ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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時代は‥
今夜は、ひさびさになにかを成した感じ。
というのも、書かなければいけないもの含めて、
メイルをたくさん書きました。
もちろん、それぞれにちがう文章ですが。

そこですこし考えてたんです。
ヒトって、どうして手紙とか、メイルするのかなあ。
ことに現代人は、頻繁にメイルするって言いますね。
ぼくは淋しいのかなって単純に考えてたけど、
そうではないんじゃないかな。

メイルあるいは手紙、葉書でもいいのですが、
文章を書くためには、考えないといけないですよね。
考えるためには、考える材料が必要です。
まあ、考える材料山積みの現代ではありますが‥。

自ら考える、つまり頭を鍛える行動を起こしている。
馬鹿だチョンだと言われながらも、彼らは思考している。
(ちょっと、オーバーですね)
まあ、頭を使っているぐらいにしときましょうか。
使わないと退化するということを本能的に知っている。
そう思えてならないのです。

だからといって、これからの時代は安泰とはなりません。
これだけは、確実に言えると思います。
そういうことを考えるほうが、なんだか心配な気がします。

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脳の神経細胞
こんなこと知ってますよね。

『大脳皮質では、生涯平均で一日に約10万個
というオーダーで神経細胞が死滅する。』


急に怖くなる人もいるのかな。
でも、いったい人間の脳の神経細胞ってどのくらい?
そんなことが分からないと、意味がないかな。

『脳は1000億個の神経細胞と
1兆個のグリアとで構成されている。』


ということは、死滅する細胞の数を計算してみる。
人生70年として、10万×365×70=約25億6千
つまり、25億6千÷1000億×100=2.56%

まあ、どうってことないかな。

しかし、話には続きがあって、
脳の重要な細胞の数はそんなに多くない。
だから、実際は違うんだ、という意見もある。

『しかし、高次な活動をしている大脳皮質の
神経細胞に限って見るとそうはいかなくなる。
この部位の神経細胞は約150億個しかない。
すると、10年間で約4億個、
100年間で約40億個の神経細胞が死ぬことになり、
100年たつと大脳皮質では
実にその4分の1の神経細胞が消滅してしまう計算になる。』


まあ、気楽にやりましょう(って、できない?)

枯葉マーク?
暖かな陽に誘われて、N氏夫妻と淡路島へのドライブ。
N氏は完璧なペーパードライバー。
これではいけないと一念発起して、
休みの時間を工夫して、練習に励むことになった。
今回も、その一環でちょっと遠出をするお供に。

立川水仙郷(ナゾのパラダイスで有名?)から、
灘黒岩水仙郷へと花を求めて走り回り、
鳴門大橋を眺めての帰途の車中での話から。

s-DSC02413.jpg

車を運転するときに付けるマークがあります。
おなじみなのは、初心者運転者(若葉マーク)。
そして、75歳以上のドライバーが提示することができる、
「高齢者運転標識」一般に「紅葉マーク」。
これって、「落葉マーク」とか「枯葉マーク」とも言ったり。
なんだか淋しい感じがします。


そこで出たのが、こんなマークがあればいいなっていうの。
あまり運転しない人がつけたい、
「ひさびさマーク」
「月一マーク」
それから、どんなのがあるでんしょうね?
「お忍びマーク」
って、ちょっとまずいんじゃないかな。


恋と化学物質
こんな文章を再発見(?)しました。
どう読み解くかは、あなたの自由ですが…

『恋の初期段階で得られる多幸感は、
ドーパミンとフェニルエチルアミンのしわざだろう。
この二種類の化学物質が、
大脳辺縁系から大脳皮質に至る報酬経路に働きかける。
セックスしたいという衝動は、
視床下部に作用するテストステロン(男女ともに)と
エストロゲン(女性のみ)の仕事である。
恋人にしろ、親子にしろ絆で結ばれているという感覚は、
オキシトシンと呼ばれるホルモンが脳内で活動するためと思われる。

……
 このホルモンが脳内に吹きあれているとき、
人は現実から引きはなされ、
とくに愛する人の評価が客観的にできなくなる。
相手の欠点には目をつぶり、
とんでもなく楽観的な将来を思いえがけることは、
心理学の研究でもよく知られている。
冷たい言いかたをすれば、
恋は化学物質が誘発した一種の狂気なのである。
そんな狂気状態をもとに社会組織を構築する危うさは、
離婚率が上昇している西欧世界を見ればよくわかる。

 しかし脳にとっては、恋こそ最大のスリルだろう。
大脳辺縁系がセックス面の手綱を握っているかぎり、
恋はこれからも私たちを惑わせ、
思いもかけないときに降りかかり、
喜びを与えてくれるだろう。
恋だけで世界は動かないが、
恋があるおかげで世界がおもしろくなっているのはまちがいない。』


「脳と心の地形図」 リタ・カーター 著 原書房より

化学物質が恋に関与していることは疑いがない。
しかしながら、化学物質を与えると恋をする、というのではない。
けれども、恋をしているときには化学物質が溢れている。
願わくば、これで恋が醒めるようなことことのないように…

エコライフ
地球環境に優しい、などとよく言います。
ものはできるだけリサイクルして使いましょう。
最近では、ゴミの分別廃棄の考えも定着してきました。
これって、いいことだと思います。
(やらないより、やるほうが断然いいでしょう)

ただね、すこし考えてしまうところもあるなあ。
それは節約生活とでもいうようなこと。
必要なだけは使うが、無駄は極力省くことかな。
リサイクルに回す前に、ゴミを出さないようにする。
ゴミは出さないに越したことはない、ですよね。

こんな考え方って、ほかにもあるような気がする。
例えば、原子力発電反対。

「安全性に問題あり」
「いや、安全は確保されている」
「放射能汚染の影響は取り返しがつかない」
「原子力はクリーンエネルギー、二酸化炭素も出さない」
「原子力発電所は必要ないし、廃棄するべきだ」
「そういうが、電力消費は年々増加しているではないか」
「だが、原子力発電所はいらない」
「それでは、安定した電力供給が難しくなる」


だったら、電気を使わないエコ生活(?)をなぜすすめない。
電気は使いたい放題だけど、原子力発電は反対。
甘いもの食べ放題だけど、スリムな身体でいたい。


なんだか、腑に落ちないなあ。

クーリッジ効果
こんな文章を紹介しましょう。
読んでどう感じるかは、それぞれでしょうが、
まあ、勝手にヒトに敷衍(あてはめる?)しないように!

『男の性的欲求が新たな相手によって目覚める現象は、
有名な逸話からクーリッジ効果として知られるようになった。
合衆国第三〇代大統領のカルヴィン・クーリッジは
夫人とともに国営の農場を訪問して、
べつべつに案内を受けた。
鶏舎を見学したクーリッジ夫人は、
雄鶏は一日に何度も交尾をするのかとたずねた。
案内の係員が「何十回もします」と答えると、
夫人は「その話を大統領にしてちょうだい」と頼んだ。

鶏舎に案内された大統領は、その話を聞かされて、
「それは毎回同じメスを相手にするのかね?」とたずねた。
「いえいえ、大統領。相手はそのたびにちがいます」。
「その話をクーリッジ夫人にするように」と大統領は言った。

哺乳類のオスの多くは交尾を終えても、
その気のある新たなメスが手近に現れると、
そのたびに意欲をかきたてられる。
実験者が、すでに交尾をした相手の姿を覆い隠しても、
体臭をごまかしても、オスはだまされない。
これははからずも、
オスの性欲がまったくの「無差別」ではないことをあきらかにしている。
オスはどんなメスと交尾するかは気にかけないが、
どのメスと交尾するかについては敏感すぎるほど敏感なのである。』

「心の仕組み」 スティーヴン・ピンカー 著 NHKブックスより

どうなんだろうな、こんな文章を紹介することは。
ぼくは、純粋に学問的な興味からおもしろいと思った。
だけど、『利己的な遺伝子』と同じで、都合のいい解釈がね…。
そういう点では、オスは共通した性質をもっているのかも?


