ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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こころに残るもの
深夜の我家に帰り着いて、Tともども第一声。

「あ~あ、疲れたなあ」
「どうしてなのかな、疲れたね」
「精神的なものかな、でも楽しかったな」
「うん、とてもうれしかった」

いただいた物や、なにやかやをテーブルの上にならべる。
眺めているだけで、またみんなの笑顔がよみがえってくる。

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みんなのメッセージを読んでるうちに、
しんみりとしてくるのは、自然な流れだろう。

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おじさんの挨拶が思い起こされた。
すこし上を向いてしばらくの時間、絶句しているかのようで。
こころのうちに浮かばない言葉はけっして口にしない。
懐かしんでいるようで、感慨に耽るかのようで。
「ほんとうに、よかったのう~」
のことばが、すべてを表現していた。


あまたいる人たちのなかで、ふたりが出逢った不思議。
その不可思議を、できうる限りたいせつにしていきたい。


まだひとり身の方たちに、
たおやかな幸が訪れんことを!


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ブーケとコサージュ
せっかくのハレの席じゃないの、ということで。
Wさんが、ブーケとコサージュを用意してくれてました。
なんだか恥ずかしくて、でもとてもありがたくて…。

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このブーケとコサージュ、なかなかの優れものなのです。
光触媒作用により、部屋の消臭効果もあるとか。
(いまは、おじさんとおばさんの写真の横にあります)
(この写真も、以前にねこまるさんからいただいたものなのです)

こんなふうにいろんな人から贈り物をいただきました。

それから、これはなにか分かりますか?

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Rちゃんがぼくの席までやってきて、
『これはね、M島のおばさんが育ててた菊だよ』と。
「そうか台所の裏の斜面の畑で育てていた菊の子孫(?)か」
『わたしがもらって帰って、挿し木して育ててたの』
「ぼく、育てる自信がないなあ…」
『だいじょうぶ、もうひとりじゃないでしょ』
「そこが、余計に心配で…」
「こらあ~」


ほかにも、いろんなものをいただきました。
そして、あたたかいみんなの気持ちがジーンと響いてきます。


宴始まる
間仕切りのふすまを取り払った畳敷きの大広間。
こちらから向こうの端は、はっきりとは見えないほど。
まるで映画のような一場面である。
果たして、ぼくたちが主人公でいいのだろうか。

遠くは東北のH県、九州はO県からも来てくれた。
最初は、20名くらい来るのかななどと思っていたのだが、
なんと40名を越えての参加、ありがとうございました。

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そう思って眺めていると、いろんなことを思い出す。
彼とはひさしぶりだなあ、などとひとり感慨に耽っていると、
Tがあの人はだれ、などと聞くのである。

「もしかして、みんな知ってるの?」
「当たり前じゃないか、知らない人いる?」
「それはそうよ、ムッシュみたいに放浪してませんから」
「放浪じゃないよ、魂の彷徨といってほしいな」
「はいはい、分かりやした」
「でも、ぼくたちは幸せものだ」
「それは、ほんとうにそう感じるわ、こころの底からね」
「これで、また別れます、なんてことになったら…」
「絶対になりません」
「いや理論的な可能性としては…」
「ありません」
「…」


(人類は女性の強靭さ、柔軟性で現在まで生き延びてきた)
(母系社会日本はこれからも、そうして未来永劫に…)
(早くも将来を暗示するかのような会話であった、のだろうか)


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花月園 福家
曇り空の下、途中Wさんと待ち合わせてH電鉄で京都へ。
特急になんとか座れて、ふたりが話すのを聞きながら、
ぼくは窓の外をつぎつぎと過ぎ去ってゆく景色を眺めていた。

四条大宮の古ぼけた駅で乗り換える頃には小雨が降りだしていた。
K電鉄は、ちょうど市電のような一両編成の電車。
一般道路を横切ったりしながら、一路嵐山方面へ。
車中は座席がほぼ満員で、ぼくたちは吊革にゆられながら。

途中「帷子ノ辻」(読めますでしょうか)などという懐かしい駅を過ぎ。
ゴトゴトと路面をならせながら、古都を走るのもこころよい。

今日は、Tとぼくを祝福しようとT夫妻がお骨折り。
会場は、嵐山近くの嵯峨にある「福家」さん。
こんな京都らしく落ち着いたたたずまいの料亭でありました。

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玄関で若女将が、手をついてのお出迎え、いたみいります。
さて、宴はどのように進行してゆくのだろうか。

