ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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考える日々
Facebookに「いけだあきこ」の名を見た。
この「いけだあきこ」さんではない池田晶子のことを思った。
彼女は二〇〇七年の二月に腎臓癌のため四六歳で亡くなった。

女性の哲学者であり、考えたことをずばりという歯に衣着せない女性だった。
だれかをちょっと思いうかべる。

「考える日々」(毎日新聞社刊)に書かれていたことを再読する。

『道徳と倫理との違いとは、単純明快、強制と自由との違いである。
「してはいけないからしない」、これは道徳であり、「したくないからしない」、これが倫理である。
ここには、天地の相違がある。「教育」が不可能だと、私が言うゆえんである。
道徳は、外的規範によって強制できるが、倫理は、内的自由によって欲求されるしかないからである。』

倫理条項とは、倫理観のない方のおっしゃることのようです。

『子供を失くして我が身の不幸を嘆いている母親に、死人を出したことのない家を探しておいで、
そしたらお前を救ってあげる、とお釈迦様は言った。
村中の家を尋ねたけれども、そんな家は一軒もなかった。母親は自分の誤りに気がついた。』

死はだれにも平等にやってくる。ヒトの死亡率は一〇〇パーセントである。

『なぜ生は善であり、死は悪なのか。
この問いは、しかし、誰か他人に考えてもらっても、なんら答えにはならない。
各人が各人で納得するまで考えるしか、しようがない。』

逆説的だが、死は生きているうちに考えるしかない。

『最近よく聞く「癒し」というのも、不可解である。
「人とつながりたい」欲望とは、いかなる欲望なのだろうか。
何か根本的な勘違いがある。たんなる甘えか逃避としか思えない。
癒されなければならないほど、深く思い詰めたことがあるとは、とても思えないのである。
なぜなら、とことん思い詰めたことがあるのなら、
癒しなど、どこか外に求められるものではないと、知るはずだからである。』

ちょっと言い方がきついと思うが、まあ真実である。

N7741チューリップ


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唯我論
デカルトの有名なことばに「われ思う、ゆえにわれ在り」というのがある。
ほんとうに存在するのかと問い続けたとき、万物はかならずしも存在するとは断定できない。
しかし最後には、この問いを発する自分の存在は疑い得ないと知ることになる。
だから、われが消滅(死ぬ)すれば、すべては存在しないに等しくなる。
存在そのものを認識する主体自体が存在しないのだから、「存在すること」の意味はない。
こいうふうに考えるのが唯我論(独我論ともいう)といわれる哲学の立場である。

ふつうはここにリンゴがあるといったとき、それはわたしがリンゴを見ているということでもある。
そして、わたしの認識とは無関係に客観的存在としてのリンゴがあるということを意味する。
ではあるが、唯我論はわたしの認識と無関係なものに意味がない、といっているのである。
(これは主観と客観との問題にもなるのだが、それはまた別の機会に)
あるいは、わたしの認識以前にリンゴは存在をするということを、わたしは証明することができない。
なぜなら、認識以前に存在するリンゴを認識するとは、論理的に矛盾するからであるというのだ。

1718昼の月

「ふーん、なんだか解ったようで分からないわね」
「そうだな、世界は自分がいてはじめて輝く、なんてね」
「なんだかジコチューみたいね」
「そう、見方が地動説的だともいえる」
「じゃあ天動説的だとどうなるの」
「そこには神がいて、すべてを差配している、ということになるのかな」
「もうすこし説明して」
「自己という主観に対比する、客観(神だな)をもちだしてくるわけだ」
「それもいまいち納得しがたいわね」

彼女がいなければ世界は意味がない、というときは唯彼女論とでもなるか(笑)。
いろいろと角度を変えてながめれば、もうすこし本質に迫れるのだろうか。

「たとえば、唯我論的に解釈すると浮気もこう論じることが可能だな」
「どういうふうになるの?」
「浮気をしているかどうかは、ばれたかどうかだと」
「ばれなければ、浮気をしていない?」
「ばれたとは認識されることだから、認識されないものは存在しない」
「なるほど」
「だからばれなければなにをしても、していないことと同じになる」
「愛されていても、愛されていると知らなければ、愛はないに等しいの?」
「ある意味哀しい(?)立場でもあるなあ」
「まったくロマンチックじゃないわね」

※もちろんフィクションである、念のため。

懐疑論者
懐疑論は基本的原理や法則とよばれるものであっても、すべてはまず疑うことから始める。
疑って検証することによって、その後に残るものが普遍的な原理・法則だとする立場だ。
であるから懐疑を寄せつけないものは、本来的に疑わしい(偽物)ものだということになる。
あたりまえであることを疑う、あるいはほんとうにそうなのかと考え切り込んでゆくのだ。

ある意味、すべてを疑ってかかる妻は懐疑論者である、といえなくもない。
(哲学なんてわからない、と口ではいう妻も立派な懐疑論哲学派である)
懐疑論者の妻をもつ夫ははたしてどういう窮地に追い込まれるのか。
よくある会話から考察してゆくことにしよう。

「遅くなった理由は急な仕事がはいったせいだよ」
「そうなの、ごくろうさま」
(ベテランの妻なら夫の言い訳を信用していなくても、一応はこう返すだろう)
「同僚の田中さんはお元気?」
「ああ(やや不審げに)、元気だけど…」
「さきほど奥さんから電話があって話してたの」
(続きがあるかと待つが、沈黙がつづく)
「そうかい、なにか言ってた?」
「なにか用でもあったの?」
「いや、別に…」

1725灯り

これで夫はしばらく疑心暗鬼にすごさなければならない。
(やましいことがなければ気にすることはない、と他人は気楽に言う)
(現実はそう単純ではないのである、無実だと叫ぶと逆に疑われたりする)
(人は自分の想像したように事実を解釈しがちだ、だからこそ心配なのだ)
(これまでにも日本の家庭でどれだけの冤罪があったことだろうか)

そういう話ではなかった。

「でも懐疑って、疑うってことでしょ」
「そうだよ、すべてを疑ってより正しい認識に到達しようというのだよ」
「それって、人間としてどうなのかしら」
「えっ、どういう意味なんだ」
「人を信じるってことも大切なんじゃない」
「それはもちろんそうだが、信じるためにもまず疑いをはらす必要があるだろ」
「わたしになにか疑わしいことがあるっていうの?」
「べつに君を疑っているということじゃないよ」
「じゃあ、信じてるの?」
「まあ、信じているといわざるを得ないな(苦笑)」
「ならいいわ、それからこのバッグ買ったの、いいでしょ?」
「いいよ、よく似あってるね(苦笑)」
(どうしてこう女性はバッグが好きなんだ?)
(この流れでこのセリフって、うーむ、完璧に自家薬籠中だな)

※これはあくまでもフィクションである。

続不可知論
人間同士はたがいにすべてを理解きるかという問題を再考してみる。
ヒトは集団(社会といっても同じ)で暮らすことを基本とした動物であることは経験的に知られている。
もちろんどんな動物でも平均からはずれた行動をとるものが必ずいるが、ここでは言わない。

人間の場合、社会生活のなかでことばによるコミュニケーションで関係を円滑化している。
(いうまでもないが、ボディランゲージなども重要なコミュニケーション要素だ)

では、相手のこころにある感情、意識を知ることはできるのだろうか。
自分のこころにうかぶ感情から、推理することはできるのだろう。
だが、知ることと推察することは同義だとはいえない。
だが、推察することによって理解したと考えることは可能だろう。

このように考えるとき、なにが問題であるかがわかってくる。
つまり「理解することは可能だ」が「推察により理解に達することは可能だ」と同じになっている。
もしくは、理解する→理解できる→理解できないはずがない、と変化しているからではないか。
そうした心理的な変化は個人のなかにあるのだが、本人は気づかない。
だから、同じことを言ってるのに(実はおなじではない)なぜわからないのか、となる。

これでは同じことばを話しているが、そのことばは同じ意味をもっていないことになる。
いつまでたっても平行線であるし、なぜかみ合わないのかがお互いわからない。
たとえば、温度28℃の室温は、暑いのか寒いのか(快適もあるが)という質問と似ている。
ある人(女性の場合が多い)にとっては、ちょうどよかったり寒かったりする。
だが多くの人(男性が断然多い)にとっては、かぎりなく暑いのだ。

昨日の例をもういちどつかってみよう。

「あなたは、わたしのことをちっとも分かってくれないのね」
(わかろうとする姿勢が、私には感じられないもの)
(それに、私の話していることを真剣に聞いていないんじゃない)
(それが哀しいし、口惜しいのよ)

「そんなことはないよ、よく理解しているつもりだ」
(わかろうとしているんだけど、そう感情的になられてもね)
(論理的でないから、どう筋道立てて話していいかわからないよ)
(つまりはどうしろってことなの?)

