それにつけても、資料とは何なのか。歴史を書くとは、過去または現代の人間が残した“生活と意
見”の残りかすともいえる史料を利用し、それらをずらりと並べて組み合わせ、検索して、事実(ま
たは事実と思われるもの)を再現する。そしてその先にある「真実」をつきとめることであろう。そ
れがはたして可能なのだろうか。よくいわれるように「史料は歴史を語らない」。だから歴史を書く
ということは、史料をしてみずから語らせればよい、と史料に乗っかってあぐらをかいてすませられ
る仕事ではないのではないか、と近ごろは考えている。』
正直な方だなと思う。こういう思考の人が最近は少なくなってきました。戦後というは敗戦後すぐと
思いがちだがそうではない。そのことを知らない人がこんどは多すぎるのである。
『昭和二十年(一九四五年)八月のポツダム宣言の受諾による敗戦から、昭和二十六年(一九五一年)
九月のサンフランシスコ講和条約の調印まで、アメリカ軍による日本占領の時代が続いた。この長い
間、独立国家としての主権はなく、政治・経済から教育や農業や文化の諸政策に至るまですべてGH
Q(連合国軍総司令部)の支配下にあり、その指示にしたがって、日本政府は右往左往しつつも実行
せざるをえなかった。』
この「占領の時代」にできたのが日本新憲法だということですね。丸谷氏の対談の話がおもしろい。
山崎正和さんとの司会をしたときのことだという。場所は金沢であった。丸谷さんがいきなり前田利
家は片目であったという話をはじめ、山崎さんともども思わずひっくり返った。山崎さんが、片目な
ら伊達政宗だと応じると、丸谷氏は即答する。
『丸谷 ええ、二人とも片目なのに、一人は片目を売り物にする。もう一人はそれを隠す。そういう
前田利家の心の配り方になにかみやびなものを感じるんですよ。』
読むのがやめられなくなります。

「向田理髪店」 奥田英朗 光文社 ★★★
北海道の中央部に位置する苫沢町。往時には炭鉱で栄えたのだが時代の流れには逆らえない。メロン
が特産であるとは書かれていない。その苫沢町にあるのが向田理髪店である。主人の向田康彦、五十
三歳には娘と息子がいる。長男は札幌に行っていたのだが、突然店を継ぐといって帰ってきた。喜ん
でいいいのか、それともなにかほかに理由があるのか。そんな平和な田舎町苫沢町だが、いろいろと
事件(?)は起きるのだ。暮らすにはなにを基準に考えればいいのだろうか。都会がいいのか田舎が
いいのか、生活に便利がいいのか不便でもいいのか、喧騒が好まれるのか静寂が落ち着くのか。それ
ともゲゼルシャフト的世界かゲマインシャフト的社会か、となかなか判断はつかないものなのだ。康
彦は思うのである。
『まったく、どうしてこんな町に生まれたのか――。若い頃から何度もつぶやいた言葉である。
 康彦はソファに寝転がった。外では今夜も鈴虫が賑やかに鳴いている。』
しかしながら、現代日本社会の縮図ともいえるものが苫沢町にはある。町おこし、世代交代、後継問
題、嫁不足、女性をめぐる鞘当てなどもある。市井のなにげないような暮らしのなかにもドラマがあ
るのだとわかる。これらのドラマはある意味娯楽でもある。楽しみのない生活は人々を無気力にする。
だからかこの過疎地に映画のロケ隊を誘致することに成功した。町は大騒ぎである。てんやわんやの
騒動は老若男女を巻きこんで巨大なエネルギーを発するのだ。
『康彦は娯楽の力をあらためて痛感した。過疎地に必要なのは娯楽なのである。』
ヒトは笑う動物なのだということを忘れてはいけない。笑いはなにものにもかえがたい。ギリシャ時
代から喜劇は存在するのである。過疎地や田舎に必要なものは立派な建物ではない。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

西國巡礼満願紀行
あれっていつからだったかな。
そうねえ八年前になるわ。
おまけにスタートが番外の花山院からだからね。
そんなになるのね。

そろそろ旅行かねて結願したら。
思い切って行っちゃう。
あといくつ残っているのかな。
四ヶ寺かな。

N9563菩薩像

じゃあ、二泊三日で行こう。
ひさしぶりね旅行するの。
はいはい、三ヶ月ぶりですね。
そうかな、もっと行ってない気がするわ。
まあ、感覚は人それぞれですから。

ということで、まずは第十四番三井寺、そして第三十二番観音正寺。
そして近江今津で一泊。

N9567第十四番三井寺

N9577第三十二番観音正寺

翌朝は船で竹生島へ。
天候はうす曇りだが日曜日でもあるし大勢の人でにぎわう。
第三〇番宝厳寺にやってきた。

N9635竹生島

さてここから岐阜方面へと車を走らせる。
なんとか二日間は天気もまずまずであった。
予報も雨とはなっていなかった。
しかし次の日は朝から雨が降りだした。
なんということだろうか。
それでも最後の第三十三番華厳寺にお参りする。

N9681第三十三番華厳寺

しっとりとした雨のなかである。
まずは無事結願いたしました。




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Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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