運転免許更新
また5年の歳月が流れて、運転免許更新のためA市へ。
平日でもあり、時間も遅らしたので混雑は避けられました。
窓口には、まばらな人の列ができているだけ。
幸いにも、無事故無違反で5年のゴールド免許更新。

11時頃に終わったので、道路の向かいにある建物へ。
ここも、5年前に行ったところ、久しぶりです。
献血ルームで、400ccの献血をしてきました。
なんかからだが軽くなった感じがする(?)。
血圧も正常と太鼓判を押されてしまいました。


時間があるので(会社は休暇をとったので)ぶらぶらと。
魚のにおいが充満してる商店街を歩く。
うまそうなタコ、焼き穴子など並んでいる道を行く。
まばらな観光客も買い物を楽しんでいました。

しかし、いつまで更新するのかなあ。
何歳ぐらいまで運転するのだろうか。
平均的なもの、っていうのもあるだろうな。
でも、案外個人差なんかも大きいだろうな。
などと思う、免許更新の日でありました。


お笑い芸人のもてる理由
この免疫力の中心となっているのがNK細胞なんです。

ここで、このNK細胞とはなにか、簡単に説明しましょう。

いくつかある免疫細胞のひとつなんですね。
ほかには、マクロファージ(貪食細胞)、
T細胞(ヘルパーT細胞、キラーT細胞)があげられます。
その働きとしては、
「抗腫瘍効果」、「抗ウイルス効果」、「抗アレルギー効果」など。
また、他の免疫細胞である「T細胞」、「B細胞」、「マクロファージ」、
「局所免疫細胞」などを統括する機能を持っていて、
これらの免疫細胞との連鎖的活性化作用があるんですね。
つまりは、
NK細胞(ナチュラルキラー細胞)は、
人体において生体防御機構の中心的役割を担っているんです。
このことはいまや、医学界では衆知の事実です。

そこでにわかに注目されてきたのが、笑いの効用なんですね。
(薬嫌いの人も、副作用なしで安心して利用できます)
笑うことによって、NK細胞(ナチュラルキラー細胞)の数が増えるというんです。
これは臨床的に(つまり実地に)データとして確認されています。

ということで、
笑う → NK細胞の増加 → 免疫力アップ → 健康な肉体
と、こう簡単に関係づけられます。
笑いは、人類という「種の保存」におおきくかかわってくるというわけ。


なぜかは知りませんが(研究課題?)、そこを女性は察知した。
三高も重要だが、笑いも見逃すわけにはいかない。
もちろん、笑うことは楽しい気分と密接に結びついていますものね。
そのせいで、お笑い芸人がもてる、という結論なんです。


ゆめゆめ、笑いを莫迦にするなかれ。
でないと、時代に、女性に取り残されてしまいますよ。


三高と免疫力
今日の話題は、ぐっと専門的に(?)くだけてみましょう。
この世の中は男と女しかいないのだから、どうしてもそこへ。
まあ、エルトン・ジョンの例は別の機会に考えるとしましょう。

以前は、三高などと言われましたね、結婚相手に求める条件。
女性が男性に対しての、希望条件(願望かな)のことです。
高学歴、高収入、高身長、ふーんなるほど、わかりますねその理由。

日本社会では、高学歴は高収入につながりやすいから、これでひとつ。
経済的に余裕があるということは、子育てでも安心できるということ。
つまり、食べること(生存の必要条件)については大丈夫だとの保証なんですね。
高身長はね、それだけ健康(平均的によ)な証拠とみなされるのかな。
健康な肉体をもち、食料の心配もする必要がないということです。


種の保存を至上命題とする生物は、他になにを望むだろうか。
生物としての王道ではないですか、三高ってね、と結論づけられる。
こう考えると、三高っていろいろ批判されたけど、理にかなってる。
なんだかんだいっても、そこには自然の摂理が働いているんですね。

しかし、時代の急激な変化のなかで、まったく問題がないわけではない。
この丈夫で健康な肉体をですが、現代は事情がすこし変化してきました。
からだを蝕む細菌、ウイルスだけでなく、ストレスなんてのもあります。
健康を脅かす要因が、長生きとともに増えてきているんです。
それに対応して抗生物質などいろんな新しい薬が発見されてきました。
しかし、薬は細菌などの繁殖を抑えるだけ。
では、どうやって健康なからだを維持していけばいいのだろうか。
そこで、近頃では主流(?)となっているのが免疫力という考え方なんです。
最後は、からだの持つ免疫力の差が勝敗を分ける、というんですね。


