ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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虫の音と読書
秋でもないが、窓を開けていると虫の音と、かすかな蛙の求愛歌(?)が聞こえてくる。
なんとなく本を読みながらも、つい考えがあらぬ方向へさまよいだすのである。
本を読んでいるのと、虫が鳴くのとではなにがどうちがうのだろうか。
ともに生きていることに変りはないのであるが、人の命は地球よりも重いらしい。
そんなつまらないことを考えてもなあ、と思っていたら虫の音が高くなった。
初夏前の夜に、涼しげな風が部屋をぬけていくのがなにかものがなしかった。

「スリーピング・ドール」 ジェフリー・ディーヴァー 文藝春秋 ★★★★
今回はリンカーン・ライムのシリーズではなくそこにも登場していた人物が主人公である。
キャサリン・ダンスは、キネシクス分析の専門家であり、カリフォルニア州捜査局捜査官だ。
キネシクス分析とは、身振り、表情などボディーランゲージ分析によって相手の真意に迫る。
だからダンスは人間嘘発見器などといわれたりもする。
であるから、精神異常者などにはこの手法はつかえないということになる。
事件はカルトのリーダー、ダニエル・ペルの脱獄劇から始まる。
捜査はダンスとFBIにおけるカルト犯罪の専門捜査官オニールを中心にすすめられる。
いくどとなく後一歩というところまで追い詰めるがなかなか捕らえることができない。
「スリーピング・ドール」とは殺害された資産家一家のなかで、
事件当夜偶然に眠っていたために殺害をまぬがれた少女をこう呼んだ。
この少女テレサの証言がこのミステリの終盤になって謎を解く鍵ともなってくる。
後半の行き詰るような展開、逆転はさすがというほかはないのである。

「虫捕る子だけが生き残る」 養老孟司、池田清彦、奥本大三郎 小学館新書 ★★★★
虫を捕ることは一部の教育ママ(?)からは眼の敵にされているようだ。
実は虫を捕るという行動に秘められている教育的な意味をもっと知らないといけない。
そう語り合う三人はご存知日本でも有数の「虫屋」なのである。
虫の発生を知らない人々は、捕る行為をなぜか激しく非難するのである。
だが、ゴルフ場に撒かれて土壌にしみこんで害をなす薬剤には無関心である。
あのように芝生だけが青々としている景観をおかしいと思わないのだろうか。
養老氏はこんなふうに脳の入出力をとらえ、なにが大事かを話す。。
『赤ん坊がハイハイすることには、たいへん大事な意味があるわけ。
ハイハイした瞬間から、自分の手足を使って世界の中を移動するという、
とても知的な作業が始まるんです。これが、脳の発育にとって、とても大きい。
脳性麻痺の赤ちゃんの場合、かわいそうだからと歩かせないでおくと、
言葉が出てこないんです。』
奥本氏のこんな話、知っていますか。
『モンシロチョウがキャベツで死ぬ話は、よく聞きますね。
オオモンシロチョウが外国から飛んできたというので、
喜んで幼虫にスーパーのキャベツを食べさせたら全滅しちゃったって。
芯まで農薬が入ってるキャベツだと、表面だけを洗ってもダメなんです。』
クマゼミが増えたのは地球温暖化のせいじゃないという池田氏。
『植木屋さんが九州から運んできた木が原因で、都市部にクマゼミが増えましたよね。
あれは完全に人為的なものですよ。温暖化のせいじゃない。
九州や四国からクスノキなんかを東京に持ってきて公園に植えるから、
何年か経つと土の中で幼虫だったクマゼミが成虫になって出てくるんだよ。』

