ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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ダム湖で読書
日本ではダムといえばほとんどが重力式コンクリートダムである。よくある形式だ。有名な黒部第四
ダムはアーチ式コンクリートダムだ。他にはロックフィルダムの御母衣ダムがわりあい知られている。
それはさておき、そのときなぜダム湖に来たのかいまではよく覚えていない。そろそろ暑くなりかけ
る季節だった。あたりは緑がしたたるような光景がひろがっていた。滲んできた汗にそよ風がこころ
よい。堰堤のうえから湖面をながめる。波紋がしずかにひろがっていく。こんなところまで来たんだ
と他人事のように思った。湖岸にあるベンチは木陰になっておりちょうど休憩するにはよかった。本
を読もうとして取り落とした。足元の芝生からはずれた土の部分を蟻が忙しそうに動きまわっていた。
アリとキリギリスの寓話が思いだされる。俺はキリギリスということになるのか。しばし考える。空
を見あげる。青い空には白い雲だ。うーんと唸って、くるりとベンチにひっくりかえり天を仰いだ。

8182千苅堰堤

「微生物が地球をつくった」 ポール・G・フォーコウスキー 松浦俊輔訳 青土社 ★★★★
この地球に最初にあらわれた生命体は微生物であるが、それが歴史上の認識となったのは最近のこと
なのだ。肉眼では見えないものだからそれもしかたがない。いまも地球上の生命体で多数を占めてい
るのはバクテリアたちだ。数量的にも重量でもである。熱水が噴出する海中などの環境中にも存在す
るという。そこから進化の枝がひろがっていったというわけだ。
『微生物は地球上で最古の自己複製する生物なのに、見つかったのは最後で、ほとんどの間知られて
いなかったというのは、たぶん、生物学の中でも大きな皮肉の一つだろう。微生物発見の歴史は、科
学史の多くの話と同じく、新しい技術の発明に基づいている。この場合は顕微鏡とDNA配列決定装
置である。この種の生物に目が向かなかったのは、主として私たちの観測にかかるバイアスによる―
―目に見えないものは無視してしまうものだ。』
もちろんヒトの体内にも微生物は存在している。大腸菌や乳酸菌などはよく知られている。ある意味
共生しているということだ。なかよく生きるというのは重要なことだと思う。
『微生物は陸上植物の登場より何十億年か前に太陽のエネルギーを通じて水を分解できる複雑なナノ
マシンを進化させていたが、それができる微生物が最初に登場したのがいつかについては、まだ非常
に不確かな構図しか得られていない。というと、いささか意外かもしれない。酸素を生み出せる光合
成をする微生物で残っている原核細胞生物のグループは、藍藻類(シアノバクテリア)だけだ。』
生物多様性などといわれるが、是非その考えを微生物にまで拡張してほしいと思う。すべては複雑に
入り組み構成されている地球の生命連鎖があるのだから。以下のようなことは現代の悩ましい問題な
のだが、世間の認識はまだまだそこまでいっていない。これからの世代がすこやかに生きれるように
と思うのだ。
『二〇世紀の半ばには、抗生物質を家畜に投与すると肉や乳の生産が増大することも発見された。ア
メリア合衆国で消費される全抗生物質のうち約八〇パーセントは、人間の健康のためではなく、家畜
による生産のために用いられている。実は、今やとくに畜産業でいろいろな抗生物質が用いられてい
るので、多くの微生物が普通の抗生物質には免疫になってしまっている――そうしてまた人間を死に
至らしめるべく反抗しつつある。』
薬はとくにそうだが、毒と薬は紙一重ということをもっと真剣に考えるべきだ。なにご
とも裏と表があると考えるべきで、すべてがいいということはない。それを忘れるといつかしっぺ返
しがやってくるのだが、それを含めて生きるということなのだろう。原発反対もそこらあたりの感覚
が欠けているようでなんとも頼りない。

「だりあ荘」 井上荒野 文藝春秋 ★★★★
ペンション「だりあ荘」を営んでいた両親が車の事故で死んだ。カゴを編むための山葡萄の蔓を採り
に出かけてのことだった。二人一緒に峠の難所から車で落ちた。慣れた道だったはずなのだが。夫婦
には一緒に暮らしていた姉の椿と、迅人(はやと)と結婚して東京住まいの妹の杏がいた。「だりあ
荘」は一年の休業の後、妹夫婦が継ぐことになった。両親は東京のマンションを売って、この山奥の
ペンションを買っていたので、ここが実家でもある。隣のペンションが売りにだされとき買って住ま
いとしていたので椿はそのままそこに住むことになった。迅人はいわゆるエリート社員だったのだが、
指圧師になるためあっさりと会社を辞めた。同じ会社にいた杏も後を追い、ふたりは付き合いをはじ
めて結婚したのだった。迅人は治療院を構えず呼ばれた場所へ治療しに行くかたちだったので引っ越
しにもすんなり同意した。杏夫婦にはこどもはできなかった。杏が不妊症であるらしかった。だから
子犬を飼うことになったときには、この子犬が夫婦のきずなを強くするとも思えた。椿にはお見合い
をしてつきあっている新渡戸さんという男性がいた。椿のことは、みんなが美人だとほめた。だが、
ふたりは結婚する気配もなくいつまでもつきあっているのだった。ペンションは順調に経営を続けた。
そこでバイトの青年を雇うことにした。翼、二十四歳。一人旅をしているという。バイトしながらと
いうことでどんな仕事でもそつなくこなした。こうして「だりあ荘」では男女四人の生活がはじまる。
じつは椿と迅人は東京で会ったときから一線を越えていたのだ。そのふたりが同じペンションで暮ら
しはじめる。杏の目を盗んでは密会を重ねていた。もちろん、杏もなにも気がつかないわけがない。
しかし、疑念は抑えこまれていた。椿は不安であった。妹に知られたらどうしようか。だが、迅人の
誘いを断ることができなかった。こういうことはたいてい当事者以外に知られている。だが、確たる
証拠はないというだけだ。そして言わないながらも翼もうすうす感づいているのではないかと思われ
る。それが椿には苦しい。杏もなにかおかしいと思うときがあるが、なにもないと信じた。思い過ご
しなんだと。あるとき母親の同級生だった夫婦が泊まっていた。そのご主人が言った。
『「この姉妹は足して二で割るべきだな」
 とご主人が感想を述べて、再び笑い声が起きた。
 そのとき椿はぞっとした。この世界で自分は一人きりだ、と感じたのだ。もっとも、そんなふうな
孤独を感じるのははじめてではなかった。ぞっとしたのは、同じ孤独を、同じ深さで、杏も感じてい
るに違いない、と突然気づいたからだった。』
井上さんは不倫とかという問題を書いているのではない、と思う。生きるにともなっていろんなこと
が起きるだろう。こういうことは当たり前には世間にないかもしれない。だがあることも確かである。
生きるとはこういったことすべてを潜り抜けていかなくてはならない。否、対峙することもある。人
はときどき動物の世界などに倫理的な理想世界を描こうとする。だが動物界には不倫という概念はな
いと知る。つまり結婚というものもない。あるのはどうすれば子孫を残せるか、ということだけ。不
倫、それは人のみがつくりあげたものなのだろう。だからといって、不倫を奨励しているわけではあ
りませんよ(笑)。人類学的な関心があるだけです、とでも言うべきか。


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テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

用水路で読書
あるとき、田園地帯をあるいていた。田には水がはられ、これから田植えがはじまるのだろう。木立
ちがあり陰になった場所があった。そこに腰をおろして休憩することにした。脇にコンクリートの用
水路がはしっていた。そっとのぞきこむと、いきおいよく水が流れていた。つくられたばかりのよう
で、灰色の地肌そのものだ。藻や水草、小魚もみあたらない。ただ、どうどうと水がながれていくば
かりだった。顔をあげると、空の青さが眼にしみた。草のうえに寝ころんだ。身体がバキバキと音を
たてるようで、痛さが気持ちよかった。ふんわりとした風がほほをすぎる。ズボンのポケットから煙
草を取りだしてマッチで火をつけた。煙がゆっくりとたちのぼっていく。ふと列車のなかで読んでい
た本のことを思いだした。あわててリュックからとりだした。しおりを挟んだ箇所をそっと開いた。
そこには短歌が一首。「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」

N9213霧のなか

「日本語の乱れ」 清水義範 集英社 ★★★
短編集だが、やはり表題にある「日本語の乱れ」がおもしろい。ラジオ番組でのことである。聴取者
に気になる日本語の乱れがあれば番組あてに送ってください、と提案した。すると思いのほか反応が
よくて投書がどんどんどやってきた。ことばの乱れが気になる方は多いのだ。特に六十歳以上の老人
からの投書半数以上になったという。おもしろいのを抜粋してご紹介しよう。
『「テレビのアナウンサーともあろう者が、『他人事』を『たにんごと』と読んでおった。もちろん
『ひとごと』に決まっておるではないか。なげかわしい」東京都 男性 七十六歳。』
これはよくあるやつですね。訃報を「とほう」と読んだアナウンサーが現実にいました。思いだしま
した。そういうことってありがちじゃないですか(笑)。
『「『とんでもない』という言葉を、ちょっとていねいに言ってるつもりで、『とんでもありません』
と言う人がいる。もっとていねいにしたつもりで、『とんでもございません』とか。実にとんでもな
い間違いである。『とんでもない』は“とんでも”が無い、と言っているのではない。だからていね
いにしたって、ありません、にはならないのである。『みっともない』『かたじけない』と同じ成り
立ちの言葉で、『みっともありません』『かたじけありません』とは言わないだろう。それとも若い
人などはそう言うようになっているのだろうか。『とんでもない』をていねいに言うとすれば、『と
んでものうございます』か『とんでもないことでございます』となるだろう。
 ところで、『とんでもない』の“ない”はまた、否定の助動詞の“ない”でもない。『わからない』
『知らない』の“ない”とは違うのだから、『とんでもぬ』にもならないのである。
 それなのに近頃、『おぼつかぬ』という言葉を使う人が出てきているのにはあきれる。『正確なと
ころはどうもおぼつかぬ』なんて。『影を慕いて』という歌の中に、『月にやるせぬ わが想い』と
いう詞があり、それが有名な誤りだということを近頃の人は知らないのであろう。『やるせない』は
『やるせありません』にも『やるせぬ』にもならないのである」東京都 男性 七十歳。』
なるほどなあ、なんてちょっと反省したりしました。では最後にこんなのはどうでしょう。
『「『えんどうまめ』という言葉を使う人がいるが間違っている。『えんどう』を漢字で書けば『豌
豆』であり、『えんどうまめ』というと『豌豆豆』ということになってしまうのだぞ。『あずきまめ』
(小豆豆)とか『だいずまめ』(大豆豆)とは言わないように、『えんどうまめ』も言ってはダメ」
東京都 男性 七十歳。』
なんだか笑えてくるでしょう。これ川名の英語表記にもあてはまるよなあ、なんて思いますね。

「それでも、読書をやめない理由」 デヴィッド・L・ユーリン 柏書房 ★★★★
ユーリン氏にとって読書とはなんなのか。こう語っている。
『本は、パラシュートを開くひも、脱出用ハッチ、現実の人生から出ていく扉だった。どこへいくに
も本を持っていった。』
そこには広大なちがう世界があることを知ったのだ。それからは必然的に本がともだちになった。だ
がそのことはなにを意味しているのかと考える。そして知ることになる。
『重要なのは、読書を発見の旅ととらえ、自分の内面世界の発掘ととらえることだ。誰の本を読むか
はたいして問題ではない。ともかくはじめのうちは、思い切って読書の世界へ飛びこむことが大切な
のだ。』
本は未知なる自己を知り育てていく手助けになるのだ。何を読むかはそれぞれで自ずと身につく。新
たな発見、知見をそこに見いだすのに読書が役に立つ。自分で考えるのだ。ところが、現代の状況は
どうなっているのか。筆者はすくなからず危惧をいだいている。
『ほとんどの現代人は携帯用の電子機器を持ち歩き、それらは十年前の最高のパソコンよりはるかに
高機能だ。しかし、高機能な携帯機器はわたしたちを解放するどころか、むしろ休息の時間を秒単位
で削り取るようになった。何かにつけてEメールやフェイスブックやツイッターをチェックし、仕事
や娯楽関連のウェブサイトをチェックする。家族と一緒にレストランにいるときにも、車の中にいる
ときも。』
インターネットから始まったITの世界はわたしたちの生活を格段に変えた。時代はいつも変化して
いる。それは現代に限ったことではない。しかし立ち止まって考えてみようではないか。便利がすべ
てではない。そんなことはだれだってわかっている。短い人生のなかでなにが重要なのか。ときに考
えをめぐらすのは悪いことではない。なにか一辺倒になるのは危険だと歴史が教えている。
『二〇一〇年六月にアップル社は、会社全体の反ポルノ方針を理由に挙げて、『ユリシーズ』のウェ
ブコミックバージョンからコマをいくつか省くよう、制作者たちに強要した。登場人物たちが裸で登
場する場面だ。これはそのコミックがiPadのアプリショップで発売される直前のことだった。』
当然、非難の嵐が巻き起こった。だが、いまでは信じられないかもしれないが「ユリシーズ」は合衆
国で発禁になったことがあるのだ。ポルノをめぐる問題はむずかしい。「チャタレイ夫人の恋人」や
「北回帰線」はどうなのか。電子媒体の世界でまた再燃するかもしれない。本はグーテンベルクの印
刷術の発明でおおきく変わった。いまは電子書籍が登場している。どちらかがいい、ということはな
いと思う。それより読む、読書するとはどういうことかをこの機会に考えてみてもいいのではないか。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

野球場で読書
春先だったがあたたかい日だった。ぽかぽかとした太陽に照らされた外野の芝生席で寝ころんで本を
読んでいた。グラウンドでは試合前の練習がおこなわれていた。ときどきカキーンという音が響くが、
ノックでもやっているのだろう。それにここまで飛んできはしない。隣で友人も午睡をむさぼってい
た。すやすやとたてる寝息が春の空に舞いあがっていく。そのうち内野席で応援団らしき連中が声を
あげはじめた。だが、それも気にならない程度だ。すべてが遠いところでのことのように思えてなお
も本を読み続けていた。青い空、白い雲、赤い…。なんだ、あの赤いものは。だれもが空を見あげて
いた。飛行船のようだ。かなりの高度を飛ぶというよりは流れていく。やがてちいさくなっていった。
ときに訪れるこうした非日常があるが、いつものようにときは過ぎてゆく。ああよく寝たといって友
人が起きてきた。彼の顔をじっとみつめると、なぜか眉をそびやかすようにしてすこし笑った。

N9163ジョウビタキ

「ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女」 上 下 ダヴィド・ラーゲルクランツ
                   ヘレンハルメ美穂・羽根由訳 早川書房 ★★★★

「ミレニアム」は二〇〇五年に第一部がスウェーデンで刊行されて以来、全世界で三部作が累計八千
万部を超えている。第一部の「ドラゴン・タトゥーの女」は映画にもなったので知っている人も多い
だろう。だがこの物語の生みの親であるスティーグ・ラーソンは第一部が刊行されるのをまたずに心
臓発作で急死した。もともとラーソンは十部作にする予定だったという。だがそれも叶わない願いと
なった。ところが版元のノーシュテッツ社は、ラーソンの遺稿とは関係なくまったく新しい著者によ
る第四部を刊行すると発表した。それが本作である。はたして、うまくいったのか気になる。本国の
スウェーデンでは刊行から一週間で二十万部を売り上げたという。ちなみにスウェーデンの人口は約
一千万人である。読んでみた。確かにおもしろい。前三部作との違和感はそう感じなかった。
さて、前作から数年後、雑誌「ミレニアム」は経営危機を迎えていた。そんななか看板記者であるミ
カエル・ブルムクヴィストのもとにある男から話をもちかけられる。大スクープとなる情報を人口知
能研究の世界的な権威であるフランス・バルデル教授に会ってほしいというのだ。なんとそこには、
リスベット・サランデルも絡んでいるらしい。一方ではアメリカのNSA(国家安全保障局)では、
ある犯罪組織が産業スパイ活動にかかわっており、それを知ったバルデル教授の身に危険が迫ってい
ると分かってきた。教授はスウェーデンに帰国しており、別れた妻のもとから自閉症の息子アウグス
トを引き取ったばかりだった。その後、数年ぶりにパソコン上で再会したミカエルとリスベットは、
命を狙われるアウグストの身を守るために敵と闘うことになる。なぜアウグストが狙われることにな
ったか。彼はサヴァン症候群であることがある事実からわかった。犯行現場の映像記憶が彼にはあり、
完璧なスケッチを描くことができ、当然そこには犯人の姿も描かれていた。はたまた犯罪組織には、
なんとリスベットの二卵性双生児の妹カミラがリーダーであるらしいことも判明する。宿命の因縁で
結ばれた二人の対決はどうなるのか。事件はテンポよくすすみ、読むほうも一気に物語のなかに引き
こまれていくのだ。本ストーリーのなかには「人口知能」「ニューラルネットワーク」「量子プロセ
ッサ」「自閉症」「サヴァン症候群」「素因数分解」といった現代社会のキーワードといったことば
がでてくる。このどうしようもない世界にどう対峙していけばいいのだろうか。ストックホルム県警
犯罪捜査部警部のブブランスキーは気が重くなる。そんななかラビに聞いたことばとして彼は語る。
彼はまた敬虔なユダヤ教徒でもあるのだ。
『「医者がいうには、われわれが神を信じることが重要なのではない。そんなことに神はこだわらな
い。重要なのは、人生の大切さ、豊かさを理解することだ。われわれは人生をありがたく享受すると
同時に、この世界を良くする努力もしなければならない。そのふたつのバランスを見つけた者のそば
に神は御座します、と」』
まだまだ物語は完結というにはほど遠いのである。しかしながら、引続きダヴィド・ラーゲルクラン
ツによる第五部、第六部までの刊行が予定されているということなので、楽しみに待ちたい。

「匂いおこせよ梅の花」 池部良 中央公論新社 ★★★★
池部さんの筆は年齢とともにますます軽やかになめらかになっていく。大正七年(1918年)の生まれ
だからこの随筆を書きはじめたのは七十歳を越えていた。それから十年が経ってこの本が編まれたと
いうことらしい。歳がいくと愚痴や文句が多くなる、そんなあたりの観察が愉快である。「矍鑠」と
いう文章などそうした老人の特徴をよく描きだしていると思う。
『「矍鑠とは聞き捨てになりません」と叫んだ。
 総入れ歯だから、叫びにも迫力がない。
「矍鑠、とは耳も聞こえん、口も利けん、目も見えん、よぼよぼな老人がですな。それでも、気力体
力、旺盛であることの形容詞でありまして、老人を差別待遇する侮蔑用語とも受け取れます。鑠は、
鉄が赤く焼ける様のことですから、これは善しとして、矍の字は、驚いて左右を、きょろきょろ見る
意味であります。私は齢、八十三になりますが、さような、軽率にもとれる言葉で、私を評されるに
は、憤りを感ずるのであります」
 唾液が、奥さんの髪の毛と肩に、しとど降り注いだ。
「変なことだけ聞こえて。端たないですよ、あなた」と奥さんは、呟いた。
 一同、矍鑠が、老人差別用語に当たるのか、どうかと首を傾け、沈黙が漂った。』
「油断大敵」というのではこう落ちをつけている。書家の大家が息子が医科大学に入るとき、餞のこ
とばとして「油断は怪我の基」という句を奉書紙に書いてあたえた。七十八歳になって、あるお寺か
ら書の依頼があり出かけて、その折に滑って骨折したという。
『「どうして、滑ったの?」
 「いや、いつもだったら、足袋の裏を水で湿して畳にすべらないようにしていたんだが、その日に
限って、湿しておかなかったもんで、足を開いたら滑ってしまった。油断大敵。改めて肝に銘じたよ」
と言って私を見た。
 更なる油断は年を忘れていることだった。』
いつまでも若いつもりであっても、それは気持ちの方だけである。年寄りの冷や水といわれないよう
注意していかねばならない、と私も肝に銘じましょうか。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

披露宴会場で読書
場所は高台にあった。おおきなフレンチウインドウからは海がみえ、青い芝生の庭がひろがっていた。
披露宴の司会を頼まれていたのでかなり早く会場に着いていた。しばらく陽のあたるベンチに腰かけ
て本を読んでいた。人はこの世に生をうけて、成長して大人になって、恋をしたり失恋したり、いろ
んな思惑から結婚しなかったり、なんとなく結婚したり、その結果赤ん坊が生まれてくる場合もあっ
たり、幸か不幸か子宝にめぐまれなかったり、その赤ん坊もおなじように生きていくのだろうか。な
んて考えていると、人生ってなんなんだと思わざるを得ない。こんな気分じゃ司会なんてやっていら
れない。気分転換にとおおきく深呼吸をしたら潮の匂いがした。海だ、母なる海なんだ。生命は海か
らうまれてきたとオパーリン「生命の起源と生化学」で読んだ。気の遠くなるような時間を経過して
生命は地球上に誕生した。結婚はそのリングをつなぐひとかけらでもあるんだよなあ、と思った。

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「考えすぎた人 お笑い哲学者列伝」 清水義範 新潮社 ★★★
清水氏はユーモア小説作家と呼ばれている。その彼が哲学者物語を書かないかという編集者の誘いに
のってしまって書いたのが本書である。哲学とは苦悩の学問だと思われているが、本作にそれはよく
表れていると思う。なにせ取りあげられているのが、ソクラテスから始まって、プラトン、アリスト
テレス、デカルト、ルソー、カント、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、ハイデッガー、ウィトゲンシ
ュタイン、最後がサルトルだ。一応これらの人の名は知っている。だが、どのような哲学を展開した
のかについてはわたしも心許ない。それは清水氏も同様のようである。なんとなく覚えているのは、
ルソーのエピソードぐらいだ。それはルソーに問いかけるような形で、本書にもある。
『あなたは子供をどう教育するのが理想的かという内容の『エミール』を書いていて、生まれてから
五歳までは何よりも母の愛によって育てなければならないとしています。とても説得力があり、受け
入れやすい内容です。しかし、その『エミール』を書いたあなたが、自分の子を五人も、生まれると
すぐ孤児院に入れているのはなぜなんでしょう。』
ルソーを弁護するわけではないが、その時代の社会の空気というものがあると思う。歴史上のことを
後からの常識や時代精神で批判するのはたやすい。いや、不遜であるかもしれない。だれだって、そ
の時代に生きていればそうしたかもしれないのだ。タイムマシンがないのがつくづく残念だ。それは
ともかくとして、やはりウィトゲンシュタインに興味がある。下世話ながらこんな事実を知った。作
中からそれらを箇条書きに抜き出して紹介してみよう。

