ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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春は名のみ
四季のうつろう日本に住んでいると、冬から春になるのはあたりまえのことだと思っている。
あるとき、そのあたりまえのことになにか異変を感じるときあなたはどうするだろうか。
その異変がどうしておこったのか、真相を知りたいと思うだろうか。
なぜそうなっているのか、を問いかけることはヒトのヒトたる所以でもある。
まだつぼみ状態の梅や椿をながめながら、それでももう春がちかづいているのだと思う。
早朝の鳥のさえずりで目がさめることに、すこしばかりのよろこびを感じる。
庭の草木や、虫たちのほうが季節のさきぶれに敏感だから。
ヒトは時間に追われて暮らすうち、いつのまにかそんなことも忘れて生きている。
あるとき、音のない森閑とした春に気づいたとしたら、どんなにか驚き不安になることだろう。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読んだのはいつのことだったろうか。

6426梅のつぼみ

「そうか、もう君はいないのか」 城山三郎 新潮社 ★★★
多感な青春のころは戦争に突入する時代でもあり、大義を信じてみずから海軍に志願兵ではいる。
だが、そこは古参兵が新兵をいびることにのみ生きがいをみいだすような場所であった。
敗戦後(終戦ではなく)、大学にもどるのも人生の大義とはなにかをもういちど考えたかったからだ。
偶然にいきかった女性といくたの別れをへながらも不思議な出会いの後に結婚することになる。
それが、書名にもある君(妻)のことなのが読んでいて、ちょっぴりもの哀しくなる。
城山三郎が自分の人生をふりかえりながら書いた自伝でもある。
彼の小説のテーマはこの自伝に書かれているように、人生の大義はどこにあるのかということにつきる。
人は生きる、よく生きるためには大義(それはひとそれぞれだろうか)がなければならない。
そんな世代の生真面目さが、なぜだか忘れさられた現代には妙に新鮮に感じられる。
君(妻)に頼り切っていた(信頼、敬慕していたのだろう)城山氏の生活がしのばれてすがすがしい。

「確信する脳」 ロバート・A・バートン 河出書房新社 ★★★★
なにかについて知っていると思うのは、どういうメカニズムの結果生じるのだろうか。
『確信とは、それがどう感じられようとも、意識的な選択ではなく、思考プロセスですらない。
確信や、それに類似した「自分が知っている内容を知っている」という心の状態は、
愛や怒りと同じように、理性とは別に働く、不随意的な脳のメカニズムから生じる。』
確信することは理性の結果ではないというのである。
『<既知感>が無意識のうちにあると考えるのは馬鹿げている。
感じられない感覚など意味がない。
説明になりそうな考え方は、無意識のパターン認識には正しさの可能性の見積もり計算が含まれ、
それが意識においては<既知感>として経験される、というものだ。
以前に学習したパターンと新しく知覚されたパターンとが近ければ、
<正確感>は高まる。完全に一致すれば、非常に強く確信することになる。
以前の経験とマッチしない、よく分からないパターンはきちんと認識されない――そこから生じる、
可能性が低いとする計算結果は、奇妙なもの、見慣れないもの、間違ったもの、
「正しくないもの」と感じられるか、あるいはまったく感じられないのだ。』
デジャヴ(既視感)も同じような説明ができると筆者は考えている。
『生理学的に言えば、身体と切り離された思考というものはありえない。
身体的な、そして心的な感覚、知覚から離れた純粋に理性的な心というものもありえない。』
身体を持たない思考とはいったいなにをさすのか、と問われれば答えようがないだろう。
そうした意味では、心身二元論などナンセンスだといえるだろう。
というよりは、心に重きを置きすぎると身体を忘れてしまうということになる。
そんな莫迦なといわれるなら、メロドラマでこんなセリフを聞いたことがなかっただろうか。
「あなたはわたしの身体が目当てだったのね」
このセリフは見事に心身二元論の立場を表明しているではないですか(笑)。

「テロリスト」 マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 角川文庫 ★★★★
スウェーデン社会を描く、きれいごとではなく実相を警察小説のなかで書いてみる。
一年一作で一九六四年から一九七五年に至る現実のスウェーデン社会がここにある。
それも本作で終わりをつげるということであるが、なんとも残念な気がしてならない。
出会いがあれば別れは必然(?)的にやってくるとでもいうのだろうか。
映画にもなった「笑う警官」(四作目)で一躍有名になったのだが、志はくじけなかったということだ。
その社会の実相を知りたいと思うなら良質なミステリーを読めばいい、とだれに聞いたのだったか。
まさしくそのことばどおりのマルティン・ベック主任警視シリーズでありました。
資本主義社会が内包する尖鋭的な暴力(テロリズム)を最後にもってきたのは暗示的でもある。
福祉国家とだけではとらえきれないスウェーデン社会の現実を本書に読むのもいいではないだろうか。

