ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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沖縄本島紀行(一)ホテル編
寒いのは嫌だ、といつもかみさんは言っている。
そんな折に、阪急旅行社からのメイルで格安沖縄旅行のご案内がきた。
じゃあ、行ってみようかと内心の不安をかかえながらも申し込んだ。
(以前、八重山諸島へ一月に行ったら寒かったのだ)

三泊四日で、レンタカー付(ガソリン満タン返し不要!)ということだ。
ホテルも自由に選べて、一人33400円なり。
今回乗った車は日産キューブ、沖縄では数多く走っている「わ」ナンバーだ。

3820レンタカー

出発日は二月二十日で、帰ってくるのは二十三日という旅程に決める。
ああだこうだといろいろ考えて、ホテルを選ぶ。

で結局は、一泊目は「ホテル日航那覇グランドキャッスル」(朝食付)。
那覇着が17:30と遅くおまけに日曜日が災いしてか、レンタカー会社の営業所までが大渋滞。
ほとんど停まっているという感覚で、かれこれ四十分ちかくかかっただろうか。
(帰りのときに時間をはかったら、八分しかかからなかった)
慣れない夜道を車でやっとホテルに着いたらもう八時前になっていた。
ホテル自体は古いようだが、まずまず部屋も狭くなくホテルマンも感じがいい。
(ホームページでみたら、泊まった部屋はデラックスルームだった)
部屋まで荷物を運んでくれた男性はどこでも最近は多いが東南アジアの方だった。

5923日航那覇ツイン

5930日航那覇窓外

5928日航那覇キー

3813日航那覇玄関

二泊目は恩納村にある「沖縄かりゆしビーチリゾート・オーシャンスパ」(朝食なし)。
小高い丘の上にあり、ながめがいい。
海の色は、南国らしくコバルトブルーというのだろうか。
部屋も広くて、色あいがシックで落着ける感じである。
(ホームページでは、オーシャンタワーツインとなっていた)
オフシーズンのわりには宿泊者も多く、なかでも若い人たちのグループがめだつ。
若者たちも料金の安い時期をねらっての旅行がじょうずなんだなと思う。

5953かりゆしビーチツイン

3879かりゆしビーチ眺望

5974かりゆしビーチキー

3881かりゆしビーチ廊下

最終三泊目は沖縄市(コザ)の「東京第一ホテルオキナワグランメールリゾート」(朝食付)。
こちらはやはり丘の上にあり付近に住宅が多くあり、駐車場がやや手狭だ。
泊まった部屋は広さ的には問題なく、まあ合格点というところか。
(ホームページでは、実際とは色調がちがっていたがスタンダードルームらしい)

5977オキナワグランメールリゾートツイン

5980オキナワグランメールリゾート眺望

5979オキナワグランメールリゾートキー

5981オキナワグランメールリゾート外観

全体的にグレードの低いホテルはなく、オフシーズンだからこの値段で泊まれる。
ホテル業界はものを売るのではないから、稼働率をあげないと苦しい。
空室にするよりは、安くても泊まってもらったほうがいい、という考えだろうか。
なかなかに厳しい現実をみたが、利用客からすればここがねらいどころということになる。

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テーマ:沖縄 - ジャンル:旅行

早春紀行(二十)出会いは突然に
 そろそろ夕食の準備の時間になってきた。みんなも思い思いにその場をさっていった。
ぼくも台所を出て、ホールのパイプ椅子に腰をおろした。
周囲での楽しそうな会話が聞えてくる。ざわざわと音が高くなったり、低くなったりしている。
波打ちぎわに佇んでいるような、そんな錯覚にも陥りそうだ。眠気もおそってくる。
倉敷の高校生のK君もやって来て、ぼくの隣にすわり、あたりを見回している。
別に話すでもなく、のんびりと隣りあっていた。
都会の雑踏のように人が行き交う。窓の外でははやくも陽が傾いてきた。
そこへDさんがやってきた。
「やあ、ひさしぶりだね。元気にしてるの」
「ええ、おかげさんでなんとかやってます」
「ところで、今日のミーティングはどうする?」
「どうするって、どういうことですか」
「司会をどうするかってこと。二人で半分ずつやろうか」
「そうですね。どうせ、おじさんの話は遅くなりそうですしね。ぼくはいいですよ。
それじゃあ、ぼくが最初にやりましょうか」
「いやあ、後はやりづらいなあ。やっぱりぼくが最初にやるよ。
後半をやってくれないかな。それでいい」
「どちらでもいいですよ、わかりました」
「それじゃあ、後でゲームはなにをするか教えるね」
「べつに、いいですけど」
「そう言わないでよ。いまから計画を立てるから」
そう言って、Dさんは白い紙を前にして腕組みをした。
Dさんは東京の大学生だった頃からユースホステルをつかって旅をしたらしい。
田舎が三重県の志摩地方だと聞いたように記憶している。
ゲームなどもたくさん知っていた。指導者講習などにも行ったのだろうか。
 肩ごしにのぞくと、番号をふった横に次々と曲名、ゲーム名を書いている。
ぼくもよく知っている「ギッチョンチョン踊り」や「チェッコリサ」の字が見える。
彼の動きはどこか怪しげである。日本舞踊のようで、そうではない。
ダンスかというと、それもしっくりこない身体の動かしようなのだ。
眼を閉じると彼の声と動きが思いだされ、ついしらず頬がゆるんでくる。
独特のイントネーション、東京の人とも思えない野暮ったさが、逆に安心感をあたえてくれる。
がっちりした身体からは想像もできないような、やさしい話し方をする。
すこし鼻にかかった声が、耳の底に残っていた。
 Dさんの司会は正統派である。ぼくにはとても真似ができない。
また、真似をする必要がないことも知っている。ぼくにはぼくの方法が、考えがあった。
なにも考えていない訳ではないのだ。いろいろと考えているのだ。
ただ、彼のようにきっちりと事前に進行表を作るようなことはできない。
大きな枠が決まっていれば、それでいい。そのとき感じることを話したいと思う。
性格の違いもあるだろうが、ぼくと彼ではミーティング感がちがっていた。

 ぼくがそんなことを考えていたとき、視野の片隅をよこぎる人がいた。
胸がどくんと脈打った。なんだか坐っていられずに、その場で急に立ちあがった。
ハッと気がついてすぐに座り直したが、頬が火照ってくるのがわかった。
 ぼくが見つけたのは、ボブヘアーの高校生らしき女の子だった。
スリムのブルージーンズにグレーのプルトップ・セーター姿、若さが息づいていた。
ベラドンナの瞳にとらえられたかのように、ぼくは魅せられた。身動きもできない。
脳裏に残像がゆれるなかで、ただ呆然と遠ざかる後ろ姿を見つめていた。

5225三虎に咲く花

早春紀行(十九)美人談義
「まずやな、ぼくは美人が無条件にすばらしいとは思っていません」
「そんなの当然のことやないの。いまさら言うこととちがうわ。でも、なんか嘘っぽい」
「それって、美人が嫌いってことなんですか」
「美人が好きとか嫌いじゃなくて、もっと別の観点から女性を見てるということです」
うん、これならいいのじゃないだろうか。
「人のすばらしさって、見た目じゃないとも思うんですよ。
たしかに第一印象ってのは、姿形から入ってゆくのでしょうけれどもね。
なにが美しいのかは、姿形にはないんですね。美しいって思うこころがないと、美は存在しない。
だから、ぼくはこころを重視しています」
懐疑的なまなざしで、こう切り返してきた。
「ふ~ん、でも見た目じゃないともの、ともが、なにか引っかかるわね」
「それにね、しゃべりかたが関東弁になってきたときは要注意なんですって。
きっとなにかよからぬことを企んでるか、策略をめぐらしている兆候らしいから」
なかなか手厳しい。
「困ったなあ。ぼくは緊張するとことばが変になるんです。
人を外見で判断するというのは、美人を優遇するとかというのとは違うんです。
外見にはその人の内面が反映している、と言えるのじゃないかと…」
ぼくのことばが終らぬうちに、反論がきた。
「やっぱりね。なんのかんのといっても、男の人って結局は美人が好きなんよ。
お兄ちゃんもおんなじやね。きれいな人の前やと、でれっと鼻の下をのばすのよね。
そしてなんやかやと世話をやいたり、チヤホヤするのよね、きっと」
確かにその傾向がないとはいえない。
「その傾向は男子一般にたしかにあると思います。これは素直に認めます。
でも何度も言うようだけど、それだけじゃあないんですよ。
それに、そんな状態は長くは続かないと思うよ。馬鹿な男じゃない限り、ね」
(でもきれいな人って、本当にいるもんな。今朝みたいな人もいるから、問題は複雑やで)
「そらそうやわ、でも世の中馬鹿な男が多いのも事実なんよね。
私なら男を外観で判断しないんだけど。もちろん、不潔な人ってのは嫌よ」
「それに美人美人っていうけど、いいなと思う人が美人に見えるってこともあるんだよね。
ほかの連中ならいざ知らず、ぼくはぼくが美人と思えれば、それだけでいいんだからね。
それに美人観て、実際は人によってかなり違うらしいよ。それに美人ってすぐに飽きるらしいから」
「ぼくは絶対飽きないと思いますけどね。やっぱり美人がいいなあ」
余計なことをいう奴だ。
「じゃあ、君はこれまでに美人とつきあったことがあるのか」
「いいえ、残念ながらありませんけど」

0945島猫

 ではぼくはあったかなあ。高速回転で過去を振りかえってみる。
ないことはないようだが、判然としない。よく分からないというのが本音だ。
大体が、どういうことを付きあうというのかよくわかっていない。
いわゆるデートというようなことを何度かしたことがあるけど、そういうことか。
それってちっとも楽しくないことが多かった。どちらかというと、息苦しかった。
なにをしゃべればいいのか、どこへ行けばいいのか、なんてことばかり考えてた。
おまけに相手のどこを見ればいいのか、視線に困った。
だからやたらきょろきょろとあたりを見回したり、会話を途切らさないようにしゃべったり。
家に帰ってくると、どっと疲れを感じた。そんなとき、もういいやと思ってしまう。
でもいつのまにか女性に対する興味が、またふつふつと湧いてくるのだ。
「それにやで、君が美人がいいからといって、美人が君を選んでくれるとは限らんぞ」
「そういわれたらそうですね。それを、ついうっかり忘れてました」
と、うまく落ちをつけてくれた。
「現実の世の中は、まあなんとかうまく回ってるようだから、よく出来てるのかなあ。
それとも、ぼくらの知らないところで思いもかけないドラマが繰りひろげられてるのかなあ」
「もうええ、分かったわ。そんな変にもってまわったような言い方して、疲れるわ。
でもねえ、なんだか話がどんどん逸れてきてるのとちがう」
そうだ、なんの話をしていたんだっけ。
「そうでした。ぼくは他の人から見れば外交的だが、自分では内向的だと思っている。
こういうことでしたね。ひとの評価と、自己認識は違うということです。
それに外交的、内向的と二値的に切っていくと、判断がせまくなるということです。
だれでも人知れず秘めたる面がある、と言いたかったんです。
推し量れない面がどんな人にもある。だから、汲めど尽くせない興味がわくんだ。
よって、Oさんにはもちろん、ぼくらにも未知なる面が隠されている。
人を判断するときには、余程注意してかからないと間違いを犯すんじゃないか。
恋愛においてもとは思うんやけど、ようは知りません」
「つまり、人を単に外見だけで判断するんやなく、滲みでてくる資質を見なあかん。
どんな人にもいい面はある。さらに、隠れたいいところもあるのと違うか。
それに、良い悪いという単純な判断だけでは決められへんことが、世の中には多い。
そういうことも知っとかなあかんよ。そういうことなの」
そう言われたら、そうかなと変に納得してしまった。的が外れているとは言えへんなあ。
ぼくらの話を笑って聞いていたおばさんは、いかにも楽げにこう言うのだった。
「若い人っていいわねえ。みんなしっかり頑張ってね」

