ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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歯がない想い
先日の朝、はずしておいた部分入れ歯を水洗いしていた。
そのとき、突然片方の歯が欠けて、カラカラと陶器の洗面台をころがった。
しかたがないから、朝食はそのままはめて食べることにした。

なんだか変な感じがする。
左奥にぽっかりとあいた穴を舌の先でさぐってみる。
どうしてもそっちで噛もうとする食物を反対にもっていくのにすこし難儀する。
意識していないが、ふだんどちらで噛んでいるのかがよくわかる。
利き腕とおなじように利き歯というのがあるのだろう。

そういえば、歯が痛いときにはいつのまにか痛くない方の歯で噛んでいた。
腕とちがって、歯ではかんたんに利き歯をかえることができそうだ。
均等に噛むほうがいいだろうということはわかっている。
片方に偏るとあごや周辺の筋肉(があるのかどうか?)に影響がでるだろう。

ときおり顔でも口周辺が歪んでいる人をみかけることがある。
きっと、そういうこと性向をもっている故なのだろう。
あるいは、どちらかに虫歯があるとか、痛みをかかえているとかだろうか。

歯はほうっておいても治るということはない(ことに虫歯は)。
痛みが一時的になくなっている(麻痺してる?)ようでも、悪化していることがおおい。
たとえば赤字国債財政のように、先送りしていても解決することはない。
(若いころ、身の丈にあった生活をしなさいとはよく言われた)
いつかは、強烈なしっぺ返しがあることを肝に銘じなければいけないだろう。

歯を喪って、はじめてその有難味がしみいるようにわかる。

5595皇帝ダリア

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震える
北からの寒気団(歓喜団ではない)が南下してきた。
外に出て息を吐くと、白くかすんでながれてゆく。
おお寒い、とかなんとかつぶやかずにはいられないほどの気候になった。

二階の部屋の温度計も10℃ちかくをさすことが多くなってきた。
すでにこのまえの土曜日には、ガスストーブをだしてきた。
石油ファンヒーター用の灯油も買って準備もすませた。
といってるうちに、朝夕などもうすっかり働いているのである。

暑さ寒さというが、男女によって受け取り方がちがう。
男は暑さに弱いというか、耐えるのが苦手である。
よく聞く話が、部屋のクーラーの温度設定を夫が下げ、妻が上げるというものだ。
職場でもおなじような経験をしているのである。

「足元が冷えてしかたがないわ」
「そうよね、省エネなんだから28℃を守ってほしいわね」
「あほなこというな、そんなんじゃ暑くて仕事ができんやないか」
「おまけに汗で書類が汚れるわ」
「よういうわ、たいした仕事もしてないくせに」
「なんやと~」
「あっ、女に手をあげるの、セクハラ、パワハラやわ」
「う~ん…」とあげた手が震える。

5535紅葉一葉

これが冬になると、なんと反転するのである。
女性は寒い寒いとおっしゃるのだ。
冷え症はことのほかつらいものだともいう。
足先が冷たくなって、寝床でも眠れぬ夜をすごすのだという。
それじゃあ、運動をすればいいのではなどと提言すれば、きっと睨まれるのがオチである。
なんで、そんなしんどいことを押しつけるのよ(押しつけてないって)。

男と女ではどうしてこうも正反対なのだろう、と考えることはまちがいである。
正反対だからいいのだし、相補性があるといえばいいことなのだ。
おたがい補いあって、助けあってやればいい。
いたずらに波風をたてることもないのである。
だがこんなことを言おうものなら、じゃあもっと家事を手伝ってよといわれること必定。

まさしく、渡る世間は浪ばかり。

聴能力
ユースホステルに泊って旅していたときのことをときに思いだす。
一夜の宿をともにする人たちとなにを話したらいいかと悩んだりした。
どんな趣味をもっているのか、なにを精神の柱にしているのかもわからない。
だけど、いまをこの時代を生きている、だけが共通点だった。

そのころ全盛期だったミーティングの時間には、司会をまかされたりした。
他人(ひと)と同じようにするのが嫌だったから、どうしたものかと考えた。
心理学や文化人類学の知識がとびだす煙にまくようなやりかたになってしまった。
いつのまにか漫談のような、講演会のような変な司会者になっていた。

そんな経験があるからか、ひと前で話したりすることに不安を感じることはない。
どちらかといえば、あくまでもどちらかといえばという前提でだが、しゃべりたがりかもしれない。

大学を卒業したころに、カウンセリングの仕事につかないかという話もあった。
わたしには到底無理ですから、と教授には丁重にお断りをいれた。
そんな経験からも自ら話すことより、相手の話をじっくり聴くむずかしさを知っているつもりだ。
聴くだけではなく、話してみようかなと思わせる雰囲気がかもしだせる。
そんな人になれればと思いつつ、まったくできずじまいだった。

5543さまよえる鯉

国会やテレビの討論会などみれば、その惨状にがっかりすることが多い。
まず他人の意見を最後まで聞かない、聞けない。
相手がした質問に答えることなく、自己の主張を滔々と述べる。
対話が大事だなどと言ったりもするが、行動をみればほとんど問答無用ではないのか。

知性のかけらさえ感じさせないところに、妙に感心したりしてしまうほどだ。
われとわが身をみるような、そんな気持ちさえわいてくる。
だからか、つい虫などに見惚れてしまうのだろうか。

叶うならば、どんな能力がほしいですか。
ランプからでてきた召使いにきかれたら、まよわずに答えることだろう。
「超能力ではなく、聴能力がほしい」、と。

なんとも頼りない
いまでは記憶もぼんやりしてるのだが、ときおり思いだすことがある。
どういう成行きでそうなったのかも、ちっとも憶えていない。
周辺がどうなっていたのかも、さっぱりなのだ。

だが、中心に灯りをともしているようにそこだけがはっきりしている。
まるで舞台で演じられているのを見ているような、他人事のような感じがいまではする。
たしかにあれは自分なんだが、じゃあ見ているのは誰なんだろう。
こうして思いだしているわたしと、あそこにいた自分があった。
なんだか怪訝な気がおこってきてしかたがない。

絶対に夢なんかではない、とは信じているのだが。
でも、こうまで時間が経過したいまとなっては夢だったのか、と。

そう考えると急に自信がなくなってくるのである。
もともと頼りのない性格だった。

5545イチョウ

人間の目撃証言なんて、あてにならないものなのだ。
ちょっとした誘導で、いとも簡単に転んでしまうことも多い。
加えて記憶は日々更新されていくし、変化しないものではないということ。
そんな実験結果を知ったりしたら、なおのことである。
(身に覚えもあるから、素直に信じることができる)

どこかで大声で叫んでいる人もいるが、曖昧模糊とした世のなかで生きる。
ファジーな世界がどちらかというと現実にちかいのかな、と感じる。

でそれって、なんのことなんだ。
と問われても、うまくことばにすることなどできない。
では絵に描けるのか。
それもむずかしいだろうな。

なんとも頼りない話だな。
まったくそのとおりなのだから、ほんとうに困ってしまう。

孤読
本を読むのは、もともとひとりである人がことさらにひとりである実感を得るためにする行為である。
などといえば、すこしうがった意見になるかもしれないが、もうすこし孤読の意味を考えてみたい。
対話がたいせつだ、話せばわかりあえる、などときくとその人の顔をみたくなってしかたがない。
どんな顔してそんなことをいっているのだろうか、もちろん冗談ですよね、えっそうじゃないの。
まさか、本気でそう信じているってパフォーマンスを演じる役になりきっている、ってことなんですか。
人が善いにもほどがあるのか、腹黒さをかくす面をつけるのが習い性になっているのだろうか。
そんなことを考えてしまう自分が嫌になるから、本でも読んでしばし落ち着かせようとでもいうのだろう。
人は、生きるはひとり、死ぬもひとり、と諦観すれば、すべてこともなし、となりうるのだろうか。