「世界と測量」 ダニエル・ケールマン 三修社 ★★★
副題には、ガウスとフンボルトの物語とある。
本書は二〇〇五年秋にドイツで発売され、ドイツ国内だけですでに百二十万部が売れたとか。
カール・フリードリヒ・ガウスは数学者・文学者・物理学者であり、
博物学者・地理学者アレクサンダー・フンボルトと同様ドイツのみならず世界的に有名である。
この知の歴史に偉大な足跡を残したふたりを主人公にした哲学的冒険小説なのだ。
『鼻がかゆかった。蚊に刺されたのだ。
ガウスは汗をぬぐいながら、オリノコ河の蚊についてのフンボルトの報告を思い出していた。
人間と昆虫は今後もずっと、永遠に、未来永劫に共存していくことは不可能だ。
……
人間ひとりにつき百万匹の昆虫がいると言われている。
よほど運にめぐまれた器用な人間であっても、その全部を殺すことなどできはしまい。
……
理性的に考えて、虫のほうが勝利を収めると予想するしかないだろう。』
天才とはこういうものなのか、というステレオタイプも感じてしまう。
これがベストセラーとは、やっぱり国民性(地域性か文化のちがいか)ってのがあるようです。

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ときに偲ぶ
昨日(5月24日)が彼女の命日だった。
車のなかで、たしかそうだったよねなどと話していた。

あれからもう丸六年になる。
はやいものだ。

この一月に行った与那国島は、彼女が若い頃に行ったところだ。
しばらく宿の手伝いなどして島で暮らしていた。
そんな話を帰ってきたときに聞いた。
「夜になるとね、夜這いっていうのかなあ、来るのよ」
「ん…」
「こんな私にも来るんだからよっぽどだよね」
と笑いながら話していたのが思いだされた。

お土産にクバ巻きの「どなん」をもらった。
何年かしてから飲んだ。
それがことのほか旨かったのを憶えている。

僕の好きな絵

そんなことしか思いだせない。

バカにつける薬
なんというのか、こういうことを書くと人格を疑われるかもしれないが、でも書く。
世のなかにはどうしてこうも馬鹿なのかというような人物がいる、必ずいる。
そのバカさとは、自分がどう見られているのかがまったく分からない、また知らない。
あげくの果てには俺ってひとかどのものだ、などと信じており、疑うこともない。
その言動(言い草がより適当か)には、なぜか自信が満ちあふれていて困惑するくらいだ。
すこし引いてながめればとても幸福そうにも思えてくるが、本人はそうでもないようだ。
逆にどうして俺は不当な扱いをうけていると思っているようで、ことごとに不満を口にする。
いやいやどちらかというと厚遇ですよと言いたいのをいつもぐっとこらえるのである。

「おれに訊くんじゃない」 奥田英朗 大和書房 ★★★
奥田氏のエッセイは、サラリーマンにはその心情がよくわかるだろう。
女性向けの雑誌に掲載されていたということであるが、男が読んでもおもしろい。
この世のなかには男と女しかいないし(一応)、そこでは各種の攻防がくりひろげられる。
『さて男にプロとアマがあるように、当然、女にもそれはある。
ホステスは典型的なプロであるが、職業はあまり関係なくて、
女であることを売り物にできるのがプロ、
それに抵抗を覚えるのがアマ、と私は勝手に理解している。』
ではあるにしても、だれもがプロをあるいはアマを目指すというものでもない。
あるときはアマらしくふるまい、ときにプロの横顔をみせたりするのである。
それも無意識になせる業であるから、判別はむずかしい。
その順列組合せの数は多く、とてもじゃないが読み解くのは不可能と思えてくる。

「前線 捜査官ガラーノ」 パトリシア・コーンウェル 講談社文庫 ★★★
ウィン・ガラーノはマサチューセッツ州警察の捜査官である。
もちろん魅力的な風貌であり頭もそこそこに切れる。
上司である美貌の地区検事ラモントに未解決殺人事件の再捜査を命じられる。
それも何十年もまえの迷宮入りの殺人事件である。
アメリカにおいては、殺人に時効はないのである。
しかし、検屍官ケイ・スカーペッタで登場してきたときの輝きはなくなった。
読んでいてもなんとなくマンネリな感じがする。
驚きがない、不思議がない、意外性がない、ドキドキがないのである(私だけか…)。
できれば、マリーノを主人公のシリーズでも読みたい気分になるのである。

「ふとどき文学館」 中野翠 文藝春秋 ★★★★
なにかにつけて中島義道氏は中野女史の言を判断の指標として示す。
今回この書評集を読んでみて、納得できるものがあるだ。
批評するとは、なかなかにむずかしいものだということがよくわかる。
ほめることはたいていの人がするが、なにをほめているのかわからないことも多い。
つまりは「窮すれば褒める」、というようなことがまかり通っているのではないか。
とはいえ、寺田寅彦『柿の種』を評した文章がよかった。
『「日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている」
という書き出しで(不粋な言葉になってしまうが)実生活と文学の関係について語られている。
 そのガラス板には小さな狭い穴があいていて、始終その二つの世界を出入りしていると、
その穴は大きくなっていくのだが、ある人たちはその穴の存在さえ知らない。
ガラス板があまりにも曇っていて、反対側の世界が見えないのだと寺田寅彦は言う。』
そういえば、寺田寅彦をじっくりと読んでいないことに気がついた。
また読書の楽しみを知らしてくれたそんな本である。

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読書と性格
読書しながら性格は変わるのだろうか、あるいは変えられるのだろうかと思ったりする。
なぜこのようなことを考えたのかというと、すばらしい本に出会ったときを思いだすからである。
いままでどう筋道をつけて考えればいいのかわからなかったことが分かる。
また、そういう見方も可能だな、そう考える立場もあるだろうとうなずいたりする。
そのときには当然考え方が変化しているのではあるが、本質はどうなのだろうかと。
深いところというか根本的には変化しているのかと考えて、はたと気づく。
こんなふうに考える性質は、一向に変わっていないのかも知れないと思うのである。

「野宿大全 究極のアウトドアへの招待」 村上宣寛 三一書房 ★★★
村上教授(なんと心理学なのだ)のこだわりがいたるところに見られる。
もちろん、理論的な面、実際に使用した結果報告等、綿密でぬかりはない。
自らが自転車に乗り、またバックパックを背負ってでかけた経験から書いている。
こういった本では、いいかげんなコメントでお茶を濁しているものも多い。
ほんとうに使ったことがあるの、という疑問がわくもののほうが多数派だ。
テントからシュラフにいたるまで懇切丁寧というのか、これでもかという精神がみえる。
『トレーニングは健康を維持し、生活を快適に送るためである。
気楽に行えばよいが、ある程度の目安は必要である。
まず、持続時間は30分以上とする。1時間前後が望ましい。
筋肉中のグリコーゲンが消費され、
肝臓からの供給に切り替わるには30分前後の運動が必要である。
30分以上運動しないと脂肪は燃焼しない。』
こういうところは、いかにも教授然としている。
『鈴の音は神経にさわるので、一度も身に付けたことはない。
まともなクマなら、すぐさま、人間の気配を察知する。
鈴の音で人間に気づくようなクマは素人である。』
なかなかゆかいな人物だとわかるだろう。

「ごはんつぶついてます」 南伸坊 晶文社 ★★★
南伸坊氏はその独特の風貌から世間には親しみやすい人物と思われているふしがある。
だが多くの若者がそうであったように、若い頃は長髪で(写真を見たい!)反発的だった。
だが世のなかよくしたもので、すばらしい先輩方にであってこの道にすすむ。
『人間には眼の得意な人と、耳の得意な人があるそうです。
中には両方得意の人もあろうけれども、大体はどちらかが得意である。
耳の得意な人というのは、論理的、数学的に優れる傾向がある。
一方、眼の得意な人は、直観的、幾何学的に優れる。』
あくまでもそういう傾向があるでしょうな、ということであるのをお忘れなく。
『一般に「頭がいい」とされる人は、説明のできる人であって、
つまり言葉でわかっている人、耳の人のことです。
絵を見せてやっとわかるのは、字の読めない人だったからで、それが逆コースに、
絵よりも字の方が高級だという風にさだまってしまったもののようです。』
なにごとも高級・低級とか、勝ち組・負け組などと分けるのがいいものかどうか。
言語にも進化の上位にあるとかないとかとの言説がありました(いまではすたれましたが)。

