ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
09 | 2010/10 | 11
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早朝のエンジェル
わたしが七時十一分発だから、すでに六時台にその子は電車に乗っている。
母親とならんで座っていることからも、そう推察していいだろう。
幼稚園か保育園か、それとも母親の職場にいっしょに行くのか。

2866電車

丸顔でカールした髪が、外側にはねている。
(ベティさんの子ども版といった感じ)
元気な声で、いつもなにか母親に話しかけている。

「ねえねえ、テレビは暗くして見てはいけないのよ」
「でないと、眼が悪くなるのよねえ」

たしかに今日も乗っていたのに声がしないなと思って、そちらを見る。
いっしんに窓の外を見ているのだ。

「いまね、白いおおきな鳥が飛んでいったよ」
「やっぱり、お仕事かしらねえ」

(なぜか、ませた口をきくのである)

すこしも眠そうにしていることがない。
元気はつらつ、毎日が楽しくてしかたがない、といったようすだ。
だからか、この子が乗っている日はだれも顔が明るい、ような気がする。

疲れたサラリーマンには、天使が必要だ。

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奈良遷都祭
昨夜は遅くまで飲んだり、話したりしてにぎやかに過ごした。
みんなはお疲れのようで、ぐっすり眠っている。
ひとり起きだして、早朝の東大寺へとむかう。
それでもちらほらとお参りする人がきては合掌して去ってゆく。

もちろん奈良であるので、鹿はいたるところにいる。
仲良く鳩といっしょに、こぼれた鹿せんべいの粉を食むのである。

3425鹿と鳩

藤原京から平城京へ都が移されたのが710年(なんときれいな平城京、で憶えました)。
今年が2010年だから、遷都1300年ということになるわけだ。
会場には午前九時過ぎ着いたが、すでにかなりの人でにぎわっていた。

ひろびろとした原に、ぽつりぽつりと大極殿と朱雀門がそびえてみえた。
1300年前には、すでにこの地に壮大な建築物があったのだ。
ぞくぞくと人がやってくる。

3469平城宮

仲間は当時の衣装(一時間300円で貸出)を着て、気分はすっかり古代人なのだ。
さわってみたが、この生地あんがいにしっかりしている。

3460古代衣装

夏に来なくてよかった。
陽ざしをよける場所もない原っぱなのだから。
残っている空地もすこしずつ復元されていくのだろうか。

3456平城京

帰り道にあった県庁前でのオープンカフェでひとやすみ(クッキー付150円也)。
一般に開放された庁舎の屋上からながめる景色はすばらしい。
風わたる平城京が一望にみわたせるのである。

3484コーヒーブレーク

3502眺望

また季節をかえて訪れればちがった顔をみせるのだろう。
秋の日をひさしぶりに会った仲間と古都を歩くのも楽しい。

ガイド役のOKMさん、お世話様でした。
もうすこし歴史話をききたかった、気もするのである。

3504せんとくん

曇りがちだった二日間をすごし家に帰る着くころには、なぜかどしゃ降りの雨になっていた。
(やっぱり降ってきた、という声がきこえたような…)
まあ、よかったのではないですか。
だが、なにか釈然としない気分が残ることも事実である。

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

奈良寺巡り
わたしの所属する健康保険組合の保養所が奈良にある。
おりしも奈良は遷都1300年祭でにぎやかである。
さらに、十月からは組合員でなくても同行すれば一泊二食付き5000円と格安に改訂された。
(もちろん、組合員はもっと安く泊まれるのである)

じゃあ秋の奈良を観賞しませんか、の呼びかけに応じる者十三名あり。
東から西から集いしわれら、さてどのような顛末になるのやら。
しかしながら、天候が気になるところではある。
なぜかすこしずつ雨の気配が迫っているような、気がしないでもない。

3346まもなく紅葉

高速道路の混雑を避けるため、早朝に家を出る。
宝塚あたりでは、すでに渋滞のはじまった下り線を横目に奈良へ。
薬師寺の駐車場に着いたのが八時前、すでに五六台の車が開門待ちの列をなしていた。

3363薬師寺

三々五々集まってきた連中と境内を歩く。
西塔と東塔の色彩の対比が悠久の時を感じさせてくれる。
さらに歩いて、お隣の唐招提寺にもいってみる。
こちらは落ち着いた雰囲気で重厚な、といったところだろうか。