  その人の名はルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインである。
  彼は一八八九年四月二十六日、オーストリア=ハンガリー二重帝国の首都ウィーン、アレー通り
 十六番地に生まれた。
  父カールは一代でオーストリアの鉄鋼業界に君臨した事業家で、オーストリアで五本の指に入る
 資産家だった。
  ルートヴィヒは兄四人、姉三人のいる八人兄弟の末っ子だった。
  ルートヴィヒの四人の兄のうち、三人までは自殺している。
  ウィトゲンシュタインは、十四歳まで学校に通わず家庭で教育を受けたが、一九三〇年、リンツ
 の高等実科学校に入学した。
  その学校にはヒトラーも四年間在籍し、ウィトゲンシュタインとは一時期同窓生だった。
  ウィトゲンシュタインはヒトラーと同年生まれである。また、ハイデッガーとも同年である。
  数学への関心は論理学への関心につながっていった。
  ケンブリッジのラッセルを訪問して、哲学的才能を認められる。
  ウィトゲンシュタインはラッセルの論理学を驚くべき速さで吸収し、二人はまたたく間に師弟と
 いうよりは対等の議論相手となった。
  父の死により、ウィトゲンシュタインは莫大な遺産を相続した。
  ウィトゲンシュタインは財産の三分の一をオーストリアの貧しい芸術家たちに寄付した。
  一九一四年七月、第一次世界大戦が勃発した。
  オーストリア軍の志願兵として東部戦線に配属されたが、彼は自ら最前線への配属を望んだとい
 う。
  その後、砲兵中隊の一員になり、予備士官学校へ入ったりしたが、一九一八年にイタリア戦線に
 配属された。
  その年の八月、休暇中に『論理哲学論考』を完成させた。
  その年の十一月、トレントの近くでイタリア軍の捕虜となる。
  一九一九年、捕虜収容所から釈放されてウィーンに戻ることができた。この時ウィトゲンシュタ
 インは三十歳だった。
  自由の身になった彼は、戦争で右手を失った四兄パウルと、二人の姉に全財産を分け与え、無一
 文になった。やることが極端なのである。
  一九二〇年九月、トラッテンバッハの小学校の臨時教員となる。以来六年ほど、小学校教員をし
 たのだ。
  『論理哲学論考』の出版は難航した。
  いくつもの出版社に打診してみたが、すべて出版を断られた。
  ラッセルに相談すると、私が「序文」を書いてやると、と言って書いてくれた。
  しかし、ウィトゲンシュタインにはラッセルの「序文」が気に入らなかった。
  一九二二年十一月に、『論理哲学論考』に英訳をつけた独英対訳版が、キーガン・ポール社から
 出版された。完成してから四年後の出版だった。
  この出版により、哲学界は騒然となった。まったく新しい哲学の名著であるとして、もてはやさ
 れたのだ。
  なのに、出版の年の秋にはウィトゲンシュタインはブーフベルクの小学校に移っていて、人前に
 は出ず、ただ、田舎の小学校の先生をしているのだ。
  一九二六年、彼はオッタータールの小学校で先生をしていたが、ある事件をおこす。
  三十七歳だった彼は、小学校で体罰事件をおこしたのだ。
  四月二十八日付けでウィトゲンシュタインは辞表を提出した。
  きっかけになった体罰事件について、審理がなされたが、評決は無罪であった。
  一九二八年、三十九歳のウィトゲンシュタインはウィーン学団に所属していた若い数学者にすす
 められて、ブラウワーという数学者の講演をきくことになった。
  講演のあと、ウィトゲンシュタインは興奮したおももちで、友人たちに、数学的考察を夢中でしゃ
 べりまくったのだ。つまり、一度は完全に消えていた数学的かつ哲学的な思索がよみがえったのだ。
  こうして、哲学者ウィトゲンシュタインは復活した。
  一九二七年、四十歳になったウィトゲンシュタインはケンブリッジのトリニティ・カレッジに再
 入学した。
  貧乏だったウィトゲンシュタインは、学生に戻ったために生活できなくなり、奨学金を申請した。
  奨学金を受けるには博士号を持っていなければならなかった。
  そこで彼は、七年前に出版されていた『論理哲学論考』を提出して、博士号を取ることにした。
  もちろん博士号は取れて、奨学金ももらえるようになった。そして翌年からは、ケンブリッジ大
 学で講義を始めることになった。
  二度目に哲学者となったウィトゲンシュタインは、何冊もの哲学口述本を出した。
  『哲学探究』の第一部は、一九四六年、五十七歳の時に完成した。
  『哲学探究』の第二部は、一九四九年、六十歳のときに完成した。
  一九五一年四月二十九日の朝、ウィトゲンシュタインは亡くなった。六十二歳だった。
  ウィトゲンシュタインの哲学はむずかしすぎる。
  私の考えでは、ウィトゲンシュタインは、人間の思考力でどこまでは考えることができ、どこか
 ら先は考えることが不能で、考えても無駄だという境界線を、可能な限り深く掘り下げて突きとめ、
 思考できることの輪郭を明らかにしたんだと思う。

ということで、最後に清水氏はこう書くしかないかという感じでひとフレーズ。

  理解しえぬ哲学者については、沈黙しなければならない。

しかしながら哲学者ってほんとうに変人ばかりだ。しかしながら、彼らがもしいなかったとしたら歴
史はまったく味気ないものになっていたのだろう。

「心はすべて数学である」 津田一郎 文藝春秋 ★★★★
心は心臓にあると考えられていた時代から変遷して、いまでは脳にあると一般に思われている。つま
り、心はなんらかの脳の活動状態である、と考えている脳神経科学者は多い。だが、津田氏はそうで
はなくて逆に心が脳を表していると考えるのだ。生まれてすぐに「自己」というものがあるのか。な
いとしたら、「私」という意識はどのようにできてくるのか。「私」とは「他者」なのではないか。
『つまり、脳神経系の構築を考えたとき、そこには周りの人たちの行動や言葉や表情までもが入り込
んでいるのです。だから、お母さんやお父さん、周りの人と相互作用しているときに、なんとなく私
の脳に宿るものというのは、どうやら最初は他人なのではないか。それがある種、心ではないかと思
うわけです。そこからだんだんと自分というものができていく、自分の心が生まれていくわけだけれ
ども、すでに赤ん坊の時点で脳は他者の心によって構築されているのではないか、と。』
このあたりは、芸術は模倣からはじまるというのに似ている。模倣からはじまったとしても、それは
模倣にとどまらないわけだが。その他いろいろと脳に関する知識は増えてきている。ではそれをどの
ようにストーリー解釈するのか。理論体系を構築していくのか、まだまだ道半ばということらしい。
津田氏はこうした状況のなか提言する。
『そこで「心が脳を表現する」「数学は心である」ということを考えているのです。あえて言えば、
脳とは、神の心を表現する器官ではないかと。その心は数学に最も適切に現れているのではないかと。
時々刻々と不断に変化し続ける脳のダイナミクスを実験だけで捉えきれることはできない。そこには
モデルがなくてはならない。脳の数理モデルを作る、脳を数学的に表現する、という意味はここにあ
ると思っています。』
脳の理解のむずかしさは要素還元的では不可能だということ。つまり部品を組み上げていけば脳とい
うひとつの機械が出来あがるということではないのだ。どういうことなのか。
『システムの中に入ってはじめて機能を持つ要素は多くありますが、その代表がニューロン(神経細
胞)です。無数のニューロンがつながってニューラルネットワークができ、そこから脳というシステ
ムができあがっています。ところが、ネットワークができてそれが働くと、その働きを担う部品であ
るニューロンの働きは、もとのそれとは違ってきてしまう。システムの中から取り出してそこだけ見
たら、まったく違う性質になる。では部品としての働きを、どうやって研究したらよいのか、が問題
になるわけです。そこには地球科学と同じような問題の構造があります。つまり、どういうモデルを
作ったらいいのかがとても難しい、という問題です。』
心とはなんなのだろうか。それと密接な関係にある脳とはなにか。まだまだ道のりは果てしない。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

灯台で読書
人には好きなものがいろいろとあるようだ。たとえばお寺をめぐるのが趣味だという人がいる。最近
では道の駅もそうかな(笑)。灯台もそんななかにはいる人気のスポットなのではないだろうか。だ
が立地によって印象は劇的に変わる。あれはどこだったのだろうか。両側に海がひろがる狭い道を歩
いて灯台へとむかっていた。下方から吹き上げてくる風につよく潮の香りを感じた。寒くはなかった。
ただ黙々とひとりで歩いていた。着いてあたりを見まわすと、水平線がかすかに円弧を描いているの
がわかる。空には雲もない。うす青がどこまでも続いていた。ときどきカモメらしき白い鳥が舞いつ
つ滑空しながら視界を横切っていく。白い灯台に背をあずけてコンクリートの地面に座りこんだ。だ
れもいない。このすてきな空間にひとりでいる。ザックから本を取りだして読みはじめる。どんどん
と本のなかにはいりこんでいった。そこにも果てしない世界がどこまでもひろがっているのだった。

3851神威岬灯台への径

「天下無敵のメディア人間――喧嘩ジャーナリスト・野依秀市」 佐藤卓己 新潮選書 ★★★★
一読、こんな人物が日本にいたのかとまず驚かされるだろう。そしておもしろいと感じるのだ。まず
冒頭にこう書いてある。日本のメディア史を研究していると、絶えず視野をかすめて出没する人物が
いるという。それが本書の主人公・野依秀市である。一八八五年から一九六八年までを疾風のように
生きたジャーナリストだ。生涯に二〇〇冊以上の著作を出版している。これらの著作が野依氏自身の
言説なのかどうか判然としない、と著者はいう。そして野依氏もそのことを隠さない。堺利彦「売文
集」に野依は次のような序文をよせている。
『「僕は無学不文であるが、僕の意見は是まで大抵人に話して書いて貰つた。先には多く白柳秀湖君
に書いて貰つた。白柳君は実に善く僕の意を尽して呉れた。然るに昨年監獄から出て暫く加藤病院に
居た時、加藤[時次郎]院長の紹介で偶然堺[利彦]君に会つた。其時堺君は売文社を起して居た。
僕は早速堺君に頼んで僕の新渡戸博士攻撃の文を書いて貰つた。すると其文が非常に僕の気に入つた。
天下に僕の心持を十分に書き現はし得る者は、白柳君と堺君との外には無いと思つた。それで其後も
堺君には引続いて種々の論文を書て貰つて居る。」
 これほどはっきり代作を公言し、それを正当化する言論人を私は知らない。しかも驚くべきことに、
この告白文までも、なんと堺の代筆なのである。』
代筆といい、あるいは口述筆記ともいわれる野依氏の著作である。しかし芸能人の場合などとはその
やり方がまったくちがうのだ。野依氏は校正ゲラに大量の加筆、訂正を行うのが常で一文字たりとも
おろそかにしなかったというのだ。ある意味疑い深い性格であり、この性格が彼を学者的と評価され
てもいるのである。では野依秀一とはどんな人物であったのか。
『野依秀一の言論とは、敵本位主義の喧嘩ジャーナリズムである。それは社会悪と見立てた相手を徹
底的に攻撃し、その批判の過程で自己生成する行動主義と呼べるだろう。だから、野依式ジャーナリ
ズムの内部に、守るべき絶対的価値、正義は存在する必要がない。論敵を否定するなかで対抗的に価
値は形成されるのだ。そこに野依式ジャーナリズムの瞠目すべき躍動感が生み出された。左翼からは
「右翼への転向者」、右翼からは「左翼の隠れ蓑」と批判された理由も、この敵本位主義にある。』
左翼だ右翼だとのラベル貼りには無頓着であった。だから、真正の家族主義、国家主義は即ち社会主
義であり、社会主義を危険思想、破壊思想と排撃する不見識には次のように反論しているのだ。
『「あれは危険思想である、破壊思想であると云つて、一も二もなく之に反対するが如きは、余りに
無知であり、余りに臆病であり、余りに不見識である。僕を以て之を見れば、社会主義よりも個人主
義よりも、誤つた国家主義、家族主義の方が、更に一層危険思想であり有害である。」』
戦後、GHQは「日本の民主化促進のため」と、戦前・戦中の「宣伝用刊行物」の没収をおこなった。
この没収図書七一一九点中、野依の著作は第一位の二三冊を数えた。だがこのことは、マスコミによ
ってあまり知らされていないのだ。それは、なぜなのか。
『そもそも戦後のマスコミにはなぜかこの「没収図書」問題を積極的に語ろうとはしなかったのか。
それは自社の出版物が数多く含まれていたからである。出版社別では一四〇点の朝日新聞社を筆頭に、
八三点の大日本雄弁会講談社、八一点の毎日新聞社がトップ3である。戦前に「宣伝用刊行物」を最
も多く刊行した大新聞、大出版社は、敗戦後は「一億総懺悔」の先唱者となり、GHQ占領下では「
日本民主化促進」の担い手となった。戦時体制=占領体制に有効に機能したこの世論抑制システムは、
今日もなお存続している。』
決して聖人君子ではない。またそんなものを目指す気もなかっただろう。悪いものは悪いのだと主張
するのだ。それは戦時中から戦後になっても一貫していた。そんな日本人がいたのである。「清濁併
せ呑む」というような人物であったのだろうか。

「老人の壁」 養老孟司・南伸坊 毎日新聞出版 ★★★★
養老先生の発言はいつもながらに歯切れがいい。しかし、案外と過激でもある。なるほどと聞きなが
らすこし笑ってしまうのは不謹慎でしょうか。まずもってどうすればいいんでしょうかねえ。伸坊氏
が、先生は健康診断に行かないんですよね、と言う。
『行きません。これはもうはっきりしています。健康診断を受けても受けていなくても、平均寿命は
変わりないっていう調査結果はきちんと出ています。行かないものだから、「血圧は?」とか聞かれ
ると、「ありません」って答えているんです。「なんでないんですか?」って聞かれると、「測って
ないんだもの」って(笑)。
 今の人は、検査で自分の寿命がわかると思っているようですが、神様じゃあるまいし、人の寿命が
わかるわけがないでしょう。特に悪いのは、癌の診断のあと、余命を言うでしょう。このままだと、
あと何ヵ月。今、これがだんだん縮んでるって知ってます? 昔は1年って言ったんですよ。でも1
年って言ったのに、10ヵ月で死なれると困るじゃないですか、医者としては。
 (略)
だから今、だんだん短く言うようになったの。
 (略)
放射線科の医者が僕に言ってきたもの。「先生、今に、明日って言うようになります」って(笑)。』
まあ冗談半分だとしても素直には笑えないけど、ほんとうなんでしょうね。こんな発言もありますが、
考えさせられます。ヒトはいつかは死ぬんですけど、なかなか納得できない人は多いようです。
『「75歳以上になったら積極的な治療はやめよう」って言ってる医者がいましてね。それは確かに、
僕もずっと前からそう思っていたから、病院へ行っていないんです。この歳で何か病気が見つかって
も、強いて治療はしない。対症療法はする。だから、癌になんかなったら、手術ぐらいはまあしょう
がないけど、それは治すためじゃなくて、苦しいからやるっていう。年寄りはもう、それでいいんじ
ゃないでしょうかね。』
伸坊氏が、70過ぎて薬飲まない人もいるし、60代で薬ばっかり飲んでる人もいるって発言には。
『薬なんか飲んだら、害があるだけですよ。薬が効くっていうことは、影響を受けるっていうことで
す。どんなものにも良し悪しが必ずあると僕は思っています。裏と表があるんですよ。すすめる人は、
表だけ言っているんですね。
 一番簡単な例が抗生物質ですよね。子どもに抗生物質をやるでしょう。それをやると、細菌叢が変
化するんです。子どもが風邪を引いたりなんかすれば、普通の先生だと必ず抗生物質を飲ませますね。
 お陰で何が起こったかっていうと、自己免疫疾患です。免疫が適当に抑制されるということが起こ
らなくなって、どうなるかというと、花粉症から始まって、喘息でしょう、あとは1型糖尿病。これ
は自分の膵臓の細胞を自分で壊すんですが、若年性の1型糖尿病って増えているんですよ。それから、
もっと極端なのは、自閉症です。あれは僕らの学生の頃はまったくなかったんですよ。』
うーん、むずかしい世のなかになりましたね。養殖の魚は抗生物質を投与してますからね。マグロ、
ブリなんかそうですからね。われわれはともかく、これからの子どもたちには親がちゃんとした知識
をもって注意してあげないとね。いわゆる安い魚、たとえばイワシとかサンマは養殖じゃ割にあわな
いから、逆にそういう点では安心なのかな。魚屋さんも大変だね、こりゃあ。


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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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