ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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公用語ってなんだ
最近、社内の公用語を英語にするという企業があり、ニュースになったりして話題を提供した。
日本の企業で英語を公用語ねえ、ふーんという感じだ(日本語と併用ということではないらしい)。
私企業がどのような方針をとろうが法的に違反がなければ問題はない、といったところか。
しかし、その判断がその企業の評価に良くも悪くも影響を与えることはありそうなことだ。

5708梅田夜景

じゃあ、諸外国(まあ欧米のことだが)では公用語はどうなっているのだろうか。

『いわゆる「先進諸国」のなかで特定の言語を法的に「公用語」としているのは
フランスとカナダなど数カ国だけ。
フランスの場合は一九九二年の共和国憲法で「共和国の言語はフランス語である」と
明確に規定しているが、それでもフランス国内でオック語、アルザス語など合計二四の言語が
存在し、機能している事実はみとめている。
カナダでは一九六九年から八八年まで何回も法律が改正されて英仏両語を公用語とすることが
決定されているが、移民の増加によって多言語政策も同時平行させるようになってきた。』

なるほど、特定の言語のみを法的に公用語とする例はどちらかといえば少数派か。
そういえば、国連の公用語はアラビア語、英語、スペイン語、中国語、フランス語、ロシア語か。

『イギリスでの英語、ドイツでのドイツ語、オーストラリアでの英語なども
慣習的にそうなっているだけで法的根拠はない。
イギリスの法律のなかにイギリスの「公用語」は英語とする、
などという厳密な規定はどこにもありはしない。』

法律というものは、決めておかないと問題になったり、争いの種になる場合に定められるものである。
慣習的にそうなっているものをわざわざ法律で規制することもない。
つまり、文化や倫理や正義感などを法律である一定の枠にはめようとしても無理があるのだ。
その場合は、政府がそう望んでいるということを知らしめる役割しかないことになる。
だが、国民が成熟していなければ(なんら自立的でない)、その方向へといとも簡単に誘導できる。
さらにマスコミやおかかえジャーナリスト、学者が賛意のコメントをすればまずうまくいく。
逆にいうと、おかかえ連中の発言を聞けば、方向性がみえてくるということでもある。

5614アサヒビルディング

『「l Long time no see」
という語法、これをわたしは一九七〇年代のハワイノの下町にある中華料理店の
ウェイトレスからいわれたときに、ハタとひざをたたいて感動した。じつにじょうずである。
この簡潔な一句にこめられているのは「あら、おひさしぶりね」ということ。』

英語というのも、上の例が示しているように、道具的に考えるなら文法にこだわる必要はない。
おたがいの気もちが理解できるツールとするときに、有用性がうまれてくるのではないか。
英語を話す人口が多いから、これからのグローバル社会では必須になるという論理はあやうい。
(単に英語というが実際に世界で話されている英語は学校で習う英語とはまたちがうようだ)

その言語を話す人の多さで、という論理で国連の公用語は決められているのではないか。
ならば、話者人口一億をはるかにこえる日本語も国連で公用語になってもおかしくない。

しかし、でもなお英語を公用語という企業は、倒れかけている英語塾と提携でもしようというのだろうか。
日本のコマーシャルに外国人(英米白人が多い)が頻繁に出てくるという事情と関連するのか。
つまりは、英語がではなく、英語的文化がイメージがいいというだけで採用されたのではないか。
(必然的に、その企業のイメージがよくなるというCMの論理である)
欧米コンプレックスにまみれた企業だ、という逆効果になる日がくるかも知れないのだが。

 (以上引用はすべて、「なんのための日本語」 加藤秀俊 中公新書刊より)

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熱中シンドローム
まわりがうるさくて勉強ができない、騒々しくて本も読めない、などという人がいる。
だけど、反対にシーンとした静けさのなかでは落ち着かなくてなにも手につかないこともある。
これはどうしたことだろう、やかましくても静かでもいけない、適度に音のする環境がいいのか。
携帯電話とおなじで、使ってなくてもいつも周囲から情報をあつめ、すぐに起動できる状態にあるのだ。
なにか異変が(音で感知する)あった場合には、すぐさま対応できるような体制にいるわけだ。
それでもときに、熱中して本を読んでいるときには、工事現場にいようとも森のなかとおなじである。
安全であることが確認できているのだろうか、これを集中力といったりするが失敗もある。
完全に感覚が遮断されてはいないと思うが、降りる駅を忘れて乗り過ごしたりすることもある。