3371東塔・西塔

ここ西の京には、KMさんがいっとき暮らしていた。
たしか西塔再興にあたっての天井絵を描いているといったかな。
(それは新薬師寺のことだったのか、はっきりとしないのだが)
もうずいぶんと昔のことだ。

もちいどの商店街のはずれたところにある「蔵」とかいう飲み屋で呑んだ。
炬燵に雑魚寝で泊めてもらったのだったが、変なことを憶えている。


帰りの車のなかで眠ってしまった。
眼がさめて隣を見ると、見知らぬ男が運転していた。
はっとして、後部座席をみるとみんながいたので安心した。
「ところで、この運転してるのだれだ?」
いっせいに、
「タクシーの運転手!」
あ~、そうだよな。


午後はみんなとわかれて、ひとり秋篠寺を訪れてみた。
西大寺の駅はすっかり様変わりしてあのころの面影はない。
たしかこちらのほうだがと思いながら適当に方角を決めて歩く。
いまではすっかり住宅街に変身してしまった道をぶらりといく。

3394緑もみじ

どのあたりでだったろうか、道端にすわって夕焼けに染まる空をみた。
ちかくの商店で買ったコロッケを食べながらだった。
(なんだか、中学生の部活帰りのような記憶でもある)

3397奈良マンホール

いろんなことを思いだす奈良なのである。

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

信号を待つ少年
通勤の道すじで、ときおり登校する小学生とすれちがう。
公園横で、しばしば信号待ちしている姿を見かける。
赤であれば、てもちぶさたな表情ながら青に変わるのをじっと待っている。

いっぽうわたしはというと、信号よりは車が来てるかどうかを見る。
信号が青であっても、左右を確認する。
もちろん、赤であろうが車が来なければ横断歩道をわたる。
むこうがわに小学生が待っていようともわたる。

あっ、おっちゃん信号赤やのに、という顔をしていてもあえて渡る。

坊や、そういう態度ではいまの世のなか生きていけないよ。
ルールを守ることはいいけど、そのルールがなぜあるかを考えないとね。
青だからとわたって、車にひかれたら世話ないや、ということになる。
同様に赤でも、自分で車がこないと判断すればわたればいい。
といいたいのだが、なにごともないようにすれちがっていく。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
つくづく名言だと思う。
ああ、他律的で横並びなひとびと。
日本人の心性をこれほど端的にあらわしているものはない。

と、なぜか朝から思うのであった。

5640華

へそ曲がり読書
おなじように本を読むのならば、より適した場所というものがあるのではないか。
そう考えて、ではどういったところで読めばおちつけて集中できるのだろうかと思案してみたりする。
だが、これはどうも本を読まなければいけないと考えつつ読めない人の強迫観念ではないかと思う。
実際にわたしが読むのは、電車のなか、職場の席、食事前のテーブルについているときなどなど。
なんだかそれって落ち着かないのでは、といわれそうな場所であることが多く、ところ選ばずだ。
でつらつらと考えてみると、読む場所ではなく読む態勢がおおいに関係しているようなのだ。
読みたいと感じるかどうかで、通路の壁にもたれて足組み直しながら、ほんの二三分であろうが読む。
ゆったりとした休日の午後など、逆に他のことをすることが多くて本など読まないのである。
してみると、わたしの読書好きという評もはなはだ怪しくなってきて、それでもいいじゃないかと思うのだ。

5726へそ曲がり読書

「唾棄すべき男」 マイ・シューヴァル ペール・ヴァールー 角川文庫 ★★★★
病気療養のため入院していたニーマン警部がなにものかに惨殺された。
その手口は容赦のないもので、恨みをもったものの犯行をにおわせていた。
捜査のなかで、被害者の警察内での評判は「唾棄すべき男」とよばれていたことがわかった。
警察官は身内に被害が出ると全力で犯人をおうということが定評だが、士気はあがらなかった。
ミステリは謎解きも重要な要素だが、本作はスウェーデン社会を描くという連作なのである。
北欧といえば美しい自然、端正なたたずまいの街というイメージだが、そうでもないらしい。
『過去十年間の間に、ストックホルム中心部が蒙った変化は、暴力的かつ徹底的なものであったと
言えよう。あらゆる地区がおしなべて平準化され、新たな地区が建設された。道路の幅が拡大され、
高速道路が建設されるに伴って、都市としての構造そのものが少なからぬ変化を遂げた。これら一切
の活動を促したのは、住みやすい社会環境をつくろうというような野心ではさらさらなく、一定の土地
を最大限効率的に開発しようという欲求であった。従来の建物の九割までが壊されて昔日の街並みを
しのぶべくもない都心部などは、地勢そのものまでもが暴力的に変えられたといっても過言ではない。』
なにかそこはかとない風情がただようマルティン・ベック主任警視のシリーズも残りすくなくなってきた。

「石油の終焉」 ポール・ロバーツ 光文社 ★★★★
石油の埋蔵量の減少というより、枯渇が現実味をおびてきて、原油価格の高騰はとまらない。
1980年頃は一バレル、二十ドルぐらいだったのが、いまでは八十ドル以上と四倍にもなっている。
これからも市場の思惑がらみで乱高下をくりかえすのだろう。だが問題はそれだけではないという。
『将来を真剣に心配している人々にとっての本当の問題は、
新しいエネルギー体制に移行するかどうかではなく、その移行が平和的で整然としたものになるか、
それとも準備にとりかかるのが遅すぎたために無秩序で暴力的なものになるかである。』
代替エネルギー問題や、省エネ技術についてもいろいろとむずかしい問題がある。
『ひとつの問題は、ある国が成熟した効率的なエネルギー経済の段階に達すると、
進歩がそこで急に止まってしまうことである。エネルギー効率の改善によって、
ある製造業者のエネルギー費用が減少した場合、
その業者はエネルギー消費量を増やして商品の生産量を増大させ、より多くの富を得ようとする。
要するに、効率改善のもたらす「配当」は、エネルギーの総消費量を削減することではなく、
生産量を増やして競争優位を維持することに使われるのである。』
省エネが即二酸化炭素排出量の低下、ということにはならないということである。
排出権取引もおなじことで、できうるかぎり減らそうという気はさらさらない。

「知って得する パック旅行の裏表」 金澤克彦 柴田悦子 清風堂書店出版部 ★★★
パック旅行がどういうやり方で安くなっているのかは、今日では広く知られるようになった。
パック旅行客をお土産物屋へ連れて行きバックマージンをとるというのが一般的だ。
ことに日本人観光客はお土産物を買うのが好きなので、かっこうのターゲットになっている。
しかしなにごとにも限度というものがあり、そこそこのラインでおさえておかないと客離れがおきる。
楽しい旅行であればリピーターとなり、不満があれば口コミでそれがひろがってゆくのだ。
旅行業者もそこのところを肝に銘じて、楽しい旅を演出、提供していただきたいものだ。
最近は研修旅行などが人気だというが、参加者のレベルは低いといわれている。
つぎのような話を聞いても、いかにもありうることだと納得することが逆に哀しい。
『子連れの夫婦。視察先に子どもを同伴させ、ある施設から「子どもが見学しても意味がないから」
と断られた。すると彼らは添乗員に「金を払っているのだから、見れるようにしろ」と迫った。』
なんだか地方の議員が視察旅行だと称してこんな発言をくりかえしていそうな気がします。
気がするだけなので、他意はありませんから誤解のなきように(笑)。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

ピンクリボン・ウォーク2010
日曜日、朝早くおきる。
習慣的に窓の外をみる。
今日もいい天気だ。
問題ない。

ピンクリボン・ウォークの会場へは早く着きすぎた。
しばらくやってくる人々をながめながら物思いにふける。

5760東遊園地

5762救護車

今回で四度目の参加。
乳がんの早期発見、早期治療をうながす啓蒙活動の一環。
もちろん女性だけがかかる病気ではない。

5764秋空

KMさんが乳がんで亡くなってもう丸七年。
二十日足らずで、そのあとを追うようにMNB島のおばさんも逝ってしまった。
いまでもふたりの笑顔を忘れない。
ときおり叱責してくれたり、あきれられたり、笑われたり。
そんな気がしていて、いまでは懐かしい感じ。

「OKNくん、おじさんを忘れとるんじゃないか」
いいえ、忘れていませんよ。
ロビーで叱られたことや、「これを食べい」と刺身をさしだしてくれたことを。

5773お昼

すこし暑いくらいの秋の日。
雨はちらっとも降りはしなかった。

丹波立杭焼陶器まつり
秋になり、行楽の季節だなと思う。
先週にひきつづいて、土曜日には「丹波立杭焼陶器まつり」へでかける。

途中渋滞があったりしたが、なんとか篠山市へ。
すでに近場の駐車場は満員であった。
しかたなくすこし離れたP-4駐車場にとめる。

しばらく待って、循環の無料バスで催し会場へむかう。
好天のせいか、見て回っているうちに汗がにじんでくる。
ふたたびバスに乗って陶の里へ。

3336陶器まつり

ここからは歩きで散在する窯元をめぐるのである。
どこへいっても中高年の元気な姿がめにつく。
いくばくかの陶器を求めては満足そうな顔している。
そういう顔をながめるのはいいものである。
しばし浮世のうさを忘れる、といったところだろうか。

せまい路地をあるきながら、見るけしきは焼き物の里らしさにあふれている。
ついなんだか魅せられて気がついたら、いくつかの包みをさげていた。

3337軒先

形あるものは、いつかは壊れる。
ということで多くの器が土へと還っていった。

壊れるものだから、またいいのかもしれない。
大事にあつかっても、壊れるときがある。
それが陶器のよさともなっているのではないか。
高分子化学でできたものとは、またちがう愛着がそこに生まれる。

湖西探索
一夜明ければ、まぶしい光が射しこんでいるではないか。
昨日の雨はまぼろしであったか、のような錯覚をいだくのである。
しかし、その痕跡は地上にしっかりと残されていた。

なつかしのメロディを聞きながら、琵琶湖大橋をわたり湖西をはしる。
空には秋が晴れわたり、車のなかはすこし暑いくらいだ。

これは、白鬚神社の湖上の大鳥居である。
(註、けっして安芸の厳島神社ではありません)

3264白鬚神社

境内はお宮参りの人々でにぎわっておりました。
ここから歩いて五分くらいのところにあるのが「鵜川四十八躰仏」。
高さが1.6mもある石仏群なのであります。
なんだかありがたさが身にしみるようでもあります。

3272石仏群

仏像というのは、石造り、木彫、塑像といろいろあるが顔が命だと思う。
その表情は見る者のこころを映しているのでないか。
ふと来し方を思わずにはいられないところがある。
これも御利益のうちであるかもしれない、とも思ったりする。

ソバの花が咲くころだから見に行こう。
白い花が一般的だが、ピンク色したソバの花があるという。
またも降りだした雨に曼珠沙華の朱が鮮やかだ。

3286マジュシャゲ

これはオクラの花だそうだ。

3285オクラ

迷いながらもやっと見つけた蕎麦の花がこれだ。
(蕎麦屋さんできいてみたが、味などちがうのかわからないということだった)

3316ソバの花

帰りにピエリというショッピングセンターで女性陣は買い物。
男ふたりは待合のソファで、つかのまの夢にまどろむ。
秋の陽はつるべ落とし、というがごとくに時がすぎる。

さあ、また元気だして頑張っていこうと思う。
お世話になったNSH夫妻に、感謝感激雨霰であります。
次回は神戸周辺でいろいろと探索してみようではありませんか(笑)。

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

信楽の里
でかける一週間前から天気予報が気になっていた。
土曜日からは下り坂らしい、まあいつものことなので驚きはしない。

だが、いちるの望みをすてさったわけではない。
しかし、前日の夜半から聞こえてくる雨音にその願いもすっかりけしとんでしまった。
朝、眼がさめてからもやはり雨は降り続いている。
おまけにどうしたことか出発時間を一時間勘違いしてしまった。
ということでこんどは、高速道路での渋滞にまきこまれてしまった。
スイスイと走れば一時間余のところが、三時間もかかったのである。

やっぱり雨が降ったねという笑い顔で迎えられ、いざ信楽の里へ出発進行。
この天候なので訪れる人も少ないだろうとの予測はみごとに外れた。
駐車場には入りきれずに、係員に誘導され臨時駐車場となった道路にとめる。

5752信楽たぬき

それでも傘をさしながら、陶芸の森で即売会場をみてまわる。
ときおり強くなる雨のなか、これはいいね、安いわねなどと袋が増えていく。
芝生は水をふくんで、靴にもじんわりとしみこんでくる。
もうこのへんでおしまいにしようと会場を後にした。

5757信楽の壺

昼には蕎麦をたべて、登り窯の見学にいくことにする。
今年になってきれいに修復、復元されたものであるとか。
雨音を聞きながら、日本六古窯のひとつといわれる地で時間がとまる。
(あとの五つは、瀬戸焼、常滑焼、越前焼、丹波立杭焼、備前焼)

5751登り窯

5754信楽焼

帰りに温泉につかって、あ~きもちがいい。
雨のせいか冷えたからだには、ことさらに温かい湯がこころよい。

NSH家にもどって、夕餉の宴のまじまりである。
おでんの鍋をかこみつつ、話に花がさき夜はふけてゆく。
こうした時間をあとなんど過ごすことができるのだろうか。
としみじみと思う間もなく、いろいろと女性陣ふたりにつっこまれるのである。
援軍のはずのご亭主は、すっかり疲れて眠っていたのでありました。

(部屋を飾るワイヤーワークスのうち、わたしはこれに最高点をいれる)

3259時計

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

続・本棚考
いまでは本を買うこともほとんどなく、図書館で借りるという生活なので本棚はもういらない。
というようにものごとは単純に成り立たなくて、いつかは本棚の森で生活をとなんとなく考えたりする。
生活スタイルはその背景が変われば簡単にモデルチェンジできる、というのがわたしの立場だ。
いま部屋にある本は、一〇〇〇冊をこえた位(?)だろうから、まだまだ増えても問題ないはずだ。
本以外にとくに欲しいものはなし、といって潤沢な小遣いがあるわけでもないのだではあるが。
しかし、質素ななかにもひとすじの夢をみいだせるような生活でなければ、詮無いことだと思う。
などと考えるが、いちどついた生活習慣はなかなか変えられないというのもまた事実であるから困る。

5724続・本棚考

「無理」 奥田英朗 文藝春秋 ★★★
「湯田」「目方」「野方」という三つの町が合併してできた東北地方「ゆめの市」が舞台である。
社会福祉事務所勤務の公務員の相原友則、東京の大学へ進学して町を出ることを夢見る久保史恵、
インチキな訪問販売の職につく元暴走族の加藤裕也、新興宗教に生きがいをもとめる堀部妙子、
そして親父の代からの地方議員をしている山本順一たち、男女五人のおりなす人生模様である。
公務員もそれなりの不満があり、ときにそれあきらめにもつながっていく。
『公務員は、やる気のある人間には底なしの激務だが、一旦割り切る術を持つと、
いくらでもらくをすることができる。おまけに仕事をしなければ失点もなく、昇進に響くことはない。』
地方議員の利権は我慢することによって得られていることも多いが、ストレスももちろんある。
『古くからの商店は、市会議員をつかまえては生活の窮状を訴えてきた。
その多くは経営努力もせず、企業の横暴だと泣き言を言うばかりだった。
味やサービスで勝負する気はないのかと、有権者でなかったら怒鳴りつけたいところである。』
そんななか女子高生の久保史恵はオタク青年にさらわれ、自宅離れに軟禁されてしまう。
終盤に彼らは一本の糸に引き寄せられるように、ある交差点へとむかうことになるのである。
しかし、あの伊良部シリーズを読みたいという願望をおさえられない、もう無理である。

「成人病の真実」 近藤誠 文藝春秋 ★★★★
成人病のことをいつのまにか生活習慣病というようになったのには、なにかわけがあるのだろうか。
(生活習慣をあらためれば病にかからない、つまりはあらためないあなたが悪いのだとでもいうのか)
日本では最近、医は算術なりの傾向が強まってきた印象をぬぐうことはできない。
『猿は木から落ちても猿ですが、医者は患者がいなければ権威であってもただの人です。診療、研究、
教育、医学界における地位や官庁との関係など、すべての面で患者数が力の源泉になります。』
そういえば高血圧、メタボリック、などいつのまにかその判定ハードルをさげ、多くの患者を増産してきた。
医学的な試験論文、科学的な検証にたえうる根拠もないままに官民一体となって推進してきた。
これはまあ、患者数が減れば収入の低下をまねくことになるのだから、との知恵だろう。
ここにきて健康診断(日本独特のものらしい)の強制的な実施も目にあまるものがある。
個の尊重というわりには、個々人の判断によって受診する体制がなぜできないのか不可解である。
これもあまたある外郭団体の雇用確保の一環なのであろうかと勘繰りたくもなるのである。
未破裂動脈瘤を発見するべく最近流行りの脳ドックについてもこう述べられています。
『欧米の五三施設が共同で研究した、未破裂動脈瘤をもつ二六二一人の結果が報じられたのです
(「N Engl Med」三三九巻一七二五頁・一九九八年)。
それによると、脳ドックでよくみつかるような、一センチ未満の動脈瘤の年間破裂率はわずか〇・〇五%。
これだと、二〇年たっても破裂率は一%。論文が世界で一位、二位を争う総合医学雑誌に掲載された
こともあり、世界中のメディアが取りあげ、ニュースを聞くや手術を断った患者が多数いたようです。』
破裂率一%なのにわざわざ手術の危険をおかそうという人は、よほど手術好き人間だということになる。
ではなぜ日本では脳ドックが諸外国に比して普及していっているのか。
『じつは脳ドックは、日本だけの現象です。
世界最初の脳ドックは札幌の脳外科医が開設したのですが、
未破裂動脈瘤を発見したら何とかなるのではないかとの期待感が存在しただけで、
発見して手術したら利益が害を上回るというデータ的根拠はなかった。
根拠がないのに普及したのは、日本に脳外科医が多い事実と無縁ではないでしょう。
日本の脳外科医は約五〇〇〇人。人口が倍の米国には三二〇〇人しかおらず、人口比三倍です。
それでは無症状の人を検査して、患者を一人でも増やしたくなろうというものです。
そのように脳ドックが失業対策であるならば、脳外科医のがわから廃止する事態は考えにくい。』
では、われわれはどうして自分の身を守ればいいのか。
『これからはセカンドオピニオン、サードオピニオンを得ることを是非習慣としてください。
そして蛇足かもしれませんが、「医療なければ被害なし」という言葉も日々反芻されるとよいでしょう。』
薬の服用もおなじことである、ということをも肝に銘じておきましょう。
高血圧、メタボリックだといわれている方々に告ぐ、この本を是非ご一読ください。

「虫のフリ見て我がフリ直せ」 養老孟司、河野和男 明石書店 ★★★★
いろんな本、対談などを読んでいて、いつも養老先生はハッと気づかせてくれる。
今回もドーキンスの利己的な遺伝子についてなんだか釈然としなかった思いもこう切りとってくれた。
あ~なんだあの話はそういうことだったのか、とわかった気(!)にさせてくれるのである。
『ドーキンスは頭の中だけでやってますよ。
僕が最初に反論したのは、彼は「個体は全部滅びるけれども、
遺伝子は進化の過程でずっと生き延びてきた。
だから、遺伝子は個体というビークル(乗り物)えお利用している」と言うでしょう。
お前、そんなこと言うけど、進化の過程で一切滅びていないものがもうひとつあるじゃないか。
それが細胞です。はじめから遺伝子という「情報」と細胞というシステムはセットでしょう。
それをドーキンスは最初から細胞のほうを消してしまっている。
「個体」という言い方をしているけれど、個体というのは実は細胞で、
その細胞は一度も滅びていないじゃないか、と彼に言わなければいけませんよ。
「乗り物」でもなんでもない。まさにエキヴァレント(等価)ですよ。両方なければ成り立たないんだから。
だからウィルヒョウが19世紀に言ったんですよね、「すべての細胞は細胞から生じる」って。
ここをまずドーキンスは落としている。だからああいう比喩で語れたんですね。
そこを考えると「細胞って何だ?」という話になり、
たちまち生物のややこしさが全部そこに詰め込まれていることがわかるわけです。
細胞をわれわれはまったく作ることができない。細胞に近い、モデルとしての細胞すら作れない。』
こうした論を聞いた後では、虫もなんだかちがってみえるのだ。
ちいさなカメムシであろうとも、自然の驚異にみちた精巧なすがたで崇高でさえある。
最後に養老先生はこんなことも言うから、おもしろい。
『僕の先生も偉い先生で、ときどき「真理は単純だ」とおっしゃる。
僕がいつもおなかの中で用意していたのは、「事実は複雑ですよ、先生」(笑)。』
さもありなん、である。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

品のないヒト
すこし前に「国家の品格」という本がベストセラーになった。
このことは品格が低下していると考える人が多くなったということを反映しているのだろう。

ふだんの会話では、品がいいとか品が悪いといった。
ときには、品があるねえとか品がなさすぎる、と品評することもある。
いまでは、死語になっているのかもしれないが、聞けばなんとなく意味はわかる。

やんわりと批評するのに、品の良し悪しで判断することが多かった。
品は能力や、ましてお金持ちであるかどうかには関係がない。
どちらかといえば、その人間の倫理意識、価値観が問われているわけである。

品のいい人は、でしゃばらない。
なにごとも鷹揚にかまえて、さてあなたはどうされますか、という態度だ。
つまり相手の自主性にまかせるというか、まず信頼するを基本とする。
絶対的な原理、立場からものをいわない、ということだ。

逆に品の悪い人は、なにごとも功利的に考えるということだ。
すべてに得か損かという態度をとるのは、ある意味わかりやすい。
そのわかりやすさをもって、その主張がしばしば是とされる。
だがその視線の先は存外に遠くをながめてはいない。
いわゆる目先にとらわれているのである。

だから品の悪い人間は、他人も金で動くと確信している。
自分が金で動くところから、そう思うのである。
人が他人を批判するとき、たいていは批判される立場に身をおいたことがある。
でなければ、なかなかそういう批判の眼をむけることはむずかしい。

5586GAP.jpg

品が悪くてどこが悪い、という開き直りの立場もあることはある。
じつは品が悪くてもいっこうかまわない、とわたしは思う。
キリストを、ムハンマドを信じてなにが悪いのか、と同程度にそう言える。

危ないヒト
展望台に柵をめぐらして、この付近に近寄っては危険ですと書いてあったりする。
事故が起きて責任問題になったときのために、という考えからだろうか。

いろんな観光地やら学校など、あちらこちらにこういった掲示がある。
いつごろからこういうふうになってしまったのだろうか。
これでは逆に無責任というか、個人の責任感を育てないようにというかのようだ。

考えない、無批判な、責任転嫁する人々をはぐくむ施策なのだろうかと疑う。
とにかく、ああしてください、こうしてください、ご注意くださいといたるところで聞いたり見たり。
そんなこと常識だろうがと感じるのだが、常識が変わってきているのだろう。

世界標準などといって、都合のいいところだけ真似ようというのは日本人の得意分野だ。
しかし、危ないか危なくないかは、経験してみないとわからないこともある。
なんどかヒヤッとした体験はだれにでもあるだろう。
そのすべてを事前に察知し、芽を摘むようにしようというのだろうか(不可能だが)。

3191龍

これは、世にいうマニュアル化というものと似ている。
しかし、現実はかならずしもマニュアルどおりにはならない。
だから、つねに新しいマニュアルがうまれてくることになる。
しかもますます些細な手順が羅列された意味不明のマニュアルができてくる。
(事故があると、事故防止のマニュアルを示せというのが流行である)
(おおきな組織にはマニュアル作成課というのがあるのかもしれない)
(あるいは、役所なら天下り先がその業務をになってもいるのだろうか)

「それは危ないことだからしてはいけません」
「わかった、しない」

こういう賢い(?)子どもは、かならずまたするだろう。
どう危ないか自分で探究しようと思うからである。
あるいは、危ないという実感がわいてこないから繰り返すのである。
その場合、おうおうにしてより危険な目にあう可能性が高い。

危ないからと、ナイフでの鉛筆削りをやめさせたり、
川で泳ぐのは危険だと、柵をめぐらせて近寄らせない。
こうしたことで、その危険からは一時的にのがれることができるだろう。
しかし、これから遭遇するいろんな危険に対処するという能力を奪っていないか。
危ないことをやらせないことが、危なさを知らないこどもにしている面がある。

そういう危ないヒトが増えている、と日々感じるのだ。

本棚考
本を買って読むのはいいが、増えてくるとどうしても収納する書棚が必要だということになってくる。
学生のころに大学生協で買ったスチール製のものをつかっていたが、それだけでは足りなくなってきた。
前面にスライド式の棚があるのを買って、収容能力は増えたのだが、固定式の棚板のところが不満だ。
いれる本のサイズによっては、上にずいぶんと隙間ができてしまいなんだかもったいない気がした。
そこで、ついその空間にも本を寝かせた状態で、はいるだけ詰めこんだりしたものだった。
だから、収容冊数というのはどういうふうに決めているのかはなはだ不可解なのだ。
いま部屋には、スライド付が三つ、スチール製が一つ、文庫・新書専用(?)のキャスター付が二つある。
壁面いっぱいに本棚がある部屋を写した写真など雑誌で見ると、もうそれだけで倒れそうになるのだ。

5723本棚考

「センチメンタル ダイエット」 高橋秀実 アスペクト ★★★
ダイエットときいて思いうかべるのは、甘いものを食べながら、やせたいという女性たちだろうか。
やせたいなら食べなければいいというのは、悩める女性の実態を知らない唐変木のことをいう。
ダイエットとは、微妙な女性の心理をうかがい知ることができるキータームなのかもしれない。
『やせれば美人。とは妻の口癖だった。』
本人にももちろんわかっているが、そう言うことによって、現在の自分を納得させている面もあるのだ。
『ダイエット法は、なぜこんなに氾濫しているのだろうか。
こう次々と新ダイエット法が繰り出されては、やるほうも落ち着かないのではないか。
それに「ヤセた」「奇跡の」「最後の」「リバウンド知らず」「常識が変わる」
などの謳い文句も同じで、ほとんど区別がつかない。
なんでも手軽に簡単にできるかのような言い回しも、気合いの足りない証拠である、と私は思った。』
だが、ダイエット特集を組めば雑誌が売れるのだ、というのが出版社の意見である。
そう確かにやせたという芸能人も、いつのまにか元の黙阿弥になっていたりする。
だけどやせていたときよりも、もとにもどったときの表情がなんだかほっとしているようにも見える。
それに、やせて皺が増えるより、ふっくらと肥って肌にはりがあるほうがいい、などという意見もある。
読んでみて、ほんとうにやせたいのかどうか、わからなくなってきたことは事実である。

「まれに見るバカ」 勢古浩爾 洋泉社新書 ★★★
世のなかにはどうしてこうもバカが多いのかと嘆きながら、バカを分類してみせる。
ではバカとはどう定義される者かは、筆者なりの説明がこうある。
『本書で「バカ」呼ばわりするバカは自分だけが後生大事の「自分」バカのことである。
自分が正しいと信じて疑わぬバカ、自分から一ミリも外にでようとしないバカ、
恥を知らないバカ、自分で考えようとしないバカ、のことである。
すべてのバカはこの「自分」バカに通じている。』
バカはバカを自覚していないというわけですな。まあ、だからバカだということもいえるわけである。
人畜無害のバカなるものは定義上存在しない、ともいうわけだ。
『ところが中年にかぎらず、若い男にも、女を最初から見下している男が多い。
だれかを見下すヤツは、かならずだれかにへつらうヤツである。』
見下すという心理は、見下されているという感情と表裏いったいだろう思う。
差別する者は差別されている者であり、虐待されると虐待するようになるということだろうか。

「冬眠の謎を解く」 近藤宣昭 岩波新書 ★★★
いつだったか人間の体を冷凍保存し、未来への時間旅行を可能にする計画があるとニュースになった。
実際はそう簡単にはいかずにいつのまにかその話題も立ち消えになったようである。
これはまさしく動物界にある冬眠という現象を念頭においていた研究ではなかったろうか。
筆者は長年冬眠の研究者として活動してきたその成果を、生物学的意味を本書に書いている。
では、冬眠って活動を停止して、ほんとうに一時的に眠っているだけなのだろうか。
『冬眠中の低体温状態は、冬の数カ月間連続して続くわけではない。
冬眠期間中に定期的に覚醒が訪れる。一定期間の低体温状態が続いた後では必ず覚醒する。』
やはり生きているとおなじ活動もしているのだ。
『一九八〇年には、冬眠中に発癌物質で皮膚に癌を発生させようという実験が行われたが、
癌どころかその前段階の皮膚組織の変性も起こすことができなかった、と報告されている。
さらに、冬眠中に細菌感染を起こそうとした実験では、致死量の真菌を体内に投与したにもかかわらず、
何の障害も起こさず冬眠を続け、冬眠から目覚めたときには、体内に真菌は見当たらず、
もちろんその後も体には何の異常も起きなかったという。』
ただ活動を停止しているというのではない冬眠という現象は、まだまだわかっていないことが多い。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

秋鮭到来
クール便でおおきな発泡スチロールの箱が届いた。
差出人を見ると、北海道のMだった。

送り元は稚内から南へ下ったオホーツクの海に面する枝幸町からだ。
Mの生まれたところときいている。
どんなところかいちど行ってみたい気がするなあ。

さて、開けてみるとそこには立派な鮭の片身がふたつ。
台所でふたりして冷凍保存するために悪戦苦闘(?)する。

5718秋鮭

5720重い

これで今年中の鮭の消費量は確保できただろう。
さあ、どういうふうに料理して食べるか、が問題だ。

だが、やっぱり鮭は塩焼きでしょう。

5721塩焼き



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遠くに眺めるのも好きです。
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