ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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川柳とペーソス
会社で、女子社員の間に配布されているミニコミ新聞(かな?)。
ぼくの性格を知っているのか、見ますかとまわしてくれる。
「シティリビング」11月25日【第834号】から、
ふと眼にとまったこんな川柳、なかなかおもしろいじゃないか。
この作品、さすが大賞(賞金10万円)だなと思わせる。
では、ご紹介いたしましょう。

 目標の 3倍たまった 結婚資金  K・S/東京代表さん

長すぎた春という語はあるけれど、どう言えばいいのでしょうか。
すこし悲哀を感じるのは、わたしだけではないですよね。
負けるなK・Sさん、でも賞金獲得で、またお金が増えてしまった(?)。

そのほかに優秀賞(1万円)もすこし載せておきましょう。

 無駄毛処理 メンドー今日は 黒タイツ  平安美人/京都代表さん

 ミニスカを 履いて引かれて 風邪ひいて  ハル/東京代表さん

黒のタイツって、こいう使われ方をするのか。
まさしく、眼からウロコが落ちる思いです。
ミニスカも、これから冬に向かって厳しいものがあるのでしょうね。
なかなかみなさん、達者なものです。
観察眼、自省力、洞察力があります、おまけに賞金も手にしました。
こう三作ならべてみると、ぼくの性格というか興味の傾向が分かるかな。
これって、まずい(?)か。
どうってことはないのです。
マン・ウウォッチングの一環ですから、学術的興味(?)といえましょう。
なんて、自己弁護的になってきたので今日はこの辺でおしまい。

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谷川俊太郎
「二十億光年の孤独」

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或はネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん脹んでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみした



「六十二のソネット」のなかから

生き続けていると
やがて愛に気づく
郷愁のように送り所のない愛に……

人はそれを費ってしまわねばならない
歌にして 汗にして
あるいはもっと違った形の愛にして



冬の夜に、つらつらゆらゆらと、想いをはせてみるのも悪くはない。
寒さが身にしみるほどに、なにかが目醒めてゆくだろう。
今日は、Johann Christian Doppler が生まれた日だそうな。
どうりで、外を走るバイクの音が近付いたり遠ざかったりする。
はっはっは、しかしそれは気のせいでしかないですな。

テーマ: - ジャンル:小説・文学

おおいなる勘違い?
 インターネットで、竹内結子さんの出産が報じられていました。
つい、最近結婚したと思ったら、もうお母さんになられたんですね。
謹んで、「おめでとうございます」と申し上げたいと思います。

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 そこで、女性の経験者は充分ご存知のことですが、男は案外知らない。
つまり、妊娠期間の正しい理解についてひとこと。

 昔から妊娠は十月十日(とつきとおか)と言われてますよね。
これは、だれでも知っていることです。では、日数にするとどうなるのでしょう。
 ここで、おおいなる誤解が生じているようです。
このひと月とは、28日のことですよ。陰暦の一か月に相当するんですね。
だから、妊娠期間を何週目に入りました、などというのを聞いたことがあるでしょう。
下世話に逆算したりしますが、お間違いのないように、恥をかきますよ。

『正常に妊娠して出産に至った妊婦さんの統計を取ってみると、
実際には妊娠期間はだいたい280±15日であることが判明しました。
 このことを元に、WHO(世界保健機構)によって
  ・正常妊娠持続日数は280日とする
  ・28日を妊娠歴の1ヶ月と定め、妊娠持続を10ヶ月とする
  ・7日を一週と定め、妊娠持続を40週とする
  ・妊娠満週数で数えることとする
 と定められたのが妊娠週数です。』


 結子さん、元気なこどもに育ててください。

 この陰暦と陽暦のちがいで、いろいろと頓珍漢なことが多いのです。
如月、弥生、神無月、師走など、美しい日本語ですが、正しく理解してるかな。

そんなことも、また機会があれば話してみたいですね。

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

青春とはなんだ(結論)
→「ロマンチック」
青春とは、人生におけるある特定の時期をいうのではない、ということです。
ですからロマンチックも、もちろん若者の専売特許ではありません。
高齢化が進んでいる現代社会では、そのことは顕著な現象となっています。
青春とは、人のこころがもつある志向性なのかもしれませんね。
あるいは、ある種の人生観を表すものと言っていいでしょう。
それにほんのすこし、ロマンチックな憧れも薬味として加えたいところです。

「そうよね、いくつになってもロマンチックに」
「はあ、そんなもんですか」
「女性はいつでも夢をみているものなの」
「夢見る夢子さん、ってフレーズ聞いたことあるな」
「ロマンチックな夢にひたって、現実を忘れるの」
「なるほど、現実はその逆なわけですね」
「ああ、王子様~」
「ついていけんわ‥」


→「愛情」
すべては信じることより始まり、未来が変化してゆくのです。
どのように変化するかは予測できません。
微妙な羽根のひと振りが、思わぬ結果へと導くやも知れません。
これは「バタフライ効果」と呼ぶべきでしょうか。
あるいは、「風が吹けば、桶屋が儲かる」方式とでも言えばいいのか。
確かに、この世界では「愛情」が大きな要素を占めている。
愛のない世界を想像してごらんなさい。

「愛って大切よね」
「原理・基本というような気がしますね」
「でも、その意味って人というか宗教によってまちまちみたいよ」
「そうです。そこが最大の問題です」
「どうしてみんな仲良くできないのかしら」
「仲良くはしたいけど、主導権は自分がとる」
「そうよね、で結局は紛争が起こるのね」
「どうしようもないですね、ヒトって」
「それは分かるけど、それと青春とどう関係するの?」
「そうか、そういう話でしたね今回は」
「そうよ、思ったとおりの展開ね」
「青春は年齢に関係なくあるべきだと、わたしは思います」
「いつまでも若々しく過ごせるか、そういうことなのかしら」
「そんなことを忘れて、素晴らしい青春に乾杯すればいいのに」
「ふっふっふ、そうよね、青春に乾杯!」 


青春とはなんだ(本論)
→「青い鳥」
メーテルリンク作の物語です。
チルチルとミチルが幸福の青い鳥を探してあちこちと歩くんでしたね。
ほうぼう探した挙句、最後は身近にその鳥を見つけるという寓話でした。
幸福は捜し求めるようなものではなく、すぐそこにあるんだよ。
そう言ってるようです。
でも、そんな簡単に見つけられるものでしょうか、ね。
それよりも、幸福を考えることは、不幸だからであり、
幸せなときには、そんなことを考えもしない、というほうが実感ですね。


