ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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春読書
三月というと、学生が春休みを利用して旅をする季節だなあ、などと思う。
旅のしかたも、事前に時刻表を調べて乗換駅、時間などきっちり表につくる人がいる。
かと思うと、旅は風まかせさ、とばかりに来た列車に乗り、つととある駅で降りる。
そんな旅をする者もいるが、これは性格の反映だろうか、それとも育ちのせいか。
ここにも生まれつきなのか後天的なものなのか、という二者択一的においが感じられる。
しかし列車の四人掛け席で、窓にもたれながら本を読むのもいいものである。
春の陽光をあびながら冷えたビールをのみ、うつらうつらするのも旅の醍醐味である。

「焦茶色のパステル」 岡嶋二人 講談社文庫 ★★★★
本作は岡嶋二人の初期の作品であり、江戸川乱歩賞に輝いている。
さて主人公、大友香苗の夫は競馬評論家の大友隆一である。
ある夜、幕良牧場の牧場長から電話がかかってきた。
そこで出かけていったのだが、牧場長とともに何者かに射殺されてしまった。
現場には二頭の馬も殺されて横たわっていた。
その一頭が四冠馬ダイニリュウホウの仔であるパステルだった。
このパステルの毛色が焦茶色(黒鹿毛)であった。
隆一が殺される前に、「ほんとうにパステルはこの馬か」とのことばを残していた。
人間でもそうだが、馬の毛色は遺伝子によってその範囲がしぼられる。
(毛色は、栗毛、栃栗毛、鹿毛(かげ)、黒鹿毛、青鹿毛、青毛、芦毛、白毛など)
またサラブレッドの血統は厳重な管理の下にあり、売買価格にもおおきく影響を及ぼす。
香苗は、競馬誌に勤める親友芙美子とともに殺人事件の謎究明にのりだしてゆく。
ディック・フランシスをしのばせるなかなかの筋立てで読ませるミステリである。

「変わる家族 変わる食卓」 岩村暢子 勁草書房 ★★★★
この本を読めば、愕然とする人が多いだろうとまず思う。
人はだれでも思いあたる節があるだろうが、いうことと、することが一致しないことがある。
アンケートなどでも、こう答えたほうがより正解(!)なんじゃないかと考える人も多い。
だから、世論調査などの数字もすんなり信じるとおおきく見誤ることになる。
設問のしかたで結論などどうにでもなるのだ、と考える人がいても不思議ではない。
要はなにを知りたいのか(導きたいのか)によって、質問のしかたがちがってきてしまうのだ。
『いま、現代主婦へのアンケート調査で得られる確かなものは、
「聞かれたら『そういう答えをする人』が何人いるか」ということだけで、
「『そのような人』が何人いるか」ではない。
マーケティングリサーチでそれを実態と見なし「策」を講じるようなことは、
慎重に行わないと大変危険なことになってきている。』
あるひとつの状がなにを意味しているのか、こんな例を教えてくれる。
『いまは、コンビニで朝や夜、一人分の食事を買っている男性を見て、
単純に「単身赴任の増加」「手抜き奥さん」を想像してはいけない。家族を持っても親となっても、
「単身気分」を味わいたい大人たちのお楽しみ光景がそこにあるのだ。』

「しくじった皇帝たち」 高島俊男 ちくま文庫 ★★★★
高島先生の本がいつも楽しいのは、他人の説の追従ではないからである。
評価というものは個人によってちがうのはあたりまえだが、そうともいえないという。
高名な人になると批判することがむずかしいし、過去の賛辞に右へならえ方式をよくみる。
だが高島氏の手にかかるば、容赦なく間違いは正しく指摘し、下手はへたという。
『概して、漢文調の荘重体をむやみにありがたがるのは、西洋文学を専攻した人に多いようである。
西洋文学を専攻した人が漢籍や漢文のことをよく知らないのはわたしどもが
西洋のことに無知なのとおなじく当然のことで、別にはずかしいことでもなんでもないのだが、
そこに何かコンプレックスがあって、そのおおいかくしなのかうらがえしなのか、
知ったかぶりをしたり、やたらにもちあげてみたりするのであるらしい。』
まさしく劣等コンプレックスというのは、いろんなところに散見されるのである。

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フード・マイレージ
フード・マイレージ(food mileage)ということばを最近耳にする。、
「食物(=food)の輸送距離(=mileage) 」という意味らしい。
だから、食物の重量(ton)×輸送距離(km)であらわす。
同じ重さの食べものでも生産地と消費地が近ければ、フード・マイレージは小さくなる。
だが、遠くから運んでくると、当然大きくなる。

0175銅馬

元は1994年にイギリスのティム・ラング氏が提唱したフードマイル(food miles)のこと。
日本ではその訳語(?)に、航空会社でなじみのある「マイレージ」が採用されたとか。
なんとなく和製英語っぽい感じがするが、どうなんだろう(笑)。

「地産池消」、つまり食べるものはその地で生産されるものを食べようということ。
これは最近のエコ推奨モードとも、おおいに関係がある。
価格は、生産コスト×輸送費の関数でもある。
つまり生産コストが同じなら、地場のものが安いわけだ。
だが、生産コストが著しく安い(これに疑問をもたない人が多いが)とどうなるか。
輸送費が安ければ、あるいは安くなれば遠くで生産されたものでも安価になる。
これがいまの中国産野菜などの現状であるわけだ。

