ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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メジロの挑戦
庭においたミカンにはメジロとヒヨドリがやってくる。
どうしても見た目メジロがちいさくてヒヨドリは悪者になってしまう。
で、ヒヨドリをミカン争奪戦から排除するべくかごをつくってそのなかにいれた。

ミカンがあることを憶えたのか、メジロがよくやってくる。
大きな目のせいでかわいらしい感じがする。
(これはヒトのこどもや女性もおなじだ)

3645カゴの中のメジロ

ときに二羽でやってもくる。
すると一羽が見張りで、もう一羽がミカンをついばむ。

だがときに半分に切ってあるミカンが裏返しになってしまうのだ。
気がつくと庭におりて、ひっくり返したりしていた。

ところが、あるとき庭にきた二羽のメジロのようすがおかしい。
なんとかごの底にぶらさがってミカンをつついている。
懸垂状態で、上にむかって懸命にミカンを啄ばんでいるのだ。

3722逆さメジロ

3724疲れるメジロ

なんだか頭に血がのぼってふらっとしているように見えた。
いつもはほほえましく思う小鳥の姿にどきっとした。
生きるってどんな生物でも大変なんだなあと思う。

しかし、なかなか賢いではないか。
ヒヨドリくんはちょっとからだがおおきくて無理かもしれない。

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テレビの見方
どこの家庭でもそうなのだろうか、とふと思う。
テレビのチャンネルを変えるときのことなのだが…。

なにかおもしろい番組はないかとチャンネルを次々に変えると、いつもかみさんから叱責をうける。
「どうして番組表を見ないの?」と。
「だって、もごもご…」ということになってしまう。

「あのねえ、番組表を見たって内容までわからへんやろ」
「わかるように書けるんやったら、視覚に訴える必要あれへんやんか」
「そやから、実際に見ながら判断してるんやないか」
とは決して反論(いいえ、言い訳でした)しないのだが、内心納得がいかない。

というのは、いつも電化製品など取扱説明書など読もうとはせず、かみさんはあれこれスイッチをいじる。
なにがしたいのか、読んだらもっとよく分かるのではというと、じろっとにらむ。
まるで小中学生のゲーム操作とおなじような感覚なのだ。
(でも、それでけっこううまくやっているから不思議だ)
(それに対応するべく機能強化されているということなのだろうか)

なぜ、テレビのチャンネルにだけそう言うのだろうか。
いつも考えるのだが、これといった解釈が思いつかずに煩悶するのである。
別にテレビなど見なければ見ないでいいのだ。

よく言うわ、テレビを見だすとこっちの話など聴いてないじゃないの。
とおっしゃいますが、見入っているときに限って話しかけてくるのはどういうことだ。
とこれまた不可思議な思いにとらわれてしかたがないのである。

3612南天の実

ボーン・トウ・ビー・リード
ずいぶんとながいことブログを書いていなかったが、本はまあなんとなくすこしは読んでいたわけです。
ということは必然的に読書感想文を書く気がしなかったので、たまりにたまってしまっているのだ。
あらためてなぜ本を読むのかなあなんて考えたりするのだが、ヒトひとりの考えなんてしれているということ。
これはああだこうだ、と言いあう(読書しつつそういう感覚に)のがなんだか楽しくて生きてる感じなわけだ。
やっぱり自閉的なのかなあとも思うが、そんなことはだれにでもあるものなのだから気にしないでおこう。
それよりいろんな考えの人がいるってことに感嘆したり、ときに嫌な奴だと思ったりだが、それがまたいい。
つくづくそう考えるのだが、世のなかにはそうは思えずテロにはしる人たちがいてなんだかやるせない。

3549霧中山脈

「環境を知るとはどういうことか」 養老孟司・岸由二 PHP新書 ★★★★
小網代の湿地を護る運動を続けていられる岸氏と養老先生の対談だが、実際に歩いているのがいい。
巻頭のカラー写真をながめているだけで、なんだかゆったりとした気分になれるのである。
自然保護の運動とはいうが、その立つ位置はそれぞれの人によりちがっていることがわかる。
地球環境もどういう視点でとらえているかによって発言することも異なるのは自然のなりゆきだ。
岸氏はこう考えているのだ。
『小網代や鶴見川を理解する場合にも、氷河期の十万年というスパンで考えないと、
今何が起こっているかを正確に把握することはできません。
温暖化の危機が叫ばれていますが、氷河期のリズムからいうと、今から六千五百年ぐらい前に
すでに暖かさの頂点を通り過ぎていますから、今はむしろ寒冷期に入っているのです。
あと八万年もすればもう一回大氷河期が来るという推定もあるくらいです。
今はその少し寒くなっているところに、
おたんこぶを上乗せするような温暖化が起こっているというわけですね。』
百年、二百年、あるいはここ二、三十年のことで気候のことをなかなか論じられないのはあたりまえ。
自然保護運動についてもこんなことをおっしゃるのが、なるほどと思う。
『(「かながわトラストみどり財団」は)一九九〇年から数年の間に、四〇〇〇人ぐらい会員が増えました。
神奈川県知事はこれにいちばんびっくりしたようです。
署名が一〇万を超えようが二〇万を超えようが、行政にとってはちっとも怖くないんです。
でも、お金を出す人が千単位で集まるとさすがに注目してくれる。』
自腹(?)を切らない署名活動って、おぼえがあるが義理やつき合いですることが多い。

「月とメロン」 丸谷才一 文藝春秋 ★★★
国会にも多くの委員会があるのだが、丸谷氏にそれについて語ってもらうとこうなる。
『委員会についてはあのケネディ大統領の名言があって、これは『マーフィーの法則』に載ってゐる。
「委員会とは、1人分の仕事をしている12人のことである」
もうひとつ、その下についてゐる、カービーとかいふ人の台詞もよかったなあ。
「委員会とは、脳はないが、胃袋は12ある唯一の生き物である」』
デズモンド・モリスの卓見など紹介されているのですが、これがおもしろい。
それはゲイが見知らぬゲイをどう見分けるのかということについて。
『たとえば、同性愛の男性は、グループ特有の動作を示す。

同性愛の男性は、わざと女性らしい行動をしていると考えられがちであるが、
正確にはその動作は女性的ではない。
それは女性に同化しているのではなく、同性愛の男性に同化しているのである。』
これなど、他のいろんなことにも適用できるのではないか。
生来のといわれていることの多くは、実はこのモリスの説明のほうが的確だと思う。

「密室」 マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 角川文庫 ★★★★
スウェーデンを舞台にするマルティン・ベックのシリーズも未読書が残すくなくなってきた。
ミステリでありながら、スウェーデン社会を書くという夫妻の考えはいたるところにみえてくる。
事件の謎解きだけではなく、現実の国家のなかでの出来事としてストーリーは組み立てられる。
『きわめつきの犯罪者は、あらゆる事象を利潤獲得の手段にする。
環境と人口を汚染しておいてから、怪しげな薬品でその損害をつぐなうふりをする。
全都市部を意図的にスラム化しておいてから、区画整理して、また新たなスラムを建てる。
むろん、新たなスラムは古いスラムより健康に有害であることが判明する。
が、ともかく、きわめつきの犯罪者はめったに逮捕されるものではない、という点が肝心なのである。』
犯罪者というのは警察のやっかいになる者だけではないのはどこの国でもおなじだ。
ある意味では政治家や企業家のほうが社会に害する犯罪者になる可能性がおおきいかもしれない。
で残る本シリーズも二冊となり、いくばくかの寂寥感(コブクロの歌詞みたいだ)が漂ってきた。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

還暦の誤解
干支に関することで、よくいわれる還暦については誤解している人が多いようだ。
それが気にはなっていたのだが、ちょうど高島俊男さんの本を読んでいてよくわかる文章をみつけた。
すこし長いが、ここに書きだしてみよう。

