ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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人間ドック・二日目
ホテルから病院まではタクシー(チケットが支給されてる)での移動だ。
なんと朝から個人タクシーの運転士さんは饒舌である。
こちらにしゃべる機会も与えずに話し続ける。
長年の経験から、乗せた有名人の話を物まねで再現してくれる。
それが、なかなか玄人はだしである。
「桂南光」の物まねで病院までの時間があっというまであった。
タクシーを降りてほっとするとともに、思わず溜息がでた。

3407港

まず、甘い検査液を飲んで糖分値の測定が時間ごとに行なわれる。
尿と同時に血液の採取がある。
看護士さんが若いので、なかなかうまく採血できない。
終わる頃には、腕に痣のような紫の紋様が残っていた。
しかし、こんなことはどうということはない、頑張っていい看護士になってください。

さて今日の最大の難関、内視胃カメラによる検査がある。
検査台の上に横たわって画面を見ながら余裕でといいたいところだが、
カメラが身体の中にはいっていく途中で何度もおえっと吐きそうになる。
目尻からは涙がにじんでくる。
終わったときには、ほんとうにほっとした。

検査結果が出るのは二週間後ぐらいとのこと。
辛くもあり、のんびりともできた二日間。
いい経験をさせてもらいました。
まあ、年に一度のことですから。

3408メリケンパーク


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人間ドック・初日
ドックという言葉は、小学校の社会科の時間に習った。
大きな船を建造したり、修理・検査するときに使う。
この街には造船所がたくさんあったから、間近で見る機会もあった。
「浮ドック」「乾ドック」などと種類があることも知っている。

今回はわが身を船にみたてて、検査してもらうことにした。
一泊二日での、のんびりした時間がもてるという趣向(?)である。
会社での健康診断は毎年受けていたが、この人間ドックは初体験である。

3374病院

昼過ぎに病院に到着、受付を済ませて人間ドックのフロアへ。
ロビーのような部屋にはすでに多くの人たちがいて体操をしていた。
まずロッカールームでトレーニングウエアの上下に着替える。
そしてそれぞれのファイルを渡されて各種の検査を渡り歩くというわけだ。

四時頃には今日の検査は終了。
今夜はメリケン波止場にあるホテルに宿泊する。

時間が早いので、あたりを散歩することにした。
なにやらアニメに登場しそうな船舶がみえる。

3386疾風

3389ヤマト

陽だまりでは、猫が気持ちよさそうに眼をつむっていた。

3396ネコ

明日も検査があるというのに夕食では食べ過ぎた。
このバイキング・スタイルなるものは、どうもいけない。
(どちらかというと、カフェテラス・スタイルというほうがあっているのだが…)
人間の欲望を嘲笑うかのようなフロアのつくりになっている。
しかし、ひさしぶりに食べたタンシチュー(?)が旨かったのだ。
さすが、ホテルのコックが作ったという出来でした。

3404ホテル


読書の内容
読書といってもどんな本を読むのかは人によって千差万別である。
お互いの趣味(?)が読書だからといって、話があうとは限らないのである。
読書が趣味だというと、たいていは小説類を読むことを指すのらしい。。
そんなことに気がついたのは最近のことである。
なぜか話がうまく噛み合わないと思ったら、そういうことだった。
学生のころはけっこう小説類も読んだのだが、世の中には不思議な現象が多すぎる。
最近では小説といえばミステリぐらいで、それも全体のせいぜい二割にも満たないのである。

「なぜ記憶が消えるのか」 ハロルド・L・クローアンズ 新潮OH!文庫 ★★★★
脳神経内科医のクローアンズは、オリバー・サックスとともに有名な人である。
彼のもとを訪れる患者の症状、病例を通じていろんなものが見えてくる。
それはもちろん、ヒトをヒトたらしめているものとはないかに戻ってくる。
『神経学分野のそれぞれの専門家を評した決まり文句がある。
それはこうだ。
神経内科医は多くのことを知っているが、ほとんどなにもできない。
神経外科医はほとんどなにも知らないが、多くのことができる。
神経病理学者は、すべてを知っている。
ただし、だれかがなにかをするには、いつも一日遅れで。』
どの分野が重要である、というようなことはないのであろう。
しかしそうは考えない人が多いことは現実によくみかけることだ。
『そして、治療法の開発は進んできた。ドーパミンは単純な化学物質である。
選ばれた細胞によってのみ作られる。
この細胞が、パーキンソン病では機能しなくなるわけだ。
ならば、体内にあって同じ化学物質を作り出せる他の細胞を取り出して、
それを脳に入れたらどうだろうか?
単純にして、まったく革命的なことだった。
現在、この方法は「体内移植」(implantation)と呼ばれている。』
ヒトの再生能(?)はまだまだ高められていくのだろう。

「千鶴子には見えていた!―透視は、あっても不思議はない」
 竹内久美子 文藝春秋 ★★★

いろんな疑問に文藝春秋紙上で回答をする文章を集めたもの。
最初の著作が日高敏隆氏との共著でした、よく記憶しています。
今回はイラスト(イラストレーターは寄藤氏)にも注目してみた。
なかなかピリッとした味わいがあります。
あるイラストについたキャプションは下記のごとく。
『「あなたはわたしにとってワクチンみたいな存在なの。」
「それってどういう…」
※なんとなく聞こえはいいが、よく考えるとヒドイ言葉。』
なるほどね、しゃれているし煙に巻くようなところがあります。
理解できない方は、以下の文章をよく読んでください。
『ワクチンとは、病原体を何らかの方法によって、
投与する人間を発病させることがない程度に弱らせて接種する(生ワクチン)。
 あるいは、ジフテリアのように細菌の毒素が問題になるケースでは、
無毒化した毒素(トキソイド)を何回か接種する。
 すると、発病はしないが、その病原体や毒素に対抗する抗体をつくる準備ができ、
本当の病原体や毒素が侵入してきたときの抵抗力を持つことができるのです。』
なお、書名の千鶴子は上野千鶴子女史とはまったく関係がありません(念のため)。

「12番目のカード」 ジェフリー・ディーヴァー 文藝春秋 ★★★★
車椅子の捜査官、リンカーン・ライムシリーズの六作目である。
上下二段組の活字で、全523ページからなる長編ミステリで、読み応えがある。
ハーレムの高校に通うやせっぽっちの16才ジェニーヴァ・セトルを中心に事件が起こる。
そんな彼女が博物館で調べものをしている最中に暴漢に襲われるが、
とっさの機転で間一髪の危機をすりぬける。そして現場にはレイプパックが残されていた。
そのなかにあった、一枚のタロットカードはなにを意味するのか。
誕生から人生までを象徴するという大アルカナの12番目のカード”吊るされ人”である。
ストーリーとは別に、ライムの身体はこれからどうなっていくのか。
やがてすこしずつ喪った機能を再獲得していくのか、興味深いところである。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

旅の夜は更けて
「なばなの里」はまだ寒かった。
しだれ梅の木も蕾がまだ堅い。
だがしかし、温室の中は別世界である。
天井から重力にともなって垂れ下がる花々が咲き誇る。
こういう世界にいると、外界のことを忘れてしまう。

3338花々

花が咲くのは花粉を受精してくれる昆虫などを惹きつけるため。
その色も虫たちが誘われるものであるのだろう。
匂いもそうだが、ヒトもなぜか引き寄せられる。
暖を求めてでもあろうが、温室内は多くの人々でにぎわっていた。

夕暮れると、園内のイルミネーションが光を放つ。
来園者の口から思わず歓声がもれる。
冴え冴えとした夜の闇に浮かぶイルミネーション。
光のトンネルはメルヘンの世界のようだ。

