ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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同窓会
もう何十年ぶりかの中学校の同窓会にはじめて出席した。
ぼくたちの学年は、当時クラスの数が多かった。
同窓会といっても、学年全体でのものだ。

はやめに会場に着いて椅子にかけてまっていた。
パラパラと同級生がやってくる。

顔を視合わせて、軽く目礼する。
近づいてきながら声をかけてくる。

「元気そうじゃないか」
「おまえもな」
「久しぶりだなあ」
「ほんとうに、そうだ」

すべての連中がこうだというわけではない。
じっと見つめて考えても、どうしてもわからない顔もあるのだ。
クラスがいっしょになったこともなかったのかもしれない。

野球部のキャプテンだった彼が握手を求めてきた。
たがいに握りあっただけでなにも話すことはない。
クラブはちがっても運動部にだったという連帯感があるのだ。

おきまりの二次会はカラオケだった。
歌う姿を見ているだけで、その同級生の人生がうかんでくる。
なにはともあれ、みんな元気そうでよかったと思う。

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読書と付箋
読書しながら、これはと思ったところには付箋をはることがある。
多いものだと本を閉じたとき、付箋がページの間から新芽のようにのびている。
グリーンの付箋を選ぶから余計にそう見えるのかもしれないではあるが。
読みおわったのちに、付箋の箇所をもういちど読みなおしてみる。
そうすると不思議でもないが、なぜここに付箋を貼ったのかわからないことがある。
なにかべつのことに気をとられていた、ということがあるのだろうか。
この文章もなにやら付箋だらけだ、といえないこともない(笑)。

「時のかけらたち」 須賀敦子 青土社 ★★★★
いなか町のレストランであったできごとが書かれている。
『デザートだけ、チェザレがこれにしようといった。
ポロンポロンというおかしな名がついていて、
注文をとりにきた店の主人にどんな味がするかとたずねると、彼はこたえた。
子供のときの味です。
ポロンポロンは、ふんわりと粉砂糖をまぶした揚げ菓子で、
口にいれるとぺしゃんとつぶれた。
つぶれる感じが、ほんとうに子供のとき、子供のときのすべてに似ていた。』
こんな文章を読めば、だれであれ旅にイタリアに行きたくなるではないか。
ああ、そんな懐かしい体験をしてみたい、と思わずにはいられない。

「心の扉を開く」 河合隼雄 岩波書店 ★★★★
読んでいただく本のリストをあげ、その内容を基にして人間の心について考える。
 Ⅰ 私と“それ”
 Ⅱ 心の深み
 Ⅲ 内なる異性
 Ⅳ 心―おのれを超えるもの
という構成になっていて、各章でまず読んでほしい本が五冊あげられている。
もっと読んでみたい人のためにで五冊、全体で四十冊の本が紹介されている。
これは読んでみたい本だなあと思わせる語り口で、いろんなことが話される。
読み終わって、うーんやっぱり河合先生の本はいいなあ、と思うのであります。
ちなみにこの四十冊中いままでに読んだことのある本は、約三割でしたね。
これからどんな本を読もうかと思っていたのだが、リストがすこし長くなりました。

「心・脳・科学」 ジョン・サール 岩波書店 ★★★
哲学者である筆者が、一九八四年におこなったリース記念講演をもとにしたものである。
そのなかでもコピュータは心を持つことができるのか、についての考察が興味深い。
そんなコンピュータがまもなく作られるだろうという技術者も少なくはない。
だが、脳に関する知識がきわめて原始的な段階にあるとする生理学者もいる。
地球上に最初の生命が誕生するまでにどれくらいの時間が経過したのだろう。
おおいに議論することは有益なことだとは思うのだが、注意も必要である。
『「科学」という単語は、いまやいわば尊称のようなものとなり、
物理学や化学に似ても似つかないあらゆる種類の学問分野が、
自分を「科学」(“science”)の一種であると呼びたがっています。
覚えておいて損ではない簡単な判定法は、
自分自身を「科学」と呼ぶものはじつは科学ではないというものです。』
という状況では、議論をみきわめられる知識もまた必要なのであるまいか。

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読眼流
このところ読んでいる本はどれもある一定の水準を超えていると感じる。
なによりも爽快な読後感がそれを物語っているようだ。
読んでいて思うが、文体とはその人のこころのありようだということだ。
品性はその文章に自ずとあらわれるいうことになる。
そんなことを意識して書くことはないのだろうが、結果的にそうならざるをえない。
ごまかそうとする人は、やはりその姿勢が読むとわかるような気がする。

「お言葉ですが…別巻1」 高島俊男 連合出版 ★★★★
文章を書いたりするときにいつもそうだった、とご指摘をいただいている。
なかなかの硬骨漢にみえるが、やさしい人ではないかと思っている。
しかし、まちがっていることを見過ごすことはできないのであろう。
『キチンとした文章を書くにはどうすればよいか。
新聞の文章のまねをしない。このことをみなさんにおすすめします。』
新聞はある意味キャッチコピー的にならざるをえないのだろう。
紙面、字数の制限もあるだろうからと考えるが、それでもおかしな語も多い。
古典を読むということは、そうならない勉強にもなっているのだろう。
『程度のひくい人が機械をつかって書いた悪文章をもっともかんたんに見わけるには、
「付」「掛」「込」の、三字があるかどうかを見ればよい。』
確かに思いあたることおおいにあり、自戒しなければいけません。

「ほんとうの環境問題」 池田清彦 養老孟司 新潮社 ★★★★
こうした議論を読んでいると、環境問題はそう簡単なものではないとつくづく思う。
なにかを規制すれば、元の状態(?)に戻るなどとという単純であるはずがない。
しかし企業のコマーシャルを見れば、人々はすっきりとしたエコ生活を好むらしい。
環境問題は、エネルギー問題だということは疑うべきもない。
『(池田)
「石油がエネルギー資源の中心になって木の伐採量が減ったことによって
世界の森林が残ったということはたしかにある。
石油がなかったら、メソポタミア文明や黄河文明の例を見ればわかるように、
砂漠化が世界的にもっと進んでいたのではないかな。
だから、石油が世界の生物多様性を救ったということなのかもしれない。」』
こういうことも確かにあったと思うから、余計にむずかしいのだ。
ギリシャのオリンポスの丘も、きっと昔は緑なす土地だったのではないか。
この国は多湿な気候だから緑が残ってきた、ということを日本人は忘れている。

「本を枕に」 奥本大三郎 集英社 ★★★★
奥本氏の文章はフランス文学者らしく(?)、なめらかで読みやすい。
読む姿勢というのはさまざまであるらしく、寝ころんでは少数派かと思っていた。
気楽に読むほうが、変な先入観にとらわれずにいられるかもしれない。
『いくらでも鳥獣がいる時代ならば鳥撃ち、それに鹿撃ちを面白いと思うのが自然であって、
狩猟の残酷さに眉を顰めるのは都会人士の単なるセンチメンタリズムであるという気がする。
そうして多くの鳥獣が絶滅に瀕している今日になっても
まだそれを続けたいと思うのは教養がないのである。』
信念をもつのはいいと思うが、なにがあっても絶対に変えないという人がいる。
日本では教養というと大学の教養課程を思い浮かべるくらいで人気がない。
確かに頭がよくても(経済的に豊かでも?)まるで教養がないという人はいるようだ。

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忍者ライダー
仕事で遅くなった駅からの帰り道を歩いていた。
もう陽もとっぷりと暮れて、あたりは外灯のうす明かりだけである。

橋を渡ろうとするころ、後方からバイクの音が聞こえてきた。
すこし脇によって、バイクをやりすごす。
爆音を轟かせてバイクは通りすぎていった。

ところが、すこし先で音が急にやんだ。
同時にライトもぷっつり消えた。

エンジンを切ったバイクが、
なおも慣性で走り、
すこし下り坂のカーブを巧みに曲がって、
闇のなかにきえてゆく。

3944月


あたりにはさらに深い静けさが残った。

近所に気配りするライダーなのだろうか。

ピンクリボンウオーク2008
乳がんの早期発見をめざしましょう、というピンクリボンウオークに参加した。
現在、日本人女性の20人に1人が乳がんになる、とパンフレットにある。
それでも早期に発見すれば、高い確率で治癒するという。
だが現状は乳がんへの関心も、検診率も低く、気づいたときには進行がんということが多い。

去年初めて参加したのだが、今年も歩いてみようと思った。
だったが、Nまるさんは当日体調不良、F先生は石見空港のマラソンに参加するという。
みかねた相方のTが、じゃあいっしょに歩いてあげる、とおっしゃってくださった。

4272ピンクリボン

予想に反して好天気である。
半袖で歩いてちょうどいいくらいというより、汗ばむくらいだ。

参加者は、やはり女性が圧倒的に多い。
もちろん、女性自身が意識をもつことがたいせつなのである。
しかし、世のなかの約半分は男であるから男性の理解も必要だ。
というようなことではないのだが、歩くのは気持ちがいい。

神戸の街を歩く。
異人館のある山際を、坂を歩く。

4283旧居留地

ハーバーランドと名づけられた地を、海沿いの道を歩く。

4280神戸港

どうしても乳がんで亡くなったKさんのことが思いだされてならない。
早いもので、あれからもう五年以上が過ぎた。
いまでもときおり、声が聴こえてくるような気がする。

元気だったら、きっと冗談を言いあいながら歩いただろう。
なにかおいしいものが食べたいよね、などとも言う。
ウオーキングの後にはビールはかかせない、ときっぱり笑って言う。

4284スマイルウオーク

「光陰矢の如し」である。

真実一路
いまではパロディのような響きをもつこの言葉だが、ある時期は光り輝いていた。
漫画「巨人の星」の主題歌にも「思い込んだら試練の道を…」とあるではないか。
なにかが正しいと思いつめることは、原理主義にもなりがちである。
単純に正しいことはひとつであり、正しいこと以外は悪であると断じるのだろう。
世の中そう簡単にはいかないと感じていても、単純は魅力的である。
さらに思考を停止することは、エネルギー節約にもなるのである。

「夢のなかの夢」 アントニオ・タブッキ 青土社 ★★★★
この書物のなかで夢見る人々という注釈(著者による)でフロイトの項をこう書く。
『かれの説によれば、人間はみな心の中に暗い魂をかかえているという。
かれはそれを無意識と呼んだ。
かれの『精神分析学』は精巧な小説として読むことができる。
エス、自我、超自我がかれの三位一体にあたる。
そしてもしかしたら、まだわたしたちにとってもそうなのかもしれない。』
しかしながら、ヒトが夢を見ない生き物であったなら、としばし考える。
もしそうであったなら、人生はもっと味気ないものになっていただろう。
(だが、存在しない夢を仮定するということは不可能に近い)

「逆立ち日本論」 養老孟司、内田樹 新潮選書 ★★★★
いまでもそうだが、日本人は日本人論が好きだ。
ほめられることであれ、けなされるにしても好んで話題にする。
しかし、日本人とはなにかについては驚くほど無頓着である。
そこらあたりのことを内田氏はこう指摘する
『「日本人って何か」も厳密には定義できないのです。
「縄文時代の世田谷区民」という言い方がナンセンスなのは誰でもわかる。
世田谷区という行政単位が出来たのは最近なんですから、
その区分を遡及してあてはめることが無意味だということはわかる。
でも、「縄文時代の日本人」という言い方が同じようにナンセンスであることには気づかない。』
どんなことでもある前提から出発していることが多い。
しかし、その前提を忘れるというか、前提の存在自体を考えないからかみあわない。

「コーカサスの金色の雲」 プリスターフキン 群像社 ★★★★
第二次大戦の末期、スターリンによって強制移住させられた民族があった。
チェチェン・イングーシの人々、コーカサス地方のバルカン人、カルムィク人、
バルト沿岸のラトビア、リトアニア、エストニアの人々も、
彼らはカザフスタンやキルギス、シベリヤやキルギスへと追放された。
この物語りはそういったことのなか、ほんのひとつのエピソードなのだろう。
サーシカとコーリカは孤児であり双子の兄弟だ。
社会が激動するなかで、こうしたこどもはどう生きればいいのか。
彼らが生きてゆくときに、善と悪などとだれが教えることができるだろうか。
人が命をながらえるのに汲々とする状況では、なにが至上命題となるのか。
アゴタ・クリストフの「悪童日記」をすこし思いだすのである。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

不機嫌な少年
彼は途中駅から、いつも最後に乗り込んでくる。
電車が動きだすと、ドアのガラスにおでこをくっつけてよりかかる。
からだは斜めになったままで、じっと下を見つめている。

いつも重そうなかばんを持っている。
疲れをにじませた顔はすこしひきつっているようだ。
笑い顔は見たことがない。
ほかの学生のように参考書をひらくこともない。

ともだちといっしょにいることもない。
中学生だろうか。
表情には幼さが残る。

4239鉄路

そんな彼が今日は乗り込んでくるなり、どずんとかばんを床に落とした。
お母さんと朝っぱらから喧嘩でもしたのだろうか。
ふくらませた頬がすこし赤い。
口を一文字にむすんだままだ。

地下鉄駅のエスカレータに向かって駆けてゆく。
いつものことのように後姿を見送りながら思う。

それでも、ちがった表情をみせた彼にほっとした。

影の男
朝の地下街の柱の陰、身を隠すようにその男は立っている。
ついさっき苦いコーヒーを飲んだところだというような顔をして。
刑事が張り込んでいるみたいな様子をただよわせながら。

通り過ぎるサラリーマンが、ときおりぎょっとする。
そこに人がいるなんて考えもしないからだ。
怪訝な表情で男をふりかえりながら、それでも通りすぎてゆく。

男はなにを見ているのだろうか。
それとも、だれかが現われるのを待っているのだろうか。

男の視線のさきには、キオスクのような売店がある。
その隣には宝くじ売場がひらいている。
文字が朱書きされた紙がたれさがっていた。

「当売場から、1,000万円の当りがでました。おめでとうございます」

その当選者を待ちうけているのだろうか。
あわよくば、奪おうなどと考えてもいるのだろうか。

だが、高額の換金は銀行に行かなければならないはずだ。

ちらと男を見やると、にやりと笑いをうかべた。
確かにそんな気がする。

都会のミステリアス・モーニングなのである。

4242ビルの谷間

嘘か真か
いきなりで申し訳ないが、犯人は「私は犯人じゃない」と必ず言う(らしい)。
では犯人ではない容疑者はどう言うか、やっぱり「私は犯人じゃない」だ。
犯人も非犯人も同じように「私は犯人じゃない」と言うのである。
ここからなにが解るかというと、「おまえは犯人だろう」と問うことは無意味だということ。
訊けば分かるのでなければ、どうすればほんとうの犯人を知ることができるのか。
本を読んでいても、これと同じようなことに行き当たることがある。
読むとは一種の謎解きでもあり、探偵のような疑り深さが必要かもしれない。