だが、生産地と消費地が遠く離れると輸送エネルギーがより多く必要だ。
したがって、地球環境に大きな負荷をかけることになるというわけだ。
(ほんとうの負荷増大の元凶はヒトの数が多すぎることだ、とはなかなかいえない)

さらに安全性の問題などが表面化(!)してきて大騒ぎになったりする。
(国内の農家で自家消費のものには農薬はかけない、は周知の事実である)

また、発展途上国と先進国という組み合わせも問題になる。
買っていただく立場と、買ってやる(つまり買い叩く)立場のちがいがある。
安くていやなら売らなければいい、とはならないような構造になっている。
農機具だ肥料だ農薬だと買わせて、借金(つまり掛売り)でがんじがらめにする。
あるいはそれまで無縁だったアルコールに手を出すようにもなったりする。
一概に経済的な問題だけでなく、文化面での乱れもあるだろう。

また、農林水産省は2001年に試算している。
(どうやって試算しているのか、そこも本来は検証しなければ意味がない)
日本のフード・マイレージは、総量では世界中で群を抜いて大きいらしい。
(国内でも、北海道のものを沖縄で消費すればどうなるかはわかる)
さらに、国民一人当たりでも第一位を獲得しているのだそうだ。
であるから小さな国家、地域主義でいこう、というのでもないらしい。

0315花玉

科学の進歩、交通手段の発達、世界経済のグローバル化はいやでもすすんでゆく。
だがその結果がけっしていいことずくめばかりではない、という教訓なのだろうか。

強制と矯正
ふらりと入った牛丼屋でこんなところを見た。

カウンター越しに、まだ若いお母さんと小学生低学年くらいの娘のふたり連れがいた。
なにげなくながめていたのだが、おやっと思った。
娘が手にしていたのは、箸ではなくスプーンなのだった。
おやおや、大きくなったときに箸づかいで苦労しそうだな。
とは思ったのだが、最近ではあたりまえの光景らしい。

なぜ正しい箸づかいを教えないのかというと、こう答えるらしい。

「だって、娘が嫌がることを無理強いできないでしょ」
「我家では、こどもの自主性を尊重しています」
「本人が望まないことを強制するのはかわいそうですから」

と、一昔前の人間が聞いたら仰天しそうなことをおっしゃる。

さらに、「あなたもそう思いませんか」と問い返してくるのである。
「こどもの将来を考えれば、ちゃんと教えたほうがよくないですか」というと、
こんな人の気持ちがわからない人とは付き合えないわ、となるそうだ。

自由と身勝手が同じような用法をもつようになってきた現代である。
さもありなん、と思うしかないのであろうか。

それにしても、かわいい子だったので、すこし不憫であった。

障害読書
人生をおおよ80年として、そのうちで読書できる期間を60年と仮定する。
ところで一年間に100冊の本を読むとして、生涯で6000冊である。
頑張って(?)その二倍読んだとしても、12000冊にしかならないのである。
しかならないと書いたが、これを少ないと考えるか多いととるのかはその人次第だ。
これは各人が考え判定することで、ここでは問題としない。
では限られた時間のなかで、なにを読めばいいかをどう判断するのかという問題がある。
しかしこの問題は、読まないと判定できないということがジレンマのタネになる。

「ホームレス中学生」 田村裕 ワニブックス ★★★
昨年のいつだったか忘れてしまうほど前に図書館に予約していた。
ベストセラーになった本であり、はっきりは知らないが100万部を売ったとかきいた。
いちど読んでみるか、ぐらいの感じで興味をもったのだった。
ホームレス中学生というネーミングがヒットした要因でもあったのだろう。
中学生が家をなくしたらどうするの、とみんなが考えて購入したのではなかろうか。
しかし、世間は捨てたものではない、ということがわかって読者は安心する。
だからといって、自分も同じような境遇にある人を助けようと思うかどうかは別もの。
読み終えて、すこし気になるところがあった。
中学生に一日2000円の生活費は多いのではないか。
もちろん、食費だけでというわけではないだろうが、世代のちがいを感じる。
彼のこれからのお笑い生活を見守りたいと思うのである。

「二重人格」 ドストエフスキー 岩波文庫 ★★★
九等文官ヤーコフ・ペトロービッチ・ゴリャートキンのかくも不思議なる物語である。
サンクトペテルブルグ(のちにレニングラードとも呼ばれた)に暮らす下級官吏である。
ロシア帝国の首都であり、、「北のヴェネツィア」といわれる美しい運河の街である。
ゴリャートキンはあるとき、まったく彼とうりふたつの人物に出会うのである。
こうして二人のゴリャートキンがいろんな事件を起こしてゆくのであるが…。
人格が分裂した人のこころはこうなのだろうか。
だれもが同じような状態に陥りそうな気もするのである。
現代は多重人格などと話題になることがあるが、まずは文学にその兆しがあらわれる。
しかしながら、どうもロシア文学は名前がおぼえにくくて読むのに難儀するのである。

「黄砂 その謎を追う」 岩坂泰信 紀伊國屋書店 ★★★★
タクラマカン砂漠からはるか日本までやってくる黄砂とはいったいどういうものなのか。
どんな成分で、どのようなルート(高度)を、どの時期にくるのだろうか。
そんな疑問にとらえられた研究者は、その謎の解明にのりだしてゆく。
地球環境問題がクローズアップされるなか、黄砂もふたたび注目をあびてきた。
「黄砂は酸性雨を緩和する」、「黄砂は地球温暖化(寒冷化にも)に関係する」などと。
海に降下した黄砂はプランクトンに食べられもするのである。
『海の生き物の動向は、地球環境を左右する。
海では膨大な量のプランクトン等の微生物が生まれては死んでゆく。
プランクトンは成長するときに海中の炭素を取り込んで骨格や殻を作る。
死骸は海底に沈んで、分厚い炭酸カルシウムの堆積層を作る。
この炭素は、もとはといえば大気中にあった炭素なのである。
よく「大気中のCO2は海に吸収されている」という言い方をするが、
吸収して貯め込んでいる主役は海洋プランクトンである。』
すべての連鎖は単純ではない、と強く肝に銘じておかないといけない。
しかし単純な理論ほど人々を引きつけるから、ときにとんでもない理論が流行する。

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続アンチ友だち論
ヒトは集団生活をする社会的動物だという。
そのことは経験的にそうだろうと素直にうなずけるのである。
であるからして、和を重んじなければ集団は崩壊してしまう。
こうなると、日本的な言い草という感じもするが、そうかもしれない。
だから、みんな仲良くしなくてはいけないんだ。
ここでちょっと待ってほしい、どうもそこには論理に飛躍があると感じるのだ。

0579潮

仲良くしなさい、とはこどもの頃からよく言われてきたことだ。
ときには嫌な奴だなあと思いながらも、なんとか自分を抑えた。
相手もこっちを嫌っている素振りながら我慢しているのが分かることもあった。
どうしても仲良くできない人たちがいることは事実である。
それは信じる宗教がちがっていたり、信奉する思想が異なっているからでもある。
つまらないことだが、好きな球団がライバル同士だったりした場合などもある。

この世界のなかでは、異なる宗教を信じている人のほうが圧倒的に数が多い。
ここで単順に考え、ひとつの宗教のみが正しいというのであるならば、
まちがった宗教を信じている人のほうが多いという結論が導かれる。
つまりは、唯一正しい宗教というものは成り立ち得ないテーゼである、のかもしれない。

しかし、嫌いだということと、排除しようとすることは連動しない。
嫌だなあと思いながらもよくながめていると、おやっと感じることがあるものだ。

あの人のすべてが好きだという人がいる。
かと思うと、はなからまったくもって好きになれないという人もいる。
その理由は特にはないけれども、が本音であろうか。
まず、好きがあったり、嫌いがあったりするというのである。
だが、意識にはなかなかのぼってこない些細な原因があったりするのではないかと勘ぐる。
些細なといったが、社会通念的にとおりそうもない、というのが理由であったりもするのだろう。
(だからこそ、無意識下に押しこめられてしまうものなのか)
当然、それは時代、社会によって微妙にちがってもくる。

なにも無理に仲良くすることはないと思う。
そんなことよりも、嫌いだと思ったときに、なぜだかをじっくりと考えたほうがいい。
そうすればなぜ、どうして嫌いだと思ったのかがすこし浮かびあがってくるかもしれない。
考えるのも嫌だというのなら、その理由の理不尽さがわかっている可能性がある。
知るゆえに、表面にでてくることを拒否しようとするのだろう。
案外に、つまらない理由(本人にとってはそうじゃないが)だったりする。

例えば、やたらに女性にもてる男性なら、にやけたやつだとなる。
美しい女性に対しては、ちょっと化粧が上手なだけじゃないなどという。
それだけでは気持ちがおさまらなければ、それを鼻にかけていると空想的に述べる。
こういった言説はたいていがほんとうかどうか検証しようがないものである。
男なら、そんなことは気にすることないじゃないか、というところだろう。
「いいえ、そういう態度が許せないのです」、などとかえってヴォルテージをあげてしまう。

0135マイケル

いつのまにか問題がすり替わっていることも多々ある。
嫌いだという感情を変化させるのはむずかしい、と知るほかないのだろうか。

では、好きだということが単純かというと、これも一筋縄ではいかないのである。

アンチ友だち論
仲がいいのが友だちならば、仲が悪いのはなんと言えばいいものか。
ライバルでも天敵でもなく、相性の悪さとでもいうようなものがあるらしい。
そこらへんの空気はお互いに敏感に感じるらしく、すぐにわかったりするという。
だからといって、百発百中というわけでもないから始末が悪い。
あのときは嫌な奴だと思ったのに、とは後からの笑い話だ。

(ところが、ぼくはどうもそのあたりが鈍感らしい)
(だからこそ嫌な思いもしないですんでいる、ということにもなるが…)
(逆に友人は一触即発の雰囲気を察知し、傍らでやきもきしていたりする)
(しかししかし、無意識下ではわかってるんじゃないの、と)
(口の悪い洞察力のある御仁は、おもむろにおっしゃるのである)

0253シーサー

しかし、なぜ仲が悪くなるのだろうか。
もともとは、おたがいに関係がないわけだから、アプリオリということではない。
まあ、前世とかと言いだすと収拾がつかないのでやめておく。

