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続・名前表記の不思議Ⅲ

2006-02-26 | 22:11

論理的に物事を進めてゆくのではないのです。
想定される結果への道程を優先させるのです。
だから、正義を掲げて議論するようなことはありません。
大義名分は、分が悪いのです。

だから往々にして、正義は後からやってくるのです。
正義など議論上のレトリックです。
大義名分を掲げて論を張るとき、人は相手を警戒の眼で見るのです。
なにか必ず、底に隠れた意味があるのだろうと。
あるいは、何かから眼を外らそうとしているのではないか、と。

だから、外国が日本を見るとき、奇妙な違和感を抱くのは当然です。
思考の筋道の立て方が、初めから違っているのですから。
日本人は論理的ではないという非難は、
彼ら(欧米人)の倫理意識を是とした上では正しい。
日本人の意識のなかでは、論理的は現実的、実際的の下位概念でしかありません。
ですから、議論はなにを優先して行われるかは、日本人のうちでは自明です。


このことが自明であるために、
外国人が、なぜそのようなことを声高に言うのかが、分かりません。
理解できないから、表面的に取り繕った行動をとったとしても、意識は同じです。
反って、不可解なままの不信感さえ抱いてしまう悪循環に陥ることになる。
溝は、大きく深く開いたままで、紙で蓋をしただけのような状態だから、
辛うじて悪臭だけは防げるということでしょう。


このまま、こんな名前表記で進んでいくのでしょうか。
第三者的に興味をもっていることは、事実ではありますが…。
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