ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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不機嫌なヒト
人はなぜ不機嫌になるんでしょうね。
ほんとだね、なぜなんだろう。

考えてみてくださいよ。
機嫌がいいときというのは体調もいい。

たしかにそうです。
ということは機嫌が悪いということは、体調不良なんだ。

それもあるでしょうけど。
それとも、自分の思い通りにならないことがある。

世のなかそんなことが溢れていますけどね。
だから、そう考えて自分を御することができないんだ。

つまり狭量な人間だということですか。
それもあるだろうし。

まだ続きがありますか。
自分が王様でなければ気がすまない。

お子様気質なんだ。
そう考えていくと対処法は簡単だといえるだろう。

体調をおもんばかり、あなたが正しいと褒め、
なんといってもいちばん偉いのはあなただというんですか。
それがで
きるかどうかが問題だな。

なんか太鼓もちみたいで嫌だな。
人生は修行です。

あなたは偉い人だからだれにも優しいんでしょうね、なんて。
悟りの境地だな。

不機嫌なリンゴってどんな味なんでしょう。

9452ガクアジサイ


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癖のあるヒト
なくて七癖っていいます。
癖のある人っているよなあ。

いますいます。
一癖ありそうな人って逆におもしろいんじゃないの。

どんな癖かによりますよね。
たとえばテレビを見ていて突っこみを入れる人。

なんでやねん、ってね。
批判的な精神の持ち主なのかな。

ちがうでしょう。
そうかい。

きっと欲求不満をかかえているんだと思いますよ。
そうだな、ストレスフルな暮らしをしてたりして。

どこかにはけ口は必要ですものね。
でないと爆発してしまうから。

そうなるのがわかっているんでしょうね。
ストレス源は身近にあったりしてね。

でも方向をうまく変えているんだ。
テレビだと反撃はくらわないからな。

考えていないようで無意識的には考えているんだ。
それに癖ってルーティン的だろ。

そうですね。
おなじことを繰り返しているんだから。

それって繰り返すことによってその行動は強化されますよね。
だからますます癖が強くなる。

癖は強くなっていくんですね。
癖になるってそういうこと。

N0908トンボとメダカ


幸運なヒト
運がいい人っていますよね。
そういう人っているみたいだ。

明るい人におおいのかな。
そうだね、なにごとにも前向きだからそうなるんだろうか。

幸運か不運かで人生はおおきくちがってきますよね。
人知のおよばないものがあるのかもしれない。

運がいいほうなんですか。
どちらかというとラッキーな人生かな。

いいですね。
それにまわりの人たちにはおおいに助けられている。

自身の努力もあるでしょう。
どうなんだろうね。

いままでに最高にラッキーだと思ったことってありますか。
宝くじに当たったこともないし。

そうなんだ。
買ったこともないけど。

当たるわけがないじゃないですか。
大学の入学試験に受かったのはラッキーだった。

実力でしょう。
それもあるかな。

謙遜しないんだ。
素直な性格だから。

自分で言いますか。
幸運か悲運かは受けとり方だと思うな。

そうなんでしょうかね。
どんなことがあっても幸運ととらえて生きていく。

ポジティヴですね。
究極は、禍を転じて福となす。

9443睡蓮の蕾


鼻歌で読書
気分がいいと自然にでるものらしい。♪フンフンフーン、フフフーン♪ これに対する周りの反応は
いかに。彼あるいは彼女がどう思われているかによっておおいにちがう。好かれているだろう場合は
機嫌がいいんだろうな、よろこばしいことだ。その鼻歌もBGMになる。だが、若輩あるいは嫌われ
ていると、うるさい奴だ常識もない、静かにしろ。と一喝されるがオチである。そんなはるかかなた
のことを思いだすのである。ならばひとりのときならどうだ。これは、どうぞ自由にとなる。なんな
らアカペラで歌ってもよござんすよ。そこまではちょっとね。でも気分がいいのだ。そんなときには
どんな本を読むがいいか。経験上、食関係の本などいかがかと思う。「料理の起源」中尾佐助、NH
Kブックス。あるいは「保存食品開発物語」スー・シェパード、文春文庫。ヒトは生きるために食べ
なければならない。あるいは読むために食べなければならない。分子は宇宙を駆けめぐるのである。

