ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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ヒトは見た目 Ⅲ
ボディランゲイジも見た目のうちだろうな。
そうなんですか。

人はことばで伝えるより以上に身振りに注意がはらわれている、そういう実験結果があるそうだ。
ことばよりも、ですか。
そりゃあそうだろ。
ことばを持たなかったころは身振りなどで意思疎通をはかっていたんだろうから、起源は古いよな。
それはそうですねえ。
自分では気づかないけど、けっこうボディランゲイジを使っているんだよ。
あまり気づいてないですね。

テレビなどのインタビューなどでも気をつけて見ているとそれがわかるよ。
逆もまた真ですね。

警察の取調べなどでも、尋問するときにことばによる返答とともに
そのときに現われる身体言語、つまりボディランゲイジに注目している。
そうなんですか。

ことばと反対の表明をしている、なんてミステリにはよくでてくるよ。
返答には注意しても、身振りにはほんとうのことが現われているということなんですね。
隠そうと思っても隠せない。
悪いことはできませんね。

N9461アナベル


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植物園で読書
園をはいってまっすぐに歩いていくと池につきあたる。水面を葉が覆っている。欄干にもたれて水面
をながめる。ところどころにコウホネの黄色い花が咲いている。トンボがどこからか飛んできて、ど
こかへ去っていく。二重連になって飛ぶのもいる。睡蓮の葉にいるのはお相手をさがしているのだろ
うか。じっと見ていると、ついとあらぬ方向へ飛んでいってしまうのだ。水辺のベンチに腰かけて、
頭のうしろで手を組んでぼんやりしていた。空には積乱雲がもくもくとたちのぼっている。まだ暑さ
もそれほどではない。木陰をわたる風がここちよい。本を読むならこんなときだな。すこし読んでは
かたわらに伏せて置く。どこかはるかな地でもこうして本を読んでいる人がいるんだろうな。どんな
本を読んでいるんだろうか。まったく思い浮かばないが、それでも楽しい気分にはなる。蜂がどこか
らかブンブンと飛んできて、なぜか文、文と聞こえ、おかしくなってひとりで笑ってしまった。

N9465睡蓮の花

「失踪」 ティム・クラベ 矢沢聖子訳 日本放送出版協会 ★★★★
この本はサイコ・ミステリとよばれる分野なのだそうだ。ミステリとは、フィクションでは推理小説
のことを指すことがおおい。だが、神秘、不思議という意味でもつかう。まさしく人の心理は神秘的
でもある。さらにサイキックな人物ともなれば、常軌を逸する感覚に支配されているのだろう。そこ
がまた興味をひかれる点でもあるのだが。だからかどうか、ストーリーはすっきりと解決というよう
にはならないのだ。そこがまた、ある種の魅力でもあるのだろう。人生も同様で、きっちりと割り切
れることのほうがすくないのではないか。そう思えば納得できる結末でもある。
レックス・ホフマンとサスキア・エイルベストはバカンスを楽しむべく車で地中海へと向かっていた。
とあるガソリンスタンドに止めたとき彼女はトイレに行くと言った。ついでに冷たい飲み物も買って
くると。ところがいつまで経っても帰ってこない。だれに聞いても知らないというばかりだ。そこで
消息はぷっつりと切れた。一方で、レイモン・ルモルヌは青年時代から着々と女性を誘拐する手段、
手だてを実行するシミュレーションを重ねていた。それはなんどもなんども。結婚して子どもができ
てからも、ただ仕事をこなすように淡々と。
レックスはサスキアのことを忘れてはいなかった。いろいろと探した。さらには大枚の金を使って新
聞広告をだした。するとある男から「新聞で広告を見ました」と連絡があった。レックスは彼つまり
犯人であるレイモンに会ったのだ。なぜか彼が犯人だと確信したが、確かめたかった。
『「「死んだんですね、彼女は?」
「ええ」
「やっぱり」レックスはつぶやいた。
 男は芝居がかった様子でじっと前方を見つめながら、両腕をまっすぐのばしてハンドルを握った。
何度も鏡を眺めながら、どんな表情をつくるべきか練習を重ねたとでもいうような感じだ。話す言葉
も、まるであらかじめ考えて暗記していたようだった。突然、レックスの心から、この数年募るいっ
ぽうだった不安が嘘のように消えた。彼がなによりおそれていたのは、サスキアを誘拐した犯人が死
んでしまって、すべてが永遠の謎になることだったのだ。』
ここから先ストーリーがどう展開していくのかは、書くことができない。いままでとはちがう。それ
がサイコ・ミステリとよばれる所以なのかもしれない。

