ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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行為と好意
なにげなく「こうい」と入力したら「好意」と変換された。
ちがうなあと再変換すると「行為」となった。
これでいいんだ。

だが、ふと気になった。
好意と行為って関係するのかな。
好意をもっているから行為をなす、なんてね。
高校生かよ、と思わなくもない。

けれどいちど気になるといつまでも尾をひくものだ。
もうすこし続ける。

「こうい」を短くすると「こい」になるな。
連続するというより変形していくんだな。
「故意」に、つまりわざとだ。
意地悪するのも「恋」のうち、なんて。
「こうい」に狭隘物がはいると「こうかい」になる。
よくあるでしょ。
経験したことないですか。

「こうかい」も「後悔」ではなく「公開」してしまえばいいのだ。
あたってくだけろ、なんてアドバイスをする奴がいるけど、無神経だね。
それができないから悩んでいるのに。
だからそういうときには、どうすればいいのか。

それを考えてあげなくては。
ってお節介もほどほどにしないと為にならないから。

N8788大飛島


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ことばの裏側
多くの人は、ことばは意味を伝えるものだと思っている。
では、ことばにはかならず意味があるのか。
あるでしょう、とおっしゃる。
(無意味も意味のうちと言えなくもない)
その意味ってことばひとつに、ひとつですか。
うーん、そうでもないかな、と思うでしょ。

まったく正反対のことを意味する場合がある。
たとえば、
「けっこうです」
必要ないです、いりませんという場合。
いいですね、グッドという場合。
書くとおなじだが、話すとまったく逆もある。
(文脈、場によって変化する)

書き言葉と話し言葉はおなじだと考えてはいけない。
というより、なぜおなじだと思えるのか。
よくよく考えると不思議だな。
そんな疑問もたいていの人にはピンとこないらしい。

視覚言語と音声言語との対応は恣意的なものだ。
「(現実の)猫」が「ネコ(という発音)」である必然性はない。

N8388消防信号

ことばはコミュニケーションの手段だ、という。
話しているとき、ことばだけでコミュニケーションをとっているのか。
そうではない。
身振り手振り、イントネーション、表情などいろいろつかっている。
眼を閉じると、全然感覚がちがっているのがわかる。

恋人同士がだまって見つめあっているとき。
おばあさんが縁側でネコをなでているとき。
こどもがイヌといっしょに走り回っているとき。

なにが起こっているのだろうか。
コミュニケーションは成立していないのだろうか。
そんなとき、ことばってなんだろうなと考えるのだ。

「そんなこと考えてなんになるの」
「なんにもなりませんが、それがなにか(笑)」
(なんでもなにかのため、っていう思考がどうよ、と思うのであります)


スキャンダルとゴシップ
「スキャンダルに巻きこまれてちゃって」
「いやいや、それってゴシップやろ」
「えっ、どこがちがうの?」
「知らんと使っとんのかいな」

ことばの使い方がまちがっています。
それはスキャンダルとは言いません、ゴシップです。
自己評価高すぎです。

スキャンダルは、社会的にも問題となる汚職事件や政財界などの醜聞、不祥事のこと。
ときに、一国の政治体制をゆるがすぐらいの衝撃があったりします。
それに比してゴシップとは、芸能界の噂話のことなどをさします。

芸能週刊誌が扱うのはたいていゴシップですね。
だれが不倫したとか、離婚しそうだとか。
ある意味どうでもいいことだし、そんな個人的な問題が中心です。
しかし、そのどうでもいい問題に興味をいだく人々が多いから週刊誌が成り立つんですがね。
(一部、興味のある方々向けのものですね)

「スキャンダルのほうが高級なのか」
「そう思うだろ。だから、逆手にとってゴシップ程度のことをね」
「注目を集めるためにスキャンダルと」
「読んだら、ゴシップやんか、となる」

N8094磯辺にて


無意識だから
よく無意識にしていたことだから、などと言い訳する。
これって免罪符として使っているのかなあ、という印象をうける。
ときに、苦しいときの神頼みならぬオールマイティーな説明用語のようだ。

意識には表面意識と無意識がある。
あるいは顕在意識と潜在意識といういいかたもあって、使われ方はいろいろである。
さらにユングが提唱した集合的無意識なんていう概念もあって、むずかしい。

無意識と聞いてすぐ思いうかべるのは、自律神経だ。
自己コントロールできないとされている心臓とか内臓の機能調節をうけもつ。
自律神経と対比をなすのが体性神経で、運動機能などはこれによる。

だが、無意識は自己コントロール外にあるのだろうか。

N7094運転席

でよく考えるのが夢のことである。
夢のなかでの経験はなんだろうかということ。
意識して夢をみることはできないという。
はたして、そうなのだろうか。
わたし自身の経験からいえば、夢の続きを見ることができた。
目覚めて夢を見ていたのだと知り、すぐにまた眠りについてそこで夢の続きを見たのだ。
そのとき夢の続きを見てやろうと意識したことは記憶している。
(その夢の内容は覚えていないのだが)
これって意識してということになる、のかな。
これら一連がひとつの夢であったという可能性は否定できないのだが。

しかし、意識しているあるいは無意識にであっても行為の主体は自分である。
選挙違反ではないが、無意識についても連帯責任が適用されるだろう。
よく考えると、この無意識だというのはいつも自己申告なのだ。
客観的な数値なり判定ではない。
せいぜい状況証拠的なものをあげるしかない。

証明不能な言い訳ではないか、とさえ思う。
故意であったのかそうではなかったのか、というのに限りなく似ている。


Prideなきプライド
英語とそれをあらわすカタカナ語では、ときとして意味がちがっていることがある。
それはそれでしかたがないのだが、そう思っていないと誤解や齟齬をきたす。

日本語(片仮名語?)のプライドがそうだ。
広辞苑で「プライド」という言葉を調べてみると、「誇り・自尊心」とある。
「自尊心」とは何だろうかと孫引きしてみると、
「自分の尊厳を意識・主張して、他人の干渉を受けないで品位を保とうとする心理・態度」とある。
一方、英語の辞書で「pride」を調べてみると、コンサイスオックスフォード英英辞典によれば、
「名誉に値する何かを達成したり、仕事や物の質、あるいはそうしたものを所有していることから
得られる深い歓喜や満足の感情」とある。

ときどき耳にするのだが、「プライドが邪魔をする」ってどういうことを意味しているのか。
Prideの意味からすれば、「プライドが邪魔をして」悪いと知りつつするなんてことはできない。
誇りや矜持があるから悪事に手を染めたり低きに流れることはない、と予想される。

しかし話しているのを聞くと、そういう仕事は「プライドが邪魔をして」できないなどという。
いったいどんな仕事なんだと思っていると、ただ好きではないということのようだ。
「プライドが邪魔をして」というのは、意味はなくて枕詞のようにつかわれている。
強調するというか、もったいつけているというか、そのほうがかっこうがいいと思っているようなのだ。
どちらかというと、なんだか言い訳めいたものというように感じる。

見栄、虚栄心、世間体という体面を気にしているというほうがあたっているのではないか。
高きをめざし自己を律する、というような「Pride」はまったく感じられない。
一月十五日といえば成人式、もっと「Pride」をもってほしいものだとは老婆心ながら思う。

N3676空を飛べ



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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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