ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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はるかなる夏の日 最終夜
「わたしって、魅力ないのかな、女としての」
「うーん、あるんじゃないの」
「あるんじゃないのって、つめたい言いかたね」
「いやあ、けっこうもててるみたいに聞いてるけど」
「好きでもない男に惚れられてもねえ…」
「そんなもったいないことを」
「じゃあなに、ムッシュはどんな女性でもいいっていうの」
「そういうことじゃなくて、男の生物学的側面はそういうだろう、と」
「どういうことなの?」
「哺乳類のオスとメスでは戦略がちがうってことやがな。
オスは、できるだけ多くのメスと交わってよりたくさんの子孫を残そうとする。
メスは、いちどに生むこどもの数が限られているからできるだけいいオスを選ぼうとする」
「だから、人間もおなじように行動するのが正しいっていいたいわけ?」
「いやあ正しいとかじゃなくて、ヒトもおなじ動物なんだからそういう面もあるかな、って」
「なんだか男にとって都合のいい理屈よねえ」
「都合がいいって、どうしていえるのかな。
男だからって全部が全部そういう戦略をとるってことではないと思うけど。
かならず、落ちこぼれるというかその枠からはみだすのはいるからね」
「じゃあ、ムッシュはどうなのよ」
「いやあ、おれは平凡で平均的なヒトだから…」
「って、浮気をするってことよね。いやらしい」
「いやいや、だから、そういうふうに男はできているんだって。
それに、そういうことって男だけではできないよね。
かならずそれに応じる女がいるってことだから、どっちもどっちでは」
「なんか変な言い訳じみてる」
「そういうことを自覚しながら、まあ正しく生きるというかなんというか…」
「でも、そんなオスに魅力を感じるってことはあるかもしれないわね。
だから、妻子がある男なのについひかれて不倫とかになっちゃうのかな」
「だろう」
「調子に乗るんじゃないの、都合よく考えてばっかり。
どうして男ってそうなんだろう。ムッシュはそんな男じゃないと信じてたのにねえ」
「どうしてなんだろうな、正直おれにもわからん。
だって生理的な欲求というか、本能的なというか、そんな感じなんだから」
「それは男だけにあるものだと思ってたら、大バカ野郎だわね」
「えっ、そうなのか」
「あたりまえじゃないの。女にだって生物学的戦略が当然あるでしょう」
「それはそうだな」

男と女がいて、いろんな恋愛なり愛憎があるとしても、それは男女同数になるはずである。
三角関係とかいろいろあるにしても、どちらか一方だけが圧倒的におおいということにはならない。
だが世間はいつも男の浮気を問題にすることがおおかった。
女は受け身だからなどと言い訳されたが、はたしてそうなのだろうか。

まじまじとマイコの瞳をみつめた。
かすかに瞳孔がせばまっているように思えた。

「女の戦略って?」
「女はね、いちど妊娠したらもうあとには戻れないのよ」
「それはそうだ」
「男みたいにつぎつぎっていうわけにはいかないの」
「おれはそんなことしないけど」
「避妊すればいいだろうとか、そんなこと思ってないわよね。
それとも、不倫も考えるだけなら問題ないだろうって思っているわけ。
もしかして、それは不可抗力だとかっていいたいの」
「まあ、なんというか、そんなこともあるかも…」
「だから、女はそれを逆手にとるしかないじゃない」
「どう逆手にとるんや」
「これでもすこしは動物行動学をかじっているのよ。
そもそもメスのほうがオスより主導権をにぎっていることがおおいの。
なのに人間の男はそうは思っていないから滑稽よね。
だから、ほんとうは女が男を選んでいるんだけど、男が選んでいるって思わせるの。
そう男が思っているほうが、コントロールしやすいのよねね。
女は可愛げがなくてはいけないって、たいていの男が考えているから」
「ふーん」
「女はなにがなんでも子どもを育てなきゃいけないんだから…。
でも、あたしってそんなこと無理かもしれない…」
「そんなことないよ、マイコならきっといい人がみつかるって」
「あ~、その気休め発言傷つくわ」
「えっ、そうかなあ、本気で言ってるんだけど」
「本気ねえ、そうかも、ムッシュならありえるわね」

話しながら堂々巡りをしているような気分がした。
どこがっていうのはわからないのだが、なんだか居心地がわるい。

「ムッシュって、人生のなかでけりをつけたことってある?」
「どんなことに?」
「なんでもいいのよ、ものごとに、ないでしょ?」
「ないような気がする」
「それをバカな女はやさしさという」
「なにそれ」
「ムッシュはやさしいな、むかつくくらいやさしい」
「それってどういう意味なんや」
「女は度胸、男は愛嬌かなあ。そういうパラドクスもありかなと思ったりして…」
と、とってつけたような笑顔になった。

そろそろ眠くなってきた、とマイコがいうので店をあとにした。
駅からミキコに電話して電車に乗った。
マイコは着くまでずっと窓から都会のあかりをながめていた。

改札をでたらミキコが迎えにきてくれていた。
「ムッシュ、おつかれさま」
「おう、マイコをよろしく頼むわ、無理言ってごめんな、お姉さんによろしく」
「わかってるって、じゃあね」
ミキコと歩きだすかと思ったら、急にふりかえって
「ムッシュごちそうさま、ありがとう…」
「うん、おやすみ」

プラットホームで電車をまっていると、なんだか涙がにじんできた。
なんだろうな、なにが哀しいんだろう。
ばかなやつめ、泣くから悲しくなるんだろ、って。
頼りなさそうなのはマイコじゃないぞ。
おまえなんだぞ、と思って泣けてきたのだろうか。
なんだか情けなくてしかたがなかった。
それでも人は生きていくって。

ふと、人はなんのために生きているんだろうと思った。
人はだれかのために生きているのだろうか。
だれかはなんのために生きているのだろうか。
だれかのために生きるって、なにかのために生きるってどういうことなんだ。
考えまいとしても考えがめぐってくる。
すべてはまたわたしという存在、あるいは幻想にもどってくるのだった。

