ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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書きくけこ
書くという行為は、多くの人が考えているようにメッセージを伝えることではないように思う。
ヒトというのは不思議なもので、ひとりで考えるときにも声をだしたりすることがある。
この声というのはなんだろうか、だれに言っているのか、自分に言っているのだろうか。
それともだれかある人物を想定して語りかけているのではとも思うが、やはり独り言にちかい。
知らず知らずに声にだしていることばは、自分に向けられているとしか思えないのである。
書くということも、自分がなにを考えているのかを外部にだして、それを自分で読んで確認すること。
あるいは、もやもやした頭のなかの正体をつきとめるためにとりあえず書いてみる。
実際に書いてみると、自分でもえっと思うような言葉がでてくることが多いものなのだ。
こんなことを考えていたのか(考えてなかったかも)、なんて経験もしばしばあり、どきりとする。
であるから、ランナーズハイのようなライターズハイ(?)の現象が起こっているやも知れないな。
というような似たことは、次なる内田氏の本にも書いてありますので読んでみてください(笑)。

3043茜空

「期間限定の思想」 内田樹 晶文社 ★★★★
なんだかこの世間というものは疲れるなあと思うときには、内田氏の本をちょっと読んでみる。
いまの世のなか、経済指標でなにごとも判断してよしとする気配が色濃く感じれらる。
人生も後半になってくると、そういうものですかねえという気分のほうが強いのである。
著作権だ、特許権だという考えと、地球を自然破壊や温暖化から救おうという意見は整合するのか。
そう考えると、そこまでなにかを囲い込もうとする必要はあるのか、と疑問をいだくのである。
『私は自分のホームページで大量の文章を公開している。これはすべてコピーフリーである。
「コピーフリー」というのは、そこに書いてある文章については「コピーライト」というものを設定しない、
ということである。
「世界の機能の仕方について教えてくれるものへのアクセスは無制限かつ全面的でなければならない」
という「世界ハッカー宣言」の原則を私は正しいと信じている。
逆に言えば、「世界の機能の仕方」についての有意な情報を含んでいないようなものは
誰もコピーしようと思わない、と私は考えている。
インターネットに載った時点で、情報は個人の所有を離れて、ある種の「公共性」の水準に帰属する。
だからウェブサイトに私が書いたものが「有意な情報を含んでいる」と判断した方は
それを好きにカット&ペーストしてもらって構わない。』
こうどうどうと言える内田氏は、オリジナルというのはいったいなんだと言っているのだ。
ニュートンが遠くを見渡せるのは巨人の背中に乗っているからというときに似ているだろうか。
内田氏もよくいうように、私の意見というものはまあどこかの受け売り90%だということだ。
出力(意見)はかならず入力(先人の書物など)の影響からまぬがれることはできない。
それは本人が意識しているか、無意識であるかには関係がないと思う。
わたしは入力なくして出力するというならそれはそれで、またちがった話になるのではあるが…。

「世界は分けてもわからない」 福岡伸一 講談社現代新書 ★★★★
福岡さんの本は付箋を用意してどんどん貼りつけながら読んでいくのだが、こんな箇所ではたと。
『およそ世の中の人間の性向は、マップラバーとマップヘイターに二分類することができる。
夫婦のうち一人が前者で、他方が後者である場合、
ドライブなどに行こうものならたちまち険悪な雰囲気となる。
「ちゃんと地図を見ろ」
「見ているわよ」
「曲がるならもっと早く言え」
「だって近づかないとわからないもん」という具合に。』
なるほどね、でもこれってなんだかどこれで最近聞いたような、言ったような気がする(笑)。
『マップラバー(map lover)はその名のとおり、地図が大好き。
百貨店に行けばまず売り場案内板に直行する。
自分の位置と目的の店の位置を定めないと行動が始まらない。
マップラバーは起点、終点、上流、下流、東西南北をこよなく愛する。
だから、「現在地」の赤丸表示が消えてなどいようものなら
(皆がさわるのでしばしばこういうことがある)、もうそれだけでイライラする。』
彼なんかこの典型だなあ、などと想像しながら次にすすむ(ゲームか!)。
『対するマップヘイター(map hater)。
自分の行きたいところに行くのに地図や案内板など全くたよりにしない。
むしろ地図など面倒くさいものは見ない。
百貨店に入ると勘だけでやみくもに歩き出し、それでいてちゃんと目的場所を見つけられる。
二度目なら確実に最短距離で直行できる。
だって、アンティークショップの角を曲がって、メガネ屋さんを過ぎた左側って、前に行ったとおりだもの。
(ちなみに、この会話は純粋に例示的なものであり、
男と女の性向の差を示唆する意図は全くありません。念のため。)』
うわ~、この人ってもしかしてなんて思われる方がいるかもしれないですねえ。
『マップラバーは鳥瞰的に世界を知ることが好きなのだ。やっぱりそのほうが安心できる。
マップヘイターは世界の全体像なんか全然いらない。私と前後左右。
自分との関係性だけで十分やっていける。だって、そのほうが簡単じゃない。
一見、マップラバーのほうが理知的で、かこよく見えませんか?
しかし、実は、マップラバーこそが、方向オンチで、道に迷いやすい。
山で遭難するとしたらまずマップラバーのほう。
地図上で自分の位置が定位できないともう生きていけない。
どちらへ歩き出していいか皆目わからなくなってしまう。』
マップラバーの方、予想が外れましたね(笑)。
そうなんです、ヒトってDNAレベルの戦略がマップヘイター的なんだというのが福岡さんの見解です。
このことは、ヒトの発生は女性から始まるという生物学的観方とぴったり一致するではないですか。
ほかにもいろいろとおもしろいところがありますから、後はご自分で是非読んでください。
人類は科学という手法をつかって世界を細分化することで知の領域をひろげてきました。
それで最後までいけるかというと、ちょっと疑問が残るし、部分の総和は全体ではないのである。
『世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである。』

「サボイ・ホテルの殺人」 マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 角川文庫 ★★★
一九六九年の七月はじめのある夏の日、蒸し暑い宵のことである。
コペンハーゲンの対岸に位置するマルメーの高級ホテル「サボイ」で殺人事件がおこった。
殺されたのは、よからぬ噂もあるがスウェーデン有数の実業界での大立者であった。
政治的な配慮からか、警視長じきじきにマルティン・ベック主任警視に捜査の指揮をとるようにと。
ホテルの一室で男女七人の客が晩餐の卓を囲んでいたところで、衆人環視のなか銃撃されたのだ。
さっそくベックはストックホルムからマルメーへと飛んだ。
わたしたち日本人の常識では、北欧のスウェーデンといえば冬なら雪に閉ざされているだろうと思う。
さぞかし夏でも高原のように涼しいのではないかと考えるところだが、そうではないのだ。
『窓は開放してあるというのに、タクシーの中はうだるように暑かった。
薄いシャツの生地を通して、人工皮革のシート・カバーの火のような感触が伝わってくる。』
やはり、スウェーデンでも夏は暑いのか、と変に感心するのも読書の楽しみ(?)である。
だが今朝届いた絵葉書には、7月24日、ロンドンは23.4℃ほどあり過ごしやすし、とあった。

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着るものがない
ここのところ暑さが続いたが、ひさかたぶりに雨が降っている。
こういうときには車で駅まで送ってくれることが暗黙の了解事項だ。
だが親しき仲(?)にも礼儀ありで、そんな今朝の会話である。

「送って行くの?」
「そうだな、よろしくお願いします」
クローゼットのなかを見ながら、
「でも、着るものがない…」
「……」(しばしの沈黙)

ここで、男がよく犯すまちがいを指摘しておこう。
「服なんていっぱい持ってるじゃないか」と言ってはならない。

これはまったくなにもわかっていないことを自ら白状するようなものである。
つまり、わたしは莫迦でことばをそのとおりにしか理解できない、と。

ちがうのである。
「着るものがない」とはそういうことではないのだ。

これは、つぎのように理解するのがまあ正しいか(なんだか自信がなくなってきた)。
「ここにいろんな服があるけど、いまこのシーンにぴったりの服がないわ」
あるいは、「いまの気分にぴったりの服がないのよね」ということか。

2903シジミチョウ

女性の服飾関係(バッグも含む)にかける熱情を甘くみてはいけない。
衣服は着るためのものという考えは彼女らには通用しない。
実用的な意味(暑さ寒さから身を守る)をこえて、自己表現のツールなのだ。
喜怒哀楽をあらわすためには、それにふさわしい身づくろいが是非とも必要なのだ。
ファッションはもはやパッションをも巻きこんだ身体の外延をなす。
(なんて書くと、またわけのわからないことをと言われそうである)

井上陽水はかつて「傘がない」と歌った。
現代の女性たちは「着る服がない」と今日もつぶやき続けるのだ。

受験生の夏
長かった梅雨も明け、あの雨模様の光景がいまでは幻のようにも思える。
ということは、蒸し暑い日本の夏がいよいよ本格化してくるということだ。
こう暑くなると、きまって若いころのことを思いだしたりする。
受験勉強は(といってもいったん社会人生活をしたのちのことだ)、クーラーもない部屋だった。
昼間は暑くてとても机に向かう気がせず、ごろごろと寝たりパチンコで冷をとったりしていた。
いま考えればなんとも気楽な受験生活だったのだが、時代環境がちがっていた。
夜更けて深夜放送を聞きながら、受験用ドリルの問題を解くのがいつものコースだ。
冷蔵庫で冷やしたジンを細いタンブラーについで、ぐいっとのむのが休憩の作法だった。
いつしか明けた空に疲れたからだをやすめてそれで一日が終わるのである。

2874カラスアゲハ

「養老孟司 太田光 人生の疑問に答えます」 養老孟司製作委員会編 日本放送出版協会 ★★★
人生相談に答えることはむずかしいと思うのだが、相談者はなにが聞きたいのか、また知りたいのか。
どう答えが得られたとしても、それで解決ということにはならないのである。
自分が変わらないとなにごとも始まらない、ということを養老先生はおっしゃるのである。
『いずれ決断しなくてはならない時期がくれば、決断せざるを得ないわけです。
そこでも決断できないでいるということは「決断しないでそのまま過ごす」という決断をしたことになる。
それだけのことです。そして、どんな決断をしたのせよ、
結果は自分で負わなければいけないことには変わりはありません。
「決断」とは、どちらか一方を捨てるということです。それだけで、自分を変えることになります。』
相談をするということは、その決断のきっかけがほしいということなのだろう。
結論は相談者のなかにおぼろげではあってもかならず存在しているのではないだろうか。
自分を変えることを恐れるというか、変わらない自分があると思っているのは自分だけだ。
人はみな変わっていくものであり、もし変わらないなら成長もないということになりはしないか。

「灯台」 P・D・ジェイムズ 早川書房 ★★★
P・D・ジェイムズはこむずかしいという評もあるが、それはそれで好きな人も多いのである。
こん回もおなじみのアダム・ダルグリッシュが登場するが、なんと警視長に出世している。
コーンウォール沖にうかぶカム島の灯台で著名な作家の首吊り死体が発見された。
調べてみると、絞殺されたのちに吊り下げられたことが判明した。
島に滞在して捜査にあたることになるのだが、待遇は警視長だからそれなりのものだ。
家事管理者であるバーブリッジ夫人が部屋に備えるために選んだものは次の通りだ。
『ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』は孤島で読む本としては無難なところだろう。
ブラウニング、ハウスマン、エリオット、ラーキンの詩集が四冊。
テレビはないが、新型ステレオ装置が備えられている。棚に夫人が選んだ、
あるいは手に当たったものを適当に集めたかもしれないCDが納まっていた。
バッハの『ミサ曲ロ短調』とポール・トルトゥリエ演奏のチェロ組曲。
フィンジ作曲の声楽曲、ジェイムズ・ボウマンが歌うヘンデルとヴィヴァルディ。
ベートーベンの『第九交響曲』、モーツァルトの『フィガロの結婚』。
ダルグリッシュの好きなジャズは考慮の対象にされなかったようだ。』
さて、事件はどのようにして解決へ向かうのかにはあまり興味がわかないのもしかたない。

「むかし噺うきよ噺」 小沢昭一 新潮社 ★★★
以前、車で九州へ四国へと出張したときにラジオで楽しみにしていたのが小沢さんの番組である。
夕方になると、ちょっと助平なおじさんの笑いとペーソスにまみれた噺が流れてきたものだった。
「小沢昭一の小沢昭一的こころ」という名だったかな。いまでもやっているのだろうか。
『ところで私はトンボ捕り、特にヤンマをつかまえることに熱中して育ちましたので、
こんにち、トンボの飛んでこないことを嘆き悲しむのですが、トンボがいなくなったのと、
蝿が少なくなってきたのとは同じ頃だったと気づくのです。いえ、トンボや蝿に限らず、
便利文明の発達につれて、ムシはいつの間にか減ってしまいましたね。』
なにごとも建前でかっこうつけているのを横目に見て、つぶやくのであります。
なんて、口調も似てきてしまうから影響力は甚大でありますね。
このあります調の話法が、またなんともいえず懐かしさとともに旅の夜をいろどるのであります。

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暑さとエコときゅうり豊作
このところ急に暑くなってきた。
帰宅してからの会話もこんなこんなふうなことが多い。

5599入道雲

「暑いなあ~、駅からここまでで汗びっしょりや」
「ご苦労さま、でも主婦はもっと大変なのよ」
「どうして?」
「あなたは会社でクーラーのきいた部屋でいいわよね」
「だって、仕事だからしかたないやんか…」
「こっちはね、汗をかきかき家事をするのよねえ」
「おまけに、庭にでると蚊がやってきてそこらじゅう刺されるし」
「クーラーをかければいいじゃないか」
「そんなもったいないことできません!」
「そうですか、すんません」

莫迦にできない主婦のエコ感覚(?)だと思う。
「もったいない」は偉大なエコ実践の思想なのだ。

なんというのかな、マジで主婦を尊敬…、じゃなくて、リスペクトします。
ほんとうですよ、心底そう思っているのだから。
まあ、結果オーライでもなんでもいいんじゃない(余計なひと言でした)。

だがこの好天気温上昇で家庭菜園は大変なことになっていた。

「また、きゅうりできてるわよ」
「え~、昨日収穫したばかりじゃないか」
「それがまたできてるのよ」
「う~ん、自然おそるべし」
「なにに使おうかな」
(我家の餃子にもきゅうり進出決定!)
「あ~、河童の友だちが欲しい!」

5601きゅうり豊作

きゅうりは一本の苗からすでに十数本の収穫があった。
なすびはまだ生育途上なのであります。

空へ
白馬五竜の山でハングライダーが空をいくのを見た。
その姿を見てだれもがおなじように思っていると考えてはいけない。
飛ぶということが気持ちのよいことか、恐怖をいだかせることなのかは一義的でない。
どのようなことがらにもそういった面はかならずある。
M島のおじさんがよくそういうことを言っていたことを思いだす。

2931ハングラーダー

『束縛が多いことに不満を抱くと、自由に空を飛ぶ鳥になりたいと願う。
だがいざ鳥にしてやると神に言われたら、だれもが断るだろう。
鳥になると一日中食べ物を確保するのに追われ、風雨に耐え、
自分の命を狙う動物から身を守りながら一瞬も気の休まらない短い一生を送り、
その上、毛虫を食べなくてはならないのだ。』

土屋教授が著書「純粋ツチヤ批判」のなかでこうおっしゃる。

隣の芝生は青く見える、ということは日常的に経験することだ。
だけど、ほんとうに飛んでみないとわからないこともあるだろう。
ヒトはどうしてもこう生きたいと思うときがある。

2933空へ

ふたたび最初に戻って、人は何のために生きるのか。
それぞれが考え、感じるにしたがって生きるのがいい。
(わかっちゃいるけど、というのは、わかっていないに結果等しい)
なんたって人生は一回しかない。
(と言われるが、まだ経験していないので、もしかしたら二回以上かも)