5558釣鐘

「<感じ>のいい人、悪い人」 山崎武也 PHP新書 ★★★
世のなかには感じのいい人もいれば、悪い人もいるのが、まああたりまえではないかと思う。
だが、なぜその人はそんなふうなのか、ということを考えずにはいられない人もいるのである。
筆者はその代表的な人物ではないかと思ったりしながら読んでいた。
頑固なじいさんと感じる方が多いかもしれないが、そうでもないのではないか。
温泉旅館などでの経験から、こんな素直は話がでてくるのである。
『スリッパも洗っても拭ってもいないと思われる場合が多い。
これははかないと部屋の外に出られないので、私はタオルで拭ってからにしている。
だが、大浴場で知らない大勢の人たちと一緒に湯につかることを考えれば、
ちょっと矛盾しているかもしれない。』
これを読んで、なかなか潔癖だけじゃないと思わせるし、
『ペットをかわいがっているという人が、スーパーマーケットの入り口などに犬を括り付けて待たせている。
不安そうにうろうろしているのを見ると、かわいそうになる。
動物虐待の一例にしか見えないのである。』
これなど、まさしくそのとおりと言うしかないだろう。

「ツチヤ教授の哲学ゼミ」 土屋賢二 文春文庫 ★★★★
『もし「わたしはあなたの顔も性格も嫌いですが、あなた自身を愛しています」と言われたら、
あなたはうれしいだろうか。うれしくないなら、なぜだろうか。
この挑戦的な口説き文句は、いまから二千五百年前にソクラテスが考えたものである。
この中に含まれている哲学的問題を検討し、ソクラテスの言い分が正しいかどうかを判断するのは、
ふつうの人が思うほど簡単ではない。それを考えるのが本書の課題である。』
というようにいつもの土屋教授の口調とはちがった本書である。
これとはちがった切り口の台詞をよくドラマで聞くことはないだろうか。
「あなたって、わたしの身体だけが目当てだったのね」
これもよく考えると、身体と魂(精神)は分離しているものであるという前提が自明であるかのようだ。
似ている命題ではないか、とわたしは思うのだが。
長い秋の夜を、こんなことを考えている男なんて…。
まあ、いいではないか。考えることは老化を遅らせる効用があるとかないとか。

「核心」(上)(下) パトリシア・コーンウェル 講談社文庫 ★★★
最初に「検屍官」を読んだのはいつだったのだろうか、もう忘れてしまった。
あのときの強烈な印象はいまもすこしは残っている。
どの分野でもそうだが最初にブレークしたあと、どうするかはかなりむずかしいと本書を読みながら思う。
主人公をどういう人物に描くかは、人気シリーズを続けていくうえではかなり重要な要因となる。
あまり完璧で、超人的な能力というのでは読者の共感も長続きはしない。
だからといって欠点だだらけの人物だと親近感がわくかというと、そういうことでもない。
例えていえば、取調べにいい刑事と悪い刑事をを配置して、容疑者を揺さぶるというようなことだ。
硬軟の人物を配して、バランスをとり緊張と弛緩が織りなすストーリーを紡いでいく。
本シリーズではピート・マリーノがその役割まわりなのだが、最近は彼のほうが気になってきているのだ。
スカーペッタやベントンよりも彼の動向が気になる、そんなふうに思えて事件などそっちのけだ。
というようにミステリとはいえ、謎解きの面白さが本シリーズからは失われているのではないか、と思う。
それがいい方向か、そうではないのかは別にしてということではあるが。

テーマ:読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

ちぢこまる
立冬がすぎ朝夕など寒さがつのるようになってきた。

寒くなると、ヒトは無意識に体表面積をすくなくしようとする。
そうしてできるだけ熱の放散をおさえようとする。
ちぢこまった姿勢をとるのは、そういう理由からなのだ。

北風が吹いてきたりしたら、思わずからだをまるくしてしまう。
そんなとき、背筋をのばせ、姿勢をよくしろ、といわれたことを思いだした。
だって寒いから、とこころのなかでつぶやいていた。
そうよくいわれたが、ちぢこまるにも理由があったのだ。

動物図鑑に地中や洞のなか冬眠にはいり、まるまった動物がいた。
あったかい穴のなかで、その顔がほほえんでいるようにみえる。
まるで、おばあさんが極楽極楽と念仏を唱えているかのようだ。

ちぢこまった姿勢は、こころまでちぢこませるだろうか。

春になって眠りからさめれば、おおきく伸びをするだろう。
いままでちぢこまっていたのが嘘であったかのような顔をして。

寒くなってきたらそんなことをつい考えてしまう。
春よ来い、ってまだはやいか。

5567もみじ

播州清水寺
すっかり秋めいてきたので、とだえていた西國巡りもかねてどこかへ行こう。
ネットで調べて、第二十五番札所の御嶽山清水寺(加東市)がまだ未訪問であることがわかった。