3227毒キノコ

「真夜中のマーチ」 奥田英朗 集英社 ★★★
ヨコケン(横山健司)は出会い系パーティーを企画する「ビバップ」という会社を興して五年になる。
そのパーティーにやってきたのが三田物産(財閥系)に勤める三田総一郎(ミタゾウ)だ。
そしてクロチェと呼ばれるようになる黒川知恵が加わって不思議な三人組となるのである。
三人それぞれの思惑から一攫千金をねらって行動を始めるところから物語りは急激にはじまっていく。
(この三人の呼び名から、なんとなく性格までもわかりそうな気がする。まるで、ブーバ・キキのようだ)
ストーリーとしては、やくざの賭場のあがりをかすめとろうとしたり、投資話の上前をはねるためには。
などと展開していくのだが、そのなかで三人の気もちが関係が微妙に変化してゆくのである。
お金はなんのために、とはよくでてくるテーマで、では人はどう生きるのが幸せかにつながっていく。
都会で孤独に生きているようで、思わぬところから人間関係が生まれ、そこには当然ながら感情も。
そんなありそうな、でもありそうもない物語りが笑いあり、センチありのうちに紡がれていくのである。

「千利休 無言の前衛」 赤瀬川原平 岩波新書 ★★★★
茶の湯の世界で、千利休といえば日本人ならだれもが知っている。
同時に当時天下をとった豊臣秀吉の側近としてつかえたことでも有名である。
日本独特といわれる茶の湯の世界と、日本人の感性とはきってもきれない関係にある。
『欧米人に対して日本的感性についての説明をするのに苦労するという。
それはほとんど不可能に近いが、その一つの方法として、日本には一がないという説明をする。
西欧にはまず一がある。そして二があり、三があって人間の世の中がある。
つまり人と人との対話がそうだ。日本にはそのような強い自己としての一がなく、
むしろ自分と相手との関係線がまず棒のようにあり、この横棒の上を互いのウェイトが行ったりきたりする。
つまり関係線としての横棒が、自己の一よりむしろ強くあるのであって、
それが西欧での一のような基本となっている。』
個をまずいちばんにもってくる欧米との世界観のちがいは、はてしなくへだたっている。
なにごとも意識にのぼらせることを至上とする西欧の哲学観とは、別の世界がそこにあるのだ。
『利休の美意識の中には偶然という要素が大きくはいり込んでいる。これは重要なことだ。
偶然を待ち、偶然を楽しむことは、他力思想の基本だろう。
私はそこに、無意識を楽しむという項目を付け加えたい。』
筆者もいうように、人知のおよばぬところのものを楽しむというのが利休の生き方ではなかったか。

「もう牛を食べても安心か」 福岡伸一 文春新書 ★★★★
狂牛病問題はいったいなんだったのか(忘れている方も多いが)、と考えると根は深いものがある。
ほんらいは草食動物である牛に、死んだ牛(病気での場合も含めて)の肉骨粉を与えたことによる。
だれが考えても共食い、人間ならばカニバリズムではないかということが行われていたのである。
『物理学は私たちに可能なことを教えてくれたが、実は何が不可能かも教えてくれている。
加速には余分なエネルギーが必要で、環境のどこかでそれ以上のエネルギーが失われている。
一方、加速したことによって出現した効率は、環境のどこかでそれ以上のつけを払わなければならない、
という単純な原則である(エネルギーとエントロピーの法則)。
つまり、動物と人間はともに環境の構成要素である以上、それらは動的な平衡関係にあり、
その関係の一部分を人為的に組み換えたり加速したりすれば確実に環境から揺り戻しを受ける。
私たちが現在、悩まされている病禍はまさに環境からの報復作用に他ならない。
なぜなら、生命と環境は分子の流れによって通底しているからである。』
このような作用は、どのくらいの時間軸上にあらわれるのかということははっきり分からない。
ヒトの場合なら、二世代三世代後にあらわれてくるということもありそうである。
安全というのはそう簡単にいえるものではないし、よって君子危うきに近寄らずという立場もある。

