ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
11 | 2011/12 | 01
S M T W T F S
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

読書仁
暮れになって、大学ノートにつけている読書備忘録をひらいてみる。
今年はいろいろあって(毎年いろいろあるのだが)、読んだ冊数がすくない(約40%減)。
職場もかわり、読む環境(?)が変化したのについていけなかったという面もある。
不思議なことだが、時間がありあまれば読書ができるというものでもないようだ。
初春から夏にかけて、のんびりとした時間をすごしたような気が、いまではするのである。
のんびりしているのだから、なにも本を読むこともないではないか、と考えていたのだろうか。
思えば、とくに本が好きということもなかったし、どちらかというとぼんやりしていることが多かった。
ただぼんやりできる場所が家のなかにはなかったし、図書館はかっこうのところだったのだ。
静かにしていればいいだけだし、ひとりでいても不自然じゃないからなんの問題もなかった。
だが場(Field)の影響か、いつのまにか本を読むようになっていた。

5571講堂

「折りたく柴の記」 新井白石 中央公論新社 ★★★
江戸時代の書物なのだが、訳者はフランス文学の研究で有名な桑原武夫氏である。
新井白石は明暦三年というから西暦でいうと一六五七年、江戸で生まれている。
この年、正月には江戸明暦大火があり、林羅山が亡くなっている。
名は君美(きんみ)といい、通称は勘解由(かげゆ)、白石というのは号である。
江戸時代中期の大儒学者であり、有能な政治家というか官僚というべきかもしれない。
現代における官僚のイメージとはちがって、厳格、謹厳な方であったらしい。
有名な木下順庵門下でその推挙によって、甲府藩主徳川綱吉(後の六代将軍家宣)の侍講となった。
八代将軍吉宗のときその立場を追われ、その後著述に専念したということである。
桑原武夫氏が「日本の百科全書家」と評したほどの大学者でもあったんですね。
そんな白石のこれは自叙伝であるから、彼がどんなことを考えどうしてそういうことをしたのかがわかる。
人間というのはなかなか興味深い生きものである、ということでできそうだ。

「趣味は何ですか?」 高橋秀実 角川書店 ★★★★
あまり親しくない人や、初対面の人にむかって、「あなたは何のために生きているのですか?」
とたずねるのは唐突でもあるし、いささか失礼である。
もし、たずねるとするなら「どのような趣味をおもちですか?」というしかないだろう。
しかし、「趣味は何ですか?」という問いは「趣味がある」ということを前提としている。
じゃあ、「趣味」とはいったいなんだろう、と。
『大体、なぜ「趣味」を持たなければいけないのだろうか?』と筆者は疑問に思う。
この本はそんな疑問をいろんな趣味人にぶつけた以下の十二章からなっている。
官僚は「鉄道」と「坂本龍馬」がお好き、航空無線の傍受、男は「蕎麦」、女は「ヨガ」、
「八十八ヵ所巡り」から「切手」「消印」「手相」まで、「エコ」の醍醐味、楽しい「防災」、
「カメ」になった人々、「ファン」「ゲーム」「ラジコン」心理、ひとりで「ボウリング」、
「武士道」に「階段」、「ウオーキング」「茶道」「ガーデニング」の果て、「登山」の心得
なかなかにおもしろい、と思えるのではあるが。
『「趣味」とは時間潰しである――と考えることにしたのだが、
私の場合、ことさら何もしなくても時間を潰しているような気がする。
例えば朝、目が覚めるとあれとこれをしなければいけないと思う。
どちらを先にするかしばらく思案し、簡単そうなほうから着手しようとするが
簡単に見えるものほど実は難しく、〆切の迫っているほうから始めることにするが、
そこでふと、もうひとつやらなければおけないことを思い出したりする。
「それもあったか」と私は溜め息をつき、背伸びをしたり、あくびをしたり、鼻毛や白髪を抜いたりしているうちに
夜になり、もう取り返しがつかないのであきらめて早寝したりして、結局何もせずに一日が過ぎ去っていく。
 時間はわざわざ潰さなくても、ひとりでに潰れていく。
となると、やはり私には「趣味」は必要ないのではないだろうか。』
だがまさに、人生も暇潰しに似ていなくもない。

「昭和史探索 5」 半藤一利編著 ちくま文庫 ★★★★
昭和十五年から十六年にかけて、いよいよ太平洋戦争に突入していく前夜である。
有名な戦陣訓は、戦争を直接経験していない世代でも知っている。
『「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」これである。
捕虜になるなかれ、それは「郷党家門」を恥ずかしめる恥辱中の恥辱であると、兵士たちは覚悟させられた。
そのために死ななくてもいいのに、無残な死を死んだ兵士がどれほどいたことか。』
有名なことばですね。また日本人的とも考えられる人生観でもあります。
『第二部のある課長は、私に対し、「いまや日米戦争は必至である」といった。
そこで私が、「勝つ見込みはあるのか」と反問すると、「もはや勝ち負けの問題ではない」といった。』
いまの政治家にもこんなことを言いそうな方々がおられるのではないでしょうか。
『日本の指導者はまともな考え、つまり健全な常識を失って、熱病にうかされたように
亡国が決定的な戦争に突入していくことになるのである。
ただ一つ、ドイツの勝利をあてにして、である。』
これを他律主義といってすますことはできない。
『十八歳の、旧制広島高校の一年生であった林勉が書いている。
「その朝の授業は、鬼のあだ名で文科生に最も畏怖された雑賀教授の英語だった。
廊下のマイクが臨時ニュースを伝えると、教授は廊下に飛び出して、頓狂な声で〝万歳〟を叫んだ」
この雑賀忠義教授が、戦後広島の原爆慰霊碑の
「安らかに眠って下さい過ちは繰り返しませぬから」の文句を考案した人なのである。』
なんだか、やるせないような気分にもなるのであります。

スポンサーサイト

テーマ:読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

ことばのくずかご
言いまちがいは、無意識下にある願望なりがあらわれたものだとフロイト先生はいう。
そういわれると、そんな気もするのだが、すべてがそうだとはいえないだろう。

本棚の「ことばのくずかご」(筑摩書房刊)という本をながめていたら、そんなことを思いだした。
見坊豪紀さんは私の好きな学者らしくない学者というか編纂者なのである。
(その本のことなどはべつの機会に書こうと思う)

と職場でなにげなく電気の図面をながめていたらこんな文字がとびこんできた。
分電盤リストに書かれていたのはこんな表示。

「和室」「東洋室」「西洋室」

う~ん、どういうことなんだ。
しばらくながめていて、やっと納得した。

東洋室 → 東側の洋室、西洋室 → 西側の洋室

ということで東洋の部屋とか西洋の部屋とかということではなかったのだ。
わかってしまえば、なあ~んだということになるが。
ヒトの知覚と意味はがっちりと組みあっているのだということがわかる。
なにか意味をまとまりを、そこに見いだせずにはいられない。

5752寒菊

凍てつく
毎朝、窓の結露をとるのがたいへんだという。
何時間もかかるんだから(ちとオーバー?)、とおっしゃるのである。

今朝も起きると、いきなりはいた息が白くなびく。
この冬いちばんの寒さだそうである。

すこしは結露とりを手伝うか、と窓のカーテンをよせる。
なにげなく拭いたが、どうも様子がおかしい。
ぬぐわれてきれいになった感じがしない。
寝ぼけまなこでよく見ると、なんと凍っているではないか。
(家人いわく、我が家は神戸のチベットだそうである)

6283凍てつく窓

ということは、めだかのいる大きな鉢も水面が氷でおおわれていた。
玄関前の植物も白く霜をかぶって冬化粧をしている。
まさに厳寒の冬である、なんてね。

6287めだか鉢

6288霜降り草

しかし冬至もすぎたので、これからは一日ごとに昼がながくなる。
気温は大地が温められるのに時間がかかるのですこし時間差が生じるがね。

クリスマスの夜に
今日はクリスマスだからということではないが、昔読んだ本にあった一節を思いだす。
それは宮城音弥さんの心理学関係の岩波新書にあったと思う。
どこに書いてあったかなあ、と本棚のなかをごそごそとさがしてみた。

「心理学入門」であったか「愛と憎しみ」だったか「精神分析入門」なのかはっきりとは憶えていない。
やっと「人間性の心理学」(岩波新書(青版)670 1971年7月20日 第7刷発行)のなかに、
価値についてという章があり、そこの価値の多様性という節に書いてあった。

6282人間性の心理学

『宗教がちがうと価値観が異なる。リシェはいう。
「世界開闢以来、およそ六千億の人間が生活した。大ざっぱに計算してヒンズー教徒が一千億、
種々雑多な異教徒、仏教徒、回教徒、旧教徒、新教徒がそれぞれ同数であったとしよう。
 ところで、もし、私がまちがっていないとすれば、まったく別個の宗教が六種類あることになる。
そして、その全部が真に正しいことはあり得ない。少なくとも、六つのうち、五つは虚偽でなければならぬ。
 最大の譲歩をしたうえで、六つのうち一つが正しいものとすれば――そんなこともあるかも知れぬから
――他の五つは虚偽であるということが否定し得ないことは明らかである。
 したがって、人類の六分の五は、多くの世紀にわたって、恐るべくも、また、笑うべき誤謬によって、
根本的に歪められた生活を営んできたし、また、今なお、そうしていることになる。
この人類の六分の五は愚者であったし、今もそうである。
 これは数学的に反証し得ない証拠である。」』

真理はひとつである、という前提を多くのひとびとが認めているのだろう。
ということからすれば、正しい宗教、宗教教義というものがあるならば、それはひとつしかない。
キリスト教、イスラム教などといえども世界人口の50パーセント以上の信者はいない。
この地球上に住む人々の過半数はまちがった宗教を信じているということだ。
こう結論づけられる、これはじつにおどろくべきことではないか、というのである。

だからかどうか、現代にいたっても宗教に端をはっする戦争はおさまるところを知らない。

もしや、前提がまちがっているということだろうか。
多くの論証は前提を検討することによって覆ってきた。
定説、ドグマ、常識を疑え。

正しい(これを定義するのはやっかいだ)宗教は複数あるのか。
このテーゼを受けいれられる宗教がはたして存在するのか。
真理は相対的なものなのだろうか。
正義なら、相対的だと即座にいえるのだが。

ふと、日本では八百万の神がおわします、ということを思いだす。
多くの日本人が自分は無宗教だとなんとなく考えていることと関係があるのだろう。
こんなことを考えるのだが、今夜はキリストさんもきっと許してくれるだろう。

スマートフォンとおばさん
仕事も終わり地下鉄のエスカレータでくだって、いつものようにプラットフォームにでる。
五時半になろうとするこの時間、たいていは電車を待つ人の姿もまばらである。

きょうもおばさんがひとり作りつけのベンチに座っているだけだ。
すこし間隔をあけてわたしも座ろうと思った。

3957地下鉄プラットフォーム

なにげなく見ると、なにやら一心に指をうごかしている。
その手元にあるのは、たしかにスマートフォンだった。

ほぉーと思いつつ、しばらく見守っていた。
動かしているのは人差し指のみである。
もしやロシア人などとは考えもしないが、ややたどたどしい。

もしこれで親指と人差し指でひらく動きなどしようものなら…。
なんとなくほっとしたというか、ははぁーと考えがうかんできた。
さしずめ孫あたりからのプレゼントなんだろうか。
なかなかほほえましいではないか、とひとりかってに納得する。

わたしなどスマートフォンの必要性は感じないし、携帯電話ですらうっとおしい。
なにかあった時のためと思って持ってはいるが、これから帰ると電話をするだけ。

しかしながら、たしかにいろんな情景が変わってきているとは思うのだ。

ルミナリエの想い
今年もルミナリエの時期がやってきた。
神戸に住んでいる人たちにとっては、震災の記憶と切り離せない。

5767東北への鎮魂

もうあれから何年が経ったのだろうかと思う。
震災があったのは一月十七日早朝、寒いころだった。

5782ルミナリエ希望の光

ルミナリエの灯りを見ながらいつもそんなことを思いだす。
多くの人が亡くなったが、みんな忘れてなんかいないんだよ。
そんな気持ちをいつまでも持ち続けているんだろうな。

5763震災メモリアル

5810ルミナリエ

5834市役所から

哀しいことを悲しんでばかりいては亡くなった人に申し訳ない。
ということではないけど、偲びながら食事をいただく。

にぎやかに、笑い声につつまれながら想う。
もしここに彼ら彼女たちがいればなあ…、と。

5844酒糀家

九州ツアーⅢ温泉篇
晴れわたった空のもとYKY氏とはお別れ、またどこかで呑みましょう。

5733山並み

賑やかな湯布院の町は通過してやってきたのは、鉄輪(かんなわ)温泉。
そこにある「かなわ荘」さん、なかなか風情のあるたたずまいでありました。
ほとんど貸し切り状態ということでゆったりのんびりできました。

豪華な昼食をいただいて、温泉にものんびりと浸かったのであります。
が、そこでまあ、ある種のたわいないできごとがあったわけです。

5742昼食

男性の多くは砂風呂へいったのだが、わたしはまずは露天風呂へ。
男女別々の露天風呂に入ったわけなのですが、なんだかおかしい感じがする。
その理由は、たがいを隔てる塀の高さがかなり低いのである。
ちょうど、あごあたりまでしかないである。
背の高い男性なら、そちらに視線をむけると女湯が見渡せるということになる。
(木戸があるので、まったく筒抜けということではないですが)

どうなっているのだろうと思いつつ、そういえば、たしかに女性の姿がみえた。
後ろ姿で背中あたりまでであったから、だれかということは判然としなかった。

別府は、いくどか訪れた「別府温泉保養ランド」もそうだったが、混浴にこだわりがないようだ。
文化的なものもあるのだろうが、南国的というか鷹揚である。
よくいわれる、別に見たからといって減るものじゃなし、という言葉はかろうじてのみこんだ。

「見たのならお金をちょうだい」
「そんなあ、わざとじゃないよ」
「いいえ、ただ見はだめです」
「もうおばさんなんだから、こっちがお金をもらいたいくらいだよ」
「まあ失礼ねえ」

といった会話があったのかどうか、は忘れてしまいました。
(忘却とは忘れ去ることなり)

5739かなわ荘

ほっこりした身体になって、ここで四国へ帰るMRO夫妻とはお別れです。
またご一緒しましょう、それまでおたがい健康には留意しましょう、お元気で。

帰る列車では、昨夜の残りもののおにぎりやパンを食べ、すこしうつらうつらと眠ったり。
(このあたり、かなりのエコツーリズムではないだろうか)
それぞれの夢で楽しかった旅を反芻しているかのようでありました。

若き日からの旅のなかまに感謝、またどこかへ。
といって、今週末は「ルミナリエ宴会」なんですけど。
(よう遊びける方々ですなあ、との声もありなん)

5746油屋熊八

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

九州ツアーⅢ焼物篇
一夜明けて、小鳥のさえずりで目が覚めた。
今日も小雨がふったりやんだり模様、でもなんとか歩ける程度なのが救いだ。

5688由布院別荘

福岡県朝倉郡東峰村の小石原に到着して、まずは道の駅でコーヒーをのむ。
これが小石原(こいしわら)焼のコーヒーカップで、なかなかいいではないですか。

5695小石原焼

何軒か窯元を巡ったり、そこでいろんなお話をうかがったり。
観光客の姿もほとんどなく、すこし寒いぐらい。
道の駅のなかにある展示コーナーなどでそれぞれが気に入ったものを買い求める。

では、すこし離れた大分県日田市山あいの小鹿田(おんた)焼の里へ向かおう。
ここは前回も訪れたところ、あいかわらず人もすくなくひなびた感じだ。
陶器祭りのときはにぎわうらしいいがそれも終わって、品数もすくなくなっているとのこと。
小石原を見たあとでは、もうひとつといった感が否めない。

5714唐臼

歴史的には、小石原があって、小鹿田はそこからの分派ということらしい。
較べてみると、小石原のほうが緻密、先進的な感じがした。
小鹿田は伝統的なものを受け継いでいこう、陶器はつかうものなのだから。
そんなざっくりとした印象をうけたのですが、どうなのでしょう。

5719小鹿田登り窯

昼食は日田市のB級グルメ「日田焼きそば」、情報あり「天龍」さんがうまい、と。
市役所近くで、うわさにたがわず、おいしかったですね(これは大盛)。
それと厨房の方の対応がとてもとても感じよく、気分よく食事ができました。

5708日田焼そば

5709天龍

今夜はYKY氏も駆けつけてくることになっており楽しみだ。

泊まるのは飯田(はんだ)高原にある貸別荘、広くて快適だ。
寝る準備をして、連夜の宴会のはじまりはじまりだ。

YKY氏の紆余曲折の来し方の話などききながら、酒を酌み交わすのである。
(詳しくは「文集三虎」の氏の文を読んでください)
(較べることもないのだが、小生はじつに平凡な人生を送っているなあ(笑)と思ったり)

相当に深い哲学的なはなしをしたはずなのであるが、さっぱり憶えていない。
というか、思いだすことができない、どうしても経路を逆にたどれない。
脳の痕跡にあるのは、なにかとてつもなく楽しく愉快なことがあったらしいということのみ。

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

九州ツアーⅢ地獄めぐり篇
このツアーの発端は四月のM島でのことだった。
NHOちゃんが、また九州に行きたいねと言った。
そこで今回も別府在住のJIJIBB氏にツアーの手配をお願いすることになった。

もうこれで三回目、それも三年ごとと縁起のいい数字(?)のならぶ九州ツアーである。
ときにおじさんの笑顔満開の最初のライブツアーを想いだすのである。
今回もまたまたいろいろとお世話をかけました。
みんながいうように、ほんとうに楽しい笑いにみちた旅でした。
JIJIBB様、ここに謹んで御礼を申しあげます。

そのほんの一部分でも書き残しておこうと思う。
もちろん、小生の眼から見た独断にあふれたものであることはいうまでもない。

新幹線で合流したのは七名、金曜日の朝のことになる。
顔をあわせれば、なんだかそれだけでも楽しくなってくるから不思議なものだ。
あまりにはしゃいだせいか、車掌さんにお静かに願いますと注意されてしまった。

5620小倉

そんなこんなのなか、小倉で特急に乗り換え別府に着くころには外は雨だった。
異口同音に「やっぱりね」とおっしゃるのである。
しかし、どうしていつもこうなるのだろうか不思議なものだ。

雨のなかの地獄めぐりとなったので、タクシーをチャーターすることにする。
しかしながら、そこはそれ交渉で観光バスでまわるのと同程度の金額におさめる。

5624別府

めぐったのは「血の池地獄」「海地獄」「坊主地獄」の三箇所。
仏教の地獄に模するとは、よくぞ名づけたと感心するのであります。

5629血の池地獄

5644海地獄

5662坊主地獄

駅に戻って他のメンバーと合流、これで今回の十三名がそろった。

今夜の宴会に備えて、食糧買いだしをする。
駅近くにこんな市場があるというのが便利でもあり、おもしろい。

5676べっぷ駅市場

5679買出し

暗くなった道をなんとか由布院の貸別荘に到着する。
わいわいと食事の準備ができるのもみんな旅慣れているからだ。
すぐに眠ることもできず、夜半の二時過ぎまで宴会は続くのであった。

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

11 | 2011/12 | 01
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー