ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
03 | 2010/04 | 05
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絶対読書
絶対反対というよく聞き慣れた言葉があると思えば、絶対零度なる温度もある。
絶対とは、他に成立するものがないこと。つまりは、相対の反対語となる。
あるいは、副詞的につかわれて、どんな場合でも、そのことが成立する様子をいう。
絶対反対なら、まあどんな優れた(!)意見であろうと聞く耳をもたないのだという宣言である。
あるいは私は絶対にまちがうことがない、という神の宣言(天の声?)にもにた響きがある。
民主主義の世のなかにそんな言葉が発せられるのも不可解な気がするのだが、
(絶対ということばは他に成立するものがないという意味で、独裁国家、専制国家でこそ似合う)
いったん反対意見を聞いたならば、わが見解がぐらつく心配があるんだという弱気がややみえる。
でなにがいいたいのかというと、脳は絶対を好むからではないかと思うのだ。
中途半端なことばより、絶対あなたが好きだ、というほうが効果があるだろう。
だから、わたしもそれにならって絶対読書(?)と言ってみたいと思うのだ。

5416一輪挿し

「単純な脳、複雑な「私」」 池谷裕二 朝日出版社 ★★★★
または、自分を使い回しながら進化した脳をめぐる4つの講義、というのが書名である。
母校での、高校生との対話は楽しかっただろうなという雰囲気がつたわってくる。
彼のような先生がいれば、きっといい生徒が多く育つのではないかという気がする。
有名な実験でなにかをしようとする意識は行動よりも後に起こるというのがある。
『「自由は、行動よりも前に存在するのではなくて、行動の結果もたらされるもの」
ってことだ。これは大切なポイントだ。
普通の感覚だと、自由意志って、「行動する内容を自由に決められる」という感じで、
あくまでも「行動の前に感じるもの」だと思いがちだけど、
本当は逆で、自分の取った行動を見て、その行動が思い通りだったら、
遡って自由意志を感じるんだね。結果が伴わない限り自由はない。
ここで僕が論じたかったのは、「自由意志が存在するかどうか」という問いは、
その質問自体が微妙なところがあって、今の議論のように、むしろ、
自由を「感じる能力」が私たちの脳に備わっているかどうかという疑問にも変換しうる。
自由意志は、存在するかどうかではなくて、知覚されるものではないか、とね。』
読みながら付箋の数がどんどんと増えすぎてしまって収拾がつかなくなる。
そんな楽しい経験をさせていただきました。ありがとう、と謙虚にいいたいです。

「クジラ戦争」 小松正之 PHP研究所 ★★★
世間的には、捕鯨国と反捕鯨国の争いがなぜそこまで激しいのかと思われているのでは。
反捕鯨の立場とはなんなのか、いつも素朴な疑問を感じるのである。
鯨を捕って食べるという習慣をもつ文化のどこがいけないのだろう。
かっては鯨油を採るためだけに捕鯨をして、油を抜いたあとの鯨は海に捨てていた。
そのことを恥じて、もう鯨は捕るまいと堅く決心したのが反捕鯨の原点であるのか。
鯨は知能が高く殺すことはかわいそうだ、などと理由にもならないことをいったりする。
牛や豚は知能が低いし、そもそも人間に食べられるために存在しているとでもいうのか。
その論理とナチスの優勢学的思想とはどうちがうのだろうか。
などとグリーンピースの運動は、どうもいまひとつ理解できないことが多い。
鯨は絶滅危惧種だという説もあるが、ほんとうにそうなのかの科学的データは貧弱だ。
『捕鯨の問題をもち出すときは、「これが日米関係に悪影響を与えないように」と、
政府部内で事前に釘を刺されたと思える局面が少なくなかった。
捕鯨のごときマイナーな案件が、日米関係全体に影響するわけがないのである。
また、主義主張が正しいものを譲れば、逆に日米関係に悪影響が及ぶ。』
と筆者が言うように、マイナーな問題かはともかく、正しいと思うことを主張しないのはまちがい。
意見がないと思われることのほうが、より問題を相手ペースにするのではないか。

「地球生命は自滅するのか?」 ピーター・D・ウォード 青土社 ★★★
副題は、ガイア仮説からメデア仮説へ、となっているがこのメデア仮説がテーマだ。
ガイア仮説からメデア仮説へ、というのがウォード博士の主張の骨子である。
『ガイアという名前は「良い母親」を意味して、ギリシャ人は彼女を地球の女神と見なした。
生命とその諸過程を合わせたものが、しばしば「母なる自然」と呼ばれるが、
過去も現在も彼女から生じてきたたくさんの種にとっても、
決して良い母親ではないというのが私の仮説だ。』
ではその「メデア仮説」とはどういうものだろうか。
『地球の居住可能性は生命の存在によって影響されるが、生命の全体としての効果は
今までもこれからも、居住可能な惑星としての地球の寿命を減少させる。
生命自体が本質的にダーウィン的であることから、それは殺生命的(biocidal)、
自殺的な性質を有し、後の世代に害を与える一連の正のフィードバックを、地球システム
(地球の気温とか大気中の二酸化炭素やメタンの含有量のようなものなど)にもたらす。
それゆえダーウィン的生命が生息するこの惑星、そしてどのような惑星でも、気温、
大気の気体組成、元素循環のいずれかが生命にとって有害な数値まで変動とか変化に
至ることを通して、生命は自分自身の終わりを作り出す。』
とまあわかりにくいが、地球の将来をそんなに楽観的に考えるのはまちがっている、ということか。
『大げさに言いすぎないようにすることは難しいが、危機は充分に現実のものだ。
私たちは自然の一部になってはならない。自然を克服しなければならない。』
こういうところは欧米人的だなあ、とつくづく思うのである。

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背後霊
現在、新進気鋭の脳科学者、池谷裕二さんの本を読んでいるとおもしろいことが書いてある。
薬学博士でもある彼はバリバリの実験科学者でもある。
心霊体験というと、どこか神秘的な雰囲気がただようものであるが、氏によるとこうだ。
高校生相手の講義であるから語り口もやわらかい。

『角回(頭頂葉と後頭葉の境界にある)を刺激すると、
自分のすぐ後ろに、背後霊のように誰かがベターっとくっついてる感じがするようなの。
うわーっ、だれかにつけられている。
だれかに見られている。
……
強烈な恐怖を感じるんだって。
でもね、その実態を丁寧に調べるてみると、自分が右手を上げると、その人も右手を上げるし、
左足を上げてみると、その人も左足を上げる。
座っていると、その人も背後で座っていることがわかる。これで理解できるよね。
そう、実は、背後にいる人間は、ほかのだれならぬ自分自身だ。
要するに、「心」は必ずしも身体と同じ場所にいるわけではないってこと。
僕らの魂は身体を離れうるんだ。
この例では、頭頂葉を刺激すると、身体だけが後方にワープする。』
   「単純な脳、複雑な「私」」 池谷裕二 朝日出版社より

すべてがこうなるかどうかは知らない。
だからといって、この症例が特殊だとは思えないのである。

2374島猫

ホームレス
春の長雨がつづいて気温も低迷したままである。
肌寒さを感じながら地下街を歩いていると、ときおり出会うホームレスがいる。

今朝はありったけの布切れ(服ではない)を身体にまとわせて横たわっていた。
それでも安らかそうに眠っていると思うのは、気楽そうだと感じるからだ。
家ももたず、気ままに生きるを選んだかどうかは知らない。
(そうだとすると、周囲に散見する紙袋の数々は生への執念か)
事情はたぶんそんなことではないのだろうが、彼に漂泊の人生をみてしまう。

2378海

若いころには、なんだかすべての既成のものごとがばからしく思える。
どうしてそう汲々と生きなくてはならないのかと世人をみてつぶやく。
(ほんとうに汲々としているかどうかではなく、しているものだと決めつけていた)
(まったく、いま考えればそれこそステレオタイプな感じ方だと思うのだが)

そうはなりたくない。
自由に生きることこそが、ヒト本来に与えられたものだ。
(なにが自由かと考えれど、答えは得られなかった)
(楽なほうへと無意識に流れていたのだろうか)
そう考えることが逆に自由ではない未来を暗示し、漠然とした不安を感じた。

旅にでるしかないな(なぜそうなるか、脈略はない)。
芭蕉も、山頭火も旅に暮らしたではないか(おおきく出たものだ)。
ただただ、どこかへ行かなければならなかった。

2504橋桁

バカボンのパパもバガボンドなのだ。

たかが読書
「たかが野球」じゃないかなどということについては、そうだとすなおに考えるのだ。
だが後に「されど野球」と続くと、とたんになんだかうさんくさいものを感じるのである。
それをいえば、なにごとにおいてもそういうことが成り立ってしまうのではないか。
つまり、それではなにをも言っていないということと同じである。
ことわざにかならず反対の意味のものがあるように、そういうものだというのならばいい。
だからわたしならば、「たかが野球、されど野球、だけど野球」とでも言うだろうな。
本を読むという行為もしかり、たかが読書なのであると肝に銘じておこうか。

2372子面

「戦争のなかの京都」 中西宏次 岩波ジュニア新書 ★★★★
太平洋戦争時、京都は戦災を受けなかった日本で唯一の都市だと思っている人は多い。
では実際はどうであったのか、幼少期を京都ですごした著者の話を聞いてみよう。
戦時中に戦災をのがれるために学童疎開が行なわれていたということはよく知られている。
だが、空襲による火災の被害を減らすための「家屋疎開」はあまり知られていない。
密集した家屋の延焼をさけるために家屋を破壊してそこを空地にするのである。
京都の街はこうした家屋疎開によって、結果的に戦後の広い幹線道路ができたという。
名古屋や他の都市も同じような事情で、戦後の発展をたどっているようである。
『ほかの五大都市が熾烈な反復攻爆撃を受け、市街地が大被害を受けているのに、
京都の爆撃頻度が高くなかった理由については、かつてウォーナー博士という親日家が
京都の文化財を守るため爆撃を控えることを米政府に進言し、
それが受け入れられた結果だといわれていました。
しかし、吉田守男氏らの研究(『京都に原爆を投下せよ』角川書店、一九九五)ほかにより、
京都市街地が温存されていたのは、同地が原爆の投下候補地リストに入っていて、
原爆の破壊効果をわかりやすくするためだったという説が有力になっています。』
地理的に孤立した諸都市が候補になっており、たぶん事実だろうと思います。
蛇足ですが、ドイツに原爆を投下するということは検討すらされなかったようです。
おなじコーカソイドに原爆は絶対使えない、という心情が働いたのでありましょう。

「ロボトミスト」 ジャック・エル=ハイ ランダムハウス講談社 ★★★
外科的な前頭葉手術による精神疾患の治療をおこなったウォルター・フリーマンの伝記である。
『ロボトミーという名称は、フリーマンとそのパートナーのジェイムズ・ワッツが、
精神疾患治療のために前頭葉の一部に切断を施す手法を指す言葉として、
新たに作り出した用語である。』
現在の感覚からすると、ぞっとする語感があるが当時は最先端の治療という自負があったのだろう。
『ロボトミーは一九三〇年代の後半から五〇年代の半ばにかけて、南北アメリカ、
ヨーロッパ、オセアニア、そしてアジアの一部で、精神科治療の一つの柱として盛んに用いられた。』
もちろん日本でも行なわれた手術であるが、ほかに治療法がなかっという時代背景もあった。
その後、いろんな薬が開発されて効果が疑問視されるこの手術はあまり行なわれなくなった。
機能的にまだよく分かっていない脳に直接的にメスを入れる手法は多くの批判を受ける。
ではあるが、この手法を最初に考案したポルトガル人のエガス・モニスは一九四九年に
「精神疾患に対する外科的治療の創案」と「それを可能にした精神生理学的概念の詳細な作成」
という受賞理由で、ノーベル生理・医学賞を現実に受けているのである。
時系列のなかで考えると、人類はしばしばどうしようもないことに手を染めているのである。
『フリーマンの生涯は、考え方についての教訓でもある。
精神外科史家のジャック・プレスマンは「精神医学というのは、要するに、絶望の扱い方だ」と言う。』

「読まない力」 養老孟司 PHP新書 ★★★★
養老さんの本はいつも同じようなことが書いてあるというと、氏はそうだとたぶん言うだろう。
だが、そのことば、見解の繰り返しがなかなかに腑に落ちるので読むのをやめられない。
いや、どちらかというと読むことがこころよい感覚を刺激するような気がするのである。
本書の題名の読むの意味とは、先を予想することをいうのである。
『いいことなら先を考える。いやなことは考えない。これを希望的観測という。
近代の日本の歴史は、じつは希望的観測に満ちている。
いやなことを考えたところで考えるだけなんだから、べつにどうということはない。
戦争中は負けることを考えるなんて、敗北主義だと思われていた。
でも考えておいたほうがよかったんじゃないでしょうか。
私はいやなことから考えるようにしている。そうすると、いやなことではなくなるのである。』
どのようなことであれ、議論をすることはいいことだと思うのである。
そこでより意見のちがい、どこがほんとうは食い違っているのかがわかるのではないか。
考えるだけでは犯罪とはならないと思うのだが、考えることさえも罪だというのだろうか。
最初から絶対的に反対であるし問答無用なら、それはどこかの国とおなじことだ。

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地下道
地下鉄駅で電車からはきだされて改札へ。
ここから地下街へは地下道をとおってゆく。

朝のあわただしい光景のなか、靴音だけがひびく。
カツッカツッと地下道の壁に反響するのである。
この音はどこかで聴いたことがある。
ちょうど競馬場の地下通路をサラブレッドが歩んでゆくようかのようだ。

これからレースが始まるのだ。

さて日曜日は皐月賞だ、予想が的中するだろうか。

1840駿馬

「競馬ってそんなにおもしろいの?」
「おもしろいよ、だがほとんど当たらないなあ」
「どうして、当たらなくって損ばかりして、ないがおもしろいのよ?」
「予想することがおもしろいんだよ」
「それに、当たってばかりだとすぐに飽きるじゃないか」
「もしかして、いちど飽きる体験してみたいと思ってる?」
「それはねえ……、グスン」

危ない大人
仕事柄、「建築コスト情報」なる出版物を読むことがある。
そこに載っていた文章に、そうなんだよなあとうなずく。

『 子どもたちは、建築現場に行くと目を輝かす。
模型やおもちゃみたいに、でき上がって売っている物じゃないんだ~!?
家って作れるんだ!ビルも人が作ってるんだ!
 時々、中に入れてみると、じっと職人の仕事を見ていたり、何かやってみようとしたり、
工程の途中を触ってみたり。飽きることがない。今日は危ないから、中に入ってはだめ、
というと悔しさに涙を浮かべて、隙間から覗いている子がいる。
……
 そして、危ないことも経験させること。
どうも日本人は、「あぶないかもしれない」に過敏である。
でも、危ないことを知らずに、危なさを判断できずに育つほうが危ない。』

   建築雑感 あぶないよろこび KANA都市・建築計画 灰谷香奈子 より抜粋

5351危険物

自分で実際にやらないで、できるようになることはほとんどない。
失敗を経験しないで高度な成功に至る確率は、まずない。
よもやもし成功したとしても、なしとげたという感激はあじわうことができない。
こどもたちにどんな人生をあゆんでほしいと、「あぶないと言う大人」は考えているのだろう。

あやしい読書
正しい読書なるものがあるのなら、怪しい読書があっていっこう差し支えないのではないか。
はなから正義をふりかざして、暗にあなたがたはまちがっているといわれても困る。
正義は定義がむずかしく、逆だったということも多々あるのは歴史が証明している。
正義とか正論というものは、実践するのではなくレトリックとして存在するのではないかと疑う。
ほんとうにそう信じているならば、行動が伴ってしかるべきではなかろうか。
反論を封じるためにあえて正しさをいうならば、こちらも煙幕をはって怪しさに隠れるほかはない。
これが女性であるならば、ただしい美人より、妖しい美人のほうがおおいに興味をひかれる。

5277コリエンテス

「泳いで帰れ」 奥田英朗 光文社 ★★★
野球好きの奥田氏、今回は直木賞の授賞式にもです、アテネオリンピック観戦に向かう。
誤解のないようにつけくわえると、結果的にそうなっただけで、反抗的な性格ではない。
だが、野球が好きなだけに日本チームの情けない戦略(?)に激怒して「泳いで帰れ」と叫ぶのだ。
ついでの観光で行ったパルテノン神殿での感想に、彼の性向がうかがわれる。
『丘の周りには塀があるが、それは腰の高さほどのものだった。
その下は崖なので、身を乗り出すとお尻の辺りがひんやりする。
日本なら絶対に柵ができるであろう。
修学旅行でやってきた馬鹿中学生が、塀に乗ってふざけて落ちて死ぬ。
それで馬鹿マスコミが「安全対策に問題」とか騒ぎ出して、あっという間に醜い柵で囲まれるのだ。』
であるから、日本では究極の安全対策は近寄らないことなのである。
ギリシャの人々の生活は、どうみえたのだろうか。
『質素ではあるが、ゆったりと暮らしている様子が感じられた。
金のかからない生活が、よい生活だ。消費する生活は、豊かではないのだ。』
『彼らは、労働時間を増やしてまでブランド品を買いたいとは思わないだろう。
それは正しい価値観だ。』
それは正しい価値観だという意味は、そういう価値観もあってしかるべきだろうということ。
まさに本当の意味でのエコライフを実践しているのではないか、といいたいのでしょうな。
むきになって反論する人たちは、その裏にかならずやましさが潜んでいる。

「インターネット新時代」 村井純 岩波新書 ★★★
『インターネットには四〇年の歴史があります。
一九六九年にアメリカの四つの大学・研究所をつなぐコンピュータネットワークARPAnetの
研究が開始され、また、同じ時期にベル研究所でUNIXオペレーティングシステムが誕生しました。
ちょうど同じ年に生まれたこの二つの技術がインターネットの起源です。』
この四〇年は個人の人生のなかではおおきなエポックとなりえる。
当初、セキュリティの問題が考慮されていなかったのは善意のネットワークを考えていたからか。
しかしこうして全世界にひろがると、セキュリティはゆるがせにはできない問題になっている。
インターネットは便利な道具だが、これですべてが済むのだという感覚が起きるかもしれない。
だが現実のからだや自然はそうはならない、ということがすぐに分かってくるだろう。
すべてをネットに置き換えて考えること、それはいつか挫折することを知らなければならない。

「寿命はどこまで延ばせるか?」 池田清彦 ★★★
寿命とはなにで決まるのか、ということだ。
『高等動物の体は分裂性の細胞と非分裂性の細胞でできている。
分裂性の細胞は生殖細胞を除いては分裂回数に限界がある。
これはヘイフリック限界と呼ばれている。
ヒトのヘイフリック限界は約五〇回。
五〇回分裂を繰り返すと細胞はアポトーシスを起こして死んでしまう。』
だが、このヘイフリック限界からいうと最長で百二十歳くらいになりそうだ。
しかし、ただ生きるのではなく元気に生きるとなると、これは別問題になる。
『昔、山梨県のさる老人会で講演を頼まれて、
「いちばん体に悪いのは生きていることです」と言って大方の顰蹙を買った覚えがあるが、
正常に生き続けることこそが老化の原因だというのは決してウソではないのである。』
生きるということに意味があるのは、死があるからだといえなくもない。

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潮風に吹かれて
今夜の宿泊先は「B&B潮風」さん、尾道は向島にあります。
前回は700人目(700泊目ではないですよとのこと)の宿泊だった。
なかなか感じがいい宿だよと話していると、KNちゃんが行きたいという。
彼も今秋あたりから信州の白馬で宿をやる予定なのだ。
じゃあいっしょに行って、どこが人気なのか研究してみればいいだろう。

2492潮風

(余談ながら、HCちゃんも泊まりたそうにしていた)
(だがMROくんの仕事の関係でそれも無理なのだ)
(だが、なんどもなんども、だめかしらねえというHCちゃん)
(こどものような妻に苦笑するMROくんでありました)

2500布絵

夕方に到着して、お茶をごちそうになる。
いたるところに飾られている「布絵」が印象的だ。
あいかたは早速トライすることに決めたようだ。

2501布絵

2503布絵

夕食に出かけるとき、どう思うとKNちゃんにきく。

「どこがどうっていえないけど、分かります」
「そうだろ、なにがっていうのはむずかしいけど、いいだろ」
「そうですねえ」

頑張ってそんな宿にしてください。

次の日の朝食後、あいかたは布絵に挑戦していました。
あるていどやって、後は帰ってからの仕上げです。
なかなか、筋がいいですよといわれて、おおいに気をよくしていました。
うーん、また趣味の分野がひろがりましたね。
ということは、またまたこちらの陣地が圧迫される(?)。

2496夜の尾道

ところで、この向島へ船で渡るのにほんの数分なのだが。
行きのフェリーでは三人で車もいれて、220円だった(安い!)。
だが徒歩で乗ったときには、ひとり100円だった。
ということは三人で、300円(!)。
なんと車のほうが安かったのである。
(ちなみに自転車は20円だそうである)
(乗る場所によってちがうのかもしれませんが…)

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尾道カフェ
瀬戸内の島から、坂の町へとむかう。

一年半前には、暑いなかを探しまわったがとうとう発見できなかった。
結局、店は閉まっていたことが後に判明した。
カフェの名は、「空猫」という。
今回はそのリベンジなのだ。
ことあるごとに相方がそのことを吹聴していたせいか、参加者は七人になった。

2480木立

2477空猫

尾道は海からすぐに坂がはじまる町である。
おまけに車がはいれないような路地も多く、坂の上の家は老人になると住みづらい。
坂の途中には空家がめだつようになってきた。
それではいけないと行政も動きだした。
そこでは町家を改造しておしゃれなカフェやパン屋などもできるようになった。

光明寺をすぎて、高台にあるのを見つけたときにはほっとした。
行き止まりの道も多いから、なかなかむずかしいのだ。
だが、それがまた尾道の魅力でもあるかもしれない。

2481テーブル

二階の座敷に案内された。
窓からながめる眺望はすばらしい。
さわやかなすこし潮のにおいもする風がこころよい。
尾道水道をゆっくりとすすむ船の汽笛が聞こえてくるような錯覚をおぼえる。
春暮れかたのさわやかさ、坂をのぼってきた疲れもきえてしまう。

2484尾道水道

注文を運んできた若いご主人はシャイなようすをみせる。
おばさん連中にすこしおそれをなしていたようだが、それも初々しい。
人気のベーグルは売り切れだったが、香りたつ珈琲がうまい。
これからも夫婦ともども頑張ってほしいと思えるほどにいい感じだ。

2486椿

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春は島から
すっかり例年のならいとなった行事である。
若いころには三月半ば過ぎに桜の植樹祭があった。
すこし年月が経過して、同窓会でもしようじゃないかと声があがったりした。
それが五年刻みの開所記念といつしか変化したのだった。

時は島でお世話になったおじさん、おばさんを連れ去ってしまった。
たまには墓参りもしたいよなあ、などと話しがでる。
それらすべての想い出、願いがひとつになって春の花見をするのである。

2356狛犬

島へ着けば、まずはお墓参りだ。
今年も来たよ、みんななんとか元気でやってるよ。
墓のまわりには、にぎやかな笑い声がひびく。
おばさんは、いつも言っていた。
「楽しいのが大好き」だって。
じゃあ、また来るから。

2357狛犬

夕食の「鯛茶漬け」がことのほか美味かった。
ふだん小食の相方が二杯も食べていた。
(写真撮るのも忘れてしまってました)

2391鯛

島の斜面にひろがる通称「野鳥の森」へ向かう。
年々坂道を登るのがつらくなってくる。
しかし、途中からながめる景色は格別のものがある。
人はいろんなところでいろんな人生を生きている。

2379港

斜面にひろがる満開の桜はみごとである。

2383桜と目白

2412桜花

2435サクラ

2438葉桜

チャーター船が海から見えるコースをとってくれた。

2466野鳥の森

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記憶正しく
どちらかというと、映画を見るよりは本を読むほうがいい。
はてどうしてなんだろうと考えると、わたしは思考のスピードが遅いのだと気づく。
ちょっとした言葉でも、そのときはなにも思わず、後にそうかと膝を打つようなことがたびたびある。
だから、あのときにそのことに気づいていれば人生変わっていたかもしれないな、とも思う。
記憶しているということは、多くの場合、単なる記憶ではなく反芻していることを意味する。
当然、反芻する過程で変形、改変、省略等がおこなわれていることはおおいにありうる。
もちろん、そのことを本人が自覚、意識しているかは疑問ではあるのだが…。
だから美しい記憶が世のなかにあふれているのを、不思議だとも思わない。
多くの人が、清く、正しく、美しく、生きたい(生きてきた)と考えるのに嘘はないのだ。

5227アスリート猫

「ヒチコックに進路を取れ」 山田宏一・和田誠 草思社 ★★★
書名はもちろん有名なヒチコック作品「北北西に進路を取れ」からきている。
ミステリ、サスペンスものに技量を発揮したヒチコック監督だが、映画にもセオリーがあるという。
そのヒッチコックのセオリーとはこういうものだそうだ。
『映画は本質的にサイレント芸術であって言葉なしにヴィジュアルに描くものだ』
サイレント時代からの監督だからというわけでもなさそうだ。
視覚芸術の映画でくだくだとした説明が続く場面を想像すればいい。
すっかり興ざめどころではなく、眠くもなってくるのではないか。
度肝を抜かれるような場面は、ほとんどセリフなどなかったのではないか。
黒澤の「用心棒」で、三船がジェリー藤尾の三下の腕を切り落とすシーンなど思いだす。
その腕を野良犬がくわえてトコトコと走り去る姿などユーモアがあり秀逸だった。
テレビでも「ヒッチコック劇場」というのがありました。
ヒチコック自身がずばり「ヒッチコック劇場」の面白さを、こう解説している。
『1 殺人はきれいなものじゃない。
 2 暴力は正当な理由がなければ退屈である。
 3 本当の気難し屋はひとりもいない。
 4 犯罪は引き合わないが、楽しいものであることは確かだ。
 5 遊びが大切だ。』
ヒチコック氏は、なかなかの遊び心ある人だったようである。

「イギリス・ニッポン 言わせてもらいまっせ」 高尾慶子 文春文庫 ★★★
高尾さんの「イギリス人はおかしい」を読んだのはいつだったのだろうか。
確か彼女の文庫本が書棚に二三冊あるのではなかろうか。
あいかわらず元気で威勢がいいおばさんであるのに安堵した。
『歯に衣着せたような報道を聞かされたり読んだりしなければならない国民は不幸だ。
また、自国を侮辱し続ける人の本を読まされ続ける読者も不幸だ。』
だから、彼女は書かずにはいられないのである。
『私は怒りを笑いの文章にすることを心がけている
そのために、時に関西弁を配し、使用する。
関西弁は強さや硬さを柔らかくする作用があると信じているのである。』
姫路のご出身であるから、関西弁も無理がない。
まだまだ頑張っていろいろ言いたいことを書いて読ませてください。

「凍った地球」 田近英一 新潮社 ★★★★
副題に「スノーボールアースと生命進化の物語」とあるように氷で覆われていた地球がテーマだ。
『かって地球の表面は完全に氷で覆われていたという驚くべき事実が、
ここ十年で明らかになってきた。地球上の生命は、海があり温暖な気候を持つ地球という
ゆりかごに育まれてきた、というこれまでの地球史観は崩れ去り、
生命は大絶滅の危機に瀕するきわめて過酷な試練を何度も強いられてきた、
と考えざるを得なくなってきたのである。』
この「スノーボール仮説」(全球凍結仮説)の成立とそのもつ新しい地球史観を紹介している。
かってこの地球上を支配していた恐竜たちは氷河期のために絶滅してしまった。
地球温暖化などと世間はうるさいが、地球史的には氷河期にむかっているらしい。
さて氷河期到来が優勢な意見になれば、二酸化炭素をおおいに排出しよう、となるのだろうか。
しかし、そのときには石油はもう枯渇しているだろうし、人類が生きのびているかどうかは疑わしい。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

マンション川柳
ニュースを読んでいたら、こんな記事(asahi.com)があった。

住宅購入の悩みに応じる大阪市のNPOがマンション川柳を募った。
応募640句から特賞に選ばれたのは次なる句だ。

 「売れ残りそれでも好評分譲中」

いまどき、好評分譲中なるうたい文句につられる人はいないはずだ。
ということは、好評分譲中にどんな期待をこめてコピーは作られているのか。
などと考えると、まあやっつけ仕事だ(苦労が多いんでしょうな)。

買ってしまってから感じる悲哀もあるようです。

 「駅5分買ったが急行とまらない」
 「マンションを買って地方に飛ばされる」
 「高層階あの世に近いと祖父が言い」

 「マイホーム買った途端に首切られ」

こんな句は救いになるでしょうか。

 「マンションのローンがつなぐ家族の輪」

4954マンション

しかし、このマンションということばでいつも思いだすことがある。

学生時代のゼミ担当助教授がいつもこぼしていました。

「マンション(Mansion)って豪邸のことなんだよね」
「だから海外に手紙をだすとき、嫌なんだよ」
「住所にマンションって書かないと届かないから、仕方なく書くけど…」
「だけど、すごい金持ちかと思われやしなかとねえ」
「住所を書くたびに冷や汗が流れるよ」
「わが家は英語だとアパート(a part)だから」
「困るなあ~、はっはっは」

いまも事態はいっこうに変わってません。
が、マンションはいまでは和製英語になっているというのが事実のようです。
(くれぐれも海外ではマンションに住んでるって言わないこと)
(でないと、身代金めあてに誘拐されるかもしれない)

アパートじゃあイメージが悪いなら、アパルトマン(appartement、仏語)でどうだ。
って、なかなか日本の不動産業者もしたたかである(笑)。



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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