3585屋根の雪

『昔は一般に人の寿命が短いから、ある干支の年に生れて、同じ干支の年を生きて迎える、
というのは長命の部類に属する。まことにめでたいことである。
数え年では、生れた年が一歳だから、つぎの同じ干支の年の正月には六十一歳になる。
これを、暦がひとめぐりしてもとのえとにもどる、という意味で「還暦」(こよみがもとに還る)と呼ぶ。』
(十干と十二支の組み合わせ、つまり干支が六十通りあるということです)

ここまではまあなんとなく分かっていることなのだが…。

『この還暦について、「今度誕生日が来れば還暦だ」などと言う人があるが、
これは誤解、はっきり言えば無知である。
干支と誕生日とは何も関係がない。暦がもどるのはその年の一月一日なんだから、
元旦の朝があけた時から、その年一年間が還暦の年なのである。
誕生日を基準にすると、たとえば十二月生れの人は、
その年の十二月にならないと還暦に達しないことになってしまうが、そうではない。
こよみがもとにもどった正月の初めから還暦の年なんだから、まちがわないようにいたしましょう。』

還暦とは六十一歳になったときと、うろ覚えだったのだがこれですっきりしました。
六十一歳というのは数え年でいうとそうだ、ということだったのですね。
数え年というのは、生れた年が一歳で、それから正月が来る(年が変わる)ごとに年齢をとるわけだから。

今年は辛(かのと)卯(う)ですから、昭和二十六年生れの方はお正月から還暦です。
ご長命おめでとうございます(笑)。


3604雪景

ついでに恥ずかしい例も載っていたので自戒の意味で参照しておきましょう。

『右に書いたあと、ちょうどあるところで、ある人が左のごとく書いているのを見かけた。
あるところというのは『みやびブックレット』という小さな雑誌の二〇一〇年春号、その「60代の挑戦」特集の
「六十歳は二十歳だと考えてみよう」という題の文章である。書いているのは三田誠広という人である。
 <人間にも、走行メーターのように、ゼロに戻る指標がある。還暦と呼ばれるものだ。
 満六十歳に達すると、エトが生れた年に戻る>
「満六十歳に達すると、エトが生れた年に戻る」と言っている。
つまりこの人は、誕生日が来るごとにエトがかわる、と思っているらしい。
そうすると、その年の誕生日前日までのエトは何なのか。旧年のエトがつづく、と思っているのか。
いや、どう思っているのでもあるまい。要するにこの人は、エトというのが何なのか、何も知らないのである。
知らないなら書かなければよいのに、得々として書いている。
いったいこの三田というのは何者かと思ったら、文末に「作家」とあった。』

 ※以上引用はすべて、「お言葉ですが… 別巻3 漢字検定のアホらしさ」 高島俊男 連合出版より

3589雪木立

小寒
昨年の十一月末からなんだかんだあってすっかりブログを書いてなかった。
人生長くすごしているとあたりまえのことなのだが、いろいろあるさ、なのだ。
これが恋愛沙汰であれば艶っぽいのだが、そんなことのあるわけがない。

いつのまにか年が明けて今夜はすこし雪が舞っている。
数日前には日陰に雪など残っていたがおだやかな陽もさしていた。

すっかり葉の散ったモミジの木に切ったみかんをおいておく。
どこからともなくメジロがやってきて啄ばんでいる。
そんな平和な時間もながくはつづかない。

3622メジロ

やがてヒヨドリがやってくると、メジロは退散する。
わきの枝にとまりながら、ときおりの音に首をあげて警戒している。
きょろきょろと常に用心しながら、それでもみかんをつっつく。

3635ヒヨドリ

そんなようすをそっと二階の窓から観察するのである。
ときにそっと望遠カメラで撮ったりもする。

鳥たちがつついて落としたみかんは、庭にでてまたもどしておく。
日がなそんなことをして一日をすごす。
なんだか生きているって、そんなことかなと思わないでもない。

3584瓦



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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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