ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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植物園で読書
園をはいってまっすぐに歩いていくと池につきあたる。水面を葉が覆っている。欄干にもたれて水面
をながめる。ところどころにコウホネの黄色い花が咲いている。トンボがどこからか飛んできて、ど
こかへ去っていく。二重連になって飛ぶのもいる。睡蓮の葉にいるのはお相手をさがしているのだろ
うか。じっと見ていると、ついとあらぬ方向へ飛んでいってしまうのだ。水辺のベンチに腰かけて、
頭のうしろで手を組んでぼんやりしていた。空には積乱雲がもくもくとたちのぼっている。まだ暑さ
もそれほどではない。木陰をわたる風がここちよい。本を読むならこんなときだな。すこし読んでは
かたわらに伏せて置く。どこかはるかな地でもこうして本を読んでいる人がいるんだろうな。どんな
本を読んでいるんだろうか。まったく思い浮かばないが、それでも楽しい気分にはなる。蜂がどこか
らかブンブンと飛んできて、なぜか文、文と聞こえ、おかしくなってひとりで笑ってしまった。

N9465睡蓮の花

「失踪」 ティム・クラベ 矢沢聖子訳 日本放送出版協会 ★★★★
この本はサイコ・ミステリとよばれる分野なのだそうだ。ミステリとは、フィクションでは推理小説
のことを指すことがおおい。だが、神秘、不思議という意味でもつかう。まさしく人の心理は神秘的
でもある。さらにサイキックな人物ともなれば、常軌を逸する感覚に支配されているのだろう。そこ
がまた興味をひかれる点でもあるのだが。だからかどうか、ストーリーはすっきりと解決というよう
にはならないのだ。そこがまた、ある種の魅力でもあるのだろう。人生も同様で、きっちりと割り切
れることのほうがすくないのではないか。そう思えば納得できる結末でもある。
レックス・ホフマンとサスキア・エイルベストはバカンスを楽しむべく車で地中海へと向かっていた。
とあるガソリンスタンドに止めたとき彼女はトイレに行くと言った。ついでに冷たい飲み物も買って
くると。ところがいつまで経っても帰ってこない。だれに聞いても知らないというばかりだ。そこで
消息はぷっつりと切れた。一方で、レイモン・ルモルヌは青年時代から着々と女性を誘拐する手段、
手だてを実行するシミュレーションを重ねていた。それはなんどもなんども。結婚して子どもができ
てからも、ただ仕事をこなすように淡々と。
レックスはサスキアのことを忘れてはいなかった。いろいろと探した。さらには大枚の金を使って新
聞広告をだした。するとある男から「新聞で広告を見ました」と連絡があった。レックスは彼つまり
犯人であるレイモンに会ったのだ。なぜか彼が犯人だと確信したが、確かめたかった。
『「「死んだんですね、彼女は?」
「ええ」
「やっぱり」レックスはつぶやいた。
 男は芝居がかった様子でじっと前方を見つめながら、両腕をまっすぐのばしてハンドルを握った。
何度も鏡を眺めながら、どんな表情をつくるべきか練習を重ねたとでもいうような感じだ。話す言葉
も、まるであらかじめ考えて暗記していたようだった。突然、レックスの心から、この数年募るいっ
ぽうだった不安が嘘のように消えた。彼がなによりおそれていたのは、サスキアを誘拐した犯人が死
んでしまって、すべてが永遠の謎になることだったのだ。』
ここから先ストーリーがどう展開していくのかは、書くことができない。いままでとはちがう。それ
がサイコ・ミステリとよばれる所以なのかもしれない。

「指からわかる男の能力と病」 竹内久美子 講談社+α新書 ★★★★
世になかにはいろんなことに興味をもつ人がいる。本書のテーマについてもそうだ。しかし科学者は
それを万人にデータ論証しなければならない。世のなかにおこる現象は、すべてなんらかの原因・結
果という連鎖がある。これについては、異論もあるがおおむねそう考えていいと思う。しかし現実的
には、それらがすべて単純な式で表されるということにはならない。ここに思い違いが生じる。なん
らかの因果関係があると仮定することはできる。できるが、それらをすべて解き明かせるかというこ
ととは別問題である。量子理論が代表的なものだが、解は統計的な意味しかもたないということにな
る。竹内女史が気にする男の指の問題もそれと似ている。なぜ女が男の指に惹きつけられるのか。な
んだか恥ずかしくて言いだしにくいには理由があった。受精卵が細胞分裂を繰り返しながらその動物
らしい形になっていく発生の過程で、Hox遺伝子がその形づくりを担っていることがわかってきた。
染色体のある領域に一〇個くらいのHox遺伝子がずらりと並んでいる部分がある。その終りに近い
Hox遺伝子ほど末端部分、つまり生殖器や腕や脚でいえば末端である指をそれぞれ担当している。
ほぼ同じメンバーが担当しているのだから指を見れば、生殖器の出来栄えがある程度想像できるとい
うことになる。そういうことがあるので、知ってか知らずかなんだか恥ずかしいとなってくる。こう
いうことを研究した人はもちろんいます。その研究によると、身長でもなく体重でもなく、指とペニ
スとの間に一番強い相関が現れたという結果になった。「相関」であるからあくまで傾向なのだが、
やはり気になる。その他いろいろと紹介があるのだが、それ以降では指比による。この指比となにか。
『指比とは、「薬指の長さ」に対する「人差し指の長さ」の比。要は「人差し指の長さ」割る「薬指
の長さ」で、基本的に右手で測ります。指の男女の差がより大きく現れるのが、右手であるというの
がその理由のようです。
 また、手の甲の側でなく、手のひらの側で測り、それぞれの指の付け根にあるしわ(薬指ではしわ
は二本あっらりしますが、その場合は手のひらに近い方)の真ん中の点から指先までの長さを測るの
です。』
この指比なのであるが、男の場合、値が低いほど、男性ホルモン(テストステロン)のレヴェルが高
い傾向にある。女性の場合は、値が高いほど、女性ホルモン(エストラジオールなど)のレヴェルが
高いという傾向があるということだ。つまりふたつの指の長さに差があるほど男らしい。女性は二本
の指に差が少なければ女らしいということになるのだろうか。しかしこんなこともわかってきている。
『女性ホルモンの代表格である、エストロゲンには、女としての魅力を演出する作用があることはも
ちろんです。しかし一方で、エストロゲンの構造が少し変化した物質には、恐ろしいことに強力な発
ガン作用があります。DNAの塩基にくっつき、遺伝子に傷をつけてしまうのです。
 このあたりの事情は、男性ホルモンの代表格であり、男の魅力を演出する、テストステロンが同時
に免疫を抑制するという恐ろしい働きを持つ現象とよく似ています。』
なにごとにも功罪ありで、そううまくはいかないようになっている。天は二物を与えず、でしょうか。
いろいろと気になる方は是非ご一読ください。気に病むというのが一番よくないようですから。


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テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

公園のベンチで読書
そのころの記憶はおおむね苦い味といってもいい。比喩ではなくて、思い出すとかならず口のなかに
苦さをともなった唾液が分泌される。時間の経過も支離滅裂である。どこかで飲んでいたことはわか
るのだが、その後どうなったのかさっぱり記憶にない。酔っぱらっていたからだろうか。それもある
のだろうが、それだけではない気がしてならない。思いだしたくないものは思いだしたくはないがゆ
えに思いださなくてはならない、と強迫的に考える。だれかと飲んでいたのか。ひとりではない気が
する。ひとりなら思いだせないはずがない。そのだれかが問題なのだろう。あるいはだれかの影とい
う可能性がないでもない。考えに考えている自分をいつか俯瞰していることに気づく。これはどうい
うことだろうかとしばし黙考する。光を感じ振りかえったがなにも見えなかった。長い間息を止めて
いたようだ。いつしか公園のベンチにすわって深呼吸していた。横には伏せたままの文庫本があった。