(だけど、素朴な疑問はある)
(前世があるということは、個体あるいは生命の絶対数が確定しているということ?)
(それに最初はどうなるんだろう、前世のない最初があるはずだ)
(これって、ほとんど鶏と卵みたいになってしまうなあ)

その理由とは、いったいなんなんだ。

「だって、自分勝手なんだもの」
「いつもみんなといっしょに遊ぼうとしないんだから、しょうがないじゃない」
「なにを考えているのか分からないから気味が悪い」
「それに、なんとなく不潔だし…」

などなどとあげてもらえば、それは際限なく続くのだろう。
だが、ほんとうにそういう理由からなのだろうか。
実はもっとほかに言葉にし難いわけがあるのではないか、と勘ぐるのである。

0535ズグロミソゴイ

例えば、「生理的に嫌だ」という言。
巧妙である、理由を述べるようでいて論理を拒否している。
すべてを言い表しているようで、なにも言っていないのと同じ。
なんとなく官僚の答弁と似ている。

(こういうことって日本的だなあ、と思う)
(官僚はまさしく日本人そのものなのである)
(まったくもって、他人事ではない)

生理的なものであるのなら、だれにも同じような反応が起こるのだろうか。
決してそうではないことは、経験からだれもが知っている。
それよりも生理的というのが怪しいのである。
ある人が、なんらかの理由で嫌だと感じているだけなのではないか。
そのなんらかの理由をはっきりと言うとさしさわりがある。
ずばり言うと、品位を疑われたり、社会生活上問題が発生する(?)。
だから無意識に、そういう反論しにくい表現になるのではなかろうか。

(生理的は、自然と同じような構造をもつ)
(日本人は自然という言葉にからきし弱い)
(それゆえ、自然食品だから安全だ、などと訳の分からない理由をありがたがる)
(自然には有毒物質など存在しない、とでも思っているのだろうか)
(さらに、自然は人間に食べられるために存在しているのではないだろう)
(進化の過程で、捕食されないように毒をもつ生物も現れたくらいだ)

ロックマイソウル
ユースホステルでミーティングの司会をするときの持ちネタである。
大学生のときに、札幌の宮ヶ丘ユースホステルに泊まったときにおぼえた。
確か、奈良からきていた青年がやっていたのを見た(参加した)のだった。
一回だけで、メロディも歌詞もおぼえることができた。
終了後、やってもいいだろうかと訊いたら、頑張ってといわれた。
(ぼくのは前置きなどやたら長くて、申し訳ないと思っている)
(でも、演ずる(?)人によってちがってないとおもしろくないでしょう)

それ以後、一度だけテレビでフォークシンガーが歌っているのを見た記憶がある。

ユーチューブで検索したら、あった。



懐かしいなあ、M島のおばさんも好きだと言っていた。
いつも台所をへだてるガラス戸のかげから、こっそりのぞいていたらしい。

単純なメロディだから、料理をしながらくちずさんでいることもあったようだ。


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島で編集会議
昨年の四月で島のユースホステルも四十周年をむかえた。
みんなが慕っていたおばさん、おじさんも現在はもういない。
ひとつの区切りだなあと話しているうちに、文集をだそうということになった。
編集局の住所が我家なものだから、原稿の集まり具合がどうも気になる。
もちろん資金(寄付金で刊行する)も予定額には達していない。
それは印刷の方法等でどうにでもなるものだ。
しかし、原稿はそうはいかない。
三月末を期限として知らせているせいか、なかなか送ってこない。
まだ十人にも満たないのだ。

M島仲間は万事がゆったりしている。
ものごとを杓子定規に決めたりするのが嫌いだ。
決め事にしばられたくないという気持ちが強いのだろう。
しかし、ルーズとはすこしちがっている。
これを読んだら、さっそく書き始めてください(笑)。

0918島猫

旅行気分ばかりではいけないので、原稿執筆促進策を協議することにした。
そこへNHさんも加わって、話が盛りあがってきた。

「そうそう、あの手紙もらったの最近気がついたのよ」
「まあ、失くさないだけいいほうだけど」
「それがねえ、山になったテーブル上の本とかを片付けている底からでてきたの」
「ちゃんと読んだの?」
「だいたいはね、それでいいこと思いついたんだけど」
「どんなことでしょうか」
「とにかく一言でもいいから、みんなに書いてもらったらどうかしら」
「それはそのなかにちゃんと書いてあります」
「裏面も読んだの?」
「ええっ裏にも印刷してあったの、まあそうだったの?」(笑)
「あ~あ、みんなそんな感じなのかなあ」(苦笑)

夜も更けて、こんどはHRくんがやってきて話す。
なんでも最近、ビリヤードに凝っているのだそうな。
(ビリヤードといっても、ローテーションでも四つ球でもないのだ)
(スリークッションとよばれるもので、台もすこしおおきい)
なんと台まで買ってしまった、というではないか。
次の日はみんなで台を囲んでわいわい楽しげだった。

0880ビリヤード

MCRさんが事情を話してくれたが、いい奥さんだ。
怒るでなく、(ややあきれ気味ではあったが)しょうがないよねと。
やっぱり、夫婦ってこうでなくてはいけない。
だんだんといい感じの家族になってきたと思う。
いつまでも島を守っていてほしいな、と都会に住む者のわががまが言いたくなった。