「青い鳥をさがしてか、ご苦労なこっちゃ」
「どうして、そんな皮肉なこと言うのよ」
「幸せになりたいってなにを考えてるねん、と思うな」
「考えたらあかんの?」
「考えるよりも前にすることがありまっしゃろ」
「どういうことよ」
「生きるということを、もっと真剣に考えなさい」
「幸せなんて、その結果やんか」
「そうなのかな」
「やることもやらんと、なに言うとるねんちゅう感じやな」
「そう言われれば、ね」
「権利は義務のあとに付随する、とね」
「ちょっと、ちがうと思うわ」
「そうかな??」


→「春」
鳥が恋の歌を囀る季節が、おおむね春です。
春につがいとなって、卵を産み、ヒナを育てていくんです。
こういうことからも、「春」は生命が誕生する季節と位置づけられています。
冬でいったん停止していた生命が、再び息を吹き返す。
ある意味、再生を象徴しているともいえます。
このように考えてくると、青春とはこのような意味でしょうか。
幸せな気持ちが生まれてくる心的状態を表現しているのでは、と。
だから、青春は楽しい、明るいといったイメージにつながっていきます。


「なんか、論理の流れがちょっと強引な感じ」
「うーん、確かにその感は否めまへんな」
「すこし、後半が心配になってきたわ」
「ぼくもどうなるのか、さっぱり分かりません」
「やっぱり、そんなことじゃないかと思った」
「それをなんとか力技でまとめてしまいましょう」
「あなた任せのってことね、きっと」
「‥‥」


青春とはなんだ(序論)
では、とりかかりますか。
みなさん、大きく深呼吸をひとつしましょう、リラックスしてください。

→「青春とはなんだ」
この題名のテレビドラマをすぐに思い出します。
主演は、夏木陽介だったと思います。ちょっと、先生らしくないですけど。
高校のラグビー部(これは時代を象徴しているんですが、まあいいか)
を舞台に、純粋でひたむきな若者の物語り、にしたかったのでしょうね。
いろんなエピソードが、展開されていきますね。
もちろん、喧嘩、仲直り、友情、恋愛、失恋、などなどですね。
ここで視聴者を泣かせたいんだろうな、と思われる場面があります。
逆にそれがけっこうブラックユーモアみたいで、笑わせてくれたました。
ぼくって、感じ方がおかしいのかな(そんなことないですよね)。
青春って若者だけのもの、若者の特権なんだろうか。
そうではない、もっとちがうものを意味してるような気がする。

「夕日に向って走っていく光景が浮かんでくるわ」
「やたらと、駆け出したりしていましたね」
「青春とはランニングなり、なんてね」
「手をつないで、ぐるぐる回ったり」
「あの日に帰りたい?」
「帰りたくもあり、帰りたくもなし」


→「青色」
青春色というのも変ですが、色で連想するなら文句なしに青でしょう。
これは漢字にも影響されているのでしょうが、こんな理由もあるのでは。
青色には、青臭い未熟な若い、といったイメージをもちます。
しかし、同時に未完成なもの、という思いもつきまとってきます。
青臭いなあなんて、若者に対して使われることが多いですね。
生半可な、半人前、などと同義の印象ですが、若さゆえの元気さも感じます。
野山を走り回って遊んだときの記憶が、草いきれとともに甦るのです。

「山に行って遊んだことない?」
「ないわね、都会育ちだもの」
「ぼくなんか、友だちと連れ立ってよく行ったもんやけどなあ」
「悪がきどもの、お通りって感じ」
「そんなことないで、帰り道にコロッケ買うて食べるのが楽しみ」
「あっ、買い食い禁止なのに、でもいいにおいがして、お腹すいてきたわ」
「うまいんやで、揚げたてでなあ、ふーふー言いながら食べるんや」
「ひとつ頂戴、でないと先生に言いつけるからね」
「分かったわ、これも青春のひとこまや」


青春とはなんだ(導入部)
「長らくお待たせ、いたしました~」
「だれも待ってえへんで」
「まだなにも言うてへんのに、それはないやろ」
「そうでしたか、えろうすんまへん」
「ええかげんに、せえよ!」
「つい、習性になってるもんで」
「ほんまに困ったもんやな、なに言うんか忘れるやろ」
「そう言いながら、考えてるでしょ」
「まあ、そういうことやね」

なぜか、漫才の台本(それも古い)みたいな書き出しになってしまった。
いきなり本題に入るのが気恥ずかしい、との認識の故なんでしょうか。
気を取り直して、これまでの本ブログの流れを振り返ってみると、
ともだち → 親友 → 男女間の友情 → ○○
とこうくれば、この○○は青春しかないでしょう。

では、青春とはなにか、順々と考察していきたいと思います。

本論に入るその前に、
精神分析には、自由連想法というのがあります。
長椅子に横になって、リラックスした状態で、こころに思い浮かんだことを話す。
分析者は、その流れを堰きとめないように、導いていくんです。
すると、患者は時間の流れを遡っていったりします。
幼い頃の本人でさえ忘れていたようなことを、思い出したりするんです。
そして、それは自分では抑圧していた(つまり、思い出したくない)ことだった。
なぜ抑圧しなければならなかったのかを、自由連想のなかで気づく。
自分で気づくことによって問題をはっきりさせ、それを乗り越えていく。
精神的な症状は、この抑圧がもたらしていたものである。
だから、気づくことにより症状は改善・解消されるというわけですね。
(ぼくなら「しりとり連想法」とでも命名しますか、このほうが分かりやすくない?)

「じゃあ、今回は青春論というわけね」
「そうです、若い頃を想い出します」
「どんな青春だったの?」
「まあ、失恋を積み重ねた青春でした」
「うそばっかり、もてたでしょう」
「もてることに、たいした意味はないと思います」
「ふられることに、意味があるの?」
「それを言われると、つらいです」
「わたしは、すてきな王子様をまっていたの」
「やって来ましたか?」
「それがまだなのよ、すこし遅れているみたい」
「すこし、ですか…」


出会えた本
本を読んでる時間と、ぼんやりとそれについて考えてる時間とね。
どちらが長いのかな、なんて考えてました。
またまた連想などが呼び起こされると、ずーとそっちへ行ったりもするし。
読んでると、そんなことが次々と思われて、なかなか進まないんです。
でも、それも読書の楽しみのひとつではあるんですよ、ぼくの場合。

「井伏さんの横顔」河盛好蔵編 彌生書房 ★★★
井伏鱒二は、好きですね。
簡潔なというか、贅肉がない文章で読んでいて心地いい。
いろんな人が、いろんなエピソードなど書いていますが、こんなのをご紹介。
開高健の文章の中で、阿部知二氏が彼に、銀座のバーで呟いたこと。
「ぼくらのときにはね、天才が二人いたんだ。日本語の天才が。
一人は川端康成、一人は井伏鱒二だよ」


「利己としての死」日高敏隆 弘文堂 ★★★★
平成元年出版だから、すこし内容が古いかな。
でも、考え方とかなどは、古くならないから不思議。
逆に、現代に生きておられる方の発言に、古さを感じるから変ですね。
ぼくの文章のなかにでてくる、動物行動学の知識は彼に負ってます。
だから、あまり読まないでください(と言うと、読むかななんて思って)。
しかし、昆虫の話なんかしてるときの日高氏はしあわせそうです。
なにか、そういうものがあれば、人は生きていける(?)。

「不思議な少年 第44号」マーク・トウェイン 角川書店 ★★★★
これは、図書館でつと手にとって、訳者あとがきを読んで驚いた。
ぼくが前に読んだのは「不思議な少年」岩波文庫 1981年第16刷発行。
なんとこれがニセものだと書いてあるではないですか。

「ハックルベリ・フィンの冒険」の作者で有名な彼は好きな作家の一人。
この「不思議な少年」も、お気に入りの物語だっただけに、ショックだった。
さっそく、借りて帰ったというのは、自然な成り行きです。
ここに登場する少年の名は「第44号ニュー・シリーズ964962」だと言う。
これだけで、読んでみたいと思うでしょう。
是非、読んで初冬の夜を、思索に耽るのもいいものではないかな。


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最近出会った本
久し振りに、読書の巻きですが…。
九州行ったりしていましたから、読むより話したり笑ったり飲んだりでした。
本を読むのもいいですが、対話することにより得られることも多いですよ。
それって、ブログのネタかって、それもあるけど、人生の哲理もちらりと。
まあ、見いだせるかどうかはその人の問題で、なんとも言えません。

しかしながら、ぽつぽつとは読んでますよ。
さて今回は、どんな本を読んだんだっけ(もう、忘れてる?)。

「世界の貧困」ジェレミー・シーブルック 青土社 ★★★
金持ちになろうという知恵に疑問を呈する民話が多くの文化にある。
 漁師が昼寝しているところに旅人が通りかかった。
 旅人は眠っている男を起こし、なぜ魚を捕まえないのかと尋ねた。
 「家族の夕食に、もう二匹捕まえたよ」
 「もっと大きい網で、もっと長い時間漁をすれば、十匹は捕まえられるのに」
 「でも、二匹しか要らないのに、十匹も捕まえてどうするんだ」
 「売ればいいだろう。毎日同じようにすれば、舟を買うお金が貯まるよ」
 「それで、どうするんだ」
 「もっとたくさん、魚を捕まえるのさ。
 人を雇って、もっと魚を捕らせることもできる。お金持ちになれるよ」
 「金を持って、どうするんだ」
 「楽しい毎日が過ごせるさ。くつろいで、楽しく木陰で寝ることができるだろう」
 「今やってるみたいに?」

つまるところ、開発っていったいなんのため、金持ちがより金持ちになるためなのか。
開発は、さらなる貧困を産み出すためだけでしかないのだろうか。
うーむ、いろいろと考えることあります。しかし、その仕組みは知っていないとね。
いまできることをやる、ということも忘れてはいけませんね(はい、自戒です)。

「コフィン・ダンサー」(上)(下)ジェフリー・ディーヴァー 文春文庫 ★★★★
事件現場の事故で、頚椎損傷四肢麻痺になった車椅子の科学捜査官。
その名はリンカーン・ライム、いまは民間人なんだけど犯罪捜査で活躍する。
今では、ありがちな設定といってもいいぐらいですけど、まあいいでしょう。
その手足となって行動するのが、美貌のニューヨーク市警巡査アメリア・サックス。
と、ここまで書いたところでも、なかなか面白そうだと思うでしょう。
でも「ボーン・コレクター」もそうだったけど、ストーリー展開はうまいですね。
最後のどんでん返しが、ちょっと無理やりかなと思うけど、ミステリの面白さ十分です。
登場人物も個性的で、なかなか楽しめました。
また、次の作品を読みたいなと思わせるところが、著者の力量でしょうね。

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「いつか読書する日」
朝の通勤時、最寄駅の掲示板で見かけた映画のポスターの題名です。
すこし前から、貼ってあったもので、田中裕子と岸部一徳が主演かあ。
その横には、「春の雪」三島由紀夫原作の美しい竹内結子がいます。
ほんと、きれいですね、この竹内さん(って、なんか言い方おかしいかな)。

禅では、人間なんてすべて臭皮袋被ったものだ、なんて言うのだけど。
凡人の悲しさ(?)、やはり美しい人には、ついふらふらと引き寄せられる。
中村獅堂と結婚してしまうなんて、なかなか人を見る目がありますね。
彼は、テレビの「HR」で見てて、うーん、なかなかの役者だなと嘆じました。
ふだんなんか、けっこうもの静か、恥ずかしがりだったりするのかな。
けっこう、逆の人って多いようだけど、ね。
芝居は下手なのに、私生活では演技(?)がうまいやつ、いそうでしょ。

すっかり脱線してしまいました。
「いつか読書する日」、どんな話なんでしょうね。
田中裕子もいいけど、岸部一徳がぼくはすきです。
20年以上前に、NHKの「太陽の子 てだのふあ」で見て、いいなあと思った。
灰谷健次郎原作のドラマですけどね、沖縄の人の話ですよね。
この本、もちろん読みました。波照間が故郷なんですよね。
それから、灰谷健次郎の「兎の眼」もいいですね。
岸部一徳はシリアスな役もいいし、なんかペーソスがあるんだよな。
それが彼の重要なポイントだし、じんわりにじんでくるユーモアってのかな。
笑いと哀しさなんて、裏表のところあるじゃないですか。


どんな話なのかな、田中裕子と岸辺一徳との恋なんだろうな。
長崎が舞台らしいな。ポスターの協力団体のところにでてるな。
中年の恋か、どんな変遷を経た物語なのだろうか、興味あるな。

