ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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読学
いろんな雑多(?)なものを読んで、それだけで終わってしまう。
そんなことでは、読書の意味がないではないか、とおっしゃる御仁もいる。
だがしかし、そんなふうになんでも意味が意義がと考えることは窮屈だ。
楽しみのために本を読む、あるいは読みたいがために読む。
そこに山があるから登る、という登山家の心境に近いのだろうか。
また、読書百遍意おのずから通ず、ということばもある。
百遍も読むとは、そこになにかしら考えるということが含まれるのだと思う。

「ラスト・ファミリー」(上)(下) ジョン・ラムジー・ミラー 講談社文庫 ★★★
麻薬取締局(DEA)のメンバーの家族がつぎつぎに事故死する。
元情報部員のマーティン・フレッチャーの仕業だったことが判明する。
残っているのはDEAの元幹部ポールの別れた家族だけだった。
捜査のさなかに重傷を負い山奥で隠遁生活を送るポールは決心する。
こうして最も危険な男マーティン・フレッチャーとの闘いが始まる。
息をもつかせないスリルにとんだ場面の連続が興奮をさそう。
ミステリの謎解きとはちがうところがいまひとつのめりこめない。
しかし、ずんずんとストーリーに引き込んでゆくところはなかなかのものだ。

「すべては脳からはじまる」 茂木健一郎 中公新書ラクレ ★★★
脳もヒトの一部であるから、その成長過程で文化の影響を受ける。
『日本では、掲示板やブログ、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などの書き込みは、
いわゆる「ハンドル・ネーム」を用いた匿名が多い。
アメリカでは日本よりも実名が多い。
一方、日本と同じ東アジア圏に属する韓国では、実名が圧倒的に多いという。
日本人は、なぜ匿名を好むのか?
インターネットという、世界共通の技術基準を定めるはずの新しいメディアの世界でさえ、
国によってその文化は異なる。』
匿名が悪いと思わないが、匿名で誹謗中傷するというのはいただけない。
(誹謗中傷したいがために匿名にするという側面が強いのではないだろうか)
匿名であろうがなかろうが、もっとしっかりとした意見が聞きたいものだ。
だから、日本では匿名=愚見ということになってしまう。

「人間自身 考えることに終わりなく」 池田晶子 新潮社 ★★★★
返す返すも彼女が亡くなったことが残念だ、と思う。
もちろん、読んですべてに納得できるということではない。
そんな奴は気持ちが悪い、といわれるであろうと想像してもいる。
『悪いことは、法律が悪いと言ってるから悪いのではない。
悪いことは、悪いことだから悪いことなのだ。
百万人がそれを悪いと言っても、自分がそれを善いと判断するなら善いことなのだ。
倫理というのは、自分で善悪を判断する自由が自分にあると自覚してこそ可能な行為で、
外的な法律や道徳の内に倫理など存在してはいない。
善悪は誰もが自らの内に問うしかないのだ。』
世の大人が自分の頭で考えないのだから、こどもたちもそうなりがちなのは当然だ。
文化人類学では、文化とは現実を映す鏡のようなもの、とは言わなかったろうか。

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なんの日
昨日は露天風呂の日だったらしい。
すぐに想像がつくように、6月26日の語呂合わせである。
(ちなみに毎月26日は風呂の日だそうである)
(ここで、湯と風呂の区別については言及しない)

近在の日帰り温泉はおしなべて多くの人でにぎわっている。
最近では、「karaoke」と並んで「onsen」も世界共通語であるとかないとか。

しかし温泉につかるというのは、日本人にとって至福のときである。
ニホンザルが温泉にはいって黙想している(?)観光写真があった。

2882温泉空

なぜ、温泉にはいると気持ちがいいのだろうか。
からだを温めると血流がよくなって、ホルモンの分泌を促進するのか。
それとも頭がのぼせて、この世の憂さを忘れ去るからだろうか。
いずれにせよ、こころが安らかになることに間違いはなさそうだ。

問題はこれが長続きしない、ということにある。

よかたん温泉行
梅雨のさなか、気分転換に温泉にでも行こう。
朝から曇り空ながら、なんとか降りだしてはいない。

中国縦貫道路(といっても日本だが…)の吉川インターチェンジの近く。
炭酸泉の「よかたん温泉」へ行ってみよう。

3772よかたん表

そこはかとなく道の駅の風情がただよっている。
おなじみの地場の野菜や鶏卵、地酒などなど。
立ち働く農家のおかみさんらしき人たちものんびりしたものだ。

3771地場卵

露天風呂につかりながら、滝ごしらえから流れ落ちる湯を見ていた。
そこへひとりの青年がはいってきた。
彼の脚部が萎縮しているのがひと目でみてとれた。
ひょこひょことすこし難儀しながら、湯ぶねにたどりついた。
ゆっくりと湯にはいって、気持ちよさそうにしている。

しばらくして、近くの縁台に腰を下ろして休んでいた。
この状態だと足が不自由なのがほとんどわからない。

まだ二十歳前後だろうか、表情は若い。

世間ではバリアフリーなどという。
これは現代日本的な概念だろうか、と疑う。
建築業界が仕事を増やさんがために創りだしたのだろうか。
まさか、そんなことではないのだろう。

しかし一方で、手助けするということが忘れられてゆく。
お互いさま、ということばもあまり聞かれなくなった。
情けは他人のためならず、の解釈も変化しているようだ。
(最近ではこの「他人」を平気で「たにん」と言うのには驚く)
(テレビのアナウンサーがそう発音(?)するのを聴いて耳を疑った)
(しかし、憧憬も「どうけい」というご時勢であるからして…)

ところで、彼はお父さんらしい男性となにか話している。
楽しそうに笑う顔を見ただけでも、なんだかよかった気がする。
うーん、人生は谷あり裏ありだぞ、つと口についてでた。

3774よかたん裏


知らぬが仏
知らなければ知らないで、どうということはないではないか。
などと思うこともあるのだが、すこしでも知ったからにはもっと知らずにはいられない。
今日、NHKのテレビ「課外授業」という番組を見ていた。
9歳で失明し、18歳で失聴したという福島智さん(東大先端科学技術研究センター准教授)。
その番組のなかで、指点字というのをはじめて見た(モールス信号のようだ)。
失明、失聴していちばん苦しんだのが、コミュニケーションがとれなくなることだったと。
これは彼のお母さんがふとしたきっかけで思いつかれたものだという。
指点字は同時通訳的になされるから、その状態から彼を救いだした。
ジンメルの言うように、ヒトの可能性は無限であり、不可能性もまた無限だとあらためて思う。

「私の介護家族戦争」 宇野淑子 講談社 ★★★
いつかだれもが遭遇するかもしれない介護という現実がある。
そして長生きできたあかつきには、それが家族の重荷になることもある。
その現実を暗くしているのは、核家族という生活スタイルかもしれないなあ。
「老人福祉法」第二条
『老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、
かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、
生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものとする』
法律に定められているからといって、安心感が得られるとは限らない。
介護が戦争と喩えられること事態がその厳しさをうかがわせる。

「祝宴」 ディック・フランシス&フェリックス・フランシス 早川書房 ★★★
ディック・フランシスのミステリが好きだなあ。
もう高齢で、奥さんを亡くしてからは書かなくなるかと思っていたけれど、
息子さんの助力を得て、こうして新刊がでるのはとてもうれしい。
競馬に関する題材をとっているが、けっしてギャンブルのみを扱っていない。
マックス・モアトンは史上最年少でミシュランのひとつ星を獲得した若きシェフ。
しかし、料理を担当した伝統の2000ギニーレースの前夜祭で食中毒が発生する。
しかもレース当日、パーティ会場で爆弾テロが発生し、多くの死傷者がでる。
いったいだれがこんなことをしたのか、事件は意外な結末へと進んでゆくのである。

「エビと日本人Ⅱ」 村井吉敬 岩波新書 ★★★★
あの「エビと日本人」が出版されたのは一九八八年四月だった。。
『それから二〇年ほど経った。予想通り養殖が大きく進んだ。
海での漁獲も減ってはいない。むしろ増えている。
おかげで世界のエビの消費量は、単純に計算しても一九八五年には一人当たり
四五六グラムだったが、二〇〇五年には一二一〇グラムほどになっている。
二〇〇五年のエビの四四%は養殖エビである。』
養殖池をつくるためにアジアの多くのマングローブ林が伐採された。
現金収入を得るために、豊かな生態系が破壊されていくのである。
山の木が伐採されると、表土が流失し、海に赤土が流れ込んでサンゴが死滅する。
生態系とは思いもかけないところでつながって、閉じた系をなす。
そんなことを忘れた議論が多いのは、現世利益至上主義的産業構造(?)のせいか。