早春紀行(十八)はるかな青春
 台所の外の木立では小鳥がさえずっているようだ。かすかに聞えてくる。
その鳴き声に耳をそばだてたときだった。
「は~るよ、こい。は~やく、こい」
 なんとなく間延びした歌声が聞えてきた。あの声はOさんだ。
背が高くて、多分180cmはこえている。黙っていれば、二枚目半ぐらい。
しかし、東京の人に似合わず間を空けたのんびりした話しかたをする。
そのひょうひょうが、歌声とともに台所にやってきた。
「あっ、元気~」
「Oさんも、元気ですか」
綿入れのちゃんちゃんこを着て、懐手をしながらいう。
「まあね。でもなんだか寒いから、早くはるが来るといいね」
「そうかなあ、確かに山陰側はまだまだ寒かったですけど。
こっちの瀬戸内側はそれに較べたら、けっこう暖かいですよ」
「そうじゃないの。人ってのはね、こころの芯からじんと来ないと、暖かいと思えないの。
それにはるって、きっと海を越えて来ると思うんだ。いつ来るのかなあ」
「そう言われたら、そうかも知れませんね。なるほどね、海を越えて春がくるか。
顔に似合わずロマンチストなんですね」
「顔に似合わずは余計だけど、そんなのじゃないよ。ハッハッハ」
とあいかわらず歌うような抑揚で、のびやかな雰囲気をも連れて台所をでていった。
 ぼくがドア越しにそっと見ていると、彼は廊下から海を眺めていた。
木枠のガラス窓越しに、メガネの奥の眼をしばたかせて、じっと見ている。
海の向こうを、そのまた遙か先を見ているかのようだ。
視線を感じたのか、つと振り返りぼくと眼があうと、にっこり微笑んだ。

2384桜に目白

 その場に居合わせた連中は、しばらくぽかんとした顔でいた。
「不思議な人やなあ、Oさんは。東京人て結構変わり者が多いからなあ。
人口比で考えたら、それもありなんとは思えるわな。あの芒洋感、いいよなあ。
のんびり感が伝染してきそうやな」
「そうですよね。こっちもそんな心持ちになってきますよね。それに真鍋に似合ってます」
「そうやな、そういうことやな。それに、なんかしら幸せそうな顔してはったわ」
おばさんは口元を隠しながら笑っていた。
「Oさんて、ほんと楽しい人ねえ」
「まわりを明るく楽しくする人は結構いるけど、ほのぼのとさせる人ってのは希少なんや。
けどなあ、人は外見ではわからんもんなんやで。あれで結構Oさん、曲者かもしれへん」
「そんなものですかねえ。どこか怪しいところが、あるんですか」
「具体的にどことは言えへんけどな。でも、人は見かけによらん、言うやろ。
そやから、世の中おもしろいのと違うか」
「例えばどんなふうにですか」
「例えばやな、ぼくの見かけの印象と、実態はおおいに違うんやで。まあ、正反対といってもええなあ」

 そのとき、ぐいっと身を乗り出してKが言う。彼女には大阪特有の、ざっくばらんがある。
それになぜか、Kはぼくのことをお兄ちゃんと呼ぶ。
「お兄ちゃん、それって、どういうこと」
「こういうことなんや、ええか。ぼくは外交的か、内向的かどう思いますか」
「そんなん、やっぱり外交的に決まってるやんか」
「そやろ、そう思うやろ。ところが、ぼくは内向的なんや。ねえ、おばさん」
「さあ、どうかしらねえ」
とおばさんは声も立てずに笑っている。
「そんなことってないわ。だって、こんなによう喋っているやないの」
「ぼくはねえ、こうやって喋りながらじつはすごいプレッシャーを感じているんやで。
だれか他に喋る人がいたら、ぼくは喋りたくないんや。どちらかいうたら聞いてる方が好きやわ。
そやから仕方なく喋っているという面もあるな。沈黙に弱いんかなあ。
それに、美人の前やととんと意気地がない。話も途切れがちやし、冗談もよう言わん」
と声に出してしまってから、まずかったかなと気づいた。
「それって、あたしらがブスってことの婉曲話法なんやないの」
友だちもそれに和して言いつのる。
「わあ、ほんまにそうやわ。すっごい失礼やわねえ」
「ちょっと、待てよ。なんかしらんおおいなる誤解があるようやな」
「これから、最後の弁明ですね」
と合いの手も飛んでくる。

早春紀行(十七)台所ラプソディ
 ノブを手にしたまま、身を乗りだして挨拶する。
「おばさん、こんにちは」
おばさんはすこし驚いたような顔で、
「まあ、よく来たわねえ」
ぼくは台所の中を見まわしながら、
「ああ、疲れた。おじさんは、どこ?」
おばさんは、笑いながらこう言う。
「さあ、どこでなにをしてるのかしらねえ。コーヒー飲む?」
「うん、ありがとう。うすめで、砂糖なしでね」
おばさんは仕事を片付けつつ、やかんに湯をわかす。
「はいはい、分かりましたよ。あなたが来ると賑やかになるわね。
元気だった?今日はミーティングの司会をするの」
長椅子にうえの荷物を勝手にかたずけて、ぼくはどっかと座る。
ここがぼくの一番落ち着ける場所だ。でも、これってどういうことなのだろう。
「どうなるのかな。誰もやる人がいなければ、やってもいいけど。
ひさしぶりにやってみるかな。かわいい娘がいれば、やる気がでてくるんだけどな」
「可愛い娘さんはたくさんいるわよ。それより、あれはなんといったかな。
あの歌よ、いいわねえ。みんなで重唱する、そう、『ロックマイソール』よね」
「へえ~、おばさんあの歌知ってるの」
「知ってますよ。ここでヘルパーの女の子たちが、ときどき歌ったりしているもの。
それにね、あなたがミィーティングの司会してるときは、ここまで聞こえてくるのよ。
いつもこっそりのぞいているのよ。楽しいのは大好き」
おばさんは楽しそうに笑いながら、コーヒーカップを渡してくれた。
一口のんで、声をださず息だけついた。
「ふー、やっぱり、なんとも言えんなあ。
このほのかな塩味が、真鍋に帰ってきたっちゅう感じがする」
おばさんは静かに笑っている。
そこにどやどやと人が入ってきた。たちまちにして台所は満員御礼である。

 10数人も入れば満員になってしまう広さなのだがら、仕方がない。
しかし、みんなはここに入りたがる。ぬるま湯のように一度入ると出にくい。
なにかしら落ち着くのであろう。かく言うぼくも同じ気持ちだから、よく分かる。
とにかく入ったが勝ち、だから遠慮をしていると居場所は見つけられない。
やっと空いたと思っていても、すぐに人がやって来る。
遠慮は無用だ。しかし、初心者にはそのタイミングがむずかしい。
ぼくはなぜか最初からその思いを経験していない。適材適所ということか。
 だからといって、にぎやかな奴ばかりが集まるかというと、そうでもない。
台所の隅っこでそっと仕事をしながら、背中だけで笑ってる人がいたりする。
みんなの話の輪に入らなくても聞いているだけで楽しいのだ。
この台所にいるだけで、こころ安らぐというのだ。
一生懸命しゃべる人の顔を見ているだけで、愉しいという。
人の目を見てしゃべることなぞできない、という人がである。
人の顔ってほんとうに変化に富んでいるんですね、などという。
それが不思議なんですよね、自分が自分でないみたい、ともいう。
そんな不思議な空間なのである。
 だからいつだって人でにぎわい、笑い声がたえない。
そんな笑い声に誘われて、また人がやってくるという塩梅だ。
なかなかの激戦区、人口密集地帯なのである。

 元気な声が台所に響き渡る。
「わあ、来てたんですか。お久し振りです。どこか行ってたんですか」
「そうや、山陰の余部、萩、津和野方面から広島回って、昨日はMGユースやったんや。
いつ以来かなあ。久し振りの三虎やけど、人が多いのでちょっとびっくりしたわ」
「だって、もう学校は春休みになってますからね。それに、お天気もいいですからね」
「今年の植樹祭は、参加者も多くて大盛況といったところでしょうね」
 人の多いのはいいけど、準備は大丈夫かな。
「ということは、草刈りの人出も確保できてるというわけやな。
夏の暑い盛りに野鳥の森に行ったけど、それはすごい雑草やったぞ。
それとも事前に草取りをしたっちゅう、奇特な人でもおったかな」
「そうなんですか。それは多分してないと思いますよ。
じゃあ早めに行って、草刈りをしとかなきゃあいけませんね。
でないと、坐る場所も確保できませんしね」
「そういうこっちゃな。君ら若いんやから、青空の下でおおいに労働しましょう。
健全なる肉体に、健全なる精神は宿る、やったかなあ」
「そんなあ、まだまだ若いじゃないですか」

0114桟橋

私的好奇心
好奇心といってもその対象はいろいろあって、言葉に対するどうにも抜けがたい好奇心というのもある。
はじめて聞いたりしたときや、なにかの拍子にむこうから唐突にとびこんできて興味をいだくのだ。
横文字であったり専門用語だったりすると、意味もよくわからないままにつかってみたくなるらしい。
小学生がついいましがた習ったフレーズを無理やり会話に忍びこませるように、といえばいいのか。
つかいつつ徐々に本来の意味を理解していく場合もあるが、たいていは歪めた意味へとむかってしまう。
世間でもそういうことがよくあるようで、まったく正反対の意味でつかわれていたりして不思議なことも多い。
でも日々言葉は変遷をたどり変形されて、のちには原義がなんであったかすら想像もできなくなったり。

3804スノーマン

「思い出袋」 鶴見俊輔 岩波新書 ★★★★
鶴見俊輔氏の名をきくと、いつもいとこであった鶴見良行さんのことを思いだすのである。
いまでも生きていたらなあ、どんなことに興味を持ってやっているのかなあ、などと。
それはさておいても、人間長く生きてくると、ときに来し方をふりかえることがある。
そんななかうかぶ回想の数々を文章にされておられ、なかなか興味深いこともあった。
(そのあたりのことはご自分で読んで感じていただくしかないですな)
文化人類学者のアルフレッド・クローバーの娘が『ゲド戦記』を書いたル=グウィンとは知らなかった。
知ると、なるほどと思いあたることなどもあって、読書はやめられないとなる。
『試験問題にはなることのない「なぜ生きているのか」は、今もわからない。
ただ、もうすこし生きてみようと思って、問題をかかえているだけだ。
問題を長くかかえているうちに、考えることはある。』
哲学者だなあと思うと同時に、こういうことをさらっと書けるところがまたいいなあと。

「トラウマの国」 高橋秀実 新潮社 ★★★★
『トラウマという言葉は、日本では一九九五年の阪神大震災や地下鉄サリン事件から知られるようになった。
そしていつの間にかトラウマ反復は一般化し、今では「日常性トラウマ」などという言葉すらあり、
どこからどこまでがトラウマなのかよくわからなくなっている。
「トラウマン」などというトラウマに悩みまくるテレビゲームまで売られているぐらいで、
言わばトラウマのインフレ状態なのである。
「われわれが普段使う診断基準で、つけられて喜ぶ診断名がふたつあって、PTSDとACなんです(笑)。
自分のつらい体験を評価してもらった、ということでしょうね」
(山口直彦氏。『トラウマ 心の痛手の精神医学』藤澤敏雄編 批評社)』
ここに書かれているように、いまではトラウマという言葉は日常会話にもふつうにつかわれている。
(PTSDは心的外傷後ストレス障害、ACはアダルトチルドレンのことである)
日本人て、こういう専門用語でもとくにカタカナ語にはめっぽう目がないようだ。
田舎暮らしというのも近年の流行現象であるようだ。そんな方へのインタビュー。
『「腹が減ったら食べ、眠くなったら寝る。そんな暮らしを夢見ていたんですが、
実際にやってみると違うんですね。そんなことをしたら“自分”がなくなってしまうんですよ」
――自分がなくなるんですか?
「そう。なんか、なくなる感じがする」』
読みながら、なくなる自分があるだけましではないかなどと皮肉にも思ったりした。
あるいは解脱の域に達する道であることを本人も気づいていていないのか(笑)。

「子どもは判ってくれない」 内田樹 洋泉社 ★★★★
『全面的に否定されることは少しも「正しさ」を損なわれない
(「世界に平和を」という主張を全面的に否定する立場は「世界に戦火を」だけであり、
そのような悪魔的主張を支持する人間は私たちのまわりにはほとんどいない)。
しかし、具体的提案(例えば、「アメリカにすべての軍事力を集中させることによって世界に平和を」
というような提案)にはただちに異論や対案が出される。
すると、その主張の「正しさ」は具体的であった分だけ損なわれることになる。
だから、正しいことだけを言いたがる人は、必然的に「具体的なこと」を言わないようになる。
そして、いったい誰が、どういう資格で、誰に向かって言っているのかも不分明になる。
今、私たちの社会はそのような、「具体性を欠き、誰に向かって言っているのかよく分からない」けれど、
文句のつけようのないほど「正しい意見」に充満している。
新聞の社説からニュース解説から大臣や官僚の国会答弁からテレビ人生相談まで、そんなのばかりだ。』
そんな社会に暮らす人びとは当然ストレスフルにならざるをえない。
世間の人が政治家に望んでいるのは、高邁な理想であるよりも現実のすこしでもいいから前進すること。
美辞麗句で飯はくえない、といったら分かりやすいかもしれない。
薬害訴訟などを延々とやっているあいだにも犠牲者はつぎつぎと亡くなっていっているのだ。

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早春紀行(十六)真鍋島航路
 上下駅をはなれふたたび福山駅を経て、列車を乗り継ぎ笠岡駅に着いた。
改札口を通り抜けると、懐かしいようなにおいがした。
あいかわらず駅前のパチンコ屋は民家のようなたたずまいであった。
ガラス戸越しに歌謡曲が漏れ聞えてくる。笠岡に来たんだという実感がわいてくる。
駅前の商店が散在するせまい通りを抜けていった。
階段をのぼって跨線橋に上れば、いっそう強く潮のにおいがした。
風にも肌にまとわりつくような湿気を感じる。海が近いのだ。おおきく息を吸いこむ。
国道二号線を横断する歩道橋を駆けあがって海側へ降りた。
連絡船の乗り場には、すでに大勢の人があふれていた。にぎわいと人声が渦巻いている。
混雑する待合室の窓口で切符を買って早足に桟橋へとすすんだ。
すでに乗船がはじまっていた。木造の「衣笠丸」には多くの客が乗りこんでいた。
上甲板の後方に席を確保して腰をおろした。エンジン音が響くなか、船は桟橋をはなれた。
船体をぐるっと回して、舳先を島々に向け風をきってすすんでいく。
なんどもきた途を、船はガタガタと騒々しい音をたてながらいく。
 神ノ島、高島といくつかの島を過ぎて白石島に着けば航路も半ばである。
二時間の船旅もめまぐるしく変化する船外の景色で長いとは感じられない。
北木島の楠木港から大浦を経て島の突端を曲がれば、海面の向こうに真鍋島が見える。
二つの山の盛り上がりが、ひょっこりひょうたん島に似ていなくもない。
 島と向かいあって潮風をうけていると、いろんな感慨がわいてくる。
はじめてこの島に来たのは去年の三月だった。大学入学が決まった後でのことだった。
その後いくたびとなく訪れた。そして、いろんな人たちに出会った。
いろんな思いを知り、いろんな考えに出会えたのは楽しかった。
ぼくの思いは人々に伝わっていったのだろうか。
 こうして山陰を旅してくると、生まれた町に帰ってくるような感じがした。
この島で出会った人たちに、また会えると期待もふくらんでくる。
誰が来ているだろうかと思うと、はやる気持ちで落ちつかなかった。
船べりから身を乗りだして、春の靄にかすむちっぽけな真鍋港を見つめていた。
波しぶきが頬をかすかに濡らしている。小刻みな振動が船べりから伝わってくる。
やがてエンジン音が低くなって、船は惰性で静かに港のなかに入っていった。
桟橋上には多くの人々がひしめいていた。
スクリュウの逆回転音がするのを合図に、ぼくは身軽に飛び降りた。
集札のおばさんに切符を渡し、人々の脇をすりぬけて島に上陸した。

0006真鍋島本浦港

 昨年からマスコミにも数多く取りあげられ、花の島のイメージが喧伝されていた。
そのためもあるのか、多くの人たちで賑わいを見せていた。
ここ瀬戸内の真鍋島ははやくも春爛漫の様相を見せている。
混みあった桟橋をぬけ海沿いの道をたどりながら、乗ってきたばかりの船をさがした。
防波堤の向こうで、衣笠丸はすでに笠岡へと船首をもどしていた。
ゆっくりと一歩づつ踏みしめるように石組みの坂道を上ってゆく。
風は冷たかったが、陽の光はまんべんなく地上に降りそそいでいる。
生命あるものたちの活動をうながすかのような明るくやわらかい陽射しだった。
道のそばにそびえ立つ柿の木はまだ葉を茂らせてはいない。
この樹と対峙するとき、いつもこころに響きわたる声がある。
「しっかりしろよ、挫けるんじゃないぞ」
そんな声に、じんと気がひきしまる。わきをゆっくりとした歩調ですぎる。
振りかえらずに歩き続けながら、遠くの空を見る。雲の白さと空の青がまぶしい。
また真鍋島にかえってきた。
 道を右に緩やかに曲がればすぐ下方にユースの建物が見えてくる。
不揃いの階段状の坂道を注意しながらも、いっきに駆けくだる。
台所ドアから話し声がもれてくる。おばさんの声だ。そのまま玄関へと回りこむ。
重い鉄の扉を開け、土間に靴を脱ぎすて階段をかけあがる。
ザックを投げだして、ノブを持ちあげ気味に台所の戸をあけた。

早春紀行(十五)料理のエコロジー
 ぼくが感心もし、すばらしいと思ったことがある。
それはなんでもないことなのだが、料理につかう野菜を無駄に捨てない、ということである。
例えば、キャベツなど表面の傷んだ葉をなにげなくむしって捨てる。
それを戒めているのである。ふつうに千切りとかに使えなくても、スープにはつかえる。
けっして食べ物を無駄には捨てないでおこう、という姿勢にはおおいに共鳴した。
エコロジーの発想が自然に生まれているのである。
 そう思うと、老人の「もったいない」という言葉の含蓄がぼくたちにせまる。
「もったいない」は、大自然に対して発せられていることがわかるのである。
地球上にはヒトのみが生きているのではない。
自然の循環系の一つであるヒトが本分を忘れないようにとの、呪文ともとれるのである。
「もったいない」をけちくさいという奴もいたが、なにをかいわんやである。
そんなことをいう奴に限って、やるべきことをやらないで理屈ばかりこねる。
理屈をこね続けるならまだしも、最後には論理に破綻をきたしてか強弁にはしる。
当然、筋は通らない。理屈もその場限りのものだから整合性がない。
さらに加えて悪いことに、彼自身そのことに対する自覚がない。
だから、同じ誤りを繰りかえす。
そんなだから、周囲は自然と覚めた目で彼を見るようになってくる。
そのとき彼はその原因を周囲のせいにする。
原因を外へと求めるから被害妄想的な意識をもつことになる。
誰のことを言っているのではない。
ぼくがそうならないようにと、自分を制しているのだ。

2359たまねぎ

 静かな山間のユースでは、夜も静かに更けてゆく。
明日は真鍋島に行けるのだと思ったら、うれしくなってきた。
なかなか寝つけない。夜具のなかで反転しながらいろんなことを思いおこしていた。
 善きにつけ悪しきにつけ、いろんな人がいていろんなことが起こる。
いままではそのことの善悪、良否、その人の好悪、賢愚などで判断していた。
否、それが判断基準だと思っていた。もちろん、自分は埒外にいる。
思いあがっていた。世界を知らなさすぎた。澱んだ水になっていた。
苦々しさがこみ上げるなかで、ぼくはいったいこれからどうなるのかという不安もあった。
怜悧な水がぼくに流れこんできている。
冷たさに身を震わせながら朝を待った。
いつしか、まばゆい朝の光のなかで眠っている自分にゆきついた。

 一晩寝たら気持ちもすっきりとした。冷たい水で顔を洗ったら、おもわず身震いがでた。
おはようの言葉が飛び交う食堂で朝食の席について、パンを食べながら考えた。
なにが人の幸せなのだろうか。それは誰にも決められることではない。
幸せって、こうして朝食にありつけることがそうだという人もいるかもしれない。
いろんなささやかな、ひっそりとした、幸せがあるのだろう。
すべての幸せの形を知ることはできない。経験することも叶わない。
知る必要もないのだろう。自分の幸せの形を求めて生きよう。
人を羨むことは、意味のないことだと知らなければならない。

 その人は突然声をかけてきた。
「今日はどちらへ行かれるのですか」
ぼんやりと考えごとをしていたので、驚いてふりむいた。
「あっ、そうですね」
「ごめんなさい。驚かせたかしら」
瞳を見ひらいてこちらを見つめる。ヘルパーさんらしい女性だった。
黒髪を束ねてポニーテールにしていた。化粧気のない顔は明るく輝いてみえた。
けっして美人という容貌ではないが、人を引きつける魅力があった。
エプロンの前ポケットに両手を入れながら小首を傾げていた。
「すこし、びっくりしました。今日は三虎ユースに行くんです。
瀬戸内海の島にあるんですけどね」
「三虎ユースって、この近辺では有名ですものね。たしか真鍋島だったかしら。
花の島なのでしょう。今だとどんな花が咲いているのかな」
「今ならマーガレットぐらいでしょうかね。
でも、誤解があるといけないのでいいます。
島に咲いている花は観光用観賞用に植えているんじゃないんです。
温暖な気候を利用して栽培して、京阪神に出荷するための花なんです」
「そりゃあそうよね。でも色とりどりのきれいな菊が満開の写真を見たことがあるわ」
「そのときはきっと菊の市場相場が暴落して、島の人たちは泣いていたんでしょうね。
相場が下がりすぎると運賃も出ないって言ってましたから、咲かせてしまうんですね。
ふつうは蕾のあいだに出荷して店頭で咲きはじめるということでしょうね」
「そうなんだ」
「観光客は無邪気にきれいだって喜んでいるけど、島の人たちの気持ちは複雑ですよね」
「でも、花の立場だとどうかしら。生まれた島で一生暮せて幸せかも。
切られて、売られていかないで済んだんですものね。フッフッフ」
と、ちょっぴりいたずらっぽく言うのだった。
「そうですよね。今度そんな話を島の人にしてみようかな」
「それは駄目よ。そんなことしたら気を悪くすると思うわ」
「それもそうですよね。反対に怒鳴りつけられるかも知れませんね。
バカヤロウこっちは生活がかかってるんだ、なんてね。ハッハッハ」
自分では気がつかなかったものの見方を知ることはうれしい。
やはり素敵な人はちがった考えかたをするものだ。
そう思って彼女をみると、やはり美しく見えた。

早春紀行(十四)MGユースホステル
 MGユースを核にして、全国にMGっ子の会があるという。
ぼくはすぐに「若い根っこの会」を連想した。素朴な、若い、生真面目なといったイメージ。
三虎ユースにもそんなホステラーが来ることがある。おおむね、行儀はいい。
話ぶりも真面目さがにじみでている。いつも明るい表情がよく似あう。
 三虎ユースにも東京と大阪に「真鍋島友の会」というのがある。
MGっ子の会と好対照をなしている。「三虎友の会」とは称さない。
なぜなのだろうか。ぼくの知る由もない。
友の会の目的はたんに集まって楽しく騒ぐ、と人伝えに聞いた。
もしくは、そのためのきっかけにするには何か必要だから、名前をつけたのだともいう。
真意は知らない。でも、真鍋島友の会と称するほうがしっくりと受けいれられる気はする。
ともかく、MGユースは楽しい、真面目なメンバーの集うところというイメージがある。