呪術的?
だれでもなにかひとつくらいは、そういうことがあるだろうな。
とりたてて言うことでもないけれど、なぜかそうしてしまう。
そういったことって、ふだんは気がつかないのだが、
あるとき、ふと思い当たって、苦笑せざるを得ない。

それは、階段を上るときの若い頃からの習慣である。
階段を一段とばしに上っていくのだ。
足が痛いとか、疲れてへとへとだとかでない限りは。

同じように軽く駆け上るときもあれば、
ゆっくりと踏みしめるように上るときもある。
しかし、かならず一段とばしであがってゆくのだ。

あるときそんな癖に気がついて、自分で自分が可笑しかった。
一段ずつはまどろこしくって、どうもいやだ。

だれでも、こんな癖があるのではないだろうか。
例えば、横断歩道を大股に渡っている人は、
きっと、白線から最後まではみ出すまい、としているのだ。


ニ-10
都会に生活していると、いろんなものにもでくわす。
今朝は、こんなものにでくわした。

道端にデンと鎮座ましましてました(舌噛まないように)。
すこしくたびれた、ロッカータンス。
左の肩に紙が貼ってあり、ニ-10と書いてある。

続いて、自転車がある。
こちらはキ-57、まだ十分に乗れそうな感じである。

ここK市では、大型ゴミは事前に市に届け出ないといけない。
そうすると、番号が割り振られて、貼っておくと持っていってくれる。

しばらく前まで、道路わきに大きなベッド用マットレスがあった。
それが今朝気づくと、なくなっていた。
やっと、届けが出たらしい。
届けがないと、いつまでも放置されたまま。

缶、ビン、プラスチック等、実はまだよく理解していない…。

たそがれどきに読書
読書する光景ってのは、ぼくの場合、こうだ。
夕暮れに染まりはじめた空の見える窓辺での読書。
本を読むというよりは、ぼんやりと遠くの空を眺めている。
なにをか思わん。

「立ち飲み屋」立ち飲み研究会 ちくま文庫 ★★★
若い頃はよく行った。酒屋の一角の立ち飲みからアイリッシュパブもどきまで。
この本は東京の立ち飲み屋のレポートなのだが、いろんな人がいるものだ。
それがまたおもしろいのだが、こればかりは経験しないと分からない。
飲むときのつまみの定番といえば、すぐ思い浮かぶのが焼鳥だ。
九州はI市の焼き鳥屋で見たメニュー、いまでも憶えている。
「大三元」(その中身は、ハク、ハツ、すずめ、なのでした)。

「震度0」横山秀夫 朝日新聞社 ★★★
警察という官僚組織の、キャリア、準キャリア、ノンキャリアの人間模様。
むずかしいんですよ、キャリアでも出身学校によって、またちがう、とか。
微妙なのは準キャリアですね、ちょうどコウモリのように、どっちつかず。
ネズミなのか鳥なのか、悩みは果てしなく…。
人間の順応性は大変なものだなあ、とはいつも感心する。
お金がなければないなりに、あればあるなりに生活ができるもんだ。
だけど、あるからないへの移行は、どうもうまくいかないことが多いようだ。
これを不可逆的現象(?)ととらえるのは、いかがなものだろう。

「死体が語る真実」エミリー・クレイグ 文春文庫 ★★★★
人間の体は、死んだあとは、固い部分と柔らかい部分に区別して扱われる。
柔らかい皮膚や筋肉、内蔵といった〝軟組織〟を担当するのが法病理学者。
固い骨が専門なのが法人類学者というふうに分かれている。
法人類学者の彼女の経験は、ミステリ顔負けの謎がみちあふれている。
ニューヨークのワールド・トレードセンターでの経験の悲惨さ。
人はそうしたことに慣れることができるのだろうか、否できないのである。
一片の骨から、その身元をつきとめてゆく話は、ミステリをこえている。
まさに「事実は小説よりも奇なり」、だとあらためて思わされる。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

サラリーマン?
都会に生活していると、いろんな人にでくわす。
そう、藪から棒のように、でくわすのだ。

今朝も通勤電車にゆられ本など読んでいると、
目の端にちぐはぐなファッションの男性がいるのに気づいた。
まあ、とくに問題ないといえばそうなのだが、どうにも気になる。