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敬称?
資料を読んでいて、敬称略ということばにいきあたった。
敬称もむずかしいが、愛称も風変わりに感じることがある。

いまでもときどき思いだしてはどうしてだったのだろうと考える。
こどもの頃、近所の遊び仲間で呼びあった名前のことである。

名の後につける敬称(?)はどうして決まっていったのだろうか。
つまり、「ちゃん」づけにするのか、「くん」がいいのか、はたまた「さん」と呼ぶのか。
ほかには、すくなかったけれど○○坊という場合もあった。
(こう書くと、すぐに錯乱坊を連想する)
(そう、食い物に意地汚い僧(?)、チェリーのことである)

3767ゴリラポッド

ぼくよりひとつ年下に「つとむ」という少年がいた。
彼の場合だと、つとむくん、なのである。
どう考えても、つとむちゃんは変だし、つとむさんはないな、という感じだ。
自己感覚ではそうなのだが、つとむちゃんでも一向おかしくはない。
年上でも、びんちゃんはちゃんづけだった。
(なぜ、びんちゃんと呼んでいたのか、どうしても思いだせなかった)

ぼくの場合は、○○さん、いや正確には○○っさん、だった。
いわゆる、関西弁でおっさんと言うときの語調だ。

尊敬されていたのか、遠ざけられていたのか、はたまたおっさんぽかったのか。
ときとして、疑問の渦中でゆらゆらと漂っている。

雨想
肩凝りからきているのだろうか、歯が浮くように痛い。
机の前で、どうしたものだろうと思案していた。
こういうときに限って、別のことが脳裏にうかんでくる。

あのときも雨が降ってきたなあ、と思いだす。

島へ渡る若者だれもが好きだったおばさんが亡くなった。
もう四年前のことになるのか、といまさらながらに思う。
Kさんが癌で亡くなって、しばらくしてからのことだった。

みんながおふくろさんのように慕っていた。
家よりこの島につい足が向いてしまう、などと言う輩もいた。
そんな思いがあるからか、いまでも島へ帰ると言ったりする。
台所の戸をいきおいよく開けて、
「おばさ~ん」とおおきな声で挨拶をしたものだった。
「まあ、よく来たわねえ」と、いまでも聴こえてくる。

IMG_3301.jpg

『ハワイ語の「アロハ」はだれでも知っているだろう。
ハワイ語だけでなくポリネシアの島々で「アロハ」、
ときには「タロファ」ということばは共通してしばしばつかわれている。
そしてわれわれの大部分はこれを「歓迎」「ようこそ」という意味だとおもっている。
それにまちがいはない。

だが、じっさいのハワイ語のなかで「アロハ」がもつ意味はずっと深い。
そもそもハワイ語ではことばのことを「マナ」という。
日本の「ことだま」のようなもので、「神の力」ということ。
そして「アロハ」とは「神の心」といったようなことを意味する。
要するに「神聖なるとき」ということだ。
これに「オエ」がくっついて「アロハ・オエ」になると「さようなら」ということになる。
いや、「さようなら」よりもっと厳粛な別れであって「これでいよいよお別れですね」といった気分。
だから、お葬式での別離のことばも「アロハ・オエ」になる。』

   (「なんのための日本語」 加藤秀俊 中公新書より)

言葉には、なにげなく口にしているが、思いもよらない意味が隠されていたりする。
別れのことばは、いつもどこかもの悲しくひびく。

絶対忘れないからなどと、ぼくは言えなかった。
それは言うべき言葉ではなく、こころのなかで決意するべきものだ。
すぐに絶対と口にだす人間は、往々にしてそう言ったことを忘れてしまう。
なぜならあまりに多く言ったからだ、とパラドックスが教える。

しかし、いつかは忘れてしまうかもしれない。
それでもいいではないか。
決意したということがそれで消えてしまうわけではない。

否、消えてしまってもかまわない。
そんなことはこの意思とはなんの関係もないことだ。
ここまで書いて、ふと気づく。
あいかわらず理屈っぽいわね、とどこかで笑っているのだろう。
それでこそ、まさしく本望なのである。

