ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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本棚のほこり⑩
これまでになんだかずいぶんとたくさんの本を読んできたような気もする。その一方で、あまりにも
本を読んでいないなあ、と思ったりもする。これは確かに読んだという本もあれば、はてどうだった
か判然としない本もある。端から読む気にならない本もあれば、読んでいないのに、いや読んでいな
いからこそ気になる本もある。どこかでちらっと見かけてもすぐにわかる本がある。それも実際には
読んでいないということも承知している。読んだ本の内容がすべて頭にはいっているかというと、ほ
とんどはいっていない。でも変形されたかたち(!)で、はいりこんでいるのかもしれない。ことば
は思考の道具でもあるから、考えかたはどうしても母語の影響をうける。母語でなくとも、あとから
習ったり知ったことばも考える過程のなかにはいりこんでくる。さて、考えるってどういうことなん
だろう、ということを考える。メタ思考に陥りながら、メタボリズムの意味を思うのである。

F8384イソヒヨドリの雄

「ヒトラーのウィーン」 中島義道 新潮社 ★★★★
ヒトラーはオーストリアの西北部、ドイツと国境をなすイン川ほとりのブラウナウで生まれた。十八
歳でウィーンに移り住み、あこがれの造形美術アカデミーを受験するが、二度も失敗してしまうのだ。
当時の市長はカール・ルエガーで、皇帝をしのぐほどの絶大な人気があった。彼はウィーン工科大学
の用務員の子として生まれながら、刻苦精励ウィーン大学法学部を卒業して国会議員からウィーン市
長にまでのぼりつめた。敬虔なカトリック教徒である彼はユダヤ人を攻撃してはばからなかった。そ
んな彼が市長になったということは、そのころのウィーン自体が反ユダヤ的な空気につつまれていた
のだろう。「ユダヤ人が誰であるかは私が決める」とは、彼の有名な台詞である。このことばからも
わかるように「ユダヤ人」というのは定義しがたいものでもある。ある意味恣意的に決められる。そ
んな時代の雰囲気がつつむウィーンでヒトラーは青春時代をすごした。
『若きヒトラーが郷里を同じくする汎ドイツ主義者のシェーネラーや人間知および大衆操作において
敬服していたウィーン市長のカール・ルエガーからかなりの影響を受けたことは事実である。しかし、
それとて、その段階に留まる限り、やはりごく普通の反ユダヤ主義の域を出ない。そこから、ホロコ
ーストに代表されるユダヤ人絶滅計画への道は直接延びていない。
 それは、あえて比較すれば、五十年前のわが国民のほとんどが、女性差別論者であり、性的マイノ
リティー(ゲイや性同一性障害者など)差別論者であり、環境問題無関心論者であったようなもので
あり、百年前のわが国民のほとんどが、富国強兵主義者、大日本帝国支持者であったようなものであ
る。そして、こうした思想のリーダーであった坂本龍馬や吉田松陰や乃木大将が現在それでも尊敬さ
れていることに符合している。』
また、ヒトラーのワグナー好きは有名である。
『ヒトラーのワグナー崇拝はリンツの歌劇場で十二歳のときに『ローエングリーン』を聴いて以来、
独裁者としてバイロイトの祝祭を取り仕切るまで、生涯変わることはない。
 ニーチェは若いころワグナーに心酔したが、ワグナーがバイロイト祝祭劇場を建設し、権力者ルー
トヴィヒ二世に近づいていくうちに、その俗物性を全身で嫌悪するようになった。だが、――興味深
いことに――ヒトラーはこうした俗物性の権化であるワグナーにぞっこんだったのである。』
こうした点が、ヒトラーには目立っているようだ。それは彼の性格の反映でもある。
『ヒトラーの性格を一言で表せば、異様なほどの「潔癖症」である。これは、異様なほどの病気に対
する恐れ、すなわち異様なほどの健康志向という形をとる。しかも、肉体の病気と精神の病気(道徳
の病気)とはぴったり一致しているのであるから、ここに彼特有の「反ユダヤ主義」が成立する。ユ
ダヤ人、それはわれわれの健康なからだに寄生する恐ろしい病原菌なのである。』
ヒトラーが天才だというのは、自分に下される客観的評価を無にできることである。これは彼が嘘を
ついているという自覚なしにそうできるということでもある。そうして自分を救うのである。
『サルトルの言葉を使えば、「形而上学的自負心」(自分が何であるか、何をしたかによる自負心で
はなく、ほかならぬ自分だからという自負心)が唸り声を上げている。ヒトラーは、この「形而上学
的自負心」の巨大な塊であった。それが、究極的には、彼の異様なほどの「成功」の原因でもあり異
様なほどの「失敗」の原因でもある。』
ポーランド侵攻とともに第二次世界大戦が勃発し、六年後の四月三十日にベルリンの地下壕で、前日
妻となったエファとともに自殺を遂げて彼の人生は幕をおろした。

「グラジオラスの耳」 井上荒野 福武書店 ★★★★
井上荒野さんは、小説家井上光晴氏の娘さんであるよし。やはり遺伝もあるのだろうが、そういう環
境に育ったのだろうなと思う。父を見て彼女なりに考えたり感じたりしたものを文章にしているのだ
ろう。ものの感じ方見方はまわりの人間におおきく影響を受けるものなのだ。もちろん本人の資質も
あるのだろうが、そういう面は遺伝ということになる。作家の子は作家になり、スポーツ選手の子は
スポーツをする。世間ではそう思われているふしがあるが、これは表層的な見方である。そうなった
人たちは知ることができるが、そうならなかった場合については通常知ることはない。実際に統計を
とってみれば、世間一般とそう変わらないという数字がでるのか、そうならないのか。私はそいいう
統計があるのかないのか知らないのでなんともいえない。だが、そう思ってみたりするのだ。本書は
表題作を含む短篇五篇の小説集である。
『自分以外の他人が向ける気持ちなどというものがそもそも幻想なのだと、間もなく気付き、他人と
かかわるということはその人間に自分の領域を侵されまいとすることだと、たとえば恋人同士という
関係でも(だからこそなおさら)そのことは例外ではないのだと気付き、それからは茅彦に対して淳
子はいつもテリトリーを守る野生の動物のように逆毛を立てていた筈である。』(グラジオラスの耳)
こうした文章を書く人は、こうした感性をもつ人なのか。読者はつい主人公の考え方や感じ方を作者
につなげてしまう。はたして、そうなのだろうか。作者は困った顔をするだろうか。それとも、して
やったりとほくそ笑むのだろうか。
『ハイヒールを履いたときの自分の足がサナは好きだった。楽天ちゃんもよく褒めてくれた。そうい
えば、ずっと昔、すぐに別れてしまったけれど説教好きな男と付き合っていて、彼が人生についてあ
れこれぶっているときはいつも、ハイヒールに包まれた自分の足の甲を眺めていた、まるで興奮した
あれみたいだとしみじみ考えながら。』(楽天ちゃん追悼)
この文章を読んですぐに思い浮かんでくるのは、ペンフィールドの大脳皮質表面のマップだ。井上さ
んはそれを知っているのだろうか。たぶん、知っているだろうな。いや、知らないかな。すこし気に
なる。

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春模様
朝早くから鳥の鳴き声がきこえてくる。
モミジにつるしたワイヤーの籠にミカンを切っていれる。
まいどどうもというようにメジロがやってくる。

N5586メジロ

すっかりあたたくなって庭では急ぎ足で花が咲きはじめている。
クリスマスローズや沈丁花、いままでとはうってかわった景色になった。

DSCクスマスローズ

9012沈丁花

梅の花もほころんできて、蜂や蝶もやってくる。

9013梅開花

あたたかな陽ざしで水温もぐっとあがっているのだろう。
メダカも水面近くにあつまっている。
なんとか厳寒の冬をのりきったようだ。
よく見ると、すこしお腹もふくらんできているのもいる。

9019メダカ

さて、今年はどういうふうにすればいいものか。
増えすぎたメダカの処遇にすこし頭が痛い。

本棚のほこり⑨
棚板にたまった埃を人さし指の腹ですくう。うっすらともやがかかったみたいな、蜘蛛の巣をからめ
とったようでもある。嫁の前で姑がすればセクハラともとられかねない行為である。そうではなくて、
本棚の前にたつとついしてしまう癖なのだ。ぼんやりしていれば、その指を口にはこんでペロリと舐
めかねない。きたないっ、といわれてはっと気がつく。そして、ほこりをじっとみつめる。この眼が
顕微鏡のようであれば、すぐさま倍率をあげ塵芥などの世界に突入していくのだがそれもできない。
ただこころのうちで想像することはできる。たちまち、以前読んだ本にあった写真やイラストがうか
にでくる。ヒトは見ているようで観ていない。だけど観ていないようで見ている。意識にのぼってき
たものだけが記憶となるなら、網膜上をきらめいては消えていった膨大なインパルスはいったいどう
なってしまったんだろう、などと指をみながら考えてみたりすることもある。

N2629ランダム読書

「考えるマナー」 赤瀬川原平・井上荒野 他 中央公論社 ★★★★
十二人の方々が読売新聞の夕刊に掲載されたエッセイの数々、なかなか趣きがあるものありますね。
なかでも井上荒野(あれの)さんの「名前のマナー」。
『私の名前「荒野」は本名である。知っている人は知っているし、知らない人は、当然これはペンネ
ームだと思っていることだろう。考案したのは私であると。少なくとも、私の意思が反映されている
と。私にとって、それは大変に心外なことだ。
 この名前をつけたのは父だ。もともとは友人の編集者に頼まれて、彼の息子のために考えた。とこ
ろが彼の家族が大反対。そこに私が生まれてきたので流用されたという経緯がある。父はそのとき三
十三歳。若い。名付け親ははじめての経験だったろう。きっとものすごくはりきったのだろう。はり
きりすぎだし、考えすぎだ、と私は言いたいのである。』
知りませんでした。申し訳ありませんでした、とおもわず言ってしまいそうである。
『とはいえ、長年かけて折り合ってきたこともあり、今は自分の名前を気に入っている。』
なかなかいい娘さん(?)ではないですか。それと「老化のマナー」でこういうことも書いている。
『老化。それは、初対面の人と年齢の話になったとき「私、いくつに見える?」という科白を吐いた
瞬間にはじまると言われている。』
そうなんだよな。気になるのかな、とくに女性は。であるからなにかでたまたま知っていたら、私な
どは二歳ぐらい若い年齢をわざと答えることにしている。相手の微妙な表情がゆかいである。ただ、
『海外では年齢よりも若く見られるということは、幼稚であると思われているに等しく、嬉しがるの
は日本人だけである、という話を聞いたことがある。』
くれぐれも、海外でそのような失敗をされませんようにご注意いただきたい。マナーといってもとこ
ろかわれば品かわる、ということがあるようなので自分の思っている常識を疑えということなのかな。
読んでみようかな井上荒野さん、おもしろそうだな、ということで読書はひろがってゆくのである。

「二度死んだ少女」 ウイリアム・K・クルーガー 野口百合子訳 講談社文庫 ★★★
元保安官のコーク・オコナーは行方不明になったシャーロット・ケインの捜索で雪に埋もれたなかを
動きまわっていた。吹雪に襲われてあやういところを間一髪助かった。そのとき不思議な体験をした。
幻のようでもあったのだが、そのおかげで死をまぬがれたのだ。そして四ヶ月近くがすぎて、雪解け
の季節になったころ雪のなかから彼女の遺体が発見された。現場検証でわかったことは、彼女が手袋
をしていなかったこと、コロナ・ビールの瓶が栓を抜かれた状態でそばに転がっていたこと。これは
なにを意味しているのだろうか。やがて犯人としてシャーロットとつきあっていたというソレムが逮
捕された。彼はコークが父の死で苦しんでいたときに温かい手をさしのべてくれたサムの姪ドロシー
の息子だった。ドロシーから助けてほしいと依頼をうけコークは真相追及にのりだしていく。すべて
の状況証拠はソレムが犯人だと告げていたが、コークは無実と信じられるものがあった。捜査のなか
で意外な事実につきあたる。シャーロットはすでに数年前に死んでいるということだった。では、こ
の事件で死んだシャーロットはだれなのだ。さらに謎は深まっていくのだった。
ミステリといっても本書はアメリカに住む少数民族(オジブワ族)の生きかたが中心にある。自然と
ともに生きる。物質だけの豊かさを求めない生き方。それと現代アメリカ的価値観があらゆる面でぶ
つかりあい、そのなかでコーク(彼もオジブワ族の血をひく)もみちびかれるようにすすんでいく。
アメリカのミステリでも異色の主人公コークが活躍というよりは生きていくなかで起こるいろんな事
件に読者は興味をひかれるのではあるまいか。

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本棚のほこり⑧
読書と図書館とは縁のふかいものである。木立ちの深い緑にかこまれた建物を想像したりする。森閑
とした空間のなかでページをくる音だけがかすかにしている。ときおり遠慮がちに咳の声がもれたり
もする。そんな世界で本を読むことが苦手である。生来の落ちつきのなさがそうさせるのだと思うの
だが、長時間おなじようにしていることができない。注意散漫、優柔不断、思慮浅薄、といった言葉
がうかんでは消える。だからか、いつも興味はあちらこちらとゆらいでいるので話もとりとめがない。
とある一節にであって、あっと思う間もなく虜になっているのだ。こどもがそうであるように知った
ことばを使ってみたくてしかがない。どうつかうのかよく知りもしないうちからなのでいつも頓珍漢
になる。そうやって恥をかいたことが数知れなくあるのだが、これも生来の無頓着でなんとも気にな
らないようだ。そんな男を約一名知っているが、さてなんという名だったか思いだせないでいる。

F8379庭のメジロ

「銃・病原菌・鉄」 上巻 下巻 ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰訳 草思社 ★★★
筆者がニューギニアで出会った「ヤリ」という政治家の質問に答えるために本書は書かれた、といっ
てもいいかもしれない。彼が瞳を輝かせてこう尋ねたのだった。
『「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギ
ニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」。それは単純な質
問だったが、核心をつく質問であった。平均的なニューギニア人の生活と平均的な欧米人の生活とに
は、依然として非常に大きな格差がある。このような格差は、世界のほかの地域でも見られる。これ
ほど大きな不均衡が生まれるためには、それなりの明確な要因があってしかるべきだろう。』
筆者はこれに明確に答えられるだろうか。
『ヨーロッパ人が、他民族を殺したり征服することができるようになった直接の要因を指摘して、ヤ
リの質問に答えようとする説もある。その要因とは、ヨーロッパの銃や伝染病や鉄器や、さまざまな
加工品のことである。これらがまさしくヨーロッパ人による征服を可能にした直接の要因であるとい
う意味において、この説は正しい。しかし、たんに直接の要因を解明し、表層的な(一段階だけの)
説明しか提供していないという意味において不充分である。アフリカ人やアメリカ先住民ではなく、
ヨーロッパ人が銃や病原菌や鉄を持つようになった究極の要因を探求しなければならない。』
われわれは単純に進歩した武器を持つものが侵略者となったと考えがちである。では実際はどうであ
ったのか。検証してみると意外なことがわかる。
『人間の死因でいちばん多いのは病死である。そのため、病気が人類史の流れを決めた局面も多々あ
る。たとえば、第二次世界大戦までは、負傷して死亡する兵士よりも、戦場でかかった病気で死亡す
る兵士のほうが多かった。戦史は、偉大な将軍を褒めたたえているが、過去の戦争で勝利したのは、
かならずしももっとも優れた将軍や武器を持った側ではなかった。過去の戦争において勝利できたの
は、たちの悪い病原菌に対して免疫を持っていて、免疫のない相手側にその病気をうつすことができ
た側である。』
また文明と、農業の発達や家畜による食料の安定供給との関係の考察も興味深い。ここでそれをすべ
て述べていくことはできない。詳しいことを知りたいと考えたならば、本書を読んでいただくしかな
いのだが、大部なので骨が折れるかもしれない(笑)。

「日本人には二種類いる 1960年の断層」 岩村暢子 新潮新書 ★★★★
『「日本人には二種類いる」
 と言っても、残念ながら「男」と「女」の二種類ではない。「1960年以降に生まれた人」と「
’50年代までに生まれた人」の二種類だ。その間には「1960年の大断層」が走っていて、今の
日本人を大きく二つに分けているという話をしたいと思う。』
という文章ではじまる本書であるが、私はもちろん「’50年代までに生まれた人」なのだ。岩村さ
んのことだからどんな切り口をみせてくれるのか興味津々で読みはじめた。二種類あるというのだか
らそれには理由があるはずである。ではそれぞれどんなふうに育てられたのかに当然つながっていく。
『1950年代半ばまでの育児書は、著名な小児科医が子供のケガ、発育状態などについて書くもの
が多かったが、’60年代に入ると児童心理学者や幼児教育学者、幼稚園や保育園の先生、さらには
お母さん自身が体験に基づいて書くものまで登場して、書き手も内容も広がっていく。’50年代の
育児書に比べると、子供の発育や病気など身体に関することより、心理面や、知性・能力の発達に触
れるものが増えたのが特徴だ。子供は身体さえ元気に育てばいいという時代から、親が子供の心や知
性・能力などの発達にも大きな関心を向ける時代になってきたからだ。』
とにもかくにも戦後の混乱期をへて、社会はやっと落ち着きをとりもどした。子育てにも目が向くよ
うになってきて、それが日本では過保護とも思えるものにもなっていく。
『子供の大学受験会場に同伴する親と子供に暴力を振るわれる親は、」いずれも子供中心に転換した
’60年以降の家庭に発したものだと思う。
 そして当時の親たちは、いま孫の入学式や卒業式に列席するようになっている。家庭内暴力は減っ
たが、大学受験も入社試験も今では親がかりで、結婚後もいつまでも「してあげたい」親と、「して
もらいたい」「してもらうのが当たり前」と思う「’60年型」の親子関係は、既に一般的なものに
なりつつある。』
そこで思いだすのが、’70年に流行語となったのが「スキンシップ」。やたら子どものご機嫌をと
ったりして、それがうっとうしいと嫌われたりもした。
『’79年以降、ウォークマンやヘッドホンで、外界との余計な関わりやノイズを遮断して過ごそう
とする若者が登場するが、それも’60年以降生まれの人々と重なっている。』
そうした反動だったのだろうか。針はあっちこっちと揺れ動くようである。こうして「食のインスタ
ント元年」と言われた’60年から、ちょうど10年目の1970年を食品業界では、「外食産業元
年」と呼ぶ時代へとつながっていく。
『年配者は、よく「いまの人のことは解らない」と言うが、断層のあちら側とこちら側では基本的な
体験が違うのだ、と私は思う。』
つまりは世代の断絶なのであるが、こうしたバックグラウンドのちがいがあるようですね。

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

ラベンダーマン
いつものように乗換駅で向かい側のホームの始発電車に乗った。
車内の乗客はまばらである。
座って本を読んでいると、まもなく発車ベルが鳴りだした。
駆けこんできた人が隣に座った。
ちらりと視界にはいったのは、うすいラベンダー色のコート。
ふちどりに白いボアがついているようだった。
そのときは女性かなと思ったが、気にすることもなくそのまま本を読んでいた。

ページを繰るとき、それにつれて左側に視線が動く。
そのとき、コートの下にある脚がみえた。
素足だった。
白く短いストッキングもみえた。
えっと一瞬思ったが隣をみる勇気はなかった。

主要駅に着いておおくの乗客が降りていった。
他の席があいたようで、隣の人物は斜め向うへと移動した。
それでもそちらを見ることははばかられた。

次の降車駅で出口扉にむかうとき、何気ないようにあちらをみた。
座っていたのは四十代ぐらいの気難しそうな顔の男だ。
うす汚れたラベンダー色のコートと、はだけた前からみえる素足が印象的だった。

前にも似たようなことがあったかもしれない。
「ラベンダー」と「エキセントリック」が同じカテゴリーになった。

N5534手水舎の龍


宮古島紀行 後篇
三日目は、島の西部にある来間島へこれも橋を渡る。宮古島のまわりにある伊良部島、下地島、池間
島、来間島すべてが橋でつながっている。これら宮古島市全体で人口は五万四千人あまりという。で
あるから、これらの橋は政治の匙加減でつくられているのであろう。そこに沖縄全体の現状が見えか
くれするようで、また哀愁もある。車で走っていると、さとうきび畑がつづく。歌がどこかから聞こ
えてくるようだ。近年は、熱帯性の果実の栽培もすすんでいるようである。マンゴー、ドラゴンフル
ーツ(これは友人が宮古島産のを送ってくれたことがある)など。ほかにはやはり観光産業というこ
とになる。夏はいいが、冬はどうする。さて、宮古島はこれからどうなっていくのだろか、余所者な
がら気になるところだ。

N5432来間大橋

展望台からはるかにひろがる海をながめる。自然はなにも語らない。陽がさし風がふくだけである。

N5453みぎわの鳥

きれいですよ、と教えていただいた前浜ビーチにやってくる。白くてきめのこまかい砂浜が何キロと
続いている。はだしで歩いている人もおおい。寝ころがっていると、海のなかにいるような気分にな
るのだろうか。波の音と風につつまれて。

N5443前浜ビーチ

旅とはいろんなところで昼寝をすることだ。うつらうつらしながら、いろんな夢をみるだろうさ。目
覚めておおきく伸びをすれば、気分がかわっていることに気がつくはずだ。きっと細胞が入れ替わっ
てしまったんじゃないか。古い細胞は古い記憶とともに消えてしまった、ということにならないかな。
しかしもう旅の目的はたっしたも同様なんじゃないか。

N5452寝ころぶ

気がつくと、いつも岬とか灯台にたたずんでいたりする。今回もやってきたのが、東平安名崎という
ところ。海の色はやはりエメラルドブルーというのだろうか、波もよせていた。やはり岬は旅愁がわ
きおこる場所だ。もちろん、サスペンスドラマのかっこうの舞台でもある。

N5470東平安名崎

そして琉球泡盛の多良川へ。洞窟のような場所に泡盛をねかせてあるのだという。ここは案内付きで
見学させていただいた。有名な野球選手の名を書いたものもあった。

N5501貯蔵庫

はやくも帰る日になった。これは「ジンベイザメ」をあらわしているのだそうだ。みなさん写真を撮
っておられました。

N5526じんべいざめ

今回のツアー(三泊四日)は、早くに予約したこともあって安くなりました。往復の飛行機運賃、四
日間のレンタカー料、三泊分のホテル宿泊代金(食事なし)込みで、ひとり37500円でした。ま
た機会があれば南西諸島を訪れたいです。

N5507ホテル遠景


宮古島紀行 中篇
さらに北上して池間大橋をへて池間島へ。中国か台湾、それとも韓国からだろうかツアー客がたくさ
ん橋のまわりにいた。みなさん楽しげである。そうだ、この地は東京、大阪よりもはるかに台湾のほ
うが近いのだ。そう気がつくとあたりまえの光景にみえてくる。

N5423池間島大橋

沖縄のいろんな島では塩づくりがさかんである。塩化ナトリウムの味になれた人びとにはその味が魅
力的でもある。ミネラルを豊富に含んだ海水からつくられる塩は観光客に人気である。雪見塩と名づ
けられていた。塩アイスクリームというのを食べてみる。なかなかの美味である。塩味が甘さをひき
たてるというのだろうか。

N5430雪塩製塩所

しばらく海をながめている。海の色も微妙にだがすこしづつちがっているように感じられる。

N5473エメラルドブルーの海

早めにホテルへもどり、ちかくの食堂兼居酒屋「キッチンみほりん」へ。店内はすっきりと清潔で、
料理もおいしいし、なかなか感じがいい。ネットでみかけた「紅芋のてんぷら」を注文したが、あい
にく入荷がないということだった。残念だがしかたがないとあきらめ食事をしていたが、なんと少し
しかないですがと、サービスでだしていただいた。こういうことがあると、旅がさらに楽しくなるし、
宮古島の印象にも好影響与えるだろう。大阪でも食べたことがある「海ぶどう」を注文してみた。な
んと、おどろくほどの量が盛られていて、うまさとともに感激するのである。まあ、かるく三倍以上
の量はあったから、献立表の値段だけではわからないものである。夜は更けていくのだが、これでは
泡盛がすすむしかないでしょう(笑)。(写真撮り忘れました)

N5512ホテル・ブリーズ・ベイマリーナ

ホテルの部屋にもどってまたひとしきり飲んだ。なんだか時間がゆっくりとすぎてゆくような、そん
な錯覚につつまれてしまっているようだった。

N5456ハイビスカス


宮古島紀行 前篇
寒さをのがれて南の島に行ってきました。何年か前にも一月に八重山諸島へ行ったのですが、そのと
きは思いのほか寒かった記憶がある。西表島の方からふだんは泡盛もロックか水割りなんですが、お
湯割りにしましょうか、と苦笑しながら言われたことが思いおこされる。そんなことがあったので、
気象情報は事前にチェックしていた。おおむね最高気温が20℃前後で最低気温が10℃をしたまわ
ることはない、との予備情報だった。

午後からの関空発で那覇経由で宮古島へ。便の遅れもありレンタカーを借りてホテルに到着したのは
もう外は暗くなっていた。予約時はホテル・ブリーズ・ベイマリーナの本館、タワー館、本館という
予約だったのだが、海の見える広々とした部屋のタワー館で三連泊できることになった。当然タワー
館のほうが高かったのだが、三連泊するということでご配慮いただけたのかなあ、と感謝。

さて二日目は、昨夜調べておいたカフェで朝食をとる。ここ宮古島で思ったのだが、なぜかコーヒー
がなま温い気がする。暑い地方なので、アイスコーヒーが主流なんだろうか。すこし、疑問が残った。
でもここでいろんな観光情報をしいれていざ、今年一月に開通した「伊良部大橋」をめざして出発だ。

N5345ダッジコーヒー

頑張って自転車で渡る若者もいます。新聞の取材だったんでしょうか(笑)。

N5351伊良部大橋

N5354伊良部大橋遠景

とある展望台で地元の方との会話。
「こちらの桜の種類はなんでしょうか」
「寒緋桜ですね。沖縄では南からではなく、那覇がいちばん先にサクラが咲くですよ」
「でも、もうサクラの季節は過ぎようとしていますね」
「これからはユリのシーズンですよ」

N5375リュウキュウアサギマダラ

ふーむ、同じ日本でも季節の移り変わりはちがうのだ。
桜に蝶、なかなかいいではないですか。伊良部島から下地島へとめぐる。

N5386うなうさぎバナタ

途中、カフェの方に聞いた「砂山ビーチ」では若者たちがにぎやかに楽しそうにしていた。。
どうしてこう海の色がちがうのだろう。
やはり島旅はいいもんだと思う。

N5409砂山ビーチで

N5410宮古島の海




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ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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