成功と失敗、などという評価はコインの裏表でしかない。
所詮たいした違いがないというよりは、おなじものを二様にあらわすだけだろう。
なんていうことを考えたりするのだ。

2943高く

帰ってきたばかりなのに、なんだか白馬が恋しいのはどうしてだろうか。

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

小遠見山トレッキング
白馬で人気のトレッキング(山歩き)コースはおおむね三つある。
人気の順で、まず栂池自然園、つぎに八方自然探究路、そして白馬五竜の小遠見山コース。
なんどか雨のせい(わたしのせいじゃなく)で断念していたので今回は念願がかなった。

白馬五竜アルプス平の無料駐車場に車をとめて、テレキャビン乗り場へ。
ネットで手に入れていたクーポン券で乗り物券が2000円ところ1800円で買えた。
周囲の中高年の人たちはほとんど正規料金で買っていた。
う~ん、中高年はインターネット活用術いまだ途上なのだろうか、もったいない。

2954チングルマ

8人乗りのテレキャビン(ゴンドラ)に律義に8人乗ってその高度に驚きの声が。
高いなあ、落ちたら痛いだろうな、あほな死んじゃうよ、などとたわいもなく騒ぐのである。
着いたアルプス平駅が標高1515m、さすがに空気がひんやりとしている。
さらに展望リフトで10分上昇する。

ここからは登りが続くトレッキングコースが始まるのである。
山頂方面をながめるが、深い霧のためになにも見えない。
くれぐれも言っておきますが、わたしのせいじゃありませんからね。

2916雪渓

最後の登りはかなりきつかった、心臓が飛びだしそうだったとは同行女性の言である。
その言葉に嘘はなく、これまでの栂池と八方がいかに楽かということを思い知らされる。
だからかどうか知らないが、他の二コースに較べると人の数はたしかに少ない。

やっと到着した小遠見山は標高2007mもある。
山頂を霧のなかにかくした白馬の山々の雪渓がまじかにみえる。
付近にははや秋の気配か赤トンボが群舞しておりまさに壮観である。
やっぱり登ってきてよかったというメンバーの表情がすべてを語っている。

2935アキアカネ

混雑する山頂を下り、途中にある湿原で昼食である。
宿で用意してもらったおにぎりがことのほか美味いのであった。

山を下りて、ハイランドホテルの温泉に向かう。
湯につかりながら目の前に広がる白馬の山々をながめることができる。
ゆっくりつかったあとは、喫茶室はないがロビーでゆったり紙コップコーヒーを飲む。
これがなんとうまいのだが、一杯150円也でわざわざホテルの方運んできてくれるのである。
なんだかとてもとくした気分だろうか、女性陣大満足のご様子だ。

5578コーヒー

やはり山の良さは実際に歩いてみないとわからない。

5580窓からの景色

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「TATIN」白馬の宿
長いあいだ求め続けてきた夢がついにかなった。
その想いは、ぼくたちをつなぐM島という存在へと至る。
島ではおじさん、おばさんがいて生きるにともなう喜怒哀楽を経験した。
いいことずくめではない思い出も、いまではすべてが懐かしく感じる。
もしおじさんおばさんが生きていたらば、ほんとうに喜んでくれただろうと思う。
きっと、そんなことを夫妻や仲間たちは考えているのだろう。

2879白馬連山

だが、まだスタート地点に立ったばかりだ。
宿としてたちゆくためにやらなければならないことは山積している。
看板のこと、インターネットHPの開設、など早急にやることも多い。
こまごまとしたこともいろいろとあるだろうけど、できることはなんでも手伝うよ。

経済的な問題だけはちょっと無理かも(笑)。
仲間はそれぞれの仕事のなかでいろんな技術、知識も習得しているんだから。
これを使わない手はないぞ。
おまけに、ほとんどコスト(?)がかからないんだから。
とりあえず困ったこと、わからないことがあれば相談してください。

2889アジサイ

まだ正式にオープンしていないので今夜の宿泊者はわれら12名だけだ。
さあ、今夜はあらたな旅立ちのパーティをはじめるぞ。

とにかくアルコール類はある。
千葉のDGT氏からはエビスビールとチーズ、別府のBB氏からは焼酎一ケース(6本)。
(ご主人になりかわり、御礼申しあげます)
OKMさんの旦那と、ぼくもそれぞれ芋焼酎を一本持参している。
くれぐれも飲みすぎには注意が必要だ。

2981ジャンプ台

しろうまだけの ふもとにともる
ひとのいぶきの かがやきは
よぎりとやみに とけこんで
しんかんと いつまでもこだするだろう

いつしか眠っていたのはまちがいない。
さわやかな朝の光のなかでめざめたのだから。

2994HAKUBA.jpg

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

人はなんで生きるか
レフ・トルストイなら愛だと答えるのだろうが、人さまざまである。
むしろ、そういうことは考えたこともないという人びとが多いのかもしれない。
キリスト教は、人はパンのみにて生きるにあらずという。
生きるために必要な最低限の食べること以外に、なんらかの動機があることを暗示する。
などということを考えるでもなく考えつつの信州・白馬行きが始まった。

これで二度目のNSH家との合同ツーリングだ。
エコの基本的考えは、できるだけ無駄な余分なエネルギーは使わないこと。
であるから、車は二台より一台、おまけにハイブリッド車だから低燃費だ。
ある地点からある地点まで行くのにいつもおなじ道、あるいは同一工程をふむ。
それが精神の安定をもたらすのだ、という方々がいることは知っている。

3005仲間の車

だがわれらは新奇を好むのである。いつもおなじのマンネリは嫌なのである。
休日の高速道路千円の恩恵を最大限生かして、北陸道経由で行こうではないか。
こちらのほうが混雑状況もなくスムーズな運転が可能との情報も得ていた。

それじゃあ距離が長くなって、エコの精神に反するのではという意見は重々承知のうえだ。
そこで、冒頭の「人はなにによって生きるか」を思いだしていただきたい。
ヒトは好奇心旺盛な動物だということを忘れてはいけない。
ものごとには、いつも背理する条件がかくされているのである。
すなわち、忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず、というわけだ。
と、相も変わらず理屈っぽいと思われるかしれないが現実はちがうのである。

走っている車中で、カメラの電池が切れていることに気づく。
「しまった、充電するのを忘れてた」
「いつも言ってるのに、ばっかじゃないの」
「すみません、そやけど…」
ひたすら低姿勢(?)のまま信州を目指して走るのである。

2890紫陽花

梅雨も去ったかに思われれる北陸道を快調にすすむ。
途中立ち寄った名勝「親不知」もこんな地名聞いたことない、と同乗メンバーに断じられる。
糸魚川から白馬へと南下するあたりからは雲行きが怪しくなってきた。

「やっぱりね」と冷たい視線にさらされる。
とトンネルに入り、出たところでなんと突然の雨にみまわれる。
「あ~あ、しゃあないわね」と笑われるのである。
(しかし、何度も言うようにわたしの責任ではない)

到着した「TATIN」(たたん)では豪雨のため駐車場の車のなかでしばし足止め。
小降りになったところで、にこやかに笑いながらTKH夫妻がお出迎え。

2895TATIN

「いらっしゃい、雨が降ってきたからわかったわ」

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

大声の意味
声がおおきいということは、耳が聞こえにくくなっている徴候だといわれる。
聞くということは、自分の声をも聞いているのだ。
だから耳が遠くなってくるとそれにともなって、自分の声もおおきくなるのだ。
このことは、いまでは常識といえるほどになっている。

だが、声高に発言する人はこの例ではない。
おおきな声は相手を威圧する行動なのだ。
冷静に論理で競うというのとは正反対の行為である。
動物が威嚇するときに発する咆哮に似ているかもしれない。

5555街角

そこでのルールは問答無用であり、かつ弱肉強食なのだろう。
そのとき言動はたたみかけるように、相手の発言を封じるようになされる。
言い終わったときには、気持ちよさそうな、どうだといった表情を誇示する。

これが公開討論であれば、拍手喝采ということになるのだろうか。
古代ギリシャではなによりも雄弁が評価されたといわれる。

しかしながら、なにをそんなに言い争うことがあるのか。
議論の勝ち負けがそんなに重要なことなのか、と感じるときにつと思う。
相手を言い負かすことばかりに人生をついやしてきた人は哀しい。

だって、言い負かした相手と仲良くなることなどないだろう。
自然と共生するとは、人びとが共生するをも含むのではないだろうか。

リュックとザック
小学生のころはリュックサックとよんでいたように思う。
それがいつのまにかリュックを省略して、ザックというようになった。

学生のころはデイパックがはやりだした頃だった。
山登りにはキスリングなどといういまではさしずめ化石級のザックを使ったこともあった。
厚い木綿のキャンバス地でいかにも山に登るぞという感じだった。

アルミフレームのバックパッキングスタイルで旅行したこともある。
生地もいつのまにかナイロンが主流になっていたな。

MILLET(フランス語読みで、ミレー)のザックは高価で買えなかったなあ。
ちょっと憧れるというか、ほしいなあと思いがつのる。
最近、あまりものが欲しいと思ったことがない。
(芋焼酎は別として…)

インターネットで調べたら、デイパック程度(20リッター)のザックがあった。
いまならなんとか買えるし、白馬にも行くから思い切って購入するか。

二三日して届いた。
机の横に吊るして、ちらちらと見る。
なかなかいいじゃないですか。
ただただ、週末の天候だけが気がかりである。

5574ミレー

他人の空似
地下鉄を降りて改札口まで歩くあいだに、かたわらを追いこしていく人がいる。
さきほど電車を待っているときに隣でならんでいた人が続いて追いこしていった。

そのとき、あれっと思った。
背格好はちがうが、口の形といい鼻筋のとおり具合といいそっくりだ。
といっても双生児というほど似ているとはいえない。
さしずめ兄弟といったところだろうか。

人間の知覚は、なにをもってして似ていると判断するのだろうか。
テレビの番組などで、ご主人は芸能人でいうとだれですか、ときいたりする。
その答えによって、視聴者はどれだけ似ている人でてくるのだろうかと期待する。
だが、実際は似ても似つかなかったりすることが多いのである。
これはどうしたことだろうか。

そもそも、なにを手掛かりとして人は似ていると判断するのだろう。
そのことがなんだか不思議な気がして、しばらく考えこんだが結論はでなかった。

それで思いだしたことがある。
小学生のころ、狭い家だったのだが、おじさん(父の弟)が同居していたことがあった。
あるとき映画を見てて、あっ、おじさんだと思ったことがあった。
後で知ったが、その俳優は木村功だった。
鼻から口にかけてがとても似ていたのだ。

2870流れ

わたしはだれかに似ているといわれることがあまりない。
いまでも覚えているのは、石橋蓮司に似ているといわれたこと。
当時、町娘をてごめにする悪同心役が多かったように記憶している。
似ているというのは、そいう感じで見られていることかと思った。

梅棹さん哀悼
梅棹忠夫さんが亡くなられたと報じられた。九十歳だったという。
1969年に出版された岩波新書の「知的生産の技術」は読まれた方も多いのではないかと思う。
わたしの手もとにあるのは1973年1月10日第17刷発行となっている。
ぱらぱらとめくってみると、鉛筆で傍線を引いている箇所があった。
『芸ごとと学問では、事情のちがうところはあるが、まなぶ側の積極的意欲が根本だという点では、
まったくおなじだと、わたしはかんがえている。うけ身では学問はできない。
学問は自分がするものであって、だれかにおしえてもらうものではない。』
なにを感じ考えていたのか、いまではまったく憶えていないのではあるが、そうかという気がする。
ベストセラーになり、カードで思考を整理分類するという方法はおいに参考になった。
京都大学で動物学からスタートし、やがて文化人類学へと進まれユニークな史観で知られています。
師の今西錦司さんとおなじくなかなかのおしゃれで、強情な京都人を感じさせる方だったですね。
人類学では、クロード・レヴィ=ストロースも昨年亡くなられて(百歳)います。

「キャット・ウォッチング1」 デズモンド・モリス 平凡社 ★★★
世のなかには、イヌ派とネコ派があってそれぞれに特異な個性をもつなどといわれる。
たしかにイヌとネコでは行動パターンもちがうし、ペットとひとくくりはできない。
『イヌの社会は群れ組織であるが、ネコの社会はそうではない。
イヌは群れをなしてくらし、群れの個体間にはしっかり統制のとれた順位関係がある。
上位の個体、注意の個体、下位の個体があり、自然環境のもとでは、
彼らはいっしょに行動し、たえずお互いに確かめあっている。
こういうわけで、おとなのペットイヌは人間の家族を代理の親とみなすと同時に
自分の群れの優位個体ともみなしている。
つとに有名な彼らの服従と忠誠はこのためなのだ。
ネコも複雑な社会組織をもっているが、けっして群れをなして狩りをすることはない。
野生のものは一日の大半をひとりですごす。
したがって、人間と散歩にいくことなど彼らには何の魅力もない。』
かって若い女性がネコを散歩させてる光景を目撃、だがネコは陽だまりにうずくまったまま動かず。

「からくり民主主義」 高橋秀実 草思社 ★★★★最初からぐいぐいと引きこまれた。ものごとは一面からではとらえられないところが確かにある。
そういう観方を信じない(拒否する)人々は、自分に都合のいいようにものごとを見て解釈する。
それが集団ともなると、はたから見ておかしいと思うことも矛盾がない世界に感じるのだろう。
不思議なことだが、それらの実例を的確な表現と、とぼけたユーモアで紹介してくれるのだ。
読みながらなんども笑ってしまったが、笑えるということが理解できない人びともいるようだ。
しかし、そうした人びとのことをとことん笑うことができないのは、思いあたることもすこしあるからだ。
沖縄の基地問題も単純に割り切ることはできない。
その地に暮らす人たちは、ある意味それぞれの事情をかかえていること理解しなければ…。
『「汚い海ですよ。ここは採石場から流れる赤土やら生活排水が垂れ流しですからね。
いまさら、突然、“海は宝”とか騒がれてもねえ……」(宮城実氏)
基地がくるから海は守るべき「美しい自然」になった。
反対運動の最中、取材等の観光バスの通り道にポツンと一軒の沖縄ソバ屋が開店した。
オーナーは反対団体の会長で、元ひめゆり部隊の宮城清子氏。
ひめゆり話付きの沖縄ソバは取材にはとても便利である。
「基地反対」ののぼりが暖簾のようにひるがえる店が、
日に日に寂れる辺野古で唯一、活性化していた。ちなみに彼女も軍用地主である。』
基地や原発にかぎらず、反対運動とはどういう意味があるのか。
『「反対する人を非難してはいかん。反対は政府を刺激するから、いい方向へ物事がいく。
言ってみれば、ソバと七味唐辛子の関係なんだな。
ソバに七味唐辛子を入れると、おいしくソバが食べられる。
反対分子が頑張れば、それだけ得るものは大きいんだ。
でも、七味唐辛子の中にソバを入れて食べる人はいないでしょ。
食えたもんじゃない。本当は誰もそんなことは望んでいない」
別の地主は反対運動を「浄化作用」と呼んだ。
「みんなで誘致したら、腐ってしまうから」だと。
大城氏らは毎年、予算内示期に防衛施設を訪れ、借地料の陳情を続ける。
“反対”のおかげで要求額は常に満額通り。
年間八二一億円(二〇〇〇年沖縄県借地料総額)、年四パーセントの上昇を維持している。
これが税金であることは言うまでもない。』

こういうことも知っていないと、世間知らずの莫迦になってしまう、かな。
是非この本を読んでいただきたいし、人のしたたかさをかみしめて笑ってみてください。

「科学とオカルト」 池田清彦 講談社学術文庫 ★★★★
筆者によれば、科学はオカルトが大衆化した所から生じたのである、という。
中世の錬金術もオカルトだが、科学との境界線ははなはだ曖昧である。
だが、科学がすべてを解き明かすことはこれからもできないだろう。
科学は因果関係をあきらかにすると思われているようだが、実は対応関係を示すだけなのだ。
なぜあなたはこの世に生まれてきたのか、という疑問については答えることができない。
だが、現代の社会は科学万能、あるいは科学主義といわれるような状況になっている。
『科学のアカウンタビリティは、「社会の役に立つ」とか「人類の福祉に資する」とか
「環境問題を解決する」とかいったたてまえのお題目であるほかはないのに対して、
オカルトのメッセージは、「かけがえのない私」が見つかりますよ、
といったきわめて直接的なものである。
自分の本音を実現するために、
たてまえを巧妙に利用できないで、もがいている多くの人々にとって、
オカルトのメッセージが魅力的なものに映ったとしても不思議ではない。』
だからいつの世も、オカルトはある種の人びとを強く引きつけてやまないのだ。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

散歩とペットボトルの水
妙齢のご婦人が、ミニチュアダックスフンドを二匹連れて朝の散歩をしている。
ロングヘアードというのだろうか毛足の長いタイプのイヌである。

ふだんならなにげなく通りすぎるのだが、ご婦人が手に持っていたのはペットボトルである。
イヌがするマーキング行動の後に、ご丁寧にもそのペットボトルの水をかけているだ。

あれっどういうことだ、と一瞬思った。
かわいいイヌだから変なハイブリッド犬に目をつけられないよう痕跡を消しているのか。
(わたしは雑種犬ということばになんの違和感もないが、あえて現代風にこう言っている)
だが、様子をうかがうかぎりそうでもないようだ。

5557都会

いまどき、街を歩いても野良犬にまずでくわさないものなあ。
じゃあ、なんのために水を流していくのだろう。

もしやして、イヌのおしっこが不潔なものであるからと考えているのだろうか。
よくイヌの糞の処理は飼い主の責任です、などという看板をみかける。
イヌが野原や好きなところで糞をすることができなくなってどれくらいになるのだろう。
その行為を拡張解釈して、イヌのおしっこも処理しないと、と思ったのだろうか。

糞は袋に入れて持ち帰ればいいが、おしっこはどうしたものだろう。
はたと困惑する飼い主の姿がみえるようでおかしくなった。

だが、イヌにとってはおおきなお世話とというものだ。
せっせとマーキングしてゆくあとから水をかけられ痕跡を消されるのだから。
それともしっかり滲みこんでいるいるので、どうってことないのだろうか。

立ち小便をする男が、やにわにペットボトルの水をかける幻想がうかんできて困った。

受賞辞退
朝日新聞にこんな記事がでていた。

『数学の難問の一つ「ポアンカレ予想」を解決したロシアの数学者グレゴリー・ペレルマン氏(44)が、
米国のクレイ数学研究所(CMI)が3月に贈呈を決めた賞金100万ドル(約9千万円)の
受け取りを最終的に断った。
インタファクス通信が1日伝えた。
4年前には数学界最高栄誉のフィールズ賞を辞退するなど「変わり者」として知られ、
今回も動向が注目されていた。
ペレルマン氏はロシア第2の都市サンクトペテルブルクで母親と暮らし、メディアとの接触も断ってきた。
だが同通信に1日、
「断った理由はいろいろある。だから結論を出すまでに長くかかった」と明らかにした。
主な理由として「数学界の決定は不公平で異議がある」と主張。
ポアンカレ予想の解決に貢献した米国の数学者リチャード・ハミルトン氏の
功績が十分に評価されていないことを挙げた。
国際数学者会議は2006年、ペレルマン氏にフィールズ賞の授与を決めたが、
同氏は「自分の証明が正しければ賞は必要ない」と辞退している。
ポアンカレ予想は位相幾何学の難問で、100年間解けなかったとされる。 』

数学者や哲学者には変わり者が多いなどともいわれます。
ペレルマン氏がとくに変わり者とは思わないが、庶民からすれば高額の賞金をと溜息だろうか。

そういえば日本にも変わり者というか、変な人がいましたね。
ノーベル賞やフランス政府からの勲章はいただくが、文化勲章は拒否する。
うーむ日本の文化人は外国(ことに西欧と中国)に弱いからだろうか。
まあ、賞によって的確に取捨選択するということでしょう。
たしか、フランスのサルトル氏はノーベル賞を辞退していましたね。

5562ポアンカレ

世のなか賞をもらいたい人ばかりじゃないようです。

旅する本
旅行するときのバッグにはかならず文庫本などをいれている、という方が多いときく。
列車のなかで窓からの景色にうんだとき、本をひらいて読むのも気分転換にはなる。
紀行文であったり、詩やミステリに読みふけったりするのも旅ならではの楽しみかと思ったりする。
よく旅行にでてまでマージャンをすることないじゃないなどというが、旅先でのことはまた別物らしい。
場所がちがえばなされる行為もおのずとちがった意味あいをもつものだ、ということが知れる。
ゲシュタルト心理学ではないけれども、場の理論ということができるのか、とも夢想するのだ。
なんとはなしに文章を追いつつも、そんなのんきなことを考えることがあるのも旅だからだ。
もしや旅行中の本は内容をこっそりと変化させているのか、と訝る経験はありはしないだろうか。

4831書棚

「どうぶつ帖」 幸田文 平凡社 ★★★
幸田文さんの文章はきりっとしまっていて、迷いがない。
読んでいても、明快でしらずしらずのうちにずんずんと引きこまれてゆく。
感情移入ということを考えるまでもなく、そういう状態にはまりこんでいるのである。
文章のなかにときおり露伴がでてくるのだが、さっぱりとした父子関係が感じられる。
文章のうまさというより、観察眼の非凡さがきわだっているといつも感心する。
芥川龍之介のような神経質さのないセンテンスがこころよい。
犬も飼い、猫たちとも生活をともにし、動物園の訪問も好んだ幸田さんの論は明解である。
『ついでながらいえば、猫は怒った顔が立派、
犬はほほえんだ顔に素直さを見せる、と私は思っている。
犬が笑うといえば、ひとは私を「ちょっと感覚がちがうわネ」と嘲るが、
私は犬は笑ってくれると信じている。』
笑いの源はなだめの行為にあると読んだと思うが、ご主人さまにまあまあと語りかけているのか。

「少子化社会」 山田昌弘 岩波新書 ★★★
少子化がいい傾向か、歯止めをかけなければならない問題かはここでは問わない。
現在、欧米や韓国とおなじように日本も少子化(人口減少)局面にはいっているようだ。
同時に人口構成がいびつで老齢人口比が極端に高くなってきているのが問題なのだ。
なぜ少子化がおこってきたのだろうか。この点を筆者はこうとらえる。
『よく、二十代後半や三十代前半の女性の就労率が上がっていることが、
少子化の原因として語られるが、これは、全くの誤りである。ロジックが逆なのだ。
就労率が上がっていることは、少子化、正確に言えば、未婚化の結果なのである。
結婚したら働くのをやめようと思っている人が、結婚していないから働き続ける。
だから、就労率は上がる。』
つまり、結婚しようとしない、できない人々が増えていることが少子化の原因だというのである。
『私は、よく、「希望は努力が報われると感じるときに生じる」
という社会心理学者ネッセの言葉を引用する。
高度成長期の若者は、結婚して、夫は仕事、妻は家事で努力すれば、
今以上の生活を送ることができる、努力すれば、自分の子どもはもっと豊かになる、
そのような見通しがあったからこそ、結婚時点では豊かでなくても、「希望」をもつことができた。』
希望がもてない社会では、結婚する人たちが減少して、結果少子化になってゆくという。

「イギリス ウフフの年金生活」 高尾慶子 展望社 ★★★
書名からわかるように、イギリスでは福祉制度は日本にくらべてはるかにすすんでいる。
筆者のように外国籍(日本籍)であっても、女性は六十歳になったら年金受給資格を得る。
家賃の約八割は国の住宅手当があり、医療費は完全無料だから入院保険の必要もない。
もちろん逆に英国は消費税が17.5%(20%になるとか)と高いが、食料品にはかからない。
税金は高くして高福祉型社会でいくか、アメリカのように全部自助努力(?)ですますか。
それはそれぞれの国民の選択だから、どちらがどうとはいえないものだ。
『日本の人たちは福祉というとすぐ貧乏人が税金を食いものにするという発想を持ちがちだが、
そういう発想でいる間は日本の経済は立ち上がれないだろうし、自殺もあとを断たないと思う。
あすの心配がなければ手当受給者は安心して消費する。失業手当を支給されている人も、
来週になれば必ず手当が入ってくると知っていれば、失業中であってもお金を使う。』
子供手当も先行き不安のため貯蓄にまわれば、経済は上向きにはならない。
『日本の財務省の調べでは、二〇〇四年度の日本の租税負担率と社会保障負担率を
合わせた国民負担率は三五・五パーセント。
それに対して二〇〇一年の英国の国民負担率は五〇・二パーセント。
ドイツは五五・三パーセントで、スウェーデンに至っては七四・三パーセントだ。
日本が真似ばかりしているアメリカは二〇〇一年で三五・二パーセント。
しかし私は税金が高くても、福祉のしっかりしている英国で
老後を迎えられてほんとうに良かったと思っている。』
日本でも参議院選挙が近づいてきており、ここでよく考えて投票しなければいけないだろう。
だが投票を棄権するという方々は、自分以外の日本人に全幅の信頼をよせているということだな。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

備忘録
忘備録だったか、備忘録だったかなといつも声にだしながら迷ってしまう。
なかなかに語呂がいいから、どちらもありそうに思うのだ。
美貌録ならば、けっして忘れたりも迷うこともないはずなのだが。

忘れたときのために、メモなりなんなりに書きつけておくとだいじょうぶ。
などとアドバイスをいただくのだが、そのメモがいざというとき見つからないのである。
ときには、メモしたことをすら忘れていることもある。
あったと思ってメモを読んでみるが、なにを意図して書いているのか本人でもわからない。

5561ニューカレドニア

「人間は忘れる動物である」という定義もあるくらいだ。
だが考えてみれば、忘れるということをそう否定的にばかりとることもない。
嫌なことは忘れてしまい、すっきりとした気分で明日からがんばろう。
とはいうものの、忘れたいことは忘れられず、覚えておかなければいけないことを忘れてしまう。

以前、本を読んでいてなんだかデジャヴ(既視感)をあじわったことがある。
だがなんのことはない、おなじ本をまた読んでいただけのことだ。
二度目だから内容もなんとなく憶えていてそう感じただけなのだ。
本棚をさぐると、たしかにおなじ本があった。
ならんで二冊あったこともある(そのことも忘れていたのか)。

こうよく忘れるということは、ヒトに備わった大切な機能ではないか。
経験的に、たしかにそうだと思えるのである。
それにもし忘れることができなければ、どんなに苦しいかしれやしない。

だから年老いてくると、難なく忘れるという能力がついてくる。



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Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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