どんな服装なのかというと、

濃紺のスーツ (これは、ふつうのビジネスマンのかっこう)
シャツはうすいブルー (これもありふれたもの)
ネクタイはしていない (最近はクールビズでしない人も多い)
髪型は不明 (なぜなのかは、次の行で判明する)
なぜか (ここが違和感があるのだが)
アウトドアふうのキャップ(つまり帽子だな)を目深にかぶっている。


世間を避けているようなのだが、目立っている。

しかし、車内の連中はなにごともなかったかのような雰囲気で、
終点の駅に着くと、足早にどっと降り立っていった。

もどり梅雨
朝からしとしとと雨が降っている。
雨のせいか、温度も下がっているようで過ごしやすい。
(このあたりは微妙で、うっとおしいく感じる人もいる)

こんなとき思い出す。
六月十一日はM島のおばさんがなくなった命日。
もう三年が過ぎてしまった。
記憶によみがえるのはこんな光景。

あなたはどうしてそんな冗談が思いつくのかしら、って、
すこし笑いながら、でも困った子だわねというように、
眉根を寄せる雰囲気も漂わせている、台所でのおばさん。

ぼくがミーティングの司会をしてると、
台所へ通じる狭い通路のガラス戸の陰から、
こっそりと、ぼくが気づかないように覗いている。

おじさんと口喧嘩しながら、ちらっとこちらを見るので、
ぼくはことさらに困った顔をすると、
おじさんともども笑いだしたりして、おしまい。

夫婦喧嘩は犬も喰わないというけど、
ぼくは、よく喰ったな。


温度差
よくあることだが、暑くてクーラーの温度をさげる。
と、紛争がもちあがるのだ。

「寒いんですけど…」
「えっ、なにが」
「クーラーが冷えすぎみたい」
「ぼくは暑いんだけどな…」
「冷え性になってしまうわ」
「赤ちゃんの産めない身体になってしまうかも…」
「そんなオーバーな」
「そのときは、責任とってくれますか?」
「そんなあ…」


しかたなく、またもとの温度に戻すのである。

同じ部屋にいて、片方は寒いといい、いっぽうは暑いという。

「だいたい女性は寒がりだな」
「男の人はどうしてああも暑がるのかしら」
「うーん、皮下脂肪の差かな」
「どうして、そういうこと言うの」
「いやあ、豊満な肉体という意味で…」
「それって、ルノアールの描く女性?」
「……」


(鋭いのである)

A温泉へ
家から近いからこそ、あまり行ったことがない。
日本でも屈指の温泉地である。
豊臣秀吉にちなんで、太閤の湯などと呼ばれています。
(最近のことですが…)

土曜日だし、そんなに混んではいないだろうと…。
ネットで調べると無料駐車場があったので、一路そこをめざす。
地元商店会の運営する駐車場で、ここは元テニスコート(?)。
そこから、中心部まではこんなバスでの無料送迎あり。
(加盟商店で千円以上買い物すれば、駐車場代は無料なのです)

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まず、温泉の源泉に行ってみます。
訪れる人もなく、森閑としておりました。

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そこからすこし下って「銀の湯」に入ることに。
ここA温泉では、金泉(茶色の湯)・銀泉(透明の湯)があるんです。
料金の違いにも注目してください。
金泉はバス停から近いので混雑するだろうと…。

IMG_0845.jpg

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思ったとおり、ゆったりと湯につかれました。
あがって休憩していると、登山帰りの人の群れが次々と。
そう、ここはR山系の山歩きの帰りに立ち寄るところでもあるんです。
その昔、ぼくもよく利用したものでした。

(いまは、建物も新しくなっています)

挨拶
会社の社訓だか目標なんかに、よくこんなことが書いてある。
「一日のスタートは、明るい朝の挨拶から」
「挨拶がつなぐコミュニケーションの輪」
などなど…

でもね現実はというと、役付きになるほど挨拶しないなあ。
とくにね、目下の人間に対してしないんだなあ。
あれって、どういう心理なんだろう。

日本人てのは、挨拶を目下から目上へのものと思ってる(?)。
挨拶はコミュニケーションの潤滑油、という考えがないのか。
であるからして、目下にはぞんざいな態度で接する。
逆に、目上には慇懃、媚びへつらう雰囲気が漂う。

とこういうふうな意識が残存しているのかな。
朝いちばん、気持ちよく仕事したいものです。
元気に「おはようございます」と守衛のおじさんに言えば、
にっこりと「おはようございます」と返してくれるのに。