久し振りに、映画でも見に行きたい気分です。

テーマ:映画 - ジャンル:映画

二十億光年の孤独
不意に浮かんできた「二十億光年の孤独」という言葉。
知ってる人は、すぐにピンとくるでしょう。
種明かしは最後に回して、連なる考えや感じたことなどを書いてみる。

この言葉、いかにも若い感覚、と言わねばならない。
若いときには(もちろんそれぞれの年代でも)、孤独の意味を考えたり。
狭い四畳半の下宿で(経験してないですけど、同級生の下宿に行って)、
膝を抱え込んで(寒さと、人恋しさから)、溜息とともに詠じてみたりする。
その深さと隔絶された思いが、二十億光年なる物理的距離に暗喩される。
はじめて読んだとき、その比喩にすごいなと思ったものでした。
シャープな感覚というのかな、21歳でこんなふうに思うのかと。
詩人って、すごいなと思うんです、なぜか素直にね。
どんな詩人でも、というわけではないですから誤解なきように。
箸にも棒にもかからない詩のようなもの、を書く人もいますから。
(これはなに?詩?ほーなるほどね、新説ですな)

若い頃からそうだけど、いまでも人は最後はひとりだと思ってる。
その意味するところは、ちょっと複雑なのではありますが。
いつも思い浮かぶのは、

 コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ


有名な井伏鱒二の『厄除け詩集』にある、漢詩を訳したもの。
だからといって、寺山修司みたいに、

 さよならだけが
 人生ならば
 また来る春は何だろう
 云々‥

はちょっと、短絡にすぎるなあ、なんて思うなあ。
別れを知らずして、出会いの大切さは分からない。
だからこそ、この一期一会が、意味深くなるのではと思う。
つまり、孤独は対極に仲間なり友だちなりがいるわけだ。
孤独を知っていればこそ、出会いの重さも分かるのじゃないかな。
などと酔眼、考えてしまった、冬の夜でありました。

「二十億光年の孤独」って、谷川俊太郎の処女詩集です。
本棚を探したけど、見つけることができなかった。

さて、湯豆腐でいっぱいやりますか。

テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

続・男女間の友情は成立するか?(下)
一般に、DNAと遺伝子はほとんど同義に使われることが多いですが、
厳密には、機能をもつDNAだけを遺伝子というんです。
残りはジャンクDNAなんていうけど、まだその機能が分かっていないだけかも。
人間では、遺伝子は全DNAの五パーセントに満たないと言われています。
だけど、単に分からない解明できていないだけかも知れません。

「だけど、いまでは様子がちがってきました」
「わかった、リチャード・ドーキンスって人の理論ね」
「そう、利己的な遺伝子、つまりは遺伝子が行動を規定する」
「人の思いなんて言ってるけど、すべて遺伝子(Gene)のなせる業ってことね」
「そう解釈すると、利他的行動などいろんなことがうまく説明できるんだ」
「そうよね、利他的行為ってなんのためって思うわね」
「利他的な行動もよくよく調べてみれば、自分の遺伝子
(兄弟も同じ割合で受け継いだ遺伝子を持ってるよね)を増やす方向なわけだ」
「一見、そうでないようでも、ほんとうは遺伝子に操作されているのね」
「そういうと誤解があるけど、結果的にはそういう説明でうまくいく」
「そうやって男は、自分の行動を遺伝子のせいにするの?」
「はからずもそういう結論になったな」
「ほんとうにそう思ってるなら、最低!」
「いやあ、そういうことではないんだけど…」


「で、男女の友情の話はどうなったの?」
「前回と同じだな、ぼくはあると思う派だな」
「派なのね、わたしもその派に入っておこうかな」
「しかし、科学理論であっても一種の仮説だからね」
「どういうこと」
「説明原理でしかない、いつかは取って代わられる、ニュートンしかり」
「でも、絶対の法則ってないの」
「例外のない法則はない、これがすべてを表していないかな」
「そうしたら、例外のない法則が、その例外になるんじゃない」
「だから、すべてをカバーしてるだろう」
「分かったような、分からないような…」
「じつは、ぼくもそうなんだよ」


「男と女の間に友情があろうがなかろうが、ぼくはあの人が好きだな」
「そういう感情を大切にしないといけないのよね」
「どちらかに決めつけないと不安になるのは、現代人の悪いところだな」
「そうよね、自分の信じたとおりに生きなきゃ」
「そう、もっと自分の判断・感性を信じないとね」
「理屈ばかりこねないで、こころの声を聴かないとだめよね」
「耳が痛いけど、そういうことですね」
「またなにかあったら教えてね、理屈でもいいけど」
「うへっ、畏れいります」


続・男女間の友情は成立するか?(中)
ぼくは、どうしても動物行動学が頭からはなれないんだ。
人間だって動物のひとつの種、いつも、そんなことばっかり考えてるから。
心理学よりも、こっちのほうが親しみやすい気がしてね。
ぼくが心理学専攻の大学生の頃だったかな、ノーベル賞の生理医学賞を、
コンラート・ローレンツ、ニコラス・ティンバーゲン、
カール・フォン・フリシュがもらった。

当時その考え方に、強い衝撃を受けたことをいまでもはっきりと憶えている。
そのころは、エソロジー(比較行動学)なんて言ってた。
それ以来、関連の本も読むようになった、というわけです。

「マスターにとってはね、男と女は動物のオスとメスなのさ」
「動物と同じ?」
「動物というか生物というか、人間だけを特別扱いしない、ということなのさ」
「同じ眼で捉えようというわけね」
「動物行動学から得られた知見、つまり行動の法則を人間にも」
「あてはめて、考えるのね」
「そう、でもって動物は種の存続が最優先だから、行動はそれに従う」
「ヒトも種族保存の意志が行動原理になってる、っていうのね」
「その面から、ヒトの行動、恋愛、友情などすべて考えようということだろう」
「なるほどね、でもそれでどうしてあの結論がでてくるの?」
「同性間の友情は、円滑な社会を維持していく上で意味がある」
「そうすることによって、生命の維持を容易にするのね」
「しかし、男女間では生殖が最優先である」
「進化論だったかしら、種族保存の意思なんて聞いたことあるわね」
「だから、繁殖につながらない友情なんてものはなくて、恋愛途上だと」
「生殖活動へつながっていく過程なのね、なんだか味気ないわね」
「そこは、子育て上の戦略とかもあるから、別の意味があるんだけどね」
「経済力のある男性を選ぶのって正当なことなのね、子育て戦略的に」
「そうだよ、ヒトは産んで育てるのに長い時間を要するからね」
「逆に、男はグラマーな女性を選ぶのは理にかなっているわけだ。
つまり端的に言うと、女は経済力で男を選び、男は肉体で女を選ぶと。
それもこれも、個人的な好みとかではなく、本能的なものだということだな」
「ちょっと、都合よく歪曲していない?」
「えっへん、すこしそれたな。最近の事情もすこし補足しておこうかな」
「きっと、DNAとかが出てくるんじゃないの」
「うーむ、読まれているかな…」


続・男女間の友情は成立するか?(上)
男と女の間に友情は成立するのか、以前すこし考えた。
とりあえず(?)ぼくが下した結論は、以下のようなこと。

それは個々人によって異なり、一律の結論は出し得ない。
あるという立場もあるし、ないという立場も理解できる。
つまりは、あるともないとも、どちらとも言えるのではないか。

ここで確認し考えておかなければいけないことは、次の点です。

 1.物理現象ではないので、万人に成立する法則のようなものはない。
 2.このテーマはなにを議論しているのか。
 3.どうあるべきか、望ましい方向性はあるのか。


すこし堅くなってきました、例によって会話を聴いてみましょう。
発言には、その人の人生観がおおきく作用していることが分かります。

「男と女しかいないのにね」(一部の人々はこの際考慮外で)
「どうしたの?」
「男と女の友情もありかな、って」
「なるほど、再論ですな」
「やっぱり、ありだと思うのよね」
「なにかそれで不都合でもあるんですか」
「この前、喫茶店に行って、そんな話をしていたらね」
「ははーん、あそこのマスターがなんか言ったな」
「そうなのよ、そんなものはない、男女間にはどろどろの恋愛しかないって」
「なるほど、どろどろの恋愛というところがマスターらしいね」
「わたしが、そんな感情をいだく男性がいるのよ、って言うと」
「即座に、結論をくだしただろう」
「どうして分かるの」
「前にも、彼とそんな話をしたことがあるからさ」
「なあーんだ、でね、それは恋愛の前駆症状だって言うのよ」
「決めつけてるな」
「そうなのよ、なんとか反論したいと思ったけど…」
「言葉が出てこなかった?」
「悔しいけどそういうこと、どう思う?」
「では、またまた持論を述べさせてもらおうかな」
「さあ、今回はどんなことを言うのか楽しみ」
「その前に、ちょっとトイレタイム」
「そこで考えてくるのね、ごゆっくりどうぞ」
「見破られたか!」


久住・湯布院ライブツアー(終)
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では、最後に別府八湯のうちの「明礬温泉」へ、いざ。
到着したときには、夕暮れがほのかに迫ってきていました。

古い作りの建物のくねくね曲がる廊下を歩んでいきます。
畳敷きの休憩室も扉をあけると、もう古式豊かな(?)温泉です。
ここは、澄んだお湯ではなく、泥温泉として有名なのであります。

洞窟のような通路を通って、ぼこっぼこっと泡が吹く泥湯風呂へ。
泡に近寄りすぎると熱いよ、とOくんに注意されました。
しかし、湯船の底が見えないので、入るのにも一苦労です。
深いのか浅いのか、段があるのかないのか、さっぱり分からない。
肩まで浸かって横を見ると、なんだか刑場の生首みたいだ。

外にも露天風呂があると聞いたので、そちらへも行ってみる。
なんだか、庭園の池みたいな風情の露天風呂、広々としていました。
ここも、砥石のような泥が底に積もって(?)いてどろどろです。
これをからだに塗りたくっているおやじが、うろうろと歩いていました。
「呪術師かよ、お前は」などと、こころのなかで呟いていました。
お湯はすこし温めですが、なんだか効きそうな気がします。

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お湯から上がって、お互いに肌をなであうと、つるつるしてる。
休憩室の畳に車座に足を投げ出して、おじさんを囲んでしばし話す。
「ああ、いい温泉じゃったな…。こんな温泉にはなあ、
きみらといっしょじゃなけりゃあ、きっとこれんかったと思う」
そう言って、にっこりするんだよね。
ぼくたちは、うんうんと大きくうなずくばかりで…。
この「にっこり」って必殺技だな、まだまだ会得はできません。


フェリーで帰るぼくたち五人をおじさんは名残惜しそうに見ていた。
会うは別れの始めなりけり、とは言うけれど寂しいものです。
別れは再会への架け橋ならんや、とでも返歌しておきましょうか。

フェリーの中での会話は割愛させていただいて(他意はありません)、
どういう順番で休んだのかだけ記しておきましょう。
Nくん、Kちゃん、Sさん、K女史、わたくしの順でしたね。
それが、どきどきするかなと思ったけど、全然どきどきしなかった。
でも、もし順番がちがっていたら…、もしメンバーがちがっていたら…。


最後に、Oくんほんとうにありがとう、お世話になりました。
「ちょろ松」に行けなかったのが、返す返すも残念だよ!


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久住・湯布院ライブツアー(9)
さて、名残惜しいですが湯布院にも別れを告げました。
再び車に分乗して、お昼に蕎麦でも食べましょう。
その前に、こんなところがあるんだよ、と連れて行ってくれたところ。
創業明治、阿蘇郡小国町西里七曲、「岡本とうふ店」。
野中にぽつんと一軒ある豆腐屋さんに案内してくれました。
豆腐には水が命とか、人間にとっても水は大切ですね。
いい水を探し探して、やっと見つけたところに店を作っただけのこと。
だから、こんなところに豆腐屋さんがあるんだそうです。
有名な店らしいです、ひっきりなしに車がやってきます。

気がつくと、Oくんがにっこりしながら、豆腐と厚揚げをぶらさげています。

「それを、どうするの?」
「ここで、食べるの?」
「へえー、ちゃんと醤油も生姜も車に積んであるの?」
「器も箸もちゃんとあるって?」
「野趣あふれる食べ方ですね」
「出来たてを食べるのが、食の基本ですか?」
「そう、なるほどおいしそうね」
「では、みんなで試食タイムなわけね」
「食べよう、食べよう」
「おじさんは、すこしお酒がいるわね」
「それもあるの?」
「さすがね!」


ということで、車のボンネットにお店を広げてにわか食タイムです。
これが、なんとうまいのです。
豆腐に生姜と醤油を垂らしただけ。
料理とは決していえません。
それだけ豆腐の味が決め手になるんです。
木陰をわたるそよ風も風味を増してくれるんですね。
また、この大きな厚揚げがなんとも言えずうまいんです。
皮というのかな、パリッとして適度な歯ごたえがあって、
けっして油っこくないんだなあ、これが。
街では揚げたての厚揚げなんか、いまや贅沢品です。

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さらに一軒家の蕎麦処で、昼食にしますか。
旅に出ると、やたらに食欲がでますね。
ついつい箸がでてしまいます。
おろし蕎麦、なかなかおいしかったですよ。

日本人と、蕎麦とうどん、これが微妙ですね
ぼくは、やっぱりうどん派かな、讃岐うどん大好きなんだよね。
でも、蕎麦もさっぱりしてのど越しはなかなかいいし、うーん。
美女二人を前にして悩むの図、に限りなく相似しているかな。
(そんな経験は一度こっきりしかないですけどね、はい)

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久住・湯布院ライブツアー(8)
さあ、一夜明けて、目覚めに露天風呂で由布岳をながめる。
やはり、旅のよさはこの朝風呂にあり。
芯からほぐれていくような感覚が得も言われずいいんだなあ。
お湯はあふれ放題だし、こせこせと調節する必要もない。
まだまだ、楽しまなくてはいけません。

のんびりと朝食は、ホールみたいなところでバイキング・スタイル。
これがつい食べ過ぎるんだなあ、和洋取り混ぜ、統一感皆無。
なんか自分の性格を食事のメニューに写してみるようで、げんなり。

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気分を新たに、昨夜行った「湯の岳庵」の二階にある喫茶店へ行こう。
あたりは紅葉真っ盛り、人出も多く、夜とは打って変わって賑やかに。
「天井桟敷」(喫茶店の名)も満員で順番待ちになった。
のんびりと外にしつらえられた椅子に座って、ゆったりと待ちます。
やっと通された席は、前に広がっている紅葉が美しい。
窓枠で切り取られた風景が、まるで絵のように見えるのです。

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ゆるゆると紅茶を飲んで、すこしずつしゃべる。
おじさんは、アイスクリームを所望いたしました。
例によって、「君も食べるか?」と差し出します。
おもわず、にっこりしないではいられません。
こちらが、にっこりすれば、おじさんも微笑を返してくれます。


これがひとのふつうの姿なんですよね。
こちらが怖い顔すると、相手も身構えますから。
『人間のための鏡』クライド・クラックホーン著、なんて本を読みました。
もう若い頃のことですが、有名な文化人類学者の本です。
人類学者は、見知らぬ人たちになにを見るんでしょうね。
案外、自分の考えや理想やなどなど、見ているんでしょうね。
しかし、こういったこともすでにことわざにあるんです。
「人のふり見て、我がふり直せ」ってね。

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暑いくらいの陽気になってきました。
さあ、そろそろ由布院をあとしなくてはなりません。
みんなどうしたんだろな、姿が見えないなと思ったら、
そぞろに連れ立って、あちこちのお店を見て歩いている様子。
女性は買い物がお好きなようですね、なにを買ったかは存じません。

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久住・湯布院ライブツアー(7)
「湯の岳庵」を後にして、由布院の夜をいい気分で歩く。
暗い夜道をほろ酔い機嫌で歩くのもまた楽しい。
わいわいと話しながら、そこここに小集団を形成しながら。

そんなとき、ぼくにとってのある事件が起こったのである。
どういういきさつかは記憶にないのだが、冗談交じりに、
「なにを、言ってるんだ」というような感じで、
ぼくは、彼あるいは彼女に後ろから抱きついた。
うーん、これは正確ではないな。
まあプロレスでいう、スリーパーホールドだな。
つまり、後ろから首を締めた。
もちろん、軽く笑いながらではあったのだ。
しかし、誰かが思い出せない。
これで、いまも悩んでいるのである。
誰か、ご存知あるまいか?
知りたくない気も、すこしするのではあるが‥。


そうこうしているうちに、Oくん発案のカラオケが近づいてきた。
スナックの扉を押して、われらが占拠状態。
由布院の町の夜空に、可憐な歌声が響いたと想像されよ。
あるいは、こぶしをまわしすぎる、演歌なども。
肩を組んで歌う中年(?)の男女のかわいらしさよ。
つかの間の幸せは、どんなところにも転がっている。

「すこしは、浮世のうさが晴れましたか」
「そうね、『みちのく一人旅』って感じだったから」
「辛かったんですね」
「そう、『つぐない』をしてほしいわね」
「ぼくに言われてもね‥」
「分かっているわよ『人生色々』なんだもの」
「それはそうだけど‥」
「結局は『いいじゃないの、しあわせならば』ということ?」
「そうですよね、終わりよければって」
「でも『ふれあい』がない生活なんてね」
「好きな人、いないんですか」
「そう、『遠い世界に』行っちゃった」
「なんか、歌の題名ばかりなんですけど」
「分かった、ふふふ」
「なんのこっちゃ‥」


というようなことで、大騒ぎしてすっきり。

そのあと、ラーメン屋で、きっちり餃子&ラーメンのコース。
Oくん、せっかく減量したのに、だいじょうぶ?

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久住・湯布院ライブツアー(6)
せっかく湯布院なんだからと、ひと風呂浴びて、いい気持ち。
さて今夜の食事処「湯の岳庵」へと連れ立って歩きはじめる。
暗く細い道に、長い影を落としながら、ゆらゆらと。
一筋縄ではいかない連中、あらこんなお店がある、などと。
その歩み、亀のごとく遅々として進まず。
といいつつも、老舗の旅館「亀の井別荘」へと到着です。
この敷地内に、あるのです。

あたたかな白熱灯のあかりが、ちらちら見えます。
しっとりとした雰囲気の、なかなかいい感じのところです。
土間から、座敷に上がって、予約席に腰を落ち着ける。

さて、なにを注文しましょうか。
「和風コース」を五人前くらいかな、
「すっぽんの空揚」なんかいいんじゃない?
飲み物は、清酒のスパークリングがあるぞ「すず音」だって、
なんか、かわいい名前ね。飲みたい!
もちろん、白ワインなんかありで、乾杯しよう。
まあ、ゆっくりやりましょう、Mおじさんたちがくるまでね。

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すこしずつ、料理が運ばれてくると、歓声があがる。
これ、なかなかおいしいね、などといってるところに、
Mおじさん、にっこりしながら登場です。
NさんもT先輩も一緒にやってきました。
久しぶりって、蒜山以来じゃないの、そうでした。

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追加の料理は、Oくんのお任せして、また会えてよかった。
大牟田のY校長も駆けつけて参りました。
今夜は、総勢14名の大集団になっております。
おじさんを囲んで女性陣がべたべたと群がっております。

「ムッシュ、羨ましくない?」
「全然、羨ましくなんかないよ」
「またまた、強がり言って」
「ぼくはね、焼酎飲んでるほうが好きだな」
「どうしてよ」
「お酒は、ぼくを裏切らないからかな」
「かわいそうに、女性に裏切られたのね」
「そういうことじゃなくって‥」
「まあいいじゃないの、人生いろいろよ」
「あのねえ‥」
「まあ、おひとついかが」
「ありがとう‥」


湯布院の夜は、まだまだ長いのであります。

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久住・湯布院ライブツアー(5)
一夜明けて、空は晴れてわたり空気も冷気をはらんでいた。
みんなは露天風呂に行ったみたいだ。
カードがないと入れないので、どうしようかと思っていると、
Sさんがやってきたので、散歩でもしますかと付近を歩くことにする。

静かだなあと思いつつ、坂を登ってゆく。
硫黄のにおいが強くなってきた。
湯気を立ち昇らせているタンクが見える、ここが源泉か。
雑木林を切り開いたような草っ原にやってきた。
そびえる山をバックにSさんをデジカメにおさめる。

どうですか、今回の旅は。
のんびりできそうですか。
やはり、笑うと楽しくなりますね。
笑うから楽しい、楽しいから笑う、どちらでもよろしい。
遠くを眺めるのも、いいですね。
都会では、つい足元眺めて暮らしてますもの。
たまには、空を見て山を見て、歩きましょう。

戻ってくると、三々五々みんなが集まってきた。
さあ、今日は阿蘇をまわって行くぞ。
昨日とは打って変わって今日は快晴。
11月だというのに、車から降りて歩いていると暑いくらい。
半袖でもじゅうぶんな気候だ。

大観峰(遠見が鼻)海抜936mから阿蘇五岳が望める。
さらに、草千里で風に吹かれて、
阿蘇中岳の噴火口へとやってくると、硫黄の強いにおい。
本日は、危険なため近くは立入禁止。
さすがに、雄大、山肌の色がちがう。
ヤマモト・イッセイの色合いをしているな(もちろん、阿蘇が先です)。

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まだまだ、いろいろと走って、昼食でひとしきり笑ったり、
眺めのいいところで、ゆっくりとコーヒーを飲んだり、
至福の時間というのでしょうな、運転のかたがたお疲れ様でした。

今夜の宿「由布院倶楽部」に到着いたしました。
ゆっくりとする暇もなく、OくんとMくんはお出迎えに車で出発。
そう、M島のおじさんと、Nさん、T先輩が合流します。
今夜は、大騒ぎになりそうな予感!?


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久住・湯布院ライブツアー(4)
Oくんを先頭に、女性陣が夕食の準備中(ここは共有別荘です)。

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車から降ろしてきたキーボードの説明書をYちゃんが読んでいる。
ときおり、音が漏れてくる。
「これ、いいなあ」
今夜は、ライブで演奏つきの歌声喫茶(古いなあ)状態になるかも。
別ルートの四国のM夫妻も、一時間遅れで到着した。
さあ、だんだんと役者がそろってくるぞ。

なんだかやたらお腹がすいてるなあ、と思ったら、
あっちも満員、こちらもだめで、お昼を食べ損なっていたのだ。
食材では、豚肉2kg(多すぎ)、たぶん食べきれないだろう。

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さっそく、飲み物をついで、乾杯。
しかし、この巻き寿司、うまいなあ。
いなりずしもなかなかの味のようで、好評でした。
さすが、Oくんは食通ですな。

なべの準備ができて、湯気があがって宴会気分が盛り上がってきた。
みんなの顔を見てると、それだけでしあわせな気分だ。
なんだか大家族になったようで、おかしくってすこし笑った。

さあ、ライブを始めよう、Yちゃん、伴奏よろしく!
「いとしのエリー」、Oくんの歌ではじまり、はじまり。
しかし、いい声してるなあ。部屋の隅々まで響き渡る。
フォーク大全集なる歌集がまわされて、つぎつぎと歌った。
みんなで合唱もした。合間に、おおいに笑いもした。
ふだんあまり歌わない、四国のMくんも歌っているぞ。

「話べただけど、歌ならだいじょうぶよ」
「それに、人が歌ってるのを聞くのも好き」
「会話の気詰まりがないから、リラックスできるの」
「すこし、歌ってみようかな」
「楽器が演奏できる人って、それだけで尊敬しちゃう」
「なんかいいなあ、こういうのって」
「うんうん、そうだな」
「寝ちゃだめだよ~」
「zzzzz…」


ぼくは、お酒と歌ですっかり酔ってしまった。

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久住・湯布院ライブツアー(3)
汗を流してさっぱりして、さあ久住へ向けて出発進行。
車はO君のランドクルーザー、と彼のおばさんのセルシオ。
(お借りしています、ありがとうございました。内装は革張りでした)

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さて、いろんなところに立ち寄りながら進んでいこう。
九州はやはり、本州とすこし風景がちがう。
道路の標識に見る地名も、すこし読み方がちがうな。
たとえば、原はバルと読む。
今日の目的地、長者原はチョウジャバルなのですね。
そんなこんなが、旅に出たという気分を盛り上げてくれる。

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この車のナンバーは、なんだと思いますか?
途中立ち寄った農園(?)の駐車場でのこと。
若者たちがゼッケンを胸につけ、トランシーバーで話している。
聞けば、ここが「クイズラリー選手権」の最終会場とか。
「つまりは、車でやるオリエンテーリングですか?」
「そういうことですね」
なるほど、楽しそうな若者たちを見るのもまた悪くない。

こんな景色のところもありましたよ。

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さて本日の宿泊地「星生倶楽部」(ホッショクラブ)に到着。
さあ宴会の準備を始めよう。
まずは酒類、こんな感じです。このコニャック、高いだろうな。
(もちろん、この他にビール、ワインなどあります)

