ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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タケノコ探偵団(上)
KBSくんの奥さんの実家(美星町)では、毎年竹の子がたくさんとれるという。
自分で採りにくるのなら、すきなだけ獲っていいよというのででかけることにした。

それはいいのだが、この時期だというのに台風が近づいている。
いつものこととはいえ、どこかへ行こうとするとなぜか雨に遭遇することがことのほか多い。
自然の巡りあわせなのだが、どうもわたしにが元凶だと周囲は思っているようだ。
だがみなさん、雨が降らないと困ることも多いのではないですか。
米の作柄におおいに影響するし、飲み水にも難儀することになるぞ、といいたい。
それはわかってるが、旅行にいくたびに雨が降るのはどういうことだ、と反論をうける。
そんなこと知らんがな、とつぶやくしかわたしに途はないのだろうか。

だから目覚めると、まずは外の様子が気になる。
窓からながめる山すそには雨の予兆の朝靄がたちこめていた。

4663朝靄

小雨模様ながら、「吹屋ふるさと村」の観光をすることにしよう。
ここは銅山で栄えた町でもあり、ベンガラの産地でも有名である。
それで巨大な財を成した広兼邸へ、小高い丘のうえにたつ広大なお屋敷である。
どこかで見たことがあると思うのは、映画化された「八つ墓村」にでてくるからだ。
横溝正史の原作でおどろおどろしいミステリであり、ベストセラーにもなった。

4677広兼邸

銅を採掘した笹畝坑道では、うねうねと続く暗いところを歩く。
ときおりきらりと光るものがあり、よもや金銀かと思ったが水滴に光が反射しているのだ。
まあ、そんなことはめったにあるものではない(嗚呼、残念)。

4686笹畝坑道

4716吹屋町並

今夜の宿は「ラ・フォーレ吹屋」だ。
すぐ近くにはライトアップされた「吹屋小学校」があった。
生徒の減少にともなって今年度で廃校となる予定らしい。

4726吹屋小学校

部屋でビール・ワイン・清酒・芋焼酎など飲みながら歓談する。
そのあいだも、外では間断なく雨が降っている音がするようであった。

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テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

虫たちの初夏
沖縄ではすでに梅雨入りしているらしい。
とはいえ、いまが一年のなかでもいちばん過ごしやすいのではないだろうか。
気温が高くなってくれば、ひと雨ごとに植物たちもぐんぐんとのびてくる。
つぼみだったものが花ひらけば、それにつれて虫たちの活動も活発化してくる。

4655花

そこに人は季節を感じるのだが、花はけして人をよろこばせようと思ってはいまい。
おおむね蜂などの虫たちに受粉のお手伝いをお願いしたいからからなのだろう。
そのお礼としては(ギブ・アンド・テイク)蜜をご用意していますよ、ということなのだろう。
まさに互恵的関係なのだが、人はその輪のなかに入っているのかどうかと考えると心もとない。

4653花

にぎやかに飛ぶ蜂たちもいそがしげだが、毛虫やカメムシの食欲も旺盛なようだ。
すこしばかり植えているナス、ししとう、ピーマン、きゅうりなどの苗にもやってくる。
こちらにもすこしはおこぼれを頂戴したいのだが、とつい遠慮がちになるのはどういうことだろう。

「あなた、わたしたちはこれしか食べられないんですから」
「そういわれれば、確かにそうだな」
「好きでベジタリアンやってるわけじゃないんですよ」
「わかりました、どうもすいません」

と引き下がるしかないじゃないですか。

ただ、いまからそんなに食べたら元も子もなくしますよ。
もうすこし茂ってから食べた方がいいんじゃないかと思うんですが…。

4656花

無読無想
ときに読むのがいやになって、文庫本をザックにほうりこんだまま車窓をながれる木立をながめていた。
読むことによってなにかがわかるということはない、そう知ったのはいつのころだったろうか。
自分ひとりで考えることや、本を隅から隅まで読むことがいったいなにになるのかと思ったりもした。
なにかのためや、知識を増やしてえらぶるのが読書の目的だ、などとやはり考えていたのだ。
あるとき何のためでもないがとにかく本が読みたいと、そのときはじめて読むことが苦痛ではなくなった。
そんな自分に、「莫迦なやつだ」と捨てぜりふを投げつけながら苦笑いがうかんできたりした。
缶ビールをのみ、ときに眠り、うつつに読みふけるあまたある本たちに出会える幸運に多謝する。