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早春の瀬戸内
ひさしぶりにおじさん、おばさんのお墓にも参りたいしなあ。
昨年末でユースホステルの枠からはずれて、どんな感じでいるのか。
そんなことを思っていると、たまらなく行きたくなってきた。
若い頃のあの感じがよみがえる。
先週行ったばっかりなのに、なんてこともけっこうあったよなあ。

そういえば、東京からもよくきている連中がいたなあ。
夜行列車に乗って朝いちばんの連絡船で島にきて、最終便で帰る女の子もいた。
ぼくはよく神戸から四国行きの夜の船に乗った。
関西汽船と加藤汽船の二便あったが、加藤汽船が後発で運賃もすこし安かった。
小豆島への釣り客に混じって、二等船室で雑魚寝だった。
まだ暗い早朝の高松駅の待合室で始発列車をまった。
多度津まで行って港まで歩けば、四国方面からの始発便に乗れた。
すこしでも長くいたい、早く島につきたい、おばさんの顔が見たい。
そんな思いがあるのだろう、ときおり知った顔に出会うこともあったのだ。

0882早春

バス便でやってきたOKMさんと笠岡市役所で合流して港へむかう。
港には四国からのMRO夫妻がにこやかな顔でまっていた。
一時過ぎの普通船なのだが、料金をみてすこしおどろいた。
なんと運賃が990円になっていたのだ。
うーん、高くなったものだ、たしか最初にきたとき(30年以上前)は160円だったか。
まあ物価もちがうから、なんともいえないが、時の流れを感じるのである。
(逆にチャーター船は10人までは一万円と値下がりしていた、うーむ)
しかし、船内はおおくの客でにぎわっていたから不思議なものだ。

本浦港へ着いて、まっすぐにおじさん、おばさんの墓にゆく。
すこし前にだれかきたらしく、花も飾られていたし焼酎のカップが供えられていた。
いまでもなんだか照れてしまうから、真正面から対するのは苦手だ。
ついいわなくてもいい冗談なんかいったりして、苦笑いをする。
線香の煙をたどって空を見あげれば、にっこりとして見守っていてくれる気がする。
また来月くるからと、振り返りつつ墓をあとにした。

いくど往復したかなあ、百回くらいかな、と思う坂道を登ると息がきれる。
見送りのため、この坂道をまっしぐらに走ったこともあった。
まさに飛ぶように、転がるように港へとかけ抜けた。
船が出るのに間にあったのに、なにを話すでもなく桟橋にもたれていた。
テープも投げず、別れの光景をじっと見ていた。
こちらに気がついたのか、なにか言いながら手をふっている。
ちょっと手をあげてそれに答えただけで、なにも思わないようにした。
声をだすと、なんだか涙がでそうな気がしたのかもしれない。

0887石標

そんなことが浮かぶなか、見返り峠をゆっくりとくだっていった。

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「魔法のポケット」
前にも書いたけど、東京方面へでかけたときのパーティでいただきました。
春の気配にすこしゆるんだ瀬戸内の風を感じながら、いろんなこと想ったり、
ちいさく笑ったりしながら、しあわせな気分で読ませていただきました。
つぐみちゃん(この呼称で統一したいと思います)、ありがとう。


「魔法のポケット」 Tsugumi Burns 文芸社

読む前に著者と話しているので、その印象などもすこし。
まあ、ビール飲みながら、「たこやき」つまみつつの会話でしたから…。
いつでも思うのですが、人は第一印象でまずおおむね決まります。
(もちろん、なににも例外条項というのはありますが)

人となりなど初対面でほぼわかる、と豪語する人がいます。
そういう人物に限って、よく頓珍漢な反応をしたりしていて微笑ましい。

ではまず、つぐみちゃんは大人物である(笑)。
とにかくビールがすきなんだ、とよくわかるくらいぐいぐいと飲む。
その飲みっぷりは爽快であり、壮快にも感じられる。
それだけで、大人物決定なのである。
なんか文句があるなら、かかってきなさい、というような。
でありながら、繊細で神経がこまやかで、たぶんおしとやかなのだろう。
植物でいうならば、ひまわり(平凡な喩えで申し訳ないが)なのだ。
本人はカスミソウでありたいと思っていようが思うまいが、そうなのである。

本書は彼女のブログが書籍化されたものである。
ブログのほうもご覧あれ

日本とイギリスでは文化も宗教も、世間の考え方、マナーもちがう。
だが、ちがうけれども同じヒトであることに変わりはない。
そんななかで、なにを見るかでずいぶんと付き合いもちがってくるのだ。
ちがうことは驚きを与えてくれるのだし、新鮮な気分もいっしょにつれてきてくれる。

男は食べものに弱い。
加えてお母さんには無条件に愛着を感じてしまう。
そのお母さんは食事の用意をしてくれる。
よって、料理が上手でお母さんのようにやさしい女性にはころりとまいる。
なんて図式が、世間にはあるのかどうか知らないが、ありそうだ。