「指からわかる男の能力と病」 竹内久美子 講談社+α新書 ★★★★
世になかにはいろんなことに興味をもつ人がいる。本書のテーマについてもそうだ。しかし科学者は
それを万人にデータ論証しなければならない。世のなかにおこる現象は、すべてなんらかの原因・結
果という連鎖がある。これについては、異論もあるがおおむねそう考えていいと思う。しかし現実的
には、それらがすべて単純な式で表されるということにはならない。ここに思い違いが生じる。なん
らかの因果関係があると仮定することはできる。できるが、それらをすべて解き明かせるかというこ
ととは別問題である。量子理論が代表的なものだが、解は統計的な意味しかもたないということにな
る。竹内女史が気にする男の指の問題もそれと似ている。なぜ女が男の指に惹きつけられるのか。な
んだか恥ずかしくて言いだしにくいには理由があった。受精卵が細胞分裂を繰り返しながらその動物
らしい形になっていく発生の過程で、Hox遺伝子がその形づくりを担っていることがわかってきた。
染色体のある領域に一〇個くらいのHox遺伝子がずらりと並んでいる部分がある。その終りに近い
Hox遺伝子ほど末端部分、つまり生殖器や腕や脚でいえば末端である指をそれぞれ担当している。
ほぼ同じメンバーが担当しているのだから指を見れば、生殖器の出来栄えがある程度想像できるとい
うことになる。そういうことがあるので、知ってか知らずかなんだか恥ずかしいとなってくる。こう
いうことを研究した人はもちろんいます。その研究によると、身長でもなく体重でもなく、指とペニ
スとの間に一番強い相関が現れたという結果になった。「相関」であるからあくまで傾向なのだが、
やはり気になる。その他いろいろと紹介があるのだが、それ以降では指比による。この指比となにか。
『指比とは、「薬指の長さ」に対する「人差し指の長さ」の比。要は「人差し指の長さ」割る「薬指
の長さ」で、基本的に右手で測ります。指の男女の差がより大きく現れるのが、右手であるというの
がその理由のようです。
 また、手の甲の側でなく、手のひらの側で測り、それぞれの指の付け根にあるしわ(薬指ではしわ
は二本あっらりしますが、その場合は手のひらに近い方)の真ん中の点から指先までの長さを測るの
です。』
この指比なのであるが、男の場合、値が低いほど、男性ホルモン(テストステロン)のレヴェルが高
い傾向にある。女性の場合は、値が高いほど、女性ホルモン(エストラジオールなど)のレヴェルが
高いという傾向があるということだ。つまりふたつの指の長さに差があるほど男らしい。女性は二本
の指に差が少なければ女らしいということになるのだろうか。しかしこんなこともわかってきている。
『女性ホルモンの代表格である、エストロゲンには、女としての魅力を演出する作用があることはも
ちろんです。しかし一方で、エストロゲンの構造が少し変化した物質には、恐ろしいことに強力な発
ガン作用があります。DNAの塩基にくっつき、遺伝子に傷をつけてしまうのです。
 このあたりの事情は、男性ホルモンの代表格であり、男の魅力を演出する、テストステロンが同時
に免疫を抑制するという恐ろしい働きを持つ現象とよく似ています。』
なにごとにも功罪ありで、そううまくはいかないようになっている。天は二物を与えず、でしょうか。
いろいろと気になる方は是非ご一読ください。気に病むというのが一番よくないようですから。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

ヒトは見た目Ⅱ
とくに目に現れるんだと思うな。
目、ですか。
好奇心なんかはとくに目に出るだろ。
なんとなくわかります。

興味をしめす人には、だれでも好感をいだくのさ。
それから。
目といってもとくに瞳孔だな。
というと。
興味をもつとヒトは瞳孔が開く。
そうなんですか。

これは無意識らしいが、開いた瞳孔は好感へとつながる。
へーそうなんだ。
心理学の実験でもあるよ。
どんな実験ですか。

女性の顔写真を二枚用意する。
同一人物だが、片方は瞳孔を開いたように加工してある。
どちらのほうに好印象をいだくと思う。
瞳孔が開いた女性?
そうなんだよね。
そうなんですか。

