ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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袖の長さ
いままでは、下着は冬でもほとんど半袖シャツだった。
夏のランニングシャツ姿が嫌で年中おなじ半袖シャツでとおしていた。

小学生のころ、夏になると近所のおじさんがランニングにステテコ姿で縁台将棋をさしていた。
なんだかかっこわるいなあ、とずっと思っていた。
そのイメージがどうしてもついてまわっているのだろう。
そんなに身なりに気をつかうほうではないが、やはり気にいっているにこしたことはない。

冬になっても、それで格別寒いと感じることはなかった。
年中おなじならエコではないか、と考えることもできるわけだ。

6321葉脈

ところが最近になって寒さがこたえるようになってきた。
いちど暖かい長袖シャツを着てしまうともういけない。
気力の衰えか、もういちど半袖シャツにもどろうとはならないのである。

やはり、体温の保持は健康面からも大切だよなと考える。
無理はいけない、といままでにはなかった素直さがでてきたようだ。
これは思わぬメリットといえるのではないか。

見栄の薄着といわれるように、そんなことではいけないと思うようになった
ある程度年齢を重ねてきたわけだから、ものごとの道理をわきまえなければいけない。

ではあるが、いまだにパッチ、スパッツ、タイツ類は着用しない。
これは脚部には寒さを感じないからであるが、どうなんだろう。
無理にじじむさい(?)かっこうをすることはないではないか、と思ったりしているのか。

というようなことをいいながら、どうもこのところ風邪気味である。
どうにも中途半端感はいなめない。

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読薬あります
世の女性はおしなべてダイエットに関心がある。
一見、そんな必要もないのではと思われる方でも、やせたいとおっしゃる。
つまりは、どなたも食べすぎている、カロリーオーバーだと自覚しているのだ。
流行しているエコの観点からみれば、もったいないことである。
仕分け作業的には、摂取栄養素の削減が急務ということになるかもしれない。
まあ、なんてことをおっしゃるのでしょう、と憤慨されるだろうか。
そんなに食べていませんよ、なぜだか知らないけど体重が増えるだけなのよ、不思議ねえ。
ほんとうに不思議だ、そう都合よく食べたことを忘れられるなんて。
ダイエット本を読むより、熱力学関係の教科書のほうがよほどためになると思うのだが。

5960堂島ホテル

「日本は悪くない 悪いのはアメリカだ」 下村治 文藝春秋 ★★★
本書が書かれたのは昭和62年、アメリカはレーガン政権下で巨額の財政赤字をだしていた頃だ。
『私は悲観論者でもなければ楽観論者でもない。
ただ、私が日頃から心がけていることは、物事を冷静に、偏見にとらわれずに見る、ということだけである。
色眼鏡では決して見ないし、判断する過程で、こうあって欲しいとか、ああであって欲しいなどと自分の
感情や価値観を込めたりはしない、あるがままを見て、あるがままに判断する。それだけである。』
現在の日本においても、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の議論はあるが、どう考えればいいのか。
下村氏の貿易を含めた経済に対する考え方が参考になるのではないか。
『自由貿易というのは、それ自体が善なのではない。あとでもくわしく触れるが、
最初に国民経済があって、その国民経済にとって利益になる場合にのみ自由貿易は意味がある。』
どこの国もが利益になるということはなさそうである。
しかし、こういうこともおっしゃっている。
『世界の通貨秩序を支えているものは、それぞれの国の政府と中央銀行が節度ある経済運営で
その通貨に価値を与えることである。それがくずれてきたときにその通貨は価値を失う。』

「モンド氏の失踪」 ジョルジュ・シムノン 河出書房新社 ★★★★
シムノンといえばメグレ警視シリーズというぐらいに有名な作家だ。
さて本書の主人公ノルベール・モンド氏はパリの中小企業の社長である。
四十八歳の誕生日を迎えた日、彼は人生を変えるためふらりと三流の理髪店にいく。
列車でマルセイユに着き、たまたま見た靴修理屋の看板名、デジレ・クルーエを名乗ることになる。
ホテルの隣室の愛人にすてられたジュリーとひょんなことから知りあい仕事をさがしてニースにむかう。
そこで偶然にも最初の妻であったテレーズと出会うのだ。
彼女は大金持ちの女ともどもモルヒネ中毒者になっていた。
いちど社会規範から逸脱したあげく、ふたたびパリへ戻るのは彼女を病院にいれるためだった。
モンド氏は青年のころからこんな思いにとらわれていたのではなかったのだろうか。
『ああ、いまの彼は疲れ果てている!
それなのに、最も重い荷物を背負うために選ばれたのは、なぜ彼の双肩なのか、
だれをも傷つけたりしたことがなかったのに?』
だからではないが、男はいつかふらりとどこか見知らぬ町へと旅立ちたくなるのだろう。