 ぼくのような気ままな奴には、はなはだ居心地が悪く感じるときがあるのもたしかだ。
物事には絶対はないというぼくの立場からは、はなはだ折り合いがつけにくい。
あまりに世話をやかれると、息苦しくなってくるのだ。放っておいてくれないか。
ひとりでいるからといって、ポツンとしているのは、いつも淋しいとは限らない。
ふたりでいても、大勢でいても、騒いでいるときだって淋しいときがある。
優等生のように、こうするのが楽しいよといわれると、そんなことはないと言ってしまう。
そんな態度にはどうしても反発してしまう。
人それぞれなんだから、気にしないでください。ぼくは、いい子じゃないんです。
ぼくはいい子にはなれないし、いい子にはなりたくないんだ。
そんな気持ちを分かってほしい。とつい、ひねくれてしまう。
ぼくは、へんな奴である。

 しかし、優等生には優等生の悩み、不安があるかもしれない。
まわりのだれもが同じように仲良く楽しくしているときには、なんの問題もない。
だけど、だれかが同調した行動をとらなくなったりすると、こころが落ち着かない。
彼らを捨ててはおけない。私には声をかける義務がある。
「一緒に楽しくやりましょうよ」
出来得るかぎり優しく、押しつけがましくならないように注意して話しかける。
ところが、どうだろう。なんと、構わないでくれ、放っておいてほしい、と言うではないか。
たまたま、虫の居所が悪いのだろうか。それとも、ひねくれ者なのだろうか。
そんな風には見えないけれど、どうしたものだろう。そんなとき、暗雲が兆す。
もしや、自分のやっていることは間違っているのだろうか、と不安がよぎる。
優等生であるだけに、生真面目に考え込んでしまうという面もある。
人生に真剣に向きあっていることについては、みな同じなのだ。
だが、行動はえてして正反対の様相を帯びることがある。
人はみんな仲良くすべきだ。これは正しい。たしかにそうとしか思えない。
なぜこんな単純なことがこの人たちにはわからないのだろう。
どうもおかしい。私はなにかを見落としているのだろうか。

 しかし、人間関係とはまるで鏡像を見るようなものでもあるのだ。
お互いがお互いのこころの深層を、無意識の姿を、映しあっているのだ。
ときに自分を見ているような感覚が、わけもわからずに焦燥感をつのらせる。
いつのときか、そのことに気がつくことがあるだろうか。
 純度100%の水には味がないという。
全国にあまたある名水には、味わいがある。
その味わいのもとは、水に溶け込んでいる少量のミネラルであるという。
味はどれだけのミネラル量によって感じられるのだろうか。
では水の成分を分析して同じ水がつくれるかというと、そうはならないらしい。
分析するとは、初めから分析項目あるいは成分項目があるものらしい。
であるから、分析項目にないものは結果に表れることはない。
となると、ミネラルは確定できないということになる。
また分析といっても、分子量まで確定できるわけではない。
だいたい同じは、全然ちがうともいえる。さらに温度など他の要素も加わってくる。
だから、純水は工業的につくられる、名水はつくることができない。
自然の営み以外には、ということになる。
 人の集まりもこれと同じようなことかもしれないな、とは思う。
純粋なやつばかりでもつまらないし、味がない。
不純物、あるいは夾雑物がどうしても必要なのだ。しかし不純物ばかりでも困る。
兼ねあいが難しいのである。やはり自然にゆだねるしかない。
 しかしながら類は類を呼ぶということもある。
自然は複雑なのである。もちろん、ヒトも自然の範疇に入る。

0840流れ

早春紀行(十三)山中の関東だき
 三原で列車を乗り換えて福山をめざす。
尾道の手前から列車は海沿いをはしる。
瀬戸内の海は春の陽光をうけてきらめいていた。海面からの照りかえしがまぶしかった。
尾道の造船所のわきをすぎ向島大橋の下をくぐって、やがて福山駅へとついた。
駅のすぐ北側に福山城が見えている。
ここでまた乗り換えである。福山からは福塩線で北へむかう。
福塩線では列車ものんびりとはしる。乗客もゆっくりと移動する。
駅での停車時間もながい。時間もゆったりとすすむ。
 途中の駅で、列車のすれ違いだろうか長く停車するとアナウンスがあった。
列車の中にいるのも退屈なのでホームに降りたった。静かな午後である。
なんの気なしに改札口を出てあたりを見渡した。
すぐそこになんでも屋といった店があった。駅前を行く人はなかった。
店先には大きな鍋がコンロにかけられ、なかでは「関東だき」がにえていた。
つゆは黒く、すじ肉の脂が浮いている。
ひときわ胃袋を刺激するにおいが漂ってきた。
じっと見てみると、卵には汁がしみこんでしろみが茶色くなっていかにもうまそうだ。
いろんな具材を突きさした竹の串が飛びだして針山のようである。
とたんにお腹がすいてきた。生つばもこみあげてくる。
誰かいないのかなと、店内を見まわすが人の気配がない。
仕方がないので、奥にむかって大きな声をかけた。
「すみませ~ん。誰かいませんか~」
頭に日本手拭いをかけたおばさんがエプロンで手をふきながらでてきた。
「はい、はい。なんかいねえ」
ぼくは卵とコンニャクの串を手にとって、
「これをください」、と言った。
「このまま、食べるんかいのう」
「ええ、このままでいいです」
「芥子はそこにあるけえ、好きなだけつけたらよかろう」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
ぼくがお金を払うと、おばさんはまた店の奥へと消えていった。
串を両手に持ってあたりを見わたすが、誰もいない。
駅舎の壁にもたれながら関東だきを食べた。
背中にじんわりと木のぬくもりが伝わってくる。
太陽の光はまぶしかった。
関東だきはうまかったが芥子がツンと鼻にきた。涙がにじんでくる。
そのうちに発車時刻も迫ってきた。
無人の改札をぬけて列車の座席にのそっともどった。
ゴトリと動きだした列車の窓から、じっと動かぬ町並みがみえた。
ピィーと、ディーゼル機関車の出発音があたりにおおきく響いた。
見知らぬ町から遠ざかりながら、ぼくは大きく深呼吸をした。

0006造船所

 上下駅に降りたって山のにおいをかいだ。冷たい空気が気持ちがいい。
なにもない場所だというのがよく分かった。
MGユースに着いて荷物をおろし、受付でたずねた。
「ママさんは、いらっしゃいますか」
「ごめんなさい、出掛けているんですよ」
「そうですか。それじゃあ、仕方ないですね。お世話になります」
 話にはよく聞くMGのママさんには、会ったことがなかった。
会ってどうということではないが、会うことによってより鮮明になるものがあると思う。
ホステラーの噂話にはよく出てきた。なにもないところにあるユースホステルだという。
なにもないといっても、それは都会の人のいうなにもであって、自然ならある。
名所旧跡などはないということだ。でも、素晴らしいのだという。
なにが素晴らしいといって、人のこころの優しさあたたかさ以外にはない、ともいう。
みんながそれぞれの力をあわせてことを成し遂げる。
どんなときにも笑顔を絶やさない。ここはみんなの故郷なのである。
いつでも帰ってくることのできる、懐かしい故里だ。
その話ぶりには理想郷をにおわせるものがあった。人は帰る場所が必要なのだ。
心や魂には帰るべき場所があり、そんな場所だというのだろうか。
だから、到着した人には「お帰りなさい」、出かける人には「行ってらっしゃい」と声をかける。
ユースホステルの原点であり、なるほどというしかない。

早春紀行(十二)ヒトの過ち
 平和公園は案外に木陰が少ない。照りかえるあの夏の日に思いは還ってゆく。
原爆ドームの前まで来て見上げるようにして眺めた。言葉がでてこなかった。
胸が詰まるようで息苦しい。いまは早春だが寒さは感じない。
このような時間の過ぎゆくうちにも、どこかで人は生き死んでゆく。
あたりまえな、ふつうの人生が世界中で営まれている。
 人は過ちを犯す。これは仕方のないことだと思う。
「二度と過ちは繰り返しません」と刻まれた言葉は、誰に対してのものだろうか。
ぼくたち人類の、悲しい、どうにもやりきれない独白のようにもきこえる。
時は不可逆的過程だ。過去に戻ることはできない。人生も同様に不可逆的だ。
悔いても悔いても、あのときに戻りやり直すことはできない。
人は分かった、といつも思う。
しかし過ちは姿を変え形を変え、ふたたび幾度も繰り返される。
なにが間違っているのだろうか。これがヒトというものなのだろうか。

 慰霊の塔の前を通って原爆資料館にまでやってきた。
以前に一度入館したことがある。
爆発直後の被爆者の写真がぼくのこころを貫いた。
モノクロの写真がかえって生々しさを映していた。
人々の悲鳴が、慟哭が聞こえるようだ。
頭の中はクァーンという反響音に満ち満ちて、なにも考えることができなかった。
人類は同じ人類に対してこういうことができる。それは戦争だけのせいではない。
人類のもつ特徴なのだ。ぼくも例外とはなりえない。そのことが痛いほどわかった。
そのことを忘れずに生きていくしかない。
悲しさとはちがうやりきれない感情につつまれた。
いまでも、いつでも、どこにいても、けっして忘れられるようなことではない。
でも、人は忘れたふりをしてでも生きていくことがある。

F0073平和公園

 ぼくは焦点も合わせられない眼で建物を見上げつつ、その場をそっと立ち去った。
 市電の走る道路を横切って、本通り商店街にある本屋に立ち寄った。
二階に上がると、アーケード側がガラス窓になっていた。窓のそばに歩いていった。
見下ろすアーケードの通りを行き交う人たちがなぜか別世界の人のように感じられる。
呆然とした感覚に立ち尽くすばかりだった。
いつもなら好きな本さがしもする気がしない。
列車に乗ろう。広島をはなれよう。
広島にはまたもどってくればいい、いつの日か。
レール上の振動に身をゆだねたい、とそのときは思った。
 そうこころに決めれば駅をめざして歩くばかりだ。
昼間の流川を抜けて市電沿いを歩いた。
橋を越えると広島駅が見えてきた。
ゆっくりと歩くと、ゆっくりと駅も近づいてきた。
混雑する広島駅の構内を早足で歩いた。跨線橋を渡り人もまばらなホームについた。
すでに発車待ちの列車がホームにとまっていた。
列車に乗り込みザックを網棚にあげる。
窓際に席をとれば気分もすこし楽になってきた。
列車は静かにホームをはなれた。
遠ざかってゆく広島の街を眺めながら、また来ることもあるだろうかと漠然と考えていた。

寒冷(慣例)化
わが家は北(区)にあるので、ずいぶんと雪が降った。
雪が降ると、あたりいちめん森閑となる、気がする。

庭のメジロがくる鳥籠も雪におおわれた。
さすがに今日は鳥たちも姿をみせない。
どこかで身をよせあって雪をやりすごすのだろうか。

3776雪籠

玄関あたりは十五センチあまりの積雪になっている。
郵便受けまで行くのに足をふみだすと、ズボッとめりこんだ。
これが雪国だと、除雪や雪おろしに大変な労力が必要になるのだろう。

3785雪跡

そういえば、最近地球温暖化の話を最近きかないようだ。
地球寒冷化になったらそれこそ大変だなあ。
テレビをみてたら、国の財政破綻がとりざたされていた。
公務員(議員も含む)の給与をさげないと、などと。
だがこちらはすでに慣例化の波とかが押しよせていて、むずかしいらしい。

早春紀行(十一)広島の街
 朝になったら外はまぶしいくらいに明るかった。
瀬戸内側は気分までもがちがってくる。
山陰、山陽の呼び方でそう思えるのだろうか。
そういった面もあるだろうが、陰と陽の比喩に影響されているだけではない。
ユースの建物を出てうねるなだらかな坂を下っていく。
静かな住宅地を抜けると、広い道路に突きあたった。
今日は天気もいいし、平和公園に行ってみよう。数年前にも訪れたことがある。
広島は日本人にとっては、ただ通り過ぎることのできる街ではない。
ぶらりぶらりと気ままに道路沿いを歩いていった。
途中で、道を広島城の方向へと変えた。
 城跡の公園は木陰もあり人もまばらでこころ落ちつけた。
屋敷跡の礎石らしきものが点在する場所にいきついた。
平らな大きな石に腰をかけた。ひんやりした石の冷気が伝わってくる。
耳には小鳥のさえずりが聞こえている。
繁華な場所や名所よりこんな場所がぼくは好きなんだな、といまさらながらに思う。
生きている実感はこんなとき感じられる。ぼくがぼくである、と強く感じられる。
 この狭い公園にはぼく自身も知ることのできない生物が、生命が満ちあふれている。
ほんの一握りの土くれの中には、数億いや数十億以上の生物が生きているはずだ。
そう考えると、人は自分も気づかぬうちに傲慢になってしまったと気づかずにはいられない。
一本の草にも多くの虫たちが命の糧を求めている。
人はこうしたことを知っている。それでもなおヒトの命は地球よりも重いという。
この言葉はどう理解すればいいのだろうか。
ぼくにはわからない、わかることができない。
地球はヒトだけが生きている惑星ではない。
地球上の生物はヒトのために生きているのではないはずだ。
「種の保存」といってみたって、いまのぼくには無意味に響く。
「種の保存」とはぼくにとってどういう意味があるのだろう。
 ぼくは意味なく生きてはいない、といえるのかと反問してみる。
では、ぼくはなんのために生きているのか。
ぼくは何をなそうとしているのか。
ぼくはいったい誰のために生きているのか。
誰かのために生きることができるのか。
ぼくが誰かのため生きたいと思うようになるとは、正直信じられない。
そんな自分がなぜか悲しくも哀れにもみえてくる。
 視線を足元に落とし、しばらくじっとしていた。
風はこんなにも気持ちいいのに…。考えは同じ道を生きつ戻りつするばかりだった。
めまいすら覚えそうだった。答えを性急に求めても得られることはないのだろう。
そのことは、漠然とはわかる。少しでも近づくためにはどうしていけばいいのか。
いつまでも考え続けるしかない。答えが得られるかどうかもわからない。
けれど決して忘れて生きられることではない。
 考えるだけでとどまってもいられない。
生きているということは時間軸に沿うことだからだ。
常になにか行動を起していかなくてはならない。言説だけで生きられるわけもない。
ああだこうだで人生が終わってもつまらない。
日常の生活のなかに思想はあらわれる。
あらわれなければ、なんの思想の意味を見いだせるだろうか。考えは尽きることがなかった。

 思いあまってふと顔を上げれば、かすむ陽光のなか前方に原爆ドームが見えた。
立ち上がってザックを肩にして歩きはじめた。行き交う車の音も低く聞えるだけだ。
いつのまにか平和公園の近くまで歩いてきていた。
欄干にもたれて、市電が通る橋の上から真下に流れる川を見下ろす。
公園の横をいまもかわらずに川は流れている。
 原爆投下の時からもう30年近くが過ぎている。ぼくはいま二十三才だ。
この川には多くの人のこころが沈んでいったんだ。
人の思いって水底に沈むのか、空の上に昇るのかどちらなのだろう。

F0068太田川

早春紀行(十)萩ぬるをわか
 西へと向かう列車に乗りこんだぼくはふたたび深い眠りに落ちていった。
どれぐらい眠っていたのだろうか。人の気配でめがさめた。
うすく目を開けると窓の外には朝の光がみちていた。
ぐっすりと眠ったあとの壮快感にからだの力がみなぎるようだ。
かたまった姿勢をほぐすように伸びをすると、肩の関節がゴリゴリと音をたてた。
旅行にでて四日目になった。

 萩に舞い戻ってきたぼくは町なかへと歩きだした。
昨日は気がつかなかったけれど、行き交う車がずいぶんと多い。
想像していた田舎町ではなかった。萩は地方都市の顔をみせている。
 どこへ向かうでもなくあてどなく歩いているうちに山あいの道へと迷いこんだ。
登り勾配の道沿いにミカン畑が続いていた。大ぶりのミカンは八朔だろうか。
畑の乾いた土のそこここに実が転がっていた。
摘み取る人もいない果実は哀れにさえ思えたが、そこからまた芽をだして育ってゆく。
植物は人の営みとは関係なく生きているんだ。
人にとってこの植物はどうだとかこの虫はどうだかとつい考えてしまう。
自分が人間ゆえにそうなるのだが、それが疎ましく思えることがある。
そんな気持ちが、ぼくをひとりでの旅にいざなうのかもしれない。
そう思ってミカンを見ると、そこには別の世界が感じられた。
 松蔭神社へとまわってみたが特別な感慨はなかった。
死んで神社に祭られるとは松蔭も想像だにしなかっただろう。
神社を興そうと思った人たちはなにを考えていたのだろう。
彼らは松蔭の思想に共鳴するよりは、松蔭の名を残そうとしたのだろうか。
形あるものがないと人は不安を覚えることがある。そういうことだろうか。
偶像崇拝と同根かもしれないな。アニミズムの根は深いといえるかもしれない。
人にとって、思想に殉じて生きることはむずかしいのかもしれない。
ましてや先達が亡くなってしまった後となっては。
 こうして各地に神社が興っていった。そしてそれはその社を管理する官僚を生じた。
神主とは官僚に他ならない。だからその組織も官僚機構ときわめて類似したものとなる。
やがて大義名分だけが史跡として残り、土産物屋が軒を連ねる。
なんだか馬鹿馬鹿しいけれど、これも人の生きる道だ。

2724緑葉

 疲れた気分でまた列車に乗って東へと向かった。
益田駅で山口線に乗り換えて山陽路へと南下する。
車内は行商帰りか、おばさんたちのにぎやかな話し声で満たされていた。
日本手拭いで姉さんかぶりにしてみんなでミカンを食べながら楽しげだ。
遠くから眺めていてもこちらまで楽しい気分にしてくれる。
日本のお母さんは、とても元気で明るくて強い。
津和野から山口を通過して小郡に着いた。

 ここから山陽線に乗り換え広島へ向けのぼってゆく。
列車がゆるやかに広島駅に入っていくと、都会の喧噪がまちうけていた。
久しぶりの都会という雰囲気になにかしら緊張した。
すれ違っていく人たちもどこかしら忙しげだ。
 混雑する改札口を抜けて駅前通りにでた。道路を渡ったところにバス停があった。
満員のバスにゆられつつ、いつ降りればいいのかと落ち着かなかった。
つぎつぎにやってくるバス停ばかりを目と耳で確認しながら、やっと目的の場所に着いた。
広島ユースへの道をハンドブックで確かめて、住宅の立ち並ぶ道を山のほうへ歩いていった。
 坂道を上りきった左手にユースの玄関が見えた。
のんびりと風呂につかって、夕食もそこそこに床についた。
明日はいよいよ上下というところにある「MGユース」に行く。
どんなところなのだろうと考えるうちに、疲れがいつしかぼくをつつみ眠りに引きこんでいった。
 夢を見た。夜中に目が醒めた。二段ベッドの下で上半身を起こして息をついた。
恐ろしい夢ともいえない。楽しい夢ともちがっている。不思議な夢だった。
ぼくにとっては悲しい夢かもしれない。道でもない空間をただ進み続けるのだ。
歩いているのではない。駆けてもいない。ただ空間を移動してゆく。
先に何があるのかはわからない。風景のない空間をひたすら通過してゆくだけの夢。
悲しげな気分だけがいつまでもぼくをとらえてはなさなかった。
ふたたび眠りにつけたのは、それから二三時間も経ってからのことだった。

早春紀行(九)夜行列車の利用法
 歩きつつ、ぼくはとりあえず駅へともどることに決めた。
頭のなかでは、夜行列車を寝床にできるかなとの考えが浮かんでいた。
闇のなかに明るく浮かびあがる駅が見えてきた。
駅で時刻表を慎重に検討した結果、うまい列車があることがわかった。
夜遅く山陰線を東へむかい、途中でふたたび西へとむかう列車に乗り換えてもどってくる。
その間、列車のなかで仮眠をとるという寸法だ。こういうときに「均一周遊券」は便利だ。
問題は乗換駅を寝過ごさないかということだ。あれこれ考えても仕方がない。
われながらいい考えで気分的にも楽になった。そう思ったとたんに腹が減ってきた。
さて晩飯でも食うか。駅の売店であんパンと牛乳を買って腹ごしらえをした。
 時間があるので友だちに絵はがきを書くことにした。
駅の待合室で静かにペンをはしらせていると、ああ旅をしてると実感できる。
今日のことはいい話のネタになるぞ、とこころのうちでうなずいていた。
 問題の列車が駅にはいってきた。さっそく乗りこんで落ち着けそうな席を確保する。
予想通り、車内にはまばらにしか乗客はいない。暖房が効いていてあたたかい。
これならゆっくり眠れるだろう。残るは乗り過ごさないように気をつければいいだけだ。
 窓に顔を近づけて真っ暗な外を見ていると、ときおり民家の灯りが眼の前をすぎてゆく。
夜の闇を切り裂いて列車は冬を突っ走っているのだろう。
ザックのなかの文庫本を取りだして読もうという気にはなれなかった。
ただぼんやりと窓に映る車内の情景を見ていた。額を押しつけて見ていた。
冷たい感触が気持ちいい。つぎつぎに灯りが現れては飛んでゆく。
そのうちに眠くなってきた。いま眠ってしまったら乗り過ごすかもしれない。
なんとか我慢して、できれば折り返しの列車に乗ってから眠りたいものだ。
そう思ってもふと気がつくと、座席に横になって眠っている。
 これはいかんと気を引き締める。でも眠気は波のように押し寄せては引いてゆく。
断続的な満ち引きのなかで、ぼくはいつのまにか眠りに落ちこんでいた。
ガタンという列車の止まる音と振動で、はっと目が醒めた。
反射的にあわてて腕時計を見る。しまった、乗り過ごしてしまったか。
網棚に手をのばしザックを手に取って急いで飛び降りる。
南無三、と思いつつプラットホームに降り立って左右を見まわした。
凍りそうな夜気のなか、なんと向かいのホームに列車が止まっていた。
思わず膝の力が抜けそうになる。なんとか踏ん張って列車に乗りこんだ。
なんという運のよさなのだ。まだまだ幸運の女神に見放されてはいなかった。

0032松江夜景

 思い返せば、ぼくは数々の幸運に助けられてきた、そう思えるのだ。
それとも幸運と思えることをのみ記憶に刻んできたのだろうか。
そうかもしれない。ぼくは幸せな奴なのだ。楽天的とも言い換えることができる。
そう思うと、ぼくは知らず知らずのうちに微笑をうかべていた。
 長い人生を、人の世を生きていくうえでは、これは大いなる利点である。
ものごとの光を見るか影を見るかで、こころの持ちようは大きく変わる。
ぼくは楽天的エピキュリアンなのかもしれないな。
 快楽主義は多くの誤解をうけてきた。訳語がよくないのかもしれない。
あるいは、快楽の語感にゆえなく罪悪感をもつ日本人の感性に端を発しているかもしれない。
人はというより生物は、快を求めるよりは不快を避けるようにして生きている。
不快を避けるということは、すなわち快を求めているということになるのだろうか。
生物にとっての快と不快は生存競争のジャイロコンパスなのだ。
 不快がないところには快も存在しない。快のみが存在することは不可能である。
痛みの感覚がない人は受けた傷からの出血を止めようとはしない。
出血を止めなければという必然を感じない。痛みがないから出血に気がつかない。
そのために傷を負うことに無頓着になる。傷を負っているという感覚すらない。
しかし出血は生体にとっては致命的なことである。
したがって、やがて生存競争から脱落していく。
こうした個体が生きのびていくことは不可能に近い。
 痛みという負の感覚が生きる上では重要なことだ。
痛みを避けることによって、そうする行動によって生命を維持している。
痛みは生存のための必要不可欠なセンサーといえる。
 このように不快がなければ、快を求めることもない。
快と不快は裏と表、どちらかをということはできない。分離不可能なのだ。
結局、快を求めるのも不快を避けるのも同じことなのかもしれない。
積極的、消極的な側面があるとしてもである。
 ぼくはものごとの快の面を見続けて生きている、ということだろう。
しかし、不快の面を見続ける人々も無意識に快を感じているからことは複雑なのだ。

