ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
07 | 2017/08 | 09
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

続・本棚を見られるのは恥ずかしい?
わたしはまったく恥ずかしいなんて思ったことない。
そうなの、自信家だから。

そうじゃなくて、そんなことでわかるわけないって考えているから。
まったくわからないのかな。

こういう傾向の本を読んでいるんだぐらいはわかる。
でも他人に見られたくない本があったりしないかな。

隠しておけばいいじゃないか。
それはそうだけど。

そういう本は当人にしかわからない奥の場所にあったりして。
そうかもしれない。

それって成人向けの本ってこと。
いやあ、いろいろと特殊な趣味の本とか。

なるほどね、そういうのは持ってないから安心だ。
でも人によっては受けとり方がちがうよね。

そういうことまったく気にならない。
気になる人はやっぱりいるよね。

そういう人は本棚を見せない、見てほしくないと宣言すればすむじゃない。
それは角が立つ気がするのかな。

でも、そういう考えの人間なんだということが相手にわかるからいいじゃないか(笑)。
また、そんな皮肉ばっかり言うんだから。

9336岩波新著


スポンサーサイト
本棚を見られるのは恥ずかしい?
どうして恥ずかしいのかな。
だって裸を見られているような気がするとかっていうじゃないですか。

並んでいる本を見れば、その人の思想・信条・性向などが知れるとでも思っているの。
そんな気がするんですよね。

じゃあ、そんな風に思ったことあるの。
うーん、ないかな。

せいぜいこんな本を読んでいるんだぐらいの感想じゃないの。
まあそうですね。

そこまで神経質になるのならファッションだってその人物を現しているよ。
そういわれればそうだけど。

それは恥ずかしくないの。
自分のセンスの問題だから。

本もおなじじゃないの。
ちょっとちがうかな。

どうちがうの。
本は読む人の内面を表しているかも。

もし現しているとして、それですべてが分かるの。
そうは思わないけど。

本て読み手によってちがった印象をうけたりする。
そうだね。

それにどういう興味でその本を読んでいるのかまではわからない。
そうか考えすぎだね。

それに見られることを逆手にとった本棚もあるんじゃない。

9335本棚遠景


深夜急行で読書
青森駅は深夜のなかでうずくまっていた。そんななかプラットホームを駆けぬけていく足音だけが高
く響く。硬直した背もたれの四人掛けのいっかくになんとか座れた。ほぼ満席である。どこにこれだ
けの人間がいたのやらと思う。やがて喧騒も鎮まり密やかに列車は走りだす。「北国」はこれから二
〇時間をかけて終着の大阪駅まで日本海の沿岸を走るのだ。列車のなかでは興奮さめやらぬ若者たち
が歌をうたう。まるで歌声喫茶のようだが、表立っての文句はでなかった。そのうちだんだんと静か
になっていった。読んでいた本を伏せ窓の外をながめる。真っ暗な闇だけがひろがっている。横では
友がやすらかな寝息をたてている。その顔を見ていたらなんだかやさしいような気持ちになった。疲
れているんだろうな。なんでも率先してやる頑張りやだからなあ。そろそろ空があかるくなろうとす
る時刻にちかづいてきた。またもやぎらぎらと輝き照りつける夏が、むくむくと起きあがってくる。