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テーマ:読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

市場の居酒屋
サラリーマンの楽しみというかストレス解消に、仕事が終わったあとの居酒屋がある。
なかには飲めない人もいたりするが、最近では女性も積極的に加わっていたりする。
居酒屋チェーンなどもあるが、昔ながらの雰囲気の飲み屋は安くてうまいところが多い。
それも近年の不景気や経営者の高齢化の波もあってか、閉店するところもすくなくない。

三宮のど真んなかに、不思議な空間というか時代が逆戻りしたような場所がある。
学食のようで、パイプ椅子がなかなかいい雰囲気をかもしてもいるのだ。

6550定食

6551メニュー

ここでKMさんの個展お祝パーティを開いたのはいつのことだったろうか。
魚太のNKMくん(もういいオヤジだが)がセッティングしてくれた。
東京方面からのひさしぶりに会う連中もいて、ずいぶんと楽しかった想い出がある。
もうあれから何年経ったのだろうか、と感慨深い。

ほんとうにひさしぶりに訪れた。
入口あたりで魚太のオヤジにもであった。
ビニールの前掛けをして、しまい支度の最中だった。

6553居酒屋風景

6555焼酎

レストランでは、ほんとうはなにを食べているのか。
居酒屋ならば、なにをのんでいるというのか。
仙人ではないが、笑いさざめく表情を食べているのだ。
あたりにただよう雰囲気を、会話の単振動をのみこんでいるのだ。

といえば、なにを莫迦なと笑われるだろうか。
こんな女性に料理を運んでいただけたら、うまいというものだ。

6556お姐さん

人生に乾杯を!
今日は3月11日で、昨年の東日本大震災が起こった日だ。
テレビではどの局でも、関連番組のオンパレードである。
つくづく横並びの国だなあ(もちろん、いい面もある?)なんて思う。
まあ日本はジャーナリズムの育たないというか、別カテゴリーですすむ地域だから。

映像を見ているだけでも、震災の惨禍はひしひしと伝わってくる。
音を消してしばらくながめていたが、なんだかやるせない。

復興とひとことでいうが、その地に住むひとびとがこころから明るく生きられるようにならないとなあ。
もちろん、こういった災害にあわなかったとしても、人生にはいろんなことがある。

そんなとき思いついてこの曲をきく。
なんだか知らないけど、いつのまにか涙がにじんでくる。
いろんなことがメロディとともによみがえってくる。



ひさしぶりに歌をきいて、元気がでるような気がした。
頑張ってくださいなどとは気恥ずかしくていえないけれど。
この曲をきいてすこし泣いたら、すこし元気がわいてくるのではなかろうか。

ホネホネ君
養老孟司氏が自著の『解剖の時間』について書いたこんな文章があった。

『たとえば、ガイコツを指す「スケルトン」という単語。
これはヴェサリウスの標本から始まったのだけど、
もともとは彼がその標本にギリシャ語で勝手につけていた渾名にすぎなかったんです。
日本語でいえば「ホネホネ君」みたいなものです。
これが後にガイコツ一般を指すようになった。
そんなことも意外と書かれていなかったりするものなのです。』

いまではいろんなところでつかわれている言葉だ。
建築物なら、改修するのにスケルトン(骨組み)にもどしてからやろう、とか。
電気設備の受変電のスケルトン(単線結線図)はどうなっていたかなと言ったり。

これを読んでいてつられて思いだしたことがある。

夏目漱石の門下生があつまる木曜会でのことだった(たぶん)。
あるとき、鍋をかこもうということになった。
煮えた鍋を前にして、漱石への遠慮からかだれもなかなか箸をつけようとはしない。
そこで漱石がひとこと。
「なべ、食わないんだ」

きいたのは高校の国語の先生からだったか、いまでは判然としない。
だがこのエピソードで漱石でも駄洒落をいうんだ。
そんなことから身近に感じる、というようなことはあります。

6264ランプ

幻想肯定
これから春めいてくると、窓からさす光のなかでうつらうつらするのもいい。
いつのまにか夢うつつになって、先ほど読んでいた本の世界に紛れこんでいる。
どんどんと時間をさかのぼるのがちっとも不自然でなくて、かえって痛快でさえある。
親しげな口をきいているのだが、あなたはだれだったっけ。
考えれば考えるほどわからなくなって、困ってしまうのだが苦の感覚はない。
笑ってばかりいるあなたは、逆光のなかでまぶしくてよく見えないのだ。
これは夢なんだから、ということは自分でもよく分かっている。
それでもなんだか楽しい気分になれるから、いいではないですか。

6320フェアリー?