「<現代家族>の誕生」 岩村暢子 勁草書房 ★★★★
おふくろの味っていうけど、それって誰もが食べていたものなのか。
昔はきちんとバランスのとれた食生活を送ってた、という昔っていつのことなのか。
世間やコマーシャルでいうことは、ついそう思いがちだがほんとうにそうなのか。
では実際に調べてみればいいということで、その調査結果がここに書かれている。
『ある70代の母親は
「昔は子供が泣いても転んでも手を貸さずに、
親や先生は子供が立ち上がるまで待っていました。
でも、だんだん子供が転ぶと
『先生、いったい何やってたんですか』と親が文句を言うようになりました。
『自主性尊重』『自然の育児』と言いながら、
すぐに『大変』『かわいそう』って子供を助け起こすようになってしまったんです」
と、一九六〇年代に子供に対する親の態度に変化があったことを語っていた。』
食生活にもそうした事態が如実に表れている。
母親は娘がコンビニ弁当を並べて食事していても、それはそれでいいという態度だ。
仮になにか助言するにしても、食器に移せば見栄えもよくなるのにというぐらいだ。
その娘の次なる世代は一体どういうことになるのだろうか。

「港町食堂」 奥田英朗 新潮社 ★★★★
新潮社「旅」(雑誌)の連載で、編集者と港へ必ず船で到着するというこだわりの記事。
いつのまにか、この「旅」はJTBから新潮社へ、そして女性誌に変わっていたんですね。
しかし、雑誌の取材となると先方の態度がちがってくるのはしかたのないこと。
とにかく歓迎してくれる、これ食べなさい、もっと飲みなさいなどと。
各地の港町でいろんな出会いがあり、いろんなことが起こる。
こんな旅は一般人にはできないが、だがしかし似たような事件に遭遇することはある。
そんなことを懐かしく思いだしながら、ときににやりとしながら読むのは楽しい。

「ホントの話」 呉智英 小学館 ★★★★
いつも痛快な言辞で笑わせたりしてくれるが、まずは「論語」の言葉から。
『 民はこれに由らしむべし、これを知らしむべからず(泰伯篇)
 民衆は、政治に従わせることはできるが、その真実を知らせることはできない、
という意味である。
これをしばしば故意に曲解して、民衆を服従させよ、真実を知らせるな、
という意味に使われるが、むろんそうではない。
そもそも民衆全員に真実を知らせることなどできっこないのだ。
この言葉の誤用が広く流通していること自体、それを証明しているではないか。』
世の中には言葉の曲解、誤解、語源のこじつけなどが実に多い。
そのことに気づく人もあれば、まったく気にしない人もいる。
ではあるが、小生はどちらかというとそういうことが気になる質だ。

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グレンチェック
前方を歩く紳士のスーツの色はなんとよべばいいのだろうか。
うすい黄緑色にすこし青みがかった色とでも言おうか。
距離が近づいてくると、グレンチェックになっているのがわかる。
ちょっと派手な気がして、ぼくには無理だなあと思う。

生地や織物の柄などにはスコットランドの地に生まれたものが多い。
このグレンチェック(略称だが)も例にもれない。
アーカートという土地の谷間(グレン)で織られていたところからついた名称だとか。
だから正しくはグレナカート・チェックというらしい。

なにか洗練された雰囲気を感じさせるので若い頃から好きだった。
チャコールグレーでグレンチェックのズボンに、紺のブレザーなんてかっこいいと思う。
このブレザーというのは正装である、と昔アパレル時代に教わった。
どちらかというとダークスーツのほうが略装だという(ふつうの感覚とはズレがある)。
最上級の正装は、昼間ならモーニングコート、夜なら燕尾服だろう。
そこまで儀式ばらなければ、タキシードあたりにおちつくだろうか。

若い頃、既成のルールに反発する青年はどこへでもジーパンで出かけていった。
もちろん長髪で、わざと汚らしいかっこうをして、下駄まではいたりしていた。
(ご推察の通り、ぼくもそういうかっこうしたことがある)
(友人の家にその風体で行った時、お母さんが陰に隠れて笑いを噛み殺していた)

しかし服装のTPOというのはむずかしいものだ。
もちろん日本人にとっての正装は紋付羽織袴である。
であるから、これは世界のどこでも通用するのである。
(落語家や関取は便利だ)

いつのまにかファッションの秋になっていた。

ベルトとポーチ
以前にもこんなことがあった気がする。
昨日の朝も駅で電車を待っていた。
なにげなく腰のあたりに手をやるとなにかいつもとちがう。

腰に目を落とすとやっぱりそうだ、ベルトをしていない。
その瞬間にすばやく上着の前のボタンを留めていた。
ズボンが下がるとかの問題はないのだが、なぜか気にはなる。

会社への道を歩きながら、どうしたものだろうと考える。
作業用のズボンに着替えようか。
(ロッカーを開けたらズボンはかかってなかった)
思案しながらなおも歩いていると、ふと前方に怪しげな男性を発見した。

片手にポーチをぶらさげ、元気よく振りながら歩くサラリーマンだ。
白いカッターシャツ姿で、背広は着ていない。
横を向いたときちらりと見えたが、ネクタイは締めているようだ。

ちょうど出張先のビジネスホテルで、朝の洗面に向かう態である。
これがまあ社内であれば、そんなに変ではないのだろう。
つと、急におかしくなって口の端がゆるんだ。

当方は、社内でなんともかっこうがつかない状況に陥っている。
片や、彼はあれで事務所のなかだとどうということはない。
なんだ二人あわせて一人前なのか、という感想である。

しかし、思わぬところでいろんなスタイルの人に遭遇するのである。

4141夕景

明日はわが身
“today birds,tomorrow man”という言い回しがある。
(レイチェル・カーソンが言ったのかとも思ったが…。)
今日は鳥、明日は人。
いまは鳥の身に起こっていることだが、やがては人にふりかかってくる。

環境問題に現代は関心が高い、ようだ。
できるだけ環境にやさしく、などといろんなところで目にする。

ハイブリッド・カー
(これを製造するコスト【環境負荷】はどれぐらいなのか知らないなあ)
(できるだけ車に乗らない、という選択肢はないかな)

エコバッグ
(わざわざエコバッグを作るという発想が、エコではない?)
(でもおしゃれな物を持ちたいという欲求とのせめぎあいがある)

バイオエタノール
(これも問題が多いなあ、トウモロコシで燃料だなんてもったいない)
(一方では食べるものもなく飢餓に苦しむ多くの人々がいる)
(他方ではアル・ゴアのように冷暖房完備の豪邸でエネルギー使い放題に暮す)
(日本人には理解できないメンタリティーですねえ)

CO2排出権取引
(最後はお金に到達、これをビジネスと考える欧米人っていったいなんだ)
(いままで省エネしていなかった国は大いに儲かるという仕組みだな)
(なんだか変だ、ほんとうにCO2を少なくしたいなんて考えていないな)

地球温暖化
(この論はどうも胡散臭いし、科学的な根拠にも乏しいようだ)
(冷え性の女性には朗報というべきか、寒冷化のほうがよほど問題だ)
(もし寒冷化に向かっているのなら、もっとCO2を排出しろということになるのか)

人口問題
(この地球上に現在の人口は多過ぎはしないか)
(必然的に食糧問題が起こってくる)
(であるのに、少子化対策とは、現状認識不足か)

こう考えてくると、すべての元凶はヒトという結論になりそうだ。
(ヒトがなんらかの原因で絶滅すれば、問題は解決する?)

4203誘導灯

秋だというのに、なんだかゆううつになる。

読むこと、知ること
多くの人は本を読むことによって、なんらかの知識を得られるものと思っている。
それはそうなのだが、その知識がほんとうなのかどうなのか、とはあまり疑わない。
こうしたことは、書物のみならず新聞、テレビ、インターネットなどでも見られる。
これは知識が増えればそれだけ知らないことが少なくなると思うのと同根である。
知ることはそのことによってこそ、知らない世界がさらに広がるということなのである。

「ミラノ霧の風景」 須賀敦子 白水社 ★★★★
兵庫県の出身だときいて、親近感をいだくのはふつうの感情である。
エッセイとは、ただだらだらと書き流すものをいうのではない。
身近なことを描写するのであれ、その人の視点がなくてはならない。
随筆というのは日本語での謙遜であって、箴言というほうがその意を示している。
彼女はイタリア文学の翻訳をし、さらに日本文学をイタリア語に翻訳もした。
双方向の仕事になみなみならぬ力量と志が感じられるのである。
イタリアはいまでこそ一流国から落ちこぼれた(?)が、もとを質せばローマ帝国だった。
そんなイタリアを旅しているような気分で、懐かしいように感じつつ読んだ。

「時は流れず」 大森荘蔵 青土社 ★★★
人は過去→現在→未来、というふうに時間が経過してゆくと信じて疑わない。
過去を思いだすことは再体験することだというが、はたしてそうなのかと筆者は問う。
『いずれにせよ想起される過去はしばしば誤解されるように知覚に類するものではなく、
数学の場合と同様に「思われる(conceive,meinen)」命題なのであり、
その「思い方」は小説や物語りにおいて誰もが熟知している経験なのである。』
なるほど確かにそういう面はあると思う。
しかしながら自分自身の経験に照らしてみて、あながちそうと言えないとも思う。
夢のなかに現われる鮮やかな色彩、とどろく音はどういうことなのだろうか。
人は現在のみに生きているのではあるが、その現在とはなにかなのだ。

「多重人格とは何か」 朝日新聞社編 朝日文庫 ★★★
多重人格といっても、なにか特異な人格とばかりもいえない。
だれでもが場面に応じた性格を表わすのは日常によく経験することである。
(上司にはへつらい、部下に対しては強圧的態度で接するのは同一人物なのだ)
『私たちが持つ複数の意識は、それらの間に交流がある。
つまりひとつの意識で起きたことを、他の意識もたいていは知っているし、
ひとつの意識からもうひとつの意識への乗り移りは、
普通は意図的にコントロールが可能である。ところがこれらの性質が失われて、
意識同士がお互い見知らぬ他人のようになってしまうのが多重人格である。
典型的な多重人格の場合、ひとつの人格で起きていることを、
他の人格は知らないことが多い。
互いの人格同士に情報交換が成立していないのである。
さらにひとつの人格から別の人格に移るプロセス自体を、
当人はコントロールすることが難しい。』
幼児期の虐待経験が、その端緒になっているということがよくいわれる。
生命の極限状態を違った人格を作り出すことによって、切り抜けるのだ。

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台湾・B級品
朝起きてすぐに窓の外を見る。
雨はまだ降っているが、風は昨日と較べて明らかに弱くなっている。
果たして、台風はいまどこにいるのだろう。

4151台中のホテル

どこへも行くところがないので、偽ブランド品の店に行きたいと要望がでた。
そこで、ガイドさんがある店に連れて行ってくれることになった。
やはり紹介がないと駄目な店なのだろう、とある街角でバスは停まる。

4183台南市街

そう思うとそうみえる怪しげなおやじがやってきて、こっちだと身振りで示す。
みんなでぞろぞろと歩いて、路地の奥のほうへすすんでゆく。
ビルの裏の狭い通路を入ると、鉄のドアが開いた。
なかからいかつい男が出てきて、なにも言わずにドアを押さえていた。

ビルの一室にはすでに先客もいた。
さっそく、売り子のおばさんが日本語で話しかけてくる。
「安いよ、安いよ」
(あたりまえだ、コピー商品なんだからとつい思う)
なにげなく商品を手にとると、すかさず脇にやってくる。
無視していると、すぐに別の客に移ってゆく。

どれと思って「プラダ」のセカンドバッグの値札を見る。
6800元とある。
23000円余り(1元=3.4円のレートだった)もするのである。
精巧だといってもしょせん贋物なのだ。
ずいぶんと高価なものだなあ、と思う。
もちろん買う気はないのだ。

だが、にせものとほんもの、その違いはなにか。
考え始めるとなかなかにむずかしいのである。
オリジナルとは西洋の考え方なのだろう。
独自、個性、などと言ってるうちは「悟り」の境地からはるかに遠い。
しかしまあ、満足できればけっこうけっこう。

幾人かはなにほどかの品物を買ったようである。
車中では、安かった高かったと後談義が聞こえていた。

4163台湾色彩

そう考えれば、見た目は同じようなアジア民族なのではあるが、
文化、価値観、色相、香辛料の好み、ファッションセンスなどちがうものである。
(なにが優れているとか、高級とかの意味ではありません)
だから、旅は楽しいのである。

4176天井絵

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

台湾・台風の中
主だった政府管轄の観光地や学校は台風のためすべてお休み。
つまり公務員は休みなのである。
高速道路の料金収受員も休みなので、フリーパス、無料である。
日本人はへえーと驚くが、台湾の高速料金は非常に安いのである。
30kmごとに支払うシステムでやや面倒だという感じではある。
だが、バスでも台北から高雄まで(400km弱)日本円で2000円足らず。
日本の高速料金は高過ぎるのだろうか。
(しかし、ひとつの比較だけでものごとは判断できない)

それでもいくつか観光名所をめぐる。

4171竜虎

ここはS氏が話していたカラオケ同好会(?)の場所なのであろうか。

4164カラオケ

高層ビルの上から見渡せば、高雄もおおきな街なのだとわかる。
徐々に雨風が強くなってきた。

4190ビル101

4191高雄市街

風雨が強まるなか、台中のホテルへ向かう。
ホテルの部屋では、サッシのせいか風の音がピューピューとすごい。
すぐ下の道路を、バイクの人がよろよろと押しながら脇の自動車になんどもぶつかっていた。
することもなくテレビの台風状況を眺めているばかりである。

4205台風の雨

ホテルは万全の台風対策でガラスにガムテープを貼っていた。
これが一般的なのだろうか、その後もいろんなところで見かけた。

4208飛散防止

宴会の間中も外は風雨が激しいようだった。
さあ明日は最終日、飛行機は果たして台北を飛び立つのだろうか。

欠航ということになれば、もう一泊ということになる。
それもいいなと、勝手な想像をしながら早めに眠りについた。

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

台湾・高雄
いまではまったく流行らなくなった(?)社員旅行に行ってきた。
直前の気象情報では現地で台風と鉢合わせになりそうな気配だ。
しかし、いまさら計画の変更などできっこないのだ。
まあなんとかなるだろうと楽観的に出発した。
世の中では、念じる予想ははずれ、嫌な予感は的中するものである。

4126関空

台北の空港へは問題なく着陸しバスで真新しい桃園駅へ。
ここから台湾新幹線に乗り、「高雄」へ約一時間半の列車の旅である。
どんよりと曇った空の下、ホテルへとバスで到着する。
ロビーは結婚式の披露宴客でにぎわっていた。

4130強風

4147花束

翌日はやはり予想通り雨が降りだしていた。
そしてバスが発車する直前、添乗員さんの一言が発端だった。

前日の注意事項でこう言われた。
貴重品はホテルの部屋のセフティーボックスに入れるように。
だから、失くすと帰国できなくなってしまうパスポートをそこに入れた。
同僚は入れないで持っていると言う。
中にしまって、暗証番号を打ち込んで終了。

「番号を忘れたら大変だな」などと軽口をたたいた。

忘れ物のないように荷物を整理して朝食へ済ませる。
早めにゆったりとバスの座席でくつろいでいた。

「念のためですが、パスポートはだいじょうぶですね」
と添乗員さんの一言で、はっと思いだした。

「すみません、部屋のセフティーボックスに忘れました」

失笑のなか、大慌てで部屋に戻りパスポートを取り出して再びバスへ。
なんと、暗証番号ではなく取り出すのを忘れてしまったのである。
のんびりというか、しまらない旅のスタートになった。

やはり、貴重品はセフティーボックスに入れないほうがいいのだろうか。

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遠くに眺めるのも好きです。
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