これは古くから事実としては知られていて、瞳孔を開く薬もある。
なんていうんです。
イタリア語で美しい女性をさす「ベラドンナ」という植物だ。
やはりイタリア人はそういうことに詳しいんだ。
それは知らないけど、毒性があって抽出液は目薬になる。
それを注すわけだ。
神経を麻痺させて瞳孔が開く、目は口ほどにものを言いだ。

N9413道具


ヒトは見た目
確かにヒトは見た目だと思うよ。
そんなことないでしょ。
いやいや、口では人柄、性格なんていうけどそれも見た目で判断できるから。
そうなんですか。

それに自分のことをまずどう判断してるかってことがあるよね。
ある程度はそうですね。
自己採点すればいいんだよ。
自信がないですね、ムッシュはどうです。
おれなんか十点満点で、そうだな六点ぐらいかな。
えっマジで。

そうだよ、でもね。
でも、なんですか。
見た目というのと、写真で見るというのとはちがう。
ちがいはなんですか。
動きだろうね。
表情ということですか。
そうだよ、見た目というのには表情がおおきな比重を占めていると思うよ。
なるほどね。

N9373花とアリ

魅力的な表情ってなんだと思う。
笑顔ですかね。
そうなんだよね。
どうなんです。

笑顔は訓練でも作りだせるけど、本物とはちがう。
ふむふむ。
笑顔が現われるための素地というのかな、
それが性格なり人柄じゃないかとわたしはにらんでいるんだけど。
見た目は窓なんですか。


公園のベンチで読書
そのころの記憶はおおむね苦い味といってもいい。比喩ではなくて、思い出すとかならず口のなかに
苦さをともなった唾液が分泌される。時間の経過も支離滅裂である。どこかで飲んでいたことはわか
るのだが、その後どうなったのかさっぱり記憶にない。酔っぱらっていたからだろうか。それもある
のだろうが、それだけではない気がしてならない。思いだしたくないものは思いだしたくはないがゆ
えに思いださなくてはならない、と強迫的に考える。だれかと飲んでいたのか。ひとりではない気が
する。ひとりなら思いだせないはずがない。そのだれかが問題なのだろう。あるいはだれかの影とい
う可能性がないでもない。考えに考えている自分をいつか俯瞰していることに気づく。これはどうい
うことだろうかとしばし黙考する。光を感じ振りかえったがなにも見えなかった。長い間息を止めて
いたようだ。いつしか公園のベンチにすわって深呼吸していた。横には伏せたままの文庫本があった。

N9443ストロベリームーン

「アガーフィアの森」 ワシーリー・ベスコフ 河野万里子訳 新潮社 ★★★★
これはシベリアの針葉樹林帯(タイガ)の山中深くで四十年以上にもわたって完全に世間とは隔絶し
て暮らす人たちのことを書いた本である。もちろん自給自足で電気もガスもない生活だ。火は火打ち
石で、明かりといえば松明である。だが未開民族というのではない。あえて人里離れた地に暮らして
いるのだ。ルイコフ一家五人は、自分たちは「真のキリスト教徒」であることを選びそのために森に
身をひそめて暮らしている家族なのだとはっきりと述べた。彼らははるか昔にピョートル大帝の宗教
改革に反旗をひるがえし、それからおよそ三百年、自分たちの信仰を守るためにひたすら逃げ、隠れ
続けながら生きた家族の末裔なのだった。信仰の力というのは底知れないと感じさせられる。宗教的
な対立が戦争へとつながったという歴史は枚挙にいとまがない。そこまでのなんともふつうでは考え
られない力を人々に与える。本書に登場する方たちのなかにもそれらの力を感じることができる。し
かし想像もしてみてほしい。自分であったなら、このようなことができただろうか。わが身に引き寄
せて考えるとき、そのすごさが実感できるのだ。彼らが発見されたときの年齢は、ルポ・オシポヴィ
チ・ルイコフ老人八十歳、長男サヴィン五十六歳、ナターリア四十六歳、ドミートリー四十歳、末っ
子のアガーフィアは三十七歳になるという。一九七八年のことである。
『ルイコフ家の人間は、誰一人、自分たちのことを「逃亡者」と言いはしない。当事者たちは使わな
いことばなのかもしれないし、年月とともにすでに消えたことばなのかもしれない。だが彼らの一家
の歴史こそ、逃亡の歴史そのものではないか。世俗の生活を拒否し、あらゆる権力を拒み、法律も書
類も栄養も否定した。新しい時代の、この「俗世」のならわしすべてを、拒絶した。』
このことばが忘れられない。だれかがなにかを手伝おうと申し出ても、こう答えるのだ。
『「それは、わたしたちには禁じられていることです……」』
それでも素朴な人たちでもある。かわいらしささえ感じるアガーフィアなのだ。古い小屋と新たな小
屋との引っ越しに際しては、こんな忍耐強い働きもみせるのだ。
『小屋と小屋との往復が始まる。深い森の中、片道十キロの道のりだ。行きに十キロ、帰りにまた十
キロ。じゃがいもか雑穀の粉でいっぱいのバケツを、両手にひとつずつ下げてである。中身は、乾燥
させた食糧や食器類や衣類であることもあった。徒歩で、四時間。「最初は何もなしで歩いていたけ
ど、雪が深くなってからは、スキーをはいたわ」』
なにに祈ればいいのかはさだかではないが、祈りたいと思う。元気であってほしいとだれもが思った
ことだろう。だから国中からいろんな支援が寄せられ続けているのだ。

「本屋さんで待ちあわせ」 三浦しをん 大和書房 ★★★
はじめに本書は一応「書評集」である、と筆者が述べている。ただ彼女はこうも書いている。
『私は本を紹介する際に、ひとつの方針を立てている。「ピンとこなかったものについては、最初か
ら黙して語らない(つまり、取りあげてああだこうだ言わない)だ。』
こういう姿勢は素人ならわからないでもない。小説家の場合も似たようなものなのかもしれない。同
業者の悪口は言いたくないということになるのだろうか。まあ、言われたくもないのだろう。だが、
これは一部の読者の期待を裏切ることになる。書評なんてものは、褒め殺しがいちばんピンとこない。
読んでもつまらない。本が好きで、悪口を言うのが好きなら鬼に金棒なのになあ、などと部外者は気
楽に考えるのだ。
『また、たとえ私にはピンとこなかったとしても、その本や漫画を好きなかたが当然おられるのだか
ら、わざわざネガティブな感想を表明して、該当の書籍やそれを好きなひとたちを否定する必要も権
利もないと考えるからでもある。
 ひとによっていろんな読みかたができるから、本や漫画はおもしろい。』
これはちょっと一般の読者をみくびっているのかなあ、と思う。ネガティブな感想の表明がその本を
否定するとは考えすぎではないか。その後に、「ひとによっていろんな読みかたができるから、本や
漫画はおもしろい。」と自分で書いているではないですか。そんなに気にしなくてもいいと考えるの
はやはり部外者だからか。そういえば、辛口の批評家に作家はすくない。そういう狭い世界に住むの
は、ある意味いごこちがいいのかなあなどとも考えるのだ。だから、同業者が作品を選ぶ「芥川賞」
「直木賞」にはあまり興味がわかない。ともあれ、通読して何冊か読んでみようかな、というものが
ありました。こうやって読書がつながっていくのは、ありがたいものです。最後に、井上荒野さん(
好きな作家です)の「潤一」の評にこういう文があった。
『私は、「なにかを捨てたかわりに、別のなにかを得ることができた」という考え方があまり好きで
はない。それは一見、とても潔い選択であり、「そうまでしてでも、本気で得たいものがあったのだ」
という強固な意志表明であるようだが、実は、非常に単純で傲慢な思考回路だと思うからだ。なにか
を捨てればなにかを得られるほど、物事は簡単にできてはいない。』
「なにかを捨てたかわりに、別のなにかを得ることができた」というのは、自分自身に対する言い訳
なのだ。そうでもしないと苦しいのだ。人はそれほど簡単には考えていない、と思うけどなあ。


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プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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