9327白夜

「医療が病いをつくる」 安保徹 岩波書店 ★★★★
現代の最先端医学は一般人には理解しがたいところがある。また医療における検査数値というのも微
妙なものが多い。薬が病気を治すというのは正確ではない。薬にはかならず副作用がある。これがよ
くわかっていない人が多い。なんでも、どんなささいなことでもすぐに薬に頼る。だが、副作用があ
ることは処方箋でよくわかる。この胃薬を飲むと胃が荒れる可能性があるので、その荒れを抑えるた
めの薬ですなどと説明される。この薬を飲むためにはこの薬を飲む必要があるのか。だからやたらに
薬の種類が多くなってくる。こんなことでいいのだろうか。製薬会社救済キャンペーンみたいだ。そ
こで本書ではこんな紹介文章を見つけた。みなさん自分で判断してください(笑)。
『ここで、アメリカで評判の医師用教科書『ドクターズルール四二五』(邦訳『医師の心得集』の一文
を紹介する。
  「可能ならすべての薬を中止せよ。不可能なら、できるだけ多くの薬を中止せよ」「薬の数が増
  えれば副作用の可能性はネズミ算的に増える」「四種類以上の薬を飲んでいる患者は医学知識の
  及ばぬ危険な領域にいる」「高齢者のほとんどは薬を中止すると体調がよくなる」』
しかし最後は本人の免疫力が体を正常にもどすのだ。もちろんヒトには免疫力という自己修復機能が
ある。その観点からガンを見直すとこういうことになるのだそうだ。
『弘前大学医学部生化学の佐藤公彦氏によって、「癌自体が生体防御反応の一つ」という考え方が最
近提起されている。癌細胞が、激しい交感神経緊張状態によって産生された体内毒物(代謝産物)を
排除するという考え方である。もしそうなら、交感神経緊張を止めると癌の存在意義がなくなり、癌
が自然退縮してしまうこととつながってくる。
 なぜ癌細胞が毒物を排除できるのであろうか。その理由は、癌細胞は増殖能も高いがアポトーシス
で死ぬ力も強いからであろう。』
最後は自己責任である。そのためには知ることは大切である。人の意見は人の数だけある。確かなセ
オリーだといわれていてもひっくり返ったことは過去にいくらでもある。これからもあるだろう。人
は誤るのだ。医者の言いなりになって過ごすか、自分で決断して生きるか。医療機関はあくまでも助
言者であると肝に銘じなければいけないんでしょうね。コレステロールについてもひとこと。
『コレステロールはすべての細胞の構成成分であり、また、ステロイドホルモンや性ホルモンそして
ビタミンDの原料となっている。極めてからだに必要なものである。
 血管に付いて動脈硬化を引き起こす以前のその大切さを知らなければならない。』
ヒトの身体を構成するものに不必要なものなんてあるのだろうか。すべてはバランスのうえで成り立
っているのか。そこで思いだすのだ。腹八文目、これはなにを意味しているのだろうか。

「身体から革命を起こす」 甲野善紀 田中聡 新潮社 ★★★★
甲野さんのことは養老先生との共著で知りました。人間の動きを分析する西洋的観点からではなく、
日本の武術につながる動作から読み解いていく。なかなかおもしろいですね。剛よく柔を制す、など
ともいいます。この剛は直線的、柔は円環的とわたしは理解しています。筋肉の使い方も、まったく
考え方がちがっているようです。そこがまた興味深いです。実践している姿が美しいですね。よくス
ポーツ選手などでボディビルダーのように筋肉を鍛えている方がいます。なにか可笑しさを誘います。
なにが目的なんだ、と思ってしまいます。思い込みというのはどんな世界にもあるようです。超一流
になるとさすがにそういう人はすくないようですが。
『甲野は、「小成は大成を妨げる最大の要素である。そこそこの成功は、それ以上のものを追求させ
ないための強力な目かくしとなる」と言う。
 人は、自分の「実感」を否定することは難しい。まして、それまでにしてきた苦労を愛さずにはい
られない。苦労して上位に上ってきたシステムを愛し、利権を守ろうとする官僚的な発想に、「実感」
も冒されている。
 だから「実感」と思うなかにひそむ観念性を見抜き、生きているものとしての身体を見出さなけれ
ば、いくら身体や感覚が大切だといっても、結局は観念を見ているだけに終わりかねないのだ。』
また甲野はこんなことを言う。スキーや自動車レースは相当技術が発達している。それは死の危険が
隣り合わせにあるからだろう。だが、ゴルフはそういうことがない。だからこう感じるのだ。
『ゴルフには、およそ身の安全にかかわるような事態はないわけです。それで動きの転換も生まれな
かったのでしょうね。そもそも私がゴルフを見ていておかしいと思うのは、ボールを見て打つという
ことです。これから打つ先を、なぜ見ないのか。
 ボールを見て打つのは、ボールを見ないとうまく当たらないとか、軸をブラさないとかいう理由で、
ほとんどのゴルファーはボールを見て打っていますね。有名選手では、わずかにデュバルとか女子の
ソレンスタムが比較的早く顔を上げていますけれど、まだまだその程度です。
 しかし、、もし敵が攻めてきたときにゴルフ用具を武器にして対抗するしかないという状況になっ
たとすれば、絶対に、ワーッと攻めて来る相手を見てその位置を確認しながら打つでしょう。攻めて
くる相手を見ないで、ボールを見ているわけがありません。心理的な面から考えてもそうでしょう。
 これは開拓時代のアメリカで腰に下げたホルスターから拳銃を抜いて撃ち合うのに、相手を見ずに
自分の腰に下げた銃を見て撃つ人がいないのと同じです。』
なるほど、その視点にはおそれいるのである。だれか有名ゴルファー反論してください。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