3345池

3348星の河

寒さに凍えたからだを園内にある温泉でほぐす。
露天風呂は夜のほうが落ち着くものだ。
かなたに光る星をと思っていたら雪が舞い降りてきた。
なんともはや、いかんともし難し。

NKさんの(今日、初対面でした)家の二階でくつろぐ。
いろんな話に花が咲いて、気がつけば午前四時過ぎ。
こうした友をもつことができるのは、なににも増しての僥倖といわねばならない。

旅ゆけば、雪の降る
土曜日から友人夫婦とライトアップ光景を見物にでかける。
なぜだか知らないのだが、連れだって旅立つと必ずといっていいほど雨に遭遇する。
日本ってこんなに多降雨地帯だったのか、といまさらながらに気づかされる。
まさに水の惑星のなかの、水の國ならんや。

こういう現象をさして世間一般では「雨男」あるいは「雨女」がいるというらしい。
誰もがその事実(?)を統計的数字で説明するわけではない。
しかし、説明できるものは理路をたてる、というのがわが信条なのである。

3279初梅

そこで、過去の旅行を調べてみた。
2004年から2008年の今回を含めて、17回(宿泊を伴うもの)あった。
(こう数字をあげてみると、けっこうよく行ってるものだと感心する)
そのなかでも、よく憶えているのが信州旅行だ。
過去に夏七月に3回、秋十月が1回である。
二泊三日で過去四回、いずれも途中で雨が降った。
二回目の信州妻籠宿では、それまでの晴天が一転して土砂降りになった。
直島行も帰りのフェリーに乗ってるときだけ雨が降り続いた(ほんの十分あまりなのに)。

で結果、降らなかったのは一度だけである。
それも国内ではなく、バリ島でだけ(やっぱり神通力も海外までは…)。
降水確率(?)94%でありました。
世の中の偶然とは、あるものである。

今回は、途中の山越えで吹雪にあった。
自然、畏るべし。

続々・札幌のひと
よく考えた結果、短大はやめることにした。
これからは自分で働いて生活していこうと思う。
そのために、仕事も探すつもりだ。
選り好みはできないし、どんな仕事でもかまわない。
とりあえず、自活できるようになることが先決だと思っている。

そんな内容だった。
やっぱり、学校をやめたのか、もうすこしで卒業だったのにな。
手紙の内容だけでは計り知れない事情があるのだろうとも察した。

しばらくしてきた手紙にはこうあった。
いろいろと考えたけど、夜の仕事についた。
キャバレーだかナイトクラブで歌を歌っているのだという。
マネージャーがいい人で、仕事もなんとかやっていけそうだ。

どこか、危惧も感じたが遠く離れているぼくにはどうすることもできない。
せめて近くにいるなら、様子でも見に行っただろうが…。
頑張って、自分がやりたいことをやってほしい。
いつかまた違う仕事がみつかるかもしれないしな。
歌手がいけないというんじゃないよ、でも誘惑の多い世界だからしっかりな。

そんなふうに手紙をやり取りしていたのだが、あるときこう書いてきた。

やっぱり夜の仕事はやめることにした。
そうなるに至る経緯がぽつりぽつりと書かれていた。
マネージャーが好きになったのだという。
それはそれでいいのだが、じつは別の事情があった。
彼女のお姉さんがそのマネージャーと付き合っていたらしい。
結果的に、お姉さんが捨てられるみたいなことになった。
そしてお姉さんは自殺を計った。
さいわい、一命は取り留めたが…。
こんな状態で彼と付き合っていくことはできない。
こうなったからには、わたしは二人の前から身を引く覚悟だ。
故郷に帰って、静かに暮らしたいとも思うがそれも無理だろう。
きっと、札幌でのことが知れ渡っている。
そんな土地で生活することは苦しくてできない。

そんなことが便箋に何枚にもわたって書かれていた。

その後もときおり手紙がきていたが、数ヵ月後にはそれもぷっつりと途絶えた。

いまも元気にいるのだろうか、とときに思うことがある。
その後、彼女はどんな人生を歩んだのかを知るすべもない。
いまは穏やかな暮らしをしていることを願うしかない。
もしも再会することがあったなら、お互いにどんな言葉をかけあうのだろうか。

雪に白くなった山を眺めていると、彼女の名前が浮かんでくる。
「けいこ」さんといったが、幸せになっただろうか。

続・札幌のひと
あくる日ふたたび会って、いろいろと話をした。

学校のこともあるけど、ほんとうは家を出たいのだ、という。
初対面の人にこんな話をするのは非常識かと思われるかもしれないけど…。
でも昨日の集まりに来た人たちを観察していて信頼できると思ったんです。
だからこんな話もしているんだと思います。
あなたにとっては、たいそう迷惑なことでしょうけど…。

ぼくはあわてて、そんなことはないですよと言った。
こころになにか苦しいことがあれば、話したほうが楽になるから。
ぼくが相手ではいい考えなんか思いつかないし、頼りないけどね。
話を聞くぐらいなら、あっ失礼、そういう意味じゃあないんだけど…。
あなたの話、真剣に聞いていますよ。

そんなに急いで弁解しないでも、分かっていますよ。
ごめんなさい、わたしっておかしいですね、自分でもそう思います。
だけど、どうして神戸に来たのかしら、自分でも分からないんです。
おまけにこうして見ず知らずのあなたを相手にこんな話をしたりして。
なんだか不思議な気がします。

そういって、じっとなにかを考えているようでもあった。

結局、いちど札幌に帰ります。
そして、これからどうするのがいいか、自分なりに考えてみます。
いろいろとお世話になってありがとうございました。
と、はじめて明るく笑った。
ぼくもなんだかほっとして、頑張ってくださいね、とあたりさわりのない挨拶だ。

別れ際に、手紙を書いていいですかと言った。
いいよ、住所はこれだからといってメモを渡した。
そのメモをバッグに入れると、まっすぐに駅に向かって歩きだした。
後姿を見守りながら、元気になってくれればいいがなあと思うばかり。

ぼくの悪い癖なのだろうか。
いつも所在なさげにしている女性をみると、つい声をかけてしまう。
華やかににぎやかに輪の中心にいる女性には興味がない。
というよりは、寂しそうな(勝手にそう思っている)ひとには誰かが声をかけるべき。
なら、ぼくがかけても問題ないのではないか。

でもね、それって誤解されるんじゃないのか。
と友人はいつも言うのだが、それなら余計にぼくがと力みかえるところがあった。
女性との付き合いはね、引き際がむずかしいんだよ。
そこんところ、よくわかってるんだろうな。

あたりまえだよ(といいながら、まるでわかってなかったというか、分かろうとしなかった)。
よく考えもしないで、ただそう思っていた節がある。

数日して、彼女からの手紙が届いた。

札幌のひと
もう三十年以上も前のことだ。
札幌冬季オリンピックを来年に控えていたので時期をよく憶えている。
ひょんなことから、ある女性と知りあう(?)ことになる。

ある日のことである。
短大生のNさん(M島の二女)がマンドリンクラブの演奏会に出るという。
じゃあ見物がてらにでも集まらないか、と声がかかった。

三々五々、今は震災で建替えられたK国際会館の前に旅の仲間が集まってきた。
なかに一人知らない女性がいたが、だれかの友人なのだろうと気にもしなかった。

演奏会も無事に終わって、会館の前で再び集合した。
ひさしぶりだし、喫茶店にでも行こうということになった。

席に落ち着いてから、あの女性はだれだ?と聞いた。
すると、さあて知らない顔だな、という。
何人かに聞いても要領をえない。
いったいぜんたいどうなっているんだろう、と思っていると、
ひとりが、昨日近くのユースに泊まったんだよ、という。
今朝この会場に来る前に、その女性が所在なさげにしてるので、
どうしたんだと聞くと、行くところがないと言う。
じゃあ、いっしょに行くかと聞いたら、行くというので連れて来た。
ふーんそうなのか、とそれ以上は考えもしなかった。

しかし、さて解散というときになって。
「ムッシュ、彼女のことをよろしく頼むよ」
「おいおい、よろしくったってどうするんだ」
「そこのところは、うまくね」
「あのなあ…」

おまけに彼女はこちらを向いて、ぺこりと頭を下げた。
(どうなってるんだ、と叫びたい気分だった)
(とはいえ、ひとり残して帰るわけにもいかない)
あっというまに、二人きりになってしまった。

彼女がぽつりぽつりと話し出した。
いま札幌の女子短大に通っているという。
まわりをみると、来年の札幌オリンピックのことばかり。
それも、入場式でどこの国のプラカードを持つかといったつまらない話ばかり。
なんだかそんな連中といっしょにいるのが嫌になって出てきたんです、という。
あまり話さなかったが、家庭の状況も複雑そうな雰囲気だった。

とりあえず今夜はもういちどユースに泊まるように説得して、
また明日ゆっくり話をしようということで、ひとまず別れた。

それまでは気づかなかったが、肌は透きとおるように白かった。
しかし、言葉の端々から意志の強そうなところもみせていた。

読みタラン
本を読んでいると、次々に疑問が湧いてくることがある。
ひとつ知ると、ふたつ知りたいことが増える勘定のときがままある。
これではいつまで経っても、終わりがこないことになってしまう。
最終段階があって、それに向かうために読んでいるわけではない。
であるから、そんなことを気にしなくてもいいのだが、そんなことを思うことがある。
幸いに老眼にもならず(その傾向はすこしあるが)、電車の中でも読める。
この僥倖を感謝しなくてはならないが、いったいなにに対してであろうか。

「無思想の発見」 養老孟司 ちくま新書 ★★★★★
山本七平氏の「日本教について」を読んだとき、いまひとつしっくりこなかった。
さすが養老先生、これまでのもやもやとした霧が晴れていく思いだ。
『異なる社会では、世間と思想の役割の大きさもそれぞれ異なる。
世間が大きく、思想が小さいのが日本である。
逆に偉大な思想が生まれる社会は、日本に比べて、
よくいえば「世間の役割が小さい」、悪くいえば「世間の出来が悪い」のである。
「自由、平等、博愛」などと大声でいわなければならないのは、
そういうものが「その世間の日常になかった」からに決まっているではないか。
それを「欧米には立派な思想があるが、日本にはない」と思うのは勝手だが、
おかげで自虐的になってしまうのである。』
確かに日本人は自虐的なところがあるなあ、さる大新聞社のように。

「考える日々Ⅲ」 池田晶子 毎日新聞社 ★★★★
「One size fits all」(この本の副題)もいよいよこれで最後である。
彼女は昨年亡くなっているし、そう思うとなんだか切ない気分だ。
とばかりもいっていられない、彼女見習っていろいろと考えてみよう。
『この世間では、自ら考えることをしない人ほど、声がでかい。』
どこか北のほうの代議士先生を想像してしまうのは、ゆえないことではない。
声のでかさは、自分自身をも抑えこもうとするかのようである。
落ち着いて、ゆっくりと考え、意見を言い合えばいいのだ。
ことの真相はどこへも逃げていかないのだから。

「捜査官ガラーノ」 パトリシア・コーンウェル 講談社文庫 ★★★
おなじみの検死官スカーペッタと刑事マリーノのコンビ・シリーズではない。
黒人の父と、イタリア人の母を両親にもつ褐色の肌、漆黒の髪のガラーノが主人公。
女性地区検事のラモント(これが典型的に美人でありながら高飛車な人物)に、
二十年前に起こった未解決の老婦人殺人事件を再捜査し解決するように命じられる。
彼を助ける年上の女性刑事とか、タロット占いの祖母とかが登場するのだが…。
全体にストーリーの焦点が絞りきれていない感じがする。
うーん、初期のころの「検死官シリーズ」の切れがないようだ。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