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知るもよし
「人生は小説よりも奇なり」といわれることがある。
確かにそうだと思えることは、人生の途上でも感じることである。
だからといって、奇なる事実が価値があるとかということではないのだ。
なになにが、なになにゆえに価値がある、などとは笑止千万なのだ。
ではいったい価値とはなにか。
考えてみれば、価値がないことに意味を見いだすことも可能なことはすぐに気づく。
価値とはちがった体系のなかで生きる人々もいる。
そういったことすべて含めて、まだまだ知らないこと、知りたいことがある。

「幸せになる成功知能 HQ」 澤口俊之 講談社 ★★★
随分と前に買っていて引き出しの中に埋もれていた。
なにかの拍子に見いだして、さてと読んでみる。
『私たちの脳には多くの知性がある。
HQとは、これらの多重知性を束ねるもう一つの知性、いわば「超知性」である。
コンピュータでいえば、ウィンドウズのようなOS(オペレーティング・システム)である。』
このようなHQが未発達だと、知能(IQ)は高いのに未熟な人ということになる。
では、どうすればHQを発達させることができるのか、というのが本題。
久しぶりに澤口先生の著作を読んだのだが、ぼくの興味とすこし違っていて残念でした。

「説教の歴史 仏教と話芸」 関山和夫 白水uブックス ★★★★
説教というとなにを思い出すのだろうか。
やはり学校の先生からうけた、厳しいお説教であろうか。
そういう経験をした人は幸せである。
もともと説教(説経)とは仏教を大衆にわかり易く説くものであったのです。
そこには当然日常からのエピソードに仏教的意味を付け加え、
また語るに節をつけながら、ある意味歌うようにうなるようになされたのである。
そこからいろんな芸能(?)も派生していったのでありますね。
例えば、琵琶法師、浄瑠璃、落語、講談、浪花節、などなど。
『浄瑠璃は、もともと仏教語であり、東方浄瑠璃世界の教主・薬師瑠璃光如来に発する。
薬師信仰を語る説経からさまざまな芸能が派生した。
薬師如来が、寺社の縁日に集まる香具師の守護仏であったことは、
大道芸と深い関わりをもつ』
いまや説教とはなんの関係もないようなものも多いのですが。

「ゼルプの殺人」 ベルンハルト・シュリンク 小学館 ★★★
私立探偵ゲーアハルト・ゲルプ、この作品がゼルプ三部作の最後。
ゼルプはすでに七〇歳を越していると思われるのだが、なかなかに元気なのである。
かってナチスの時代に検事として人々を裁いた経歴をもつ。
それが彼の後半生の人生におおきな影響をもたらし、いまは私立探偵として生きる。
三部作全般を流れているのは、老いてゆくなかでどう生きるのがいいのか。
それまでの人生の決着をつけることができるのか。
ドイツ・ナチス時代を生きたゼルプの苦悩と、引きずるものの大きさ。
時代のなかでどうしようもなかったとはいえ、それでも悔いは残るのである。
ある意味、物語りは終わることなどないのであろう。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

ぼんやり
いつものように家をでて、駅へ向かう道を歩く。
ちょうどさわやかに感じる気候で、これがいつまで続くのか。
また蒸し暑い夏がくるのだろうな。

そういえば、まだまだ蛙の鳴き声がおとなしい。
これも気温とおおいなる関係があるのだろう。
騒がしいのも閉口だが、あまりに静かというのも気になるものだ。
まだくぐもったようなウシガエルの声を聞いていない。
じっと暑くなるのを、恋の季節を待っているのか。
なるほどなあ~、嵐(?)のまえの静けさというわけだ。

3421菜の花

おや、あの車我家のと似ているなあ。
こっちへ曲がってくる。
目の前で停まり、窓が開いて
「間に合った、忘れもんやで」
と携帯電話を差しだされた。

思わずポケットに手をいれると、そこにはなにもない感触があった。

「はっはっは、忘れてたか」
「しっかり、しいや」
「はい、わかりました」

去ってゆく車の後姿をながめながら、
なんだか残念のような不思議な感覚があった。

ときどき携帯電話って必要なのか、と考える。
無意識のうちに持ちたくないと感じているのだろうか。
なにものにも縛られないでいたい。
自由に、邪魔されずにいたい。
などと思いつつまた歩きはじめたら、

「いつもそんなふうに生きてるやないか」
と、上から聴こえたような気がした。

たこ焼きパーティ
千葉へ行ってる(現在単身赴任中)Nくんが帰ってくる。
ひさしぶりだから集まってたこ焼きパーティしない、とお誘いがあった。
今回はなぜか(?)すくなくて、集まったのは五名だった。

関西では一家に一台、かならずたこ焼き器がある。
最近は、ホットプレートにもたこ焼き用の鉄板が装備されているものも多い。
もちろん、我家にも電気たこ焼き器がある。

3757たこ焼き

小学生の頃、近所に屋台で「たこ焼き」を売りにくるおじいさんがいた。
ゴマ塩頭ですこし無精髭をはやした痩せたおじいさんであった。

ちいさな小学校の給食でつかうようなアルミの皿に入れてくれる。
甘いとろっとしたソースをかけた上で、だし汁を注いでくれる。
値段はいくらだったかもう忘れてしまった。
しかし重要なことは、タコがはいってなかったのである。
代わりに、味付けしたコンニャク、あるいは刻んだチクワがはいっていた。
おまけにだれもそのことに不満はなかったのである。
タコ焼きとは、こういうものだと思っていた。
それでけっこうおいしかったのである。

たこ焼きを食べてビールを飲んで、話し笑って、楽しい時をすごす。

3758サラダ

こういった友は、なにに例えればいいのだろうか。
人生の波間に浮かぶブイのように、ひとときの安らぎを与えてくれる。
そしてまた、はるかな航路をすすんでゆくのが人生だろうか。
決断はだれでもない自分でするしかないことはよく分かっている。
さあ、また頑張って漕ぎだそう。

いつのまにか夜更けて帰途につく。
我家が見えだす頃になって、なぜか雨が降ってきた。

嗜好するヒト
好きなものはなんですか、食べ物でも本でも色でもいいですよ、などと聞かれる。
好きな食べ物はなんだろう、飲み物ならある、芋焼酎だそれもぬるい湯割りがいい。
本なら、というか活字ならなんでもつい読んでしまう、でもアルファベットはお断り。
色なら緑色が好きだなあ、眼にいいなんていいますね、でもこれはこどものころから。
でもよーく考えると、ほんとうに好きなものなどないような気がする。
好きじゃなくて、大切なものならあるのかもしれない。

「酒肴奇譚 語部醸児之酒肴譚」 小泉武夫 中央公論社 ★★★
酒と肴をめぐる珍談・奇譚の数々を紹介してあるのだが。
まあ酒を飲んで楽しくやりましょう、というわけでジョークである。
『あるジョークに「酔っ払うと、フランス人はやたらにダンスをしたがる。
ドイツ人はむやみに歌いたがる。イギリス人はやみくもに自慢したがる。
ロシア人はめっぽう寝たがる。そしてアメリカ人はふたすら演説したがる』
さて日本人ならどうなるのでしょうか。
これは知らなかったですが、イクラってロシア語なんですね。
『ロシア人がキャビアの代用品としてつくったものが明治時代中期に
輸入されたものでありますので、
このようにロシア名が付いています。』
なるほど、そのうちクイズにでてきそうです。

「超バカの壁」 養老孟司 新潮新書 ★★★★
養老先生にはおおいに影響を受けていると思う。
だって、読むものがなるほどとことごとく腑に落ちるのである。
『相談をするときに、具体的な答えを期待する人がある。それはおかしい。
自分のことは自分で決めるので、
相談とは、根本的には「考え方」についての疑問である。
他人に伝えることができるのは、「考え方」だけである。
具体的な事情は、じつは当人しか知らないからである。』
そういえば、相談したことってあるのかなあ、と思ってしまう。
お互いに好きなこと言い合って、そのなかで考えるものではないですか。
他人(ひと)のせいにするのって性にあわないんです。

「博物誌 生きている虫は美しい」 奥本大三郎 海野和男 筑摩書房 ★★★
昆虫少年ではなかったですが、虫が怖いとか思ったことってあまりないですね。
蜂は刺すとかいうけど、ハチの立場に立てば彼女ら(?)のほうがもっと恐いだろう。
『ベイツは生物の生存競争激しいアマゾンで十一年間も暮らした男で、
擬態という現象を発見した。
自分自身はなんでもない奴が、毒のある者、強い者のまねをして暮らして行く
―なに、人間だってそれぐらい昔からやってきたのである。
ガクシャモドキ、ゲイジュツカダマシ、ビジンマガイ。』
ああ、いろんな生物がこの世界にはいるもんですねえ。
やっぱり、いちばん食えないのはヒトじゃないですか。
などとこの本は言ってはいないです(笑)。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

昼時に俳句
昼は事務所の机で弁当をひろげる。
お茶はティーバッグで、湯沸室の電動ポットからお湯をいれる。
この個別パッケージに俳句が印刷されている。

そこへゆく道すがら(といって10mほど)、パッケージの俳句を読む。
なかなかに新鮮でいい感じだ。

 雛あられ かごいっぱいの 銀河なり

     第九回、文部大臣賞 藤森雅彦さん

いいなあ、カラフルなあられが目に浮かぶ。
着色料は身体に悪い、などと野暮なことはいわない。
ほかにもいろいろ悪いものがあるだろうが、とつい。

しかし、男ばかりの兄弟だったのでいまひとつ情景不鮮明なり。
遠くから眺めた憧れのような畏れのような感情を思いだす。

 目白鳴く 祖父窓ぎわに 長く立つ

     第十四回、中学生の部大賞 望月希有子さん

おとなしいようだけど、芯のしっかりした娘という気がする。
おじいちゃんのことが好きであり、尊敬もしているんでしょう。

こんな俳句に接すると、一日いい気分でいられる。

0019警戒する猫

読みたちぬ
人間は有史以来いくたびもの戦争を経験してきた。
この次に世界的な規模の戦争を起こしたならば人類は破滅する。
そんなことは誰でもが知っていることであるし、常識で分かることなのだ。
しかし、いまも世界のどこかで戦火のあがらない日はないくらいだ。
宗教もけっして戦争を抑止する力とはなり得ないないようだ。
戦争を経験した人々はどんなことを思っていたのだろうか。

「日本のいちばん長い夜」 半藤一利 編 文春新書 ★★★★
この座談会は昭和三十八(一九六三)年六月に行われた。
座談会に登場したのは三十人。
ある人は帷幕のうちにあり、ある人は前線に、ある人は捕虜収容所にあった。
そんななかのおひとり、松本俊一氏の発言です。
『原爆の研究や開発はどこの国でもやっていました。
ヒトラーもやっていましたし、日本だって微々たる規模ではありましたが開発しようとしていた。
しかしアメリカは、完成した原爆を日本に対してだけ使用するという決定をし、
さらにいつ落とすか、日本のどの都市に落とすかという検討を、
じつに具体的に、粛々と進めていました。
同じ敵国でもドイツに対しては落とさないという判断があった。』
戦争はどんな理由(これはどうとでもつけられるものです)があろうとしてはならぬ。
そんなことが分かっていても、してしまうのが人類なのであろう。
でも、どんな経緯があったのかを知っておくことは大切なことであるまいか。

「女ざかり」 丸谷才一 文藝春秋 ★★★
丸谷氏の小説もいちど読んでみたいと思っていた。
テーマにそって書くのだろうけど、またちがったものも読んでみるか。
新聞社に勤める女性(論説委員になったばかり)と大学教授の不倫。
おまけに哲学の教授であるからしてこういうことをいうのだ。
『神の死といふ事件があってから、いや、これは日本の場合も含めて、
宗教が力を失ってからと言ふほうがいいけれど、
人間は神とか仏とかまあさういふものを信ずる代わりに、
ロマンチックな愛を信ずるやうになった。
ところが、このロマンチックな愛の象徴に一番なりやすいものが偶然なんだ。
どうもさうらしいや』
なぜか旧かな遣いがしっくりとくるのである。

「動物の言い分 人間の言い分」 日高敏隆 角川書店 ★★★
生きるにいろんな戦略がある。
それは動物も昆虫も、蝶も同じかもしれないな。
『敵に早く憶えてもらうために、ヤドクガエルたちは、
じつに派手派手しい色彩もようをしている。
思わず目を魅かれるほど美しい。
 だが、昔からいうとおり、美しいものには毒がある。
ヤドクガエルたちにかぎらず、体に毒をもつ動物たちは、
すべて美しく目立つ派手な「衣装」をまとっている。』
これを人間にあてはめるのは、無理があるというものだ。
なぜなら例外のない法則はない、のであるから。

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プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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