ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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パプリカとゴーヤ
暦では二百十日も十五夜もすぎたというのにまだまだ暑い。
いっとき、夜もふとんがないと寒くて眠れないと感じたのもつかのまのこと。
残暑がもどってきて、そうは問屋が卸さないといっているかのよう。

それにしても庭のパプリカが気になってしかたがない。
ようようおおきく実がなったのはいいのだが、いっこうに色づかない。
赤か黄になるはず(?)なのだが…。

5259パプリカ

もしかして、こんな形状のピーマンということだろうか。

おまけにゴーヤも中途半端なおおきさでとまってしまっている。
食するべきか、待つべきか悩むところである。

5261ゴーヤ

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生理的嫌悪
どこかで話すのが聞こえてくるとき、いつも気になることばがある。

「なんだかいけすかないのよねえ」、と言ってるならまだいい。
「生理的にうけつけないわ」、となると話はちがってくる。
理由がまあ社会的なことであれば、なんとか対処することは可能だ。
だが人体に備わる本能的(あるいは本源的)なものによるとなれば、お手上げである。

こんな言い草を聞くといつもなんとなく嫌な気分になる。
彼女はどれだけ生理的な自分というものを把握しているのだろうか。
それが生理的反応によるものか、あるいは偏見にもとづくのか、どう判断しているんだろう。
「そんなこと考えるまでもないじゃないの直感でわかるわ」、とおっしゃるのだろうか。

生理的嫌悪などとことさらにいう人は、社会の荒波に流されているのではないかと疑う。
わざわざ生理的にとことわらなければならない理由が、すでに十分社会的であると思う。

どこからかくる反論をおそれて、反論できない理由づけをしているのではないだろうか。
すなおになんだか知らないけど嫌いなのだ、でいいではないか。
(もちろん、そう感じることはけっして生理的だという根拠にはならない)
それじゃあおちつかないというのなら、じっくりどこが嫌いなのか考えてみればいい。
そうすれば自分でも気づかなかったことが分かってくるだろうか。

じつは、単に鼻くそをほじくる癖が嫌なだけだったのだ。
でもそれを面と向かっていうのははばかられる。
おまけに自分がつい鼻くそをほじってしまうことを、意識してしまうのだ。

人は人を映す鏡である。
自分の姿を水面にうつしてうっとりするだけならかわいい。
だが、しばしばそれは醜い姿であったりするからこころをそむけたくもなる。
(こころのなかが映っている、と信じる理由がどこかにあるのだろうか…)
しかし社会生活をおくるなかでは、そういった発言は厳しくとがめられている。

思えば、幼いころから「ひとの悪口を言ってはいけません」といわれ続けてきた。
「悪口ではない、事実だ」と強弁できる人物は、ある意味賢者であるもしれない。
彼はほんとうはトリックスターなのかもしれない、と思わないでもない。

「生理的嫌悪」ということばに、敏感に生物学的疑義を感じる逆説的日常なのだった。

5220フクロウ

読書する女性
なんだか本も読む気がしない、おまけになにか書くのも億劫だ、が台風来襲ですることがない。
じゃあということで、パソコンにむかってなにやら書くことにするべえか。
月間二〇〇冊ほど本を読むという若い芸能人、それも女性のネット記事をちらりと見て、ほ~と思った。
まあ、思っただけでそれ以外にはとくに感想もないのだが、それに具体的な本への言及はなかった。
ということは、単純平均しても一日六冊あまりを日ごと読破している計算になる。
(彼女には芸能活動をする時間があるのだろうか、それとも仕事がないということなのだろうか)
(よくは知らないが、実働時間が少なくて待ち時間が長いのなら、それも可能かなと思ったり)
もし、わたしがそれくらいの冊数を読める能力と意欲があるならば、どんな本を読むのだろうと夢想する。
ふだん文学全集など読むことがないので、この際世界各国のものを読みすすめてみるのもいいか。
それとももっと専門的な分野、たとえばナノテク高分子化学などの専門書を読破していこうか。
辞書を片手に「正法眼蔵」などを、うんうんいいながら読んでみるのもいいかもしれない、などと思う。
さしずめ彼女など、読めば読むほどあらたな疑問にとらわれるから、もうやめられないのだろう。

5238カフェで

「幻想と覚醒」 苫米地英人 三才ブックス ★★
筆者の紹介欄には、ずらずらと以下のような経歴、あるいは肩書きが書かれている。
脳機能学者、計算言語学者、分析哲学者、認知心理学者、カーネギーメロン大学博士(Ph.D)、
同コンサルタント、株式会社ドクター苫米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボ株式会社CEO、
株式会社角川春樹事務所顧問、中国南開大学客座教授、全日本気孔師会理事、
アメリカ公益法人The Better World Foundation日本代表、天台宗ハワイ別院国際部長、
財団法人日本催眠協会理事、カギュー派傳法大阿闍梨。
なかなか多彩な方のようだが、このように明解に断じておられる。
『肩書きほど無意味なものはありません。
よく名刺にいくつもの肩書きを載せている人がいますが、私はそれを見る度につい眉を顰めてしまいます。
本当に自分が大物であれば、名刺に肩書きは必要ありません。』
それはそうだ、と同感しますが、これは出版社の行き過ぎなのかもしれません。
あるいは、内容など読まない、全体をチェックしない編集者がいるということなのでしょうか。
この世はすべて幻想であり、世界中には洗脳が氾濫しているということを警告したいようです。
書名から判断してちがうものを期待していたのですが、ときとして今回のような齟齬が生じてしまいます。
しかし、予約数は相当なものであったのですが…。(みなさん、そういうことなのでしょうか)

「日本の解放区を旅する」 鎌田慧 七つ森書館 ★★★
読みながら鎌田氏自身がトヨタの季節工となり書いた「自動車絶望工場」(講談社文庫)を思いだす。
原発問題、沖縄基地、過労死の現場、出稼ぎ日系人、コンビニの実態などいろいろ取りあげられている。
佐賀県玄海町の原発の場合を考えてみよう。
『原発が建設されたころ、玄海町の人口は七〇〇〇人強だった。いまは六〇〇〇人強。』
原発は人口増にはつながらなかったわけだ(だが減少に歯止めはかかったかもしれない)。
『そのころ、一億五〇〇〇万円規模の町財政に、それを上まわる莫大なカネが落ちることになった。』
『玄海町に入った原発に係わる交付金は、九七年から二〇〇七年までみても、二二六億円ほどになる。
このほか、プルサーマルを受け入れると、交付金として三〇億円(県にも三〇億円)がはいり、
毎年二〇〇〇万円ずつはいる。
地権者およそ一二〇人で、「玄海産業」という、清掃、緑化事業を請負う会社をつくった。』
当然おなじように福島の原発地域の自治体にも莫大な交付金がはいっていることは想像に難くない。
そのお金はどこにいったのだろうか、すべてとはいわないまでも被災者にわたることがあるのだろうか。
しかし、ものごとにはいろんな面があることも事実であり、ちがった側面からの視点も重要だ。
本書に興味がある人には、「からくり民主主義」 高橋秀実 草思社も併読されることをおすすめしたい。

「オスは生きているムダなのか」 池田清彦 角川選書 ★★★★
池田先生、最近はテレビ番組でお顔を拝見することが多く、元気そうでいいですね。
好きなこと(こういう見方もありますよと)いうのは、精神の健康上からもいいんじゃないですか。
べつにどうしてもテレビ出たいというようなことはないのでしょうから、お気楽にどうぞ。
そんなことを考えていたら、これなどいかにもテレビ受けがいいんじゃないでしょうか。
『動物の場合、基本的に相手がいないメスはいない。
オスが必ずやってきて、相手をしてくれる。
一方、オスは競争が激しく自分が頑張らなければ、誰も相手にしてくれない。
それは精子が小さく資源としての価値に乏しいからである。
特にハーレムをつくる動物では、かなりの数のオスは、メスと交配できずに死んでしまうはずだ。
逆にメスは貴重だから、待っていれば、オスがやってくる。』
では人様でもこのことがあてはまるのか、といえばやはりあてはまるところがあるのだ。
これくらい人口が増えてくれば、オスの価値は低下する(必要がない)しかないのだ(笑)。
『オスは生きている無駄であると私は思う。』
確かにそうだよなあ、などと弱気に思ってるくらいがいいんじゃないだろうか。


テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌



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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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