街角で
ばったりと出くわして、「やあ」と挨拶された。
こちらも、「どうも」と挨拶をかえしてまた歩き始める。
しばらく歩いてから、あれっ誰だったかな、と思い巡らす。
確かに顔に見覚えはあるのだが、しばらくは分からない。

そんな経験をしたことが幾度かある。
声をかけそうになって、なんとか呑みこんだことも幾度かあった。

どこかで見かけたことはあるのだ。
それも一度や二度ではない。

挨拶された相手には、ときどき立ち寄る店で居合わせていた。
和風ショットバー(立飲み屋)でのことだった。
その後、顔を合わせてお互いにその節は失礼しました、と挨拶した。

どこかで見かけた人というのは、思わぬところで擦れちがっているようだ。
通勤電車のなかでだったり、会社への道すがらであったり…。
回数からいえば、限りなく何度も顔を合わせているのである。
ただ、親しく話などしないだけである。

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記憶というのは不思議なものである。
自分では記憶していないと思われるそんな人の顔を憶えているのである。
つとあるとき、親しい気分(だって、頻繁に顔を合わせている)でもって、
思わず声をかけてしまう、ことがあるようなのだ。

ぼんやりと歩いているときなど、そうなりそうなことが多い。
相手が女性だったら怪しまれるかもしれないだろう。
(そんな経験はないのではあるが…)

天才は紙一重?
ある本を読んでいて、うーんと考え込んでしまう。
それは別の本からの引用であったのだが…。
以下にその文章をご紹介しよう。

『ある友人と廊下で出くわしたヴィトゲンシュタインは、ふといった。
「なあ、昔の人たちが、地球の公転など、頭になく、
太陽が地球のまわりを回っているものだと思い込んでいたのは
無理からぬ話だというが、それはどうしてなんだろうね?」
 友人は答えた。
「うん、だって実際、太陽が地球のまわりを回っているように見えるじゃないか」
これに答えて、哲学者はいった。
「ふむ、では、もし地球が公転しているように見えたとする。
すると、いったいそれはどのように見えたんだろう?」
―トム・ストッパード』

やはり、ウィトゲンシュタインは天才だ。
彼の哲学は難解だという。
はて、ほんとうに難解なのだろうか。
それとも、なにも解らない(考えない)からそういうのだろうか。

『語られうるものは、明らかに語られうるものである。
そして、論じえぬことについては、沈黙しなくてはならない。』
(ウィトゲンシュタイン「論理哲学論」まえがきより)

これは有名な一節である(たぶん)。
語られうるもの、とはなにか。
論じえぬこと、とはなんだろうか。
ソクラテスも同じようなことを言っていなかったか。
そんなことを考えていると、世間の騒ぎが遠くにかすんでいく。

人生は短いのだ。

「フップシ・ヌプリ」
雪が降って白い世界が出現したので、単純に北海道のことを思い出した。

学生のころ、阿寒湖畔のユースでヘルパーをしたことがあった。
「フップシ・ヌプリ」アイヌ語で、神の山だと教わった。
アニミズム的な神が宿るのだろうと思った。
時間が空いたときなどに、よくながめていた。
自然はおおむねそうなのだが、山はいつまで眺めていても飽きることがない。

北海道の夏といえど日中は30度近くにも気温があがる。
しかし湿度が低いので、暑さにともなう不快感はない。
夜になると急激に温度が下がって寒いくらいだった。

土産物屋でバイトをしながら旅を続けている人たちとも仲良くなった。
店番をしながら旅行者と話をしたり、気楽に生きている若者たちだ。
若い女性が買い求めた木彫りのペンダントなどの裏に器用にネームを彫ってあげる。
もちろん、サービスだから料金はとらない。
だが、それを見てる人がいて、また土産物が売れるという寸法だった。