早春紀行(八)ユースホステルの戒律
 これを潮時と、ぼくは別れの挨拶をしてふたたび山陰路を西下した。
浜田を過ぎて益田へと列車は到着した。
ここで山口線に乗り換えて津和野へと向かう。
駅のホームでひとときの時間を過ごす。やがて、ゆっくりと列車が入ってきた。
列車は蒸気機関車が引っ張って、黒煙を残しながら山間を走ってゆく。
車内にはおおきな荷物を持ったおばさんたちがたくさんいた。
行商の帰りなのだろうか。数人ごとに蜜柑を食べながら談笑している。
この車内では時間がゆっくりと進んでいるような気がした。
木漏れ日の落ちる渓谷を縫うように列車は走ってゆく。
 津和野は小さな駅だった。田舎町の駅という感じであった。
町中の水路には、鯉が赤やオレンジの鮮やかな色を躍らせつつ泳いでいた。
津和野は小京都として人気がでてきた頃であったが、まだ人は少なかった。
ぼくは城跡の方角へとのぼっていった。山間部の小高い山の上に城跡はある。
上から遠くを眺めると、冬枯れた木々の間を列車が走っている。
米粒ほどにしかみえない機関車が灰色の煙を吐き出している。
暖かな日差しがわずかばかりの平野部にふりそそいでいる。
下からの上昇気流にのって鳥が数羽舞っている。
防寒ジャンパーの衿もとをすこし開いて、ぼくは冷たい風を懐によびこんだ。
持ち歩いていたスケッチブックをこの旅ではじめて開いた。
 蛇行する川にそって走る線路と、茶色に冬枯れた田畑を描こうと鉛筆をとった。
対角に位置する山脈は、くすんだ群青色ににじんでいる。
描き終わりスケッチブックを閉じて山間部のこの町をながめる。
はやくも陽は西に傾きはじめている。時計をみると、思ったより時間がすぎている。
あわてて津和野駅へと山をくだっていった。
 益田の駅にもどってくる頃には、あたりは夕やみに包まれはじめていた。
萩へと向かう列車はなかなか来なかった。
やっと萩についたときには、時計は6時半をこえていた。
急いで「萩指月ユース」へとむかった。ようようたどり着いて、玄関をはいった。

1544石垣

 そこに待っていたのは、厳しい表情をしたペアレントさんだった。
かなりの年輩で眉間にしわを寄せて立っていた。
ぼくのほかにも予約をしているという女の子二人連れが横にいた。
おもむろに、彼は口を開いた。
「予約をしているようですが、今日は泊めることはできません」
「約束の時間を過ぎているのだから、当然のことです」
「規律の守れないない人は、当ユースには必要ありません」
というようなことを、立て続けに大きな声で言われたような気がする。
ぼくはしかたがないなとは思ったけれど、女の子はなにも言えずに立ちつくしていた。
なんとか彼女たちだけでも泊めてあげてほしい、と言おうかとも思った。
だが勝ち誇ったような彼の表情を見ていると、なんだか腹がたってきた。
しかしここで喧嘩になってしまってはかえってまずい。
 ガラス戸越しに食堂らしき部屋にいるホステラーたちが見えた。
彼らも心配そうな表情をしていた。どうなるのだろうと見守っているようだった。
ぼくが見るところによると、旅慣れないような若者それも女性が多いようだった。
せっかくの旅行をこんなことで気まずくして、と可哀相な気がしてきた。
こんなユースに泊まったばっかりに、ユースの印象も悪くなるのだろうな。
 人を強権で従わせようとする考えが、ぼくには理解しがたい。
押さえつければ押さえつけるだけ反発するのは経験的によく知られたことである。
押さえつけて人を従わせようとする人は、自分に自信がないことが多い。
自分の考え信念で行動するのではなく、常になんらかの規則を楯にとる。
その規則は人が作ったものである。その規則に今度は人が縛られる。
そのおかしさに気がつかない。自己矛盾であろうとも無理にでも通そうとする。
彼には絶対的な後ろだてが必要である。それが彼にとっては規則である。
声の大きさと論理の正しさは比例しない。もしくは、反比例するかもしれない。
信頼による関係性の維持ではないから心の奥では常に不安がつきまとう。
不安が更なる強権の発動をうながすことは自然な流れだ。
イソップの「太陽と北風」は、このことの寓話だ。
 静かに、ぼくはその場を離れた。

早春紀行(七)フロインドリーブのパン
 ゴトゴトと音がしたようで目が覚めた。
枕元の腕時計に手を伸ばして文字盤を見ると11時を過ぎていた。
これはいかんと起き上がり、急いで布団を畳んで押し入れにしまった。
顔を洗って、昨夜食事した部屋にのっそりと入ってゆくと、
「おはようございます」と先に声をかけられてしまった。
「よく眠っていましたね。あまりに気持ちよさそうに寝ているので、起こさなかったんですよ。
さあ、こちらにきて、ちょっぴり遅い朝食にしませんか。おなかが空いたでしょう」
「すみません。よく寝てしまいました。もうお昼ですよね」

部屋のなかには、香ばしいパンの焼けるにおいがしていた。
においがする方を見ると、山食のトーストが皿にのっている。
こんなパンを食べているのかとぼくが不審そうな眼をしていたのだろうか。
「このパンはね、彼が神戸からもってきてくれたのよ。あなたもどうぞ」
と、またしても先をこされた。
「いやあ、おいしそうなにおいですね。ぼくも神戸ですけど、このパン高そうですね」
「そうやな、ちょっと高いな。フロインドリーブで買うてきたんや。
でも、ほんま、おいしいんやで。まあ、遠慮せんと食べたらええわ」
「じゃあ、ひとついただきます」
と言って、ぼくはトーストを一枚とってかじりついた。
かりっと焼けていて、そのくせもちっとした食感もあり、イーストの香りが食欲をくすぐる。
うまい。おなかも空いていたんだ。ペアレントさんが紅茶をいれて、ぼくにだしてくれた。
すこし砂糖を入れて飲むと、口中に渋みがゆるやかにひろがった。
「トーストも、紅茶もおいしいですね。寝坊してよかったみたいです」
ぼくが嬉しそうに言ったのだろうか、みんなが明るく笑い顔で応えてくれる。
ユースのお母さんは、やさしくこうも言ってくれた。
「それはよかったわね。もしなんなら、カレーライスもあるわよ。
若いんだから、食べるわよね」
「そうそう、若者は食べなくちゃいけません」
「ええ、申し訳ないみたいですけど、いただきます。
ほんとは、おなかがぺこぺこなんです」
照れくささをかき消すように、頭をかきながらぼくは言った。
奥へと立ったお母さんの姿が見えなくなると、カレーの香りが静かにただよってきた。
皿一杯に盛ってくれたカレーはうまそうで、思わずお腹がなりそうで困った。
かしこまって皿を受け取り、スプーン一杯にすくって口へほうりこむ。
ほんまにうまいなあ、こんなにうまいカレーを今までに食べたことがない。
初めての経験やなあ、というような顔をしていたのだろうか。
その場のみんなが口々に言った。
「ほんまに美味しそうに食べはるね。見ていて、思わず引きこまれそう」
「そうやなあ、こんなにおいしそうに食べてくれたら、お母さんほんまに嬉しくなりますよね」
「そうね。つくり甲斐があった、というものですなあ。お代わりもあるわよ。
若いんだから、どんどん食べなさい」
なんだか気恥ずかしくなってきたが、思い切ってもう一杯お代わりをした。
なごやかで、穏やかな人たちに囲まれているぼくは幸せだった。

2152窓外の望み

「これからどこ行くのん」
神戸の彼が聞いた。
「今日は津和野に行って萩泊まりの予定なんです。
明日は山口を通ってそのまま山陽方面へ抜けるつもり。
広島のMGユースへも初めてやけど行こうかなと思ってるです。
最終は岡山の真鍋島にある三虎ユースというコースやけど」
「まだ旅は始まったばかりちゅうことやな。けど、けっこう旅してるんだ」
「いえ、そんなことないけど、おもしろそうなところを探して旅行してるんです。
いわゆる観光地みたいなところには、あまり興味ないんです。
それに人が多いのは、どうも苦手ですしね」
「ふーん、いろいろ知ってるんやな。でも、萩は女の子が多いので有名やで。
それにあそこのユースのペアレントは、厳しいので有名やから気をつけや」
「そうなんですか、でもほかにユースがなかったから。
ここは、前に真鍋島で会った人に聞いて来たんですよ。名前は忘れてしまいましたけど。
ハンドブックで見たら、特に観光地でもないところにぽつんとあるし、
なんかおもしろそうやなと思ったんです」
「それで、実際に来てみてどんな印象ですか」
「そうですね。まず、トーストがおいしいです。さらに、カレーが最高」
「それに、紅茶も香り高いで」
とすかさず彼が言って、みんなで大笑いした。

早春紀行(六)城福寺ユースホステル
 今日は仁摩にある「城福寺ユースホステル」に泊まる予定だ。
以前旅行中に知り合った人に噂を聞いて行ってみようかと思った。
常連と呼ばれる人たちがいるらしいから、ある感性の人々には居心地がいいのだろう。
ぼくにとってどうかは知れないのだが、なにかしらの魅力があるのだろう。
なにもない片田舎の地にその寺はある。
 出雲市を過ぎ大田市をへて仁万駅にたどり着いた。
駅前にはなにもない。さてどうしたものかとハンドブックを開いて道筋を確かめる。
バスよりは歩いたほうが早いだろう。
徒歩で15分くらいのものだ、おおよその方向を見定めて歩き始めた。
 アスファルトの道路を越えて田圃沿いのややのぼり加減の道を歩いていくと、
木陰の向こうに寺の屋根が見えた。門を通って玄関で声をかけた。
あたりはひっそりと静まり返っていた。奥さんらしき人が出てきて招じ入れてくれた。
庭に面した廊下を通って部屋へと案内された。

 部屋に荷物を置いて、ぼくはごろっと仰向けに寝ころがった。
高い天井に張られた板目が眼にはいる。
うねる波模様を描いているかのようにぼくには見えた。
いつか遠い昔にこんな光景があったなあと、そんな思いが湧きだしてきた。
 ぼくが幼かった頃のことだ。寒い冬のことだ。手に霜焼けをつくっていた。
小学生の頃に感じた心細さがじんわりと胸の内に広がってゆく。
布団のなかから顔だけ出して見つめる天井の木目は、
いつも細くなったり太くなったり揺れるように変化してぼくの心を不安にさせた。
間隔が細くなっていくと、それはなにかよくないことが起こる兆候だ。
なぜかは知らないが、かたくそう信じていた。
胸が締めつけられて苦しくなるような気持ちのうちに、広くなって欲しいと強く念じる。
そうすると、間隔は徐々に広くなっていく。念じる力を弱めるといつ狭くなるかもしれない。
そう思うと、緊張もした。やっと落ち着いて眠れると思っても次なる不安が湧いてくる。
今度は夢にまた現われるのでは、という不安にたちまち襲われる。
思わず頭の上に布団を引っ張りあげて、目をつぶる。
すると、隙間の空いた足元から冷たい空気が入りこんでくる。
それを足の先で布団をつかみ押し下げて隙間を閉じて防ごうとする。
そんなふうにごそごそしていると、いつもうるさいと叱られた。
ぶつぶつ言いながらいつしか寝入って気がついたときはいつも朝だった。
そして木目のことも忘れていた。
 そんなことがあったなあとぼんやりと天井を見ながら考えていた。