そんな強い絆で結ばれているのですね。
愛などといわないで、愛ゆえの行為(それが料理だ)で結ばれているといえるだろう。
すこし強引な結論ではあるが、ヒトは食べずには生きてゆけない。
(愛なくして生きれるかどうかは、この際考慮外とする)

英語表現と日本語のちがい、また同じことなど楽しいかぎりです。
そんな日々が発見に満ちみちているバーンズ家の楽しい声が聞こえてくる。
そんなしあわせが感じられる本であります。

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

あくなき世界
最近は小説を読むことが多いのだが、自分で不調だと感じているからだと思う。
疲れてくると、読む本の種類がどうしてもミステリとかになってしまうのだ。
考えながら読むことを無意識に避けているのだろうか。
読みながら考え、考えながら読むのを習慣としているのでそうなるのだろうか。
では、なるべく考えないでいいものを読めばいいではないか、と考えているのか。
そうではないようだ、飽くのである。
ひととき、本を読むことに、いや人生に生活にすべてに、飽くのである。
じゃあその飽くを退治するために読書をしよう、ってトートロジーであろうか。

「クリスマスのフロスト」 P・D・ウィングフィールド 創元推理文庫 ★★★★
二年の巡査生活を終え刑事になったばかりのクライヴが配属されたのは。
上司のフロスト警部は、しわのよったスーツによれよれのコート姿であらわれた。
机の上は書類の山でどこになにがあるのかもわからない。
提出書類はいつも遅れがちで、つねに催促をうけてばかいりる。
やることはといえば、脈略がなく場あたり的で、とてもスマートとはいえない。
だが、事件のこととなるとけっして手を抜かないし、仕事が夜半を過ぎようが気にしない。
そんな警部だが、なぜか署内の受けはいいから不思議なものである。
こういう人物がいると、まわりは迷惑しながらも苦笑しながらもなごやかだ。
だから読んでいても事件より彼のことが気になってしかたがない。
なんとか事務処理ひとつでも難局を切り抜けるとほっとするのである。
これもまた本ミステリの重要な要素なのであり、人気の秘密なのであろう。

「最悪」 奥田英朗 講談社 ★★★★
ちいさな町工場「川谷鉄工所」の経営者であり労働者の川谷信次郎。
高校を中退した妹がいて、母との板ばさみのような感情に悩む銀行勤めの藤崎みどり。
定職にもつかずチンピラのように暮らしながら東京に流れてやってきた野村和也。
この三人の主人公がそれぞれ三者三様の人生を送っているのであるが…。
オムニバスのように語られてゆくそれぞれの物語がすこしずつ交差してゆく。
お互いにまったく関係のない世界で三人は生きている。
最後にはひとつの事件現場で三人は出会うのである。
前半はやや平凡だと思いつつ読むが、中盤から一気に引きこまれていった。
このストーリー展開はさすがだと唸らせもするし、妙に説得力があるのだ。
こんな人生もあるのだろうな、としみじみと感じるのはぼくだけではないだろう。

「かくれんぼ」 ジェイムズ・パタースン 新潮文庫 ★★★★
マギー・ブラッドフォードは、いまは拘置所暮らしをしている。
最初の結婚相手からはひどい暴力を受けたあげく、拳銃で射殺してしまった。
続いての相手は大富豪で、二人でヨット上にいるとき嵐のなかで彼は心臓麻痺で死ぬ。
三人目の元サッカー選手はライフルで撃ち殺してしまった(はっきりとは憶えていない)。
しあわせをつかんだと思ったら、それはつぎつぎと消えてゆく。
それだけではなく、殺人犯と呼ばれながらの生活である。
なぜ、わたしばかりがこんな運命を甘受しなければならないのだろうか。
そう思い続けながら、彼女の独白でストーリーは展開してゆく。
はたして彼女のいうことは真実なのか、信じることができるのか。
終盤になって急激に意外な事実が明らかにされる。
筋の運びといい、ストーリー展開の妙といい、なかなかおもしろい。
シリーズものではないが、おおいに楽しめるミステリである。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

日本人とノック
ミステリドラマなど見ていると、ドアをノックする場面がでてくる。
トレンチコートなんか着て、襟をたてて顔をかくすようにした男だったりする。
もちろん部屋のなかにいる女は、ビクッとして扉をみつめる。
よくえがかれる視聴者も緊張する場面であり、クライマックスだったりする。

なにかの本で読んだと思うのだが、書名は忘れてしまった。
ノックのしかたが外国人(おおむね欧米人をさす)と日本人ではちがう。
どうちがうのかというと、日本人のノックはほぼ二回たたく。
(貧乏ノックと揶揄されたりするが、欧米では、これはトイレノックだという)
(しかし、エコ・ノックと強弁するのは苦しい)

0441男子トイレ

つまり、「コンコン」というわけだ。
こう文章で書くと、オノマトペっぽい感じがする。
日本人の擬態語・擬音語好きとノックの回数は関係があるだろうか。

もちろん、フランス人など欧米ではノックは三回以上という暗黙の了解事項がある。
というより、欧米文化ではということだ。
ちなみに、社会学では文化とは社会の慣習等をいう(文明のことではない)。
例えば、日本人は食事に箸を使う、というようなことだ。
とくに気にすることはない、と思うのだが。

