ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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夜の蝶
いつもどうだったかと思うことに、蛾と蝶のちがいというのがある。
とまるときに羽根をひらいたままにするのが蛾で、ぴたりと閉じるのが蝶だといったりした。
ほんとうのところはどうなんだろうと考えながらそのままにしていた。

日高先生のエッセイ集を読んでいたら、そんな箇所があった。
そうそう、昆虫がご専門でした。

『ガとチョウは、形態の上で本質的には全くちがわない。
ちがいはチョウが昼間活動し、ガが夜に活動するということだ。
ところが、夜の生きものであるガの中には、その本来の姿から転向して昼に飛ぶようになった、
いわば「昼のガ」がかなりたくさんいる。
ウスバツバメを含むマダラガの仲間は、すべて昼のガである。
昼のガの多くは、とてもガとは思えぬくらい派手で、チョウのように見えるのがおもしろい。
ついでにいっておくが、もともと昼に活動するチョウたちの中で、
もっぱら夜に飛ぶようになったものはいない。
つまり、「夜のチョウ」なるものは人間の世界にしかいないということである。』

   「春の数えかた」 日高敏隆著 新潮社刊より

1665アゲハチョウ

比喩としても、「夜の蝶」とはいうが「昼の蛾」とはいわない。
しかし、これが蛾なのかというようなものもいる。
蛾というと、どうしても「モスラ」のイメージが強いせいだろうか。

結局はチョウとガのちがいは、はっきりしないというよりないのだ。
世界中の国でチョウとガが区別されているかというとそうでもないらしい。
雨でも梅雨、時雨、五月雨などと日本ではよんだりする。
かと思うと、極北の人々は雪にも種別ごとの名前があるときく。
なにをもって分類の基準とするかは恣意的といわざるをえないのだ。

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ヘリンボン
もう十日も前のことだが、急激に秋らしくなってきたなあと感じていた。
季節を先取りする人たちは、その装いに表現の場をうつすのだろうか。
中年の自由業という雰囲気をもった男性が、目の前をさっそうと歩いていった。

ヘリンボンのジャケットで、革の肘あてがちょっとおしゃれだ。
これでハンチングでもかぶれば、英国紳士にでもなった気分だろうか。
アイビールックが流行ったとき、若者にも人気がでたものだった。
ツイードよりはカジュアルで若々しいが、すこし渋さもあるといったところか。

英語で正確には、Herringbone twillのことで、つまりはニシンの骨のことだ。
この生地の織り目がそうみえるということで、西洋ではそうよばれている。
日本ではこれを杉綾織というようだ。そう、杉の葉の形に似ているからだ。
こういうところにも西洋と日本の生活環境のちがいがうかがい知れる。

確か一着もっていたのだが、処分してしまった。
ファッションはめぐるというからまた流行することがあるかもしれない。

強襲の夜
いまならば、秋の夜は月をながめつつ酒を酌み読書するのもよろしい。
ときに静かにたたずみ、遠くを走る列車の音に耳をすますのもまたいいだろう。
だがこどもの頃は、冷えたふとんにくるまって徐々に温まってくるのをまつのが好きだった。
冷え冷えとした感覚が精神を緊張させ、なぜだか知的に成長させるんだと信じていた。
ラジオからは漫才や浪曲がながれだし、どこかで冴え冴えと犬が鳴いていたのを思いだす。
すると小学生時代のよるべなきような感情が、突如として降りそそいでくるのである。

「バルコニーの男」 マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 角川文庫 ★★★★
舞台はスウェーデンのストックホルム、少女が公園で襲われて殺害される事件が起こる。
担当するのは、おなじみのマルティン・ベック主任警視である。
配下には、グンヴァルド・ラーソン(殺人課警部)、フェレドリック・メランデル(殺人課警部)、
レンナルト・コルベリ(殺人課警部)、エイナール・ルン(殺人課刑事)の個性的な面々がいる。
なんだか事件はこのストーリーの添え物でしかない気がする。
このミステリ(警察ドラマ)の主題は署内の人間模様ではないか、そんな感想である。
だが、この雰囲気がなんともいえず人間臭くて魅力的なのだ。
で、事件はどう解決したんだったか、いっこうに覚えていないのだった。

「抑圧された記憶の神話」 E・F・ルスタフ/K・ケッチャム 誠信書房 ★★★★
記憶についての考え方は専門家(記憶の)と、その他ではおおきくくいちがう。
それが裁判での重要な判断にかかわってくるとなると、見過ごすことはできない。
記憶はDVDやビデオテープに蓄えられるようなものと考えるのはまちがいである。。
つねに重ね書きされるファイルと思ったほうが真実に近いのではないか。
暗示にも誘導にも、さきほど見たテレビの画面にも本人は気づかずに影響されている。
(本人が嘘をついてるというようなことではなく、信じているからまぎれがない)
(それゆえにベテラン刑事であっても嘘発見器でも、見抜くことは不可能なのだ)
アメリカではカウンセリングの結果、過去の虐待体験をよみがえらせ親を訴えた人々が急増した。
しかし、そのなかにはなんら物的な証拠もなく、本人の虐待記憶だけで有罪とされた。
『三百年前、ヨーロッパでは数万人にもおよぶ人びとが魔女であると自白し、
証拠のない悪行のために即座に火あぶりの刑に処せられた。
魔女と呼ばれた人びとのなかには、残酷極まりない拷問のもとで自白をした者も多いが、
自発的に悪行を認めた者、親戚、友人、
近隣の者たちを進んで指差した者の方がもっと多かったのだ。』
こうしたことを知るにつけ、ヒトとはなんとも不思議な生物だという気がする。
(もちろん、わたしもその範疇にはいっているのではあるが…)

「フロスト気質」(上)(下) R・D・ウィングフィールド 創元推理文庫 ★★★★
ジャック・フロスト警部は、なんとなくコロンボに似ているようでまったくちがうタイプである。
休暇中だったのだが、マレット署長の煙草を失敬しようと署に立ち寄ったところから始まる。
最初はゴミ袋のなかから少年の死体が発見され、全裸で右手の小指が切断されていた。
ついで十五歳の少女が誘拐され、なぞの腐乱死体が発見され、
盗まれた夫の形見の勲章はまだ見つからないのかと老婦人が署に押しかけてくるという。
大忙しというか、大混乱のなか疲労困憊にもかかわらず事件を追いかける。
キャリア志向のリズ・モード部長刑事と、同じく上昇志向のジム・キャシディ警部代行がいる。
加えて官僚然たるマレット署長がからんでどうにもならない様相になっている。
彼らのように昇進を望まないフロスト警部がなぜかかっこうよくみえてくる。
なぜなら事件を解決して手柄をあげるではなく、なんとか少年を救うことが彼の望みなのだから。
下ネタばかりのジョークも彼のシャイな面を表わしているのかもしれないと思ったりする。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

布引ハーブ園
休日も家にいてばかりでは憤懣がたまる。
ということではないが、近場にこんなところがあるからでかけてみよう。
だがご近所のほうが秋らしいかもしれない。

4959ススキ

布引といえば小学生のころに遠足で行ったのではないだろうか。
その後もハイキングや飯盒炊爨でいくどかおとずれている。
(この「はんごうすいさん」って漢字だが、ずっと山でするから炊山だと思っていた)

ひさかたぶりに新神戸の駅から滝をめざして歩いてみる。
街の風景からあっというまもなく山の景色へと変化する。
ずいぶんと記憶のなかにあるものとはちがっている場所が多い。
もっとでこぼこした山道だったと思ったが、整備されて歩きやすくなっている。

滝の水も上流で調節して通年流れるようになっているらしい。
以前に来て見たときは、ほとんど枯れる寸前のようなさみしさだった。

4964布引の滝

貯水池のちかくにひらけた「布引ハーブ園」が本日の目的地である。
名前は聞いたことがあったが、来るのは今回が初めてである。
ゆっくりと園内の坂道をのぼってゆく。
(ちょうどおおかたの見学者とは逆コースなのだ)
もっとうっそうとしたものを想像していたが、あんがいまばらなんだな。
それでも薔薇の花をみると、懐かしい顔がうかんでくる。

4966薔薇

ひらけた展望台でしばらく海のむこうの人工島をながめていた。
騒がしいくらいの鳥の声は、きっと近くに巣があるのだろう。
わが身と鳥の対比がなんとなくおかしかった。
人生はスパイラルか(笑)。

4970ポートアイランド

4971スパイラル

園内に比して、お土産やグッズは充実しているようだ。
帰りはロープウェイで約10分、新神戸近くの駅に到着だ。
北野の町をくだり、元町でいっぱいやって今日も暮れてゆく。
しかしよく歩いた一日であった。

4979北野町

ピンク・リボンウォーク神戸
今年もこの季節がやってきた。
女性の乳がんを早期発見して大事にいたらないようにしよう。
その啓発もかねてのピンク・リボンウォークである。

4924ピンクリボン

この大会への参加も今回で三回目になる。
なんだか天候があやしいのだが、出発まではなんとかもった。
神戸の町を歩きながら、それでも思いだすことがある。

4927ピンクリボン・ウォーク

Kさんからはがきをもらったのはもう何年前になるのだろうか。
いま、乳がんの切除手術で入院してるんだ。
「みんなでお見舞いにいこうキャンペーン中」などと書かれていた。
あわてて病院へ、それも見舞いの品はミステリかなにかの本だったと思う。
いま考えると、なんとも恥ずかしい次第であるが…。

五年後に転移がなければだいじょうぶなんだって。
そう明るく話していたが不安でもあったろうと思った。
だが、人はすぐに忘れて日々の生活に埋没してしまう。

4939震災の地

4945神戸港

あれからもう五年になるのかなあ、と考えてたときに電話がかかってきた。
じつは転移が見つかったんだ、と。
なにもかえすことばがみつけられなかった。
そうか、としか言えない自分がなさけなかった。
まだ若かったからあっというまの他界だった。

人はいつか必ず死ぬのはわかっているが、現実にあるとつらいものだと思う。
そんなことを思いだす秋の日が、まためぐりまわってきた。

4943メモリアル

気のおけない人
旧知の気のおけない連中が集まっての談論には遠慮がない。
「気のおけない人」というと逆の意味にとる若者がいたりする。
これはどうしてなんだろう、などと考えることもある。

気のおけない → 平気ではいられない → 気遣いが必要な、と連想するのだろうな。
「気のおけない人」というのは、細心の注意を払わねばならぬ人だという解釈になる。
これでは本来の意味とはまったく反対である。
ことばというのはその場の状況やイントネーションで肯定にも否定にも疑問にもなる。
だから字面では分かりにくいこともままある。

正しい意味での「気のおけない」仲間と飲み食べ語るのは楽しいものだ。
職場が同じなわけでもないし、職業的ギルドでもなく、同級生でもない。
意見が同じという政党的立場もなく、主義主張はかなり異なっている。
若い頃、旅の身空で知りあっていまに至るまで、なぜかつながっているのだ。
もちろん、すべての面で許容できるというようなことはない。
この許容できないながらもというところに妙味を感じるのである。

だが、ある立場の人(原理主義的だ)はそれがどうにも許せないらしい。
(そいう決めつけが癪にさわるのよ、とのご意見もある)
(しかし、なにごともなんらかの判断、断定がなければ論がすすまないではないか)
許せないなら許さなければいいではないか。
あなたが許したからといってなにが変わるというのだろう。
所詮われわれはお釈迦さんの掌の上なのだから。

それでも、どうしても許せない納得できないというのであれば、
そのよってきたる論拠を示していただかなければ答えようもないではないか。
それはそうなの、では理由ではなく信念を述べているにすぎない。
だからその信念の源ともなる思考の過程を教えてほしい。
(あるいは相手が納得できるような論を展開していただきたい)

というようなことをいつまでも言って、相手を見ると笑っている。
そうなのだ、そういうことなのだと分かる。
変わらないなあ、若い頃と。
おたがいに、だぜ。
となれるところが「気のおけない」仲間の所以である。

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ひとりが釣ってきた魚を、よしきたっ、とひとりがさばいてゆく。
チーズケーキを作る者あれば、スジコン(すじとこんにゃくを煮たもの)を持ちきたる者あり。
庭に実ったから持参したというすだちが高くかおる。
ビールに芋焼酎にワインなど飲み物も充分すぎるほどだ。
鍋には関東煮がぐつぐつと汁をしみこませてひかえてもいる。

IMG_4912.jpg

ああ、至福とはこういう状態をいうのではないか。
まさか、これは夢だというのではなかろうな。
そうしたり、醒めない夢というものでござる。

こうして一幕は終わりを告げた。
(いつかまたどこかで、と続く)

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ひとと他人
関東に住む友人夫婦と六甲山中にあるカフェを再訪した。
まだ開いていないのではの予想は的中したが、待ち時間に附近を散策する。
やはり山中のことなので肌寒いが、逆にそれが気持ちいい。
さわやかな気分で家にもどり後続の連中をまつ。

IMG_4910.jpg

総勢十数名になったが、リビングになんとか席をつくって乾杯する。
そこでおこった喧々諤々の話のこと。

「夫婦は他人の始まり」か「兄弟は他人の始まり」が正しいのか。
まあ、ことわざだからといって真理をいっているとはならないのだが、と苦しい言い訳。
そこで感じていたのは、論議とはすこしちがうこと。

他人事と書いて、なんと読むのだろうか。
ひとごと、ではないか。
だが最初は「ひとごと」という和語があって漢字はなかったのかもしれない。
で漢字をあてるのに意味を考えて「他人事」となったというようなことだろう。
他人という語はずいぶんと新しいことばなのではと思う。
だが字面を見て、たにんと読む人がいてもおかしくはない。
だから平気で、新語(?)の「たにんごと」などと発言するアナウンサーもいる。
まあ、そうやってことばは変化してきたのだ。
(憧憬を「どうけい」と読むが如くに、本来は「しょうけい」と読むのが正しい)
(当然 → 当前 → あたりまえ、などという例もある)

映画の題名をはっきりとは憶えていないが、思いだしたことがある。
(「たそがれ清兵衛」だったかなあ、不確かで申し訳ない)
そのなかでひとりの武士が、「たにんごと云々」と言ったのには驚いた。
先鋭的現代標準語(?)におきかえて(それでも変だが)のセリフなんだろうか。
そのわりには、なんとかでがんすなどと方言がつかわれているからそうではないのだろう。
役者がかってにそうセリフを読んだとしても、まちがいとの認識なら注意訂正されるはずだ。
ということは製作者も現場もそれで正しい(気がつかなかった)と思っていたのだろう。
このセリフでなんだか急に映画に対する興味が減じてしまった。
ほかにも、幼子が三歳なんて言うし(江戸時代に何歳なんて言うのかなあ)。
(原作を読んでいないので、これが脚本のなせる業なのかはわからない)

などと酔眼考えているうちに裏六甲の夜は更けていった。

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なごりの海
夜分になって、若旦那がやってきた。
すこし酔ってもいるのだろうか、しきりに話をするが要領をえない。
つきあって話していたが、もうそろお開きだということで部屋に帰る。
だが、部屋まで押しかけてきてここで寝るといいだした。
もうすこし話をしようとねだるのである。
文集のゲラ刷りをみつけてひろげながら、とりとめのない話題が続いた。
そろそろほんとうに休もうかとなったところで、急にやっぱりもどると帰っていった。
里心がでたのであろうか、なんだかほほえましくもあった。

1677蝶

朝方に寝床をぬけだして、周囲を歩く。
二日つづきの好天で、なんだか落ち着かない気分ではある。
陽光をきらきらと反射する海面がまぶしい。
日蔭にいれば、秋の空気はどこまでもさわやかである。

お茶をのみ、海をながめ話し笑っていると時間を忘れてしまう。
都会に倦んでこの島にきたころのことを思いだすのである。

1699テラス

帰るところのある者は旅人とはいえない。
などと、若い頃にはたわいもないことを言ったりした。

帰るところのない若旦那に見送られて島を去った。

1706桟橋

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海渡る
気分的には、ひさしぶりの真鍋島だ。
おじさんとおばさんの墓を参ってから坂をのぼるが、若い頃のようにはいかない。
それでも、坂の上から見る本浦の港の景色はなにも変わっていない。
一瞬時間が止まってしまったような感覚にとらわれるのだ。

いまはコンクリートに固められているが、あのときはぬかるんだ道だった。
雨もしとしと降って、静かに一列になってただ歩いていた。
それでも建物がみえてくると、安心するような気分になれた。
あの台所の扉を開けさえすれば、などと思ったものだ。

1686トビ

一仕事(文集の最終打合せ?)終わって潮湯につかれば疲れも溶けだしてゆく。
塩分のなかにミネラルとなって明日への活力となるのかもしれない。
こんなにしてくれなくても、というほど料理をならべてくれる。
こんなとき、おじさんがいればなあ、とつい思ってしまう。
いっしょに酒でも飲めればいいのだが、とはかなわぬことだ。
知らぬまに台所の方向をみているのはその習性のなごりだろうか。

今夜は中秋の名月。
天空にうかぶ月はさえざえと輝いていた。

1644満月

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なりきる
昨日のこと、今朝は衣替えということで、スーツにネクタイといういでたちである。
会社では、十月よりネクタイ着用のお達しがでていた。
すこしの間だったのに、なんだか窮屈というか首廻りが暑つ苦しい。
だれがこんなものを発明したんだ、というか日本社会に取りいれたんだ。
つねに湿ったような空気の土地柄では似あわない。

その点女性は服装が自由でいいなあ、と思ってかたわらを見る。
日本人の女性とアメリカ人だろうか男性が英語で話している。
おたがい二十代後半くらいだろうか。
楽しげな会話は到着した電車のなかまで続いていく。

だが、なんだか変な感じがした。
読みかけのミステリを閉じて、横目で観察してみる。
「オー、ナントカカントカ~」
女性の表情、しぐさ、イントネーション、すべてが大仰なのだ。

日本人って、一般的にこんな話し方をしないだろうに。
英語をしゃべるということで、ついついステレオタイプに陥っている。
テレビや映画で見たアメリカ人(たぶん「サ・ルーシー・ショー」あたり)のように。

だれでもそうだが、ドラマのセリフをいつのまにか日常でもつかっている。
自分でも気づかないで、さも個性的なわたしのように思ってもいるのだろうか。
高倉健のヤクザ映画を見た後、彼は苦みばしった表情になってはいないか。
映画館をでるときには、肩で風そびやかして歩きだしてはいなかったか。

だれでも思いあたることがあるだろう。
そんなことを思いながら、内心笑いをこらえていたのである。

これって「サピア=ウォーフの仮説」と関係あるだろうか。

0420海の色



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ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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