その夜以来、マイコと会うことはなかった。

日没風景

【これはフィクションであり、実在の人物と似ているところがあっても無関係です(笑)。】


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はるかなる夏の日 第三夜
駅近くのときたま行く居酒屋どこの町にでもあるような店へむかう。
入口ちかくでおでんの番もしているおばちゃんがうれしそうな顔をしていらっしゃいという。
マイコも神妙に頭をさげるから、ますますおばちゃんは相好をくずす。
すぐそばのカウンターに並んですわってビールを注文する。
ついでに、おばちゃんにおでんの盛り合わせもたのんで、ほっとひといきである。

N4858居酒屋

「ここのおでんおいしいんやで。東京とはちょっと味付けがちがうけどな」
「わあ、この娘さん東京から来はったんかあ」
「娘ちゅうほど若こうはないけどね」
「まあ、なんちゅうこと言うねん、失礼な男やなあ。ごめんね、おばちゃんからも謝るわ」
「いえいいんですよ、慣れてますから」
「そうかあ、でもうれしいわあ、こんなきれいな娘さんが来はって。
いっつもお客さんいうたらおっさんというか男のひとばっかしやろ。なんかむさくるしいしね。
やっぱり若い人はいいわね。ゆっくりしてってちょだいね」
「ありがとうございます」
「うわあどないしょ、お礼なんか言われて」

さてビールで乾杯だ。はい、お疲れさま。
やってきたおでんを見ておどろいた。山盛りになっているではないか。

「えーっ、おばちゃんなんかおでん多くないかあ」
「いいのよ、サービス、サービス、ほっほっほ」
「うわあ、おいしそうね」
「そうよ、おいしいわよ、おかわりもできるわよ」
「そういうシステムなん?」
「彼女だけ特別大サービスなの」

なんだかおばさんにこにこして、すごく機嫌がいいみたい。
となりで調理をしているおじさんも、にっこりしておれに向かって頭をさげた。
おれも思わず頭をさげてどうもってな感じで、なんだか調子が狂う。

「おいしい、このおでん。あー、ビールもひさしぶり」
「そうかあ、よかった。こんな汚い店でも気にいってくれて」
「ちょっとお兄ちゃん、聞こえてますよ、ふっふっふ」
「すんません、庶民的な店ということがいいたかったんです」
「わかってますって。彼女なの?」
「ちゃうちゃう、ただのともだち」
「そうなん、きれいな娘さんやのになあ。どんくさいんかあ?」
「どんくさい?」
「鈍い、のろまとかいう意味や」
「そうかも、ムッシュどんくさいわあ」
「そう面と向かっていわれてもなあ」

「ところで、今日はどうした?」
「うん、なんとなくムッシュの顔が見たくなってね」
「うそつけ、素直に白状せんかいな」
「ほんとうはね、ちょっと家でいろいろあって旅行にでたの。
紀伊半島を旅してた。なぜ紀伊半島なんだろう、自分でもわからないけど」
「そうかあ、おれもサイクリングで一周したことあるよ。
二十歳のころだったかなあ。和歌山から伊勢まで一週間走ったな。
出会いもあったし、なんだか懐かしいなあ」
「出会いって、どんな」
「それがなあ、潮岬の灯台で、越前大野からきてた女性ふたりづれに会った」
「ふーん」
「そのうちのひとりがすごい美人でさ、おれよりだいぶ年上だったけど。
なんだか失恋したんだって、それで旅行してみようと思ったなんていってた。
いっしょに灯台にのぼったり、時間が迫ってきててバス停まで走ったりしたな。
まだバスはきてなくて、はあはあ言いながら、お互いの顔みて笑った。
そしたら、こんなに笑ったのってひさしぶり、ありがとう、なんて言われたな。
いまもそのときの白黒写真があるで、なんだか時代やなあ」
「ふーん、女のひとって失恋すると髪切ったり、旅行にでて区切りをつけようとするというわね」
「もしかしてマイコ、失恋した?」
「そんなわけないじゃない、わたしは失恋させるほう専門だから」
「ということは、恋愛のエキスパートちゅうことですか」
「でもないけど、好きになった人はいたわね」
「過去形か、やっぱりふられたんか」
「ふられたりしないわよ、わたしはそういう状況には決して入りこまないから」
「意味がわからんけど、可哀そうにな」
「あのねえ、なんだかむかつく。どんくさいムッシュに言われたくないわね」
「そうどんくさい、どんくさいっていわんでも」
「あー、わたしが馬鹿だった」
「なんかおれ悪いこと言った?」
「今現在、存在自体がむかつく!」
「理不尽だあ」
「問答無用なの。わたしだってよくわかってないかも」
「だれかが言ってたなあ、マイコは魔性の女なんだって」
「それってなんか聞いたことあるけど、末梢の女って言ってるのかと思ってた」
「おれにいわせれば、そういう表現じゃあらわされへんけどなあ」
「どうなのよ、どんな女なのよ」
「まず、強がり」
「なんですって」
「そういうところ、それから少女趣味」
「それはあるかも」
「それもふつうのじゃなくて」
「なくて?」
「高級少女趣味って感じ」
「よくわかんないけど、悪くはないわね」
「それと、男好きがするらしいって噂をよくきいた」
「ふむふむ、それから」
「案外几帳面で、おしとやかそうだけど強情っぱり」
「よく言うわよね」
「なんだかしらないけど本は読んでるらしくて、専門的術語をつかいたがる。
というか、それで相手の反応をみて品定めをする習性をもつ動物、あたりでどうでしょう」
「ほおー、自己分析はしないの」
「えっ、それは苦手だな」
「どうしてよ、心理学専攻なんでしょ」
「いやあ、モットーが『他人(ひと)に厳しく、自分に甘く』だからなあ」
「じゃあ、わたしがお返しにしてあげる」
「拝聴しましょう」
「まずね、ハンサムボーイ…」
「おっ、いいねえ」
「あわてる乞食はもらいが少ないってね。黙ってお聞きなさい」
「はい、わかりました」
「に、一見みえるが中途半端なのよねえ、これが。まあ7.5ぐらいかな。
それにボーイっていってるでしょ。意味わかってんの」
「そうかあ、なんとなくは」
「性格はというと、単純、無神経、冷血漢」
「……」
「さらに加えて、女にだらしがないというか甘い。すぐ、騙されんじゃないの」
「そんなことないけど」
「そう、女の涙に弱そうだけど」
「そういう面はあるかも」
「自分に自信がないから、やたら難しい単語をつかって誤魔化そうとする。
つまり外部の権威に頼ろうとする傾向があるわけよね、ちがう?」
「そうかも知れません…」
「いいところもあるのよ」
「ありがとうございます。なんだか、ちょっと酔ってるんちゃうか」
「なにかいいたいことあるの?」
「いえ、特には…」
「ええーっと、ちょっと思いだせないわねえ」
「そんなあ」
「冗談よ。いちばんのいいところは、指がすっきりきれいよね。そんなとこかな」
「はあ…」

まあ、これだけしゃべれるんだったらだいじょうぶかな。
と思っていたら、急に声をひそめて話しだしたから、ぎょっとしたことも事実だ。


はるかなる夏の日 第二夜
電車の窓からぼんやりと通りすぎる街のあかりをながめていた。
まもなく三ノ宮駅というあたりになって、はっとわれにかえる。
改札口をでてあたりを見渡したら、ひとごみのむこうにマイコが見えた。
ちいさなバッグをからだの前にして、きょろきょろしたり下をむいたり。
だんだんと近づくにしたがって、なんだかどきどきしてきた。
なんなんだよこれは、デートじゃないんだぞって自分にいい聞かせた。
気配を感じたのか急にこちらをふりむいた。
なんとなくばつが悪い感じがして、呼びかけもぎこちなくなった。

「ようひさしぶり、元気そうだな」
「そうかな。ごめんね、急に電話して呼びだしたりして」
「いやあ全然、おれもひまだったし、ちょうどよかったよ」
「だったら、よかった」

しばらく沈黙がつづく。
こういうのが苦手なんだよなあ。
ああ、どうしようかな。
なんだか高校生のころにもどったようだ。

「ほんとうは、怒ってるんじゃない?」
「怒ってなんかいないよ」
「やっぱり、怒ってるんじゃないの」
「怒ってないって言ってるだろ」
「やっぱり怒ってるんだ…」
「そうじゃないって、参ったな」
「だって、しゃべりかたが関西弁じゃないし…」
「あっ、すんまへん忘れてましたわ」
「ほらね、そうやってわざとらしく関西弁つかうし。なんだか変な関西弁だし…」
「どないせえっちゅうねん」
「ふつうに、いつものムッシュでいてよ」
「いつもこんな感じなんですけど、どういうこと?」
「なんというか、訳のわからない理屈をこねる、というような感じかな」
「そんなあって、おれって訳わからんやつなんか」
「そうそう、そんなふうだとすこし安心できる」
「はいはいわかりましたよ、気いつけます。で、どこかに行こうか?」
「どこでもいいけど、変なところは嫌よ」
「変なところって、どういうところなんや?」
「ネオンがちかちか点滅したりしてるところとか」
「それって、…」
「パチンコ屋さんはうるさくて、いやだわ」
「あのなあ、てっきり…」
「てっきり、なに?どこだと思ったの?」
「そんなこと言えるか」

すこし調子ももどってきたので、喫茶店に行くことにするか。
駅近くにあるのは薄暗い純喫茶というような店しかなかった。
それもどうかなと思いつつ、おれとしては居酒屋でビールなど飲みたかったのだが。

「コーヒーでも飲むか」
「コーヒーかあ…」
「じゃあ、紅茶かジュースなどいかがでしょうか」
「あのねえ、ウエイターじゃないんだから」
「じゃあ、腹減ってるのか」
「すこしだけど、そうじゃなくてのども乾いているかなって思う」
「ビールでも飲むか」
「そうね、ビールがいいわね」
「じゃあ、居酒屋しか知らないけどそれでいいか」
「いい、いい、居酒屋が」
「だけどマイコ、飲んでだいじょうぶな性質(たち)?」
「まあまあ、ね」
「そのまあまあいうのが怖いねんや」
「どう怖いの」
「女性がまあまあというのは、たいていかなりという意味やがな」
「そんあことないよ、まあまあだよ」
「じゃあ、ビールなら何本ぐらい?」
「二三、うーん、四五本ぐらいはだいじょうかな」
「飲めるやないか」
「でも、だれかみたいにからんだりしないから」
「だれかって、だれのこと」
「ご存知のくせに、まあ」
「おれはからんだりせえへんよ、ちょっと理屈っぽくなるかもしれんけど」
「それそれ、評判悪いわよ」
「どう言われてるんや」
「場の空気を読めないやつ、堅苦しいことこの上なし、あほちゃうか、とかなんとか」
「ほー、言いたい放題やな。まあ、あたらずいえども遠からじ、ハハッ」
「ね、そうでしょ。とにかく行きましょうよ」
「そうやな、レッツゴー。っておれたちふたりしかおれへんけど」
「やったー、デートみたい」
「そういわれたら、そうやけど。おれでいいんでしょうか」
「まあ仕方がないわね。我慢したげる」
「おうおう、おおきに。すんまへんな」

