ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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なんのための読書
本を読むとなにかいいことがありますか、というような質問をいただくことがある。出版社、書店な
どには確実に利益がもたらされますが、と答えても満足されないでしょう。さあて、なにかの役にた
つということもあれば、かえって害になることもあるんじゃないですか。それはさておき、読書をす
ることでそこからなにを得たいのかという動機によるのではないですか。読書をすることじたいは手
段ですから、読書の行為自体がなにかをもたらすということはない。だからどんな本を読めばいいの
ですか、ということなのかとも思ったりしますがね。これも好みの問題があって、ある人にはおもし
ろくても、別の人にはさっぱりということもある。女性の好みなら、アイドル好き、グラマー好み、
ときに熟女好きという方もおられるようですから。読書必勝法的な本があるかもしれませんが、読ん
で納得かどうかは保証できません。

8661ダリア

「氷姫」 カミラ・レックバリ 原邦史朗訳 集英社文庫 ★★★★
スウェーデンといえば高福祉、だから高負担の国でだというくらいの知識しかなかった。しかし、か
の国のミステリを読めばそう単純ではないということがわかってくる。それはどこの地方であれ国で
あれおなじことなのだが、そうはなかなか思えなかったりする。文化人類学という学問があるが、そ
れは先進国からみた後進国の文化についての認識ようなきらいがある。本来はそういうことではなく、
その地その国の文化のありようの理解を深めるためのものだ。ふだんのありふれた人々が暮らす社会
におこるいろんな事件にそれが垣間見えてくる。
『冬、土が凍って霜が降りてくるときどのように埋葬するのかなど、両親の葬式までは、一度も考え
たことがなかった。今では土が暖められ、掘り起こされるということを知っている。そのようにして、
埋められる棺の数に十分な大きさの区画が掘り起こされるのだ。』
日本人なら人が死ねば火葬場へというのが常識だが、日本でもつい先ごろまでは土葬が主だった。そ
んなことを忘れて生きているのが人というものかもしれない、とミステリを読みながら思う。さて、
トーレの娘エリカの子ども時代の仲良しだったアレクス・ヴィークネルの死体発見から物語りはじま
る。浴槽に氷のつつまれるようにして、唇は鮮やかな紫色に染まっているように死んでいた。事件は
もちろん意外な方向へと移りゆきながらいろんな人々の生活を浮きあがらせながらすすんでいく。ス
ウェーデンのミステリ界の実力を実感できる佳作であると思う。

「女のからだ フェミニズム以後」 荻野美穂 岩波新書 ★★★
ひとつの時代を席巻したフェミニズム運動もいろんな面がもちろんあったのである。
『今日、私たちの多く――とくに若い世代は、女が男と対等に高等教育を受けてキャリアに進出した
り、結婚を前提にしなくても男と性的関係を持ったり、子どもを産むか産まないか、産むとしたらい
つ産むかを自分で決めたりすることは当然だと考えていて、女が個人として自分が望むように生きた
いと願うことに対してさほど違和感を覚えない。それはフェミニズムの時代がもたらした変化の産物
であって、私たちはそのことを意識するしないにかかわらず、フェミニズムによる意識変革の恩恵を
受けているのだと言える。』
ある時代においては、子どもを産むか産まないかは女が決めるのだと声高にさけばれもした。そう叫
ばずにはおられない社会の状況でもあったのだが、それだけで問題は解決するはずもない。社会問題
はその社会によるのだから、時代が変われば問題も様相も変わってくるのは当然である。
『不妊となる原因にはさまざまなものがあるが、年齢とともに卵子の変化によって女性の妊娠能力が
低下することもその一つとされている。個人差はあるが、一般的には三〇代半ば以降、妊娠率は低下
してゆき、妊娠した場合でも流産率が上昇する。四〇代で自然妊娠する人もいる一方で、ある研究に
よれば四五歳では八七%の人が不妊だとされている。月経があること=いつでも生殖が可能、ではな
いのである。』
さてこの問題について現代のフェミニストはどう考えるどう答えるのか、なかなか悩ましい。