「池田清彦の「生物学」ハテナ講座」 池田清彦 三五館 ★★★
生物学はいまでは受験においては選択科目、それも人気がない。
しかし、昨今の環境問題、エコロジー重視からすれば必修科目でもいいのではないか。
そんなことをいう人物はいないようだが、どうするつもりだろう。
知識(それも基礎的な)もない人間が環境行政をになえばどうなるのか心配だ。
池田先生にもっと世のなかを啓蒙してもらわなければいけないかな。
しかし、虻蜂取らずになりそうにも思えるから、どうなのだろう。
『ハイブリッド(雑種・混成物)のほうが強かったり、美しかったりするんだよね。
雑種も良し悪しがあって、同じ種でかなり近い場合、いい結果になることも多いんだよ。』
こんな文章を読んでなにを考えるのか、でその人がわかる。
わが家の犬はなにをかくそうハイブリッド犬なのである。
そのわりには賢さに欠けるきはするが、気はいいほうのようだ。
これからは雑種といわずに、ハイブリッドと呼んでください(笑)。

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マスクの意味
ちょっと気になったので、今朝も数えてみた。
駅から歩いてすれちがう人を観察すると50人中11人がしていなかった。
(少ないほうの数をかぞえた方が楽だ、とすぐ気づいた)
つまりは、非マスク率22%、マスク率78%ということになる。

じゃあ、この機会にマスクをして、どんなふうに感じるのか実験してみよう。
(なにごとも自分でできることは経験しよう派なのである)
(そうすると、いままで見えなかったものが見えることもある)

実際にマスクをつけて仕事をしてみた。
これは実際に考えていたよりも息苦しいし、加えて暑苦しい。
眼鏡をかけている人はレンズが曇って困るともらしていた。
なんだか頭がぼんやりしてきたような気がする。
トレーニングしているような気分になってきた。

そういえば、高校駅伝の名門チームでは練習時にマスクをするときいた。
マスクをして走ると、高地トレーニングと同じような効果があるという。
たしかに呼吸は制限されるから、心肺機能が高まるのかもしれない。

1039蝶?

しかしながら、ウイルスの侵入を防げないマスクをなぜ着用するのか。
これはたぶん意識を喚起することによって免疫力を高めようということだろう。
例えていえば、「プラシーボ効果」とおなじようなことなのだ。
(小麦粉でも、特効薬だといって処方すると効果がある)
世間には「鰯の頭も信心から」ということわざがあるように、よく知られたことだ。

トイレットペーパー騒動と同じような現象がおきている。
パニックとまではいかないが、付和雷同する人たちが多数いる。

別の面では、マスクと変装との関連が思いおこされる。
帽子、マスク、サングラスが芸能人が変装するときの三種の神器らしい。
逆に目立ちたいがためにするという指摘もある。
それはさておき、確かに隠れている気分にはなる。
(頭かくして尻隠さず、の心理とおなじだ)
すると、世界がちがって感じられ見えてくるのである。
変装するとは自身を隠すというよりは、傍観者になるという側面もある。
ただし、これはあくまでも本人の意識レベルでのことである。
実際まわりからは、こいつなにやってんだバレバレじゃないかということのようだが。

ではあるが、マスクしている女性は美しく神秘的にみえる。
イスラムのチャドルとおなじ効果があるようなのだ。

マスクの効果
マスクをしてどれほどの効果があるのかにはさまざまな意見がある。
これが意見というところが悩ましいのだがしかたがない。

インフルエンザウイルスを透さない繊維があるとはだれも思っていないだろう。
ウイルスというのは細菌よりもよほど小さいから、まあ不可能だろうとふつうには考える。
ちなみに、インフルエンザウィルス100ナノメートルくらいだといわれているのだから。
(インターネットにわかりやすい例があった)
(インフルエンザウイルスがテニスボールだとすると、マスクの編み目は3メートル前後になる)