9436紅の花

「あらゆる小説は模倣である。」清水良典 幻冬舎新書 ★★★★
芸術は模倣からはじまる。これはよく言われることである。だから、書名からいいたいであろうこと
はわかる気がする。独創性などと声高にいう人には違和感さえおぼえるのだ。なにをもって独創とい
えるのかと。小説であれば言語で構成されている。所詮はことばの順列組み合わせではないか。そこ
に創作か模倣(パクリ)かの差別化は可能なのか、という話になる。過去におきた事件など参照しつ
つこの問題を考えるというのが趣旨だと理解した。模倣か模倣でないかというのは判断がむずかしい。
基準が決めにくい。まったく同じであれば模倣だといえる。しかし似ているという場合はどうか。難
しい問題である。しかし近年は「模倣」「パクリ」といわれたとき、そのことによって受けるダメー
ジははかりしれない。イメージ悪化や信用の低下を招くのだ。駆けだしの作家だけではない。
『竹山哲の『現代日本文学「盗作疑惑」の研究』には、田山花袋、森鴎外、徳富蘆花、井伏鱒二、太
宰治などの「盗作疑惑」が検証されている。』
最近では田口ランディなどがいるが、パクリの名人というべき例もある。ここで寺山修司が紹介され
ている。寺山の短歌が他の作家の俳句と似ているというのだ。
『 向日葵の下に饒舌高きかな人を訪わずば自己なき男
    → 人を訪はずば自己なき男月見草(中村草田男)』
これを糾弾された当時、寺山はうなだれて「時間がなかった」というばかりだったとのこと。だがよ
くよく読んでみると、だれもが寺山修司のほうが断然いいと思うのではなかろうか。
『 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
    → 夜の湖あゝ白い手に燐寸の火(西東三鬼)
    → 一本のマッチをすれば湖は霧(富澤赤黄男)
    → めつむれば祖国は蒼き海の上(同)』
並べられると、たしかにとは思うが寺山のほうが上なのは文句がない。こういう例は枚挙にいとまが
ない。このパクリと密接に関係するのが著作権である。しかし、著作権の問題は考え方のちがいでも
ある。またある意味文化の差であったりする。
『純粋無難な100パーセントのオリジナリティを誇れる小説など、この世にはありえないのだ。そ
の対極に「パクリ」という蔑称が置かれるとすれば、ヒントをもらうことも、影響を受けることも、
あるいはそうした事実を都合よく忘れてしまった産物も、もちろん確信犯の二次創作も、全てパクリ
の一種であることを免れない。
 すなわちあらゆる小説は、部分や無自覚も含めて、多かれ少なかれ何ものかからの模倣あるいはパ
クリなのである。
 だとすれば、パクリを忌避するよりも、むしろ密猟者の自覚と技術の錬磨をこそ、書き手は目指す
べきだろう。』
現代はパソコンツール全盛の時代である。音楽などにその技術が駆使されている。サンプリング、カ
ットアップ、リミックス。そのあたりのことも興味深い。だからオリジナリティと後生大事にするも
のなどはたしてあるのだろうかとも思う。時代は変化しているのである。変化せざるを得ないのでも
ある。最後にこんな警句に笑った。
『空っぽの頭は、実際は空ではない。ゴミで一杯になっているのだ。空っぽの頭に何かを詰め込むの
がむずかしいのは、このためである。  (エリック・ホッファー/中本義彦訳『魂の錬金術』)』