なんだかわざと明るくふるまおうとしているようで、すこし不安も感じた。
だが考えてみれば、だれだってそういうときがあるんじゃないのかとも思う。
たまには、楽しくお酒を飲むのも悪くはないだろう。
なにか話したいことがあれば、聞いてあげるくらいのことはしてやる義理があるかなあ。
核心にふれることが、必ずしも重要ということではないのだ。
話して問題が解決するということではなくて、最後は自分で決断しなくてはならない。
それでも、話しているといつしかそれは自己との対話ともなっているのである。
ことばは、コミュニケーションの手段であるとともに思考の道具でもあるのだ。
声にだすということは、自分に問いかけてもみることにつながっていく。
沈思黙考なんていうが、じつはこころのなかでことばが飛び交っているのではないか。

染まる雲


はるかなる夏の日 第一夜
いつもながらに机の前にすわり、ぐだぐだとしていると電話が鳴った。
思わず外を見たら、もう夕暮れどきをすぎて空は暗くなりはじめていた。
受話器をとった耳に聞こえてきたのは頼りなげな声だった。

「もしもし、あのう…」
「はい、お待たせしました」
「ムッシュウ?」
「そうですが、失礼ですがどなたでしょうか」
「わたし…、わからない?」
「ああなんだマイコか、どうした?」
「いまねえ、三ノ宮駅にいるの」
「三ノ宮駅って、神戸のか?」
「そうよ、阪急電車の国鉄と連絡してるあたり、かなあ」
「わかった、すぐ行くからそこで待ってて、動いちゃだめだよ」
「うん、わかった」

あれえどうしたんだろう。
あいつ、たしか東京じゃなかったか。
なんにも言ってなかったけど、今夜泊まるところあるのかなあ。
もう夜だし、おれん家は泊まれるようなところじゃないしなあ。
どうしようかなあ、そうだミキコのところに泊めてもらえるよう頼んでみよう。
お姉さんとふたり暮らしだといってたから、なんとかなりそうだし。
とりあえず電話だけはしておかないとな。

「もしもし、ミキコさんのお宅ですか。わたし…」
「あら、ムッシュどうしたの」
「いやあ、いまマイコから電話があって三宮にいるって」
「えっ、どうしたんだろう、家出?」
「まさか、そんな歳でもないだろう、とにかくいまから行ってくる」
「それでどうするの?」
「もしもの場合、今夜泊めてやってもらえないかと思って電話したんだけど」
「う~んいいわよ、姉さんにも話して準備しておく」
「悪いなあ、また電話するよ」
「ううん、気にしないで。それより変なこと考えなかった?」
「変なことって?」
「またあ、とぼけて、いやらしい!」
「ないない、そういう考えはないって」
「まあ、いいけど、かならず電話してね」
「わかってるって、じゃあな」

電車に乗ってから、すこし考えた。
どうしたんだろう、急にこっちのほうに来てるって電話をよこしたりして。
どんな家庭かは知らないけど、弟がいるっていってたかなあ。

マイコは高校を卒業して大企業に勤めていたって。
どんな仕事っていったら、キーパンチャー、ていのいい単純労働者よ。
ふーん、花のOLってことやな。
花だけじゃありません、仕事もばりばりできました。
キーボードなんてブラインドタッチよ。
ブラインドタッチねえ、そんな感じがするわと言ったら。
でもねえ、仕事いやになっちゃったのよ。
どうして、嫌なやつとかいたからか。
あんた(そのころはそう言われてた)馬鹿じゃないの。
そんな単純な理由じゃありません、あんたに言ってもわからないだろうし。
でもね、人間はことばをコミュニケーションツールとしているわけで、言わないと伝わりませんよ。
そうですか、じゃあいうけど、人生に無常を感じたわけよね。
ほほう、祇園精舎の鐘の声が聞こえてきたんやな。
そうなのよ、人生やりたいことやらなきゃ、でもわたしってなにがしたいのって。

というようなことで仕事を辞めて、旅行しているんだって。
大企業だから辞めた後でもボーナスでるんだよ、って言ってたな。
ボーナスというのはね、過去の実績に対してだからその時期在籍してたらでるのよ。
そりゃあ理屈ではそうだろうけど…。
たいていはボーナスもらってから辞めるんだけどなあ、なんて思ったことを思いだした。

それ以外はおれも聞かないし、マイコも自分から話そうとはしなかった。
手伝いをしたいって申し出てやってたらしいけど、けっこうきっちりしてた。
都会育ちだからか、とそんなセンスを感じてしまうのはおれの思いこみだったのだろうか。
でもきれい好きで整頓上手だったから、おれもまあ好感をもったわけよ。
いままでごちゃついてた台所が、彼女がいついてからすっかり片づいてたもの。
まあ、マイコがいなくなったら元の黙阿弥になったけどね。
人の影響というのは気づかないところでけっこうあるんだ、と再認識した。
おおげさにいうと、気質は外部に投影されるんだとね。
見た目ってのは、大切なんだというかやはり実体を表わさざるをえないのだろう。

いまはそうは思わないけど、はじめてマイコを見たとき、美人だとの直感があった。
なんでだろうとはときどき考えるんだけど、わからないなあ。
よーく顔を見ることがある、もちろんこっそりだけど、気づいているのかな。
別にととのった顔というのじゃなし、眼鼻立ちがすっきりしてるでもなく。
だけどなんというのかな、妙に気になるというか、もういちどみたくなる顔なんだな。
スタイルだっていいというのじゃないし、どちらかというとやせっぽっちだ。
でもあるとき、これだって出るべきところはでてるんですよ~って。
見た事ねえよっていったら、だれがあんたなんかに見せてやるもんですか、と言いやがる。
見たかねえよおまえのからだなんか、というと。
やにわに近づいてきたかと思うと、これみよがしに微笑んでもみせるから困った。
どうしていいか返答につまって黙っていると、ちいさな声で言うんだなこれが。
「ばーか」
むかっ腹のたつといったらなかったな。
あれー、そんなこと思いだしてむかついてきた。
でもなんというか、憎めないところがあるからしょうがないや。