だからマスクはウイルスの侵入を防ぐためにというわけではない。
咳やくしゃみによる飛散を小さくする程度のものなのだ。
であるから、自分のためというよりは周囲に配慮したものである。
以前から、マスクをしても感染を防ぐということはできないと考えていた。

では実際に、どれくらいの人がマスクをしているのか数えてみた。
今朝の地下鉄車内周囲10人(私も含む)中、している人は7人だった。
駅をでて会社へ向かって歩きながらすれ違う人を観察してみた。
30人中、マスクマン及びマスクウーマンは21人だった。
偶然ながら、どちらもマスク率(?)70%という結果になった。
(サンプル数が少ないので断定は禁物だ)

1025飛ぶサギ

マスクをした人が次々と歩いてくる光景は迫力がある。
なにか近未来社会の映画でもあるようだ。

この数字をどう考えるのかは人それぞれである。
思ったより少ないと感じる人がいるかもしれないし、そんなに多いのかとも。

だが、こうなるとマスクをしていない人たちは少数派だ。
多数派はいつも安寧の側にあるのだから、少数派は不安にかこまれる。
しかも敵は目に見えないウイルスときている。
ということは冷静に考えることもできない、ということなのか。

マスクの街
新型インフルエンザの患者が神戸市や茨木市で次々と認定される。
そしてドラッグストアやコンビニエンス・ストアの店頭からマスクが消える。

日曜日の夕方、会社から連絡がはいる。
「月曜日から、マスクを着用して出勤するように」
「ヘヘー、お代官様」(という感じだ)
家中を捜してもらって、なんとかマスクを確保する。
(こちらは昔ながらのガーゼタイプのものだ、懐かしい)

今朝の駅の様子はすこしちがっていた。
いつもはにぎやかな高校生の姿が見えない。
きっと臨時休校なんだろうな。
おかげで電車には座って行くことができた。
思わぬ効用(?)である。
通勤する人たちはマスク着用が過半数を超えている。
だが、全員ではないというところが救いだ。

すべての人がマスクをしている光景を想像してみればいい。
海外からの特派員などかっこうの時事ネタと思うのではないか。
日本社会の均一性というか、横並びというのか。
これがトヨタを筆頭とする日本企業の強さの秘訣でもある。
ある意味、教育程度の高さといえるのかもしれない。
だが逆の面からながめれば、独創性のなさといわれたりする。

しかし、オリジナリティと一般論とは相容れないのではないだろうか。
どんな社会にもかならず一握りの変わり者がいるものだ。
それが突然変異といわれ、進化論の骨子ではなかったか。

会社に到着すると、さっそくマスクが配布された。
ひとり一日一枚(使い捨てタイプ)の由。
その旨家にメイルすると、さすがいい会社(?)ねと返信があった。

弁当娘
あれはメイデイの日だった。
本来は休みなのだが、なぜか仕事が忙しくて休日出勤である。
もちろん、休日出勤手当てなどはない。
まあ振替休日をとればいいのだが、有給休暇もたくさん残っている。

それはそれとして、地下鉄の駅を降りてホーム内のエスカレータへ向かうときのこと。
前方に悠然とベンチに腰掛けて、コンビニ弁当を食べる若き女性に遭遇した。

驚いたというより、一瞬なんだか変な気分になった。
なぜこんな時間(朝の九時前だ)に弁当を食べているのか。
それもよりによって地下鉄駅のホームのベンチでだ。
(田舎の駅などにある屋外ベンチに腰かけて、青空の下で食べたらうまいだろうな)

DSC_0837.jpg

彼女の表情をうかがうと、悪びれたところもない。
しごく当たり前な感じで、ひとりもくもくと食べている。

まわりに気をつかうというような気色もない。
よくいえば泰然自若なのだが、違和感はある。
そこではたと気がついた。
電車内で化粧するのと同じ心理なのではないだろうか。
自己空間(プライベートなスペース)が拡大しているのだ。
理由はわからないが、そう思えた。

場所柄をわきまえない、のではない。
ここはコンビニの外であったり、電車内と同じなのだ。
もし、ここが公園であれば問題はないだろう。
だから彼女にとっては、ここが公園であり憩いの場なのかもしれない。

ふいに「劇場国家」なる言葉が浮かんだが、疲れのせいかも知れない。

静かな雨の奈良
奈良のOKM家で、酔いつぶれるような愉しい一宿一飯をうけた。
(ありがとうございました。こんなだらしない奴ですがこれからもよろしく)
かすかに雨の音がしているようで、静かに目が覚めた。
緑が雨に濡れて美しい、というようなことではみなは納得しない。
(どうしても、なぜかこういう巡りあわせになることが多い)

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近鉄奈良駅の集合場所が見とおせるカフェでしばし休憩する。
皆がやってくるのを待ちながら、なつかしく思いだすことがある。

若さが若さだとも思わなかった頃、たくさんの人に出会った。
いろんな考え方や、さまざまなものの観方、信じがたい生い立ちなどなど。
憧れるような、まぶしいような人(女性とは限らない)にも会ったろう。
寒々とした待合室で、やはり自分は自分だとしみじみと噛みしめた。
眠るときがしあわせなんだ、などという老人がいたりした。

汗は流れるままにして、真夏の陽をあびて労働もした。
どこかへ(どこだか分からない)行くためにバイトに精をだした。
いまでは忘れてしまったが、いろんな恩を受けたのだと思う。

そう思って友の顔を見れば、自然とにこやかになれるものだ。
どういう因縁なのか、ここにこうして集う不思議を思う。

静かな森の小径をゆっくりと歩く。
響くのはぼくたちの笑い声だけだ。
こんなに愉しくても、いつもいっしょにというわけにはいかない。
ときおり集まるからいいのだ、ということもわかっている。

願わくば、すべての人が健康でありますように。
などと考えたら、その矛盾で思わずくしゃみがでそうになった。
なれないことはするものではない、のである。

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また、いつかどこかで逢えるでしょう。

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

天川村行
もうすでに一週間以上が過ぎてしまった。
楽しいことにようする時間は、どうも体感的に短いようだ。

いつものことながら、連休だしどこかへ行かないかとなると話ははやい。
気がつけば、ここは奈良県吉野郡天川村、洞川温泉なるところ。
山間部にある修験道の行者宿が軒を連ねる。
標高八百メートルあまりで、冬はたいそうな雪が積もるという。

DSC_1083.jpg

DSC_1086.jpg

小説やサスペンスドラマの「天河伝説殺人事件」で有名になったらしい。
今回は残念ながら(?)殺人事件はおこらなかった。

DSC_1080.jpg

その代わりといってはなんだが、ぐっすりと眠ることができた。
(山登りのお客がいたので、そうそう遅くまで騒ぐことができなかった)
(加えて、呑兵衛は我輩しかいないということもあった)
(なにせ、女性五名に対して男は二名と、多勢に無勢である)
ではあるが、なかなか感じのいいおかみさんのいる民宿だった。

早朝の山道を歩くのはきもちがいい。
肌寒いくらいなのは、土地柄のせいだろうか。

DSC_1110.jpg

名水の地であるらしく、水汲み場があるのだ。
職業的なふるまいの人物もいて、なかなかににぎわっていた。

水滴る地であるせいか、近くに鍾乳洞がある。
そこまでは荷物運搬用のレールをエンジン付の台車で登ってゆく。
最大斜度は40°をこえているようだ。

DSC_1142.jpg

同行のさる女史は、「気を感じる」とおっしゃるような地である。
ときに山伏姿の御仁が傍らを通りすぎる。
なんだか時代が逆回転したような気分になる。
しかし、土産にと買ったものが「和歌山産」だったのには一同苦笑いである。
まあいいいじゃないか、同じ国産なんだからとわれらは鷹揚である。