連中には寝床と食事が保証されていた。
いくばくかのバイト料が入ると、またバイクなどで旅を続ける。
そんな彼らを何人も見送る日々だった。

ぼくも早速彫り方を教わった。
すこし練習すると、簡単なスズランの花なども彫れるようになった。
ユースの宿泊者が土産を買ってユースにもどってくる。
あるとき、ひとりに木彫りの土産物には記念にとネームなど彫ってあげた。

すると、あっというまに人が集まってきた。
それももちろん若い女性ばかりである。
なんだかもてているような錯覚に陥った。
おまけに、みんなも喜んでくれるので一石二鳥だ。
しかし、男連中はおもしろくなかったのかも知れない。

近くにいる彫刻を生業とするアイヌの人などとも知り合いになった。
昼間は暇なのでお土産屋を訪れたが、がらんとして誰もいない。
どうしたのかなと、なにげなく店の裏を覗いた。
みんなで車座になって、木彫りの熊に焦げ茶色の床用ワックスを塗っていた。
ぼくの顔を見ると、笑いながらそうなんだよと眼で言っていた。

並ぶ人々
「雪だし、今日なんか少ないかも」
「なにが?」
「お客さんよ」
「なんの?」
「このまえ言ったじゃない」
「…」
(うーん、なんのことか分からない)

「ロールケーキのおいしいお店があるの」
「ほー」
「もう、売切れかな」
「こんな天気だし、空いてるかも」
「雪はだいじょうぶかな」
「問題なし!」

ということで、やってくると…。
すでに駐車場は満杯(第三駐車場に停める)。
列の最後尾に並ぶ(とりあえず)。
あまかった、彼女らの情熱は雪をも溶かす(?)。

係りの人が来て、「最後の方で、約一時間待ちです」と。

「待つ?」
「当然!」

ということで、私は周辺を散策することにする。

3275ゆりのき台公園

このあたり新興の住宅地である。
山林を切り開いたのだろう、道路が真直ぐに走る。
近くに公園があったが、もちろん誰もいない。
無人だが、雪の上にはすでに足跡が残っている。
なんだか、可笑しくなってきた。
やっぱり、そうか。
最初に自分の足跡をつけるのは愉しいものだ。
(犯罪者でない限り)
まっさらなキャンバスに最初に絵具を塗るようなものだろうか。

うろうろと歩き回って列のところに戻ると、まだまだだ。
(しかし、この人たちすべてがケーキ好きなのか、疑問だ)
(誰かにあげる、というのもあるのだろうな)
(小さな幸せのお裾分け、なんて言うのかな)
(遠くから来てるよな、京都ナンバーなんかあったし)
(人が並んでいると食べたくなる心理って、どうなんだろうな)
(なにごとも自分で考えない現代の風潮、ちと大げさか…)
などと考えていると、並んでいる相棒がわが心を見透かすように微笑む。

で、結局食べたのかっていうと。
もちろん、ほんのすこし食べましたよ。
食べもしないで、あれこれ言うのは嫌いですから…。
感想はというと、甘さが抑えられていて、まあ食べられるな。
どうしても食べたいということはないです。

限りなく平和な日曜日でありました。

雪上の足跡
日曜日の朝、外を見ると雪が積もっていた。
寒そうだけど雪はやんでいるようだ。
犬を散歩に連れて行ってやろうと思った。

おーい、と呼んだが返事がない。
しーんとして静かだ。

「ランちゃん、いないぞ」
「さっき、飛び跳ねてるの見たんだけど」

玄関から回り込んでみる。
柵が押し開けられて、どうも脱出したようだ。
足跡が点々とついている。

IMG_3272.jpg

さて、どこへ行ったのだろうか。
いつもの散歩コースをなぞって土手のところを通過する。
あとを追っているうちにずいぶん遠くまで来ていた。
遠くの山をながめていると携帯電話が鳴った。

「もう帰って来てるよ」
「なんだ、そうか」

雪道を歩いて戻る。
スニーカーのつま先がすこし冷たくなってきた。

IMG_3269.jpg

雪に残るこれは、なに鳥の足跡なんだろう。
スズメにしては大きすぎる。
鳥って、裸足で(あたりまえだ)寒くないのかな。
のどかな日曜日である。

読んドラン
読書していてほんとうによかった、と思えるときがある。
日常の瑣末なことに(そう後で気づく)悩んでいるとき、気分転換にと読む。
読めば自ずと没入していき、我を忘れているようなこともある。
書物の世界のなかを生きているといってもいいだろう。
しかし、本には必ず終わりがある。
読み終わってからが本番だ、そう思わせてくれる本はありがたい。
それはけっして実利に役立つというようなことではない。
同時に、まだまだ多くの書物があることがひしひしと胸に迫りくるのである。

「終結者たち」(上)(下) マイクル・コナリー 講談社文庫 ★★★★
読者が待ちわびていた一冊がついに出たという感じでしょう。
主人公ハリー・ボッシュがロサンジェルス署の刑事に復帰するからである。
一度は退職して私立探偵になっていたのだが、思い断ち切れずに戻ってきた。
ボッシュが配属されたのは、エリートの集まる未解決事件班であった。
そこでキズ・ライダーとともに17年前に起きた少女殺人事件の再捜査にあたる。
昔の殺人事件調書を読みすすめていくうちに、いろんなことが分かりだす。
事件は解決への方向に進みだしたかに思えたときに敵が登場する。
本部長が替わって閑職に追いやられたアーヴィング副本部長であった。
またも彼の前に立ちふさがって脅しをかけてきた。
そして、事件は思わぬ方向へと変化していくのであった。
しかし、ボッシュの現在の年齢から推定して、あと何作書かれるのだろう。
これが、ファンの新たな悩みの種(?)にならなければいいのだが。

「定年後―豊かに生きるための知恵」 加藤仁 岩波新書 ★★★
団塊の世代が大量退職を迎える時期になってきた。
そこでいろんな行動が考えられるのである。
一部の人たちはそのときに備えて資格取得に励むことになるのだが。
『資格は、足の裏についた米粒にたとえられる。
取らないと気持ちが悪いし、取っても食えないということである。』
定年後には、どれだけの時間が残されているのであろう。
『二十歳から働きはじめて六十歳で定年を迎えたとすると、
それまでの労働時間の総計は二千時間(年間労働時間)×四十年間=八万時間になる。

では、定年後はのんびりとすごすことにする。
睡眠や食事、入浴時間を差し引くと、一日の余暇時間は平均して十一時間以上もある
八十歳まで生きるとすれば十一時間×三百六十五日×二十年間=八万三百時間である。
つまり定年後の余暇時間は、会社で働いた時間とほぼおなじということになる。』
これって、思ってた以上に長い時間ではないだろうか。
さて、その時間をどうすごしますかな。

「天の夜曲 流転の海 第四部」 宮本輝 新潮社 ★★★
この「流転の海」の第一部が出たのが、二十年前にもなる。
ひさしぶりに会った松坂熊吾はもう六十歳に手が届くところまできている。
妻の房江とひとり息子の伸仁(小学生になっていた)は、富山に住んでいる。
熊吾はひとり大阪で、新しい事業のために奔走している。
分厚い本を読みながら、筋とは関係なくこんなことを考えていた。
「事実は小説よりも奇なり」とは、よくいわれることである。
この本を読みすすめながら、つくづくそうだと唐突に思った。
では、人は小説になにを読むのか、読もうとするのか。
ただ、いろんな人生をそこにみて、わが身を振り返ろうとするのだろうか。
振り返ったとて、過ぎ去った時間を戻すことはできない。
こんな感想をもつゆえに、私は小説をあまり読まないのだろうな。
小説よりも奇なる事実が世のなかには多すぎるのである。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌



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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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