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名月の夜
今夜は十五夜である。
だがあいにくの空模様で、見ることはできない。

で、ひまつぶしでもないけど過去の抜き書きを読んでみた。

『「私」はと語っている「私」は私の「多重人格のひとつ」にすぎない。
そういう簡単なことが分からない人がたくさんいる。
私が匿名でものを書かないのは、そのせいである。
私は匿名で発信する人間が大嫌いだけれど、それは「卑怯」とかそういうレヴェルの問題ではなく、
「本名の自分」というものが純粋でリアルなものとしてどこかに存在している、
と信じているその人の妄想のありかたが気持ち悪いからである。』

 (「おじさん」的思考 内田樹 昌文社 より)

3194こまいぬ

そうなんだよな。

テレビにでてくる「自分探しの旅」なんていうフレーズもぞっとする。
一生探してろ、などとつい口ばしって、かみさんから冷たい目でみられる。

探している自分が、まだ見つけていないけどほんとうの自分(理想形)だ。
ということはいまある自分(たいていは不満な存在)は、かりそめの姿である。
だから、現在はフリーターでもなんでもいいのだ(すこし不安もあるかも)。
かならずどこかにいるほんとうの自分に、いつかめぐり会うことができる(はずなんだけど)。

だが、めぐり会うとそこで完結するわけだから、けっして探しあてることはできない。
だって、それではおはなしが終わってしまうじゃない、ということもわかってらっしゃる。
「自分探しの旅」の不思議さは、そこにある。
(単なる言い訳じゃないのか、というなかれ、大人げない)

結果じゃないよ、プロセスに意味があるのさ、というだろうか。
ということで、「自分探しの旅」は永遠に終わることができない。
自分にであったという報告もいまだかって聞いたことがないのだから。

3165喝っ!

秋燦燦と
朝夕など涼しい気配がただよって、そろそろ秋らしくなってきたかなと思う。
そういえばもうすぐ秋の彼岸であり、暑さ寒さも彼岸までというのはまだまだいえそうだ。
秋といえば、食欲の秋、行楽の秋、そしてやはり読書の秋ではないか、と力んでみてもしかたがない。
「書を捨てよ、町へでよう」という本があったことなど、もうすっかり時代が変わったという感である。
このごろは本屋へ足をむけることもめっきりと減ってしまって、もっぱら図書館で本を借りて読む。
それもときに億劫になることがあり、では家にある本をまた読めばいいのだとも思ったりする。
どんな本があったかと書棚を端からながめていると、あれっと気づくものが鎮座ましましている。
そうだった、忘れてならないのは芸術の秋であり、深まりゆくにつれ輝きをますのである。

5637黒い花びら

「差別と日本人」 野中広務 辛淑玉 角川書店 ★★★
いまではわりあいにひろくしられてきたことであるが、野中氏は被差別部落出身者である。
だが、それを隠そうとはしなかったし、それを利権の具にすることには強く反対した。
『だから差別を売り物にするなと、差別を自分たちの利権の手段に使うなと。
まじめに真剣に働いて、なお差別されたら、その時は立ち上がれと。
まじめに働きもしないで自分の出生を明かすことによって、自分の利益追求の手段に使うなと。』
部落差別を利権にすれば、さらに差別が再生産されていくということは当然の帰結である。
辛さんは在日韓国人であるが、彼女も本名をかくして生きようとは思わなかった。
差別は、部落、在日、人種などいろいろあるが、知らないでいる差別もじつは多いのではないか。
差別ということは、多様性を認めない、同質性という判断基準を固辞することではないかと考える。
ただ差別はいけないというよりも、いろんな価値観を認めることの意味を教えなければいけない。
そういった視点のない差別反対論は、どこか差別する立場との同質性を感じるのである。
つまり、ちょっとした社会の変化などで簡単に入れ替わってしまう構造をもつものだと思うのである。
差別する人が別の局面では差別される側にいる、ということは実際によくあることである。
多重的であり、なぜ差別するのかについてはこれからも考え続けていかなければと思う。

「袖のボタン」 丸谷才一 朝日新聞社 ★★★
丸谷さんのエッセイから次つぎに新たな読書の分野がひらけていくことがままある。
今回は、こんな本も読んでみようかなと、文中からピックアップしてみた。
以下にご紹介しよう。どんな本を読んだらいいのかという方には参考になるかなと思って。
まずモーツアルトの評論を多く書いた吉田秀和さんのこと。
吉田秀和全集の刊行は、現代日本文化にとって特筆すべき事件だというのである。
『現存する日本の批評家で最高の人は吉田さんだと評価しているからだ。』
『この数十年間の日本の批評は、小林秀雄の悪影響がはなはだしかった。
彼の、飛躍と逆説による散文詩的恫喝の方法が仰ぎ見られ、風潮を支配したからである。』
『吉田さんの方法はまるで違ふ。いつも音楽と実技と実際がそばにある。』
次にやはり日本人は太平洋戦争のことをいろんな面から知ることが必要である。
『大岡昇平の「野火」を読み返した。五回目か六回目だろう。不案内な読者のため紹介しておくと、
これは先年のいくさの際の、フィリピンにおける日本軍敗残兵を扱ふ。』
ついで、ナオレオン三世のことを書いた「怪帝ナポレオンⅢ世」(講談社)鹿島茂著なる本のこと。
実は今日あるパリの都市構造は彼のパリ大改造によっているのだという話にまつわるもろもろ。
うーん、これで当分読むものに迷わなくてすむ(?)かな。

「日本辺境論」 内田樹 新潮新書 ★★★★
日本人は日本人論が好きである。そこで内田氏も日本人論を書くことにしたということだろうか。
では日本人の価値観がどこにあるのか、どういった生き方をしているかについて考えなければならない。
『ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。
それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、
専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。
そのような人間のことを私は本書ではこれ以降「辺境人」と呼ぼうと思います。』
それが日本人であり、かって世界の中心は中国、インド(ブッダの生まれた)であった。
明治になってその地位を西欧がとって代わったが、世界の中心があることに変わりはなかった。
『私たちに世界標準の制定力がないのは、
私たちが発信するメッセージに意味や有用性が不足しているからではありません。
「保証人」を外部の上位者につい求めてしまうからです。
外部に、「正しさ」を包括的に保証する誰かがいるというのは「弟子」の発想であり、「辺境人」の発想です。
そして、それはもう私たちの血肉となっている。どうすることもできない。私はそう思っています。
千五百年前からそうなんですから。ですから、私の書いていることは「日本人の悪口」ではありません。
この欠点をなんとかしろと言っているわけではありません。
私が「他国との比較」をしているのは、「よそはこうだが、日本は違う。
だから日本をよそに合わせて標準化しよう」という話をするためではありません。
私は、こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです。』
追いつこう、キャッチアップしようとしているうちはよかったのだが、ある意味肩をならべるところまできた。
先頭に立てば風あたりも強いし、目標もなくなるし、いよいよ日本の正念場ということになる。

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蝉たちの夏
朝夕などすっかり秋らしくなってきて、昨日の朝など部屋の温度は22℃だった。
(天気予報欄の温度より2℃低いことがわかる)
(なにせ我家は標高300メートルをこえている)

5700九月十五日

通勤時にとおる階段わきの木立のなかからは、もう蝉の声はきこえてこない。
蝉たちと交代するかのように、リーリーリーと虫の音がかまびすしい。

あの夏の日は過ぎさってしまった、といえば流行歌のようだが。

ジージージー
シャーシャーシャー
ミーン ミーン ミーン ミ~ン
ツクツクボウシ ツクツクボウシ ツクツクボーシ 
カナカナカナ

聞こえなくなってしまうと、なぜか懐かしい。
ないと、ほしがる、あるいはいい想いに変化していく。
ないものねだりか、怖いもの見たさの変形バージョン。

「お暑いですね」から「寒くてたまらんわ」への過渡期にはいる。

庭ではススメガの成虫と幼虫とがゆく夏を惜しむかのようだ。
(よくまちがえる人がいるが、これはハチドリではありません)
(しかし撮るのに苦労した、結果ほとんど写っていなかったなあ…)
(参考に写っていないのも載せてみる)

5681スズメガ

5680見えない

秋になると、どんなムシ、チョウ、ガがやってくるか楽しみである。
(頑張れよ、ヒトに負けるな)
(かみさんは渋い顔しているだろうが…)

3254幼虫

早口言葉
「なに?はやく言いなさいよ」といわれると、ついすばやく早くしゃべろうとする。
と、「ばかじゃないの、そういうことじゃなくて」と呆れられるのである。
いちど身についたボケは、そうかんたんにはなおらない。

5641なにか?

書こうと思ったのは、ほんらいの早口言葉のことである。
「生麦 生米 生卵」、「東京特許許可局」などが代表的なものだ。
もちろん、これは日本語でのはなしである。

アナウンサーのしゃべりの訓練に欠かせないものだという。
といっても、最近のアナウンサー資質というのはずいぶんとちがってきているらしいのだが。

発音も以前は東京山手の標準語で鼻濁音なんて時代もあったようだ。
NHKの高橋圭三さんなんかの話ぶりが好きだったなあ、でも東北のご出身だとか。
かえって、地方の人のほうが発音に敏感であるかもしれない。
だが、地方局ならそれぞれの方言でしゃべるのもいいものだ。

旅したときにラジオからその地方のことばが流れてくる。
すべてがわかるわけではないが、笑い話を聞き声をあげて笑うときに、ああ遠くへきたなと想う。

ところで、英語ではどんな早口言葉あるのだろうか。
ありましたね、ある本を読んでいてこんな文が紹介されていた。

She sells sea shells by the seashore.
「彼女は海岸で貝を売っている」

これを眼にしたとき、はるか以前にあった島でのことを思いだした。

エコと景気
現在いわれているエコとは、二酸化炭素の排出量が従来よりすくない製品を買いましょうということらしい。
いままでに比べてということは、すでになんらかのおなじ機能の製品をつかっていたことでもある。
単純に考えれば、いまある製品をつかわないで新たな製品をつくることはエコなのかどうかという疑問。
いくら省エネ製品といえどもその製品をつくることには多大な二酸化炭素を排出しているはずだ。
そこのところを伏せておいて、ハイブリッド車は環境にやさしい(意味不明だが)というのはどうか。
いつも環境にやさしくないのは人間が多いということだと失言して、叱られてはいるのであるが。
でも景気が悪いと困るでしょうというけど、困るぐらいは我慢してエコに生きればと思うのだ。
そもそも、エコでありつつ好景気とは矛盾するのではないか、それこそエゴだといいたくなるのである。

5692黄金虫

「「激安」のからくり」 金子哲雄 中公新書ラクレ ★★★
たとえば、ユニクロは地方発の会社で、山口でスタートしたということはよく知られている。
多くの安売り企業が地方からおこっているのはなぜかという疑問に筆者は答える。
『地価の安いところに店舗を構える。
ただし、道路が整備されていて、そこへは車でのアクセスはしやすい。
消費者は車という手段を使って、自ら交通費を払い、遠くから集まってくれる。
これが「激安戦争」に勝つための要因です。これが揃っていたのが、地方だったのです。』
つまり、いまや立地という観点もその中身をよくよく検討しなければ読み違えるということだ。
交通の便がよいとひとことにいうが、それは鉄道駅に近いということだけを意味していない。
不便だからというのは必ずしもマイナス要素とはないえない時代にはいっているのである。
というよりは、生活のスタイルの変化にともなってそれらは価値が増減するのである。
シャッター通りなどとよばれる地方の商店街は、なにかを見誤ったのかもしれない。

「いまなぜ青山二郎なのか」 白州正子 新潮社 ★★★★
青山二郎は骨董に造詣があり、小林秀雄との高級な友情はあまりにも有名である。
それもどちらかといえば、青山が小林を導いていたというような関係性であったらしい。
青山二郎はどんな生き方をしていたのかは次なる文章にあらわされている。
『本物の中にもほんとうの本物と贋の本物、――見かけだけのもの、との区別はあるからだ。
どこから見ても間違いなく立派な人間で通っていても、見る人が見ればおのずから違いはあるように。
銘柄にとらわれず、外観に惑わされず、本物の中の本物を発掘するのが青山二郎が志したことである。
「創造」といったのはそういう意味で、一旦悟得すれば万事に通ずる眼を持つことであったから、
命を賭けることも辞さなかったに違いない。』
彼の書いたものは多くはないが、その一端を引用すれば彼の考えもわかるというものだ。
『二兎を逐ふ者は一兎を得ずと中原は言ふ。一兎を逐ふは容易なり二兎を逐ふべきのみと答ふ。』
(蛇足ながら、中原とは中原中也のことである)
『解るとは、ドストエフスキイを読んでドストエフスキイになる事だ。
一度ドストエフスキイを読んだら、二度と元に戻らないだけの準備があるべきだ。
一度ドストエフスキイを読んだら、ドストエフスキイというものが自分の血液の中にとけるのである。』
なかなか鋭くものごとを考える人だったということがわかるのである。

「ゼフィルスの卵」 池田清彦 東京書籍 ★★★★
ゼフィルスとはシジミチョウを総称していうときにつかう名である。
どこか優雅に飛ぶさまを想像することもできるのではないか、と思ったりする。
といって、チョウやカミキリムシの話ばかり書いているのではないのである。
人間社会をも虫を見る目でながめれば、どんなふうに見えるのかとも思うのである。
地球上には多様な生物が生きているのであるが、人間はどうも多様性にはなじめないようだ。
『外からは一見仲良しに見えるグループの中でこそ、陰惨ないじめが横行し易い。
いじめられっ子は仲間を抜けるという選択を思いつくことすらできず、
自殺に追い込まれているように思えてならない。
無理に仲良しにならなくてもよいこと、人間関係以外にも楽しいことがあること、
を小さい時から身につけさせてやれば、いじめで自殺する子はずいぶん減るのではないかと私は思う。
これは、多元的な価値観を認めようとのごく当たり前の話だが、この国ではこれがそもそも難しい。』
いじめはしないように仲良くしましょうね、ではなんの問題解決にもならないということだ。
これは国際関係にもいえることであり、宗教問題にもつながっていくのであるが。

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遅れてきた夏休み 那谷寺、ゆのくにの森編
今朝、昨日書いた「ゆめのくにの森」(誤)はちがってるよと、かみさんからお叱りをうけた。
入村券をみせられると、なんと「ゆのくにの森」(正)とあるのではないか。
まあ、加賀温泉郷にあるのだからそういうことだ、と納得できるのだが。
人の思いこみというのは恐ろしいと再確認いたしました。
ここに謹んでお詫びと訂正をいたします。

一夜明け、まず近くの道の駅でこぶりの「ナシ」を買って那谷寺へ向かう。
(最近は野菜や果物にあまり季節感を感じないが、もう秋だなあ、という思う)

真言宗別格本山だということだが、むかしは山深い場所であったのだろう。
芭蕉の「奥の細道」にもでてくるというのだが、知らなかったのである。
境内には奇岩が配置され、秋の紅葉にはみごとだろうなと思われる。
ちいさな三重塔がうつくしく、白木のふうあいをただよわせている。
木陰はいいのだが、陽のあたるところはまだまだ暑い。

3235もみじの若葉

3228三重塔

いよいよ最終の、加賀伝統工芸の体験テーマパーク ゆのくにの森へ。
入村券(もちろんネットでの割引券をつかう)を買って、村内へ。
古民家が移築され、きれいに化粧直ししてそれぞれの工芸ごとにテーマ館となっている。

3238体験工房

最後のほうで訪れた「越前の館」でおもいがけない幸運(?)にであった。
あまり興味もないといっては叱られるが、木立をわたるかぜを感じてぼんやりしてた。
すると、かみさんはお店の人となにやら熱心に話をしている。

3244せせらぎ

近づいていって、どうしたのかと聞いてみた。
なにやら棚卸しというか、在庫品の整理をしていたのだそうだ。
店のおばさんんも今日でてきておどろいたことに、安く値札が書き換えられてる。
昨日は休んでいたからわからないけど、在庫セールのおもむきである。
それを熱心に見ていたのだという。

なにか買ったのかと聞くと、さも満足そうに三点ほど買ったという。
切子ガラスの冷酒グラスとワイングラスのセットが安くて。
ついでに黒塗りのワインクラーがいいかな、などと。
値段はついていた金額の一桁おちだったとか。

5662ワイングラス

どこで、どんなことがあるかわからないから旅はたのしい(?)。
また、秋になったらどこかへいきましょうか。

遅れてきた夏休み 旅館栄枯盛衰編
泊まったのは「湯快リゾート 加賀温泉郷 山中温泉 ホテル大黒せせらぎ亭」というところ。
年間をつうじて料金はおなじ一泊二食付、7800円だというホテルである。
(じつは、直前プランというのがあって6800円だったのだ)

3214山中温泉せせらぎ亭

宿泊料金というのは不思議なものである。
料理は原価がおおきくものをいうが、宿泊費はどう算定するのか。
客がこなければ、固定費の負担は重く、安くすればイメージの低下というジレンマか。
旅館やホテルは規模がおおきくなるにしたがって、即応性がなくなっていく。
どこらへんが落としどころなのか、なかなかむずかしい問題だ。
(安ければいいとは言わない、高ければ確実にくる客はすくなくなるのだ)
(この高ければというのが曲者で、ステータスの高さを含意することもあるからややこしい)

以前は、おおきな繁盛した温泉ホテルであったのだろうと想像する。
それがバブルははじけ、次なる時代の流れに取り残されてしまう。
ついにはたちゆかなくなって買収され、あらたなよそおいの宿に変身したというとことだろうか。
入り組んだ増築をくりかえしたであろう建物が往時をしのばせもする。

平日ではあるが、かなりのお客さんでにぎわっている。
もちろん低料金であるから、料理はバイキング、従業員はアルバイトが多いのだろう。

フロントで受付をしたときに、浴衣は自分で選んでくださいという。
浴衣の棚から各自好みの色柄・サイズを選んで部屋にもちかえるという方式だ。
こうした遊び心もないと、ただ安いだけでは客はこないということか。

露天風呂につかって、ああいい気分だ。
混雑もなくのんびりと、ゆったりと温泉をあじわうことができた。

夕食はバイキングながら、料理は予想に反してなかなかおいしかった。
つい食べ過ぎてしまうのがバイキングの欠点だが、人の数もほどほどでゆったりできた。
まずは合格点の宿でありました。

3213雨上がりの空

明日はメインイベントの「ゆめのくにの森」だが、どんなところなのだろう。
名前のイメージからはなんだかめまいを感じそうなのだが、旅は不思議との出会いでもある。

遅れてきた夏休み 丸岡城・永平寺・朝倉氏編
朝食はバイキング形式だったのだが、そこで大学のゼミグループらしき連中がいた。
三々五々かたまって食べているのだが、若いわりにはあまり食べていない。
なかにポツンとひとりの男子学生がいた。
先生と思われる男性がよびよせておなじテーブルに座らせた。
なにを話しているのかはわからないが、笑っている姿をみてなぜか安心した。
かたわらを挨拶しながら女子学生たちが通りすぎてゆく。

柴田勝豊により築城された丸岡城は、別名「霞ヶ城」ともよばれている。
現存する天守では日本最古のものといわれる(昭和地震で倒壊したがのち修復された)。
日本一短い手紙で有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という石碑もある。

3132丸岡城

とても急な木組みの階段をのぼって最上階へあがる。
風がとおりぬけてゆき、ひととき暑さを連れさってくれる。
はるかな山なみは群青にそまっているかと思いきや、突然雨がふってきたのだ。
なぜこうなるのかは、まだ解明されてはいない。

3149雨に霞む

あきれはてて、さっそく報告のメイルをうつことだろう。
さっそくの返信にて、「関西のほうにもすこしは雨をください」
こころに思う、「そんな無茶いわれても、かなわんな」

つぎなるは吉祥山永平寺、ご存じ道元禅師がひらいた曹洞宗大本山の寺である。
高校生の修学旅行できて以来だから、はてさて何十年ぶりになるのだろうか。
多くの参拝者、見学者がぞろぞろと歩く。

そのなかのある女性がいう。
「この天井画のなかにある、獅子、鯉、栗鼠をさがしあてるといいことがある」

3166鯉

3167青獅子

3168白鯉

3169栗鼠

(帰ってからしらべると、白獅子、青獅子、白鯉、鯉、栗鼠のことらしい)
(残念ながら白獅子を撮っていませんでした、ごめん(笑))
天井を見続けて首が痛くなってしまった。

3185永平寺

ここからすこし南下したところにあるのが一乗谷朝倉氏遺跡だ。
豊臣秀吉によって再建されたとする唐門が残っている。
まだ遺跡の発掘、復元途上だが、この地に最盛期一万人の人口があったという。
山間部に突如降りこめるスコールには、なにか時代の息吹を感じるのである。
(しかし、これで暑さもすこしはやわらぐだろうか)

3202朝倉氏遺跡

3210森茂る

本日の宿は、加賀温泉郷の山中温泉にとる。

遅れてきた夏休み 越前海岸編
九時前に家をでて、無料実験中の舞鶴自動車道を北上する。
さすがに木曜日でもあるし道路はすいている。

ではあるが、サービスエリアに車をとめてしばしの休憩と思うと混みあっているのだ。
これはどういうことなのだろう。
サービスエリア・フェチなる人々がいるのか、などと冗談をいう。
まあ、みなさんご安全に。

小浜からは一般国道を走る。
海岸沿いの道も交通量はすくない。

越前海岸なる場所にきたが、かに民宿・かに旅館ばかりが目につくばかりだ。
しかし海をながめるのはいい。
潮風にふかれていると、なぜか若いころ旅したころのことを思いだす。

3108越前海岸

東尋坊からすこし北へいったところに雄島という岩石島がある。
島へは橋で結ばれているのだが、なんと工事中で渡れなかった。
(なにかにつけて、こういった事態になることがおおいようだ)
なにか人をひきつけずにはいない、といったおもむきが感じられる島だ。
横溝正史の小説に登場しそうな雰囲気がある。

3116雄島

今夜の宿は、越前三国の休暇村だ。
宿についてゆっくりと露天風呂につかる。

ちょうどいあわせた同年輩の男性と世間話をする。
ひとりは神奈川、もうひとりは長野の諏訪からやってきたと自己紹介。
長野の男性はもうすぐ定年で大分の家まで自家用車を運びがてらだという。
気ままにのんびりですよ日曜日までに帰ればいいから、と笑っていた。
もしわれわれが若かったら、どんな話になっていたのだろうかと思う。

3125夕景

遅れてきた夏休み IKEA編
九月にはいって、遅まきながらの夏休みをとる。
ひさしぶりにポートアイランド(人工島)にある「IKEA」へでかける。

今日は水曜日なので館内は人もまばらである。
すこし遅めの朝食ということにする。
ブレックファーストとベーグルを選択する。
飲み物は、カミさんがもっている会員カードを見せると無料である。
おまけにフリードリンク制だが、そんなに飲めるものではない。
ということで、ふたりして五百円でおつりがきた。

5642ブレックファースト

5645レストラン

平日にくるのが混雑も避けられていい。
リラックスできるイスがほしかったのだが、気に入ったデザインと値段のがなかった。
それでも店内を歩いていると、ついつい遊びごころから買ってしまう。
こんなもの買ってどうするの、というなかれ。
机周りの整理につかうのである。
(ほんとかな、あやしいもんだという眼でみられた)

5672小瓶

あっというまの四時間あまりがすぎてしまった。
なんだか疲れてしまったのだが、また、会社を休んでこようと思う(笑)。

さあ、明日からは北陸の旅である。
今回は、さすがに雨は降らないだろう。



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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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