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春眠の候
気候が暖かくなってくると、なぜかそわそわするのは体内ホルモンのせいではない。
これといった用もないのに、どこかへ行かなくてはと思うのは体質のゆえだろうか。
ぽっかりと時間の空白があいたりすると、いつのまにか頭の中はどこかを旅している。
さわさわと風がわたる田の脇に立って、どちらへ歩いていったいいものだろうかと思案する。
やはり左かと考えたのは、かすかに幟が翻ったのが見えたような気がしたからだ。
店先の縁台に座って、ひと休みするのも悪くはないぞ。
そこの名物とかいう「瞑想のビール」とやらを所望しようではないか、と考える。
とたんに階下からの呼び声で、しばしの現実にもどるのである。

「〈私〉のメタフィジックス」 永井均 勁草書房 ★★★
私とはなにかを中心として、考えをすすめてゆくのだが難解だ。
問題が難解なのか、筆者の思考過程を理解するのがむずかしいのかが判然としない。
これはやはり私の志向が筆者とおなじではないということなのだろうか。
とかくに哲学書は読者を忘れることが多いようだ。
自らの思考のなかで苦闘するうちに、ひらめくものがあるのだろう。
だが、それをどう伝えるのか、伝わっているのかを考え合わせることが少ないのではないか。
こうしたことを世間知らず、というのであるが、哲学者はそれをよしとするのである。
言語をもってするしかない(書物であるから)ところが断絶の始まるゆえんだろうか。
哲学はなにもむずかしいものではないと思うのだが、用語の難解さは漢語由来だからか。
案外に和製漢語であり、本来の意味から逸脱していたりするのではないかと疑ってしまう。
外国語では日常語で書かれていると聞いたりするので、余計に疑うのである。

「心臓を貫かれて」 マイケル・ギルモア 文藝春秋 ★★★
これはノンフィクションであり、殺人犯の弟が書いた物語である。
『ひとつの物語を語りたい。殺人の物語である。
肉体の殺人の物語であり、精神の殺人の物語である。』
ゲイリー・ギルモアはユタ州で罪もない人々を殺したがゆえに有名になったのではなかった。
死刑を宣告され、上告せず死刑執行を望んだことはアメリカ国中のトップニュースになった。
なぜ彼がそういうふうになったのか、生い立ちから語られてゆく。
だが、ゲイリー・ギルモアは死を望んでいるようだった。
『誰かに死刑を宣告することはできる、でも生きることを宣告はできないのだ』
死刑制度というのはある意味矛盾をはらんでいる。
法においては人を殺すことを禁じているが、その法が死刑という殺人を容認しているのだ。
この物語を読めば、なぜギルモアが殺人にいたったのかすこしわかるかもしれない。
彼は自分を殺したかった、というのはすこし違う気がするのである。
生きることに絶望したのではないか、という感想はとめることができない。

「マドンナ」 奥田英朗 講談社 ★★★★
五編をあんだ短篇集である。
市井に暮らすふつうのサラリーマンの周辺にも事件がドラマがあるものである。
会社内の規則、代々うけついできた慣習を変えることはむずかしい。
なぜそれがおこなわれているのか、ほんとうのところは知ることができない。
それは長い時間のなかで本来の意味がうすれてきてしまっているからだろう。
裏金というのも、内部の人間にとっては必要であり、いけないという視点はないだろう。
『冒険しない人間は冒険者が憎い。自由を選択しなかった人間は自由が憎い』
いまや老いてゆく親をみることは子どもにとってはつらいことである。
一人暮らしの老人がみな孤独なわけではない、ということを知らなければいけない。
若いときにひとり旅したことのない人にはわからないかも知れない。
『一人でいる人間を「淋しい」と決めつけるのは間違っている。
アローンとロンリーは似て非なるものだ。』
いつも身近な問題にひそむドラマを丹念に書いている奥田氏に唸る。
「おぬし、なかなかできるな」

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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