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これは、激辛香辛料、タバスコの30倍以上の辛さとか。
味見でなめるときは、爪楊枝の先(尖ったほう)ですること!
(髑髏のマークだけで、その意味がわかりますね)
真ん中は、AFTER DEATH(じわっと後で、死ぬ?)
右端は、SUDDEN DEATH(突然死?)なんてのがありました。


さて、宴会の様子はまた明日に。

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久住・湯布院ライブツアー(2)
夜の10時を過ぎて、神戸のポートターミナルに7人が集合。
関西汽船の受付で、切符を購入。
事前にインターネット予約をしているので場所は確保できている。
さらに、友の会会員に入会して運賃3割引の特典あり。

最近の夜行船(こんな言い方するかな)事情はこんなでした。
まず、二等船室は予約をすれば場所は確保されます。
インターネットでの予約は簡単で、変更も何度でもできる。
寝る場所で遅くまで宴会というわけにいかないですね。
だからかな、食堂を営業時間が終わると開放します。
ぼくたちは、ここで持ち込んだもので、遅くまで歓談しました。
まわりを見渡すと、中高年の姿がおおいです。
登山のツアーだろうか、山行きの格好が目につきます。

朝が来て、甲板に出るとうす曇りの空から雨が降ってきた。
もう降りる間際になって、どうしてだか忘れたけれど、
一時間黙っていられる、って言うから、もちろんと受けて立った。
なんとかしゃべらそうとするから、こちらは手話で対抗する。
こんなところで使うのもどうかと思うが、黙っていられない。

そうこうするうちに、別府港到着。
出迎えの、Oくん、一足先に別府入りのYちゃん(男)と合流。
不信げな二人をものともせず、ついに一時間完遂する。

まずは、鉄輪温泉(かんなわおんせん)、ひょうたん温泉へ。

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湯につかりながら、ぼくってどうしてこうなのだろうと考えた。
北原白秋の「他ト我」が浮かんでくる。

 二人デ居タレドマダ淋シ、
 一人ニナツタラナホ淋シ、
 シンジツ二人ハ遺瀬ナシ、
 ジンジツ一人ハ堪ヘガタシ


であるが、ぼくはこう憶えこんでいるのだ。

 一人デ居タレドマダ淋シ、
 二人ニナツタラナホ淋シ、
 シンジツ一人ハ遺瀬ナシ、
 ジンジツ二人ハ堪ヘガタシ

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久住・湯布院ライブツアー(1)
仕事をなんとか切り上げて(残した仕事のことがやや心配だが)、
ロッカー室で、ネクタイ姿からジーンズに変身(?)する。
ロッカーに放り込んでおいたリュックを肩にかけて、いざ出陣である。

会社を出たところで、携帯電話が鳴る。
待ち合わせのメンバーからのものだ。
三宮の地下街に降りて、目指す店の横まできた。
通路側の窓越しに、三人の顔が見えた。
「おひさしぶり」
たがいにそんな言葉をきっと発しているのだろう。

なぜだか知らないが、まずはビールで乾杯だ。
みんな元気だったかな。
ぎっくり腰はだいじょうぶなのかな。
そんな年齢(?)になってきたわれらではあるのだが。
食事をしながらの話はどうしても健康のことになりがちである。
まだまだ、旅して遊ばなくてはならない使命がある。

「どんな使命なのよ?」
「それはね、ヒトが誕生したとき以来のものでね」
「そんな話聞いたことないわ」
「ぼくもいま始めて話すのさ」
「また、いい加減なことを言うんでしょ」
「それは、聞いて判断してほしいな」
「それもそうね。はなから信じないって、失礼だわね」
「そうそう、それはこういうことなんだよ」

と話し始めようとしたときに、
遅れていた女性が、手を上げながらやってきた。
「ごめんなさい、ずいぶん待った?」
「ついさっき始めたばかりよ」
「そう、それならいいけど」

いつもぼくはこうだ。
なにかを話そうとすると、いつもなにかに断ち切られた。
あのときも、そうだったのだ。
すこし、苦い思いが浮かんできたが、それは深くこころに沈めた。
まだ、九州への旅は緒についたばかりなのだから…。

そんなとき、ふいにこの前読んだ一節が浮かんできた。
「男は美しい女を見るのを好む一方で、美しい女を何よりも恐れる」

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

人はなにで生きるか
楽しいかった九州は久住・湯布院の旅でした。
別府在住の、Oくんには一方ならぬお世話になりました。
ほんとうに、ありがとうございました。
いまも、おおらかでやさしい笑顔が浮かんできます。

M島のおじさんも、終始にこにこと楽しそうでした。
そんな顔を見て、ぼくたちは幸せな気分になれたのです。

思い起こせば、それぞれが20才前後のころに出会い、
それから30年が経っていることに、ふと気づくのです。
誰もが、決して平坦な人生ばかりを生きてきたのではない。
そんなことは、わが身を振り返れば容易に想像がつきます。
苦しいことがあろうとも、友の顔を見れば慰められる。
愚痴のひとつも洩らしてたとしても、しっかり受け止めてくれる。
そんな仲間がいることに、不思議な思いをいだくことがある。

それを愛と言おうが、縁と感じようがどちらでもいい。
しかし、確かに自分ひとりで生きているのではないのだ。

ひとり旅の身空にあろうとも、ひしひし身に迫りくる。
こんなぼくは、幸せに過ぎるのかも知れないな。

留守にします
先日より予告しておりましたように、明日の夜からでかけます。
神戸のポートターミナルから関西汽船で九州、別府へ。
この航路に乗るのも、ほんとうに久しぶりです。
7人のメンバーは、男がぼくを入れて二人なんです。
あとの五人は、ほんとうに美人揃いなんです。
(もし、これが30年前なら、ぼくはきっと心臓麻痺起こしてるな。
もちろん、いまでもみなさんとても魅力的なんですよ、ほんと!)

M島のおじさんの、今回はどんなエピソードがあるのか。
メモをとるのを忘れないように、映像もともにですね。
ではしばらくの間、このブログもおやすみします。

そうそう、今朝、出会いましたよ、ボンディコン女性。
スリムの黒のパンツに黒のハイネック。
ジャケッツは濃いオリーブ色でまとめて、さすがのいでたち。

きっちり、そのあとからヌーボー男がパンをかじりながら‥

やはり、中学校の先生じゃないのか、再考要です。
ああ、気になること限りなし。



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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