「いいえ、口先だけで分かろうとなどしていないわ」
(誠実さがないのよね、残念ながらあなたには)
(分かっているというのなら、態度にでるはずよ)
(おまけに人のことを莫迦にしてるでしょう)

などと話されていることばとその裏にある意味が、たがいにちがっている。
たがいに歩み寄り理解することにつとめようとしてもそもそもの始まりがちがうのだ。

すべては理解が可能だとする人と、他人には理解できないことがあるとする人がいる。
可能派は、すこしのくいちがいも理解が足りないと不満である。
一方、不可能派はすこしでも理解できたことは前進だと感じるのである。
同じ程度の理解があってもその評価はまったくちがってくることになる。

数学の概念をつかえば、1と0.99999…のちがいになるかもしれない。
いや、これは同じものを表わしているのである。
1を1で割るときに、最初に0.9で割り始めると果てしなく9が続くのだ。
つまりは同じものが理解の仕方がちがっただけで別のものになるのである。
このちがいが理解できなければ、不毛の言い争いになるしかない。

♪ 男と女のあいだには ふかくて暗い河がある ♪

という歌の文句のほうが言い得て妙である。
だがわたしとしては、こちらの歌のほうが好みである。



不可知論
英語でのagnosticismを日本語では、不可知論という。
人はすべてを知りえるかと考えてみたときに、どうしても知りえないものが残る。
それは死後の世界(経験したという人もいるにはいるが、経験したということを証明はできない)、
神の存在(なかには私が神だという者もあるがそれも同様証明できていない)などは、
だれもが納得できるような客観的認識には到達することは不可能だ、とする哲学的立場のことだ。

用例としては、「ぼくは女性に関しては不可知論の立場をとるね(笑)」などとつかう。

そんな哲学のことなどわからないし、興味がないという人がいるかもしれない。
だが現実生活のなかでも、似たようなことにしばしば遭遇しているのである。

たとえば、こんな男女の会話を聞いたり(あるいは言ったり)したことがないだろうか。

「あなたは、わたしのことをちっとも分かってくれないのね」
「そんなことはないよ、よく理解しているつもりだ」
(男としては、理解しているが肯定するかどうかは別問題だという気持ちがある)
「いいえ、口先だけで分かろうとなどしていないわ」
(理解しているというなら、絶対服従行動がなぜとれないのかしら)

陳腐なステレオタイプである。
しかし、ここには実に男女(個人というべきか…)のちがいが如実にあらわれている。
女はことばの意味に恣意的な部分が多すぎはしないか。
男はどうしてそう衝突を避けようとするのだろうか。

女の立場からすれば、努力すれば必ず私の心情を理解できるはずだという思いがある。
さらには、(私の気持ちが)分からないのは努力が足りないせいにちがいない。
当然ながら、自分は正しいというゆるぎない認識があることはいうまでもない。
(これまた当然ながら、正しいとはなにかという設問自体が無意味である)
(私がルールブックだと言った審判がいたが、おなじような心理なのだろう)
(このあたりは原理主義かとも思うが、変幻自在なのかもしれない)

男は、どうすればいいのだろうか、としばし考える。
やがて水流るるごとくに導かれるのは、諦観でしかない。
おたがいに(というよりは、あなたは)理解できるはずだとする立場と、
人間同士わかりえないことはある、と考える立場では観る方向が正反対なのだ。
わかり合おうとする立場すらも、女からは不十分であると裁断される。
つまりは私(女)の言うことが正しいと認めよ、ということにほかならないと気づく。

いろいろと説明すること(それは雄々しい【女々しいは差別語】言い訳だ)は不要である。
ただ唯諾々と聞き入れていれば(あるいはそう思わせていれば)いい、ということになる。
だがそこには細心の注意が必要であることはいうまでもない。
面倒臭そうに(こういう男が多い)答えるというまちがいをしばしばおこすからである。
(こういった態度がさらなる怒りのエネルギーの点火につながることは否めない)

よって、男は秋の空のように変わりやすい女心の本質(?)は知りえないと結論づける。

3011男と女



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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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