「信仰が人を殺すとき」ジョン・クラカワー 佐宗鈴夫訳 河出書房新社 ★★★★
末日聖徒イエス・キリスト教、通称モルモン教という。1830年にアメリカ合衆国でジョセフ・ス
ミスによって創始された。多くの派に分かれているが、信徒数は全世界で千百万人いるといわれてお
り、アメリカ合衆国だけでも五百二十万人で人口の二・八パーセントにあたる。
『モルモン教は妊娠中絶を禁止し、避妊を認めていない。モルモン教徒の夫婦には、養えるかぎりで
きるだけ多くの子どもを産む神聖な義務があると指導している。合衆国のなかでも、ユタ郡が出生率
のもっとも高い理由は、これでほぼ説明がつく。事実、バングラディシュよりも出生率は高いのだ。』
モルモン教のなかでも分裂していろんな宗派にわかれている。これは仏教でもイスラム教でもおなじ
状況だ。モルモン教のなかでも原理主義は過激である。暴力も否定しない。神が命じられたというの
だが、これは神への責任転嫁なのだろうか。また教義で有名なのは一夫多妻制をおしすすめているこ
とだ。モルモン教徒のこどもはモルモン教徒になるだろう。一夫多妻制の行く末はこの世を人口にお
いてもモルモン教徒で埋め尽くすことなのだ。この教義がしばしば地域社会との軋轢を生む。
『宗教は人々を品行方正にしているのだから、宗教を非難するのはとんでもないことだ、とよく言わ
れる。そのように、私は聞かされてきた。だが、私はそれを認めない……
 世界を見まわせば、わかることだけれども、人間の意識のわずかな個々の進歩、刑法の改良、戦争
をなくそうとする歩み、人種問題改善への前進、あるいは、奴隷制度の軽減、世界中でつづけられて
きた倫理上の進歩、そうしたものにたいして、世界の組織化された教会は終始一貫ことごとく反対し
てきたのである……            バートランド・ラッセル』
いまこの時点でも世界のどこかでわたしは預言者であると述べられている方がおられるのだろうなと
思うのである。預言者はもちろん神ではない。ひらたくいえばメッセンジャーなのだ。だが預言者は
なぜかえらい。神から選ばれし人なのだからといことなのだろう。世界は預言者で満ちている、のだ
ろうか。もちろんこれはキリスト教に限らない。最後に筆者は書く。
『神とはなんであるのか、あるいは宇宙が動きだしたとき、神はなにを考えておられたのか、私には
わからない。神が存在するかどうか、それすらもわかっていないのだ。ただ、たいへんな恐怖を感じ
たり、絶望におちいったり、思いがけない美の表現におどろいたりして、気がつくと、ときには私も
祈りをささげているときがある。』
だからこそ神を人びとは必要としている、といえるのだろうか。ヒトと宗教、あるいは科学の問題は
これからも人類を悩ませ、導いていくのかもしれない。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

グリーンウォーター
青水ともいいます。
でも色としての認識は緑である。
日本人は青も緑も「あを」といっていたらしい。
だから、いまでも青々とした緑がはえるという。

漢字で書くからまぎらわしいのだろうか。
「みどり」も緑って書くからとりちがえてしまう。
青葉、青物はみどりで、青空、青写真とかはあおだ。

碧はみどりと読む。
紺碧の空とかっていうけれど。

グリーンウォーター、この緑はアオコなどの微生物の色である。
植物性プランクトンだからメダカのエサにもなるわけだ。
とくに稚魚の場合などこれだけでも充分に育つ。

N0896グリーンウォーター

抹茶のような色だが味はわからない。
飲んだことがないので。
というより飲用にはむいていないと思う。
メダカ様専用ということですな。

縁側においていたタライの水がいつのまにか緑色になっている。
空中を浮遊してくるんでしょう。

葉緑素ですから日光と水と二酸化炭素で光合成をおこなう。
酸素を水中に排出するからメダカにとっては申し分ない環境になるというわけなんです。




プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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