じゃあ、免疫力を高めるにはどうすればいいのか。
いろいろあるんですが、
次回で、注目のあることとあることの関連を考察したいと思います。
【あることばかりで分からん、との疑問は一気に(?)氷解しますよ】

大寒過ぎて
また寒くなりましたね。
シベリヤから寒気団がやってきたのでしょうか。
これが北朝鮮からなら、歓喜団(喜び組)なんでしょうね。
なんて、つまらぬ冗談はさておいて。

寒さと風邪の緊密な相関関係はないそうですが、
インフルエンザともども世間では流行しているようです。

そこでいつもどうなのかなと思うのが、マスクなんです。
あれって、効果あるのかなあ。
あるとして、どういう効果があるのかなあ。
すこぶる疑問なんであります。
ウイルスを通過させない布なんてないだろうし、
気分的なものなんですかね?
それとも、自分の呼気を温かく還流するのかな。
それで、のどの温度低下、乾燥を防ぐ?

最近は、いろんな形状のものが出回っています。
なんだかカラス天狗を連想させるのもありますね。
「夜目、遠目、傘の内」なんて言いまわしもあり、
女性がつけていると、なんだか神秘的(?)に見えますね。

阿波踊りの編笠
アラブの女性のチャドル

なんてのもありますが、同じ視覚効果があるようです。
それで女性は、よく口元を隠しているのかなあ。


断絶とはこういう意味
前回はSD法は広告媒体で積極的に使われているという話。
では、もっと学問的にはどんなことを、が今回のテーマです。

「じゃあ、『SD法による世代間の断絶の考察』というのはどういうこと」
「言葉をSD法で評価してプロフィールを作成するという話をしました」
「そうよね、そこまでは分かるわ」
「ところが、このプロフィール、年齢層がちがうとガラッと変化する」
「そうなの」
「例えば、『国家』なんていう言葉は、ずいぶん違うだろうと予測がつくでしょう」
「そうよね、あと『義理人情』なんてのもそうかも知れない」
「同じようなものも、もちろんあります」
「そうよね、でないと話が通じないわね」
「そう、そこなんです」
「えっ、そうなの」
「同じ言葉で表現しても、違った意味で言ってるということがある」
「プロフィールがちがうって、そういうことね」
「逆に違う言葉でありながら、同じ意味であったり」
「そうよね、それもあり得るわね」
「そういうことなんだね、その通じないということが断絶なのではないか」

「なんとなくじゃなくて、実態はそういうこと?」
「そう考えられるのじゃないか、というのが結論です」
「へー、なかなかやるわね」
「もちろん、教授のご指導の下でしたが…」
「うふふっ、よく憶えてるわねえ」

「だから、若い人が言う『成功』なんて、どういう意味かなって」
「たぶん、お金儲けができることだったりして」
「それとも、有名人になるってことかな」

「そうよね、同じ日本語なのにね」
「そんなふうに考えると、言葉っておもしろいでしょう」
「そうね、また言葉の話、聞かせて」
「いろいろあるんですが、ぼくの記憶が…」
「そちらのほうが問題かもね」

SD法の利用
SD法のsemanticは意味のことです。
semanticsと複数形になると、意味論のことですね。
言語に関わる分野は、

  統語論(syntax)
  意味論(semantics)
  音韻論(phonology)


の三分野に分けられて考えられています。

さて、その意味を扱うセマンティクスなんですが、
いろんな手法がありますが…

「どういうことなの、むずかしい話は苦手だわ」
「分かりました、つい、人間が固いものですから」
「さあ、それはどうかしらね」
「まあそれはさておき、このSD法は身近でけっこう目にします」
「そうよね、アンケートに五段階で評価してください、なんて」
「新製品などの市場調査なんかにもよく使われますね」
「そうそう、ついプレゼント欲しさに書いてしまうわね」
「あれはなにをしてると思いますか」
「さあ、どういうことなのかしら」
「前に説明したプロフィールを作ってるんですよ」
「それはなんの役に立つの」
「例えば、広告を効果的にするためにね」
「どういうふうに」
「ある製品があり、それを消費者にこういったイメージで売り込みたい」
「そのイメージにあったタレントをコマーシャルに使うのね」
「そう、そのときにプロフィールが役に立つんです」
「どう使うのかしら」
「商品のイメージに合致したプロフィールをもつタレントを起用すればいい」
「なるほど、商品のプロフィールと同じプロフィールだと良いわけね」
「そのタレントのイメージが、商品のイメージになる」