「希望とは自分が変わること」 養老孟司 新潮社 ★★★★
多くの人が自分は確固としたものであり、それなりに(笑)意志もかたいなどと漠然と感じている。
だが、体調不調に陥ったりすると、それこそ人生観もかわってしまうということがある。
ただそれも過ぎさってしまえば、もうなにごともなかったように忘れてしまえるから不思議だ。
『意識は体の都合で変化する。
チェホフのいうとおり、「風邪を引いても世界観は変わる、ゆえに世界観とは風邪の症状である」。
若いときにこれを読んで、まことにそうだと、いまでも思っている。』
養老先生の本を読んでいると、つぎつぎといろんなことが連想されておもしろいのだ。
『世界のすべてのものを観察すれば、かならず差異が発見される。
同一性が存在するのは意識のなかだけである。
考えたことのない人は、なにをいうかと思うかもしれないが、
ためしに考えてみれば、納得するはずである。
それを認めるとすると、世界を客観的に記述するには、同一性だけでは不十分である。
「種」は同一性だから、意識のなかにある。
しかしなぜ人と大腸菌が「同じ」種か、それを議論したら、答えは出ない。
人と大腸菌は、分類学上では同じ「種」というカテゴリーになっているが、
どう「見たって」、「同じ」カテゴリーに属するとは思えないからである。
見るということは、感覚を通して、外界が意識に侵入してくることである。
そこではわれわれは、たちまち差異に気づいてしまう。』
世界に一つだけの花、というような歌が流行って多くのひとがなぜかそうだよな、と思った。
世界にたったひとりしか存在しない自分としても、これってあたりまえのことじゃないか。
(あたりまえのことが、なぜか含蓄があるということはよくありますが…)
しかし、世界におなじものがあると考える方が、じつは変わった考えではないだろうか。
おなじものなどというのは、上記養老先生のご指摘通り頭のなかだけあるものだから。
いくら読んでも読み飽きることがない氏の本であります。

「マレー蘭印紀行」 金子光晴 中公文庫 ★★★
紀行文の鏑矢といえば、かならずあげられるのが本書である。
あと沢木耕太郎氏の「深夜特急」(知っていますが、いまだ読んでいません)がありますね。
『カユ・アピアピは、馬来語で、カユは木、アピは火、炎の木という意。
水のちかく枝を張るこの木をこのんで、夜になると螢があつまる。
螢火の明滅で、枝なりの梢が燃えているようにみえるので、その名があるのだという。』
馬来半島ジョホール州、バトパパへ、やってきたときのことである。
木枯紋次郎ではないが、旅の目的などないのである。
ただひたすらにさすらう感覚が人気のゆえんだろうか、などと読みつつ思う。
旅には大自然の脅威などもあるが、人が重要なポイントになることはいうまでもない。
マレーの旅でもいろんな人種の、職業の、ひとびとが羅列されているのだそれが想像をかきたてる。
だが、わたしは下川裕治さんの旅のほうがなんとなくすきだ、というのが正直なところ。
(朝日新聞HPのどらくのなかに週末アジア旅というのがあります、興味のある方はどうぞ)

「おすもうさん」 高橋秀実 草思社 ★★★
いまでは多くのひとたちが相撲は国技だとなんとなく思っている。
だが調べていくうちに、国技だとは、じつは順序が逆だったというのだ。
『明治四十二年(一九〇九年)、両国に「國技館」という相撲常設館が建設されてから、
相撲は「国技」と呼ばれるようになったという。
ではなぜ、その相撲常設館に「國技館」という名前が付いたのだろうか。』
こう疑問をたどっていくと、真相がわかってきた。
『事の経緯を整理すると、まず相撲常設館が建設された。
たまたまその完成案内状に「國技」と大きな字で書いてあった。
大きいから目に留まり、相撲常設館を「國技館」と名付け、
そう名付けたから、相撲は国技になったというわけなのである。』
相撲は興行だったのであるが、国技となってしまったら、
『「国技」は当初から力士たちを非難するための方便だったが、ここで新たに登場しているのは「品格」。
いつの間にか力士には「品格」が求められているのである。
誰が求めているのかというと、横綱審議委員会である。』
でもねえ、おすもうさんに品格を求めるとはご無体な、という感じですなあ。
『どの格闘技にも「真剣勝負」はあるが、「待った」はない。
便利というか都合がよいというか、この「待った」こそ相撲の相撲たるゆえんではないだろうか。』
そこらへんを、よ~くお考えいただきたいものである。

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弥生三月雛祭
なぜだろうか、いままでふたりとも鞆の浦には行ったことがなかった。
むかしは鯛網で栄えた漁港だ、ということぐらいは知ってはいたのだが。
ちょうどコースにあるし、現在はどうなっているのだろうとでかけてみた。

川沿いの道をはしり、海が見えるところにくると懐かしい気分になってくる。
石組みの燈台に活気づいていたころの様子がかいまみえる。
漁の安全と豊漁を願う、ということなのだろうか。

6388鞆の浦

6398金比羅大権現

まだ寒い時期なのだが多くの観光客が歩いている。
その理由は、この町で古くからある雛祭の人形が一般に公開されているからなのだ。

6382雛祭

ぶらりぶらりと歩いているとこんな光景にでくわした。
事故ではなく単に民家が老朽化して崩れかけていることのようだが驚いた。
それでもなんとなくこの町に似あっているように感じられる。

6379崩れかけた民家

近年、多くの町では若者の都市への流出によって人口減少が顕著である。
かって栄えたころの遺産である、たとえば雛人形などを町興しにつかえないだろうか。
そんな時代の流れのなかで、往時の雰囲気を感じさせる雛祭に注目があつまった。
おばさん連中(失礼!)に人気が高いこともあってのことだろう。

狭い路地をあるきながら、どうして女性は雛祭りが好きなんだろう。
フェミニストからすれば、女性を女にしばる悪しき行事だということなのだろうか。
しかし、フェミニストはいまや女性からも見放されているなどとつい考えてしまう。

6414雛飾り

6420雛人形

ふとみかけたこんな看板にここが港町であったことを思いおこした。
ひとが旅人ならば、いっときの休息をもとめる宿場が港がかならずやどこかにある。

6409潮待ち茶屋

どこかに「春待ち茶屋」などあればいいのに、などと思いつつ今回の旅も終わるのである。

自由軒的居酒屋
福山駅ちかくのビジネスホテルに宿をとる。
部屋はせまいながらも清潔感はあるし、値段も格安であった。
ちなみに、ふたり素泊まり(駐車場代無料プラン)で、5000円なり。

さて今夜は行く店がはっきりしている。
以前訪れたときは、なぜだか店が閉まっていてがっくりした。

天満屋さんの裏あたり、今回は明かりがついているのをみて、ほっとする。
席についたときにはいくつか空席があったのだが、いつのまにか満員になっていた。

6367自由軒のれん

まずは、すぐにでてくるおでんのロールキャベツと大根ですね。
こんな感じであまい味噌がかけてあります。

6368味噌付おでん

つぎに、これはメニューにはのっていなかったがネットでみて憶えていたもの。
名前を忘れていたが、説明するとすぐに「豚ねぎ」だと判明する。
うまいですねえ(値段は失念しました)。

6370豚ねぎ

洋食屋とのれんにあるが、こんな感じでなんでもあり。
お昼には定食屋さんで営業しているということでしょう。
まわりはほとんど地元の方で、それも常連さんみたいでした。

6369お品書き

6371自由軒店内

ビールのあとは芋焼酎のお湯わりで、あったかくなってきました。
最後に焼飯とラーメンを食べて大満足の夕食でした。

また福山近辺に来たら、是非訪れたいです。

6373自由軒

ホテルへの夜道、福山城が闇にうかんでおりました。
自由になれたような感じのする、自由軒での食事でありましたね。
ほんとうに、こんなお店はできるだけ長く続けていってほしいものです。

6376福山城

どこでもアート
朝からのんびりと温泉につかって、ゆっくりと朝食をいただく。
不思議なことだが、家では食欲がないのに旅先では食がすすむのだ。

どうしても降る雨も、夜のうちに役目を終えたようで朝方には小雨模様になっていた。

はじめて訪れた「今治タオル美術館」で、こんなタイルが印象的だった。
清潔なトイレの壁に貼られていたのだが、思わずシャッターをきらずにはいられなかった。

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大三島では大山祇神社前にある「大漁」さんで海鮮丼とにぎりずしとあさりの酒蒸しを注文する。
値段の安さと味のよさで行列ができるほどの人気店だそうだ。
さいわいに五分ほど待っただけで食事にありつけました。

6326大漁メニュー

6328あさり酒蒸し&海鮮丼

向かいの席に座った若いカップルは広島からきたとのこと。
二人揃ってこのどんぶりを食べていました(お断りして写真撮らせてもらいました)。
すごい量ね、といいながらも若さで完食いたしておりました。

6329なんとか丼

こんなところも巡って、なんだかゆったりとした気分になれました。

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さて、今夜は福山でデープな居酒屋探訪に行くぞ!



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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