N9443ストロベリームーン

「アガーフィアの森」 ワシーリー・ベスコフ 河野万里子訳 新潮社 ★★★★
これはシベリアの針葉樹林帯(タイガ)の山中深くで四十年以上にもわたって完全に世間とは隔絶し
て暮らす人たちのことを書いた本である。もちろん自給自足で電気もガスもない生活だ。火は火打ち
石で、明かりといえば松明である。だが未開民族というのではない。あえて人里離れた地に暮らして
いるのだ。ルイコフ一家五人は、自分たちは「真のキリスト教徒」であることを選びそのために森に
身をひそめて暮らしている家族なのだとはっきりと述べた。彼らははるか昔にピョートル大帝の宗教
改革に反旗をひるがえし、それからおよそ三百年、自分たちの信仰を守るためにひたすら逃げ、隠れ
続けながら生きた家族の末裔なのだった。信仰の力というのは底知れないと感じさせられる。宗教的
な対立が戦争へとつながったという歴史は枚挙にいとまがない。そこまでのなんともふつうでは考え
られない力を人々に与える。本書に登場する方たちのなかにもそれらの力を感じることができる。し
かし想像もしてみてほしい。自分であったなら、このようなことができただろうか。わが身に引き寄
せて考えるとき、そのすごさが実感できるのだ。彼らが発見されたときの年齢は、ルポ・オシポヴィ
チ・ルイコフ老人八十歳、長男サヴィン五十六歳、ナターリア四十六歳、ドミートリー四十歳、末っ
子のアガーフィアは三十七歳になるという。一九七八年のことである。
『ルイコフ家の人間は、誰一人、自分たちのことを「逃亡者」と言いはしない。当事者たちは使わな
いことばなのかもしれないし、年月とともにすでに消えたことばなのかもしれない。だが彼らの一家
の歴史こそ、逃亡の歴史そのものではないか。世俗の生活を拒否し、あらゆる権力を拒み、法律も書
類も栄養も否定した。新しい時代の、この「俗世」のならわしすべてを、拒絶した。』
このことばが忘れられない。だれかがなにかを手伝おうと申し出ても、こう答えるのだ。
『「それは、わたしたちには禁じられていることです……」』
それでも素朴な人たちでもある。かわいらしささえ感じるアガーフィアなのだ。古い小屋と新たな小
屋との引っ越しに際しては、こんな忍耐強い働きもみせるのだ。
『小屋と小屋との往復が始まる。深い森の中、片道十キロの道のりだ。行きに十キロ、帰りにまた十
キロ。じゃがいもか雑穀の粉でいっぱいのバケツを、両手にひとつずつ下げてである。中身は、乾燥
させた食糧や食器類や衣類であることもあった。徒歩で、四時間。「最初は何もなしで歩いていたけ
ど、雪が深くなってからは、スキーをはいたわ」』
なにに祈ればいいのかはさだかではないが、祈りたいと思う。元気であってほしいとだれもが思った
ことだろう。だから国中からいろんな支援が寄せられ続けているのだ。

「本屋さんで待ちあわせ」 三浦しをん 大和書房 ★★★
はじめに本書は一応「書評集」である、と筆者が述べている。ただ彼女はこうも書いている。
『私は本を紹介する際に、ひとつの方針を立てている。「ピンとこなかったものについては、最初か
ら黙して語らない(つまり、取りあげてああだこうだ言わない)だ。』
こういう姿勢は素人ならわからないでもない。小説家の場合も似たようなものなのかもしれない。同
業者の悪口は言いたくないということになるのだろうか。まあ、言われたくもないのだろう。だが、
これは一部の読者の期待を裏切ることになる。書評なんてものは、褒め殺しがいちばんピンとこない。
読んでもつまらない。本が好きで、悪口を言うのが好きなら鬼に金棒なのになあ、などと部外者は気
楽に考えるのだ。
『また、たとえ私にはピンとこなかったとしても、その本や漫画を好きなかたが当然おられるのだか
ら、わざわざネガティブな感想を表明して、該当の書籍やそれを好きなひとたちを否定する必要も権
利もないと考えるからでもある。
 ひとによっていろんな読みかたができるから、本や漫画はおもしろい。』
これはちょっと一般の読者をみくびっているのかなあ、と思う。ネガティブな感想の表明がその本を
否定するとは考えすぎではないか。その後に、「ひとによっていろんな読みかたができるから、本や
漫画はおもしろい。」と自分で書いているではないですか。そんなに気にしなくてもいいと考えるの
はやはり部外者だからか。そういえば、辛口の批評家に作家はすくない。そういう狭い世界に住むの
は、ある意味いごこちがいいのかなあなどとも考えるのだ。だから、同業者が作品を選ぶ「芥川賞」
「直木賞」にはあまり興味がわかない。ともあれ、通読して何冊か読んでみようかな、というものが
ありました。こうやって読書がつながっていくのは、ありがたいものです。最後に、井上荒野さん(
好きな作家です)の「潤一」の評にこういう文があった。
『私は、「なにかを捨てたかわりに、別のなにかを得ることができた」という考え方があまり好きで
はない。それは一見、とても潔い選択であり、「そうまでしてでも、本気で得たいものがあったのだ」
という強固な意志表明であるようだが、実は、非常に単純で傲慢な思考回路だと思うからだ。なにか
を捨てればなにかを得られるほど、物事は簡単にできてはいない。』
「なにかを捨てたかわりに、別のなにかを得ることができた」というのは、自分自身に対する言い訳
なのだ。そうでもしないと苦しいのだ。人はそれほど簡単には考えていない、と思うけどなあ。


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バードウォッチングで読書
ヒトでもいいけど、やはり鳥のほうが気楽に観察できるかなと思う。鳥を観て、それがなんになるの。
そういう人はすべての行動はなにかのためにするものだ、と考えているのだろうか。すべての問題は
解答があるとも考えるのか。それは知らないが、なんにもならないよと答える。なんにもならないこ
とをやるのとさらに質問してくる。そこで、なんにもならないからしているのかもね、という。すこ
し変な顔をしているが、無視することにしている。価値観、人生観のちがいかな。もしや属する文化
圏がちがうのか。それはさておき、バードウォッチングをしながらカメラで撮影する。コンパクトデ
ジカメだが、望遠60倍のすぐれものである。うまく撮れたときはうれしいし、なんだか精神が高揚
する。これはなんていう名の鳥かと図鑑で調べる。読んでみると、生態なども書いてある。案外と渡
りをする鳥が多いことを知る。はるかシベリアからやってくる白鳥たち。鳥は旅人、旅ガラスなのだ。

N4130キセキレイ

「ヴァラエティ」 奥田英朗 講談社 ★★★★
小説には著者による「あとがき」などというものはない。ところがめずらしいことにこの本には「あ
とがき」がある。なぜあるのかは奥田氏が自ら書いている。これは言い訳であるといいながら、本に
なったいきさつを書いているのである。つまり、本としてまとまらなかった短編を集めたものなのだ。
だからといって、おもしろくないということはない。これはわたしが奥田ファンだからというだけで
はないと思う。といいつつここで小説についてふれることはない。それよりも興味深かったのは、山
田太一氏との対談である。山田氏の小説には独特のものがある。それはなんだろうか、なんといえば
いいのかと考えていた。たとえば、「異人たちとの夏」。事実は小説よりも奇なりなどというが、そ
れを真にうけてはいけない。ノンフィクションとフィクションのちがいを小説のなかにもちこんでも
しかたがないと思うのだ。どっちであろうと胸を打つものがいい。と考えたりするのだ。山田氏は対
談のなかで、フォスターという作家が「何か言いたいやつは、どこか具合が悪いんだ」と書いている。
それが物を書く前提ではないのかと。そうだと思う。しあわせな人はなにも思わない、とおなじなの
だ。奥田氏が大山プロデューサーが「テーマを描くな、ディテールを描け」ということを実践したの
が山田氏だと言っていたがという質問をした。これは、神は細部に宿るあるいは真実は細部に宿ると
いうのに等しいだろう。山田氏はリング・ラードナーという短編の名手は物語の書き出しはテーマを
離れて頭に浮かんだ会話から始めろと言う、それを応用し実践しているだと答える。「筋ともテーマ
とも関係のない、始末に負えない会話が最初にあることで、全体が深まり、ふくらむ」というラード
ナーの話は興味深いという。ものごとはそう理詰めには成り立っていない。成り立つと考えることは
ある意味傲慢なことだ。人はすべてを知ることはできない、と謙虚に生きるのが正しいのではないだ
ろうか。などと対談を読みながら考えたりした。あと、イッセー尾形さんとの対談もおかしくもあり、
なるほどなあと思えるものだったが、これは是非みずから読んでいただきたいなと思うのだ。

「こうすれば病気は治る――心とからだの免疫学」 安保徹 新潮選書 ★★★★
本を知るきっかけというのは千差万別である。本書は、南伸坊氏が養老孟司さんとの対談でしきりに
話題にしてとりあげておられた安保徹氏が書かれたものだ。免疫といえば多田富雄氏の「免疫の意味
論」(青土社、一九九三年)が有名である。もうずいぶんと前に読んで感銘を受けものだ。そのころ
は「免疫」は一般名詞ではなかった。いまでは、あいつは女に免疫がないなどとふつうに言う。こと
ばは時代を反映するのだ。現代は学問の細分化がすすんで、学者もいわゆる専門家になっている。専
門はなんですか、と訊くのは特別な物言いではない。日常会話にも登場する。専門はどんどん分化す
る。しかし世のなかのことは専門家には判別できない。わたしは専門がちがいますから云々、と言い
訳をする。しかし人生の時計は止まることがない。そんなときに有効なのが教養とよばれるものなの
だ。そんなことが腑に落ちるようになってきた。だからといって専門馬鹿と否定するのは早計である。
すべては裏表、もしくは多面的な構造をもつ。免疫だけですべてを説明できるわけではないこともわ
かる。しかし、おもしろいのだ。以上のようなことを考えつつでもないが、興味深く読ませていただ
いた。お勧めしたい本である。南辛坊氏には感謝である。特にそいうことだったのか、ということが
ある。白血球だれでも知っている。しかし白血球には顆粒球とリンパ球の二種類あるというのを知ら
なかった。その役割は分化していて、顆粒球は細菌を貪食するのに優れ、リンパ球は免疫を司る。こ
のこと免疫は関係してくるのだ。
『免疫はとても大切な体の防衛システムではあるが、何でも免疫で治していると誤解している人も多
いのではないだろうか。しかし、白血球の分担のしくみを理解すれば、侵入してくる異物によって、
免疫をつくりやすものと、つくりにくいものがあることの謎も自然にわかってくると思う。細菌類に
は、リンパ球の誘発はほとんど起こらない。
 ニキビを例に考えてみよう。ニキビは、アクネ菌という化膿性の細菌、化膿を起こす最近の侵入に
よって起こるのだが、一度治っても繰り返し感染する。感染してもリンパ球の誘発が起こらず、顆粒
球が対応して、化膿させて治しているのである。つまり何度感染しても、いつまでたっても免疫がで
きることはない。』
それと自律神経の重要性についても書かれている。ストレスと自律神経と白血球、三題噺のようだ。
『私たちの心と体は非常に密接につながっている。これは誰でも知っていることだろう。ひどく心配
なことがあれば、食欲は落ちるし元気もなくなって、朝起きるのも嫌になる。悪い精神状態は身体の
働きを止めてしまうだろう。あるいは逆にけがをしたり、病気になってしまったら、気分も憂鬱にな
るだろう。心と体はこんなに密接な関係にあるのに、では何がこの二つをつなげているのかというと、
これまで誰も答えられなかった。
 私は自律神経がつなげているのだと思う。自律神経が心と体をつなげているのである。
 自律神経は、ありとあらゆる細胞を支配している。先に述べたように白血球までも支配している。
なぜ私がこういえるのかというと、白血球自体が自律神経の支配を受けていることを見つけたからな
のである(一九九七年)。体の中のいろいろな細胞が自律神経支配を受けていることは比較的よく知
られていたし、生理学の教科書にも記されている。医学に携わる者にとっては常識といえるだろう。
しかし、その中で白血球だけは抜けていたのだ。
 なぜかというと、白血球だけがほかの細胞とちょっと様子が違うからだった。白血球はいつも体の
中を動き回っている。まさかこういう細胞まで自律神経の支配下に入っているとは、なかなか考えつ
かなかったのである。普通の細胞が自律神経の支配を受ける場合には、神経の末端からある物質が出
て細胞を刺激するわけだから、神経は細胞のすぐそばまで届いている。ところが白血球は動き回って
いる。常識的な考えでは、白血球が自律神経支配を受けているという答えにはたどり着けないわけで
ある。』
そのほかにいろいろと貴重なご教示がある。消炎鎮痛剤とステロイドのこと。抗生物質のピントがず
れた使い方、ヘリコバクター・ピロリ菌のことなど。紹介しきれないので、興味のある方は自分でお
読みください。そうだったのか、なるほどとなること請け合いである(笑)。


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ねむり舟で読書
舟の号は「子守り舟」だったかもしれない。いまはどっちだったかはっきりとは思いだせない。コン
クリートの護岸に引きあげられていた。遠くからながめれば白い舟でメルヘンチックだ。ちいさな伝
馬船くらいしかない。だれかがいつのまにかそう名づけていた。波にゆらゆらうかぶイメージがあっ
たのだろう。舳先に腰掛けて、読書したりした。ただただ寄せてはかえす波音のなかでのことだ。文
章は海とは関係がないのだが、なぜか思いは海につながっていく。聞こえているのに意識にはのぼら
ない。やはり聞こえているんだ。そんな経験をしたことがあった。あれとおなじだな。視覚にもおこ
る。見ていた記憶はないのだが、見ていなくてはおこせない行動をとる。聞いていなければわからな
いことが分かる。読んだことを覚えていないことが、ことばになって口からでてくれば、それは前世
の記憶になるのだろうか。忘れているのではなく、無意識下のことってわからないことが多いものだ。

N8766はるか佐柳島

「同性愛の謎 なぜクラスに一人いるのか」 竹内久美子 文春文庫 ★★★★
キンゼイ報告やその他のいくつかの調査では、男で同性とのみ関係を持つという割合がおおむね四%
の数値を示す。つまり、クラス(25名だと)に一人程度ということになる。ちなみに女性同性愛者
の割合は、男性同性愛者の約二分の一~三分の一くらい。さて、男の性フェロモンと考えられている
AND(アンドロスタジエノン)は男の汗の中に多く含まれていて、これに対して女性異性愛者はも
ちろん男性同性愛者も性的に興奮する。このANDは男性ホルモンの代表格であるテストステロンが
少し変化しただけの物質である。ただ、性フェロモンとはそもそも匂いとして感じられないほどの低
い濃度でも脳が性的に興奮する化学物質だということである。
『ANDは男の、精液やだ液にも少量含まれるが、汗に一番よく含まれる。それもわきの下や乳首、
下腹部、肛門の周りなどにあり、そこに生えている毛と、分泌物の出口がセットになっているアポ
クリン腺から出てくると考えられる。』
汗腺にはエクリン腺とアポクリン腺の二種類ある。このアポクリン腺は水やミネラルだけでなく、脂
質やタンパク質なども排出しその中にANDも含まれているはずなのだ。ただ、エクリン腺もアポク
リン腺も分泌物自体にはほとんど匂いはない。皮膚に住みついているいるバクテリアによって分解さ
れてはじめて臭い匂いを発する。だから、ANDと汗臭いにおいとは直接的な関係はない。ただ、条
件反射的な学習があるのかもしれない。しかし、進化の過程で同性愛的志向は淘汰されるのではない
かという疑問は残るだろう。それに対してはこういう解釈があるのだ。
『とにかく女の繁殖力を高める遺伝子があったとする。それが男に乗った場合には、彼を同性愛者に
する確率を高め、子を残すうえで不利にするが、それは彼の母方の女における大いなる繁殖によって
十分に相殺され、その遺伝子が残ってきている。そしてこの、女の繁殖力を高める遺伝子こそが、男
性同性愛遺伝子の正体である……。』
というようなことらしい。これにどう進化論的解釈をほどこすのか、まだ決着はついていないらしい。
しかし、まあ現実は同性愛者がいなくなる気配はなさそうではある。本題とは別に、オキシトシンと
いうホルモンが最近、大変注目されているという。ではどんな働きがあるというのだろう。
『オキシトシンは単に体に触れられること、接触刺激でも分泌される。マッサージ、指圧などでリラ
ックスして気持ちがよくなり、ときには眠ってしまうのは、単に血流がよくなるとか、凝りがほぐれ
るからだけではない。これらの刺激がきっかけとなってオキシトシンが分泌されるからだ。
 しかもその際、触れられる側はもちろんのこと、触れる側にもオキシトシンが分泌されるというか
ら驚きだ。』
これで、女性をハグする言い訳ができたというのは早計である。すべての行為、感情は複合的な条件
のもとに起こるので自分に都合のいいように理論を変換して敷衍しないようにしなければならない。

