ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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しゃべりながら歩く男
おおきな声でしゃべりながらこちらへ歩いてくる男がいる。
いかにも楽しそうに身ぶりもまじえながら。
それでいながら、まわりにも注意の眼をむけている。
話の内容はいまひとつ聞きとれない。
ときおり甲高い笑い声でむせてもいるようだ。

近づいてきてわかったがひとりである。
ジャンパーのポケットに手をつっこんで、きゅっと腰のところでしぼっている。
かたわらを通りすぎる人々は無関心だ。
ちらっと見る人はいるが、だれもが足早に去ってゆく。

ひとりで男はだれとしゃべっているつもりなのか。
内なるおのれと語らっているのだろうか。
過ぎ去ったことを懐かしんで反芻しているのだろうか。

話すことばに意味などなにもないのだ。
黙っていることがつらいからしゃべっているのだ。
創造の相棒に人生を語っているのではないか、とふと思ったりする。

2143狛犬

独居房にいれられた囚人は、必ずひとり言をいうようになるとなにかで読んだ。
すべての感覚を遮断する実験をおこなうと、ヒトは幻覚、幻聴を体験するという。
無念無想というが、なにも思っていないということではないのだろう。
デカルトではないが、だれもいないといっても自分がいるではないか。
ある意味、ひとりになることはできないようにヒトは生まれついている。

ドップラー効果のように近づき遠のいてゆく男の声に、一瞬そう思った。

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読んどれ
♪ 読んで 読んで 読まれて読んで 読みつかれて眠るまで読んで ♪
といった状態になることを、スラングでは「読んどれる」と言うんだと記憶している。
読んどれるとどうなるのかについては、生理学的な裏はとれていない。
また個人によって変異があるので、一般論として敷衍することははなはだ困難であるらしい。
だが、脳になんらかの化学的変化が起きていることはまちがいないようなのだ。
エンドルフィンようのものが分泌されているからではないか、と考えられている。
これには強い鎮痛作用もあることから、人生の痛みを回避するためとの解釈もあるようだ。
そんなことを滔々と話す怪人が登場する話を聞いたのはいつのことだったろうか。

「サウスバウンド」 奥田英朗 角川書店 ★★★★
小学六年生である上原二郎(長男で、妹がひとりいる)が今回の物語の主人公である。
父上原一郎は仕事もしないで(自称小説家だ)いつも家でごろごろしている。
母のさくらが喫茶店を切り盛りしてなんとか我家は暮らしていけているようなのだ。
父は学生運動でならしたことが耳にはいってくるし、それもそうとうに有名であったらしい。
そんな関係から居候としてやってきた青年アキラがセクト間の争いで事件を起こす。
突然一家は、西表島に移住する(沖縄は父の故郷でもある)ことになるのだ。
(昨年行った舟浮が出てきてその光景が思いだされ、いいところだったといまさらながら)
読むとこどものころの光景が蘇えりなつかしくもある感慨がつぎつぎとうかんでくる。
そんななかで、人はどうして生きてゆけばいいのか。
なにがしあわせなことなのか、人と人との交流とはどういうことを意味するのかと考える。
はちゃめちゃながら、まっすぐにしか生きることが父(自覚している)いる。
『人の物は盗まない、騙さない、嫉妬しない、威張らない、悪に加担しない、
そういうの、すべて守ってきたつもり。
唯一常識から外れたことがあるとしたら、それは、世間と合わせなかったってことだけでしょう。』
という母をそして父をみて、二郎は成長してゆくのだ。

「わけいっても、わけいっても、インド」 蔵前仁一 ★★★★
旅行者にとっては、インドはひときわ異彩を放つあこがれにみちた大地である。
題名は有名な山頭火の俳句のもじりだが、インドを旅する気分がよく表わされていると思う。
インド人とひとことにいうが、ネイティブな民族はかなりの数にのぼるという。
『3500年前、アーリア人がインド亜大陸に進入してくる以前にインドに住んでいた人々は、
南インドのドラヴィダ系とオーストロ=アジア系の人々だったといわれている。
こういったインド先住民を、インドでは「アディヴァシー」と呼んでいる。』
このアディヴァシーの描くミティラー画などの壁画を求めての旅なのである。
細密な絵は宗教的な意味も本来はあったのだろう。
ひろくアニミズムもふくむ神なるものへの畏怖の感情がこうした絵を書かせたのだ。
だから単なる民芸品ではないなにか神聖なるものに筆者はひかれたのではなかろうか。

5167ミティラー画

「悪魔を思い出す娘たち」 ローレンス・ライト 柏書房 ★★★★
ある日突然、自分の娘たちから長期間にわたる性的虐待の廉で訴えられたとしたら…。
しかも、まったく身に覚えがないことだとしたら、どうすればいいのだろうか。
これは本書の主人公ポール・イングラムの身に実際にふりかかったことなのである。
その娘たちも、あるとき突然虐待の記憶がよみがえってきたのである。
彼女らを支援するカウンセラーらはいう。
『虐待の記憶が存在しないことは虐待が起こらなかった証拠ではないとされる。』
それはそうであるが、では虐待があったのに記憶がないということはどういうことなのか。
『「忘れてしまうことで、子供たちはしばしば虐待に対処するのです」と』
殺人者が忘れてしまうことで、殺人を犯したことの罪の意識に対処することもあるのだろうか。
『自分を守るために精神的に逃避し、苦痛を精神の他の部分、
ときには他の人格のなかに隠蔽してしまう。
しかし、たとえそうだとしても、強制収容所の生活のような極度に残酷な経験をした子供たちは、
なぜ記憶を抑圧したり多重人格になったりしないのか?
五歳から十歳までのあいだに親が殺されるのを目撃した子供は
誰ひとりとして事件を忘れなかったという結果を示す研究も存在する。
なぜ、性的記憶に限って、これだけ記憶から消え去ってしまうのだろうか?』
理論はつねに検証され、あらたな疑問があるならばそれに答えなければならないのだ。
しかし、アメリカはつくづく極端なことが起こりうる社会なのだという印象がある。

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黒壁スクエア
黒壁スクエアと呼ばれる一角にはガラス工芸の店舗などがならぶ。
これが今回の目的なのであります(相方はガラスと聞くと眼がきらめくのだ)。
ガラス工芸会社である「黒壁」社がどういうわけでこの地にあるのかは知らない。
だが、なんでも日本最大のガラス芸術の展示エリアだということだ。
有名なんですねえ、それでこの人の多さもうなずけるのである。

5204灯り

時節柄、ひな人形もディスプレイ(こういうほうがぴったりだ)されている。
相方がどうしてもほしいということでガラスの雛人形を買い求める(買ったのは色ちがいだ)。
そんなに安くはないが、我慢して買わないでいて後で悔やむよりはいいだろう。
ではもう一点、ちょっと目についた虎(今年は寅年)の置物も買おうということになった。
(これから季節は桃の節句、端午の節句と続いてゆく)

2145雛かざり

2150硝子の虎

ガラスは不思議な物体である。
江戸時代なら、ポルトガル語で「ビードロ」とよんでいた。
漢字で書けば、硝子である。
同じものの呼び名ではあるが、それぞれに感じるものがちがうようだ。

透明なので、器にするとなかの物体の色に同化するかのようだ。
液体を満たすグラスにはぴったりの物質である。
ショットグラスは硝子でないと雰囲気がでない。
硬質な輝きが夜の空間でこそ存在感を主張する。

5194グラス

いま現在も、わが家ではガラス物質が増殖中である。

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鯖街道
関東の川越にもにた町並みが続く一角が人気である。
北國街道沿いの宿場町でもあった。
鯖街道といえば、いわゆる若狭の小浜から京都への道が有名である。
福井には鯖江なる地名もあるではないか。
だから北國街道経由でも多くの鯖は運ばれたであろう。
そんな地の利があるから、名物と称することができる食べものもある。

5186川

古い民家を利用した料理屋は行列ができるほどににぎわっていた。
30分待ちですといわれ、その間附近を散策するのであった。
待つ人々はこの行為で食欲の半分は満たしているのではないか。
(待つほどの行列の先には美味い食べものがあるはずだ、と素朴に類推する)
(このように他人まかせであるから、食べるまえから美味いと感じているのだ)
並んでまで食べたいとは、これは好奇心のなせる業かもしれない。

そうした善良な老若男女にかこまれ、狭い階段をのぼり案内された卓につく。
ではあるが、ふと二階の座敷から見える土蔵には風情が感じられた。

2151蔵

「焼鯖ずし」と「鯖素麺」がこれだ。
メニューには鯖街道とあり、セットで1680也だ。
寒いので燗酒か焼酎の湯割りでも飲みたいものだが自動車なので断念する。
そう思うとよけいに旨いだろうなあ、と妄想がふくらむのもヒトゆえであるのだ。

5190鯖街道

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長浜盆梅展
前々から相方が行きたいといっていた長浜へでかけてきた。
琵琶湖の北に位置する長浜は近年観光でも注目されるようになった。
町自体は羽柴秀吉(豊臣となる前のことだ)が居城を築いたことで有名だ。

「長浜盆梅展」という催しが慶雲館(伊藤博文が命名とか)という御屋敷でひらかれていた。
(この慶雲館は国の名勝にも指定されているそうだ)

なんでも明治天皇が長浜行幸のおり、当地の富豪・浅見又蔵氏が行在所として建てたという。
よく手入れされた日本庭園が広縁越しにながめられる優雅な屋敷である。
ここにみごとな鉢植えの古木の梅が咲いているのだ。
盆梅というからもっとちいさなものを想像していたのだが、まったくちがった。
雄大、絢爛の白梅、紅梅が咲き乱れておりました。うーむ、みごとなものです。

2090盆梅1

2099盆梅3

2103紅梅白梅


庭でボランティアらしき老人にこれらの盆梅はどなたが丹精されているのですかと聞くと、
すべて市が管理しているので、専門の市職員らがこれの世話にあたっているのだそうだ。
市をあげて盛りたてていこうとしている観光資源なのである。

2094盆梅2

向かいには現存する日本最古の旧長浜駅舎があり、蒸気機関車(D51)もある。
ただ見るだけではなく、ちゃんと機関士席まではいりこむことができるようになっている。

だが、この隧道(トンネルのこと)に掲げられていたという石額がよかった。
書がなかなかいい、黒田清隆(二代目の内閣総理大臣)の題字であります。

2107石額

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終わりなきもの
なにごとにも始まりがあれば終わりもまたあることは、自明のように思える。
まあ、ループ状になればそれもなく、180度回転させればメイビウス・リングとなるのだが。
輪廻転生といった考え方は、こうしたところからうまれてくるのだろう。
四角四面の世のなかと考えないで円環とみなせばまあるく納まる、とだれかが言いそうである。
それはそうだが、何々と考えないでこうみなすということはそう簡単なことではない。
だから逆に、円環とみなせないから角にぶつかってばかりだ、といえなくもない。
世にいう洗脳、教化、啓蒙、教育とはすべておなじことをいっているのではないかと思う。
最終的に勝てば官軍であるが、この勝敗の見極めはいつの時点でいうのかは議論の残るところだ。

1866ループ橋

「無境界の人」 森巣博 小学館 ★★★★
筆者の本を読むのは二冊目であるが、いたるところに彼の知見が述べられておもしろい。
なかでも、「乳房尻代替仮説」なるものは以下のような意味である。
『「ヒトを除く哺乳類の雌には、乳房がない」というコペルニクスも脱帽するような大発見であった。』
ということをデートの上野動物園で猿をみていてひらめくのであった。
『山羊であるとか牛であるとかの雌は巨大な乳房を持っている。しかしこれも授乳期だけだ。』
たしかにそうである。
『それで酪農業者は、山羊だとか乳牛だとかを、始終妊娠させるのである。』
『ヒトの雌だけが、天意に逆らい、乳房を有しているのだ!!』
『ところが二足歩行を選んだヒトは、腹と腹を合わせる「腹面位」の性交が可能となった。』
『わたしの説では、ヒトの雌は、豊かな、そして形の整った尻の代替物として、
授乳の必要のない乳房を思春期から発達させたのであった。』
うーん、論旨は理解できますが、これってどこかで読んだことがありますねえ。
動物行動学のデズモンド・モリス(なんと同じモリス氏だ)の本にもそういう説があるとあった。
「THE NAKED APE」(裸のサル)(1967年)で紹介されていたと思う。
あるいは森巣氏は、そのことを知ってのペンネームなのか、と推察したりしておりますが…。
ではあるが、この博奕打ちを自称する方の本をもうすこし読んでみたいと思うのである。

「消えた消防車」 マイ・シューヴァル ペール・ヴァールー 角川文庫 ★★★
不思議な魅力にみちているスウェーデンのミステリである。
ベック警部はあいかわらずのマイペースぶりだし、他の連中もすこしも変わりがないようだ。
しかし、長期休暇を簡単に(?)とれる社会というのは読んでいて羨ましい。
国がちがえば食べものや社会での習慣が異なることも多いものである。
しかしながら、ヒトとして共通する感情などももちろんあるわけだからおもしろいのである。
事件とは関係がないが、こんな慣習をご存知だろうか。
『マルティン・ベックは三度つづけざまにくしゃみをし、
そのつどコルベリから祝福の言葉をかけられらた。
彼はコルベリに丁重な礼を述べてから言った。』
日本なら、さしずめ誰かが噂しているぞ、とでもいうべきところなのであるが。

「水時計」 ジム・ケリー 創元推理文庫 ★★★
イングランド東部にある都市イーリーは人口一万余の小さな町である。
この町はフィリッパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」にでてくる舞台でもある。
そこでも登場するのだが、イーリー大聖堂がこのミステリでの重要なキーとなっているのだ。
地方紙の記者であるドライデンは自動車事故で妻を深刻な事態に落ちこませてしまった。
彼女の身体機能は正常に働いているのだが、昏睡状態からは回復しないというものだ。
スケート遊びのこどもたちが氷のなかの車を発見し、そのなかから死体がでてくる。
そして大聖堂の死角になった屋根にも死体があることがわかって大騒ぎになるのだ。
新聞記者がここまで事件にめりこんでいく動機がすこし弱いかな、とは思う。
だが全体的にはよくできたミステリである、ということは異論のないところだ。

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風を探してるんだ
インドネシアでは、道で誰かに「どこに行くのか?」と尋ねられたとき、
もし行き先を教えたくなければ、あるいはどこに行くのかまだ分からなければ、
ラギ・チャリ・アンギン(lagi cari angin)、「風を探してるんだ」と答える。
港を出て大海原に向かう帆船のようにだ。
 「ヤシガラ椀の外へ」 ベネディクト・アンダーソン著より

2079岸壁

読書の森を渉猟していると、こういうことばに出会ったりする。
風ということばは多くの隠喩をうみだしてきた。
時代の方向性をいうときもあれば、人知のおよばないものをそうよんだりした。
風は吹くときもあれば凪ぐこともあるのは周知の事実である。
潮だまりにじっとひそむことも、生きるということなのだ。

市井の民も人生にまつわる事象をこうして詩的にいいあらわす。
否、詩的という表現でははみだしてしまうものがある。
もっと深いところで共感が生まれるているはずなのだ。

駆ける青年
地下街を歩いていると、うしろからドタドタという足音が近づいてくる。
身体を左右にゆらし、リュックはゆさゆさと上下動をくりかえす。
さっそうとはいかないが、追い越してゆく。

後姿をながめながら思うのだ。
靴のかがとを踏みつけてはくのは、不良の専売特許だったのではなかったか。

五分刈の頭はざんぎり状態で、手入れもされていないようだ。
すこし口をあけて走る姿は、緊迫感があるようでない。
角のところに停まっているバスに飛び乗るのはいつものことだ。
彼が乗ったと同時にバスは発車する。
運転士がいらついていなければいいのだが、などとも思う。

会社近くでの、みなれた朝の光景である。
ひとつ早い電車に乗ればいいのにと思うところが、年とったなということだな。
バスは埋立地にある洋菓子工場に向かうのだろう。
ゴールドの車体によく知られたロゴマークが描かれている。

若い頃にこのメーカとはちがったが、洋菓子工場でアルバイトをした。
あのころはなにを考えていたのだろうか。

2045ビル

二月は逃げる
ニッパチなどといって、二月と八月は景気の落ちこむというか需要の低迷する時期といわれていた。
同様に年末商戦を終えたあとの一月から三月はどうしても不景気風が吹くのが実感だった。
四月の入学式のはなやかなムードまでもちこたえれば、なんとかなるだろう。
そうすれば、その後は五月のゴールデン・ウィークへと怒涛の消費が期待できるというものである。
一月はいぬ(帰るという意の関西弁)、二月が逃げる、三月は去ると商人はいいならわしたのだ。
そうやって早く過ぎ去ってほしいとの願望がこのことばにはひしひしと感じられるのである。
もちろん、二月は日数も少ないのでちょうどそんな気分になりやすかったのだろうか。
それにしても今朝はうっすらと雪化粧であるが、予報は晴れだといっていたのだ。

5164雪の朝

「終着駅」 宮脇俊三 河出書房新社 ★★★
旅行作家として有名な氏であるが、やはり鉄道好きがこうじての結果だという。
だが、鉄道マニアのなかにもいろんな型があるというのである。
『いちばん多いのは「車両派」で、鉄道趣味雑誌のほとんどは、この派を対象として成り立っている。
ブルートレインに集まる小学生などは車両派の卵で、底辺は広い。
「模型派」というのもある。車両派の系列に入りそうだが、手先の器用さを必要とするからか、
他の理由によるのか、本物の汽車には眼もくれず、部屋じゅうに線路を張りめぐらして、
自分だけの小宇宙に閉じこもる。
 それから「時刻表派」。時刻表ほど変わりばえのしない月刊誌は他にあるまいと思われるが、
毎月二〇日の発行日を待ちかねて購い、その夜は何時間も読みふける。
 このほかに、廃線跡を歩いたり、古い文献を博そ捜したりする「歴史派」、
汽車の部品や切符などを集める「蒐集派」もあるが、これはヨコ割りの分類であろう。』
ヒトは頭のなかだけでも旅できるが、経験していないと想像はひろがらないだろう。

「スーラ」 トニ・モリスン ハヤカワepi文庫 ★★★
ボトム(どん底)と呼ばれる丘の上(皮肉な言い草だ)で育った黒人の少女スーラ。
まるで性格がちがう二人の少女、奔放なスーラとおとなしいネルとはそのゆえか仲がいい。
ふつうなら、黒人の少女が主人公といえば、ストーリーが知れそうである。
だが、まさしくその逆をいくような物語りがてんかいされてゆくのである。
アメリカの片田舎で黒人として生きるとはどういうことなのか、ということが実感としてわかる。
人は同じような境遇にあっても、同じように影響を受け成長してゆくわけではない。
黒人の側から描くアメリカン・グラフィティとしてしかとらえられなかった。
知らなかったが、モリスンは1993年にアメリカの黒人作家として初のノーベル文学賞を受賞した。
ふーん、だがアゴタ・クリストフは受賞していないな(賞というものは政治的でもあるからね)。
まあ、小説などというものは好みによって評価が別れるものではありますが。

「トロムソコラージュ」 谷川俊太郎 新潮社 ★★★
ノルウェー北部の都市トロムソでの表題作が書名になっている。
『小説も誘われるままに書こうとしたことはあるが、
自分には向かないことが分かるまでに時間はかからなかった。
そんな自分の資質が「生きることを物語に要約してしまうことに逆らって」
というような行を書かせたのだと思う。
だが、人は詩だけで生きているわけではない。
歴史に連なる自分の物語を意識せずに、人生を送ることは出来ない。』
谷川氏が小説を書かないというのは、ある意味すばらしいと思う。
こうした文章を読むと、彼の人生観がまざまざと眼前にひろがってくるのである。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

寒い朝に
寒い朝と書くと、どうしても吉永小百合とマヒナスターズの歌が聞こえてくる。
小説は確か石坂洋次郎だったよな、とすこしたよりないのだが。

玄関を出たところで、霜柱にもちあげられたタイルが体重をうけてギシギシうなる。
昨夜から、いちだんと寒さが厳しくなったようだ。
この地は標高が329m(Goorle Earthによる)あるから、市街地と較べると気温が3度ばかりは低い。

4917朝

駅に向かって歩いていくといつも出会うのだ。
この気温のなか、中学生の女子は薄っぺらな制服だけである。
(たまにナイロン一枚だけのクラブらしきブルゾンを着ていることもある)
おおきなカバンを肩にかけて、山岳民族のようにからだをそらせて歩いている。
寒くないことはないだろうが、若さがそれをうわまわっているのだろう。

向こうの方に同じ制服をみつけると、おおきな声で呼びながら駆けてゆくのだ。
なんだか知らないがこっちまでうれしくなってくるような朝の光景である。

この化粧っけのない少女が、いつかはメイクを気にする女性になるのだな。
などと勝手な感慨にふけるのであるが、それにしても今朝は寒かった。

雨の訪問者
仕事をしていると、突然携帯電話が鳴る。
ディスプレイをみるとMだ。
おやと思うまもなく、急にそっちへ行く予定ができたという。
いいよ、いつどこで、わかったと電話をきる。

さて日曜日だがあいにくの天候になった。
小雨降るなかを新幹線の駅へとむかう。

「会うのひさしぶりだよね」
「そうだな、一昨年夏の札幌以来かあ」
「元気かな」
「元気なんじゃないの」

相変わらずのにこやかな顔で改札口をぬけてきた。
ちょうど昼どきということで、ちかくの中華料理店に席をとる。

今回はこんな話で笑った。

ある会合の流れで、10人ほどでクラブに行った。
そこのママがやってきて、この本がすごいのよという。
とてもおもしろいのよ、ととある本をもってきた。
それがなんとMの本であったわけだ。
いっしょの連中はそれを知っているから、にやにやするばかり。
自分の本だともいえず、とうとう明かさずじまいだった。
「だって、著者近影の写真てちいさくてわからないのよね」
「ほんとうにどうすればいいのか、困ったもんだわよ」

(初版3000部はまだすこし残っているとか)
(だが、第二弾をお願いしますと頼まれているらしい)
(もう書いたのかと聞いても、書いてるわけないじゃないという)
(すべて書き下ろしになるわね、と不敵に笑っていた)
(まあ構想はあるようだし、なにごともマイペースの彼女ではある)

夕食にわざわざ提げてきてくれた土産の清酒をひやでのむ。
若かったころのおたがいを思いだしながら、味わうのもなかなかいいものだ。
あんなことがあったなあ、とひとり苦笑いの夜である。

5159姿見寒酒



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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