美人の旅路
若いころはきれいだったね。
ありがとう、いまはどう。

いまは、それなりにいいんじゃない。
それはどういうふうに理解すればいいんでしょうか。

まあ多少は重厚さのほうが勝ってきているというか。
というかの次をどうぞ。

相変わらずお美しいですよ。
ですよは余計なんじゃないですか。

そうでした、訂正いたします。
そうでもないですよ、もう若くはないし。

若さだけが美の基準でしょうか。
もちろんそうじゃないですけど比重は高いんじゃないですか。

とおっしゃると、どのくらいでしょうか。
八割がたかしら。

うーん、激しく同意いたします。
男の人はいいわね。

どういいんですか。
だって年配になると、渋いとか落ち着きがあるとかの語彙で形容されるでしょ。

女性だってあるんじゃないでしょうか。
たとえば。

えっ、年輪を感じますねとか。
シワが増えたってこと。

いやいや、そうじゃないですよ。
ちょっと言ってみたかったの。

花が落ちたあとに実がなるっていいますから。
意味不明ね。

9324クリオメ


深夜フェリーで読書
名残惜しいが夏の北海道を去る。お金に余裕はない。札幌を夜の普通列車で発ち、函館をめざす。満
員状態で立ち通しであった。八時間ほどかかったのだろうか、はっきりとは記憶していない。だが長
かったと感じたことだけはたしかだ。函館駅に着くと同時に連絡フェリーへと人々は駆け出す。する
と、歩いていた人たちまで駆け出したくなるようだ。フェリーのなかは席にまだ余裕があった。それ
ほどおおきな連絡船だった。岸壁を離れると、街の灯かりがきらめいて見えた。席にもどって文庫本
を開いたが、すぐに読むのをやめた。このひと月半ほどの北海道での暮らしを思いだす。いろいろと
事件にも遭遇した。おおくの人たちに出会った。みんなそれぞれの人生を歩んでいるようだった。ヒ
トは環境に影響される。順応できる者もいれば、なじめない者もいる。どちらが幸せなのか、などと
考えもした。森のなかの静まりかえる湖でもぼんやりと考えていた。生きるとは考えることなんだと。

9298ゴーヤ

「ゴシップ的日本語論」 丸谷才一 文春文庫 ★★★★
丸谷さんが亡くなってもう五年ちかくになる。多くの著作を残しておられます。それらの本でいろい
ろと教えていただいたなあと思いつつ読んでいた。小説もお書きになられましたが、評論は切れ味鋭
くて読んでいて爽快でありました。エッセイもまさに小論文という本来の意味でのものでした。未読
本がどんどんと少なくなっていくのは残念な気がします。だからというわけではないですが、酒をの
むようにちびちびと読もうかなと思ったりもします。人は褒めて育てよ、という。しかし、ただ褒め
るだけではむしろ害になるかもしれない。増上させることもあるだろう。しかし、これも相手により
けりですからね。相対性ですね、相性と字面が似ています。
『戦後、日本人全体が多弁になつた。それから早口になつた。よくしやべるやうになつたせいで泣か
なくなつた。
 昔は無口で言語表現がうまくできないから、無念の思ひが心の中にわだかまつて泣いた。そのこと
については柳田國男が書いてゐます。赤ん坊は言葉がないから泣くんです。ところが、今やみんな言
葉によつて一所懸命表現するやうになつたために、泣くといふ風俗がなくなつた。』
なるほど、おもしろいですね。ちょっと引っかかるところはありますが。
『「活版印刷による出版資本主義が国民国家をつくつた」と、ベネディクト・アンダーソンが『想像
の共同体』ではつきり指摘してゐます。日本の場合、この活版印刷による出版資本主義を可能にする
ためには、機能的=能率的な言葉がなければならかつた。その機能的=能率的な言葉を成立させたのは、
西洋的概念の漢字による訳語だつたわけです。』
こういうことを読むと、志賀直哉を思いだしつつ苦笑するわけです。すこしずれているんですけど。
テクストの理解についてもおもしろいですね。
『文章とは、抽象的な、中立的な読者を想定して書かれるものだし、また、そのやうにして書かなけ
ればならない。ところが、テレビ時代にはいつて成長した人々には、テクストがさういふものだとい
ふことを知らない人が多いから、さういつた文章を書きにくくなつた。
 もう一つ、ここでつけ加えなければならないのは、携帯電話の大流行です。すぐに推測できるやう
に、携帯電話といふのは、テレビ以上にコンテクストに寄りかかつてゐる表現なんです。テクストな
し、コンテクストだけがあると言つてもいいかもしれません。』
コンテクスト(文脈)は第三者には共有されていない。このことを肝に銘じてゐなければいけません。
教育の場でこういうことを具体的にわかりやすく教える必要があるでしょうね。でないと、社会に出
て困りますから。そしてなぜ通じないのか、ということも分からないということになる

「潤一」 井上荒野 マガジンハウス ★★★★
井上荒野さんはやはりすごいと思う。いや、その前に小説がとてもおもしろい。あたりまえですが、
やはり作品には作家の人生観がでるものなんだと再認識した。小説の書き方にもいろいろとあるのだ
が、読者にどう伝えるかだと思う。この伊月潤一という人物の造型をどう描くのか。彼にまつわる女
性たちを通してというのはまあよくある試みである。だが、最後に潤一の独白という章をもってきた
ところがいいですね。ストーリーに深みができました。この小説全十章からなっている。九人の女性
がいろんな場面で潤一と出会う。それが自然に感じられるというのが、荒野さんの筆力なんでしょう。
『1―映子(三十歳)
 私が潤一と会ったのは、太極拳教室だった。

 2―環(二十八歳)
 わたしが潤一に会ったのは「耳」だった。

 3―あゆ子(六十二歳)
 私が潤一に会ったのは、夫の蔵書を処分したときだった。』
あゆ子のこんなこころの描写がじんわりとしみこんでくる。こういう視点もうまいと思う。
『葬儀が終わり、納骨もすんで、身辺が落ち着きはじめた頃から、私は夫の書斎で過ごすことが多く
なった。
 台所や居間や寝室にいると、かつてそこでともに食事をしていたり、くつろいでいたり、傍らで眠
っていたりする夫の不在を感じずにはいられなかった。それで私は、書斎に逃げ込んだのだ。夫は書
斎にいるときはいつも一人だったし、書斎にいる夫に私が呼びかけるときには、細目に開けたドアの
隙間から、いつも夫の背中を見るだけだったから。
 考えようによっては、それは奇妙なことだった。書斎は、夫にもっとも近しい場所だったはずなの
に、私にとっては、夫を思い出さずにすむ唯一の場所だったのだから。』
男と女が出会う。そしてセックスしたりしなかったり。このセックスなんだが、この小説を読んでい
るとボノボの「ホカホカ」が思い起こされる。ヒトの不安や不安定な心情をおだやかにする効果があ
るのかな。恋愛至上主義は現代では死語になったかもしれない。もともと、そんなことは絵空事であ
るとだれもが感じていた。でもなにか理想がイデアがあったほうがいい。ものごとはいつも揺れもど
る軌跡をえがいたりするものだ。ゴーギャンではないが、人はどこから来てどこへ行くんだろう、な
どと考えさせられる結末部分でありましたね。荒野さん、お見事というしかないですな。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー