ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
09 | 2012/10 | 11
S M T W T F S
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

働くヒト
すこし気になっていたので調べてみた。
なにが気になったのかというと、労働日数がである。

では、なぜ気になったかというと男は労働することが仕事だ(同語反復だな)。
(裏には専業主婦がいるという含意があり、どれだけ働いているのよとの反発もある)

わたしの場合、基本週四日勤務(週休三日制)なのだが、祝日や休暇などがある。
ちなみに九月の出勤日数はというと15日、ちょうど月の半分である。

他の月もおしなべてこのような状況なのではないか。
年末年始の休みなどもあるので、一年の半分以上は休みである。
働いてはいるといっても、この程度なのかという思いがした。

転職したときなど、求人欄に年間休日120日なんてことが書いてあったりした。
(週休二日制に、夏季休暇、年末年始休暇、特別休暇などがあるからか)
そのときはたんに休みの多い会社もあるんだなあという感想だった。

男は働く(仕事)ことが役目だなどというが、いまでは半分しか働いていないのだ。
なんだかがっかりというか、偉そうなことはいえないというか、労働環境もここまできたか。
(所得の多いすくないはこの際問題外、としないと先にすすめないので)

これじゃあ、主婦がよくいうこのセリフ。
「主婦には休日なんてないのよ」
(まあ、毎日が休みみたいなものなんだろう、という見方も一部にはある)
(たいへんなことは重々承知していますので、落ちついてください)

だが、なかには休みじゃなく会社に行く方が楽だ、という方もいるようなことも聞くのだ。
哀しいかな、日本のサラリーマン。
(どれだけ会社が好きやねんって、家は?)

7635なまず

スポンサーサイト
朗読嫌い
小学校の国語の時間、先生が生徒を指名して立って教科書を読ませることがあった。
これがいつも嫌で、あてられないようにという気持ちで眼をあわせぬようちぢこまっていた。
それでもいつかは順番がまわってくるわけで、それはしかたがないことなのだった。
立ちあがった瞬間に、教科書の字がなにか外国の文字のようにみえてあせった。
やっとのことで読みはじめても、自分の声がなんだか他人の声のようにきこえてくる。
なにがなんだかわからぬままに読む順番が終わって、やっとのこと着席してほっと息をはく。
こうなると、急に他のやつはどうしているんだろうと、観察する余裕もうまれてくるというものだ。
ひとり歌うように劇を演じているように読む女子がいて、あっけにとられてながめていた。
すると突然ぼくのほうをみて、ウインクをした気がしてくらくらとめまいに襲われた。

N0759野猿

「クリスマス・キャロル」 ディケンズ 村岡花子訳 新潮文庫 ★★★★
スクルージ・マーレイ商会の吝嗇だったマーレイ氏はいまはもう生きてはいない。
では共同経営者であった一方の老スクルージ氏とはどのような人物なのか。
『ああ、しかし、彼はひきうすをつかんだら放さないようなけちな男であった、あのスクルージは!
絞り取る、捻じり取る、ひっかく、かじりつく。貪欲な、がりがり爺であった。
堅く、鋭いことは火打石のごとく、ただし、どんな鋼鉄を持って行っても、
唯の一度も火を打ちだしたことはないないという代物で、秘密を好み、交際を嫌い、
かきの殻のように孤独な老人であった。
彼の心の中の冷たさが、年老いたその顔つきを凍らせ、尖った鼻を痺れさせ、頬を皺くちゃにし、
歩きかたをぎこちなくさせ、眼を血走らせ、薄い唇を蒼くした。
そして耳ざわりな声で、がむしゃらに怒鳴り立てさせた。』
そんなスクルージの家に、明日はクリスマスという日の夜マーレイの幽霊があらわれる。
彼は、私のような運命から逃れるチャンスと希望があるということを知らせるためだという。
さらに、お前さんのところへ三人の幽霊が来ることになっていると告げられた。
そこからスクルージは三人の幽霊とともに彼の過去や未来へと旅をすることになるのである。
最後に、スクルージはだれひとり看取る人のない自分のなきがらに出会うことになる。
ふたたび現実の世界にもどったスクルージは、どうなってゆくのか。
ディケンズのもつヒューマニズム、話のうまさにひきこまれてゆくこと請け合いである。

「結論はまた来週」 高橋秀実 角川書店 ★★★
フリーペーパー『R25』に連載されていたエッセイを中心にまとめたものとある。
なかで「脳は鍛えられるものだろうか?」という文の、こんなところで笑ってしまった。
判断や計算が早くできればそれで、知能が高いというのはどうも腑に落ちないところがあるという。
『中学受験を取材した際にも、似たような子供たちに出会った。
50%の食塩水○グラムと30%の食塩水○グラムを混ぜると、何%になるか?
という算数の問題に、ある子は私にこう問うた。
「そんな濃い食塩水を何に使うんですか?」』
そんな疑問をいだいてしまう子どもは、知能が低いということになるのだろうか。
こんな若者へのメッセージもある。
『そういえば先日、テレビで映画監督の黒澤明のインタビューを見た。
彼は若い頃、画家を志し二科展などにも入選したらしいのだが、
入選とほぼ同時に画家の夢はあきらめたという。なぜなら本人曰く「できちゃったから」。
こんなに簡単にできちゃうのだから自分には「才能がない」と思ったらしい。
一流の画家たちはいつまでもできずに延々と描き続けている。
「できる」というのはその先の世界が見えていないから、そう思えてしまうわけで、
それは才能がないという証明なのだ。
できないと思っているあなたには才能があります。』

「あいさつは一仕事」 丸谷才一 朝日新聞出版 ★★★
題名の示すように挨拶集なのだが、丸谷氏はかならず原稿を書くというのでこのような運びになった。
ここで紹介されていた吉田秀和氏(まだ読んだことがありません)を祝う会での祝辞のなかで。
『吉田さんのあるエセイのなかにチャーチルが出て来ます。変な取合せですね。
そのなかに、チャーチルの言ひまはしで一世を風靡した「鉄のカーテン」といふ言葉、
あれについての解説がある。
西洋の劇場では、舞台と客席のあひだに布地のカーテンだけがあるのぢやない。
もう一つ鉄の扉が備へつけてあつて、劇が終り、カーテン・コールが果てしなくくり返されるときに、
この鉄の扉がガラガラと降りて来る。そこで熱狂しゐる観客がもう帰るしかなくなる。
この鉄の扉の威嚇的で冷酷な感じをチャーチルは使つたのだ。
それゆゑ「アイアン・カーテン」は「鉄のカーテン」ではなくて「鉄の扉」と訳すべきであつた。』
ほう、そういうことでしたか。
常々、丸谷氏の本で紹介されたものを読むようになっているのですが、今回も収穫ありでした。
まだまだお元気でと思っていたのだが、お亡くなりになられ、まことに残念であります。
10月13日午前7時25分、心不全のため87歳であったとのことです。
こころよりご冥福をお祈りいたし、これまでいろいろと著書によりご教示いただきありがとうございました。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

白馬日和 回想篇
人を観るとき、その人の人生をも観ているのかもしれない。
いまそこに存在しているだけが、その人ではないということなのだ。
はるかむかしの、なつかしくも愚かなことばかりの時代をも包含してのこと。
わたしたちは、めくるめく記憶のなかで生きているのである。

7576山々

あなたが若くて輝いていたときのことを忘れてはいないのだ。
楽しそうに歌っていたり、笑ったり、すこしはにかんでいたりしたことを。
ひとしれず重い荷をかつぎ、小麦色の肌に汗してがんばっていたことも。
みんなあなたなのだということを感じているのである。

N0750大かえで

もう若くはないといって、すこし笑うのもたまにはいいではないか。
若さが最上であるなどという、女衒のような輩にはかかわらなくていい。
だれもが老いるのだから、まっこと公平ではないかといえやしないか。
美人時代は薄命だとしるべしにして、わがふり直すべきんや。

7593八方池水面


酒宴開幕 談論喝采  宴の幕は にぎやかにひかれたり
深夜静寂 鍵盤反響  夜のしじまに びびくものあり
白馬虚空 昇龍共想  白馬の空に のぼりゆく想いもあり
安心立命 輪廻転生  こころやすらか 生きとし生けるなり


N0758北アププス

今回も楽しくすごせたのは、みんなのおかげです。
タタン・オーナーのコンちゃんありがとう。
名前はあげませんが、M島関係で知りあった方々のすばらしさ、ユニークぶりに感謝です。
岡山からの友人たちも楽しかったようで一安心。

なにも取り柄のないわたしですが、これからもよろしくご指導ご鞭撻いただきますように。
(かみさんは、きっと口は災いの元なのよ、と思っていることでしょう)
(わたしは、いい意味で火のないところに煙はたたない、と申しておきましょう)
(このおっさん意味不明ときっと思ってるだろうことも、よ~く分かっております)

そうそう、蛇足ながら今回は雨がすこしも降りませんでした。
(雨男×雨女=晴れ、という図式が成り立つんだそうです)

7613タタンにて

白馬日和 八方篇
本日(土曜日)空に雲のすがたもなく、まったくの快晴。
気温も暑くも寒くもなく、まさにトレッキング日和といってもいいぐらい。

ゴンドラ、リフトと乗り継いでやってきたところが八方池山荘のある標高1830m地点。
ここから八方池のある第3ケルン(2080m)まで片道約1時間半ぐらいの山歩き。
岩のおおい道を経て、木道が続くところを昇ってゆく。
以前(七年前)とくらべても整備されていることがわかる。

7573八方尾根

ちょうど作業をされている方たちもいて、縁の下の努力があることがわかる。
だからだろうか、高齢の方たちの歩いている姿が多いように感じる。

7600木道工事

稜線ちかくを雲が流れてゆく。
あざやかな紅葉黄葉の山肌は織物のようでもある。

7582峰にかかる雲

7572錦秋

八方池に映りこむ登山者たちに秋の陽ざしがきもちいい。
ヒトが直立歩行するようになったのは、遠望するためなのだということが実感できる。

7594八方池

空を飛ぶようにはできていなのだが、なんとかして飛ぼうとするのもヒトである。
上昇気流にのって気もちよさそうに(?)空を舞うヒトもいる。

7598ハングライダー

やはり「ホモ・ルーデンス」なんだなあ、と思う秋の日でありました。

7605峰峯

下山(?)途中、転倒事故にあいましたが、おかげさまでなんとか快方にむかっています。
みなさま、ご心配おかけいたしました。
やはり、猿飛佐助のようには無理だということが、よくわかりました(笑)。

白馬日和 安曇野篇
ひさしぶりに白馬へ行くことになった。
金曜日からだが距離も長いので(500kmぐらい)、夜中に出発した。
のんびり、ゆっくり走って、仮眠などしながら昼ころに信州へ。

まずは、タタンオーナー推奨の安曇野にある「書翰集」にやってくる。

N0734書翰集

ランチ(飲み物付きで1500円)をいただいたのだが、それよりも気になる部屋がある。
ご主人のこだわりの書物(?)がずらりと並んだ書斎のような部屋がある。
お断りして、書棚をながめてあるいた。
う~む、大学紛争世代だろうことは容易に推察できるのである。
(すこし下の年代になりますね、と奥さんが笑っておっしゃってました)

N0724書庫

メルロ=ポンティ 「眼と精神」、わが家にもありますが、なんだかなつかしい感じです。
大学ではクラブには所属せず、でも実験室と称した学科の溜り部屋ですごすことが多かった。
アジビラのガリ切りをしたり、卒業生寄贈の水屋(?)にはカップとインスタントコーヒーがありました。
時代はマルキシズム全盛でしたが、わたしにはどうにも抵抗がありました。
そのころを彷彿とさせるような書籍がならんでいます。

N0721書棚1

音楽好きでもあるんでしょう。

N0728書棚2

澁澤龍彦ですか、なるほど、なかなかいいではないですか。

N0727書棚3

いつまでも、この部屋に居たい気分ですがそうはいきません。

つぎなる地点は、おなじく安曇野にある「アトリエ宇(そら)」さんです。

N0742宇外観

ここの奥さんと話していると、ご主人が帰ってきてさらに話がはずみました。
若いころはユースホステルなどつかって旅したことなど。
北海道や瀬戸田、MG、三虎のことなどもでてきて楽しく話ができました。
大町在住のポッポとも古くからの知りあいだとかで、世間はせまいです。

N0741「宇」

こういうことがあるから、旅行はやめられないですね。
木の器と、木のコースターを買いました。
(盛られているリンゴは「アルプス乙女」という小ぶりのもの)

7646木皿とコースター

いつまでも仲良く、お元気でがんばってください。

N0743宇ご夫妻

アルティマ・ゲーム(続き)
前回の続きですが、あなたはいくらあげる、あるいはいくらなら拒否しないと考えましたか。

このゲーム経済学的な正解は、1円以上であれば受け取るというもの。
だがこれが正解だとしても、なんとなく納得できないというかそうは行動しないのである。

実際にやってみると、1000円や2000円だと拒否してしまう方がおおいそうだ。
ここがおもしろいところで、つまり自分が0円になってもかまわない、と考えるわけですね。
(損をするというより、ひとり勝ちは許さないという感情が強い)
これを嫉妬という解説もあるが、やはり不公平感というのがしっくりくるでしょうね。
経済学的論理ではなく、感情が行動を決める。

で、落とし所というか閾値は、4000円ぐらいにあるというのが実験結果だ。

そんなの半々にすれば、という意見もあるかもしれません。
ですが、もともともらったのはわたしなんだから、という感情もあるだろう。
まあ、そういわれればそうかも知れない、というところの金額でしょうか。

こうしたことから、思うことは人それぞれであるだろう。

このゲームでの判断から、その人の人間性、倫理観がすこしわかるかな。
と考える人は、いろんな人に出題したいと思うかも(笑)。

7533穂

アルティマ・ゲーム
アルティマ・ゲーム(ultima game)とは以下のルール。

参加者は2人。
片方の人が第三者からお金をもらう。
たとえば、1万円もらうとする。
もらった人は、もう片方の人にも分け前を与える。
与える額はいくらでもかまわない。
全部自分で取ってもいいし、全部あげてもいい(0~10000まで可能)。
ただし、相手側はもし取り分が不満だったら拒否することができる。
拒否した場合には、両方とも取り分はゼロになる。
(ここが、ポイントですね)

こういうゲームなのだが、
(この条件下で)あなたは1万円もらったとして、いくら渡しますか?

もらう立場だとして、いくらなら拒否する、あるいはしないですか?

秋の夜長、しばしゆったりと考えてみるのもいいのでは。
逆に悩んでしまう、という方がいるかも(笑)。

7540ミルク・ティー

流行流
流行とは不思議なもので論理ではないし、すくなくとも論理的である必要はまったくない。
だからといって法則がなりたたないというのでもない。
多くの場合、50対50なら均衡しているということがいえるが、均衡状態は長く続かない。
49対51になった時点で、49から51への流れがはじまる。
30対70になれば、70が圧倒的多数であることから流れはとまらない。
ではあっというまに0対100になるのかというと、そうはならないことはだれもが知っている。
一方が100に近づけば近づくほど逆方向へとむかう圧力が強まってくるのだ。
いつしか、流れは逆方向へと動きだしまた均衡点へとむかうということになる。
流行とはこの運動のことであって、だから手を替え品を替えておなじようなものが現れる。

74551砕石

「目撃者の証言」 エリザベス F.ロフタス 西本武彦訳 誠信書房 ★★★★
表題にあるように、裁判で物的証拠がなく目撃者の証言だけがあったらどうなるのか。
アメリカでは陪審員制度であるため、有罪になる確率はかなり高いかもしれない。
その結果、無実の人が有罪に、あるいは死刑になったりすることも少ないとはいえない現実がある。
では、記憶とはどういうものなのか、その特性を知っていなければ問題は解決できないのだ。
『一度学習したものは、すべて記憶のどこか奥深いところに埋め込まれている
と信じる人が多いが、これはまるで正しくない。
たとえば、一見すると催眠状態で子供の頃の体験を再現できること、犯罪捜査で催眠を使うと
時どきうまくいくというといったことは、記憶がある意味で永久的であると信じさせる。
しかし、研究者の多くは催眠が信用できないものであり、予測性がないこと、
さらに古い記憶を思い出すと同時に新しい記憶も作ってしまうと信じている。』
記憶はCDに録画されたようなものではなく、日々上書きされるデータというほうが近いだろう。
そして誘導にもきわめて弱いというか、敏感に反応するのでますます取り扱いはむずかしい。
記憶は後からのもたらされた情報により変貌していくことはよく知られている。
目撃者が嘘をついていなくても、記憶が変化していないという証拠にはならないのだ。
いくども証言しているうちに確信したり、枝葉がつけくわえられたりすることは、よくあることだ。

「ワインズバーグ・オハイオ」 アンダソン 小島信夫・浜本武雄訳 講談社文芸文庫 ★★★★★
シャーウッド・アンダソンといっても聞き覚えのない方が多いかとも思う。解説文から引用してみよう。
『アメリカ文学は、ヘミングウェイ、フォークナーらの「失われた世代」をへて、第二次世界大戦後の、
より複雑で、より活力のある発展段階へとつながってゆくのであるが、そのアメリカ独自のものの
発祥をマーク・トゥエインに求める評者も多く、フォークナーやヘミングウェイ自身たちが、自分たちと
トゥエインとをつなぐ鎖の一環として、アンダソンを位置づける発言をしていることもまた有名である。』
「オハイオの田舎町についての一群の物語」と副題にあるように、登場人物はこの町の住人である。
『そのグロテスクな人びとは、みんながみんな、見るも恐ろしいというわけではなかった。
あるものは笑いを誘い、あるものは美しいといってもよいほどだった。
見る影もなくなった一人の女のごときは、そのグロテスクさが、老作家をいたましい思いにさせた。』
『世界がまだ若かったはじめのころ、おびただしい数の思想があったが、
真実などというものはまだなかった。ところが人間がいろいろな真実を自分でつくりだし、
一つ一つの真実はおびただしい数のあいまいな思想の寄せ集めだった。
こうして世界じゅういたるところ真実だらけになり、それらはみな美しかった。』
『人びとをグロテスクにしたのは、そういう真実だった。』
人は生きるのにグロテスクであるしかないのか、グロテスクとはなにを意味しているのか。
考えつつ読んでいると、いつのまにかワインズバーグに暮らしているかのような気分になった。

「魚は痛みを感じるか?」 ヴィクトリア・ブレイスウェイト 高橋洋訳 紀伊國屋書店 ★★★
魚はほんとうに痛みを感じているのかという科学的興味で読みはじめると、すこしがっかりする。
『たとえば甘味づけられた水と、不快な味のする薬品を混ぜた水を与えられた場合、
ラットはどちらを選択するかを試すような実験がある。
このケースでは通常、健康なラットであれば不快な味のする水を避け、甘い水を選択して飲む。
しかし、ラットのもつ嗜好性は変化する場合もある。たとえば関節炎にかかっているラットは、
甘い水よりも、たとえ不快な味がしても鎮痛剤を含む水を選択する。
関節炎にかかったラットが鎮痛剤を摂取しようする事実は、
この動物が痛みに似た感覚を経験していることの説得的な証拠になるにちがいない。』
これを読んで少し疑問に思ったが、不快と痛みはおなじことだといえるだろうか(訳の問題なのか)。
こうした西欧の研究の出発点は、以下のようなところにあったのだ。
『動物福祉は、動物には苦しむ能力があり、したがって可能な限り苦しまないように
動物を扱わなければならないという考えをめぐって築かれてきた。』
牛や豚、それに実験動物だからといって、劣悪な環境で残酷に扱われてもいいものだろうか。
西欧で盛んなスポーツフィッシングなどは、いたずらに魚に苦痛を与えるだけのものではないのか。
もし釣りあげたときに、魚が苦痛にゆがめる顔をしたらあなたはどう感じるだろうか。
といったところから、本研究がはじまったというところもあるようなのだ。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

ラジオ体操第四
ラジオ体操をリビングでやるときには、もちろんカーテンは閉めている。
だが、ふとなんでこんなことをやっているんだろう、という気がしないでもない。
だれかに見られたら、なんと思われるのだろうか、とも。
(といっても、ここに書いているわけだから…)

不思議なものでやるごとに、いろんなことを思いだす。

神戸体操というのもあったなあ。
いまもやっているのかなあ。

M島のおじさんも一時期凝っていた。
ころは夏、スピーカからあの音楽が流れてきた。
もちろんラジオ放送そのままだから、早朝だし眠くてしかたがない。
ときどきは、ふとんをかぶってやりすごした。

ラジオ体操の後、砂浜を走っていたりもした。
元気だなあ、おじさん、といつもあきれ気分だった。

You Tubeをもっと調べてみると、ラジオ体操第四なるものもあった。

ええっこれは、ちょっと無理!




ラジオ体操
左の肩をちょっとひねったりするとズキッと痛みがはしる。
そんな状態になってから久しい。
かみさんもダイエットしなければ、といつも言っている。

あるとき、ラジオ体操ってどうかなと思った。
いろいろと調べたりすると、けっこうきついらしい。

どうやってみないか、というとふたつ返事でオーケーがでた。

朝がいいのだが、ばたばたしているので夕方にすることにした。

わが家は夕食前にふろにはいるのが習慣になっている。
その前に、リビングに集合する。
iPadでYou Tubeのラジオ体操をながしてはじめる。

ラジオ体操第一、さらに第二とこなす。
学生時代のようにだらけてではなく、まじめにやる。
すると、じんわりと汗がにじんでくるのである。

まだ十日ほどが経ったところだから、効果のほどは定かでない。
ではあるけれども、なんだか肩が軽い、気がする。

7495リコリス(ヒガンバナ科)

庭にて
暑さも去ったが、庭ではまだまだ生き物たちが活動している。

彼ら(?)をみて飽きないのはなぜだろう。
ヒトよりははるかにかわいいと思えるのだが、まあ人それぞれ。

7555クロアゲハ

寒くなったらどうするのだろうかとちょっぴり心配だなあ。
やはり地球温暖化のほうがいいかもしれない。

7553オンブバッタ

秋のダリア
どんな花がいつ咲くのかよくは知らない。
まあ、興味がないというか、どのようにあろうともいいじゃないですか、という姿勢だ。
それがなんとなく気にくわないというか、どうなのよと思うかみさんがいる。
秋なんだし、花を愛でつつおいしいランチなど食べたいなあ、などと思っているのでは。

だが、花が嫌いというのではなくそこに吸い寄せられる昆虫たちには関心がある。
そこで妥協的ではあるが(人生なんて妥協の産物だ)、ダリアでも見に行くかと問いかけてみた。
ダリアなの、などといってるが、コスモスはあるかななんてと乗ってくる。

川西に「黒川ダリア園」というのがあるというので、でかけることに決定する。

わが家から45kmほどの距離にあり、車で一時間半ぐらいで到着した。
無料ですがダリヤ園環境整備協力金をお願いします、という謙虚さにうたれる。
金曜日だったので、駐車料金もただというから恐縮してしまう。

7515黒川ダリア園

7502ミッドナイトスノー

7503ダリアと蝶

7513ミドナイトスター

募金箱にお金をいれていると、ちかくのおじさんから話しかけられた。
ここのダリア園には380種ちかく、世界では何万種のダリアがあるという。
バラとおなじように品種改良、好きな人が多いということがわかるのである。

7519真紅のダリア

協力金のお礼にとここで採れたというダリアの種をいただいた。
なんとか咲かせられるといいのだが。

秋の一日、そのあとランチをいただき、棚田見学などして家路についた。
やはり、野外で歩きまわると気もちがいい季節になりました。

7527トンボ

その、ひぐらし
すこし前には、カナカナ、カナカナとひぐらしの鳴き声が聞こえていた。
もう秋がちかづいてきているだなあ、とそんな連想がはたらいていたのだが…。
まてよ、七月にも駅のホームで聞いたことがあったのを思いだした。
そのときは、このあたりは涼しいからだろう、などと自分なりに理屈をつけてやりすごしていた。
しかし、疑問はぬぐいきれたわけではなかったのでネットで調べてみると。
『俳句では秋の季語とされ、晩夏に鳴くセミのイメージがあるが、実際には(地域にもよるが)
成虫は梅雨の最中の6月下旬頃から発生し、ニイニイゼミ同様、他のセミより早く鳴き始める。
以後は9月中旬頃までほぼ連日鳴き声を聞くことができる。』、とあった。
だが語呂のイメージからか、若いころその日暮らしに生きていた秋の日を思いだしたりもする。

7462岐阜城

「食品の裏側」 安部司 東洋経済新報社 ★★★★
本書を読んでいると、ある程度知ってはいるものの気もちのいいことではない箇所がよくでてくる。
たとえば、コンビニなどで健康にいいと人気の「パックサラダ」はどうつくられているのか。
『「殺菌剤」の入ったプールに、カットされた野菜を次々に投げ込んで消毒します。
しかも一度ではなく、濃度を変えて数回プールに入れます。
メーカーによっては、食べたときのシャキシャキ感を出すために、
さらに「PH調整剤」のプールにつけていたりします。』
しかしながら、添加物がすべて悪いということではないのは当たり前である。
『それによく考えてみると、私たちは実ははるかに昔から添加物と付き合っているのです。
たとえば、日本が世界に誇る健康食、豆腐。豆腐は大豆を搾った豆乳を
「にがり(塩化マグネシウム)」で固めてつくりますが、この「にがり」は添加物そのものです。』
なにごとでもそうであるが、先入観でものをみない判断しないということ。
イメージが先行するとまちがえる選択をしてしまいがちで、自然がすべていいとはならないのだ。
自分で調べてみたり、考えてみたりすることができなければ、なんどもおなじ誤りをおかす。
しかし、読みすすんでいるとあまりいい気分にはなれない、のは確かである。

「本好きのためのウォーキング入門」 武村岳男 平凡社新書 ★★★
『ひたすら歩くウォーキングもいいが、知性と感性で楽しむ<スローウォーキング>もいいもの』
と筆者はいうので、まず目次をぺらぺらと繰りながらながめてみるのである。
第二章(六章まである)10松之山 坂口安吾の散歩道、というのがめについた。
新潟県十日町市(旧松之山町)とあり、北越急行線、松代駅下車と案内があった。
そういえば安吾は新潟のかなり裕福な家に生まれたのだった、となにかで読んだ。
この地が彼が最初に島崎藤村と宇野浩二に評価された「黒谷村」のモデルとなったところ。
棚田がつづく道を青年安吾は歩きながらなにを考えていたのだろうかなどとつい思ってしまう。
あるいは、14浦安 青べかが活躍した街、などというのもいいかもしれない。
いまやディズニーランドで有名だが、青べかの舞台も歩いてみたいと思ったり。
もう海がみえない土地になってしまっているのだろうか。

「日本人はどう住まうべきか?」 養老孟司、隈研吾 日経BP社 ★★★★
隈氏は建築家であるから、いろんな興味ある話をしてくれる。たとえば、
『アメリカでは超高層ビルの足元に花屋さんがよくあるんです。
家賃をものすごく安く抑えて、1階に入ってきてもらうわけです。
つまり、花屋さんは植木、並木と同じなんだ、という考え方ですね。
並木から家賃を取るやつはいないだろうということで(笑)。
……
要するに人間付き緑地ですよね。で、アメリカ人はコーヒーショップも同じように考えるんです。
コーヒーショップは街に楽しい雰囲気をつくってくれるんだから、家賃を取っちゃだめだ、と。
実際に、そういう店を低層部にうまく配置するだけで、街全体のイメージはがらりと変わります。』
日本でもこんなこと考えて都市設計できているのか、東京あたりではそうなっているのだろうか。
『設計をする人間の頭が、CADの真似をしてしまうんです。
手を使って作る立体模型のモデリングは、すごくオウリミティブで幼稚な方法なのですが、
CADになると手ではなく頭の方が先になって、コンピューターの考え方を真似しようとするんです。』
これってパソコンを操作しているときもおなじようなことになっているのでは、と考えてしまいます。
養老先生の発言もすこし紹介しておきましょう。
『僕が藤森照信さんから聞いた話で一番面白かったのは、モンゴルのパオですね。
あんなところでどうやってプライバシーを守るんだと聞いたら、
モンゴルではパオの中が公共空間なんです、と。プライバシーは外にある。』
自己主張だけでなく、視点を変える、変えられること、それが客観性ではないのだろうかなどと。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

衣がえ
まえを歩くご婦人ふたり連れの会話が聞こえてくる。

「きょうも暑いわねえ、もう十月なのに」
「そういえばテレビでねえ、こんな話題してたわ。
衣替えしましたか、ってアンケートしたら、六割ぐらいはしてないって」」
「以前は、十月になったらきっちり長袖になってたのにね」
「そやけど、わたしらふたりとも半袖やし(笑)」
「しかたないわよねえ、地球温暖化やもの」

地球温暖化かどうかは知らないが、そういえばわたしも半袖である。
まだまだこれで日中は暑い。
おまけに職場は冷房が切ってあり、ことさらに暑い。
夏のほうが涼しかったくらいである。

それでも夜など確実にすずしくというか、寒くなっているのだ。
(日較差がおおきくなっている、ということだな)

わが家ではすでに羽毛ぶとんの出番で、寝るときにはこれでちょうどいいくらい。

7393シュウメイギク

はるかな想い
あと先になってしまったが、先週末に多治見・岐阜へとでかけた。
まだまだ日中は暑くて、いま思うとなんだかずっと前のことだったような気がする。

7466天守閣より

友人たちと話したり、見学したり、食べたり、飲んだり、笑ったり、雨が降ったりした。
こんなことができるのも…、とつい考えてしまう年齢になってしまったようだ。

7407ガラス器

7402あなご丼

7421丼タイル

7445木のしゃもじ

7431雨のテラス

しかしよくよく考えてみれば、人生の時間の長さが変化したわけではない。
(まあ、結果論的立場からというか、運命論のような感じもするであろうが)
ただ、わが人生の時間軸での立ち位置が変わった(動いた)だけである。
神の位置(そのようなものがあれば)から俯瞰してみれば、ちっとも変わりはないのである。

だが現実としては、人の意識は微妙に移ろってゆくのが人生というものらしい。

7418窓

なにかで読んだか、習ったか。
「well‐being」というフレーズがうかんでくる。
なかなか、むずかしいものです。

あの品、買っておけばよかったかなあ(笑)。

7401花瓶

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

09 | 2012/10 | 11
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー