ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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風薫る
日曜日の朝に犬と散歩する。
あちらこちらと道草をくいながらの、のんびりしたものである。
山はすっかり緑におおわれて季節が変化していることを教えてくれる。
かぜもきもちがいいもので、暑くもなく寒くもない。

2653花弁

2658花たち

オープンガーデンとまではいかないが、散歩コースに咲く花が美しい。
花が咲けば、蜂たちも蜜を求めてやってくるのである。
ブンブンとうなる羽音を聞くのもいいものだ。

2644ミツバチ

なぜか、相方は蜂が怖いという。
刺された経験からそう思ってしまうようだ。
わたしは刺された経験もないし、怖さはない。
急激に動かなければ、蜂も刺すようなことはしない。
ミツバチは刺すと死んでしまうというではないか。
そうむやみやたらに刺すわけはないのである。
人が脅威にならなければ共存できる。
というのだが、やっぱり怖いらしい。

先日、蜂蜜採集業者がかぶるような網のついた帽子が宅配された。
ガーデニングの安心を買ったということなのだろう。

道路ぎわの鉄柵のうえには、はやトンボがとまっている。
ということは、こうした気候の時期はあっというまに終わってしまうのだ。
暑い夏がもうそこまできているのだ。

2652トンボ

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い・や・し
いやし、いやされ、ふり、ふられ

つい口からでてきたこのフレーズに意味はない。
ことばというのは、意味のほかに音の響きがたいせつな要素になっている。
なぜか濁音は汚いなどという人もいるが、そうは思わないのである。
では、清音はきれいだけなのか、そう言いきることもできない。
濁音はおごそか荘重で、清音はうすっぺらで軽薄だ、といえなくもない。

ということで最初にもどって、「癒し」だ。
池田晶子さんは、こう書いておられる。

『最近よく聞く「癒し」というのも、不可解である。
「人とつながりたい」欲望とは、いかなる欲望なのだろうか。
何か根本的な勘違いがある。たんなる甘えか逃避としか思えない。
癒されなければならないほど、深く思い詰めたことがあるとは、とても思えないのである。
なぜなら、とことん思い詰めたことがあるのなら、
癒しなど、どこか外に求められるものではないと、知るはずだからである。』

なかなか手厳しいご意見だが、同感である。
自分で考える習慣がついていないからそんな言葉がでるのだろう。
やはり習慣というのはオソロシイもので、日々の積み重ねなのである(自戒をこめて)。
水は高きから低きに流れるというが、たしかにそうだなあ。

そもそも自らが口にだしていうべき言葉ではない、と思う。
よくいうように「死にそうだ、といいながら死ぬやつはいない」のである。
「いやされたい」などと連発する人が、いやされる確率はゼロにちかい。

そんなことを考えるより、夜空の月を見ればどうだ。
こころが清明になっていくのがわかるのではないか。

2634月光

歯痛い気持ちがままならぬ
人間もながく生きているといろんな場所で故障がおきてくる。
生きるためには食べなければならない。
クジラでなくても、牛だったり鶏だったり豚だったりを食べる。
ベジタリアンであろうとも、命ある植物を食べる。

(植物には生命などない、と考える人などいないだろう)
(だが、殺される動物の苦しみをみるのは耐えられない、という)
(それは単に想像力の欠如である、といえなくはないか)

ヒトが生きるということは、他の命のうえになりたっている。
「いただきます」と食事のときにいうのは、その意味での理解がまっとうだ。
とこう書いてきてなにを書こうとしているのかあやしくなってきた。

2538シャチホコ

そうだ、つい数カ月前までは歯が痛くてどうにも耐え難かったのだ。
日々ただその痛みのことだけを考えて生きていた気がする。
なんとか治療していただき(弱みができると、人間謙虚になるもんだ)、山を越えた。

治まってしまえばあの騒ぎはなんだったのだろうか、といまになって思うのである。
精神などと大仰にいっても、そのときどきの身体の健康状態におおいに左右される。
たとえば、歯の痛みをかかえていては、おいしい料理もおいしくは感じられない。
耳鳴りに悩ませられている状態では、モーツアルトもバッハもないだろう。
捻挫したあとでは、風薫る五月の高原を散歩する気もおこらないのではないか。

それらの楽しみを味わってみるためには、健康なからだであるということが必要だ。
ふだんそれらのことを考えもしないのは、逆にいえば健やかだからである。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」とは、この意味ではないかと考えるのである。

世にいうではないか、「命よりもなによりも、健康であることが大切だ」などと。

読書と眠気
本を読んでいると、どうしても眠くなってしかたがないという方がいる。
気を入れて読もうとするほど、ますます眠りの強い力に引きずりこまれてしまうのだという。
もちろん私もそのような経験は多々あるが、そのときには無理に読もうとはしないのだ。
眠気を感じるということは、本の内容に興味がもてないということの逆証明である。
だから眠気をふり払おうとしても、とうてい生理的要求に打ち克つことはできないだろう。
なんとか興味を見いだそうとしても、徒労に終わることが多いと経験が教えてくれる。
眠ればいいのではないか。本を読みながら眠りにおちるというのは至福のときだ。
こうして眠ったときにみる夢は、冒険に満ちロマンあふれる愉快なものが断然多い。
だがいかんせん、どういった夢だったかというと楽しすぎて思いだせないのである。

2585黒猫

「老化はなぜ進むのか」 近藤祥司 講談社ブルーバックス ★★★
アンチエイジング(老化予防)ということばはもう市民権をえたようだが、認識は立場でちがう。
若返りというような観点もあれば、筆者のような医療従事者はこう考えるのである。
『日本は、世界的にも有数の長寿の国ですが、
平均寿命から寝たきり期間を差し引いた健康寿命で見ると6~7年短くなります。
つまり平均して6~7年は寝たきりや入院の期間があるわけです。
この寝たきりの期間をなくし、健康寿命を延長すること、
これが現実的なアンチエイジング薬の目標です。』
科学的にとらえると、老化には大きく分けて「個体老化」と「細胞老化」があるという。
いずれにしても、老化は避けられないようである。
『病気とはなんらかの生命システムの破綻であり、その破綻を修復する、
あるいは除去すれば病気は治癒するかもしれないと考えることもできます。
しかし、老化の原因は生命の営みに必須の仕組みと表裏の関係があることがわかってきており、
その原因を除去あるいは修復すると、
生命活動に別の問題が引きおこされる可能性が非常に大きいのです。
したがって、残念ながら「不死」というのは現実には難しいといわざるをえません。』
しかし、自分はまだまだ死なないと漠然と思っている人は多いようだ。

「六号病棟・退屈な話 他六篇」 チェーホフ 岩波文庫 ★★★★
チェ-ホフの医学、医師、医業関係の中短編小説七篇を収めたものが本書である。
彼は一生を医師として勤めながら、作家活動をも行ったことは有名である。
日本でいえば、斎藤茂吉さんや北杜夫さん(親子ですが)がそうです。
病むということ、あるいは正常と異常はどこで線引きがなされるのかを考えるとむずかしい。
多数派が正常とはならないことは、虫歯、近視の例をあげるだけですぐ気がつくことだ。
だが病気のなかに健康への道筋をさぐるということは、科学の歩んできた道である。
『「汝自身を知れ」というのは、立派な、有益な忠告には違いない。ただ残念なのは、
昔の人が、この忠告を実地にどう生かすかを教えることに気がつかなかったことだ。
 以前わたしは、誰か他人なり自分なりを理解したいという気が起こると、
すべては条件的でしかない行動にではなく、願望のほうに注意を向けたものだ。
おまえは何を望んでいるかを語れ、そうすればおまえは何者かがわかる。(退屈な話)』
私とは何者であるのか問わないで生きることは、できない相談なのかもしれない。
「退屈な話」を書いた作者チェーホフは、まだ二十九歳の青年作家だった。

「日本語と私」 大野晋 朝日新聞社 ★★★★
ベストセラーになった「日本語練習帳」(岩波新書)で世間的にも有名になった。
日本語の源はタミル語にあるという説をとなえて、かなりの批判を受けたがひるまなかった。
自分の信念をつらぬいた人だなあと思うし、どこの世界にもやっかむ輩はいるものだ。
ただの頑固なる御仁ではなかったことが清泉女学院で教えていた時のことからもわかる。
ある本を読んで原稿用紙十五枚に要約する宿題をだした。
『だが普段は喜んで勉強する生徒たちが、「ワカリマセーン」「イヤデース」と口々に叫んだ。
落ち着いて読めば分り易い話だ。私は次第に憤ろしくなり、叫ぶ生徒たちに雷を落したかった。
しかし女性を激しく叱ると、何故叱られたかは全く考えずに、
ただ「オコッタ。ドナラレタ」というマイナスの記憶だけを永く残すと聞いていた。
私はこらえて黒板に大きな字で書いた。「知的鍛錬は厳格なるを要す」。
彼女らは静まった。数人は、実に見事な要約を提出した。』
この数行の描写にも、大野先生のよさが、公平さがあらわれていると思う。
学問をするということは世間的な栄達ではなく、知的な喜びがあるのだということ。
金銭にはかえられないものがあるということを、行間から語りかけてくれるのある。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

下流嗜好
世の中は自分が考えているよりも早くひそやかにものごとが進んでいくものだ。
戦前の世代などほとんど信じられないだろうが、立身出世など望まないという若者が多い。
それはそれで昔からそういう若者はいたが、彼らはちがう高みを目指していたからだ。
経済的に豊かになることと、幸福に暮らすこととは相関がないのだ、と信じていた。
だが、現代の若者はそうではなくて、別に食べていければそれで満足なのである。
デモクリトスのように生きる、ともちがっているが、あくせくするのは嫌だという。
そういいながらも社会的な庇護は拒まないという寛容さももちあわせていたりする。
つまりは、困っている人を助けるのは嫌だが、助けられることにこだわりはない。
矜持がないと言われれば、まさにその矜持をもつことじたい意味がないというだろうか。

5419ふたり

「現代日本人の意識構造[第七版]」 NHK放送研究所 日本放送出版協会 ★★★
この「日本人の意識」調査は、一九七三年(昭和四八年)から始まっている。
それ以降五年ごとに、全国の一六歳以上の国民を対象に調査が実施されている。
質問項目は「生活目標」や「人間関係」、「家族」や「仕事」、さらに「政治」や「国際化」など。
この調査の特徴的なことは、毎回同じ方法で、基本的に同じ質問を続けてきたこと。
こうした点を曖昧にしたおなじような調査もあるが、そうしたものに信頼性ととぼしい。
長く続けることによって、見えてくることはどういうことかということが本書を読めばわかる。
もちろん、変化していないことも同様にわかるということはいうまでもない。
時代の変化もあるが、同じ年代層が時間の経過とともにどう意識が変化するのか。
あるいは変化しないのか、というったことが実に興味深く感じられるのである。

「ソウル・コレクター」 ジェフリー・ディーヴァー 文藝春秋 ★★★★
車椅子の犯罪捜査コンサルタント(元鑑識官)、リンカーン・ライムのシリーズ八作目。
もうそんなになるのか、という感じだが今回はコンピュータで制御される社会というテーマ。
初登場のいとこ、アーサー・ライムが殺人容疑で逮捕されるところから事件が始まる。
本人に覚えがないが、あるゆる証拠が犯人は彼だと指し示している。
そろいすぎた証拠になぜか釈然としないライムは事件の解明にのりだしてゆく。
現代の社会はコンピュータのデータがすべて、という一面をついたものだ。
では知らないあいだにそのデータが悪意で書き換えられていたらどうなるのか。
抗弁しようにも、データがそうではないといい、人々はデータのほうを信じるのである。
ジョージ・オーウェルの「一九八四年」を思いだす読者は多いのではなかろうか。
そんな不気味さにつつまれながら読むストーリーの展開はさすがである。
データに振りまわされる人々が、なぜか検査数値を見ながら診察する医者を思いださせた。
さて現実の社会のほうはこのミステリのようになってゆくのだろうか。

「ララピポ」 奥田英朗 幻冬舎 ★★★
奥田氏得意のそれぞれ関係なさそうな登場人物がやがてつながってゆく。
三十二歳のフリーライター杉山博、暮らすのは家賃十万円の1LDKのアパートである。
その真上の階に引っ越してきたのが、二十三歳のスカウトマン栗野健治だ。
栗野がマネージャーを兼務する四十三歳の主婦、佐藤良枝の家はゴミ屋敷になっている。
フリーターで二十六歳のカラオケボックス店員、青柳光一は気が弱くていつも貧乏くじをひく。
そのカラオケ店へ女子高生とともにやってくるのは五十二歳の官能作家、西郷寺敬次郎だ。
彼は作品を口述テープに吹きこみ、二十八歳のテープリライター玉木小百合が原稿にする。
そして小百合はちょくちょく行く図書館で、杉山に声をかけられた。
こうして小市民たちはどこかで関係し合い、かなしくもあるそれぞれの生活を送っているのだ。
この書名のララピポにはこのような意味がある。小百合が白人とぶつかったときのこと。
『レディファーストの国の男性らしく、「ソーリー」と謝罪された。
「こちらこそ」と小百合も会釈を返す。
「ララピポ」白人が肩をすくめて、ハミングするように言った。
「ララピポ?」
「トウキョウ、人ガタクサン」たどたどしい日本語で言い直した。
ああそうか、「a lot of people」と言ったのか。早口なのでララピポと聞こえた。』
日本には人が多すぎてこうして生きていくしかない、という暗示の作品か。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

彎曲と歪曲
先日の土曜日、ホームセンターへ網戸用の網を買いに行った。
我家は一階がリビングダイニングになっていてそこに二か所の窓がある。
これはさしずめ、フレンチウインドウというべきものだろうと思う。
床まで達する窓のことをそういうとミステリを読んでいて知ったのだが。
フレンチウインドウを抜けて庭へと歩いて出た、というように。
でもあれは観音開きだろうから、スライド式はそうは言わないのかなあ。
すこし疑問を残すのであるが…。

2581垣根

ところで、その帰りの車のなかで聞いていたラジオ放送で気になる言葉があった。
お笑い芸人(メッセンジャーだったか)の片方が言う。
「そんな話はわんきょくだよ、…」
なに?
女性タレント(アナウンサーではないと思われる)もそれに応じて、
「そうよそうよ、わんきょくだわ」
なにかが曲がっているのか?

注意して聞いてみると、どうもわいきょくの意味らしい。
で、相方に確かめると、どうもはっきりしない。
なんだかだんだん確信がゆらいできた。

帰って新明解国語辞典で確かめた。
わんきょくは曲がっている様をあらわす。
事実をゆがめて悪くすることは、わいきょくだ。

漢字で書くとすぐにわかるはずなんだがなあ。
そこで気がついた。
彼らは漢字をたぶん見たことがないのだ。
耳で聞いて覚えた言葉なのだろう。
だから発音のちかい彎曲(わんきょく)と歪曲(わいきょく)を混同したんだな。

でもそのうち、そういう意味になるかな(いや、やっぱり無理があるな)。

振り分け荷物の男
朝の駅でその男はいつもひょこひょこと跳ねるような歩き方でやってくる。
両肩にはそれぞれパンパンにふくらんだ鞄がかけられている。
歩くたびに鞄が上下して、ギシギシとうなる音が聞こえてくるようだ。

いつも帽子をかぶってはいるが、頭には髪の毛がないのはあきらかだ。
襟足をみればすぐにわかってしまうことだ。
若禿げというのではない。
なにかの病気の後遺症か、幼いころに猩紅熱でも患ったのだろうか。
年齢は案外若くて三十代なかばぐらいにか。

サラリーマンのようだが、どんな会社に勤めているのだろうか。
あの膨らみに膨らんだふたつのバッグには、どんな書類がつまっているのか。
だれも知ることができないように思えた。

両肩に重い荷物をぶらさげてホームの端に歩いてゆく彼をながめていた。
だれもがそれぞれの人生を生きなくてはならない。

「重荷を負ふて遠き道をゆくがごとし」
ふと、そんな声が聞こえてきそうだった。

2534鉄路

千年藤vs芝桜
土曜日はいつまでも寝ていないで早く起きる。
でないとどこかへ行こうと思っても、いつのまにかもうお昼ということになる。
と厳しいお達しがでたことでもあるし、ニュースで見たこんなところはどうだろうか。

やってきたところは、宍粟市山崎町上寺にある大歳(ださい)神社だ。
昭和四十七年三月二十四日に県指定文化財となっております。
その他、天然記念物でもあり、平成十三年に環境省の「かおり風景100選」にも認定されてます。

2619大歳神社

通称「千年藤」と呼ばれ、記念碑に「天徳四年(西暦960年)に当村与右衛門が植えし」とある。
岩手県の「藤島の藤」や埼玉県の「牛島の藤」など国指定の藤と比べても遜色がないという。

こじんまりとした境内にまことに見事に咲き誇っていました。
藤棚の下にはいると甘いというか藤のかおりが満ち溢れておりました。
「百聞は一見に如かず」でありますから、写真をどうぞ。

2611千年藤1

2612千年藤2

2615千年藤3

多くの人でにぎわっておりました。

ここまできたので、姫路市夢前町にあるヤマサ蒲鉾工場の芝桜も見に行こう。

2624ヤマサ蒲鉾

こちらはすでに盛りをすぎているようだが、そこここに花が咲いており想像はできます。
だが、実演即売のてんぷら(揚げ蒲鉾)類のほうが人気のような気がしないでもない。

2631芝桜1

2632芝桜2

咲いた花はやがて散るし、はや山は新緑につつまれております。

2604新緑の山

時間と実感
過去とは過ぎ去ったものであり現在とは質的にちがうものだ、と頭で考える人がいる。
だが実際問題として、人は現在のみを生きている、あるいは感じることしかできない。
いまがすべてである、というのが実感としていちばんしっくりくるのではないだろうか。
過去の経験(それも失敗の)を未来のためにいかす、などというがなされた試しはすくない。
それは、過去→現在→未来、とこう時間軸を考えるのだがどうもうわすべりなのだ。
過去とは、言い訳がつまったものであるし、未来なんてちっとも頼りにならないものだ。
いまを精いっぱい生きる、これしかないのではないか、と最近考えるようになった。
だが、それは過去が積りに積もったということの逆説じゃないか、といわれればひとたまりもない。

5439こもれびの森

「思考の補助線」 茂木健一郎 ちくま新書 ★★★
筑摩書房のPR雑誌「ちくま」に連載された二年間(二〇〇五年から)の文章をまとめたもの。
全体に以前よりおもしろいなあとは感じられなくなってしまった、のはなぜかとしばし考える。
ではあるのだが、こんな文章にはおおいに同感し、そうなんだよなあと思うのである。
『人生は、無限が有限に転化していく過程である。
私たちの意識の中で、「無限」は、必ず可能無限として感じられるのであって、
そこではいまだ用途が指定されていない空白が死活的に重要な役割を果たしている。
何かとして「在る」(sein)ことではなく、何かに「成る」(werden)ことにより大きな意味があるのは、
後者が空白とその転化を糧とする過程だからである。』
『死後、「自分が存在しない」という絶対的な虚無が永遠に続くと考えると、空恐ろしい気がする。
自分が生まれるまでの宇宙開闢以来の永い時間の中にも自分は存在しなかったわけであるから、
そのような事態にも畏怖を覚えておかしくないはずであるが、
なぜか私たちは時間について非対称に考える習慣を持っていて、
息づいている自分が未来においてやがてはかなくなることばかりを気にかける。』
すこし文章がかたいなあ、とは思うが、書いてることはよくわかる。
若いころは人生なんていつまでも続くような気がしたが、徐々に死が身近になってくるのだ。
しかし「存在する私」は、考えれば考えるほど、存在しなくなるという実感がもてないのである。

「許すかNOか イギリス・ニッポン57年目の和解」 高尾慶子 展望社 ★★★★
高尾さんは自ら望んでカトリック信者になった。加えてものごとの筋をとおすことに躊躇はない。
イギリスで日本企業の支社長だった方との会話を思いだしてこう書かれる。
『「慶子さんはいいよね。なんでも言ったり書いたりできる。
あなたが強いのは失うものがないからだ」と言った。カトリック信者の彼に私は、
「ではあなたには失うものがあるのですか?」とたずねた。彼は黙った。』
彼はなにげなく言ったのであろうが、あなたはそのことについて考えたことがあるのですか。
そう問い返されてはじめて気づくことは、世のなかのにはなんと多いことだろう。
『アメリカの正義は世界の正義ではない。アメリカの定義は世界の定義ではないのだ。』
それをアメリカ人がいつ気づくのかが問題だ(日本人にもいるが…)。
『私はたびたびこの国を嘲笑し、皮肉を書くが、それも自由を保証されているからできるのである。
私は自分でお金を払うことには口うるさいが、無料の恩恵には感謝し、
英国の人々の方を優先視している。それがまともな人間の考え方だと思っているからである。
私は移民のように権利を主張しない。
それが置いてもらっているこの国に対して払うべき遠慮と尊敬だと考えているからだ。』
うーん、ますます縦横無尽、快調になってきた高尾さんであります。

「インドで「暮らす、働く、結婚する」」 杉本昭男 ダイヤモンド社 ★★★
インドで暮らし、働くのはまだしも、結婚するとなると大変なことだと想像するのである。
だれでも知っているようにインドではカースト制度というものがあるからだ。
『インド人の結婚相手は、まず同じ宗教、ヒンドゥー教なら更に同じカースト内で選ぶ。』
だがそれをのりこえて結婚にこぎつけたとして、外国人ならどのカーストになるのか。
『ヒンドゥー教に、「結婚後、女性は夫のカーストに所属する」という概念がある。
つまり、男性が上位カーストで、女性が低位カーストの場合、
女性はある意味カースト上の「出世」をすることになる。』
逆だと、「没落」することになるが、これはインド人的にはタブーであるらしい。
『さて、それでは国際結婚はどうなるのか。
外国人というのは、ヒンドゥー教徒的宗教観から見ると、
ヒンドゥー教徒以外ということで、カースト外。
というか、下の下の下のカースト扱いとなる。
いわば被差別民の更に下のほうの地位に分類される。』
ではあっても、いまやお子さんもうまれてずっかりインド人になっている筆者である。
ところ変われば品変わる、考え方しだいで幸せに暮らせるのではないでしょうか。
『学生が書いた「今日はいい天気です。雨が降っています」という表現。
……
そうバラナシでは「アッチャー、モウサム」。
つまり、いい天気と言えば、灼熱の大地を冷ます雨降りのことなのだ。』

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

ドッペルゲンガー
雨の降る夜は、ドッペルゲンガー現象が起こりやすいのか。
最近では、テレビで北野たけしがときどき口走るので聞いたことがあるだろう。
日本語にすれば、 自己像幻視ということだ。
幽体離脱や背後霊のような心霊現象だと考える人もいるようである。

5434ストリート

だが、医学的な説明はもちろんある。
ドッペルゲンガーを経験したという患者の脳を調べてみると、
側頭葉と頭頂葉の境界領域に脳腫瘍ができていたケースが多いという研究がある。
この脳領域は身体イメージに関係しており、機能的に障害があると自己認識の感覚をなくし、
あたかも別の「もうひとりの自分」がいるような錯覚をいだくというのである。

脳の機能地図で有名なワイルダー・ペンフィールド博士がおこなった実験では、
正常な人でもこの脳領域に刺激を与えると、「もうひとりの自分」を感じることが確認された。
またこの自己像幻視は脳腫瘍に限ったものではなく、
偏頭痛の原因となる脳内の血流変動による脳の機能低下によっても引きおこされるという。

しかし、これらの説は依然として仮説の域をぬけだしてはいない。

「第三者によって目撃されるドッペルゲンガー」の事例報告もあり、
脳の機能障害では説明できないケースがある。

若者がほんとうの自分に出会いたいなどというのもこの現象のことなのか。
時代は病んでいる、のかもしれない。

通り雨
どこかへ出かけると、よく雨にであう。
いままであまり気にしなかったのだが、そう言われると気になる。
この確率は統計上有為である、と判定されそうである。
有為であるから偶然ではない、とは厳密にはいえない。
まあ、限りなく偶然ではないことに近づいている、とでもいうのだろうか。

連休の谷間の30日に休みをとって姫路へいった。
晴れ渡りすがすがしい空気のなか、天守閣は工事中だったが城内を歩いた。
きっと遠足だとかなんだとかで来ているはずだが、まったく記憶がない。
まあ、小学生であったらば城よりも弁当やおやつに関心がむいただろう。
ということで、ほとんど初体験の姫路城であった。

2567天守閣

2574家紋瓦

平日ということもあり、観光客もまばらでそれも外国人が多い。
静かな回廊の板を踏みしめて歩いていると不思議な感覚がする。
それも外へでれば、あっというまに消え去るのである。

2559姫路城

昼食を町屋のカフェですませてぶらりぶらりと駅へ歩く。
なんだか空が曇ってきたような気がする。
天気予報では連休中は好天がつづくというようなことであったが。

あいかたが、雨が降ってきたみたいという。
まさかそれはないだろう、だがやや不安だ。
あれえ、やっぱりすこし降ってきた。
にわか雨程度であったが、やっぱりという顔をされた。
うーん、なんともいえないのだ。

閑話休題。

しばしの雨宿りの店にこんなものをみつけた。

2596三虎マッチ

いつのまにか雨もあがっていた。

ウォールデン
いまでもときおり考えることがある(ほんとうにときにだ)。
ソローが静かな森のなかで暮らしたように生きてみたい、と。
だが、彼もその生活を最後まで続けることはできなかった。

5444シェアランチ

人間は自分で思うよりもはるかに時代や環境に影響をうけているのだ。
そう考えはじめてから、あまりどこに住むということにこだわらなくなった。
「住めば都」とは至言である、と思う。

どこに住むかではなく、どう暮らしてゆくかなのだ。
なにをするべきかではなく、自分にはなにができるか、なにをしたいか、ではないか。
さらにいえば、なにかをなすということは、そんなにたいしたことではない。

大したことではない、とわかったときにすべてが明らかになる。
大したことをしたいという気持ちには、大した意味はないということだ。
大したことをと考えているあいだは、大したことができないという逆説が成り立つのだ。

仮に大したこと(があるとして)をなしとげたとして、どうなんだろうか。
それで納得し満足できる人は、大したことがないといわれるのではないか(笑)。
つまり、大したことというのは自分とは関係がないところにあるのだ。

5455森林浴

こんなことを書くつもりではなかった。
東方から友人が来て、そんなに話もしないが酒を飲み顔をながめて、いい感じがした。
(けっこう、飲んでいたではないかといわれれば、そうなんだが)

六甲の森のなかを歩いていると、いろんなことが思いだされるのだ。

♪ 時は私に めまいだけを残してゆく ♪



なんて「めまい」という小椋佳の歌があったが、そんなフレーズがうかんできた。
歌詞の内容とは関係ないが、つとしたときにこの歌がくちびるにのる。

また逢えるのだと念じるこころが、その思いをふたたび成就させるのである。

5451水面の花弁



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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