こう挨拶するのも、すてきな先輩を見習ったなごりなんですが…。
やっぱり、だれかの背中をみて歩いてきてるんです。

トイレ掃除
今日は水曜日、会社の早朝掃除の日です。
いつもより30分早く出社して、全員で分担してします。
これも、バブル崩壊以降の経費削減策の一環で始まりました。
これで年間ウン百万円の経費が浮くらしいです。

今月はトイレ掃除の担当になりました。
それで思い出すことがあります。
若いとき勤めていた会社で、常務からいつも聞かされた話。

「初めての会社へ行ったら、かならずトイレを借りること」
「トイレを見れば、その会社のおよその状態が分かるもんだ」
「会社は、そういうところから判断するんだ」
「汚れやすいところをどう処置しているか、だな」


なるほど、と聞いた記憶がある。
美人も、彼女の部屋の様子で本質が分かる、と判じた。

よく見てると、掃除のしかたにその人の本質が表れてる。
ふだん偉そうなことを言ってる人ほど、掃除はおざなり。
育った家庭の状況なども、手にとるように分かります。

読書は楽しい
本を読んでると、ときに自分の周りの世界を忘れ去ってしまうことがある。
電車のなかで吊革につかまりながら読みふけって、何度乗り過ごしたことか。
こんなとき、脳はどのような状態になっているのだろう。
エンドルフィン充満の、忘我の境地なのだろうか。
いずれにせよ、浮世の憂さを忘れさせてくれるひと時ではありますな。

「メルヘン誕生」高島俊男 いそっぷ社 ★★★★
副題に、向田邦子をさがして、とある。ぼくも好きな作家である。
『向田邦子の文章は男の文章である。
一つ一つのセンテンスがみじかく、歯きれがよい。
言いきってしまって余情をのこさない。
余韻たっぷり、とか、情緒纏綿、とかいうところがない。
そうした調子を、意識して排除している。
男の文章と呼ぶゆえんである。』
その反対に長い文章といえば、谷崎潤一郎が思い起こされる。
なんとなく性格まで推し量れそうで、でもそう単純ではないとも思えて…。
作家は、そう思わせようとたくらむ者ではないだろうか。

「脳と創造性」茂木健一郎 PHP研究所 ★★★★
『何かを喋ったり、書いたりするといった運動出力をする大脳皮質の
運動野や運動前野を中心として構成される「私」と、その運動出力の結果を
知覚する大脳皮質の感覚野を中心とする私」は、別の「私」である。
……
何かを表現するということは、
必ずしも他者とのコミュニケーションだけを目的をするのではない。
何かを表現するということは、実は、自分自身とのコミュニケーションでもある。
運動出力をする「私」と、感覚入力を受ける「私」は、異なる「私」なのである。』
確かにそう思えるから、不思議なものです。
エルキュール・ポワロのように、灰色の脳細胞をおおいに働かせたいものだ。

「唇を閉ざせ」(上)(下)ハーラン・コーベン 講談社文庫 ★★★★
ひさしぶりに手に汗にぎって一気に読みきった、サスペンス・ミステリ。
八年前に殺された妻エリザベスからと思われる謎のEメイルが届く。
抜け殻のように生きていたベックは、一縷の望みを抱き過去を調べていく。
貧しい地区の医者として生きているベックに、次々と事件が襲いかかる。
はたして、エリザベスは生きているのか、悪質なイタズラ(?)か。
いろんな人物が入り乱れて、事件は意想外な転回をとげていくのだ。
これは是非他の作品も読まねば、と思わせる一篇でありました。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

続・携帯電話の女
今朝も例によって彼女が携帯電話を耳にあてながら歩いてくる。
注意してみていると、話すよりはじっと聴いている態である。
小首をかしげるようにして、電話機を耳に押しつけている。

すこし歩くスピードが落ちたようだ。
彼女の脇を通り過ぎるとき、洩れてきた言葉に注意をひかれた。
短いセンテンスながら、日本語ではない。
地方の方言というのでもなさそうだ。

では、何語で話しているのだろうか。
しかし、これが小声でよくは聴き取れなかった。
韓国語か広東語か、そのあたりの感じだが…。

してみると、遠く離れた家族との唯一のきずな。
携帯電話もそんな任をになっていることになるな。
そう思うと、また彼女がちがって見えてきた。



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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