そういえば、あるときマイコってジャンヌ・エビュテルヌに似てるよなと言った。
それって、以前とあるおじさまにも言われたことがあるわよ。
男のひとっておなじこと言うのね、なんだかワンパターよねって笑っていた。
とあるおじさまってだれなんだ、とは訊かなかったけれど、そういう境遇で生きてきたんだと。
またそれが自然でもあるから、ますますどういう女性なのかわからなくなった。
おれってモディリアニの亡くなった日が誕生日なんだぜ、と言おうかとも思ったが。
あんたは長生きするわよねという感じで、聞こえなかったかのような顔をされそうだし。
言わなきゃよかったとなっても、あとの祭りだからやめておくことにした。
それでも、すこし山口百恵に似てるとこあるよなあ、とつい口走ってしまった。
ふーん、そんなことばで歓心が買えるとでも思ってるのかしら。
なんだかお子さまですわねえ、という顔でにっこりするから面食らった。
一筋縄ではいかない雰囲気があるから、あまり近づかないようにしていたんだ。
すると通りすがりに耳元で、わたしのこと嫌いなの哀しいなあ、なんてこといったりする。
まったくもって、捉えどころのないというか変幻自在というか謎の女性というか。

N4851三ノ宮駅


夏休みと図書館Ⅳ
図書館のある場所は観音山公園といい、すぐちかくに女子高があった。
夏休みでもクラブ活動の嬌声が風にのってきこえてきたりした。
それを打ち消すようなセミのミーンミーンという声があたりを支配していた。
つちぼこりの舞いあがる道をすこしずつのぼっていって図書館に着くのだった。
おおくの小学生が宿題をかかえてやってきていた。
図書館では、いつも中国の古典を読んでいた(もちろん原典ではない)。
彼らにまじって「紅楼夢」「聊斎志異」「近古奇観」などを読むのはなんだか気がひけた。
ほかには生物学の図鑑とかいろんな本を読んだのが懐かしさとともに思いだされる。
しかし夏休みの宿題をやったという記憶はいっさいないのである。

N4803イス

「脳のシワ」 養老孟司 新潮文庫 ★★★★
養老先生の本はいつどんなものを読んでも、わたしには刺激的、啓蒙にみちている。
『男と女の関わりかたは、考えようによっては、、無限にあるだろう。それはそれでいい。
すべての関わりかたがそれぞれあっていいのである。
しかし、もし結婚という形がこの世になければ、
そうした関わりかたは、一切の物差しをなくしてしまう。
そうなると、われわれはそれをどう考えるか、基準がわからなくなってしまう。
それでは、一般論ができない。だから、人間は、結婚という制度を考え出したのであろう、と。
それで納得していただけるかどうか、それはわからない。
しかし、結婚という制度があるおかげで、男女の関わりは簡単になっている。
なぜなら、一切を結婚に照らして考えることができるからである。
同棲とか、不倫とか、そうしたたぐいのことばも、結婚制度があるから、成立するのである。
私はなにも、結婚が正義だとか、道徳の規範だとか、そういうことを言っているのではない。
それがないと、男女の仲を、どう考えたらいいか、社会的には、万事が不明確になるだろう、
と言っているのである。つまり結婚とは物差しであり、物差しに正義も倫理もない。
それによって、ただし、物事を測ることが可能になるのである。
だから、物差しを壊すな、というのである。』
尺度というのは基準値があってのことである。それが若いころはわからなかった。
良い悪いではない、という議論についてもその意味が理解できていなかったと思う。
それが一般的な考え方とはちがうというのも、最近になってやっと世間とはそういうものかと知った。
『ひょっとすると、私が苦労して学んだ内容を知りたがる人がいるのかもしれない。
残念ながら、そういうものはなにもない。先生から学んだことは、すでに述べた。
あとは要するに独学である。もちろん大学では、大勢の先生から、さまざまなことを学んだ。
同僚からも、後輩からも、多く学んだ。私が言いたいのは、そういうことではない。
学ぶことは自分で学ぶことだ。それが言いたいのである。自分で学ぶには、自分でやるしかない。
そうすると間違える。だから覚える。間違えるのを嫌うと、安全に学べることしか学べない。
ほかの分野は知らない。しかし、学問だけは安全第一では成り立たない。
どうも私はそう思っているらしいのである。』
こういうことも理解できない、あえてしない方々がいるということを知るのである。

「シャドウ・ストーカー」 ジェフリー・ディーヴァー 池田真紀子訳 文藝春秋 ★★★
カリフォルニア州捜査局のキャサリン・ダンスはキネシクス(ボディランゲージ分析)の専門家だ。
休暇で訪れたフレズノで、友人の人気カントリー歌手ケイリー・タウンから相談をうける。
執拗なストーカー行為を続けるエドウィンに悩まされていることを打ち明けられる。
数日後のコンサートに彼はやってくるというのだ。
そんななか彼女のスタッフのひとりボビーが殺害されるという事件が起きた。
しかもケイリーのヒット曲の歌詞をなぞるような状況であった。
不安にすごすうちに、第二の殺人が起きた。
犯人はストーカーのエドウィンなのか、その犯行を証明できるのか。
後半はディーヴァーお得意のどんでん返しの連続でストーリーは展開していく。
捜査の過程でリンカーン・ライムも登場したりと、ここらはサービス精神旺盛である。
そもそもストーカーと殺人はそんなに密接に結びつくものなのか、どうなのか。
影のようにしのびよるというシャドウ・ストーカー、結末はいかに、というところだ。
さすがはディーヴァーといったところだが、やややりすぎの感は否めない。

「完全なる証明」 マーシャ・ガッセン 青木薫訳 文藝春秋 ★★★
数学はわからない、嫌いだ、苦手である、さらには意味が分からないというようなことはよく聞く。
そういうあなたのことがわからないというと、どうしてと反論がかえってくる。
だが、ついさっきあなたが言ったことばについては問題がないと思う気持ちがわたしには理解不能だ。
そうそうかたくなにおっしゃらなくても、そのどこがわからないかを考えるとおもしろいものですよ。
いやいや、数学なんてものは一部の専門家(?)に任せておけばいいという声もきこえてくる。
みんながその意味を知るとなにかお困りのことがあるのですか、といいたくて仕方がない。
わからないことはわからないといえばいいが、端からそういう態度はだれかを喜ばすだけだろう。
などと考えたりするので、こんな本があると、つい読んでみたくなるのである。
数学ってどんな役に立つのだろうと、なんとなく考える人も多いのかなって。
『一九四一年の六月二十二日、ナチスドイツがソビエト連邦に侵攻した。その三週間後には、ソビエト
空軍は壊滅状態に陥っていた。飛行場は爆撃され、ほとんどの機体は離陸する暇もなく破壊されたので
ある。ロシア軍はすぐさま、民間の航空機を改造して、爆撃機として使えるようにする作業に取りかか
った。しかしひとつ問題があった。民間機は軍用機にくらべて飛行速度がはるかに遅いため、爆撃にか
かるそれまでの知識はまったく役に立たなくなったことだ。空軍が標的を確実に爆破するためには、速
度や距離にかかわる数値を新しくはじき出してくれる数学者が必要だった』
こうしたことのためにも数学者(あるいは物理学者も)はときの政府に必要とされたのである。
アメリカの原爆開発について考えてみればすぐにわかるだろう、と思う。
本書は数学の七つの難問のうちのひとつ「ポアンカレ予想」を証明したグレゴリー・ペレルマンの話。
これらの問題にはクレイ数学研究所によって一〇〇万ドルの賞金がかけられている。
ロシアの数学者ペレルマンの伝記でもあるが、数学の世界を垣間みせてくれる好著となっている。
フィールズ賞(数学のノーベル賞といわれる)も一〇〇万ドルの賞金も拒否した男とは。
読めばなぜ拒否しているのか、ということがおぼろげながらわかってくる。
どこかのだれかと違ってこの賞はいらないがこの賞はいただく、ということは言わない人であるようだ。

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

夏休みと図書館Ⅲ
なぜ興味がなかったかというと、美人だがとりすましたような感じがしたのだ。
だから愛らしさには欠けているのかな、とこれは想像でしかなかったが。
でも結局彼と彼女の距離がちかづくことはなく、あいかわらずの図書館通いがつづいた。
夏とはいえ夕方になると暑さもひと段落するので、帰り道はのんびりと歩いた。
寄り道になるがちかくに商店があり、精肉店店頭のコロッケなどを買った。
若さゆえ、いつもお腹がすいていたのでことのほかおいしかった記憶がある。
コロッケを食べ、たまにラムネを飲む夏休みの日々であった。
家がちかくなると、あたりは夕暮れてアカトンボが群舞していた。
そのころには小学校の校庭にコウモリが飛びまわる光景がふつうにみられた。

N4792池にうかぶ

「無地のネクタイ」 丸谷才一 岩波書店 ★★★
こうして読んでいて、ああもう丸谷さんは亡くなられたんだと改めて思う。
小説についてはあまり印象はないのだが、評論・エセーではいろいろとご教示いただいた。
世評におもねないところがいい、いいたいことは悪口に聞こえようとも気にしない。
なれあいというものを嫌って、それがまた嚆矢を射ているものだからだれも文句がいえない。
それにジョークというものを愛したようだ。人間堅いばかりではいけません(笑)
英米では引用句辞典の種類が多いと書く。
『英米の家庭でこれを備へつけるのは、差当りクロス・ワード・パズルのためらしいが、
あのパズルの出題で引用句がらみのものが多いのは、彼らの文化それ自体が引用句に満ちてゐるからだ。
政治家の演説も、新聞の論説も、長篇小説の題も、典拠を持つことがしばしばである。
そのへんの事情を最もよく示すものとしては、はじめて『ハムレット』を見た女の人が、
「変なお芝居ねえ。誰かが言つた文句ばかり集めて書くなんて」とつぶやいたといふ笑ひ話がある。
かういふジョークを作るやつは偉いよ。』
こいうパラドキシカルな冗句というのが英米では人気があるんでしょうね。

「日本の文字」 石川九楊 ちくま新書 ★★★★
石川氏の論は読んでいて説得力があるというのか、なるほどという視点をあたえてくれる。
『こうした漢字文明圏のなかで生まれ、育まれてきた日本語は、三種類の三文字、つまりは三種の書法
をもち、三種の文体をもつ。従来、「日本語を表記する文字としては漢字、ひらがな、カタカナの三種
類がある」と考えられてきたが、これは原因と結果をとり違えている。これまで述べてきた立論の延長
線上で正確に捉えなおせば、「日本語は三種類の書法からなる」、すなわち「三種類の文体からなる」
ということに帰結する。日本語というのは、一種類の文体でできているのではなくて、三種類の文体か
らできている。そういう言葉である。』
これは、文章を書くときになんとなく感じていたことである。漢字主体に書くときと、ひらがな主体で
書くときには、あきらかに思考のたちあがりかたがちがっている、と思われるのだ。
『『土佐日記』冒頭のこの文は一般に理解されているように、紀貫之が女のふりをして書いたのではな
い。東アジア漢字文明圏では「男」とは中華=大陸中央を、「女」とは地方を比喩した。これにしたが
い漢字を男手、ひらがなを女手とよんだ。この文意は「漢文(男=男手)で書かれている日記というも
のをひらがな文(女=女手)でできないものかやってみた」という意味である。』
こんな文章を読むと、いままでなにを学んできたのかと考えると同時に、なるほどとも思うのだ。
日本語を考えるのが好きな方は、石川氏の本を読むにしかず、ではなかろうか。

「「AV女優」の社会学」 鈴木涼美 青土社 ★★
本書は修士論文の延長上にある著作である、ということだ。
そんなところからか、堅苦しい言い回しや学生気分がぬけない文章があり笑える要素となっている。
『本書の中で私はAV女優の労働のアジェンダを詳細に見つめなおし、…』
アジェンダねえ、そういえばみんなの党の渡辺氏がよく言っていた、そこらへんにあるのかな。
『私が彼女たちが本当に自由意志であるか、強制労働であるのかといった空中戦の議論に興味をもて
ない理由もここにある。』
はて、「空中戦の議論」てどういう意味かよくわからないのですが…。
『また、次項で紹介する監督や製作会社の人間もまた、撮影の全貌に携わるといった意味で、
AV女優とは、内実を「ぶっちゃけた」関係である。』
なかなかにぶっちゃけた文章になっているようだ、とでも感想を述べるしかない(笑)。
で、現代のAV観というのは、かなり民主化がすすんでいるようなのだ。
『AVは風俗ではない、といった意識は業界関係者の間に、共通して感じられるものであった。』
では、作品を見るファン側の意識はどうなっているのか、あたりの考察もほしかった。
ただ、AV女優(U)が語る次のような話は興味深い。
『みんな、AV女優はひたすらエロいのがいいとか思っているかもしれないけど、ファンのひとたちは、
ブログでエロい内容とかV(VTRのこと)の現場のこととか書かれるより、今日は何食べたとか、
どこにお買いものに行ったとか、週末はカラオケで何うたったとか、普段どんな服着てる、みたいな、
素顔のUを見れる場所だと思ってるし。でもVではどうしてもエロじゃん。あとインタビューとかだと
そういう何気ないことよりもっと大げさな話になることが多いし。だからブログは、ほんとうに日記
みたいにしている(U)。』

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夏休みと図書館Ⅱ
あるとき、ついに彼が彼女のことを知っているかと聞いてきた。
一年下で名前はたしか○○さんというたかなあ、と答えた。
どこに住んでいるのか、となおも彼は問いただしてきた。
はっきりとは知らんけど、おれたちの地区より南のほうとちがうかなあ。
あんまりようは知らんよ、なんでそんなに訊くんや。
「そうか、きれいな子やな」
「そういわれれば、そうかもしれん」
「興味ないのんか」
「ああ、ないで」と言うと、すこしほっとしたような笑ったような顔になった。

N4832カマキリ

「ヘタウマ文化論」 山藤章二 岩波新書 ★★★
ヘタウマということばがある。ヘタウマとはなんなんだ。わかるようではっきりとはわからない。
『芸能に限ったことでなく、表現にたずさわって、日夜「ウマく」なることに研鑽努力している人間に
とって、「ウマくなって、それがどうしたの?」と訊かれたら、一瞬、返事に窮するだろう。
「ウマくなって、孤立するより、ヘタな方が、面白くて、多くの人に伝わるものがあるから、
その方がラクでいいじゃん?!」
いま、この国の文化は、こういう気配に包まれているように思えてならない。』
いつの時代にもそういうように心理学でいう合理化をする人間はいるものだ。
そういう方々そういうレベルで満足なんだからこれはしかたがありませんね。
そういうことに満足できない方々もまたどんな時代にもいるのではないでしょうか。
それよりこの俳句秀逸ですね。
『 おそるべき君等の乳房夏来る  西東三鬼 

敗戦後、まもない時期に発表された三鬼のこの俳句は、俳壇に、いや日本中に衝撃を与えたと、
物の本にあります。そうでしょう。』
戦争が終わったという気分がとてもよくでていると思いますね。

「琉球王国衰亡史」 嶋津与志 岩波書店 ★★★
この本は日本が江戸時代の末頃を舞台としている。
通事である板良敷朝忠(いたらしきちょうちゅう)の眼からみた琉球王国の衰亡史である。
琉球(沖縄)は地理的には鹿児島と台湾からのほぼ等距離に位置する。
東京とおおむね同じ距離にあるのはマニラである。
このことからわかるように文化的には東南アジアに近いと考えるのが一般的である。
政治的には薩摩藩に支配されるとともに中国との関係も深いものがありました。
こういったことを現代の日本人(ヤマトンチュウ)は忘れがちというか知らないのでしょう。
こうしたことを知るうえでも本書を読んでいただきたいと思うのであります。
激動の幕末も観点をかえれば、どうなるのかということも考えさせられる好著です。
『こうした斉彬の胸中にある秘策が実現できないのだ。秘策とは、台湾進出である。
琉球を開港したのち、その延長線上の台湾には琉球渡唐船の寄港地を設けるという構想である。
台湾を足場に英米仏と自由交易を開き、ゆうに幕府と対抗できるだけの国富と強兵を蓄え、
もって倒幕に立ち上がろうという大構想であった。』
このあたりもなかなかおもしろい歴史問題でもあります。

「科学者が人間であること」 中村佳子 岩波新書 ★★★
中村佳子さんの著作で記憶にあるのは哲学書房からでていた「自己創出する生命」かな。
それから幾冊か読みましたが、アポトーシスという現象には深く考えさせられました。
プログラムされた死、細胞の自死の意味は輪廻という仏教的な思想とつうじるところがあるようだ。
『「人間は生きものであり、自然の一部である」というところから出発し、その発想に基づいた世界
をつくっていくためには、機械論的世界観から生命論的世界観へと変わる必要があること、それは、
日常と思想を持つ科学者によってこそ進められることを示し、その具体的な方法は「重ね描き」に
求められるとしてきました。』
この機械論的世界観と生命論的世界観のどちらか一方が絶対的に正しいとはだれも思ってはいない。
しかし、ものごとは理論でもそうだが積みあげていくなかで平衡感を失いやすいのも確かだ。
いまの世のなかにおいても、絶対的な価値観、宗教感のもとでの争いは絶えないわけだし。
これはそう信じこむことが精神の安定を得やすいということなんだろうか、と思わずにはいられない。

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夏休みと図書館
小学校六年生のころだったと思うけど、夏休みになると近所のともだちと図書館へかよった。
歩いて小一時間のみちのりもそんなに遠いとは感じなかった。
彼は背が高くゆうに170cmはこえていたが、わたしは当時150cmにもみたなかった。
漫才にでてくる凸凹コンビのようで、自分でもなんとなくおかしかった。
おたがいに図書館内ではどんな本を読んでいたのか気にもかけなかった。
彼は私立の中学に進学するようだったから、受験勉強をしていたのだろうか。
多感なこども時代であったから、もちろん女の子にも関心はあった。
いつもみかけるひとつ下の女生徒のことが彼は気になるふうだった。
たしかに美人なのだが、ぼくは興味がなかったので知らぬふりをしていた。

N4828メダカの学校?

「自己が心にやってくる」 アントニオ・R・ダマシオ 山形浩生訳 早川書房 ★★★
若い人のあいだでは、ときおり自分探しの旅が流行ったりすることがある。
それとはニュアンスが異なるが、自己とはなんだろうという命題は現代脳科学をにぎわせている。
ではこうした意識(それを意識する自己)はどうやって生じてきたのか。
『私はいまやこれまでの主張の一部を、進化生物学からの事実を考慮して、脳を含む形で言い直せる。
何百万年にもわたり、無数の生物が脳内で活発な心を生じさせていたが、厳密な意味での意識が始まった
のはその脳が目撃者となれる主人公を発達させてからでしかなく、心が本当に存在すると広く知られる
ようになったのは、そうした脳が言語を発達させてからのことなのだ。
その目撃者こそは、私たちが心的と呼ぶ暗黙の脳事象の存在を明らかにする、何か追加のものなのだ。
その追加のもの、私たちが連れ回して自己とか私とか自分とか呼ぶ主人公を脳がどう生み出すかを
解することが、意識の神経生物学の重要な目標なのだ。』
と筆者は述べ、400ページにならんとする本書を展開してるわけだが、いまひとつしっくりこない。
というのが素直な感想である。すこし期待外れであり、文章がすこし冗漫に感じられました。

「マルセイユの海鞘」 奥本大三郎 中央公論新社 ★★★
奥本さんは、養老孟司、池田清彦氏とならんで虫好きで有名である。
虫好きのかたは、まあ細かいことにはわりあいに無頓着であるかもしれない。
社会はなにごとにつけてもエコであるかそうでないかとかまびすしい。
しかし、ほんとうにエコを考えているのかというと、あやしいと思われることもすくなくない。
奥本さんは、こんなことを書いている。
『日本人の細かさ、うるささは他の場合でも同様で、たとえばビスケットに虫が入っていた
というだけで、その生産ラインにあった商品を全量、回収、廃棄、というようなことをする。
釘や針などが混じっていたというならまだしも、
虫が混入していたというだけでそんなもったいないことをする国は、日本以外にはないはず。
虫はただの蛋白質である。食べてしまえばどうということもない。
いま手元に資料がないけれど、アメリカにおいて、昆虫が食品に入っていた場合の
人びとの反応と実際の処置についてのプロの昆虫学者の報告を読んだことがある。
日本のような大袈裟な騒ぎは決して起きない。』
こうした感覚がわからないという日本人はすくなくないはずだ。
しかし、世界のなかでは特殊なんだということにも気がついていない。
これが日本の社会でいうグローバルなということの実態ではないか、と読んでいて思う

「サブリミナル・マインド」 下條信輔 中公新書 ★★★★
潜在意識というか、無意識というか、現代ではけっして無関心ではいられないテーマである。
それを巧みに利用して利益をえようとする企業や個人は目白押しといえるかもしれない。
そのためには、それがどのような構造をもっているのかということを知らなければ話にならない。
マインド(こころ)はどのように働きをなし、どうようにつじつまをあわせているのか。
たとえば、認知的不協和ということばをご存じだろうか。
『例として、ガザニガは「ジョージ」という仮想の人物の浮気と離婚のエピソードを挙げます。
ジョージは既婚者で堅い倫理観の持ち主だったが、あるときふとしたきっかけで妻以外の女性と
関係を持ってしまいます。いうまでもなくこの行為は彼の道義的信念に反しているので、
彼は自分の行動と信念の認知的不協和に悩むことになります。
酔っていたとか、向こうから誘惑してきたという程度の言い訳は、一度だけならよいですが
「不倫」の関係を繰り返すうちには、効果をまったく持たなくなってしまいます。
そこでどうなるかというと、非常にありそうなのは、彼自身の結婚生活に対する態度が知らず
知らずのうちに変化するということです。彼は自らの行為の原因を家庭生活の破綻に帰し、
妻との関係を実際にそうであったよりもずっと悪かったと思いこむようになります。
やがては、離婚訴訟というお決まりのコースをたどることになるのです。』
これは結果が原因に影響するということであるし、その意識もないということだ。
これは行動が起こったのちに意識が発生するという実験とよく似ていると思うのである。
なにごとも原因があって結果が導かれるとはかぎらないのである。

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擬態生活
庭でおやっと思って、よくみたらナナフシがいた。
うまく同化しているというか、周囲にとけこんでみごとに姿を消している。

N4818ナナフシ

擬態のなかでも隠蔽擬態(ミメシス mimesis)といわれるものだ。
保護色によって捕食者に見つからないようにしている。

逆にめだつことによって敵をあざむく標識的擬態(ミミクリー mimicry)というのもある。
毒をもつハチやヘビを模倣して警告色になって捕食者からのがれる。
発見者の名をとってベイツ型擬態とよばれています。

最近はやりのコスプレなんてのも一種の擬態じゃないかと思う。
めだつ姿、派手な衣装を身にまとう。
これは上記のベイツ型擬態ではないだろうか。

集団にまぎれてかかえる不安を消そうとしているかのようにもみえる。
どんな不安なのかというと、この現代に生きる漠とした生きにくさみたいなものかな。
と、たいていは自己分析ができるようなのだが、それでも落ちつかないのだろう。

ともあれ、熱中できるものがあるのはいいことです。

N4839セミ



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ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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