4645窓辺の椅子

「スカーペッタ」(上)(下) パトリシア・コーンウェル 講談社文庫 ★★★
険屍官シリーズの16作目になり、上下二冊だから、まあ相当長い話になるわけである。
でもって、マリーノはどうなったかと思いつつ読んでいるとニューヨークで元気にしていることがわかる。
なんとか自殺は思いとどまって、ベントンにも助けてもらっていまでは捜査官に復帰し酒も断っている。
『自分の着ている、イタリアのデザイナーものに見せかけてはいるが、
そのじつ中国製の安っぽいスーツがふいに存在感を放った。
これを着て雨に降られたら、彼の歩いたあとには、イカの墨みたいな黒い染料の筋が残ることだろう。』
アメリカ人からは、中国製というのはこういう評価を受けているのだなあなどと思いつつ、
マリーノもどうやらやっとまともなスタイルで仕事をするようになったと安心(?)もするのである。
そんなときニューヨークで女性が殺され、その恋人に嫌疑がかかるが彼はスカーペッタを指名する。
彼女以外の者とはなにも話さないというので、ケイ・スカーペッタが彼と対面することになる。
殺人事件と、ネットにひろがる彼女への中傷サイトを軸にストーリーは展開していく。
でも、いまひとつ最初のころの緊迫感が伝わってこないのは、本シリーズに慣れたせいだろうか。
事件の解明よりもケイを中心とした人間関係の描写がメインになっているようで、食傷気味だ。
筆者もいろいろと苦労しているのだろうとご推察申しあげますが、プロットがマンネリ化しているのでは。

「昭和史探索 2」 半藤一利編 ちくま文庫 ★★★★
いよいよ激動の昭和がはじまる五年から八年が今回の守備範囲。
まだ日本帝国、つまり明治憲法での治世下であり歴史の大きな転換点をむかえるのでる。
昭和五年のロンドン軍縮会議から軍部の独断専行がすこしづつはじまっていく。
翌年には満州事変が起こり、七年には五・一五事件で犬養首相が青年将校に射殺される。
満州国の建国によって、八年には国際連盟を脱退することになり軍事国家へとひた走ることになる。
思想的な統制も厳しくなり、そんな事件がつぎつぎと…。
『二月二十日のプロレタリア作家の小林多喜二の逮捕、
そして拷問による死が象徴的な出来事であったろうか。
小林の死骸を引き取った作家江口渙によれば、小林の下半身は腹から膝頭まで、
内出血で墨と紅殻を混ぜて塗り潰したような色になっていたし、常の倍以上にふくらみ
皮膚が破れそうな股には、釘か錐を打ち込んだらしい穴が一五、六カ所もあったという。』
田川水泡の漫画「のらくろ二等卒」の連載がはじまったのも昭和六年のことである。
『今日の漫画が何げなく使っているフキダシ(会話のフクロ)、ケリダシ(走る時の土ぼこり)、
タタキダシ(たたいた時の火花)ものらくろが最初であった。』
巷には不景気風が吹き荒れる世相のなか皇太子誕生(昭和八年)だけが慶ばしいことだった。

「街場のアメリカ論」 内田樹 NTT出版 ★★★
わたしたち日本人のアメリカにいだくアンビバレントな感情や気持ちをこう明解に解説する。
『改憲派は「アメリカ人に押しつけられた憲法だから」という理由で憲法改正を主張している。
けれども彼ら自身の政治的立場は東西冷戦以来一貫してアメリカの世界戦略を支持することにある。
アメリカの世界戦略は主にアメリカ的価値の「押しつけ」として遂行されているが、
それを支持する方々が同時に「アメリカに押しつけられた憲法」はいやだと主張している。
逆に日本の左翼は「GHQに押しつけられた」憲法を「国の宝」と護持している。』
それぞれの立場の方々は、押しつけられたから云々は関係がないと弁明するのだろう。
だがそういう理由を強く主張する方が、内容を吟味するより日本人に強く響くことも知っているのだ。
まあ、その場そのときの苦し紛れ的でもあるがこれが意外に効果があるのでつかってしまう。
男女間の次なる文章も構造的に近似していると思えるのだが、どうだろうか。
『みなさんも経験的にはよくご存知のとおり、「そこに何かがあった」ということを信じさせる
もっとも効果的な方法は「それはもうなくなった」と告げることです。
他人にあなたが何かを持っていると信じさせるためには、
何かをあわてて隠そうとする身振りをするだけで十分です。
だから、別れ話のときに、女性はしばしば「もうあなたへの愛がなくなったの……」
という決めの台詞を口にしますが、
それを聞いた男たちは「はじめから愛なんかなかった」
という可能性について吟味することを止めてしまいます(女の人は賢いですね)。』
より高度になれば、わざとらしさを見せてさらなる裏をかくというか、混乱させる手もある。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

木のかおり
日曜日は雨になりそうだというので、土曜日にでかける。
ひさしぶりに、地下鉄県庁前でおりて元町界隈の山手を歩く。

予定になかったのだが、兵庫県公館が一般開放しているという掲示があった。
毎週土曜日にということなので、ちょうど運よく見学することができた。
外からながめたことしかなかったのだが、さすがに明治時代の建築物である。
戦災で内部は燃えたが外観は往時のまま、内装を資料から復元したという。
そのおかげで阪神淡路大震災でも倒れることはなかったのだという説明をうけた。

6070兵庫県公館

展示をみていて思いだしたのだが、兵庫県初代知事は伊藤博文である。
たしか小学校の授業で習ったはずだな、と記憶がまだ残っていた。

6058兵庫県知事伊藤博文

兵庫県出身の有名人のところに、柳田國男、和辻哲郎、小磯良平の名をみる。
ちょっと変わったところでは、桂米朝、植村直巳さんも兵庫県出身だという。

6061ベランダ

当初はここへ行こうと思っていた「竹中大工道具館」へむかう。
ゼネコンの竹中工務店が財団法人をつくって維持・管理運営している。
(メセナ アワード2008で、伝統技能継承賞をうけています)
ということで知る人ぞ知る場所ではあるのだが、今回も閑散としていましたね。
(入館料も300円と安いのだが、ピタパカード提示で200円になった)
だが建築専攻の学生らしき男性が計測したりメモをとったりしている光景も出会う。

6082竹中大工道具館

6073のこぎり

受付で、時間があれば地下でカンナの実演、体験ができますよと。
ひととおり展示を見終わって、行ってみると女子高校生らしき二名の先客あり。
いっしょに説明や実演を見学させていただく。

欧米や中国でもそうだが、カンナは日本と反対に押して削る。
なのにどうしてカンナが伝わってきた日本では引いて削るのだろうか。
そんな疑問を担当の方にきいてみた。
定説というものはなにのですが、たぶんこんなことでしょうと。
日本の木は比較的柔らかいので、細工するのにむいていること。
削った面のなめらかさ具合に日本人は神経質なので、それには引いてする方が適している。
そんなことではないかと推察しています、との説明にはおおいに同意するのである。
担当の方とそんな話をしながらいざ実地のカンナ体験である。

6079カンナ実習

こうした体験はなんだか恥ずかしいような楽しいようなどきどき感がある。
見ているのとやるのでは大違いなのはあたりまえであった。
だが、削ったあとのうすっぺらになったカンナくずを鼻に近づけると香気がたつ。
人によって好みがわかれるだろうが、わたしにはいいにおいである。

もらって帰った「カンナくず」をガーゼにつつんで湯船にうかべた。
ヒノキの香りがなんともいえずいい。
家にいながらにして、山間の宿にでもきているようなのんびり温泉気分である。
これだけでも行った甲斐があったというものだろう。
現代人は嗅覚が退化しているという説があるが、眉唾であると実感するのだ。

体験型映画
おとといの庭いじりのときに虫に刺されたのか、かぶれたのか、身体中に赤い斑点がでてかゆい。
そのせいか熟睡できず(よう寝とるやないかの声あり)、うつらうつらしていたのだろう。
このようにREM睡眠をくりかえしていたときのことだと思う。

4617庭に咲く

友人とともに映画を見にいくことになったが、自らが体験する映画だというのである。
歩いていると橋にさしかかってきた、それも木造の古いものだ。
いつのまにか列の最後尾についていたというか、つかされていたのだ。
前をわんぱくそうなこどもたちが飛び跳ねながら渡っていくのをみて、悪い予感がする。
危ないなあと思いつつ足元をみると、ところどころに穴が空いているではないか。
吊り橋じゃあないかと気づくと、はるか下にはごうごうと水が流れているのがみえた。
だいじょうぶだろうかと不安な気持ちでいたら、案の定ぷっつりと切れた。
だが不思議なことに、眼前の板切れにつかまるまではゆっくりと落ちていくのだ。
なんとか転落はまぬがれたが、ぶらさがってゆれているうち水につかってしまった。

困ったなあと思っていたら、オート三輪が行きかう橋を歩いている場面になっていた。
まあ、映画だからなあなどと思いつつ歩き続けた。
橋の終わりにさしかかると、なにか以前見たような光景にであった。
そうだ「流転の海」ではないか、とすぐに直観した。
車に乗ったチンピラが、窓から通行人になにか因縁をつけている。
たしかに演じられているとわかるステレオタイプなものだった。

おおきな通りを脇道にそれて、しばらくして一軒の家にとやってきた。
入ろうとすると、なにか悪態をつきながらでていく中年の夫婦とすれちがった。
どうしたんだろうと思ったが、そのままにして入った
玄関すぐの上がりかまちとおぼしきところに、なぜか寝床がのべられていた。
すると突然ふとんをはねのけて宮本輝氏が起きあがってきた。
「あなたたちは、別にいいんだよ」と言う。
ということは、先ほどの夫婦は断られたんだろうか。

「お加減が悪いようでしたら…」というと、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」といって招きいれてくれた。
いつのまにか出された酒をのみながらしばらく歓談していた。
「あの批評は、ちょっとちがうよね」
「そうですか」といいつつも、そんなことはないだろうと思っていた。

これが映画なら、そのなかにはいりこんでいるのだから映画を変えてしまっている。
いやそうではなくて、それも織りこみずみの映画ということなのだろうか。

それにしてもやけに肩のあたりがかゆいなあと思った瞬間に映画は終わっていた。

凹か凸か
地下の駅で電車を待っていたとき、ホームの向こう側の壁に注意がいった。
丸い形が上下左右きっちりとならんでデザインされている。
ひとつひとつに陰影があり、ちょっと見ると球体のようだがどう凹凸になっているのか平面かわからない。
球体はこちらにでっぱっているように見えたり、またしばらくながめているとへこんでいるようにも見える。
ヒトはただ描かれているように見るということが苦手で、なにか具体物や既知のものをみようとする。
いっとき流行した(?)顔面魚やはたまた心霊写真などはたいていそういう心理がはたらくのだろう。
つまりは見たいと思っていたり逆に見ることを怖れていると、見えたりするから不思議なものである。
同じものを見ていろんな解釈をしたりすることはよくあり、それが主題となった「羅生門」は有名である。
だから、おなじ問題について議論をしていると思っていても、すれ違うことは多々あるということになる。

4603凹凸

「警官殺し」 マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 角川文庫 ★★★★
ストックホルム警視庁殺人課を舞台としたマルティン・ベック主任警視シリーズもあとひとつで完結だ。
ミステリとはいえ、スウェーデン社会をえがくことに主眼をおいているのは読んでいるとわかってくる。
北欧の高福祉国家というイメージを日本人なら思うだろうが、そう単純なものでないことはいうまでもない。
ミステリをはじめとして小説でえがかれる様子と、ニュースで伝えられるものとはしばしばくいちがう。
本作でついにきたかと思われるのは、ベックの同僚のコルベリが警察を辞めると決意することだ。
『この十年に暴力事犯が急増した大きな要因の一つは、
警官がいかなる場合にも武器を携帯していることではないか、と小生には思われます。
警察が悪例を示すとき暴力犯罪が激増するのは、
他の多くの国の統計が物語っているとおり、周知の事実であります。
とりわけこの数か月に起きた出来事は、その因果関係に関連して、
事態がますます悪化しつつあることを明白に示しているのではあるまいか。
それは特にストックホルムをはじめとする大都市において顕著のようです。』
銃をもつことに嫌悪をいだくコルベリの退職願いの文章は、筆者の思いでもあるのだろう。
銃によって銃を規制するという矛盾が社会にひろがっていくのは、アメリカをみればよくわかるはず(?)。
しかし、この興味あるベック・シリーズももう終わってしまうのかと思うとなんだか残念だ。

「恋と女の日本文学」 丸谷才一 講談社 ★★★★
本居宣長の和歌はどうしてあんなに下手だったのか、才のなさが凡庸ではなかった、と丸谷氏はいう。
さらに、その駄作ぞろいのなかでもひどいのがよりによって人口に膾炙することになったのは皮肉だと。
で、その有名は和歌はこれである。だれもが聞いたことがあるのではないか。

  敷島のやまと心を人とはば朝日ににほふ山桜花

これを丸谷氏はこう解釈するのである。
『「敷島のやまとごころ」の「敷島の」は取ってかまはない。
取ったあとの「やまとごころ」はもちろん「からごころ」と対をなすが、
この「やまとごころ」対「からごころ」は日本文学と中国文学といふこと。
……
宣長にとって「やまとごころ」とは結局『源氏』と『新古今』といふことだった。
……
そこで大意はかうなる。わたしも、すこしバカ丁寧に現代語に移します。
日本文学とは何かとよく訊かれるけれど、それは中国文学が、闇のなかで香りを放つだけで
ちつとも見えない夜の梅さながらに、恋をはつきり書かないのと違つて、
朝日を受けて色美しく映える桜の花のやうに明白に恋を書く文学なのさ。』
またこうも断じるところが丸谷氏らしい、といえるのではないか。
『われわれの文学史を貫通するこの女人崇拝、あるいはすくなくとも女性重視を、
在来の学者や批評家は軽んじて来ました。無視とまでは言はなくても、軽視と言ふことは充分にできる。
そのせいで日本文学史はずいぶん歪められたのではないか。
しかし、あの世界最初の大長篇小説を女の作家が書いた国の文学史を、
他の国の文学史の流儀で解釈しようとしても、うまくゆくはずはないのですね。』

「狂人日記」 色川武大 福武書店 ★★★
「狂人日記」といえば、まずゴーゴリが思いうかび、そして魯迅の作もあったなというところだろうか。
狂人と正常人のちがいはなんだろうか、いったいどこにあるのだろうかと考えてみることはよくある。
と、その線引きは意外に簡単ではないことがわかって、そのことにも驚いてしまうのだ。
時代が狂気に満ちているならば、その時代に生きる者は狂人にならざるをえないかもしれない。
だが、そうであるとしても狂気とはなにか、正気とはどうちがうのかという問題にまた悩むことになる。
そういうことを考えるのが、そもそも狂気への入り口に一歩足を踏み入れているのだというだろうか。
逆に狂人が正常で、平凡な市民が狂気におかされているなどというSFもあったのではないか。
『何にでもなれる、その可能性があるような気がしていた時代、
何になるかは自分の選択だと思っていた時代、時がたってみると、
ただそこに追いこまれて、こうしているほかはない自分。』
主人公の独白が狂人とはいったいだれのことをいうのだろうか、と問いかけ続けているのである。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

玉子焼
所要で大阪へでたが、思ったより時間がかからずに用がすんでしまった。
さてなにか食べるかと近くをうろうろするが、これといったものがない。

じゃあ帰るかと電車に乗っているときに、そうだと思いついた。
きょうはスルット関西の乗り放題チケット利用だから遠くまで行ける。
明石までいって「玉子焼」(明石焼ともいう)を食べようと相談がまとまる。

たしか、山陽電鉄の東二見駅だと思ったんだけどなあと頼りない。
駅に近づいてくるにしたがって、ここにまちがいないと確信した。
北側に降りて、すこし東にいったあたりにその店はあった。

店頭で天津甘栗を売っているからなのか、店名は「てんしん」という。
(今回で二度目の訪問です)
四人掛けのテーブルが三つとカウンターに四五人すわれるだけの狭い店だ。
だが、なんとおばちゃんが四人もいて店を切り盛りしている。
けっこう繁昌しているんだ、なんて思う。

最初テーブルが満席でカウンターにいたが、しばらくしてテーブルに移動できた。
ほどなくしてでてきました、板のうえにのった玉子焼が十五個あります。
形はそのつどいろいろと変化するようですが、すでに一個食べてしまいました(笑)。
これで500円ですから、まあ三宮あたりで食べるよりかなり安いでしょう。
見た目はちょっと乱雑ですが、これでけっこう味はよかったのです。

8219玉子焼

それよりメニューに書かれていた「玉子焼の由来」に注目です。

4605玉子焼の由来

たこやき本といえば、
「たこやき 大阪発おいしい粉物大研究」 熊谷真菜 講談社文庫 ★★★★
が有名ですが、これにも書かれていなかった説のようです。

ときおり、店主とおぼしきおじいさんが前を行ったり来たりしておりました。

レ・マーニ
沖縄でははやくも梅雨入りしたとのことである。
それかどうかは知らないが、今朝は雨が降っていた。

金曜日にはあんなに天気がよかったのに、とつい思う。
岡山にでかけるついでに備前市にある地ビールレストラン「レマーニ」へ。
このあたりにはレンガ工場が多くあったということである。

4555レ・マーニ

広い敷地にレンガ造りの建物がみえる。
ヨーロッパ中世の城のような雰囲気をイメージしているのだろうか。
閑谷学校の近くらしいのだが、のどかな陽がさしていた。
思いのほかお客さんが多くとても繁昌しているようだ。

スパゲッティとピッツァにやはり地ビールは黒にしよう。

4543地ビール

4548ピッツァ

ところが、ちょっとした手違いかピッツァがなかなかでてこない。
どうも厨房にうまく伝わっていず、忘れられていたようだ。
チーフらしき女性がさかんに恐縮されておられたが、忙しいときにはよくあること気にしてません。
サービスでコーヒーが飲めて、こんどはこちらが恐縮するばかりである。
そのためもあってか、さらに会計のときにビールの無料券をいただいた。

4567全景

これをもって「人生万事塞翁が馬」というのはすこしちがうようだが、まあいいか。



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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