話が横道にそれたが(いつものことか)、そいうことをいいたいのではない。
これをミステリに応用すると、どうなるかと考えるのだ。
ノックを二度たたくことで、日本人だと暗示することができる。
あるいはそれを逆用して日本人だと思わせる、なんていうのもあるかもしれない。

そんなことを考えながら病院の廊下を歩いていたら、
掃除のおばさんが、病室を三回ノックした。
(三回は、親しい間柄でとも聞くが…)
うーん、彼女はできる、と唸った。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

感情移入
たしかそんな書名の本があったと思って、ごそごそとさがしてみたらでてきたのがこれだ。

4754ヴォリンゲル

ずいぶんと前になるが、岩波文庫は★の数で値段を表わしていた。
これを買った頃は★ひとつが50円、これはふたつなので100円ということになる。
(奥付をみると、初版は昭和二八年、昭和四七年一九刷、もちろん旧仮名遣い)
もとは哲学や心理学の用語であったのが、いまではだれもがあたりまえのようにいう。
他人(ひと)の気持ちを知ろうとするならば、その人になりきって考えてみる。
哲学的には、それでは他者のなかにある自我しかみいだせないではないか、となるかな。
そういうことではなく、小説を読んでいて主人公になりきっている自分を発見することがある。
いまここで起きていることを経験しているのはいったい誰(わたしか)なんだ、というような。
現実の生活では味わうことのできない世界を生き、体感しているのである。
そういう感情が起こってくることが、読書の楽しみのひとつでもある。

「カリスマツアコンのどうしようもなく日本人」 柳沢正 講談社 ★★★★
ツアーコンダクターの柳沢氏はいろんなお客と遭遇するのである。
旅慣れぬ人もあれば、傲慢でわがままな人もすくなからずいる。
だがその評価も確固としたものでないことは、日常性格でもよく経験することだ。
あの人が、と意外な側面におどろいたり、感心したりするのである。
旅の楽しみ方は千差万別であるから、決めつけた言動は人々を萎縮させる。
そんなこんなを感じながら、今日もツアコンさんは旅をゆくのである。
『おそらく宇宙の情緒は、うっすらとした哀しみだ。
たまたまその中に奇跡的に命をもらった生き物たちは、
この恩恵にあずかって、祝祭的であっていい。
造物の主の粋なはからいである束の間の命を、こよなく楽しまなくてどうしよう。』
エピソード愉快だが、こんな感想をもつ柳沢氏に共感するものである。

「インド夜想曲」 アントニオ・タブッキ 白水社 ★★★★
はじめに、で書かれたこの文章ではじまる。
『これは、不眠の本であるだけではなく、旅の本である。
不眠はこの本を書いた人間に属し、旅行は旅をした人間に属している。…』
アントニオ・タブッキはイタリアの作家であり大学教授でもある。
日本ではあまり有名ではないが、ヨーロッパではかなり人気が高いらしい。
『見るという純粋行為のなかには、かならずサディスムがある、
と言ったのは誰だったろうか。
思い出そうとしたが、名が浮かばないままに、
この言葉のなかにはなにか真実があるのを僕は感じていた。』
こういう翻訳文学は訳者の力量にもおおいに影響されるだろう。
須賀敦子さんの訳がさらに作品を幻想的にしているのではないかと思う。

「トムは真夜中の庭で」 フィリパ・ピアス 岩波少年文庫 ★★★★
弟のピーターがはしかにかかったため親類の家に預けられることになったトムである。
その邸宅を改造したアパートには床にがっちりと備えつけられた大時計があった。
夜中にその大時計が13の音を打つとき、トムは部屋を抜けだした。
中庭に面したドアをあけたとき、思いもかけない光景を目にすることになら。
昼間とはうってかわったひろびろとした庭園がひろがっていたのだ。
そこでハティという少女に出会う。
だが彼女以外はだれもトムのことに気づかず、見えないようなのだった。
こうして夜ごとの冒険が始まり、トムは家へ帰りたくなくなってくる。
だが、やがて帰りが近づいたある日のこと、意外なことを知ることになるのである。
時間とは、人のこころのなかにある時とはなんだろう、と考えるのもよい。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

「おくりびと」を観る
アカデミー賞の外国語映画賞をとったとかで注目されているそうだ。
相方が以前にインターネットで内容を知りみたいと希望していた。
近くのシネコンの席が安く(二人で2200円、もちろん座席指定)でとれた。

土曜日にさっそく出かけていった。
行き先をまちがえ、映画館にはぎりぎりの時間になってしまった。
そのせいでコーヒーも飲めないと不満をもらしていた。
前評判どおり、チケットは完売ですとの放送があった。

観客は中高年が、それも夫婦連れが多いようだ。
日本の風景もずいぶんと変わってしまったものですなあ。
(まあ、喜ばしいのではないですか)

座席について、スクリーンをながめる。
中央のやや後方で、いい位置がとれたものだ。
やはり画面がおおきいと受ける印象はまったくちがってくる。
なによりも観るほうの態度が変わってしまうのではなかろうか。

映画はオーケストラの演奏場面ではじまった。
主人公(本木雅弘)はチェロ奏者だが、終演後に楽団の解散をいいわたされる。
それをふんぎりとして、母の残した家のある東北の故郷に妻ともどる決意をする。
求人広告でみつけた就職先へ面接にでかける。
社長(山崎努)からは仕事内容の説明もなく、いきなり採用を告げられた。
横で事務員の女性(余貴美子)が笑っていた。
その仕事が納棺師、つまりは映画名の「おくりびと」なのである。
(この三人の演技は、さすが役者なんだ、と感心してしまう)
(ときおり挿入されるユーモアが、テーマの重苦しさをゆるめてくれる)

物語は実際に映画をみていただくとして、ぼくは以下のようなことを考えつつ観ていた。

ときに主人公はチェロを弾くのだが、これが効果的だ。
多くの人が宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を思い起こしていたのではなかろうか。
音楽はただ聴いているだけで、こころがゆさぶられるものなのだ。
安らかな気持ちになれたり、しんみりと過去に思いをはせたりするのだろう。
弦楽器にはそんな力があるのだろう、とつい思ってしまう。

映画のなかでもでてくるが、「けがれ」ってなんだろうと考えずにはいられない。
死体は不浄のものである、つまりはけがれているなどという言い草がある。
近しい人が亡くなって、その遺体をあなたはそう思えるだろうか。
(だから、葬儀のときにいただく塩をぼくは使ったことがない)
(どうして、そんなふうに思える人がいるのかわからない)
(けがれるというなら、けがれたままでいい、とさえ思うのである)

そんな言説にはつねに政治臭がつきまとうようだ。
意識の階層をつくりだし、不満や怒りを下位にむけさせることで均衡をとろうとする。
その最後に、「不可触選民」(アンタッチャブル)がいるわけだな。
現代的にやるならば、生物学(科学)の衣を着せて優生学とすればいい。
差別の構造はこうしてできあがってゆくのかしらん。

この映画を観た多くの人たちが、そのことに思いをいたしてほしい。
しかし、これで世のなかの差別意識が改善(?)される、と信じるほど楽観的ではない。
でも少しでも考える機会になればいいが、と思ったり。

そんなことを考えつつ、涙があふれそうになる二時間余りでありました。
(いろんな人、いろんなことを、どうしても思いだしますねえ)
(しかし、なかなかいい映画ではありました)

話をもって尊し
読み書きは基本的教育として重視されてきたが、話すは軽んじられる傾向があった。
「男は黙ってサッポロビール」などとコマーシャルにもなったほどである。
それが最近では、諸外国の影響もあってディベート術などと称して推奨されている。
話すはもちろん聴くがなければ、「暖簾に腕押し」「蛙の面にしょんべん」なのである。
しかし、聴く態度というのは経験的にもわかるがじつにむずかしいものである。
それは聴く態度が話すそれよりも何倍ものエネルギーを要するからなのかもしれない。

「チョコレートゲーム」 岡嶋二人 講談社文庫 ★★★★
作家の近内は、このところの息子の反抗的な態度に疑念がきざした。
そのとき同じクラスの男の子が殺される事件が起こった。まだ十四歳であった。
意を決して、中学にも出向きいろいろと事情を調べ始めたとき、
同級生の女の子がついもらした言葉がなぜか気になって耳に残った。
『チョコレートゲームの連中のことだったら…』
そんななか、同級生がまた殺された。
ついには息子の省吾が自殺死体となって発見される。
そべては彼が起こした犯行であったということで解決をみる。
だが、近内はどうもなっとくがゆかず調べ始めると意外な事実がわかってきた。
おもしろいことはおもしろいが、もうひとつ深みに欠けるとはぼくの感想である。

「笑う警官」 マイ・シューヴァル、ペール・ヴァールー 角川文庫 ★★★★
舞台はストックホルム、街はずれでバスのなかで大量殺人事件が発生する。
運転手、乗客全員が犠牲者となったが、なかにひとり刑事がいた。
現場へは殺人課主任警視マルティン・ベックがかけつける。
スウェーデンのミステリということで興味深かったが、なかなかの力作である。
派手な活躍はしないが、じんわりとしみじみと感じいるような登場人物たちである。
シリーズともなっているようだから、また読んでみたいと思う。
ちなみにこの作は、アメリカ探偵作家クラブ賞、最優秀長編賞を受賞している。

「本質を見抜く力」 養老孟司、竹村公太郎 PHP新書 ★★★★
養老先生、竹村氏、神門さんの鼎談を読んでいると、それぞれに個性が感じられる。
神門さんは熱血漢であり、ほんとうに日本の農業のことを憂えているのである。
竹村氏は、官僚にもいろんな人がいるが、そのなかで人々にどうすれば伝わるかと考えた。
養老先生は、社会に浮上してくる現象を、この本質はこういうことではないかと提示する。
(養老)『私は日本人で、人間を中心に考えるから、ヒトから見たモノ、それで社会を論じたい。
以前からそう思っていた。ヒトを考えるときに、「脳」から考えたのと同じことである。
脳は五感で捉えられる。モノは五感で捉えられるのだから、
モノから見た日本とは、五感で捉えた日本ということになる。
念のためだが、たとえば科学でいう分子は、ふつう五感で直接には捉えられない。
だからそれはむしろ概念である。』
なになにだからこうだ、という陥りやすいステレオタイプにならないにはどうするか。
自分はその弊にはない、とだれもが必ず思っているからなおさらむずかしい。

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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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