途中、善祥寺(三木市)に立ち寄るが訪れる人もなく閑としていた。
ここは蓮の花で有名なお寺だそうだが、もちろんこの時期咲いてはいない。
紅葉もまだまだ先といった境内のようすであった。

5529善祥寺

道の駅「とうじょう」で休憩、野菜など買い求め、お昼もすませる。
ドライブではおなじみであり、お世話になることも多い道の駅だが、全国に900箇所以上もあるという。
いろんな特色をだして(おなじような内容の所も多いが)、がんばっているようです。
(今後立ち寄ったら、記録しておこうかな)

5536道の駅「とうじょう」

さて、播州清水寺へと向かって山へと向かう道路へとさしかかったときのこと。
突然、前方に料金所(?)が見えてきた。
あれっ、有料道路を経由するのかと思っていると、入山拝観料(500円)徴収所だった。
お気をつけてのことばから三キロちかくも車を走らせて、やっと駐車場(無料)に到着する。

すぐに朱塗りの仁王門がみえる。
渡されたリーフレット類のなかにあったスタンプラリーカードの場所をさがしつつ歩いてゆく。
境内十箇所でのスタンプとそれぞれのクイズに答えると記念品がいただける。
本坊の一隅では、地元の陶芸作家の展示などもおこなわれていた。
いまどきのお寺さんは、いろんなアイデアも必要であります。

5539播州清水寺

5568本坊企画展

紅葉にはまだ早いようだが、写真の切り撮りようではこんなになる。

5550紅葉

それにひきかえイチョウの木には銀杏が鈴なりだった。
もちろん、あたりにはあのにおいが濃くただよっている。
参拝の方もおおく、境内は広く掃除もいきとどいて散策するにはいい。

5577銀杏

秋がだんだんと深くなってゆくなか、十月桜(というらしい)が咲いている。

5555十月桜

大洲考
テレビを見ていたら、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組で大洲がでてきた。
同行者は高橋英樹さんだった。
昭和19年生まれだとか、お若いです。
じつはわたしもお城の石垣が好きなんだなあ。
あの石組みは幾何学的であるというよりも、なにか哲学的でもあるのだ。
どの石がどの石との関係性を維持しているのかと考えれば、社会学的でもある。

5435擁壁

つい一週間前に行ったばかりだったのに、なにかなつかしい気分になった。

5428大洲案内板

あれえ、この商店のところを歩いたなあ。
しかしながら、有名人ではないから番組のような出会いはなかった(笑)。

5441高月優商店

それでも、いい町だということはよくわかる。
なんとなくどこかで出合ったような場所だと思わせる。
だれかがきっと待っていてくれるような、そんなところなのだ。

5447路地で

若いころって、生まれ故郷がいいなんて思わない。
なんだけれども、内なるイメージのふるさとが欲しいなあと憧れた。
こころのふるさとって、なんかジ~ンとくるじゃないか。

莫迦じゃないのか、そんなものは幻想だよ、といわれた。
そんなことはわかっているのだ。
だけど、こんなところへ来て、おばあさんにやさしくされたら、ぐらつくよな。

などととりとめもないことを思った。
「じゃこカツ」をロールパンにはさんで食べたら、ことのほか旨かった。
「花かまぼこ」なら焼酎にあうだろうな。

5465じゃこカツ

5466花かまぼこ

大洲城からゆったりながれる肱川の河原がみえる。
城内の公園で幼稚園児たちがにぎやかに遠足の昼ごはんを食べていた。
輪廻転生、生成流転、めをすがめてながめていた。

5460大洲城

また八幡浜にいくときには立ち寄ってひとやすみしてみよう。

ドライアイ
しばらく前からときおり眼に違和感があった。
やにがついているような、ごろごろするような感覚があるのだ。
気にしていてもしかたがないので、眼科を受診することにした。

近くの総合病院は朝の七時半から順番取りがはじまる。
わたしが行ったのは定刻すこし前だったが、すでに29番目だ。
受付けがスタートして発券機からの紙には14の数字が印字されていた。

診察は九時からである。
いったん家にもどって、休憩ということになる。

九時に病院にもどってきて、診察の番がまわってきたのは十時をすぎていた。
おかげでずいぶんと本も読むことができた。
といって、なかなか集中できない心理状況でもあったのだが。

いろいろと検査をして、診察がはじまった。
医師の説明によると、眼底などきれいな状態で問題なし。
涙量をはかってみると、ふつうは五分間で10ml余のところが左右で1mlと2mlであった。
いわゆるドライアイですね。
まばたきを多くするといいですね、ときおり目薬をさしてみてください。
眼が乾燥した状態がつづくと、眼球表面に傷がつきやすくなるのだという。

5448洗髪料

う~む、涙をだすようにするのがいいのか。
かみさんに頼んで、辛くあたってもらうのがいいか。
(これは免疫ができているので効果はうすい)
泣けるドラマを見るようにするか。
(莫迦莫迦しいと思ったりして、かえって逆効果かも)

とにもかくにも原因がわかって、一安心でありました。

砥部焼祭り
ぽつん、ぽつんとなにかが屋根をうつ音で目が覚めた。
あれは雨音だろうか、としばらく考えていた。
やはり雨だ、予報は曇りだったのだがしかたがない。
どうしてこういつも雨に遭遇するのか疑問だ。

朝から魚たっぷりの朝食をいただいて出発する。
またみんなと来ますから、と宿をあとにする。
雨はなかなかやむ気配をみせない。

5489朝食

「砥部焼祭り」の会場はそれでも多くの人でにぎわっていた。
そういえば去年の「信楽焼祭り」もこんな雨だった、といまさらながらに思いだす。
雨にぬれながら、なにかいいものはないかと歩きまわる。
オークションの声がきこえるなか、何点かの品を買い求めた。

5501砥部焼祭り

5517湯のみ

スタンプラリーがあるというので伝統産業会館で訊いたら、案内しましょうとおっしゃる。
ボランティアの女性と小雨のなかをいっしょに歩いていろいろとお話をした。
まだふた組めなんですよ、と笑っておられたが、とても感じのいいかたであった。
(これで砥部焼のイメージもぐーんとアップ、また来ようと思いましたね)
やはり旅は出会いにあり、ということなのでしょう。

5495伝統産業会館

5498砥部焼

なんとか駈け足でスタンプを集めて、こんな記念品をいただきました。

5522記念品

陶器はつかっているあいだに割れるし、欠けたりするのは宿命である。
そこがまたいい(どういいのかは説明がむずかしいが)のだ。
生成流転のなかにあるんだ、と感じさせてくれるのである。
形あるものはいつかは壊れるのである。
人生もおなじなんだよなあ、とまたなぜかKさんの笑顔がうかんでくる。

今夜は「くまポン」で買った宿泊プランで宇多津に泊る。
ペア朝食付が6000円のところ、初回購入特典で4800円だが、さらに500円のクーポンあり。
結局4300円、ひとり2150円でこんなホテルに泊まることができた。

Kさん、また来るからね。

5507サンルート瀬戸大橋

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

八幡浜へ
あれからもう八年余りが経った。
光陰矢の如し、と思うまもなく時はすぎてゆくのである。

「どうしているかなあ」
「そうだなあ、寂しがってるってことはないよな」
「でも、たまには会いに行かないとね」
「まあ、そうだなあ」
「ちょうど、砥部焼祭りもあるしね」
「う~む、ちょうどあるかあ…」
「べつに、どっちでもいいけど」
「あそこの魚も旨いし、だな」
「そうそう」

ということで、四国へ墓参りにでかけることにする。

金曜日の深夜に神戸をフェリーでたって高松へ。
まだ暗い高速道路を走っていると、いろんなことを思いだす。

奈良の居酒屋でしたたかに酔って車に乗ったときのこと。
つと眠りからさめたら、隣で知らない男が運転していた。
あわてて後部座席をみたら、みんながいたので安心してこうきいた。
「運転しているのだれ?」
間髪いれず、笑いながら。
「タクシーの運転手さん」