「木綿口伝」 福井貞子 法政大学出版会 ★★★★
『古くから、山陰地方の産物は「木綿と鉄」と言われてきた。』
こんなこともいまでは、そんなこともあったのかというような認識になっている。
『木綿絣は、江戸時代末期から明治にかけて全盛をきわめ、その作品は世界に類を見ない高度の秀作
を生んだが、それらの作者は貧しい庶民の女性たちであった。』
いまでは化繊全盛の時代になってしまっているが、ほんのすこし前までは普段着のものといえば木綿
が主流だったのだが、それではどのような経路で日本に木綿がひろまっていったのだろうか。
『木綿が普及し始めた江戸時代中期の庶民の願いは、「早くモンメンが着せたい」ということだった。
木綿を「モンメン」「晴着」と呼称して珍重した。西日本一帯の温暖な地方は綿作に適していたが、
海岸の丘陵地は栽培が不可能だった。したがって、遅くまで麻や紙布を着用し、木綿は外出着でもあ
った。』
その木綿だが、いろいろとときの政府による規制もあったようだ。
『江戸時代の士農工商の身分差別は、庶民の衣服の色に至るまで幕府は干渉し、質素を第一とした。
材質は麻や木綿に限定し、華美な染色を禁じ、紺一色に規制していた。それは下着から上着、蒲団に
至るまですべて藍染めであった。したがって、木綿と藍との関係は深く、相互に生かされて、藍は木
綿の発展と共に庶民の染料作物として進展した。』
木綿と紺(藍)の関係は深いようだ。
『濃紺に白い絣紋様は、藍と木綿の相互補完関係であり、すばらしい知恵を持っていたのだと思う。
特に小麦色の日本人の顔と紺色とは補色関係であり、一段と引き立たせ、知的に見せる。』
木綿絣にまつわる女工の哀しい話も多いのだが、当時の生活のようすがしのばれるのである。
本書の巻末には、昭和五九年一二月一日初版第一刷とある。

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尾道友愛山荘ものがたり(35)
 <第七話>色即是空 その五

「受験勉強に疲れてしまっていたのかな。
それで、大学に行ったからって、なにもしたいことなんかないし…。
どうすればいいのか、分からなくなっていたんです」
「そんな気もち、なんかわかる気がするなあ」
「ムッシュもそんなことありました?」
「あるもなにも、いまでもそんな気分だよ」
「えっ、じゃあどうして苦労してまで大学にはいったんですか」
「まあ、あんまり苦労はしてないと思うけど。
なんか人生は目標に向かってすすむべき。おおきな夢を実現するべく頑張るのが青春だ。
なんていうのが、どうも馴染めないんやな」
「そうなんですか」
「そやけど、時は待っていてはくれない。
ただ立ち止っているわけにはいかない、ということはわかる。
まあ、とりあえず見当をつけて歩いて行くしかないのかなあって」
「そうですね、でもどうしたらいいんでしょう」
「だから、いまを生きるかなあ」
「刹那主義?」
「はっはっは、そうやないんや。
人は現在をしか生きることはできない。これでもちょっとおかしいけど。
つまりやな、過去は終わったことやろ。だから変更することはできない。
未来はこれからのことだから、どうなるかわからない。
それにわたしが在ると実感するのは、いつも現在でしかないということ」
「なんか、よく分からないです」
「じつは、ぼくもよく分からないけど、こう考えるわけやな。
過去とか未来というのは、想像上の産物でしかない。
思考の道具として考えだされたもので、ある意味不必要なものかもしれない。
過去・未来というのは、数学の虚数みたようなものという気がする。
概念としてはあるが、現実には存在しないんや。
ファンタジーの世界のようなものとちゃうんかなあ、と思う。
いまを生きているぼくたちには現在だけしか感じることができないんや」
「たしかに、過去はいまを生きた結果でしかないですものね。
未来にいたっては、どうにでもなるような気がしたり、どうにもならないと思ったり。
ということは確実に存在するのかどうかさえ不確かですよね」
「そう、明日といわず1分後に、ぼくは存在していないかもしれない」
「だから虚しいんですか」
「そうかもしれん、だからいまを大切に生きるしかないという結論に達するわけや」
「いまを生きる、か…」
「そう」
「いまをちゃんと生きていなっかったのかな、わたし…」
「まだまだこれからのわたしもあるって」
「そうですね、しっかりしなくちゃ」
「君の未来は無限の可能性をもっているのだ」
「なんだか、明るい気もちになれそうです」
「ただし、不可能性も無限であることを忘れてはいけない」
「やっぱり、ムッシュってそういうこというとわかってました」
「まあ、明るくいきましょうかね」
「そうですよね、こころのもちかたって大事なんだっていうことですよね」
「たとえば三次元の物体はみる角度でちがってみえたりする。
しかし、どの角度のみえかたでもその物体であることにはまちがいがない。
山頂をめざすのに、いろんなルートがあったりする。
決めつけないこころのひろさが必要なのかなあ、と思うよ。
実行できるか、できているか自信はまったくないけどな。ハッハッハ」
「そこが問題なんです。フッフッフ」

 そうだ、いつだってそこが問題だったんだ。
ぼくたちはこれまで学校で、テストの問題をどれだけ解いてきたのかしれやしない。
どれだけすばやく答えに到達できるのかの競争ばかりしていた。
いつも点数で計れる尺度しか知らなかった。すべての問いには答えがあるのであった。
絶対的な世界で生きてきたといっていいのかもしれない。
しかし、相対的な世界で生きていることを知ったいま、戸惑いは計りしれないものだった。
人生は無限だとは思っていないが、有限であるということも考えたくなかった。
駅で停車している電車にただぼんやりとすわっている。
なにも考えることなく窓のそとをながめているとき、しずかに列車が動きだした。
あれっ、こっちの列車が動いているのか、向かい側の列車が動きだしたのか。
一瞬、どちらが動いているのかわからないという感覚に似ているだろうか。
それでも、たしかに列車は動きだしてるし、わたしはそれに乗っている。

 またふらりとでかけることになるし、旅はとりあえずは続くのだろう。
わたしはどこへむかっているのか、そんなことだれも知ることなんてできやしない。
もし仮に知ったからといって、それがなんになるのだろうか。
旅はそのプロセスが旅なのである。
たとえば血液の循環のようなものではないか。
循環という物質はない。旅という質量もない。
旅するという運動があるだけなのだ。
マグロは海洋中で泳ぐことをやめることはできないという。
動きをとめるとたちまちにして体内へ酸素の供給がとまってしまうからだ。
ぼくたちも旅をやめることができないという気分に満たされていた。
それはまた魚たちとはちがった理由からだったのだが。

 あらゆることは循環しているのではないか。
質量不変の法則はそういうことだと理解している。
あらゆる系はエントロピーが増大する方向へと変移する。
どこかにエントロピーを食う恐竜がいないものだろうかと夢想するばかりだ。

4869尾道

尾道友愛山荘ものがたり(34)
 <第七話>色即是空 その四

 ふたたびユースへともどる山道をのぼってゆく。
背後には海がひろがっているであろうことはわかるのだが、ふりむきたくない気分だった。
ただひたすらに足元をみつめて、なにも考えまい、ただのぼるんだと思った。
みんな寡黙な旅人になって、ときおりうっとか、ふうとか、息を吐く音がきこえてくる。
照りつける陽ざしを背中にうけて、ゆっくりと歩いていくしかない。
なんのためにとか、なにゆえにとか、ええい関係ないだろうと叫びたい。
しかしそんな状態はいつまでも続くはずもなく、あっけなくのぼりきってしまう。
さあのぼりきったぞ、というところでみんなはふたたび笑顔をとりもどす。
城のわきをとおり、裏手の道をころころとくだってゆけば、もう着いたもおなじだ。
この道をなんど往復したであろうか。そう考えると若さってすごいとも思うのだ。
いつのまにか尾道の町は夕景のなかにうもれかけていた。
ときは夏であり若者たちが多くいれば、凝集された人生模様が織りなされる。

4868向島を望む

 夜空に映しだされる星座をながめるともなく、コンクリートの壁にもたれていた。
そこかしこで鳴く虫たちの声が急にきこえなくなった。
だれがきたのだろうと思ってふりむくと、そこにメグが立っていた。
すこしうなずくと、横にきておなじように空をみあげながら座りこんだ。
「なんだか、むなしい気分なんです」
「どうしたんや、深刻な顔して」
「こんなに楽しい時間をすごしているのに、つい帰るときのことばかり考えてしまって…」
「それでちょっとセンチメンタルになってるのか」
「会わなかったら、よかったのかなあ」
「そしたら、別れもないって思っているのかな」
「うん」
「でも、会わなかったら楽しい時間もないわけや」
「そうですよね、別れのない出会いってないんですかね」
「会うは別れの始めなりけり、では嫌なんや」
「だって、つらいじゃないですか」
「つらいけど、しかたがないのかなあ」
「ムッシュも経験あります?」
「あるなあ、別れというより、ふられた結果という感じかな」
「うそばっかり言って」
「そうやないんや、ぼくでもふる立場にあったこともある。
でもなあ、そんなとき相手のこと、なにも考えてえへんかった。
というより考えたからってどうしたらいい。つきあい続けるか、それこそひどくないか。」
「でも、つきあい続けているうちに気が変わるってこともあるでしょ」
「それは可能性としてはあるわな。でも自分の性格からいってそれはない、と思う。
都合のいいように相手をあしらってしまうんじゃないか、そう考えてしまうわな」
「そうなんですか。なんだかかわいそう」
「そう、よく言われるわ。欠陥人間みたいやな」
「そうじゃないですけど」
「いやいや、いろいろと考えたらそうかもしれんと自分でも納得してるで。
でもそれを嘆いてもしかたがない、ぐらいはわかっているつもりや」
「そうですよね、嘆く自分をみて、自分自身を慰め、自己満足してる図がみえますもの」
「おっメグ、なかなかええこというやないか」
「あたしだって、無駄には生きてないですよ」
「そうそう、その調子や」
「ムッシュと話していて、さっきまでの自分がこどもっぽかったと思えてきました」
「そうやろ、対話って不思議なもんやで。
ひとりのときは悩んでいたのに、話しているとつぎつぎに考えがうかんでくる。
そうだったなと思ったり、そうじゃないだろうと批判したり、考える楽しさに気づくもんなんや」
「そうですよね、話す楽しさを忘れてました」
「ただな、そのことについては考えてますよ、ってよくいうやろ。
けどなあ、たいていは考えてるんじゃない悩んでいるだけや、って指摘もあるから。
考えるとはどういうことかを考えていないとあかんなあ」
「人間ですもの、悩むときもありますよね」
「それはそうや人生は短いようで長い。悩んで悩んで考えたらええんや」

 外灯のあかりにぼんやりと照らされた木立では、いつまでも蝉が鳴いている。
白夜に生きるものたちのように眠ることも忘れてしまったかのようだった。
ウォーンウォーンと近づいてくるような遠ざかるような音が耳のなかでしばらく渦まいていた。

尾道友愛山荘ものがたり(33)
 <第七話>色即是空 その三

 線路際の道だから、ときに山陽本線の列車が走り過ぎてゆく。
ゴォーという音ともに風が渦巻いてぼくたちのからだにまとわりつく。
いつまでもレール上を走る列車の音だけが耳の底に残っていた。
 国道を渡って海沿いの道へくると、潮のにおいが強くなる。
瀬戸内のおだやかな陽光が海面に反射してまぶしい。
薄目で見る光景はまたちがった土地に来たような錯覚をもたらす。
 堤防の上をバランスをとって歩きながら、流行のメロディを口ずさんでみる。
だけど、いつだってどこにいたって考えることは同じことでしかない。
陽だまりにいる猫がからだを伸ばしてニャーと鳴いた。目を細めて前足をなめている。
造船所からはハンマーの金属音がときおり風にのってきこえてくる。
 たがいに肩を組んで飛行編隊のように道路をかけた。
右に左に蛇行しながら車にクラクションを鳴らされても気にしない。
どこかへ飛んでいけるのかも、とふと考えたりもしたのだ。
 そんなときなんだか腹の底からにがい気持ちが湧きあがってくる。
舌の先にまでにがさが残っているようで、思わずぺっぺっとつばを吐いた。
コンクリートの地面に唾液はアメーバのようにはりついている。
なにか自分からでてきたものではないような、異性物がそこにいるような気がした。
陽射しにたちまちにして水分を奪われたアメーバたちは干からびた。
ぼくたちも同じように命を終えるのだろう。
宇宙の時間のなかではなにもなかったと同じことだ。
だからどう生きたって同じなんだということにはならないだろう。
だからと、どう生きたってとはまったく関係がない。
どうせと、しょうがないとにも繋がりはないのだ。
 いつのまにか歓楽街の路地に迷いこんでいた。
昼間にみるその場所はなんだか疲れたような表情をしている。
化粧をおとしたおばさんが、友だちのお母さんだったような感じだ。
精一杯にこやかな顔をしてくれるのだが、まともに目をあわすことができない。
生きるに常道なんかないんだ、そう呟いていた友を思いだした。
 やさしそうなお母さんがいいに決まってるけど、それはドラマだけだ。
現実はいつももっと滑稽で、お母さんの作る料理は特別においしくもない。
手早く作られたり、どこかで買ってきたフライものだったりもした。
それが不満というのじゃなくて、それを苦にしているお母さんを見たくなかった。
だから余計においしいとはしゃいで、かえって悲しませもしたかもしれない。

4887海沿いの道

 いつから母は、なんて人前で言うようになったのだろうか。
「おかあちゃん」と言うのが恥ずかしく思った中学生の頃がなつかしい。
ヒトの原型は女性だ、と生物学の本に書かれていたのを読んで妙に納得した。
母は強しとの源はそこに発しているのである。
女のできそこないが男なのだ。いや、女になれなかったものが男になるのである。
世のなかでは反対のことが言われたりするが、男の虚勢でしかない。
 マザコン男などと優柔不断な男の悪口につかわれたりする。
だが、子どもが母親をこころのよりどころとしてなにがいけないのか。
母は生みだすもの、生命の母胎なのだから、そういう感情をいだくのはしかたがない。
それよりも、もっとポジティブに生きればどうなのか。
悪口は悪口をしか呼び寄せないし、悪循環に陥るだけなんだ。
あなたも母になればいいではないか、へなちょこな男のマネをすることはない。
などといってみたところで、世のなかの流れは変わらないのだろう。

尾道友愛山荘ものがたり(32)
 <第七話>色即是空 その二

「えっ、結論か。ぼくなりの結論は、こういうことなんや。
若さを讃えたり、古いものを大切にしたり、新しい技術を目指す、往古の技を復活させる。
それぞれが、それぞれに意味をもつのと違うんかな、と思うんや。
それよりも、そうした判断を自分が下しているのかどうか、そんなことが気になるな。
身近な例で云えばやで、どこそこのラーメンがうまいと聞いたら、どっと列をなす。
ベストセラーだと聞けば、ただ闇雲に買い求めるために走りだす。
ただ評判だけで、さも味がいいとか、すばらしいように思いこんでしまっている。
そんなふうになっていないか自問自答せよ、と言いたいわけやな。
評価することも批判することもいいけど、それが自分の中から来たものか、ということ。
流されずに生きていきたいものです、なんて思うわけやな」
「ふーん、そうすると最初の若さを好むということとは、どういう関係になるの」
「憶えていたんかいな。それなら、ひとことコメントしとかなあかんな。
すべてはおおいなる幻想から発しているということや。
はじめに云ったように、新しい、若いが価値があるという混乱からすべてが始まっている。
そやから、いま言うたように、そうじゃないんだよということが分かれば考えも変る」
「そうかな、幻想にしてもその根は深いんじゃないかしら。
若い女の子がいい、という価値観は根が張って強固にみえるわよ」
 三平もメグに同調してこういう始末だ。
「そりゃあ、同じ美人なら、若い方がいいに決まってますよ」

 じつは、それぞれが同じような意味でいっているようで、微妙な違いがあるのだ。
若いとは、一体何歳からを指すのだろうか。まさか、一歳ということはないのだろう。
では、十五歳、十八歳、二十歳、どうなんだ。結論は出まい。
 逆にもう若くはないとは、一体幾つになればそう云えるのだ。
二十五歳を過ぎれば、もう年寄りだというティーンエイジャーがいるかと思えば、
五十過ぎからではないですか、といった意見もちらほらとある。
なんのことはない、結論はそれぞれの頭の中にあるということだ。
 ああ、世代の断絶という言葉が頭のなかで閃いた。
同じ言葉を使いながらも、世代によってその言葉の意味するものは違う。
年配者はときとしてそのことに気づかないままに苛立ちを覚えるのである。
そしてつい、こんな言葉を吐いてしまう。
「いまどきの若い者は、なっとらん」
このフレーズは過去から現在へと受け継がれ、いつの時代にも呟かれるのである。
 世代の断絶とは、世代間における言葉の意味内包の変遷によりもたらされた。
カルチャーギャップと同じ様相をみせているのである。
断絶を埋めるためには相手の文化を理解していなくてはならないのである。
もちろん文化とは生活習慣様式一般を指し示すのであり、文明とは一線を画している。
知るとはものごとの始まりを意味し、入口であってゴールではない。
 世代間の間隙は時代とともに広く深くなってきているようだった。
十年一昔と云われたものが、比べるべくもなくいまでは確実に短くなっている。
以前は同世代と云われた集団がいまでは相互理解不能な世代へと分化している。

「ぼくだって、そうは思うけど、現実問題として同じ人というのはいないんじゃないかな。
仮に、一卵性双生児であっても、微妙に違うものだと思うな。
ということは、さっきの三平くんの意見は現実的ではないということだな」
「そんなこと分かってますよ。でも、若い方がいいでしょ」
「若すぎると、問題やけどな。まあ、世間ではそれが大勢でしょうな」
「そうだけど、いつか年老いてしまうんですね」
「若さって、永遠に続きそうな錯覚をともなうものですよね」
「そう、傲岸不遜な側面をみせているな」
「だからこそ、若さを謳歌しなくちゃ」
「若さは刹那主義的な行動を誘導する。
これはその若さゆえの性質からくるものなんだ」
「どんな性質なんです?」
「不死の感覚というのかな。自分という存在が永遠に続く…」
「そうですよね、死なんて考えたことなかったな」
「そうだろ、なんだか他人の上には起こっても自分は関係ないっていう感覚」
「だから、なんだってできると思うし恐れを知らないんだ」
「こういうふうに論理は繋がっているのではないでしょうか」
「そんな気がしてきましたわ」
「でも、いつか、だれもいなくなる」
「うーん、ミステリみたいだけど、そうなんですよね」
「人間の死亡率は100パーセントだからね」
「冷徹な事実です」
「だからこそ、精いっぱい生きなくては…」

4867尾道大橋

尾道友愛山荘ものがたり(31)
 <第七話>色即是空 その一

 人の悩みというものは、傍から見るとつまらないことが多い。
でも、本人にとっては果てしもない苦悩の種であったりする。
ひとりで思い悩んでいると、決して抜けだせない迷路のようでもある。
いつしか時間が解決したと思っても、無意識の深層に潜み残っていることもある。
だからだろうか、人は同じあやまちを幾度も繰り返す。
解決してはいないのだから当たり前のことだ、ともいえる。
 では、どうすればいいのだろうか。
先人はいう、ものごとを違った角度から眺めてみることだと。
どんなに深い悩みと思えることでも、大局的には些末なことでしかあり得ないと気づくだろう。
しかしながら、逆説的に、それができないのだから悩むのであるとも云える。
ものごとは、決して理性のみで片がつくということではないようだ。
 いつの世でも、不平不満ばかりを口にする者がいる。
世の中不公平ばかりではないか、と声高に言う。
しかしながらよく聞いていると、彼は変革を望んでいるのではないようだ。
それはこんな言い草からも、うかがい知れてくる。
なぜ私がそのような責めを負わねばならないのか、と彼は言う。
万人がということではなく、なぜ私が運悪くも、などと言うのである。
彼が望んでいるのは、決して改革者になることではない。
我が身の不公平のみが、どんな手段でもあれ、解消されることでしかない。
 そしてこれが不思議に思えるのだが、不公平解消だけでは満足できないようなのだ。
それは不公平がまさに解消されようとしたとき、立ち現れてくる。
彼の眼前に、新たな不満の芽が間発入れずに浮上してくるのである。
だから、不満の芽が摘み取られ充足感に取って代わられることは決してない。
不満は、常に新たな不満の芽を捜して眼を光らせる。
不満がなくなることは、それ自身が不満の種になる。
それ故に、増えこそすれ、消滅することは断じてない。
矛盾に満ち満ちているのだ。不満は欲求の別称なのだろうか。

 海側に墓地を望みながら、やや登り勾配の小道を歩いていく。
狭い路地は尾道の町に毛細血管のように縦横にその触手をのばしている。
 道の狭さは防災上の問題点だという認識がある。つまり消防自動車がはいれない。
だから、区画整理をして道を広くして、ついでに地名も陳腐なものにする。
 しかし地名は突然そこに発生したのではない。多くの場合、いわれがある。
そのいわれこそが、文化であり、地方史なのだという認識は日本人にはうすい。
 だから簡単に町名を統一し、頭に東だの南だのとつけてよしとしている。
分かりやすいし、郵便物の配達にも便利であるという。
このように、ひとつづつ町の名は消えてゆく運命を内包しているのだろうか。
それもひとつの歴史であると云えば、それはそうである。
でもなぜか、消えてゆくものに対しての郷愁が残るのもまた事実である。
 尾道は幸か不幸か、こうした事態を迎えずにいるようだった。

 広島県立尾道東高校まで来れば、寺の多い町も残りわずかである。
東高の女生徒が二三人、自転車に乗ってぼくたちの脇を軽快に駆け抜けてゆく。
夏服の白がひかりかがやく真昼のなかでゆらめききらめく。
どこの地方であろうとも、若さは変わりなくまばゆい。
女生徒の嬌声が自転車に絡まりながら坂をころがってゆくのだった。

0071尾道東高等学校

 後姿をぽかんとした顔で見つめるぼくたちに、メグは笑いながら問いかける。
「男の人って、どうして若い女の子が好きなんでしょうね」
「なんでなんやろな、若さになにかを見ているのかも知れんな。
過ぎ去った自分の若かりし頃を懐かしんでる、そういうことかな」
「違いますよ、ムッシュ。そうじゃなくて、若さが発散する未来への憧れですよ。
分別くさくなってしまった自分への哀愁と、若さの持つ無鉄砲さが羨ましいんですよ」
「ぼくは決して分別くさくなったとは自覚してないけどな。
分別くさいんではなく、ものごとの本質に迫ろうとする感性と言ってほしいものだね」
「あー、阿呆臭い。そういうことを言うから、おじさんぽいって言われるんですよ」
「では真面目に答えてみることにしよう」
「きっと、変な理屈をつけるんでしょうね」
「変なかどうかは聞いてみて、判断してほしいな。
これはな、現代人の価値観が顕著に現れているんやと思う。
それを端的に表している言葉に、『新品』と『中古』というのがあるな。
これはその言葉そのものが見事に価値をも表明しとると思うで。
新しい、つまり若いは価値がある。逆に古い、年増は価値が低い、ということになる。
つまり、新しいもの好きということなんやな」
「新しいことばかりが、決していいことではないですのにね。おかしいですね。
どうして、日本人の価値観はそんなことになってしまったんでしょう」
「そうや、新しいことばかりが、という点をようく考えんといかんな。
新しいことに注目するのは、好奇心があるということでいいんやけどな。
それがどうして、古いものは駄目だとなるのか、よくはわからんな。
これは、悪しき科学教育と連動しているのかも知れへんな」
 三平は、疑いの眼をむける。
「なにか良からぬ考えをいだいてますね。
これから、どう論理を展開するのか、注意しておかなくては」
「そうなんですか」
 とメグも同調する。
「科学教育と云ったけど、科学技術教育という方がいいかもしれん。
科学と技術は相反する面もあると思うけど、それは別の機会に話すことにしよう。
工業技術は戦後の日本において経済復興の大きな原動力になった。
この点に異議はないと思うが、どうだろう」
「それはそうですよね」
「その弊害が出てきてる、ちゅうことや。
技術の世界は日進月歩でしのぎを削っている。
技術は常に新しい技術に取って代わられる宿命をもっている。
古い技術は、捨て去られていく運命でしかない。
よって、古くなった技術はもう価値がない。
ほんとうは、古くなったかどうか、価値がないかどうかおおいに疑問があるんやけど。
そういう雰囲気をすべてのことに無自覚に拡げてしまった、のと違うんかと思う」
「ふーん、そういうこともあるのかな」
「いや、時代の雰囲気というたら大袈裟かもしれんけど、確かにあるな。
また、それが新たな視点や発見をもたらし、ちがった分野での起爆剤になることもある。
一概に、デメリットばかりではないということや」
「それでムッシュ、結論はどういうことになるの」



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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