「デビルズ・ピーク」 デオン・マイヤー 大久保寛訳 集英社文庫 ★★★★
本書は南アフリカの社会派ミステリ作家であるデオン・マイヤーによるものだ。南アフリカ第二の都
市であるケープタウン周辺を舞台として三つのストーリーが語られる。まず、牧師に告白する若く美
しい娼婦、クリスティーンの場面からはじまる。続いてすぐに、息子を殺されたトベラ・ムバイフェ
リの憤りに燃える光景へと変わり、またまた、アル中で家庭崩壊を起しそうな警部補ベニー・グリー
セルの話に切り替わる。この三つのストーリーがいつかつながっていくのだが、まず南アフリカの現
状についての紹介がある。南アフリカでは死刑は廃止されている。逆にいえば、どのような卑劣な犯
罪を犯そうとも死刑になることはない。犯罪者もこのことをよく知っている。だから息子を殺された
トベラは子ども相手に犯罪をおかす者たちをつぎつぎと処刑していった。それもアセガイとよばれる
槍での殺害である。このリンチをトベラはどう考えているのだろうか。
『トベラはページをめくった。三ページ目に、ラジオ局の電話世論調査の記事が載っていた。死刑は
復活すべきですか?リスナーの八十七パーセントが「はい」と答えていた。』
だれかがやるしかないのだ。死刑廃止論者は死刑は殺人犯罪抑止力になりえないという。だから、人
が人を殺すような野蛮な死刑制度は廃止すべきだという。死刑制度を廃止すれば、殺人は減少するの
か。いや、それとこれは別問題だという。トベラは理不尽だと思ったのだろうか。しかし殺された側
はいつまでもそのことを忘れることはできないのだ。また別の被害者がでないようにと思ったのだろ
うか。むずかしい問題だ。死刑廃止論者は、たとえば自分の妻や子どもが殺されても死刑はいけない
というのだろうか。サイコパスのかっこうの標的になるかも知れないから心配だ。ゲーム理論によれ
ば、最適解は「やられたらやりかえす」だ。人は理性的な生き物だからそれはない、というのか。理
性と人々の本音はいつの日も相反している。それはともかく、ストーリーは後半になって急激な展開
をみせる。三者がつながりをみせはじめるところは圧巻である。手に汗にぎる。気をもむ。どうする
つもりなのか悩む。しかしものごとはあっという間に終わってしまう。じっくり考えるひまなどない
ということがわかるだろう。すぐに対処できるようにふだんからの訓練が重要なのだ。しかし、なか
なかに読ませるし考えさせられる作品でありました。


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潮溜まりで読書
旅の途中で海が見える休憩所に立ち寄った。そこから海岸へと降りていく小径があった。下ったとこ
ろからゴロゴロした岩場になっている。ころあいの岩に腰かけて海をながめる。潮に混じってすこし
海藻らしきにおいもする。引き潮らしく、あたりは潮溜まりがところどころにできていた。しばらく
本を読んだりお茶を飲んだりしていた。ふとピチャッと音がしたと思った。足元をのぞいてみると、
カニがそそくさと岩陰へと走っていく姿がみえた。潮溜まりのなかにはちいさな魚が泳いでいる。屈
みこんでじっとさらに観察する。砂地のなかに保護色をした魚が潜んでいたり、ちいさなエビがはね
ていたりする。この潮溜まりはこれらの生き物の宇宙だな。いろんな生物が共生している。それに比
べてヒトは進歩しているのかどうか。さらには自分自身のことにも思いは回帰する。立ちあがって沖
の方をながめたら白い浪がたっていた。陽炎のなかでゆれるタンカーの姿も見えかくれした。

N8699沖行くタンカー

「海馬 脳は疲れない」 池谷裕二 糸井重里 朝日出版社 ★★★★
脳といってもいろんな部位がある。大脳、小脳、脳下垂体などそれらはどんな役割をになっているの
だろうか。池谷さんはそのなかの海馬(かいば)についての研究に明け暮れているのだそうだ。糸井
氏から、頭がいいけど嫌いなやつのことは、ほんとはバカなんだと思っているという発言をうけてこ
う答えている。
『それはおもしろいです。「頭の良し悪し」の基準を「好き嫌い」だと考えるとすっきりしますし、
当たっている気がします。
 根拠もあるんです。脳の中で「好き嫌い」を扱うのは扁桃体というところでして、「この情報が要
るか要らないのか」の判断は海馬というところでなされています。
 海馬と扁桃体は隣り合っていてかなりの情報交換をしている。つまり、「好きなことならよく憶え
ている」「興味のあることをうまくやってのける」というのは、筋が通っているんですよ。感情的に
好きなものを、必要な情報だとみなすわけですから。(池谷)』
この海馬だが、起きている間だけではなく寝ているあいだにもすごく活動しているという。どういう
ことかというと、眠っているあいだには夢をつくりだしているのだそうだ。つまり情報の整理をして
いるということがわかってきた。睡眠は、きちんと整理整頓した情報を記憶するプロセスなのだ。こ
れはとても重要なことで、睡眠を強制的に奪われると幻覚を見る。このことは経験的に知られていた
のだろう。究極の拷問は眠らせないということで、そのせいで発狂に至ることもあったという。
『毎日のリズムを崩すことが海馬に非常に悪影響を与えることもわかってきました。時差ボケのよう
な状況に陥ると、ストレスで海馬の神経細胞が死んでしまうという実験結果が出たんです。(池谷)』
規則正しい生活というのは、そういう意味では理にかなっている。じゃあ、どういうふうにすると、
扁桃体や海馬、つまりは脳がよりはたらくようになるのかという疑問がわいている。
『脳をはたらかせる細かいコツは、たくさんあります。ブドウ糖を吸収したほうがいいとか、コーヒ
ーの香りが脳のはたらきを明晰にするということも言えます。あとはたとえば、前に言った「扁桃体
と海馬がお互いに関係し合っている」ということで言うと、扁桃体を活躍させると海馬も活躍します。
 扁桃体をいちばん活躍させる状況は、生命の危機状況です。だから、ちょっと部屋を寒くするとか、
お腹をちょっと空かせるという状態は、脳を余計に動かします。寒いのは、エサの欠乏する冬の到来
のサインですし、お腹を空かせるのは直に飢えにつながりますから。』
なにごとも過ぎたるは及ばざるが如しの心境でいくしかないですね(笑)。

「幕末下級武士の絵日記 その暮らしと住まいの風景を読む」 大岡敏昭 相模書房 ★★★
江戸時代の武士はどんな生活をしていたのか考えると、うかんでくるのはテレビや映画の時代劇の一
コマだったりする。どうもあれが真実かどうかは疑わしい。ことばだってよく聞いていると、現代に
しかないような単語や言い方だったりで信頼するには足りない。暮しぶりというようなことは、逆に
とりたてて文章に書き残すこともすくない。しかし、やはりなかにはそういうことを書き残す御仁が
いたのである。ああ、よかったと筆者も思ったのであろう。おまけに絵入りである。江戸から北に十
五里ほど離れた関東平野の一角に小さな忍藩(おしはん)十万石の城下町があった。そこに尾崎石城
という下級武士がおり、彼は「石城日記・全七冊」を残したのだ。江戸時代といえば、士農工商と厳
密に階級が決められていたようだが、実態はどうだったのかも気になる。また、武士の実生活、収入
はどうだったのか。藩の規模は石高であらわされる。たとえば加賀十万石とか。そのなかで下級武士
と呼ばれるのはどのようなひとたちなのか。こう解説されている。
『藩によって身分の仕組みが異なるが、概ねどの藩でも扶持取りの武士がそれに当てはまる。しかし
知行取りにしても、五十石未満では扶持取りとそう変わらない。たとえば石城は十人扶持であったが、
それは年収にして十八石である。一方知行取り三十石といっても、年貢率が六つ(割)とすると、実
収入は十八石ほどで石城と同じぐらいとなる。しかも収入はその年の米の出来高によっても変動する。
またわずか五~十石の知行取りも多くいるが、その石高では石城の収入より低い。したがって下級武
士とは、ほぼ五十石未満の知行取りと扶持取りをいうのが妥当であろう。』
中級武士で禄高百石前後、いまの年収にすれば約四百万円に相当する。ということは下級武士では百
万円をすこし上回る程度ということになる。しかし住まいは藩からの拝領であり賃貸料は払わなくて
もいい。で、なんとか家庭菜園などやりながら暮らしていたということであろうか。しかしこの日記
によるとその実態はすこしちがっている。
『石城は友人宅を毎日のように訪ねる。そこに彼らがいるということは友人たちもふだんの多くは家
にいたことになる。またそこには石城のほかに多くの下級武士、寺の和尚、町人たちも集まってくる。
下級武士の登城勤務は少なく、ふだんは友人たちとでさまざまな交流と催しが家でおこなわれていた
のである。』
本書を読んでいると、石城は友人宅や寺に行っては酒を飲む。そして酔っぱらってはしばしば泊まっ
ていく。そこには町人たちもまじっているのだ。江戸末期であるからかどうか、士農工商の厳格な区
別は市井の生活のなかではあまりなかったかのようだ。またそえられている絵がなかなかに興味深い
のである。


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