「なるほどね」
「こうしたイメージを持たせたい、ってことでも使えますね」
「そういうことか、じゃあ世代の断絶ってのは?」
「次回は、そのことについて話し合いましょう」

あの震災から11年
今日は阪神淡路大震災から11年目の1月17日。
地震発生時刻の午前5時46分ころに目が醒めた。

いまでもそのときのことを憶えている。
真っ暗ななかで、食器棚が揺れてガラスの割れる音が、
ドスンと大きな音をたてて本棚が倒れる音が部屋に響いた。
その前のやぐら炬燵の天板に真一文字にひびがはいった。
ただ、息をこらしてふとんのなかでじっとしていた。

あれからもう11年が経った。
ヒトの記憶は、すこしずつうすれていくのだろう。
でも、妙にはっきりした記憶が残っていることも確かだ。
それは災害とかだけに限らないことなんだけど…。

会社の帰りに毎年のように三宮の東遊園地に向かう。
並んだ竹筒のなかでロウソクのあかりがゆれ、人々が行き交う。
飛び交っていた頭上のヘリコプターもいまはもう見えない。
静けさよりもこうやって人間臭く、雑然としているほうがいい。
賑やかなほうが、亡くなった人たちが微笑んでくれるように思える。

この時期 いつも考えるんだけど
生きてるぼくたちは なにができる?
日々の暮らしのなかで なにかをなしたろうか?
ほんのすこしだけ 反省してみたりするんだ


SD法
SD法(semantic differential method)は意味微分法などといいます。
言葉の意味を、細かく刻んで全体像に迫ろうというわけですね。
「好き-嫌い」などの反対語の対からなる評価尺度を使います。
よくアンケートなどで使われるので、見かけたこともあるでしょう。
「悲しい-嬉しい」、などの対になった言葉でものごとなどを評価します。

これを統計的に有意に処理できるだけのサンプル数を集めて、
因子分析処理を行って、プロフィールを作成するんです。
評価ポイントを折れ線でつないでいくとある形ができあがります。
これがその言葉なりのプロフィールと呼ばれるものです。
言葉によってそのプロフィールはもちろんちがってきます。
また、世代によっても微妙に違ってきたりします。

このプロフィールをながめているといろんなことが分かるんです。

例えば、なぜ世代間の断絶とかってあるのだろうか?
なぜ、ある年代はある言葉に過剰に反応するのだろうか?
コマーシャルになぜあのタレント・俳優を起用するのか?
そんなことを考えるヒントを与えてくれるんです。
すこし、じっくり考えてみるのも面白いかも知れません。


そんなことにこのSD法は使われているんですよ。
そこらへんのところはまた明日、お話してみましょう。

コミュニケーションの手段
どうしてもコミュニケーションと考えると言葉で、
と思いがちだけれど、実際はどうなんだろうな。
気がつかないけど、話してるとき身振りを加えていない?
おおげさな身振りのひとも、けっこういますね。

直立不動で話すのは、これまた至難の技です。
知らず知らずにからだが手が動いているものです。
本人が気づかないうちに、なされているんですよ。
身振り言語などと言われていますが、重要ですね。

言葉を補うように、強弱をつけるように働いている。
声も、イントネーションで微妙に変化するように、
身振りの違いで意味がすこしずつ違ってくるようです。
だから、相手の動きってけっこう見てるんですよ。

だから外国などへ行って言葉が通じないとき、
つい大げさな身振りになったりしていませんか?
あれで、けっこう通じたりすることってあります。
考えてみると、不思議なものですね。


でもジェスチャーは、タブー表現も多くあるので、
ところ変わればで、気をつけないといけないです。
知らず知らずのうちに、相手を侮辱していたりと、
大変失礼なことを表現していることがありますから‥


今日はこの辺で、SD法の話は次回にでも。

コミュニケーションって
意志の疎通を図る。
腹蔵なく話し合う。
ぶっちゃけ、どうなのよ。
腹を割って話し合おうじゃないか。


どの言葉をとってみても、文句はない。
文句はないのだが、どうも引っかかる。
果たして、これでうまくいってるのか。
もしかして、実際は悲惨な状況に‥

言葉に多くの役割を期待する現代では、
電話、メイルなどがコミュニケーションの手段だ。
話し合えば、分かるという含意のもとに、
日常生活がいとなまれている。

それでいいのだろうか。
話せば分かるなどと言いながら、
砂漠を旅するごとくに、彷徨っている。
そんなことがあるんじゃないか、とつい思う。


蛇足ながら、ぼくの卒業論文は、
「SD法による世代間の断絶の考察」
だったかな?
突っ込んだ話はまた後日、ということで。

オッカムの剃刀
オッカムの剃刀とは、
14世紀の神学者オッカムが立てた有名な哲学原理で、
「ある事柄を説明するのに、必要以上の仮説を立ててはならない」
というものである。

現代での使われ方としては、
「現象を同程度うまく説明する仮説があるなら、よりシンプルな方を選ぶべきである」
現代でも科学理論を構築する上での基本的な指針として支持されている。
まあ、科学者であれば常識なんですね。

で、ぼくたちの身近なことに適用するとどういうことになるのか。

「昨日遅かったけど、どこに行ってたの」
「昨夜かあ、仕事が遅くなってね、おまけに帰ろうとしたときに得意先からの電話さ。
なんとか終わったと思ったら、同僚からの飲みに行こうとの誘いがあってね。
行きたくなかったけど、たまには付き合わないと悪いと思ってね。
行ったら、べつの部署の連中もやってきててね、大いに盛り上がったな。
帰りがけに、麻雀をすこし付き合えって、帰りたかったけど仕方なくね。
おまけに、大負けしちゃって散々だよ」
「ふーん、昨日会社のYさんから電話あったわよ」
「えっ、Yと一緒じゃなかったんだよ。昨日はHとだったから…」
「そうなの」
「Yは、なにか言ってた?」
「いいえ、なにも…」
「ほんとに?」
「早く帰ったけど、具合でも悪いのかと思ったって」
「あれえ、あいつなんか勘違いしてるなあ」
「きっと、そうだと思うわ」
「…」


疑惑を招くようなことのないように、以後気をつけましょう。
こんなこと書いて、かえって疑惑を招いたかなあ。
(これってすべてフィクションですから誤解のないように)


でも、哲学っていいこと言ってるでしょ。
なにか役に立ったかな。

人生は不可思議
人生には経験しないと分からないことがある。
そんなことを若いときに聞いた。
それなら、ぼくたちはどうすればいいんだ。
と、そのころのぼくはいきりたった。


人生で経験できないことのほうが多いのではないか。
そんなことを知ってなにか意味があるのか。
確かにそう言えば、そうであるとしか言い得ない。
そんなことは分かった上での発言だったのだ。

そんなことが分かる年代になってきていた。
そこで、最近のぼくの身近で起こったことがある。
まったくそのとおりというしかない体験だった。
世界が変わるということはなかったのだが‥。


しかし、ものごとの見方が変化したようである。
他人事のようではあるが、そういう訓練をしてきたので、
こういった言辞をお許しいただきたい。
できるだけ、客観的にものごとを見るようにと。

結論から言えば、世界は複雑である。
複雑な世界のなかで、単純に考えるのは限界がある。
複雑をそのまま受け入れれば、案外単純に至る。
そんな思いがしているのである。

つまりは、人生には経験するに値することがあり、
それをひしひしと、しみじみと、身に沁みて感じたということ。
今夜はすこし酔っているのかも知れない。
酔うと本音が出る、とはだれか言いませんでしたか。


お裾分け
それでは、映像でのお裾分け。

まずは、かわいらしいピンクの花束、チューリップでした。
チューリップの花言葉
色によってさまざまな「愛」を伝える
ピンク……………「愛の芽生え」


20060110211605.jpg

なるほどね、インターネットって便利ですね。

ついで、デコレーションケーキ。

20060110211627.jpg

16等分にきれいに切り分けて、
ほんとうに久し振りにケーキを食べました。
甘さも控えめで、とてもおいしかったです。

花束を贈ってくれたYさん、ケーキのこころ遣いはK女史。
それから、集まって祝ってくれた友たちに。
遠く離れていても、暖かい気持ちのすべての仲間に。
ふたりから、ありがとうの思いが伝わり響くのだろう。
はるか夕焼けの空に鳥たちが帰ってゆくように…。


いいですね。
こんなとき、ほんとうに生きてきてよかった。
そう思えるのではないですか?


新年会
昨日は、台湾に単身赴任してるS氏邸で新年会があった。
久しぶりの帰国でもあって、友人がたくさん集まった。

メンバーのひとりが、再婚するという話になった。
その相手というのもメンバーのなかにいた。
30年来の知り合いのなかでのことである。
紆余曲折の人生のなかでの、カップル誕生である。
その発表で、会場は大いにゆれた。


どうしてそういうことになったのか?
いつから付き合っていたのか?
どうしていままで黙っていたのか?

矢継ぎ早の遠慮のない質問が飛び交う。
友になんの遠慮がいるものだろうか。
長い年月をくぐりぬけた友情は愛情へと変化したのか。

そうこうしていると、花束が届いた。
来れなかった友人からのお祝いのもの。
ケーキも用意されていた。
「いつまでも、お幸せに」のメッセージを添えて。


人の世の中で、友情が身にしみるひとときである。
彼らに幸あれと、言わねばなるまい。

で、彼らってだれのこと?
それは‥


ぼくの雑記ノートより(2)
ノートを読んでると、こんなメモがあった。

 現在から過去に遡っていくと、
 人類の誕生の六〇〇万年前、
 生命の誕生の三八億年前、
 地球誕生の四五億年前、
 太陽系の誕生の六〇億年前、
 そしてすべてのはじまりの一五〇億年前のビッグバン。

なんという気の遠くなるような時間だろうか。

 地球上に生命が誕生したのは三八億年前のことと考えられている。
 これまでの生物の歴史を一年三六五日に換算すると、

 地球上に生命が誕生したのが三八億年前 = 一月一日
 大気中に酸素が現れたのが二〇億年前 = 七月二日
 真核生物が誕生したのが一八億年前 = 七月二二日
 多細胞生物が現れたのが六億年前 = 一一月四日
 恐竜の誕生を二億五〇〇〇年前とすると 一二月八日
 哺乳類が現れたのが二億年前 = 一二月一二日
 原人が現れたのが一〇〇万年前とすると 一二月三一日午後九時四〇分
 文明が発生したのが二万年前とすると = 一二月三一日午後一一時五八分
 産業革命は二〇〇年前 = 一二月三一日午後一一時五九分五八・四秒
 宇宙時代は四〇年前 = 年の替わる〇・三秒前


ヒト(原人)が地球上に現れ、文明発生以来二分足らずで、破壊しつくすのか。
一年のうちのたった二分で、とはだれしも考えも及ばなかったかもしれない。
なんたることだろう、と慨嘆する以外になにかあるだろうか。


そういえば以前、『地球がもし100人の村だったら』なんてのがありました。
その当時、ぼくはあまりの素朴さに苦笑いしていました。
さて地球号、どうなっていくのでしょうか。


決まって見る夢
年末から風邪気味で、おまけに嫌な咳がでて…。
なんとか、予定(?)はこなしたけれど、
なんだかからだがだるくて、しかたがない。

昨日も夕方まで横になっていると、いつか眠っていた。
そんなときに、得てして昔のことを夢に見る。

そんなとき、よく見る夢は、
若い頃に旅してる夢だ。
見慣れた町を、ぐんぐん歩いている。
懐かしい顔が、どんどんと現れる。
どの顔も笑顔ではちきれそうだ。

ふと、あのひとはどうしたのだろうと思う。
だれに尋ねても、みんな首を横に振る。
急に不安な気持ちになってくる。
あたりかまわずに歩き回っては、路地で行き止まる。
振り返ると、そこには真っ赤な夕焼けの空がひろがる。

いつしかひとりぽっちで、立ちつくしている。
きまって、そのような夢を見る。


目覚めたあとも、
ただぽつねんと取り残された、
もの哀しいような気分がいつまでも残っている。

今年もよろしく
今年はこんな言葉で始まりました。

「あけましておめでとうございます」
「おめでとうございます」
「今年もよろしくお願いします」
「おめでとう」
「おめでとうさん」
「よろしくね」
「おめでとうございます」
「‥‥」


「ありがとうございます」

って、分かる?



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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