「昭和史探索 6」 半藤一利編著 ちくま文庫 ★★★★
いよいよ戦局も大詰めをむかえる昭和十七年から二十年のことである。
『二十年はまさしく「特攻の秋(とき)」である。戦場も銃後もなく一億総特攻である。
祖国の明日のためには、これ以外に道はないと、決然と死についた特攻隊員が美しく、
哀れであればあるほど、それを唯一の戦法と採用した軍の思想は許すことができない。
神風特攻も回天特攻も志願によった。
志願せざるをえない状態において志願するのでは、形式にしかすぎないのである。
そこには指導者の責任の自覚もモラルのかけらもない。
無能と動揺と不安とを誤魔化すための、大いなる堕落がある。』
「特攻の父」と崇められることになる大西瀧次郎中将は死ぬまでこう言っていたという。
「特攻なんてものは、統率の外道の外道である」と。
「この一戦に限って」と意図されたものだったのが、唯一の戦法となってしまったのである。
そして広島・長崎への原子爆弾投下ののち、ポツダム宣言をうけいれて無条件降伏するのである。
『原爆製造計画の総指揮官グローブス少将の、
スチムソン陸軍長官あての手紙の一節が非常に興味深い。
「目標は一貫して日本なのであります」』
ドイツ・イタリアではなく、日本でしかありえないということだったのでありましょうね。

テーマ:読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

運の総量
運の話を書いていて思いあたったのだが、よくこんなことを言わないだろうか。

思いもかけずなにかで景品が当たったりしたときなど。
「こんなことで(大事な)運をつかってしまった」と。

つまらないことで運をつかってしまうと、重要な局面ではすでに運が残っていない。
(商店街のくじではなく、ジャンポ宝くじの一等が当たってほしいものだ)

つまり、人は一生においてもっている幸運の総量はきまっている、というものだ。
(そう仮定しても、決まってはいるが、どのくらいの量であるのかは知ることができない)

そんなにまじめに信じているわけでもないが、どこかでそういうこともあるのかな、とも思っている。
これらはすべて結果論としりぞけられるが、ほんとうの心情はべつのところにある。

運によって人生が左右される、と考えることは運命論・宿命論につながっていく。
人にはそれぞれの運命があり、その輪のなかから抜けだすことはできない。
金斗雲に乗ってあばれまわる孫悟空だが、お釈迦さんの掌でのことだという図がそうだ。

自分では変えることのできない運命ならば、どう生きようとおなじことだと考える者がいたとき。
その者はそういうふうに考えるように宿命づけられていたのだ、ということになる。
つまりは、どのように反論しようともそういった説明は可能だから、反論じたいがむだである。
そういうふうに構築されているのだから、これは一種の人生観・世界観だということだ。

だったら、せめてすこしでも多くの運がめぐってくるような人生でありますように、と願う。
そうなのです、そのためには守らなければいけない戒律がありますよ。
人として生きるためには、神を、あるいは仏を信じて生きましょう。
となれば、これは宗教ではないかといぶかってみても、そういうものだというのが運命論なのだ。

運命論・宿命論とは決定論であるから、科学的な検証には肌がなじまない。
運をうんぬんする人びとのなんと信心深きことだろう、と思わずにはいられない(笑)。

幸運であればこそ、いまここに生きているのかもしれない。

6329幼子

招運新年会
人は運がいいとか、悪いとかと思うものであると前回書いた。

運よく結婚できた、あるいは運悪く結婚してしまった。
もしくは、運よく結婚しなかった、あるいは運悪く結婚できなかった。
ともに正反対のことをいっているが、どちらも成り立つことはわかっている。

これらは、心理をあらわしているかもしれないが真理をあらわしているとはいえない。

運がいい、運が悪いと、結婚できる、結婚できないとには必然的な関係はない。
ではあるが、人はなにかとなにかを関連づけて考える傾向もっている。
論理的ということばに、なにかいいあらわしえない魅力を感じているだろう。
かといって、非論理的に生きる人はいないというのでもない。

だが論理的とは約束事ではないか、という意見もきかれるのである。

そもそもこれらの文章に真理があるのかどうかもわからない。
であるから、「病は気から」というように気に病むことは健康上いいことではない。
おなじことなら健康的でありたいものだ、というようなことであった(?)。

ところで、土曜日に新年会があり運よく参加することができた。
いろんなところから集まってくる仲間がいるという幸運な境遇にある。
若いころから知っているので、遠慮なく言いあえふだんは感じているストレスもない。
逆にストレスを発散できる場といえなくもない。
しゃべらなくても、やりとりを聞いているだけですっきりできるわ、とおっしゃる。

ジャズの流れるなかシャンパンで乾杯して(これは一月生れのメンバーへ)、

5895ジャズ

5904シャンパンで乾杯

用があって来れないという鮮魚屋から仕入れた(?)新鮮な刺身を食い、

5910魚太の刺身

ホストが特別に手配してくれた「イベリコ豚の生ハム」に驚き、

5914イベリコ豚の生ハム

これは見るためだよという1980年もののワイン(KBS氏より)などある新年会はにぎやかだ。

5903ワイン1980年物

こういう会にくると、しあわせはお金では買えないということが実感できる。
ではお金で買える不幸せはあるのか、についてはいまだ答えを知らない。

酔って論理がとんだりするのだが、楽しい気分だけはほんものだ、と思ったり。
あと何回この新年会が開催されるのか、とふと寂しく感じたり。
やはり諸行無常であるのかと、われにかえったりする冬の日であった。

5957堂島川

やはりわたしは運のいいヒトに属するようである。

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

運がいいですか
なにかでこういったことを読んだ。

松下幸之助は入社試験で、
「君は、運がいいほうですか?」とかならず聞いたそうだ。
で、「いいほうです」と答えた人は他の試験等の結果にかかわらず合格にした。
というのである。

なるほど、松下さんがそういうことを採用の判断にしたことは理解できる。
ものごとをポジティブにうけとめる資質があるかどうかをみたのだろう。
と同時に、受験者のボディランゲージも読みとっていたことだろう。

しかし、これは会社がおおきく有名になってからの話ではないと思う。
松下さんの会社を選んだということが彼の運を暗示している、といえなくもない。

だが、この話をうのみにしてはいけない。
だから、面接でそう聞かれたらこう答えようと思ったらきっと失敗する。

先にポジティブつまり積極的な面があるのかどうかを見るための質問だと書いた。
おなじことを聞く面接官がいた場合に、そう答えればどうなるか。
続けて、「そう思うようになった、具体的な事実があれば教えていただけませんか」と。
さらには「運が悪いと思ったことは、いちどもなかったのですか」にはどう答える。
そこで、果たしてうまくこたえられるかどうかだ。
逆に墓穴をほるということがないように、と願うばかりだ。

5616貨物列車

そんなことよりも、すなおにいままでの人生を振りかえってどう思うか。
運がよかったと思えるか、いやいや運が悪かったなあ、と考えるか。

どんな人生を生きようとも、どちらとも思えるということなのである。
(上には上があり、下には下があるということ)
(しかしまてよ、円環になっていたらばどういうことになる、といった議論はさておき)
だから、どう思いますかときく質問が意味をもつのである。
そのひとの感受性、おおきくいえば人生観・世界観・宗教観が知れるのである。

だからといって、運が悪いと思うことはダメだ悪い、とはならないことをお忘れなく。
どう思おうが、受け取り方はその人の問題に属することはいうまでもない。

いろんなひとがいるのだから、いろんな感じ方があっていい。
そのほうが生物多様性ではないが、ヒト多様性があるということにはならないだろうか。

眠る言葉
向田邦子さんのエッセイに「眠る盃」というのがある。
「荒城の月」のめぐる盃を眠る盃と憶えていたという話だが、こうしたことはままある。
わたしのなかでは薬師丸ひろ子が歌う「時代」のここのところ

 ♪「まわるまわるよ 時代はまわる」が

 ♪「まわるまわる 4時代はまわる」と聞こえていた

柱時計が4時をさし、ぐるぐるとまわっている斬新な(?)イメージをいだいていた。

夢のなかであの独特の声がきこえてきた。
ねばっこいような歌い方だが、その歌詞にあれっと思った。

 暮れなずむ町の 光と影の中
 去りゆくあなたへ 眠る言葉

一晩寝れば、すっきりするはずだ。
忘れてしまえよ、忘れられるさ。
よくいうじゃないか、人間は忘れる動物である。

ひとのことだと思って勝手なこと言ってやがる。
でも言ってるのは俺だから、これはどうなっているんだ。
ああ、そうか、夢だからだな。
でも「眠る言葉」って、どういう意味なんだろう。

夜中にトイレに行きたくなって起きたのだが、しばらくあの声がきこえていた。

 去りゆくあなたへ 眠る言葉

と。

6317バラ

震災の夜
勤め帰りに足がむいた。
暮れかけた会場にはおおくの人びとが集まってきていた。
やっぱり忘れさることはできないし、思いださずにはいられない。

6346紙灯篭

1月17日午前5時46分、まだ真っ暗な未明の時間帯だった。
突然のゆれ、つづいて倒れる家具、割れる食器の音が部屋に充満していた。

しばらくしてテレビにうつる神戸の街は黒煙をあげていた。
阪神高速道路はあっけなく横倒しになっていた。

数日して、一部復旧した鉄道駅から迂回するバスを乗りついで通勤した。
三宮のメインロードを倒壊したビルディんグがふさいでいた。
バックパックにマスクをした人びとが無言でその脇を歩いていたことを思いだす。

なんとか無事だった事務所ビルでなにをしていたのかもう思いだせない。
近畿各地から工事関係の応援部隊が出入りして飯場の様相をていしていた。

周辺の道路や隣の結婚式場は、トラックやユニック車・バケット車でうまっていた。
それもすこしづつ潮が引くように消えていったのはどのくらい経ったころだったか。

6352灯り

あれから17年がたったのだ。

灯りをみつめながら合掌する。

6353願い

顔を洗う
朝起きて顔を洗う。
もちろん冬であろうと、冷水で洗う。
だれもがそうしていると思っていた。

目覚めにすっきりした気分になるには、冷たい水がいい。
肌も引き締まり、さあ今日もいちにち頑張ろう、となる。

ところが、家人は寒い日にはお湯で洗顔する(そいう感じだ)というのだ。
だって冷たいじゃない、心臓麻痺でもおこしたらどうするのよ、と。
まあ、心臓麻痺はしゃれだとしても、驚天動地である。

そこで、ふと疑問がわいてきたのだ。
なぜ朝起きて顔を洗わなければいけないのか。
そうだ、幼いころから起きたら顔を洗いなさいと言われ続けてきたのだ。
その理由については、はっきりとした説明を聞いたおぼえがない。

思いおこせば、若かったころには顔も洗わずに過ごした日もあった。
それで別段どうという不都合もなかった。

きっと世界のなかでは、もしかしたら日本のある地方でも、
顔を洗わない習慣が存在するのはないか、と考えるのだ。

「汚い、不潔ね!」
という人びとは、空気中に浮遊する細菌、ウイルスをあえて無視している。
見えないものは存在しない(哲学的だな)、という一派なのだろう。

だがやはり思いうかぶのは、次なる詩の最初の一節だ。


 少年は日中 あそび疲れて
 風景を顔につけて帰ってくる
 少年は顔を洗う
 すると風景はおちる 洗面器に
 シャボンとまじって

   (中江俊夫 『顔を洗う』)

6325星

肉食うヒト
ちょっと遅いけどお年玉がわりにどうぞ、と宅配便がとどいた。
冷蔵品です、とクロネコ便のおにいさんがいう。

品名をみると、肉と書いてある。

「お~い、肉が届いたよ」
「へえ~、どこから」
「豊橋の先生とこから」
「ということは、最上級ということね」
「まあ、そうだろうな」

ひと段落あったところで、お礼の電話をしたら、
肉については完璧です、とのおことばをいただきました(笑)。
(宮崎牛A5、と書き添えてありました)
塩コショウだけで焼きました。

6343宮崎牛A5

アフリカの一部地域に住むチンパンジーは狩りをすることが確認されている。
小形の動物をとらえて、肉をおいしそうに食うのだという。
なんだか、ヒトみたいですなあ。

ひさかたぶりに肉をたべる夕飯であります。
またこの希夢知自家製キムチ(同語反復?)が絶品なのだ。
ごちそうさまでした。

6340キムチ

ヒトの寝方
人生の三分の一は眠っている計算になるのだが、どうも眠ったという気がしない。
どこに原因があるのだろうか、としばし考えたりする。

たいがいはベッドであったり、ふとんを敷いて眠るのであるが、そのせいだろうか。
ベッドの方がいいとか、ふとんの方が眠れるとか、やはりそうは考えにくいのである。
いままでにどちらでも寝たことがあるが、そういうことではない気がする。

やはり、寝姿の問題なのだろうか。
寝相ということばもあるが、寝る姿勢は人によってちがっている。
仰向けにであったり、横を向いたりして眠りにおちてゆく。
(やはりうつ伏せというのは呼吸の問題もあってかなりの少数派だろう)
ヒトは眠っているあいだ、じっとしているのではない。
一晩のうちに何度も寝返りをうっているというから、姿勢だけでもないかもしれない。

そういえば、小学生のころ夜中にめざめると上下逆転の姿勢になっていた。
そのままふたたび寝たのだが、起きるともとどおりの位置になっていた、そんなことがあった。

だが好みの姿勢になってからも、いっこうに眠れないという経験がありはしないか。
脳が興奮しているから眠れないれないんだ、という。
では脳を興奮させないでいるにはどうすればいいんだろうか。
そう考えることが脳を覚醒させるのだから考えてはだめなんだ、ともいう。

いったいどうすればいいんだ、と叫ぶと余計に興奮状態になる。
ああ~疲れた、もういいやとなったとたん眠りにおちてゆく。
疲労は最適の睡眠導入剤だともいわれている。
(だから、からだを適度な運動状態におけばいいんだという意見もある)

だがしかし、目覚めたあとも眠れなかったという思いは残っている。
睡眠とは、眠った時間×眠りの深さ、で表わされる面積のことを意味している。
だから、眠る時間が長いから睡眠が足りているということにはならない。

5764水底

「眠れなかったあ~」
(眠った気がしない)
「うそばっかり、グーグー寝ていたわよ」
「そうかなあ?」
「こっちの方が、うるさくて眠れなかったわよ」
(あのいびきを録音しておけばよかったわ)
「冗談いうなよ、そっちこそピースカ、パースカ寝ていたぞ」
(おたがいを攻撃しあっても問題は解決しない)

たまにはゆっくり眠りたいものだというと、莫迦にした眼でみられた。
やがて、「春眠暁を覚えず」の季節がやってくる。

正確な性格
冬来りなば、春遠からじ。
年が明けてそう思える気分になってきたが、まだまだ寒い。

気候とその地に住む人の気質は関連がある、とはよくいわれる。
東北人は雪におおわれる冬を経験するので我慢強い。
沖縄の人は年中暖かなので性格もおおらかである、などと。

寒い→ちぢこまる→我慢している→(それを見て)我慢強い(と連想する)
暖かい→身体ものびのび→ゆったりした気分→(そんな人は)おおらか(だろう)

といったように容易に想像するのだろうか、と思ったりする。

ということは逆説的に(このことば好きですねえ)、
性格(あるいは気質)といったものは、気候を操作すれば(できるかどうかは別として)、
思ったように形作れるといっても過言(!)ではない、といえる(?)。

だが、血液型性格学とおなじなのではないかと思える。
そういわれればそうだな、とつい考えてしまうヒトの性向をついてくるのだ。
だれだって、そういう性格的要素もある(身も蓋もない?)ものなのだ。

5882木造物

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無知の知
初詣に西國二十六番「法華山一乗寺」にいった。
群れなす参詣客をながめながら、思ったりしていた。

5863参道

だれでもいちどは聞いたことがあるだろう。
有名なソクラテスのことばである。
正月早々だが、なぜか気になった。

世のなかには、いろんな種類のテストがある。
ビネー=シモン式知能検査がとくに有名だが、誤解もあるようだ。
本来これは発達遅滞のこどもを見つけるために考案されたものである。
それがアメリカにわたり、軍隊入隊時の適性検査としてつかわれるようになった。
けっして優秀な人間をみつけだそう、知能の高さを測ろうとするものではない。
標準(そう厳密なものではない)以下であるこどもに早く手立てをなすために。
いつの世でもそうだが、考案者と利用者の思惑は概しておおきいものがある。
それはノーベルのダイナマイトの発明が雄弁にものがたっている。

それはさておき、では知とはなんだろうか。
テレビのクイズ番組でやっているようなことではない。
漢字をむやみやたらと記憶しているから知があるとはならない。
つまり知識の総量をいうのではないことはだれでもがすぐに分かる(?)。
でなければ、スーパーコンピュータがいちばん物知りだということになってしまう。
それはなぜかおかしい、とだれもが感じるだろう。

5885たなびく

人生のなかで、なにかを知り満ち足りる、などということがあるのだろうか。
答えがどこかにあるようでないようで、なかなかにむずかしい。

今年も知るとはなにか、と考えてまいりましょうか(笑)。

5875御詠歌



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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