ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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風はらむ
犬の散歩のお伴をして土手沿いの道を歩いてゆく。
川のなかでは鮒であろうか鯉であろうか、水面を背びれでたたく。
小さな波紋がしずかに周囲へひろがっては消えてゆく。
のんびりとした朝である。

1174らん

砂利をならして走る音に気づいて、道をあける。
中学生らしい男子が自転車で通り抜けてゆく。

まだ慣れないのかハンドルにしがみつくような姿勢だ。
夏休みの部活動へと急いでいるのだろうか。
眼はそれでも真剣に人生の先をみつめているかのようであった。

白いカッターシャツの背中が風をはらんでふくらんでいる。
なぜか急に彼を応援したくなった。

1194波紋

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化石化への道
最近は本を買うこともずいぶんと少なくなったというか、ほとんどないのではあるが…。
以前に買って読み終えた本が多少はあり、これが邪魔だと家人は言うのである。
小生にしてみれば、そちらの山なす衣類のほうがよっぽど不要なのでないのかとも思う。
だが、これはこれからも着る機会があるが、それらの本はもう読まないのでしょう。
読みもしない本を後生大事に蔵しているよりは、いっそ図書館にでも寄付すればどうかとも言う。
そうかそうなのだ、いつかいつかで捨てることができない、とは未練ではないか。
しかし、人生から未練をきっぱりと排除したならば、それはそれで淋しいのものになりそうである。

4832本棚

「ぼくのマンガ人生」 手塚治虫 岩波新書 ★★★
手塚治虫のマンガのなかでなにがいちばん好きかと考える。
まず「鉄腕アトム」と答える人は少ないのではないかと思う。
代表作ではあるが好きというのとはすこし違う、と誰しもが思うのではないか。
やっぱり「どろろ」が好きだなあ。すこしずつ人間の本来の形に近づいてゆく。
その過程でヒトとはなにか、といろいろと考えさせられる作品だ。
人間本来の姿(?)へと逆説的にもどってゆくストーリーがなぜか気にいっている。
『ブラック・ジャックがときどき、患者を治していてふと考えるのです。
「おれはこれでいいのだろうか。」
つまり、患者を治してあげるのだけれども、はたしてこれが医者の仕事なのだろうかと悩む。
治った患者はふつう、そのまま長生きします。平均寿命も伸びるし、人口も増えていきます。
医者が先端技術を持ったり、天才的な腕を持った医者がたくさんいたとすると、
人間を助けることによって、人間を逆に窮地に陥れるのではないかということです。
人口増加という問題です。
人口増加にともなって、自然破壊とか食糧危機とか、さまざまな問題がおきてきます。』
こんなことを考えていることが作品から伝わってくる手塚氏はやっぱりすごいと思うのだ。

「あしたはうんと遠くへいこう」 角田光代 マガジンハウス ★★★★
野崎泉は女子高生のころに、家族全員が喫煙者だったので自分もいつのまにか。
あたりまえのように男子にも恋するのだが、ときとして人生の深遠な淵にぶつかる。
『あたしの吐きだした煙は、やかんの放出する大量の湯気にまぎれて見えなくなる。
しゅんしゅんとやかんは音をたてる。
たばこの煙を思いきり吐きだしてから、たすけて、とあたしはつぶやく。』
なにがということではなく、すべてがどうすればいいのかがわからないのだ。
しかしそんな思いなどに関係なく人生は流れてゆく。
『今までに幾度も思ったことだが、がらんとした部屋を借りて、あれこれと荷物を運びこみ、
足りないものを買いそろえ、部屋が自分のものらしく整うのはひどく時間がかかるのに、
捨ててしまうのは一瞬といっていいほど素速く終わる。』
いつのまにか大人(?)になった泉はどこか遠くへ行く自分を感じるのである。

「人生は愉快だ」 池田晶子 毎日新聞社 ★★★★
先人の考えや科学的成果の上にぼくたちは乗っているからすこしは遠くが見える。
だから、なにかすごいことを考えだしたようでもそれは時代を反映しているにすぎないことが多い。
ユングについて書かれた一節を深くかみしめてみたい。
『我々が我々の理解を超えた事柄を問い、
また受容するという行為における誠実さと細心さにおいて、
やはりこの人は卓越している。
「知的誠実」とは、このような態度のためにある言葉だ。
人は誰も自分の見たいものしか見ることができない。
科学を好む者は科学により、オカルトを好む者はオカルトにより。
その意味で誰も自分の「偏見」により世界を見ている。
そのことを自覚するなら、自分の「偏見」もまた自覚されるはずである。
自らの偏見を注意深く除去しつつ、したがっていかなる考えをも排除せず、
慎重に思索を進めてゆくのは、ただただ「真実」を知りたいためだ。
そうでなければ、何のための「知る」という行為であるか。
知りたいと望んでいることを知ったところで、何を「知った」ことになるというのか。
 しかし、詮じつめれば、これこそが逆説なのだ。
我々の「知る」という行為の一切は、この逆説に始まり、この逆説に終わるのだ。』
人生の逆説は「死」に極まるか、「死」が「生」にあるうちにしか考えることができないように。

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真夏のスリーピース
毎朝のことだが、乗換駅で一電車やり過ごしてゆったりと座る。
読書を続けているうちに次の接続電車が着いてどやどやと乗りこんでくる。
空席はまたたくまにすべてうめつくされる。

なにか向かい席のサラリーマンが気になった。
ふつうにスーツ姿で、ネクタイもきちんとしている。
だが、ボタンがきちんととめられた上着の下になんとベストが見えた。
濃いベージュ系のニットであることがわかる。
世はクールビズだから、ノー上衣、ノーネクタイが大勢を占めるなかでのことだ。

スーツは二つボタン、生地は薄い色のグレンチェック。
頭髪は八二分けで頭頂部がややうすくなってきており、メガネはメタルフレーム。
革靴はスリップオンタイプで、ややくたびれた印象をうける。
全体におしゃれ感はなく、疲れているような姿勢で座る。

営業マンではなく、公務員か経理事務所勤務ではないか。
事務所内では、冷房が強くてかなわんのだよなどとぼやいているのかもしれない。
内心、男の冷え性っていうのはどうにも冴えないもんだ、などと思っている。
切れる男ではないが、意思は堅いところがある。
たまに駄洒落などもとばすがすべることのほうが多い、と推察した。

三宮駅ではまだ座席で眠っていた。
降りる間際につい見やると、にやっと笑ったように思えた。

03639イモムシ

夏想い
いつでもどこでも、なにかを見ているような横顔をみせていた。
こちらに気がつくと、にんまりと笑顔になるのが常だった。

夏の暑さにも負けぬじょうぶな身体をもち、だなんて
どこまで強い精神力のやつなんだ、なんて思いますよね。
そう唐突に言って笑っていたこともあった。

みかけにもよらぬ剽軽なしぐさをするが、
純情で恥ずかしがりやでもあったのだろう。
若いときならだれでもそうだが、恋することに慣れていなかったのだ。
ことさらに相手のことを考えて、引っ込み思案になった。

「おれなんかと一緒じゃあ、しあわせになれないですよね」
「じゃあ、だれとならしあわせになれると思うんだい」
「さあ、分かんないっすよ」
「だれだって、だれかを好きになるんじゃないの」
「そのだれかをって、だれにも分からんよ」
「だれを好きになるのが正しいなんてことがあるわけないだろ」
「そりゃあ、そうだけど」
「でも、おれってのはどうも弱いなあ」
「はっはっは、蓼食う虫も好き好き、ってうまい言葉があるよ」
「やめてくださいよう」

そうからかい半分に言いながらも、念じていたんだ。
あたって砕けろよ、なんてね。
そうして、やっぱり砕けたと漏れ聞いた。

いつでもどこでも、なにかを見ているような横顔は変わらない。
こちらに気がつくと、にっこりと笑顔をつくった。

4031カキ氷

深夜夢想
♪ 生きてく限り 人生は果てのない
  歓びと哀しみの 鬼ごっこなのね ♪


相方のパソコンからこんな曲がながれてくる。

もうどれくらい前になるのだろうか。
「走れ歌謡曲」だったか、パーソナリティの兼田みえ子が歌っていた。

当時、会社を辞めて先の見えない大学受験勉強生活をしていた。
のではあるが、生来ののんきな性格ゆえか切迫感はなかった。
なんとかなるだろう、と植木等の歌のように考えてもいたのだろうか。

深夜放送からこの曲が流れるなか、暑くてしかたがない。
そこで、冷やしておいた縦長のタンブラーに氷を入れ、ジンを注ぐ。
冷蔵庫製の角氷がちょっと気にくわないが、壜入りのライム果汁を数滴たらす。
真夏の夜に、ジンライムが出来あがる。
ちょっと一服と、ハイライトに火をつける。
紫煙をくゆらせながら、ぐびっとひとくち飲む。
なぜだかハードボイルド気分でいた頃を思いだすのである。

ラジオでは人生相談のような投書が読まれている。
ふっ…、人生なんてなるようになるさ。
ついそう呟いてみたくもなる。
時代は、深夜ラジオのディスクジョッキーを寵児にしていた。

だが、実際の場面はもっとちがったものだっただろうとは思う。
人間の記憶なんて、そうそうあてにはならないのである。
かっこいいように改善(!)してしまう、これはだれもが陥る癖(へき)である。

1204サギ

言い訳読書
気がつけば読み終わった本が数冊積み重なっている。なぜか気が重くなる。
夏休みの終盤になって宿題がまったくできていない心境と通じるところがあろうか。
やらなけりゃやらないで肝をすえればいいのだが、そこは凡人の哀しさである。
重い腰(?)をあげてさてどんなストーリー、内容だったかと考えても思い浮かばない。
どうしたものだろうか、としばし思案橋ブルースなのである。
書くことなけりゃそれだけの内容だったのだと断じても、わが才のなさには思い至らず。
などという周辺事情を書いてお茶を濁すしかないのである。
しかし仏の顔も三度まで、だったかなあ。まあ、あと一回は使えるということだ。
(いや、いままでに使ったのかなあ、そのあたりの記憶もさだかではない)

「邪魔」 奥田英朗 講談社 ★★★★
裕輔は高校生だが、学校へも行かずおやじ狩りのようなことをして日々をすごしている。
将来に対する漠然とした不安はあるがどうすればいいのかわからない。
ある夜、カモだとおもった男は張込み中の刑事で反対に怪我をするはめになった。
その刑事、九野薫は所轄だが、七年前に交通事故で身重の妻が亡くなっている。
広い家にひとり住む義母をときおり訪ねてゆくのだが、彼女はこういうのだった。
『「天国があるって思うのよ。天国って人類最大の発明かもしれないわね。
誰だって一生のうちに何回かは愛する人を失うんだから」』
だが、その義母も交通事故で妻といっしょに亡くなっていたというのが事実だ。
これは彼の魂の叫びであるのかもしれない。
一方、平凡なパートの主婦である恭子は職場の待遇改善運動にまきこまれてゆく。
そのころ夫の職場でボヤ騒ぎがもちあがり、宿直だった彼は病院に運びこまれる。
こうして別々の三者がいつのまにかからまった糸で人生を織りなすのである。

「セックスと科学のイケない関係」 メアリー・ローチ 日本放送出版協会 ★★★
セックスを科学の目でとらえるとこのような本ができるのだろう。
しかし、その実験は怪しげでもあり、必ずしも世間の評価が得られるとはかぎらない。
ではあるが、人の探究心はやむにやまれず、またとどまることを知らないのである。
『アルフレッド・キンゼイの全著作のなかで、わたしが一番気に入っている一節をご紹介しよう。
《人間女性における性行動》のなかの一文だ。
「交尾中のラットの前にチーズのかけらをばらまくと、雌は気が散るが、雄は見向きもしない」』
これなどいかにも動物行動学的ではないか。
ただ、その対象がセックスに傾きすぎているというだけのことだ。
その成果は確実にすすんでもきているのである。
『レイプ犯の「被害者だって濡れていたのだから、行為を楽しんでいた」という自己弁護は、
レヴィンの言葉を拝借すれば、「本質的に根拠を欠いており、耳を貸す必要はない」。』
なにかものが飛んできたときにとっさに目をつむる反射行動となんら変わりはないということだ。
中枢神経系の反射行動など、学校で習っているはずなのですが。

「魔術師(イリュージョニスト)」 上下 ジェフリー・ディーヴァー 文春文庫 ★★★★
リンカーン・ライム&アメリア・サックスのシリーズ第五作になる。
今回の犯人は魔術師(イリュージョニスト)さながらの手口で連続した犯罪をおかす。
しかし、魔術師と超能力者のちがいはなにか、と考えるとなかなかにむずかしいものだ。
イリュージョンの基本は観客をいかにして誤導するかにあるのだ。
つまりなにかに注意をひきつけておいて、別のところで楽々と仕掛けをなす。
それも物理的な誤導と心理的な誤導がある。
これらを巧みにあやつって本来の目的を隠しながら粛々と実行するのである。
後半にいたってのめくるめく逆転する場面の展開はさすがというほかない。
しかしながら、これはあくまでノベルのなかでのことである、ということを忘れてはならない。
現実はそうそうコントロールできないのだから、事実は小説より奇なりというのである。

1312スズメバチ

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夏夜に雷
夜半に激しい音がきこえてきて目が覚めた。
光ると同時くらいにゴロゴロとおおきな音がする。

一瞬寝床のなかでパソコンはだいじょうぶだろうかと考える。
以前同じような状況があり、雷による地絡電流でパソコンが壊れたことがあった。
そこで思うのである。

まあ、こうした事態はきわめて特殊なことなのだ。
いちど被害にあっているから、二度はないだろう。
だが、二度宝くじに当選した人がいるという週刊誌の記事を思いだす。
ということはあるのか、あれば大変な確率だななどとぐだぐだと…。
つまりは、いまにいたってなんとなく起きてゆくのが面倒なのである。

そこで横を見ると、相方は頭から蒲団をすっぽりとかぶっていた。
雷が怖いのだろうか、そうも思えんのだが。

そうこうしているうちに雷もだんだんと遠のいていくようだった。
光と音との間の時間が確実に長くなってくる。
かといって、急には眠れぬ夜になってしまった。
どうすればいいのだろう。

眠れぬ夜には読書しかない、のだろうか。
(ちなみに、これは「ねむのき」の花であります)

1220ねむのき

夏の北関東温泉紀行四
きもちよく目覚めて、伸びをしていたら肩をたたかれた。
NSHくんが無言で窓の外をさししめす。
野猿がすぐそばので木の実をたべていた。
つい写真を撮るのも忘れて見ていた。

1418渓流

1415野猿

散歩がてらに周囲を歩いているとそろそろ山へ帰るころだろうか。
数頭がかたまってガードレールを越えて川向こうへと去っていった。
サルだって大変だ。
生きるためには食べなければならない。

1397木に蝶

朝から宝川温泉へ行く。
ここの露天風呂はすごい、ときいていた。
うわさにたがわず広くて開放的できもちがいい。
混浴が基本で月曜日の朝であったがカップルもいた。
おおらかで、なかなかいいではないですか。

1343白き蝶

1346花にとまる赤とんぼ

さてそろそろ帰る時間が近づいてきたのだろうか。
車に分乗してふたたび和光市へとむかう。
遅い昼食をとっているとまた雨が窓をたたく。
旅には雨がよく似あうのである。

4815宝川温泉

みんなは笑顔を残しながらそれぞれの地へむかう。
こうして集まれるしあわせを思わないわけにはいかないのだ。

神戸空港に着いたら空には雨も消えていた。

4822神戸空港

またいつかどこかで。
それがぼくたちの別れの言葉だ。
命あるかぎり旅をする。

さて次なる旅は、と考えつつ。
それまでみんな元気でいろよ。

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

夏の北関東温泉紀行三
明けて日曜日は快晴となった。
しかし油断は大敵である。
その後天候はめまぐるしく変化した。

次なる地へ向かう前に、三ツ山羊羹本舗へ立ち寄る。
由緒ありそうな建物もなぜか洋館でありました。
彼は三代目なんだとか、いつまでも元気で伝統の味を守ってください。
おだやかな性格をにじませる笑顔で見送ってくれました。
こんな出会いがあるから旅は楽しく、浮世のうさもひととき忘れさせてくれる。

1318三ツ山羊羹本舗

華厳の滝から戦場ヶ原を経て湯の湖へ。
このあたりは標高が1000mを越えているので空気も涼しげだ。

森のなかを落ち葉を踏みしめてゆっくりと歩く。
からだの細胞ひとつひとつまでもが緑に染まる。
どこかで蝉が鳴き、鳥の声もするのだが、静かだ。
日本人はこれらの音を騒音とは感じない。
つまり、生きるとはヒトだけが生きるのではないことを知っているからだ。

1386森のなか

湖面や渓流には風景にとけこんだ釣師たちの姿がみえる。
さわさわと風がわたるなか、草むらでなにかをさがしているようだ。
近づいてゆくと、なんと四つ葉のクローバ探しに熱中していた。
幾葉かをさがしだせたようだ。
満面の笑みがその成果をあらわしていた。
そのむかし、たしかにそういう行為をしたことがあった、と思う。
ふとしたとき、本に挟んでいた葉がはらりと落ちた。
「栞」という喫茶店が京都にありました。
残念ながら、SSK氏の案内で行ったのを思いだしました。

1369渓流釣り

1407湖にて

今夜の泊まりは山中で、清流の宿「たむら」というだけに渓流の音が聞こえてくる。
新しく建てられたようで、センスよく廊下にも琉球畳が敷いてありました。
料理もおいしかったし、露天風呂もいい感じであります。
集まって飲んで話しているうちいつしか夜は更けてゆく。

1405セセリ蝶

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

夏の北関東温泉紀行二
一夜明けて外は曇り空である。
池袋から東武東上線で和光市までゆく。
土曜日ではあるし、都心へとは逆方向だからのんびりと座ることができた。
車窓からのながめはこれといって変わったものではない。
改札口には何人かがすでに集合していた。

「やあ、久しぶり」
「でもないか、はっはっは」
「おや、元気そうじゃないか」
「ご同慶の至りですな」

日光東照宮にやってくると気温もややさがって快適である。
緑滴る木立のなかを歩くと、さわやかな風を感じることができる。
有名な三猿にも再会したし、左甚五郎作といわれる眠り猫も見ることができた。
20代前半に来たことがあったのだが、その頃の記憶はすっかりなくなっていた。

1250三猿

1276眠り猫

案内の説明のなかで、あれっと思ったことがひとつあった。
ここ東照宮は徳川家康だけが祀られている、とばかり思いこんでいた。
だが祀られているのは源頼朝、豊臣秀吉、そして徳川家康の三公であるとのこと。
うーん、これって案外知られていないのだろうと思う。
まあ、建立の縁起などいいだしたらきりがないのも確かである。
ここで今回のメンバー10名が揃った。

霧降高原にやってくると、名のとおり周囲の山は霧につつまれていた。
途中までリフトでのぼったところですこし雨が降りだしてきた。
よって、これ以上のぼるのは断念する。
あたりに咲くニッコウキスゲのオレンジ色が鮮やかでありました。

1297ニッコウキスゲ

今夜の宿のペンションでのんびりと露天風呂につかる。
夜半になって強くなった雨のなか、珍客到来なのである。
青春時代に真鍋島にも行ったことがあるんですよという話をうかがう。
東京友の会などのことなどよく憶えておられる三ツ山氏でした。

旅は不思議に満ちている、と知るのはずっと後のことだ。
こうして集うおたがいの向こうに、青春の日々が見えるのである。

1243赤とんぼ

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

夏の北関東温泉紀行一
仕事を終えてそのまま旅にでるのも久しぶりのことだ。
金曜日というのが休前日になったのはそう昔のことではない。
(もちろん今でも土曜日が休みではない、あるいは隔週休みという職場もある)
ぼくが若い頃なら役所も土曜日は半ドンがふつうだった。
午前中だけの勤務なのだから気分はどうしてもふだんとはちがってくる。
そう思うと、時代の流れというのは案外に早いものだということがわかるのだ。

羽田空港には予定より遅れて着いた。
考えてみれば羽田を利用することなどいままでになかった。
いちど訪れたのは中学の修学旅行でのことだ。
空港ビルもその頃とはすっかり様変わりしていた。

4818羽田空港

電車で池袋まで行ってホテルにチャックインする。
午後10時すぎという時間だが行き交う人は多い。
なぜだか雨がしとしとと降り、大都会の夜はやけに蒸し暑い。

今様な居酒屋でやっと腰を落ち着けることができた。
水っぽい焼酎をのみながら、友の語るを聞くのもいいものだ。
しかし明日は晴れるのだろうか。
それだけが気がかりではある。

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倦むの苦しみ
突如としてなにもかも投げだしてしまいたい気分に陥るのだという。
生きていたっていいことないし、それに生きてる意味ってなにかなあ、と思うのよ。
それを聞いていたやつが、投げだすものがあるだけいいじゃないか、と笑いながら言った。
生きがいとかいうけどたいていは幻想だよ、意味なんて考えている間はしあわせなもんだ。
それより困るのは、なにもすることがないときだな。
暇で暇で死にそうになることがあった、のだそうだ(結局、死ななかったようだが)。
なにをする気にもならず、ただただオレハナニヲシタイノダと考えるのだという。

「幸福な遊戯」 角田光代 福武書店 ★★★★
八重子は学生時代に劇団に入り、卒業後も就職しないで生きてゆくと母に告げる。
それから母は手紙で平凡な人生がしあわせなのだといつも書いてくるようになる。
反発しながら、劇団は私の生きるすべてだからやめることなどできないのだと返事を書く。
『鍵を回し、ドアを開ける。朝のままの、昨日のままの部屋が八重子を迎える。
この部屋には「つづく」マークが満ちているようだと八重子は思う。
鍵を閉めて「つづく」。鍵を開ければ「つづく」の文字は消え、まるで同じ状況からスタートする。
永遠に繰り返されるホームドラマ。
ドラマらしい展開も、事件もクライマックスもない「つづく」の部屋。』
だが、じつはそんな将来にすこし不安になり、小さな会社に就職をしていたのである。
でありながら、母へはそのことをいわずにいる。
いまも劇団活動を続けている自分を演じるという、ささやかな反抗なのだろうか。
それはなにに対してのであるのか、それがわからない焦燥感にとらわれる。

「春いくたび」 山本周五郎 角川文庫 ★★★
初期の全集にも収録されていない、少年少女向けといわれる短編を集めたもの。
とはいえ、後年の作品につながるものがそこここに感じられて以前読んだものを思いだす。
山本周五郎はその気性を示し、よく知られているようにいろんな賞を辞退している。
「樅の木は残った」が毎日出版文化賞を受けるが辞退。
「小説日本婦道記」は第十七回直木賞に推されるが辞退。
「青べか物語」では文藝春秋読者賞の推されるが辞退する。
<私はつねづね多くの読者諸氏と、各編集部、また批評家諸氏から過分の賞をいただいており、
それで十分以上に恵まれている>(「文藝春秋読者賞を辞すの弁」)と書いた。
その辞退のことばに周五郎の姿勢がみごとにあらわれているのではないだろうか。
(この賞はいらないが、あの賞なら喜んで授賞式にもでるというような作家ではない)

「脳のなかの倫理」 マイケル・S・ガザニガ 紀伊國屋書店 ★★★★
脳のことを脳が考えるという、メタ世界である。
まるでロシアのあのマトリョーシカのような眩暈を起こしそうである。
『脳神経科学は、ひとつのきわめて重要な事実を教えてくれる。
脳は何かを信じたがる、ということだ。
私たちの脳には、信念を作り上げる仕組みができている。
信念が作られるときに影響を及ぼすのが、私たちの文化であり環境である。』
なにをも信じないといっても、それは裏返しでしかない。
いつもなにか絶対的なものを求める傾向があるというのだろうか。
『いちばん変えにくい信念は信仰であるらしい。宗教の教えは心に深く根をおろす。
人がそれを捨てるのを恐れるのは、捨ててしまったら世界から道徳の核が消えるような、
私たちを導く指針が失われて人生に何の意味もなくなってしまうような気がするからだろう。』
なにかをしようとしたその前に、すでに脳では電位変化が起こっているという。
つまりは自由意志なんてものはあるのか、いや自由意志とはそもそもなんなんだ。
というような問題はまたじっくりと考えてみたいと、思っております。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

シオカラトンボ
いつのまにか気がついたらもう七月だ。

小学校の頃に夏休みになると近所の連中とつれだって山へ行った。
もちろんバスになど乗らずに川沿いを歩いていく。
神社があるあたりまでくると、もうそこは山がまじかだ。

登山道をのぼって途中から砂防ダムがあるところへ降りてゆく。
夏枯れてるとはいえ、池のように水をたたえているところもある。
そこをプール代わりにして水遊びをするのである。
だが、さすが山のなかである。
水は思ったよりも冷たくて、たちまちのうちに唇が紫色になる。
それがおかしくて、おたがいに笑いあうのである。
しばらく陽だまりでからだを温めた。
そしてまた水のなかを走りまわったりした。

そんなことを何回かくりかえして遊んだ。

いつか帰る時間になる。
行きはいいが、帰りは疲れてだらだらと歩いた。
それでもなけなしの小遣いで、肉屋の店頭でコロッケを買ったりした。
たったひとつのコロッケが熱くてことのほかうまかった。
あんなにおいしかったコロッケはそのときだけである。

田んぼを舞うシオカラトンボを見ていたらそんなことを思いだした。
でもどうしてシオカラトンボっていうんだろう。

1222シオカラトンボ



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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