 夕食の知らせがきて食事をする部屋にいった。
今夜の宿泊者は数人しかいないとのことである。
食事の後、風呂に入り、ストーブのついた部屋で世間話をして過ごした。
移動距離が長かったせいか疲れたので先に休ませてもらった。
ゆっくりお休みください、と声をかけられた。
 畳敷きの部屋で落ち着いて眠れた。
不思議に安らかな気分で、布団のなかで伸びをすると気持ちがよくなった。

2134レンガ塀

註:城福寺ユースホステルはいまではYHをやめてユースハウスとなっているようだ。
そのサイト内の旅人たちの思い出の中に、「坂上さんのアルバム」というのがあった。
もしやと思って見ると、やっぱりぼくの知ってる坂上氏にまちがいはなかった。
ちょっと斜にかまえたシャイな笑顔がなつかしい。
彼からこの城福寺YHのことを聞いたのだったろうか、いまでは確かめることもできない。


早春紀行(五)行住坐臥
 ふたたび列車の振動する席に座りながら、考えはひとつの軸に収斂していった。
こうやって出会った数限りない人たちのことも、ぼくはいつかは忘れてしまうのだろう。
人と出会い、そして別れることを繰り返すことによって人生がかたち作られてゆく。
輪郭はおぼろげになったり、くっきりと浮き上がったりしながらも、ぼくのなかを過ぎてゆく。
なにかに追われるように暮らす日々の中に埋没していても、決して消えはしない。
見ているものも、見えているものも、見ていなかったと思うものさえ。
ぼくこころのなかに残されていくのだろう。
忘れることと、忘れ去ることとは同義ではない。
忘れ去りたかったことと、忘れえないことも等価ではない。
しかし、忘れてしまうことも多々あるのだろう。否、忘れてしまったと思うことが…。
忘れ去ることは、記憶することに先行できない。
無意識のうちに脳に埋め込まれていった記憶はどうなるのだろう。
そして思いもかけないとき、不意に意識に立ち現れる記憶は、
ぼくにいったいなにを語りかけようというのか。
でも、決して忘れえない人との出会いがいつかはあるのかもしれない。
どのようなことが起こり、どのような顛末を迎えるかは知れたものではないのだが。
 数々のエピソードは静かにぼくの心層に降り積もってゆく。
それは不透明な澱のように規則正しく層をなしてゆく。
音もない世界に雪が降るように重なりあって沈んでゆく。
層を形成する行為がその層の断面模様が、ぼくの人生でもあるのだ。
なぜか、去年の春に訪れた瀬戸内海の真鍋島にある「三虎YH」のことが思い浮かんだ。
つぎつぎと懐かしさの感情とともにいろんな人の笑顔がぼくのこころをしめつける。
ひとりで旅するものは、人恋しさから逃れようとしているのかもしれない。
しかし、逃れようとすればするほど人恋しさがつのってくる。
彼も彼女も、ぼくと同じような思いのなかでひとりで旅をしている。
きっとそうに違いない。きっとそんな気持ちでいるはずだ。
そう思い至ったとき、こころは緊張からときほぐされ自分の感覚が戻ってくる。

0851水面

 目をつむってこころを澄ませば、公園のベンチに座っている自分が見える。
足元には小さな空間を忙しげに行き来する何百という蟻たちがいる。
前足で自分の体の数倍もの食料を高く持ち上げて、しっかりとした足どりで運んでいる。
雑草のジャングルを巧みにすり抜けて砂粒の岩山を越えて去っていく。
あとからあとから、とぎれることのない蟻たちの行進が続く。
蟻たちはいったいなんのために生きているのだろうか。
 頭上の青空には弧を描いて舞うトビが遠くに見える。
数羽が互いに入れ違いに飛び交いながら移動してゆく。
大地を俯瞰するように、ゆるやかなインボリュート曲線をなぞるように飛ぶ。
山沿いの気流に浮力をもらいながら、日の光を浴びてきらめく海上に消えてゆく。
トビたちはいったいどこへ飛んでゆくのだろうか。
 この寒々とした大気のなかにも数億ともしれない生物が浮遊していることだろう。
時には太陽の光をきらきらと反射させながら漂よい渦巻いている。
微生物の使命はいったい何だというのだろうか。
 人間はなぜ自分中心にしか世界を見ることができないのだろうか。
自分の見える世界にしか意味を見いだせないのだろうか。
人の知りようのない世界でも、そこにも確かに生命の脈動がある。

早春紀行(四)伯耆の國
 ドアを開けて表にでると、思わず襟元をあわせてしまうような寒さだった。
室内の暖かさになれた身体には、風が冷たく身にしみるようだ。
 真夏にこのあたりを訪れたことがある。
その頃勤めていた設計会社の出張だった。
仕事は山陰線が電化されるに伴って起こってくる誘導障害の調査だった。
影響を受けると思われる線路沿いにある通信施設を調査、測量し資料を作成する。
ぼくはまだ工業高校を卒業して数年しかたっていなかったので、主に実測作業員といったところ。
そのときはジリジリと照りつける夏の太陽の印象しかなかった。
 厚紙のバインダーに測量資料を挟んで鉄道線路沿いに歩いていく。
ヘルメットをかぶり、首には流れる汗をぬぐうためのタオルを巻いていた。
足の甲を防護する鉄板のはいった編み上げ靴をはいていた。
リュックを背負い、足元ばかり見ながらただ歩いてたことを憶えている。
ときおり顔をあげて前方を眺めれば、陽炎がゆらゆらとたちのぼっていた。
暑くてたまらず、頭のなかは冷たいものが欲しい飲みたいということしかなかった。
それでも不思議なことにだんだんと身体がなれてくるということを知った。
 
 山陰線の沿線には、そこかしこに温泉が湧きでている。
玉造温泉、皆生温泉、羽合温泉、東郷温泉、湯村温泉、城崎温泉などと多彩である。
温泉にのんびり浸かって、ゆっくりしていたいなあと思う土地柄だった。
 列車の進行方向左側に山頂に雪をかぶった大山が見えてきた。
決してスマートとはいえないその姿は富士山に似ているといわれている。
伯耆富士だ。霊場であり、修験者の分け入る山でもある。
法螺貝の音が聞こえてきそうな気さえする。
やがて列車は米子駅のホームへとはいっていった。
 米子には山陰では有名な皆生温泉がある。
ぼくも仕事をしている頃何度か出張できて泊まったことがある。
宿の名物はモズクと蕎麦だった。
また、ストリップ小屋がたくさんあることでも有名であった。
上司が見物から帰ってきて、この前大阪で見たときと同じ踊り子が出てたわ、と言った。
よく憶えているものだと思うと同時に、ダンサーも大変なんだなあと感じいった。
旅役者と同じような生活なのかなあ。仕事となればいずれにしろ大変だ。

 どこか食堂に入って昼ご飯を食べることにした。
旅行客相手の店は避けたいものだと、知らず知らずのうちに店を選別しながら歩いていた。
歩いているうちに、いつのまにか裏通りに入りこんでいた。角にうどん屋があった。
表の戸は開け放してあり、店内は昼時を過ぎているのだが客は多かった。
暖簾をくぐって店に入ると、元気ないらっしゃいの声が聞こえた。
壁の品書きを見て、月見うどんと稲荷ずしを注文した。
待っている間に店内をながめる。テーブルの上の箸立てを見る。
箸袋を引きあげて見ると「讃州庵」とあった。

 隣の席ではおじさんがコップ酒をうまそうにのんでいる。実にうまそうにのんでいる。
丁寧に、丹念に酒をのんでいる。ささやかな幸せは、いろんなところにあるものだ。
陽に焼けた顔、節ばった手を見ていると仕事の大変さが伝わってくる。
そう感じるのはぼくの思い過ごしだろうか。
 酒をのむとは、どういったことなのだろう。あまり考えたこともない。
 一日中肉体労働に精を出して、やっと仕事が終われば身体はもうくたくただ。
そんな仕事に区切りをつけるために酒をのむのだ。
酒をのむことによりほっと生きかえるのだ。
気分の切換えがうまくできなければ疲れもとれない。
明日も頑張ろうとはならないだろう。
 しかし昼間からはいただけないな、と思った。だが、今日は何曜日だ。
旅をしていると曜日の感覚がなくなる。そういえば今日は土曜日だ。
それで仕事も昼までだったのだろうか。そうなんだろう。
思わず、おじさんお疲れさまとこころのうちで呟いた。

0849木立に野鳥

早春紀行(三)上井駅
 ひと気のない余部駅でプラットホームの柵にもたれて海を見ていた。
どんよりとした天候で肌寒い風が吹いている。
今日はどこへ行こうかと考えるでもなくぼんやりとしていると、がたがたと列車がはいってきた。
デッキ横から列車内に入ると鳥取方面へ行商にでかけるらしいおばさんたちがいた。
脇をすり抜けて四人掛けの窓際にすぎゆく後方をみる位置に座った。
どうしてだろう、いつも気がつくと後方を向いて座っている。
どちらを向いて座るかでその人の性格が推察されたりするだろうか。
ばかばかしいと思ってみても、外向的性格、内向的性格といったことを考えている。
 以前見た子供たちは前方を向いて、ときには窓から体を乗りださんばかりにしていた。
ぐんぐんと自分に迫ってくる物たちに対して歓声をあげていた。
山陰線の列車にゆられながらぼんやりと考えていた。
 昨日のUさんとの邂逅は、ぼくの人生に何かを示唆しているのだろうか。
不思議といえばそれだけだが、単なる偶然ではないと考えることもある。
このようなとき、科学的ではない思考が浮かぶことはよくあることだ。
そこに人生の不思議を感じたとすれば、ぼくがすでにそのような思考を自身のうちにもっていたのだ。
出会いはその思考が意識に昇ってくるきっかけになったにすぎない。
だとしても、なぜそのことが契機となりえるのかという説明にはならない。
 窓の外のまだ春をも予感させない風景はどんどんぼくの後方へ去っていく。
つよい潮のにおいが人間臭く感じられた。
大きく胸いっぱいに潮風を吸いこんで、ふーっと一息ついたら少し落ち着いた。
こんなときは眠るのがいい。なにか夢を見たようだが、思いだせなかった。

2124動輪

 いつしか列車は上井駅に着いた。ふいに倉吉の町を歩いてみようかと思った。
山陰では落ち着いた雰囲気をもった、史跡などもある町だ。
以前設計会社に勤めていたころ、出張できたことがある。
駅の周辺はなんの変哲もない。どこの田舎にでもあるような駅だ。
 急ぐ旅でもなし、知らない町をぶらぶら歩くのもいいだろう。
バスに乗るのはけっこう面倒なので二つや三つの停留所ぐらいならいつも歩いてしまう。
歩きながら、前後左右をながめつつすすむ。
とても気分がいいし、歩いているから寒さも気にならない。別に方向を間違ったってかまわない。

 少し疲れてあたりを見まわすと現代風な喫茶店があったのでドアを開けた。
なかにはコーヒーの香りが強く漂っていた。
「ホットコーヒー」と頼んで、店内を見わたした。
むき出しの木肌が雰囲気をだしている。音楽もボリューム低く、感じがいい。
ジャズらしいが、よくは分からない。でも静かで落ち着ける。こんなことは珍しい。
たいていは音楽が騒々しいか客がガサガサしてるかどっちかだ。
なかなか洒落た店なんだなあと感心していると、ママさんらしい人が問いかけてきた。
「学生さんですか。それも関西の方ですか」
「ええ、そうですけど、どうして分かるんですか」
「いえ、別にそういうわけじゃないんですけども。お見かけしたところ、ご旅行のようですし。
この時期は学生さんが多いですし、関東の方というのは滅多にいらっしゃいませんからね。
うちの息子が大阪の大学に行ってるんですよ。なかなか帰ってきませんけれどね」
「今はどこの大学も学園紛争で大変です。勉強という雰囲気やないですしね。
ぼくはそれが嫌でこうして旅行してるんです」

 ほんとうに学園紛争にはうんざりさせられる。
もう少しお互いに建設的になれればいいのだが。しかし、それは無理というものだ。
相手の言うことなど端から聴く気持ちをもっていない。
今まで対話なぞというものに無縁できたのに、急に対話集会といったってできるはずがない。
対話集会とは名ばかりで、実際は弾劾裁判とでもいえる代物であり雰囲気なのだ。
政治の世界を見ればこのことがよく分かる。何が現状では最善か、という視点はない。
社会党や日本共産党と同じで、硬直化した教条を繰り返えすばかりだ。
あなた方は面子にこだわっているだけだと言いつつ、自らが面子にこだわっている。
とにかく反対なんでも反対でフォークソングにかっこうの素材を提供している始末だ。
子どもが親の性格や行動様式から完全に抜けられないのと同様なのだ。
批判者も批判しながら同じような弊に陥ってしまっている。

「これも勉強のうちなんでしょうかねえ」
「そうかもしれません。でも、困ったものです」
と言いつつ、別にぼくは困ってなどいないのだ。

早春紀行(二)余部ユースホステルの邂逅
 福知山を過ぎて線路はいつしか山陰線となる。
豊岡を通過すると、窓の外の景色も山陰の様相をいっそう濃く帯びてくる。
短いトンネルが続く海沿いをぬけて余部についた。
 日本海を望む駅に立って寒風にさらされた。しかし、寒さがこころよい。
空はどんよりと曇っている。地図を頼りに地道を歩き出した。
振り返って見れば、東洋一ともいわれる余部の鉄橋がそびえ立っている。
あたりには人の影もない。山陰という字づらさながらに寂しげだ。

2529余部鉄橋

 余部ユースホステルは、白いコンクリートの建物だった。
寒々としたたたずまいを見せていた。
部屋は二段ベッドでがらんとしていた。今夜の宿泊者は少ないようだ。
風の音が一段とさみしさをつのらせる。
 夕食の時間になり、食堂に行って、思わぬ人に出会った。
Uさんも突然のことに驚いたことだろう。
大阪で幾度か顔を合わせているのでお互いぎこちなく挨拶をした。
顔は見知っていても、親しく話したことはない。
彼女もどうしてこんなところで出会ってしまうのかと思っていることだろう。
 Uさんはちょっとエキセントリックな雰囲気をもった人だ。
ぼくは夕食の間も不思議な感覚に捉えられて「蟹スキ」もうまくは感じなかった。
でも、なんだかこれからの旅が楽しくなるような気もして胸がどきどきした。

「こんなところで会っておどろきました。ところで、これからどちらへ行かれるんですか」
「別に計画というようなものはないんですが、山陰をぶらぶら歩く感じですかね」
とぼくは相変わらずはっきりしない物言いだ。
「そうですか」
「Uさんはこんなところで、と言っては失礼ですがなにをなさっているんですか」
それには答えたくないようで、はっきりしない返事だった。
こんな調子だから話はなかなか滑らかには続かない。
 ぼくはあまり話しもせぬうちに疲れを感じて早々にベッドに潜り込んだ。
これからなにか良いことが起こる前触れだろうか、と考えさせられるような出来事だ。
外は風が吹いてきっと夜空は満天の星たちで埋めつくされていることだろう。
そんなことを考えているうちに、いつのまにか眠っていた。

 翌朝ぼくがでかける時に、Uさんが近寄ってきた。
なにも言わないでガラスの浮玉をぼくの前に差しだした。
その動作につられるように前へ手を出すと、そっと浮玉をぼくの手のひらにおいた。
薄青色をした、少しいびつな球形をしていた。
冷たい山陰の海を漂っていた、という感じがした。
漁網につけて浮の代わりに使うということだった。夜の海に漂うのが見えるようだ。
ぼくは顔を上げて小さな声で「ありがとう」と言った。彼女は黙って微笑んでいた。
かたわらに置いたザックの中からタオルを取りだした。
あたっても壊れないように浮玉をくるんでそっとしまった。

続けるべき会話の言葉も知らないぼくは、駅の方角へ向かって歩きだした。
少し歩いて振り返ると、彼女がぼくを見守ってくれていた。
彼女は声も出さずに手をふっていた。
それにこたえて黙って手をあげた。
「さようなら」の声もだせず、また駅に向かって歩きだした。
歩き始めながら、なぜか彼女がいつまでも手をふっているような気がした。
言葉ではないなにかがぼくに伝わってきている思いでからだがぶるっと震えた。
 それが幻想であることは十分承知しているのだが、振り返って確かめたくはなかった。
もうすでにそこにはなにも存在じないはずだ。かぶりをふって駅へと道をたどっていった。

早春紀行(一)山陰均一周遊券
 大学が春休みにはいり、ぼくは国鉄の「山陰均一周遊券」を手にしていた。
千里の学舎は学園紛争さなかであったが、旅にでることにした。
 その頃学生集会などにも参加したが、なにか馴染めないものを感じていた。
大学構内は道の両脇を立て看板が埋めつくし、その間を縫って教室へ歩いていく。
そのぼくたちにマイクをとおしたがなり声が降り注がれていた。
キャンパスでは連日のようにアジ演説が繰り返され、いつも騒然としている。
そんなこころ落ち着かない光景には嫌悪を感じていた。
 話される内容よりも、その語尾を変に上げる声調、奇妙な日本語が嫌だった。
ぼくは彼らの言葉に対する無神経さに、いらいらさせられどうしだった。
これは日本語なんだろうか、という思いがつねに頭にうかんできた。
こんなイントネーション、発音、アクセントがあるだろうか。
地方からの学生が多いといっても、方言とは全く違っている。
彼らは言葉を軽く見ていた。日本語を馬鹿にもしていた。そして日本語を粗末に扱った。
だから当然のことながら、思考をも軽んじる傾向をおびていた。
言葉のになう文化的意味を知らないというより、あえて無視していた。
 これは彼らの言葉になりきらない思いなのだろうか。
それとも、言葉にならない思いではあっても、世のなかの人に知らしめなければならない、
というジレンマに包まれていたためだろうか。
しかしながらそのためには、まさに日本語を使わざるを得ない。
そのことに苛立っていたのだろうか。
 彼らは聞く人に不快感を与えることを知っていながらそうしている節もあった。
とにかく、言葉に対しての見解の不一致の溝は埋められないと思った。
だから、必然的に学生運動にものめり込むことはないだろうと漠然と考えていた。

 ぼくが大阪駅の福知山線のホームに立っている頃には、大学のことは忘れていた。
乗客まばらな急行列車の自由席に座ってザックから文庫本を出してページを開いた。
ソルジェニーツィンの「イワン・デニーソヴィッチの一日」である。
ラーゲリやマローズといった言葉に、思わず身震いを感じた。
だが知らぬ間に黒いインクの一つ一つに連なる文字の世界に引きこまれていった。
遠くシベリアに思いを巡らしつつ、冷たいカップ酒をのんだ。
口に苦い酒を含みながら、とうてい実感とは成り得ないとわかった。
その思いは悲しいような淋しいような感覚と共にぼくをはるか遠くへはこんでゆく。
酷寒はわかり得なくとも、イワンの心情は理解できるだろうか。
 ソ連の体制がどうとかという問題ではない。
人が生きるとは何か、と思って読み進んでいた。

3669山は雪

 教育学科の教授のなかには共産主義に強く傾倒していると思われる人たちがいた。
普段は温厚な性格の教授もひとたび共産主義やソヴィエト連邦の話になると人が変わる。
ぼくにとっては狂信的とも思えるような面を現わすのだった。
進歩的といわれているような人たちの中に多かった。
見た目は紳士然としている人たちが大半である。
学生たちには指導も丁寧、親切で評判もいいのだ。
だが、ぼくには何か割り切れないものが残った。
 彼らは熱心に共産主義の素晴らしさ、その理想主義的面を説くのだが現実的ではなかった。
多分にお坊ちゃん的であり、狡賢い自由主義者の敵ではないように見えた。
ぼくは意地悪にも、だからソ連に亡命するということを考えたこともないのだろうと思った。
彼らの無意識は、その体制を批判することのできる日本の居心地の良さを知っているようだ。
なかばその実現を模索するよりは、主義を説く陶酔の中に生きているように、ぼくには思えるのだった。
 人間的には尊敬できる教授も、その思想には理解しがたいものがある。
彼らをしてこうあらしめる主義とは、なんと宗教に近く見えることだろう。
宗教となれば、その教義は科学的検証の埒外にあると言わざるを得ない。
そこからは、不毛な論争が引き起こされる以外に道が展けない。
お互いの前提を検証しあうことなしには、先に進めるはずがない。
しかし、その検証は論外である。
 そんな愚にもつかないことを思いつつ、列車の人となっていた。

旅の意味
昔読んだ小説に「旅の重さ」というのがあった。
いまでも憶えているのだが、作家は素九鬼子さんだった。
(映画になったようだが見ていないし、見たいとも思わなかった)
(その本もだれかに貸してそのままになった)

はじめて読んだとき、なんとなくそうだよなと思った。
人生そうそうきれいごとばかりじゃないよな。
でも、なにがきれいでなにがきたないか、それはいつまでも結論がでなかった。
きれいごとのために人は生きてはいない、なんとなくそう思っていた。
でも旅にでなくてははじまらないと感じたものだ。
(なにがはじまるのか、そんなこと知っちゃあいないけど)
(やみくもに、とにかくどこかへ行きたかった)
(いま考えれば、どこでもよかったのだろう)

ハッピーエンドがなんとなく嘘寒く感じるのだった。
だけど青春(若いころ)はいちどしかない。
同様に人生は繰り返しも逆戻りもできないのだ、と観念でしかわからなかった。
いまになって、でも青春時代がなつかしいと思えることがある。
思いだしてひとり笑ってしまうことなんかもままある。
それでもそんななかでいろんな人に会ったのだ。
おおいに影響もうけた。

3677夕景

「初めての真鍋島紀行」を書いてすこし経ったころだった。
記憶のうすれ、書く気力がなくなる前に書いておこうと思った。
すべてを書くことはとうていできないが、でも書けるだけ書こう。

もちろんこれはフィクションである。
記憶はときとともに、その人間の都合(価値観?)で変貌をとげる。
それが悪いとかいけないことだといってもしかたがない。
ヒトはそういう生物だと知っておかなくてはならない。

ひさしぶりに読みかえしつつ、またブログにあげるのもいいかなと。
すこし長い(五十回くらい)が、まあ暇なときに読んでみてください(笑)。

題して「早春紀行」、あのときもとても寒かった。

ユースホステルの効用
一年ぶりに仲間が集まっての新年会がひらかれた。
梅田から徒歩圏のマンションが新年会会場だった。
これで何年目になるのだろうか。
場所はすっかり記憶の底にすみついている。

参加者は総勢二十名となった。
持ち寄りの料理あり、手土産の銘酒あり、めずらしい名産品あり。
ホストのAちゃんはつぎつぎに秘蔵のワインをおしげもなくあける。
(あとで後悔しても知らないぞ、だがこの楽しさが彼にそうさせるのだろう)

5874マーマレード煮

5873赤コンニャク

5878晩白柚

瀬戸内海にあるM島のユースホステルがわたしたちをつなぐキーワードだ。
おばさん、おじさんがぼくたちにくれたおおいなる贈り物がここにある。

島ですごした青春の日々は忘れがたくそれぞれのなかにあるのだろう。
掃除、洗濯、炊事など家ではしないことをいろいろと見よう見まねでやった。
嫌いな食べ物も、旅をしてるとそういってもいられない。
いつも腹をへらしていたから、食べれるものはなんでも食べた。
好き嫌いをいって、軟弱者だと思われたくなかった。
そのおかげか、いつのまにか食べ物の好き嫌いもなくなっていた。

夜になっても、寝るのがなにかもったいないような気がした。
時間がいくらあっても、いくらしゃべっていても満足できなかった。
いつかは別れてそれぞれの住む地へ帰らなくてはならない。

そんなことを思いださせる新年会だった。
もうあれから何十年も経っているのに…。
ふとしたときに、友に若いころの笑顔をみる。
なんてしあわせなことなのだろう。
お金ではけっして買うことができないのだ。

5876シャブリ

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行



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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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