あのころは若かった。
でももうあの声もきけないのか、と思うとなんだかやるせない。

5439大洲城

穴井に着いて福高寺さんで手桶をかり、坂道をのぼってゆく。
わきの家の窓辺で話していたおばさんたちが、ぼくたちにたずねる。

5472福高禅寺

「どこから来なすった?」
「神戸からです」
「それはそれは遠いところをご苦労さま」
「どこのお墓へ?」
「Kさんの」
「親戚の方?」
「いいえ、若いころからのともだち」
「そう、えらいわねえ」
「そんなことないですよ」

そんなことはないのだ、ただ会いに来ただけなんだから。

5480墓参

5481穴井

これで四回目になる「Sea Side うわかい」さんで旨い魚をたべる。
うまいなあ~、こんな魚をたべると帰ってからが大変だ。

5491SeaSideyうわかい

5482夕暮れ

部屋の下からきこえてくる潮騒の響きをききながら、いつしか眠っていた。

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

部分と全体
テレビを見ていて、女性(男性でもいいが)の痩せる方法論をやっていた。

単純に考えれば、こういうことだろう。
肥満とは、入力(食べる)と出力(エネルギーをつかう)との差がプラスになっている状態だ。
プラスのものを脂肪として蓄えるのは、いざというときに備えようとするからだのもつ防衛本能だ。
だから、脂肪として蓄えたくないなら、出力を入力以上にすればすればいいということ。

ダイエットもまずは体重を落とす、を主眼とするのだが、それだけでは満足できない。
健康のためというのもあるが、見た目をかっこよくしたいのである。
(痩せているとかっこいい、かどうかは議論がわかれるが…)

つまりかっこうよくなるためのダイエットなのだから、かっこうよくならなければ意味がない。
極論すれば、ダイエットしなくてもかっこよく見えるならば、それでもいい。
(どちらかというと、そのほうは好ましい。つまり努力不要だから)

だがかっこよさは、痩せているということではなく、からだのバランスのよさにあるというのだ。
体型のバランスよければ、おなじ身長・体重でもかっこよくみえる。
痩せてても、おなかがぷっくりではダメなのだ。

5438水面に映る

ヒトは見た目(錯覚も含む)で判断されるのだから、どのような体型がいいのかが問題なのだ。
ふつうだれでもが考えるのは、ウエストのくびれである。
だが盲点は二の腕にあるというのである。
レディ・ガガ(彼女身長155cmだとか)は、二の腕を細くすることによってかっこよく変身した。
映像で較べてみれば一目瞭然なので、反響はおおきかっただろうと想像する。

しばらくは各家庭、職場、公園であの運動がみられるかもしれない。
しかし悲しいかな「人間は忘れる動物である」、ということを忘れてはいけない。

湖畔の宿談義(下)
散々迷い検討した挙句、芸術の秋、美術館へ行こうと。
その道中にこんなところがあった。
案山子である。
本来の役目も忘れた、ユーモラスな案山子たちである。
わたしが投票したのはこれだ(投票コンテストがあった)。

5397案山子コンテスト

ここは「MIHO MUSEUM」。
滋賀県甲賀市信楽町の山のなかにある。
ひとめで、有名な建築家の手になるものだとわかる。
宗教法人によるものだというが、そんなことはどうでもいい。

5411ファサード

5413吹き抜け

5421通路

展示もすばらしいし、圧巻である。
古代エジプト、ギリシャ・ローマ、アジアから日本の美術品も集められている。
こういうものは、置かれている空気のなかで感じるものだと思う。
見終わってひとこと、「疲れたね」。

5419展示室

そう、いつのまにか緊張していたのである。
でもここちよい疲れというのだろう。
たまにはこういう空気も吸わなければいけない。

案山子をながめて、仏像を鑑賞して、思うのである。
人間、清濁併せ呑むなどという言い方があるが、そうじゃないな。
清濁なんてないのじゃないか、清濁にこだわっているあいだは本質がわからない。
なにか、そうではない基準があってもいいのではないかと思う。
清か濁か、それとも正か邪かなんていう価値観に惑わされてはいけない。
うまくいえないけれど、そんな気がする。

5427トンネル

あるものを、遠くからながめているだけではわからない。
すこしずつ近づくとわかることもあるけれど、見失うものもでてくるのではないか。
遠ざかれば全体が見渡せるが、こんどは詳細が不明になってくる。
ある一点ですべてが統一される、ということはないのかもしれない。
すべてを知ることはできない、と知ることになるのだ。
つまり、ハイゼンベルクのいう「不確定性原理」とはこのことなのだ。

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

湖畔の宿談義(中)
その空気に触発されてか、ワイヤーワークに力がこもるのである。
人はなぜいろんな創作活動をするのであろうか。
やむにやまれぬ衝動がどこからか湧きあがってくるのであろう。
できあがった作品にいとおしい感情がいだかれて、またつぎなる作品への熱情ともなる。

5394曇り空


5361ワイヤーワーク

作る人あれば、愛でる人や集める人もあり。
身のまわりにおいて、精神の安寧が得られるのであればいいことだと思う。
だれもがなにかに頼るというか依存というか、支えられているのかもしれない。
ワイヤーを伸ばす音がゴリゴリと部屋にこだまするのをそんな思いで聴いていた。

5373グラスとワイヤー

熱いおでんの鍋を囲む時期がきたのだなあ、とも思う。
ときに辛子が鼻をつんとさせるなか、話がはずむのである。
なにを話すかといえば、三題話ではないが、老後年金、病気・健康、そして孫のこと。

なかでも健康では、無呼吸症候群についての談論がおもしろかった。

「寝てるとね、いままでかいていたいびきが急に聞こえなくなって…」
「それって、無呼吸じゃないの」
「そうなのよ、心配だわ」
「でも、ひとりものは分からないよなあ」
「だれも気づいてくれるひとがいないからね」
「でもさ、夫婦でいるからって安心できないんじゃない」
「どうしてよ?別室で寝ているから」
「そうじゃなくて、かえって、これ幸いと枕をかぶせたりして」
「いやいや、濡らした布か、ウエットティッシュがいいかも」
「完全犯罪だな」
「これでうるさい亭主はいなくなるし、老後はひとりでのんびり、というわけ?」
「ああ、女性は怖いね」
「冗談にきまっているじゃない」
「ほうとうに?」
「いやねえ、ほっほっほっ」

人はひとりでは生きていけない、とはよく言われるのだが。
くれぐれも、注意してください(って、なにを?)。

5374碍子引き

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湖畔の宿談義(上)
目下、週休三日制というめぐまれた就労条件のもとにある。
だからいつも家でくすぶっているというわけにはいかない。
そんなところには、かならずかどうかは知らないがお誘いがくるものなのだ。

金曜日の朝早くといっても七時すぎだが、車ででかけることにする。
県道、国道をつないではしっていったのだが、しばしば渋滞にひっかかる。
当然のことながら、車内では言い争い(?)が勃発するのである。

「だから、高速で行こうと言ったのに」
(高速だから渋滞がない、とはいえない)
「だったら、でかけるときにもっと主張しろよ」
(どうせ、言ったってきかないくせに)
「あ~、トイレに行きたい」

ということで、コンビニで停車して一時休戦となる。
すっきりすれば気分も変わるのである。
(こうした口論があるのは仲がいい証拠、だそうである)

なんとか約束時間に着いたところは京都府相楽郡精華町にあるJRの祝園(ほうその)駅だ。
東側には近鉄京都線の新祝園駅が隣接している。
ここで、HYRちゃんとKちゃんと合流して、いざガーデン見学へ。
個人の家だが庭も拝見して、お宅のなかにおかれているいろんな雑貨もみせていただく。

5337ガーデン

みているうちに、ついわたしもこんなものを買ってしまった。
というか、買わなければまたあとでぐちゅぐちゅ言うでしょう、とやや強引に買っていただいた。
でも、まあ結果オーライで、帰ってきてベッド脇のサイドテーブルに置く。
なかなかいい。いろんな連想がわくのである(そのことはまた別の機会に)。

5343胸像

ここからつづいて薔薇の庭を拝見したりランチをいただりお話をうかがったり。
なかなかに元気なかたがたなので、こちらも元気をいただくという感じだ。

5350室内から庭を望む

しかしながら、いろんなひとがいるもんだなあ、といまさらながらに思うのである。

5357ドライフラワー

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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