ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
10 | 2014/11 | 12
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

本棚のほこり①
すこしは本の整理をしないといけないなと思い、このところ休みの日には本棚掃除をしている。棚か
ら出して掃除機をかけながら、これはいつ買った本だろうかなどとながめてみる。昔の本は半透明の
薄紙でおおわれていたりする。箱にはいったりしているのだが、その薄紙(グラシン紙というらしい
)が日焼けしたり、ところどころ破れたりしているのではずして捨てる。紙魚のついているのもけっ
こうある。それもふくめて懐かしい気がする。これはたぶん大学生のころに買ったものだと思うが、
奥付を見てみる。「眼と精神」メルロ=ポンティ著、みすず書房刊、1966年11月30日第1刷
発行とある。この本は1973年11月20日第10刷。当時、けっこう高い本というイメージだっ
たなあ。定価をみてみると1800円となっていた。もちろん消費税が導入されるずいぶん前のこと。
ネットで調べてみたら絶版にはなっていなくて、定価5616円(本体5200円)である。

8804眼と精神

「生命と記憶のパラドクス」 福岡伸一 文藝春秋 ★★★
週刊文春に連載されたコラムだそうだが、科学的な考え方ってなんだろうと考えるのである。
『大規模な疫学調査によって隠された関係が発見されることがある。一方、疫学的なデータを解釈す
る際、気をつけなければいけないこともある。それは疫学によって見いだされる関係は、相関関係で
あって因果関係ではないということ。ある事象Aが、もうひとつの事象Bに付随しているのは、あく
までそのようにみえる(=相関関係)だけであって、必ずしも、AがBの引き金になっている(=因
果関係)ということを意味しているのではない、ということである。』
これは、テレビのコマーシャルなんかではいつも感じるし、コメンテーターなどの発言にも多い。
『さらに、AとBが相関関係にあるのは、AがBの引き金になっているのではなく、その逆だからと
いうこともありうる。体重の増減がその後の寿命に影響するのではなく、むしろ病気になったから体
重が減少し(または増加し)、その病気によって亡くなっている可能性もある。』
人間関係のトラブルなどにもこういったことがあるんじゃないか、と思うのだ。狡猾な輩は、そこを
見抜いてうまく順序を入れ替えた説明をしたりするからだまされたりする。こう考えると、科学的な
思考のトレーニングって役に立つのでは、と思わないでもない(笑)。

「説教師」 カミラ・レックバリ 原邦史朗訳 集英社文庫 ★★★★
夏の朝、フィエルバッカの「国王の洞窟」で若い女性の全裸死体がみつかる。そのそばには白骨化し
たさらなる死体がふたつあった。これはどういう事件なのだろうか。作家エリカとターヌムスヘーデ
警察署のマーティン・ヘードストルム刑事のコンビ第二作目になる。事件は二十四年前に起きていた
事件とどうやら関係がありそうだとわかってきた。しかしそう簡単に謎はとけない。そのはがゆさ、
もどかしさがつのる。
『マーティンが見たなにかが、彼の後頭部でもぞもぞしていた。彼は必死に、キャンプ場に行って見
たいくつかの印象を探ってみたが、あいかわらず当惑したままだった。彼が見たなにかは、心に残っ
ていいはずだった。』
理詰めで考えることでわかるとはならないなにかがあるようなのだ。しかし徐々につながりがみえて
くるのだった。
ミステリは謎解きもそうだが、なにげない文章にその地方のあたりまえの文化についての言及があっ
たりして、これもまた興味深いのである。
『スープが運ばれ、一口食べただけでマーティンは、ピーアの「この世のものじゃない」という褒め
ことばに賛同したかった。リンドグレーンが書いた『ロンエバリアのエーミール』を読んでいること
をひたすら願った。「ズーズーすすらねえと、だめだべ。そうでねえと、スープだって分かんねえ…』
誰が言ったのだろうか、スープは音をたてて食べてはいけないと。それにストレスを感じるひとびと
は確実にその地にもいたのだ、ということを知ってなんとなくほっとするのである。

「色のない島へ」 オリヴァー・サックス 大庭紀雄監訳 春日井晶子訳 早川書房 ★★★
地球上には「全色盲」とよばれる遺伝病の患者が多く集まっている地域が二か所ある。「全色盲」と
は、一般的な色盲や色弱こことではなくて、際立った色覚異常と弱視をきたす、一〇万人に一人程度
しかみられない遺伝病である。そのうちのひとつが本書の舞台となったミクロネシアのピンゲラップ
島である。なお、この病気は劣性の遺伝病である。ということは両親の片側だけがこの遺伝子をもっ
ていても病気は発現しない。だから地理的に隔離された離島や文化的に閉鎖された社会では、保因者
同士が結婚する確率が高くなり発病する確率が高くなるということだ。しかし、この病気をもった子
どもたちは頭脳も、行動も活発なのである。島には彼らのことを「マスクン(現地語で“見ない”と
いう意味、全色盲のこと)」という言葉まであるほどだ。だが彼らは不幸なのか。
『暗くなるにつれ、クヌートや島の全四色盲の人々は動き易くなるようだった。マスクンの人たちに
とっては目が暗順応する日没、日の出、そして月明かりの夜のほうが行動しやすいことはこの島では
誰もが知っていて、彼らの多くは夜釣りの漁師として働いている。そして夜釣りにかけては全色盲の
人たちは極めて優れていて、水の中の魚の動きや、魚が跳ねるときにひれに反射するわずかな光まで、
たぶん誰よりもよく見えているようだった。』
色がわからないというか、生まれつき全色盲なら色の意味がわからない。同様にわたしたちも彼らが
見ている無彩色の世界(きっと私たちよりも変化に富む)が理解できないだろう。そういうことなの
だろう。私が感じている色が他の人びととまったく同じかというと、それはわからないというしかな
いのである。色ひとつとってもそうであるから、なかなか世界は理解するのはむずかしい。というし
かないのだろう。

スポンサーサイト

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

本を旅する
読書をしていて自分がどこにいるのかを失念してしまうことが、これまでにいくどかあった。ふとわ
れに返ってみると、なんだかまわりの景色がなじみがないように感じる。どこにいたんだったか、と
考えてみるがしばらくは見当もつかないことがある。別にぼんやりしていたわけではないのに、と思
うのだ。これって旅をしているのと似ているとあるとき直感した。世界はどのようになっていても旅
するわたしが感知することがすべてだ。わたしが、たとえば体調が悪くなって、それまでとはまった
くちがった印象をいだくというのはありそうなことだ。本を読むということは、本のなかの世界へは
いりこむことなのだ。感情移入もあるだろうし、ストーリーの主人公になっていたり、わたしが語り
手と入れ代わっていたりする。本を読むことは、ある意味ちがった人格になって経験する旅にでてい
るということなのだろうか。

8779帝釈峡・雄橋

「サブリミナル・インパクト」 下條信輔 ちくま新書 ★★★★
『現代社会は過剰な刺激に満ちている。直接快楽を刺激する音楽と映像。絶え間なくメッセージを投
げかけるメディアやコマーシャル。それらは私たちの潜在脳に働きかけて、選択や意思決定にまで影
を落とす。が、私たちはそれを自覚しない。』
新書カバーに書かれているこのことばは、確かにそうだと思わせられる状況に生きていると思う。し
かし現代においては、自由な意志というのもそう単純なものではないようなのだ。
『前の章で「世の中は、外界を正確に写し取るという意味での物理的リアリズムではなくて、脳内の
神経活動を最大化するという意味でのリアリズムに向かっているのではないか」と述べました。また
「その神経活動を活性化するものこそが最高の快であり、テクノロジーとコマーシャリズムもそれを
最大化する方向に突き進んでいるのではないか」とも。そういう考えをまとめて「ニューラル・ハイ
パー・リアリズム」と名づけてみました。
ここで述べてきた感覚刺激の過剰と自己促進という話も、ニューラル・ハイパー・リアリズムの流れ
と軌を一にしています。「国民総ながら族化」は、そういう不可逆の変化を顕していると思うのです。
さらにこうした並行化、多元化は自ずと「選択」の問題につながり、そこに現代人の「自由」を巡る
より本質的な問題が提起されています。前章で述べた「神経学的快の自覚的追求」についても、こ
のことを踏まえて違う角度から捉え直す必要があるのかも知れません。』
たしか自由をうたっているヒトがじつはある宇宙の生物の家畜であったというSFがあったように記
憶している。世のなかはいろんな意味で入れ子状態にあるのかもしれない、と考えさせられるのだ。

「「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー」 高橋秀実 ★★★★
開成高校といえば、西の灘高とならんで東大へ進学する生徒数では群を抜いている。そんな高校にも
硬式野球部があるのである。どんなチームなんだろうか、だれもが興味をもつのではあるまいかと思
うのだ。
『「野球はプレイとプレイの間に思考する時間があります」
 キャプテンの瀧口耕介君がそう言っていたが、確かに野球の試合というのは、プレイより待ち時間
のほうが長い。守備についた選手たちは球が飛んでくるのをじっと待っているわけで、ややもすると
一度も飛んでこないこともある。打者たちもひたすら自分の打席を待ち、打席に立つと今度はピッチ
ャーからの球を待つ。ピッチャーも投げるタイミングを待ってるようで、みんな何かを待っている。
待ち時間と待ち時間の間にプレイがあり、観戦する私もプレイを待っているうちに、ふと「あれっ、
今、何回だったっけ?」「どっちが勝っていたんだっけ?」と取材メモをめくり返したりする。選手
たちの一挙手一投足をじっと見つめ、「彼らは何を考えているか?」と考えながら待っていると時間
が間延びするようで、それまでの試合の経過を忘れてしまいそうになるのである。
 もしかすると、野球は「待つ」競技なのだろうか。』
うーん、さすがに開成高校とうなるのだが、監督はどう考えているのだろうか。
『「俺たちは必要十分な練習を徹底的に追及する。これが俺たちのプライドだ」
 つまり、このチームは本当に必要な練習しかしない。例えば、ダブルプレイは必要以上だからとら
なくてもよい。自分の守備範囲を無理なくさばいてアウトにすることが必要十分なこと。ピッチャー
はストライクをとることが必要十分。そして打者は打球を遠くに飛ばすということが必要十分。ベン
チで声を合わせたり。ウオーミングアップを号令をかけて全員揃ってやるのは必要以上のこと。ヨソ
のチームはムダな練習をしてくれていると考えて、このチームは必要と思われる練習を徹底的にする。
必要十分な練習の量と質に徹底的にこだわる。、というのである。
「数学で習っただろう。必要十分条件」』
なるほど、頑張れ開成高校野球部!。いつか甲子園に登場するの楽しみに待っているぞ。

「ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか」 ハロルド・L・クローアンズ
        加我牧子他訳 白揚社 ★★★★

神経内科医が書く本の双璧といえば、オリヴァー・サックスとクローアンズだろう。人によって、ど
ちらが好きかというのはあるだろうが、私はクローアンズのほうがじつは好きなのである。そんなこ
とはどうでもいいのだが、ふとそんなことも思ってみるのだ。で、神経内科医ってなにか。
『ジェイムズ・パーキンソンは、患者が「彼の」病気にかかっていることを証明する検査ができると
は思っていなかった。これは今日でも同じである。パーキンソン病を診断するための検査はない。生
きている間に、診断を確認できる組織はないし、レントゲンでも何も見つからないし、血液検査にも
何の異常もない。パーキンソン病の診断は、観察し、洞察する臨床医の目にかかっている。美や他の
人間的事象のように、パーキンソン病は見る人の目の中にある。』
これでは、いまの医者の日常が戯画のように思えてくるということに気づく。また、以下のような文
章を書くクローアンズが、なんとなく好きである。
『私が毎日診ているパーキンソン病の患者が、ビタミンEを飲むべきかどうか質問する。
「その問題は、神様を信じるかどうかという問題みたいなものですよ」と私は答える。
「もしあなたが神を信じないとして、死後に神様が存在することを知って、さらに神を信じていたら
人生がもう少し違っていたとしても、やりなおすには遅すぎます。もし四年後にビタミンEがパーキ
ンソン病に有効であるとわかっても、あなたは逆戻りできないんですよ」
「では、私はビタミンEを飲んだ方がいいのですね?」
「自分で決めなければいけないことです」
「先生、あなたならどうしますか?」
「飲みますね。私は神様を信じているんですよ」』
神の存在は、たぶん、存在するとも存在しないとも証明できないだろう。そういう範疇におさまる問
題ではないのだと思う。ではどうするのかは自分で決めるしかないし、人生の時間は止まって待って
はいてくれないのである。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

もの忘れの効用
10月いっぱいで夏の軽装月間は終わりをつげた。今週からは11月だ。ということで、仕事にいく
のにネクタイをすることになった。だからネクタイを結ぶ動作分だけ朝のルーティンが変わってしま
っている。

今朝もおなじように支度してでかけたつもりだった。駅についてベンチに腰かけて、さて本でも読も
うかと思ったらカバンのなかに本がなかった。あれっ、昨夜寝る前に本を読んだはずだ。朝のルーテ
ィンが変わってしまっていたので入れ忘れに気づかなかったのだ。しかたがないな、と思いつつ足も
とに目をおとしていた。おやっ、前をすぎる人の靴にブーツがおおくなっている。ふと見あげれば、
木立ちも紅葉しかけているではないか。そういえば、朝晩はめっきり寒くなってもう晩秋の気配であ
る。すこし前までは暑い暑いと言っていたのに、ひさしぶりにまわりの景色をゆっくりと見た。

電車に乗ってからも読む本がないのですることがない。昨晩の高島俊男さんの本のことを思いだす。
現代の中国は「中華人民共和国」のこと。しかし古くは中国とは世界の中心にある国という意味だ。
地理的な意味だけではなくすべてのことにおいてである。ということは、中国以外の国はすべて辺境
の国ということになる。もちろん、日本などは…。なんてことが書いてあったなと。昨今の中国の対
外姿勢をみていると、そういう意識がいまもあるだろうか。ああ、はやく続きが読みたいと思いつつ
しばらく考えていた。

いつになく車内をながめてみると、人びとの服装に季節がうつりゆくのが感じられる。たまには本を
読まないことも必要なのかな、とも思ったりした今朝の通勤どきであった。

8688栗




プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

10 | 2014/11 | 12
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー