ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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あじさいなんでも講座
すこし雨模様ぐらいがアジサイの見頃ではないだろうか。
ということで神戸市立森林植物園にでかけてみました。
総面積142.6haということで、とにかく広い。
甲子園球場が1.3haですから、約110個分になりますね。
ちょうど暑くもなくとても快適にすごせました。

N4565あじさい講座

ネットでは申し込みが時間切れでできなかったのです。
植物園で問い合わせてみたら「あじさいなんでも講座」なんとかOKに。
学生気分にもどって、とてもよかったですね。
講師は日本アジサイ協会副会長の藤井清氏、ありがとうございました。

N4486講座風景

ふだん立ち入ることのできない「あじさい保存園」にもはいることができました。
なるほど、こうやって育苗しているんですね。

N4508あじさい保存園

ハウスが必要なのかと思って質問したら、上からの落葉を防ぐためとか。
もちろん通風もよくして、温度も高くならないようになっていました。

N4477ウェディングブーケ

N4458ハルラ

N4466綿帽子

N4463ブルースカイ

N4471ラブ

バラとおなじで、いろんなアジサイがあるんですね。
愛好家もおおいということなのでしょう。

N4480マジカルアメジスト

N4501ミヤマヤエムラサキ

N4506ミカワチドリ

N4515サルゲンチアーナ

N4528エゾアジサイ系

N4552コンペイトウ

N4556ババリア

かみさんはシチダンカの苗を買っていました。
はたしてうまく育って花を咲かせてくれるのでしょうか。

N4549シチダンカの苗

植物園のなかにはこんな生物もいるんですよ(笑)。

N4474アルボレスケンスと蜂

N4523ダルマノリウツギとカココガ

N4534バッタ

N4536日光浴するトカゲ


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白馬めぐり
梅雨空がつづく季節でもあるのだが、そこはそれなんとかなるだろう。
というか、どうしたって雨が降るときは降るのだ。
で、白馬に行ってきました。

曇りのち雨の予報のもと、栂池へむかう。
早朝の土曜日、プレシーズンであり観光客はまばらである。
「ミズバショウ祭り」ののぼりがはためいている。
最初の「みずばしょう湿原」では、みんな写真を撮っている。

N4336栂池キップ

N4371ミズバショウ

N4390ミズバショウ

「わたすげ湿原」にかかると、ところどころ残雪が残り道なき道をいく。
外国からの観光客とも遭遇する。
ツアーコースに入っているのだろう。

N4393栂池自然園

ここから「浮島湿原」をめざしたのだが、道が急勾配になり雪でおおわれている。
なんとか行くだけ行けても帰りのことを考えて断念。
このあたりからは登山靴でないと無理だろうと判断した。

N4385残雪行軍

ビジターセンターにもどってくると、餅つきをやっていました。
つきたてのよもぎ餅をきな粉でまぶしたのをほおばる。
「うまい」ということで二回ならんでいただきました。
餅のあとにふるまわれた山菜汁もうまい。

いたるところにあるミズバショウ。
しかし、こんなにおおきくなるとは知らなかった。

N4407巨大ミズバショウ

山を降りれば、女性陣のご要望で「小間物屋」めぐり。

N4435そらいろのたね

N4443雨とバラ

信濃大町の「ポッポのお宿」にも立ち寄ってコーヒーをごちそうになる。
P氏いたって元気そうで、ひと安心。

夜は彼もまじえてにぎやかに(?)宴会とあいなりました。
なんともいえず幸せな気分になるから不思議だ。
こうした縁もM島のおばさんおじさんのおかげだなあと、つくづく感じる。
あっというまの二泊三日でありました。

N4445タタン


テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

マスク・ウーマン
風邪をひいたり花粉症なのでマスクは手ばなせない、とおっしゃる方はおおい。
しかし、ときおり聞こえてくる噂ではそうじゃなくてもマスクをするんだそうだ。

でかけるとき、女性なら化粧をしなくてはと強神経症的に思うのだとか。
ぼくの知りあいにまったく化粧をしない方がおられるのだが、彼女は例外中の例外らしい。

そんなものなんですね、女性ってたいへんだなあと思う。
化粧もしたいからするのではなく、しかたなくあるいは習慣としてしている面があるという。

どうせだれも見ていないんだからしなくてもいいんじゃないか、というのはまちがっている。
男はつい、女性の化粧は男性から見られている意識がさせるのだろうと考えがちだ。
だがことはそう単純ではないようなのだ。

女性は女性からの批判・非難に敏感である。
女性なんだから化粧(これはマナーだそうだ)しないなんて、非常識じゃないかしら。
徒競争でならんでゴールするイメージであろうか、横並びを強調するのである。
(個人の自由で、どうでもいいような気がするのだが)
(出る杭は打たずにおくものか、という情念のようなものを感じる)
(日本人的といえば、そうかもしれないなとは思う)

そこで苦肉の対抗策として、マスクで顔をおおうという作戦があみだされた。

女性は男性の動向より女性のほうに目が向いている。
抜け駆け、でしゃばり、ひとり勝ちは許さないわよ、という怨念にもみえてくる。
だからよくいうではないですか、「女の敵は女だ」と。

N4273KAJIWARA WORKS

趣味というほどの読書
ご趣味はと訊かれるので、まあ、趣味といえば読書ぐらいですかねえとこたえる。
とおっしゃるほどですから、どのぐらいの数読まれるのでしょうか。
ええまあ、趣味程度ですからそんなにたいしたことはありませんよ。
いえいえ、趣味と豪語されるくらいですから相当な冊数読まれるんでしょう。
えっ、そんなたいしたことないですよ、毎日一冊読むわけじゃないですし。
それでもそれとちかいいぐらいのものは読まれるんでしょう。
あのうお聞きしたいのですが、趣味の読書ってどのくらい読むものなんでしょうか。
そりゃあ趣味でというくらいですから、年間三桁にとどくくらいは読まれるんじゃないですか。
ほー、では前言撤回。読むことを仕事じゃなく趣味にしたら大変ですねえ、はっはっは。

N4329子めだか元気

「死層」(上)(下) パトリシア・コーンウェル 池田真紀子訳 ★★★
1990年に「検屍官」で華々しいデビューをかざって、一躍人気作家になった。
いまでもそのときの驚きをおぼえているし、こういう世界があるのだということに興味をおぼえた。
そのシリーズも本作で第20弾になるというから、ずいぶんと時間が経ったものだ。
やはりよほどの覚悟がないとシリーズ物はマンネリ化してしまうということがよくある。
どこかで読者にショックというか、なるほど感を与えたいと作者は望むのだろうと推察する。
ミステリの筋立てだけではなく、ロマンスもあるほうがいいのではとでも考えるのだろう。
主人公スカーペッタのまわりにやたらと美男子や魅力的な男性が登場するのだが、わずらわしい。
彼女の年齢はいったいいくつになるだろうと、ふと疑問に思ったりもする。
もちろんロマンスに年齢は関係ないんですが(笑)。
おまけにやたら科学的な専門用語が頻出して、なんだこれはと思ってしまう。たとえば、
『メルセデスの運転席周辺から採取した物証をガスクロマトグラフィ質量分析計(GC-MS)で
分析したところ、赤っぽい木の細片は、アメリカンオークと矛盾しない独特の環式多価アルコール
のプロファイルを持っていることが判明した。』
どうしてこうくどくどと説明する必要があるのだろうなどと考えたりしながら読んでいた。
これはジェフリー・ディーヴァーのリンカーンライム・シリーズにも共通している。
どうもアメリカの文化というか社会がそういう傾向にあるからだろう。
STAP細胞問題でもでてくるイギリスの科学誌は「ネイチャー」、一方アメリカは「サイエンス」。
このあたりにあるんだろうな、いいとか悪いとかではなくですが。
いやミステリといえども、その社会を映すものなのであります。

「戦争とゲーム理論の戦略思考」 竹内靖雄 日本実業出版社 ★★★
表題からゲーム理論について書かれたものかと思ったが、戦争やビジネスのためのガイダンスとある。
たまにはこういうことも考えてみるのもいいかもしれないですね。
戦争には戦略がなければ勝つことはできない、日本が負けたのはこれがなかったからだとはよくきく。
戦略については中国にはむかしから幾多の先人が書き残した書物がありなかなか示唆に富むという。
孫子の兵法ということで有名であるが、彼の戦争観はどんなものだったのか。
『孫子が無条件に賛成する戦争は、重大な危機を逃れるために不可欠な戦争である。
逆にいえば、領土や覇権その他の利益を手に入れるために大軍をもって相手国に侵攻する、
といった戦争については、無条件には賛成しない、という態度を意味する。
戦争以外の方法で相手を屈服させることをまず考えるべきであり、戦争以外に方法がないとしても、
利益とコストの計算をして引き合う場合以外は戦わない。これが孫子の基本原則である。』
あくまで冷静、功利的な態度でありますね。これがいうは易く行うは難しなんでありましょう。
『つまり敵を完全包囲して(袋の鼠にして)逃げ道のない状態においてはならない、というのである。
退路を残しておけば、敵は逃げるチャンスがあると思って希望を抱き、その退路に殺到する。
そしてわれがちに逃げ始めたところを追撃すれば、敵は統制もなく壊走する状態に陥り、
これなら思うままに殺戮することができる。
合戦で敗れた側の死傷者のほとんどは、この壊走状態において発生するといわれている。』
これなんかもいろいろと応用できそうな知見でありますね。

「目くらましの道」上下 ヘニング・マンケル 柳沢由実子訳 創元推理文庫 ★★★★
夏休みをまぢかにした六月二十一日、部屋をでようとしたヴァランダー警部の机の電話が鳴った。
農夫からの通報で菜の花畑に不審な行動をする女が入っているというものだった。
パトロール警官がではらっていたためヴァランダーが車で現場に向かった。
到着し畑をながめると、五十メートル先の菜の花畑にたしかに黒い髪の女が立っているのが見えた。
近づいていくと、少女だということがわかったがすばやく姿を消した。
やっとみつけ「ポリスだ!」と叫んだとたん、彼女はガソリンをあびてライターで火をつけた。
ヴァランダーはどうすることもできず、ただ顔をそむけて嘔吐した。
彼女の名はのちにわかるが、ドロレス・マリア・サンタナ、ドミニカ共和国の生まれだった。
続いて元法務大臣が背中を斧で割られ、頭皮の一部を剥ぎとられるという殺人事件がおこった。
そして画商がおなじような手口で殺され、三人目は生きているうちに塩酸で目を焼かれていた。
凄惨な連続殺人事件はどのようなつながりがあるのか、少女との関連はあるのか。
一見無関係にみえる事件がじつはあるキーワードで関連している、ということが次第にうかびあがる。
クルト・ヴァランダー・シリーズの第五篇になる長編ミステリである。
二〇〇一年英国推理作家協会のゴールゴダガー賞を受賞した。じつにすばらしい出来である。
事件の裏にはいろんな社会問題がひそんでおり、そのことを思って暗澹となるのでもある。
ミステリ好きの方、是非ご一読を。自信をもってお勧めいたします。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

襟を立てるヒト
朝のことだ。
前をあるく男性の襟もとに、なんのこともないがおやっと思った。
ポロシャツの襟を立ててさっそうと歩いていく。
首筋を日焼けから守るなんてね、と思ってにやっとする。
一種のファッション・スタイルなのだが…。

ぼくも中学生のころから襟を立てていた。
それにはぼくなりの切実な(?)理由があったのである。

学生服をぬいでワイシャツだけのときには襟をたてていた。
なぜそうしたのか。
襟の折り目が首にあたって汚れたりすりきれるのをできるだけ防ぐため。
すこしでも長もちさせようという健気(?)な策だった。

それからは、襟のあるものはなんでも立てて着るという癖がついた。
いま思うとなんだかおかしいが、そういうことでありました。
それを他人は見て、かっこうつけてるとかなんとか。
(従来とはちがうやり方をすると、そういう評価になったりする)
ファッションでしているんだと、そう思われてると知ってなんだかほっとした。

ファッションなんてそんなものじゃないかな。

たとえば、ズボンの裾はもともとはシングルしかなかった。
ある雨の日、イギリス国王だったウィンザー公が裾が汚れるのを気にして捲りあげた。
それを見ただれかが、かっこいいし、おしゃれじゃないかとマネをした。
それが裾をダブルにするようになった始まりとかといわれているしね。

N4244メダカのささやき


メタ読書趣味
趣味が読書だということではなく、読書について考えることが趣味なんだそうだ。
というと、どういうことになるんでしょうね、とお尋ねしてみた。
世のなかには、趣味は読書ですとおっしゃったり履歴書に書いたりする人が多くいる。
しかしながら、そのことばを文字通りにうけとってはいけません。
世間話の延長であたりさわりのない話題として、ということも多いのだというのです。
書籍といったって、いろいろな分野があるわけだし、雑誌も含めるという方もおられますから。
内容が哲学、思想、科学だから高級だとか、漫画なんて低級なものはといった区別もいけません。
芥川や直木の名に惑わされていると、評判を読んでいるという満足感しかあじわえないでしょう。
AKBとKGBとモーツアルトではどちらがお好みですか、っていわれても困るでしょう(笑)、と。

N4257多肉植物

「バカの壁のそのまた向こう」 養老孟司 かまくら春秋社 ★★★★
養老先生は保育園の理事長をされているので、子どもたちとも遠足がてら虫採りにいく。
冬でももちろん虫採りができるので、一月に子どもたちを連れだして恒例の虫採りとあいなった。
とはいいながら、べつに虫を採るのが目的ではない。野外にでて自然とふれるのが大切だ。
『冬場の空き地だが、枯草の下からすぐに虫が見つかる。大きなハネカクシはちょっと珍しい。
ハサミムシやらムカデ、ダンゴムシの類はたくさんいる。
そのうち「先生、バナナ虫がいるよ」と女の子が呼びに来た。
バナナ虫とはなんだ。勝手に名前をつけやがって。
そう思いながら見に行くと、ツマグロヨコバイが何頭かいる。
念のためだが、頭のある生きものの数え方は何「頭」である。なるほどバナナ虫である。
色艶が未熟から完熟のバナナを思わせる。なかなかうまいこというなあ。
これだから子どもとの付き合いがやめられない。夏になると、うちの庭にもたくさん出てくる。
これがこんなところで冬を越しているとは気づかなかった。
この女の子は「私、虫は嫌い」という。それでいっこうに構わない。
嫌いというほど、嫌っていないことは、態度でわかる。
そもそもヒトに好き嫌いがあるのは当然である。
でもなにが好きで、なにが嫌いか、これには教育が大きい。だから孟母三遷なのである。
いまのお母さんたちは、たいていは虫嫌いだから、子どももそうなる。
それを無理に変えても、別なものが嫌いになるだけのこと。
好き嫌いがあること自体は、変えようがない。
虫嫌いは、日常のふつうに必要なものを嫌うよりマシである。
というより、そうだからこそ、現代人は虫を「あえて嫌う」のであろう。
虫嫌いを標榜しても、だれにもクレームをつけられる恐れがない。
単純だが、世間を生きる知恵の一つなのかもしれないと思う。』
そうか、そいう捉えられ方もできるんですね、なるほど。
『子どもがする面白い質問に、
口の中にあるとき、ツバキは汚くないけど、外に出すとどうして汚いんですか、というのがある。
脳が決めている「自分の範囲」には、同時に強い感情が伴っている。
その感情は、脳が決めた自分の外に出たものを否定的に、自分の中なら肯定的に、扱う。
自分は好きで、外は嫌いなのである。「自分が確立」すると、自分の外も確立する。
たとえ自分の一部であっても、「外」に出たらとくに汚くなるので、水洗トイレなのである。
環境問題が発生するのは、だから「自分と外を区切る」脳の働きが根本である。
じつは田んぼは自分の一部で、本当にそうだというしかない。
そこから取れた米で、自分が作られるからである。現代人はそんなことは認めない。
それはただの理屈だろうという。それをただの理屈だとして納得しないのは、感情のせいである。
合理的、理性的と思っている人ほど、感情に左右されていることに気づかない。
だから「外に出たツバキはなぜ汚いんですか」と子どもに訊かれても、返事ができないのである。』
子どももバカにできないのである。ときに哲学的であるから、どきりとするしおもしろくもある。

「良い父親、悪い父親」 ジェフリー・M・マッソン 安原和見訳 河出書房新社 ★★★
副題には、動物行動学から見た父性とある。
筆者は、動物の父親についての一般向けの本は、これまで一冊も書かれていない。
たぶん本書が初めてだと思う、とおっしゃるのだからそうかもしれないが、少ないことは確かだ。
母性および父性は、その婚姻形態によって影響をうけるだろうとはすぐに想像できる。
『一夫一婦制の度合いが強いほど、雄が子育てにかかわる比重が大きいとよく言われるが、
オオカミと犬のちがいを考えるとこれは納得できるように思える。
哺乳類では一夫一婦制をとる種は全体の三パーセントに満たないが、
鳥類では全体の九〇パーセントが一夫一婦制である。
したがって、哺乳類にくらべて鳥類では父親の役割が大きいだろうと予想できる。
そして、これはまさしくそのとおりである。』
厳寒の南極大陸で雄の皇帝ペンギンは四か月半ものあいだなにも食べず足の上に卵を抱いて立ち続ける。
それに仲の良い夫婦のことをオシドリ夫婦とよんだりもする。
しかし、これは鳥類が倫理的にストイックな生活をおくっているということではないだろう。
種が存続していくうえでとった(とってしまった)戦略であるのだろうと思う。
『鳥の雄に子育て参加するものが多いのは、雄も雌と同じように卵(最初からヒナの形で
生まれる鳥はいない)を抱くことができるし、またヒナが誕生すれば、
雌とともに給餌することができる(授乳する鳥はいないから)ためもあるにちがいない。
こう考えると、男性諸氏からしょっちゅう聞かされる(そして私自身もしゅっちゅう口にする)
言いわけを思い出さずにはいられない。
いわく、乳飲み子の世話を平等に分担しろと言われても困る、なにしろ授乳は母親にしかできないから、
男はいつでも無力感にさいなまれているのだ。』
ではありますが、鳥の生き方も参考にして悪いということはないだろう。

「凍える森」 アンドレア・M・シェンケル 平野卿子訳 集英社文庫 ★★★★
マルティン・ベック賞の受賞作(2008年)というので、どんなものかと手にとってみた。
文庫で200ページ足らずというから、最近のミステリにしてはずいぶんと短い。
作者はドイツの小さな村に住む大学もでておらず専業主婦だったが、本書を書くことを決意したという。
一九二二年、南バイエルンの片田舎の大きな農家で一晩のうちに六人が惨殺された。
「ヒンターカイフェック殺人事件」という実際にあった有名な猟奇的事件を題材としている。
ミステリだが、ここには警部も探偵もでてこない。
ただ事件が起きた村に住む人々の証言だけである。
もちろんときとして証言はくいちがい、重なりあうことになる。
途中からは読者が刑事であり新聞記者になったかのような錯覚にもおちいるのである。
どこかでこんな小説を読んだことがあったと思うのではないだろうか。
映画にもなった芥川龍之介の「藪の中」である。
ではあるが、それとはまたすこし趣のちがうものにはなっている。
こういうものは自分で読んでみる、それしかないのである。

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ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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