ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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尾道友愛山荘ものがたり(40)
 <第八話>風神雷神 その五

「まあすこし飲んだらどう、どんな感じがするんでしょうか」
「あったまる、てえ感じですね」
「ひさしぶりだわ、お酒飲むなんて」
「たまにはいいもんですね、こころの緊張がとけていきますから」
「いつも飲んでるじゃないですかあ」
「そうよねえ、ムッシュってアルコール中毒じゃないの」
「そうかもしれないなあ、悲しいさがなんや。
どこかのだれかみたいに恋愛中毒じゃなくて、まあこれはこれでさいわいでした」
「もお喧嘩しないの、お話聞こう」

 すこし飲んで、からだのなかから温かくなって、それから話をしようか。
たいした話じゃないけど、この世のなかにはいろんなことが起こっているのである。
それを大変なことと思うのか、わたしには関係がないと考えるのか。
じつはすべてのことがらがたがいになんらかの関係をもっているのである。
関係という集合は、無関係を含んでいるのだからといってはいけないのだろうか。
それはアプリオリに与えられたものだ、と強弁してもいいだろう。
そのすこし関係のあるかもしれない話をはじめてみよう。

「その友人が、もちろん男なんだが、こんなふうに人って変わっていくんだなあって。
大学の休みのときに、ふらっと旅に出たくなって適当に着替えなどザックに詰めて家をでた。
季節は夏だったし、足りないものがあれば旅先で調達すればいいやっていう気楽な気分だったとか。
どこへ行くか、それも決めてなくてとりあえず駅まで行ったんだって。
しばらく構内のポスター旅行会社のパンフレットなんか見ていたら、あることに気づいたんだという。
母方のお祖母ちゃんがたしか九州出身だと言っていたなあ、じゃあ九州にしようかと。
九州のどこだかはそのときは思いだせなかったけど、均一周遊券をもって夜行の急行列車に飛び乗った。
車内はガラガラでゆっくり眠れそうだと思ったらしい。
駅で買ったウィスキーの小瓶をちびりちびり飲んでいるうちに眠ってしまった。
夢を見たんだって、そのお祖母ちゃんのでてくる夢を。
そのころはすでにお祖母ちゃんは亡くなっていて、なんだか懐かしかったらしい。
夢のなかでふるさとは何処だったかお祖母ちゃんに聞いたが、答えてはくれなかった。
でもそんなに気にならなかったし、そのうち思いだすだろうと考えたんだという。
海の見える景色がひろがっているところにいつかぽつんと立っていた。
するとなんだか知らないが哀しい気分になってきた。
そこでいちど目がさめたが、またいつのまにか眠ってしまっていた。
つぎに気がついたら朝になっていて、外をみるとどうやらすでに列車は九州を走っているようだった。

 つぎにとまる大きな駅で降りようと決めた。
そこは大分駅で、降りてすこし歩くとお城があったのでしばらく休んでまた駅にもどった。
ここからは豊肥線に乗り換えて、名前を知っている豊後竹田までいった。
ユースホステルに電話したら、泊まれるっていうのでひと安心した。
岡城址までいくと、夕暮れを背景にしてたくさんのカラスが木にとまりシルエット状にうかんでいた。
とくに怖いとは感じなかったから、しばらくカラスの鳴き声に耳をかたむけていた。
立ちあがるとカラスたちはぱっと飛び立ち山のほうへとむかったそうだ。
その夜は疲れていたんだろう夕食をとって風呂にはいったらすぐに眠ってしまった。
泊まりあわせたひとたちも数人で、とくに話もはずまなかった。

 ところが夜中にふと目が覚めた。あたりはシンとしている。
尿意をもよおしたので、薄暗い廊下をスリッパのピタピタという音をさせながら便所にいった。
そのとき闇をとおしてホトトギスの鳴く声が聞こえてきた。
夜に鳴く鳥がいるとは知らなかったので、最初はギョッとした。
しばらく聞いているうちになんだかもの悲しい気分になってきた。
ベッドにもどってからもしばらくはホトトギスの鳴く声が聞こえてきたのだ。

 それから熊本から久留米、そして長崎、さらに佐世保へと旅をした。
佐世保から平戸へとむかう列車で通学の高校生たちにであった。
そのなかのひとりの女子高生がそのときはわからなかったが、なぜだか気になった。
美人だとかいうことではないのだが、なんだか気がつくと彼女を見ているのだった。
まあ明るい感じはしたが、とくにこれといって特徴があるような高校生ではなかった。
どうしてだろうと思ったのでよくよく見つめていると、笑顔だがほとんど話さないのだった。
数人で楽しそうにしているから、仲間はずれになっているということでもなさそうだ。
とある駅で彼女は降りた。そのときやっと彼女が言った。
「サヨウナラ」
そのことばの音の調子を聞いて彼は知った。彼女は耳が聞こえないのだと。
でもあんなに明るくふるまっていたし、まわりの友だちもみんなふつうに接していた。
 そのとき彼は思ったんだって、おれってなんなんだと。
うまく表現できないけど、生きていくってこういうことなのかと気がついた。
どう生きようとおれの人生なんだけど、やっぱりよく生きたいよなあ。
よく生きるってのは、なんというのかまあやれるだけのことはやるってことかな。
それにいままでよく言っていた不平不満はできるだけやめよう。
このできるだけってところが、おれの現状を言い得てるよな。
そう言って笑っていたけど、なんとなくわかるような気がしたものだ。
 そこから平戸までは、また寝てたんだって。よく眠るやつだ。
また祖母ちゃんの夢を見た。ただ笑っているだけだったけどなんか安心したって。
気がついたら目尻に涙がにじんでいたんで、ちょっと恥ずかしかったらしい。
 で、いまはどうなんだと聞いたら、あんまり変わってないかなって言ってた。
でも気もちはいつもあるよって。だからやっぱり全然ちがうんだって。
人生ってすてたもんじゃないよな、とも言ってましたねえ。
全然意味わからんやないかと返したけど、わかるような気もするから不思議なもんだ」

「そうよね、旅っていろんなことに遭遇するんだよね」
「そうそう、いろんな人にも出あいますしね」
「いい奴ばかりじゃないけどな」
「でも、ほんとうはいい人かもしれないじゃない」
「それって、おれのこと?」
「そうねえ、いい人ではなくて、悪い人じゃないってところじゃない」
「なんか微妙だな」
「そうですよ、ムッシュは悪い人ではなくていい人でもない」
「ということは、どちらでもなくコウモリ男かおれは」
「いいんじゃないの、英語でいえばバット・マンでしょ」
「おお、それなら納得できるかもな」
「単純な男、ほんとに」
「シンプル・イズ・ベストということですか」
「屁理屈だけは天才的よね」
「じゃあ、屁理屈男にカンパイですね」

 いつしか風雨も弱まってきていた。そうなのだ、やまない雨はないのである。
それぞれの人生を輝けるものにするのは、それぞれの生きかたにかかっているのだ。
金のようなきらめく人生になるのか、鉛のように重く沈んだ生きかたをするのか。
これからぼくたちにはどのような人生の旅をあるいてゆく運命がまちうけているのだろうか。
若きアルケミストたちにさいわいの風よ吹け。深夜の宴はなおもしばらく続いた。

F0021尾道駅


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尾道友愛山荘ものがたり(39)
 <第八話>風神雷神 その四

 手もちぶさたなので、いつものことながら酒でものもうぜ。
「サンペイちゃん、焼酎でも飲まへんか」
「そうですね、すこしあったまるものがいいですよね」
「そうなると、お湯割りだな」
「お湯をわかしてポットもってきます」
「悪いな、つまみかなんかないかなあ」
「夕飯のおかずがすこし残ってますよ」
「おれもザックにスルメがあった気がするわ」

 さてと、準備もできたし、いっぱいやりますか。
というところにヒロミちゃんも風呂からあがってきた。
髪をふきながら、すこしすっきりとした顔をしているようだった。

「あらっ、わたしも飲みたい」
「いいけど、体調はだいじょうぶかいな」
「うーん、なんだか治ったみたい、ふふっ」
「なにがおかしいんや」
「だって、お酒の用意ができているのをみてそう言うのって調子よすぎるかなって思ったの」
「いいじゃないですか、人数がおおいほど楽しいですよ」
「そうそう、男同士よりも女性がいるほうが場がもりあがる、ちゅうもんや」
「あらっ、わたしも女のうちに入れてもらえるんでしょうか」
「そう皮肉ばかりいわんでもええやないか」
「そうね、お酒はたのしく、でしたわね」

「では、乾杯しようか」
「なにに乾杯するんですか、ムッシュ」
「そうよ、なにかいいこと言ってね」
「では、僭越ながら吾輩が乾杯の音頭をとらせていただきます。
ひとの世には女と男しかおりません。
たがいにいがみあうようなフェミニズムではなく、なかよく生きれるフェミニズムに乾杯!」
「そうよ、人間社会は女が中心なんだということを忘れないようにね」
「母性社会日本、バンザイ!」
「ほんとうにそう思っているの?」
「思ってますよ」
「そう、ではおひとついかが」
「これはこれは、恐縮至極にござりまする」
「ぐいっとまいれ、苦しゅうない」
「ははーありがたきしあわせ」
「なにやってるんですか、まだ飲んでもいないのに」
「こういうふうに人格を変えて、リラックスするんやがな」
「演技しないと飲めないんですか」
「なんか微妙に緊張感があるんやな」
「まさか、わらわがその因ではなかろうな」
「滅相もない、持病のようなものでござりまする」
「ならよいが、ご自愛めされい」
「あー、うっとうしい、ふつうにやりましょうよ」
「わかったわかった」
「そうよね、疲れるわよね」
「そうですよ、やめてください」

「じゃあ、お酒の効用とはなにか、なんてどうや」
「適度な飲酒は血行がよくなる、とかですか」
「そんなのおもしろくないわよ。それよりなにか失敗談があるでしょ、ねえムッシュ」
「そらないこともないというか、失敗の連続やがな」
「それそれ、それでいきましょう」
「サンペイ、おまえもあるやろ」
「うーん、記憶にないんですけどね、ほんとに」
「もしかして若年性アルツハイマー?」
「そんなわけないでしょ。忘れてしまいました、ということです」
「ああ、言いたくないということやな。しゃべればすっきりするのに。
ふるさとでおふくろさんが泣いているぞ、なあサンペイ自白して楽になったらどうだ」
「いつのまに刑事になったんですか、性質悪いです」
「もうなんでもいいわ、お酒にまつわる話なら」
「やっぱりムッシュからしてよ、最初なんだし」

4023玉の岩

「わかった、じゃあ話しましょうか」
「じつは他人から聞いた話なんですが…」
「それってたいてい自分のことですよね」
「それがそうじゃなくて、ミイちゃんから聞いた話です」
「それなら、分かるわ」
「ミイちゃんが知り合いの女性の部屋にお邪魔したときのこと。
たしか東京に住んでいるときの話だったと記憶しております。
友人宅にお邪魔しているとき、その友人に友だちから電話がかかってきた。
長くなりそうだと彼女も思ったらしく、ミイちゃんにこれでも飲んでいてってボトルを渡したんだって。
予想通り長話しになっていたようで、すこし経ってから『もう帰るよ』ってミイちゃんが言うと。
『だから、それを飲んでいてって…』と言いつつふりかえっておどろいた。
『あんた、それ全部飲んじゃったの』
と空になったウィスキーのビンを見て絶句。
ミイちゃんはそれまでウィスキーを飲んだことがなかったらしくて。
ふつうにジュースでも飲む要領で飲んでしまったんだって、まるまる一本。
それも水割りとかじゃなくて、氷をいれただけのロックで。
『帰る前にちょっとお手洗い貸してね』と言ったが。
トイレに行こうと立ちあがろうとすると、腰が抜けたようになっていて立ちあがれなかった。
しかたがないから、這ってトイレまで行ったのよ、とミイちゃんは笑っていた。
しかし、知らないということはおそろしいね。ハッハッハ」
「すごいわねえ、でも酔っぱらわなかったの」
「それが、すこし酔ったかな程度だったらしくて、でも腰が抜けたのには参ったって」
「さすがミイちゃんだよねえ」
「恐れ入谷の鬼子母神、ってね」

「こんどはムッシュの実話お願いね」
「それがねえ、とある友人にあったこんな話があるんだけど、聞く?」
「とある友人ねえ、なんか怪しいけどいいわねサンペイちゃん」
「いいですよ、とある友人の話」

 いつのまにかすこし雨風も弱くなってきたような気がした。
それでも外は闇の世界だし、この部屋だけが浮きあがっているような、隔離されたような。
若いときにはそういうふうに感じることがあって、すこしづつなにかの核心に近づいていくのだ。
そのなにかが分からないもどかしさが、青春期特有のものなのかどうかそれもわからない。


尾道友愛山荘ものがたり(38)
 <第八話>風神雷神 その三

 なにを騒いでいるの、とサンペイがやってきた。
できましたよ「お好み焼き」が、と皿をさしだした。

「なに、これ?」
「なにって、お好み焼きですよ」
「えっ、ホットケーキかと思った」
「そうかなあ、粉多すぎたのかな…」
「なんだか、ずっしりしてる」
「いいじゃないの、おいしいかもしれないわ」
「そうやな、味だもんな」
「ちょっと、自信ないかもしれません」
「じゃあ食べようぜ」

 これがとてつもなく、粉っぽいのだ。
軽快なふわふわ感などはないし、じつに食べづらい。
だが、それを言ってはおしまいだから知らずしらずに顔がひきつってくる。

「どう、おいしい?」
「まあまあやな、はっはっは」
「やっぱり、おいしくないよね」
「そやなあ、粉いれすぎとちゃうか」
「全然分量がわからなくて…」
「ええやないか、これもまた経験ちゅうことで」
「そうよサンペイちゃん、頑張ったんだから」
「あまいなあヒロミちゃんは」
「どうしてよ、いけないの」
「そうやって甘やかすから成長せえへんのや」
「じゃあ、どうすればいいの」
「悪かった点を指摘しなきゃ、今後どうしたらいいかわからへんやろ」
「それなら、ムッシュがいえばいいじゃない」
「えっ、おれ。いやあ、困ったなあ」
「それみなさい、自分ばっかりいい子になろうという魂胆なんだから」

 そうかもしれない。いつも中途半端なんだおれって、と反省した。
食べてしまえばおなじじゃないかと言おうとしたが、やはり無理があると思いなおした。
もうすこしお腹がすいていれば食べられるかもしれん、などと思うが…。
そういった空気を察したのか。

「おれっちが全部食べるからいいよ」
「だめよ、サンペイちゃん。ムッシュも食べなさい」
「はいはい、食べますよ」
「もっと、おいしそうに食べなきゃだめよ」
「そうだよね、ヒロミちゃんが作ったと思って食べればいいんだよな」
「それてどういう意味なの?わたしが怖いってことかしら」
「いやあ、そういうことじゃないんやけど」
「失敗は成功のもと、っていうじゃない」
「つまりはまずいと認めているわけやな」
「いちいち人のあげ足とって、嫌な性格よね」
「まあまあ、おふたりさんとも喧嘩しないで、仲よく食べましょう」
「だから、おいしくないんだよ」
「おなかにはいれば、なんでもおなじですよ」
「って、サンペイが言うなよな」

6624お好み焼き

 そのあいだも外では激しく雨がふり、風がゴウゴウと渦巻いているようだった。

「なんだか寒いんだけど」
「雨に濡れたせいかなあ」
「おれはどうってことないけどな」
「ムッシュは関係ないでしょ」
「わたし、なんだかぞくぞくしてきちゃった」
「お風呂沸かしますよ、ちょっと待ってて」
「ごめんね、サンペイちゃん」
「やさしいなあサンペイは、だれに対しても」
「ひとこと余計です、いつものことだけど」
「ただあなたのやさしさがこわかった♪、なんてね」
「はいはい、わかりました」

 ヒロミちゃんはなんだか急速に元気がなくなっていった。
雨にぬれたりしたから風邪をひいてしまったのだろうか。
すこし不安になったのでおでこにそっと手をあてたら、とても熱かった。

 体温があがるというのは免疫反応だからとくに心配することではないという。
細菌やウイルスはおおむね熱に弱いからだ。
だから体温をあげてやっつけてしまおうというのである。
ということは無理に熱をさげるてはいけない、ということになるのだろうか。
とはいえ、苦しそうな表情をだまってみていられるはずもない。
そんなこんなで頭のなかは右往左往するばかりであった。

「風呂が沸いたよ、ヒロミちゃん入ったら」
「ありがとう、温まったらすこしはよくなるかもね」
「そうやなあ、ゆっくり入っといで」
「じゃあ、お先に」
「部屋に布団もしいておくからね」
「サンペイちゃん、ほんとにありがとう」
「ええ場面やなあ」
「ムッシュ、ちゃかさないでください」
「おう、悪かった」

 けだるそうにしながらもヒロミちゃんはそっと席をたった。
彼女がいなくなると、なんだかそこだけぽっかりと空間ができたように感じた。
ひとりでは、盛りあがるもなにもない。ふたりだと、なんだか気づまりのこともある。
三人だと三すくみということもあるが、鼎は三本でしっかりと地につくのだ。
と述べてみたところで雰囲気はかわらず、男どうし顔を見あわせて、なんとなく溜め息をつくのだった。
空気の成分が急激に変化したようで、妙に息苦しくも感じられた。
外ではあいかわらず強く雨が降るのだが、部屋のなかは逆に静かになっていった。


尾道友愛山荘ものがたり(37)
 <第八話>風神雷神 その二

「なにしてるの、ムッシュ」
「水滴が落ちていくのを見ているだけや」
「よく降っているわね」
「台風やからな、しかたがないわ」
「どこにも行けないわね」
「どこか行きたいところあるんか」
「べつに、ないけど」

「ヒロミちゃんなあ、毎日楽しいかあ」
「急にどうしたのよ」
「なんかなあ、嫌になってきた」
「なにが?」
「なにもかもや」
「そうなの、わたしも楽しくばかりはないわね」
「つらいこと、あるんかあ」
「そうじゃないけど、でもねえ、ときおりどこかへ行きたくなるのよ」
「女のひとでもそういうことがあるんか…」
「そうよ、放浪って男だけのものじゃないわよ」
「でも、どこかへ行ったらそれですむ、というものでもないやろ」
「そこよねえ、またべつの寂しさもあるものね」
「だったら、どこへ行っても解決せえへんちゅうことや。
そやけど、それやったらどこにも行かんでええ、ということにはならへんねんなあ」
「そうよ、なにもしないでムッシュのように考えてばかりいては駄目」
と笑いながら軽くまばたきをした。
なんとなくすこし気が楽になったような気がした。

N6292雨だれ

「この世のなかには、男と女がいるやろ」
「そりゃあ、あたりまえのことよね」
「それがなあ、なんというのか面倒臭いんやというか、嫌になる元凶やな」
「えっ、なに、また失恋でもしたの」
「ハッハッハ、またはないやろ」
「だって、ムッシュをみてたらすぐわかるわ。単純なんだもの、あきれるぐらい」
「そうかなあ、これでポーカーフェイスだと思っていたんやけど」
「いいじゃないの、正直なんだから、フッフッフ」
「あのなあ、失恋はまだしてません」
「いつするの?」
「いつって、だれが期限を決めて失恋するんや」
「冗談よ、でもムッシュといいサンペイちゃんといい、ほんとこりないわねえ」
「こりるとは、どいうこと?」
「いつもおんなじパターンで失恋してない?」
「う~ん、確かにサンペイはそういうところあるなあ」
「灯台もと暗し、よね」
「隣の芝生は青い、とか」
「それって、ちがうんじゃない」
「じゃあ、隣の客はよく柿食う客だ」
「まあ、もう元気になってきた。立ち直りが早いわね」
「それだけが取り柄です」
「で、また恋してふられるのね」
「ほっといてくれ、そういうヒロミちゃんはどうなんやねん」
「わたしは、…」
急にことばにつまったりして、どうしたんだろう。

「ごめん、訊いたりして悪かった…」
「ちょっとお芝居してみただけなのに、ほんとに純情ねえ」
「これやから女は嫌や」
「そうじゃないでしょ、もっと文脈を読まなくちゃ」
「どういうことかわからん」
「もう、いいわ。わたしはすごくもてるから心配いらないわよ」
「もてるって、そうなんか」
「知りたい?」
「いやあ、べつに知りたいわけじゃないけど…」
「ないけど、なによ、はっきり言いなさいよ」
「そんな怒らんでもええやないか」
「怒ってなんかいないじゃないの」
「はい、そうですね。知りたいです、拝聴したいです」
「最初からそう素直に言えばいいのよ」
「なんで、こんなことで怒られなあかんねん…」
「なにぶつぶつ言ってるの」
「すんません、ふー」

 そこからヒロミちゃんはこんな話をするのだった。
晴れ着の友人と連れだってどこかの神社へ初詣に行ったときのことだそうだ。
アメリカかどこか白人の外国人が写真を撮らせてくれというのだ。
わたしによお、だから着物姿の友人をすすめるんだけど、わたしが撮りたいんだって。
着物姿を撮りたいのではなく、わたしそのものを撮りたいってことでしょ。
これって、もてているっていっていいんじゃない、というのだ。
そういわれて、彼女をしげしげとながめてみる。

「ふーん、なるほど」
「なにがなるほどなのよ」
「ヒロミちゃんて、日本人離れしている」
「そうかなあ、そういわれると悪い気はしないわね」
「えっ、どういうこと」
「ほめてくれているんでしょ」
「ほめるというか、ただたんに印象を言うてるだけやけど」
「それがほめているってことなんじゃないの」
「日本人離れって、ほめことばになるのかなあ。
それやったら、日本人だということがマイナス評価になってる。自虐的的やなあ」
「そういわれればそうだけど、日本人離れはほめことばなのよ」
「ヒロミちゃんの場合はそうかもしれない」
「でしょ」
「なんだかギリシャ彫刻をみてるみたいな感じ、色も白いしね」
「ちょっとほめすぎなんじゃない、なんか魂胆あるかんじよね。
でも、やっぱりミロのビーナスってことよね。」
「というよりは、アグリッパかな」
「それってだれよ」
「ギリシャの勇猛な武将やんか、知らへんの」
「男じゃない、わたしが男勝りっていいたいの」
「そんなことないな、女らしいよな」
「もう遅い、ムッシュっていつもそうよね、失礼なひと」
「ではなくて、正直なひとではありませんか」
「そうよね、バカ正直で無神経の唐変木よ」


尾道友愛山荘ものがたり(36)
 <第八話>風神雷神 その一

 日本の夏につきものの風物詩、そのひとつが台風である。
いやなものだが、怖いもの見たさのような楽しみがあったこともたしかだった。
だから、あえて風雨のなかにでかけて行くというようなことさえした。

 そんなおりヒロミちゃんが夏休みをとって尾道にやってくるという知らせが伝わった。
やってくるという日にあわせてかどうかは知らないが、台風もいっしょにやってきた。
といっても、やってくる方向はたがいに逆だからそう言い切ってしまうのは正確ではない。
どうやらここ尾道で鉢合わせしそうな感じにもなってきたのである。
でも、たいへんな天候をついてやってくるのだから迎えにいこうかとも思う。
顔をあわせるといつもけなしあってばかりいるのだが、それでもいないとなんだかつまらない。

 その日は朝から天候は荒れ模様だった。
坂の町尾道は狭い路地がくねくねとどこまでも続いている。
ふった雨がその道を急流のように、曲がり角では白いしぶきをあげながらくだっていく。
風もふきつけるのでポンチョに身を包んで、ひたすら足元をみつめて歩いた。
家々の屋根からも雫がほとばしり、それが眼にはいって景色がにじんだりした。
アーケード通りの店々はシャッターをおろし、ときおりの風に鉄音を鳴らした。
雨まじりの風が吹きぬける商店街はひっそりとして人通りもまばらだった。
駅の改札口で待つことしばらく、ボストンバッグを手にヒロミちゃんはあらわれた。

4017尾道アーケード街

 おどろいたような顔をして。
「どうしたのムッシュ」
「どうしたのって、迎えに来たんやないか」
「わあ、どういう風の吹きまわし」
「そやから、台風になったちゅうことや」
「なに言ってるのよ」
「それよりふつうは、どうもありがとうって言うもんや」
「そうでしたわね、ありがとうムッシュ」
「なんやこそばゆいな、第二弾があるんちゃうやろな」
「いいえ、さあさあ行きましょう」

 とぼくの腕をとるから、ふりはらうのもなんだし、しかたなくそのまま駅をでた。
あいかわらず流れおちてくる雨水をよけながら、土堂小学校の横をゆっくりとのぼっていった。
はるかに向島の造船所群を見下ろしながら、なおものぼり続けた。
ヒロミちゃんは傘をさしているのだが、風まじりの雨だからあまり役にはたたない。
ときおり風にあおられて傘がめくりあげられそうになっていた。
それを必死におさえつけて歩かなければならなかった。

「疲れるわねえ」
「ほんまになあ、ヒロミちゃんはだいじょうぶ?」
「わたしはだいじょうぶよ」
「そうかあ、都会育ちのわりには元気やなあ」
「でも、足元がぬれてびしょびしょよ、気持ち悪いわ」
「もうすこしだから、頑張ろう」
「そうね、でもおなかもすいたわ」
「そうや、サンペイがお好み焼きを作ってくれるって」
「わあ、うれしい、早く行こう」
「現金やなあ~」

 やっとのことで玄関に到達した。

「サンペイくん、ついたでえ」
「サンペイちゃん、お好み焼きできた?」

 どたどたと走ってきたサンペイが言う。

「お好み焼きって?」
「あらあ、ムッシュがそう言ってたもん」
「まだですよ、いま粉をねっているところです」
「じゃあ、手伝おうかな」
「そうしてくれる、助かるなあ、おれってお好み焼きつくるの初めてなんだよ」
「えっ、そうなん。関東もんどうしでだいじょうぶかいな」
「だいじょうぶよ、ねえサンペイちゃん」
「まあ、ね」

 窓から外をながめると、なおもはげしく雨が降り風が吹きつけてくる。
そのせいか暑さもやわらぎ、雨にぬれたことともあいまって寒いくらいだった。
焦点を手前にもどして、ガラスをつたっては落ちてゆく水滴をしばらく見つめていた。
へばりついている水のかさぶたは、ちょっとしたことで合流してあっというまに落ちてゆく。
ときおりは指でなぞって流れをぼくがつくったりもした。
はてしなく繰り返される流れからどうしても目を離すことができないでいた。
こころのうちになんだかしらないが焦燥感がゆっくりとひろがっていった。

 時はながれ記憶は降り積もる、などというからそう思うだけなのかもしれない。
じりじりとなかなか時間がすぎてゆかないと感じることがある。
そうかと思えば、それこそあっというまに時計の針がすすんでしまっているという経験もした。
これはどういうことなのだろうか、時はながれるものではないのではないか。
すりへる石鹸のようなものだとしたらどうだろうか、使えば使う分だけ減っていくのだ。
だが人は自分が時間をつかっているということを考えもしないでいる。
浪費家は浪費していることに気づかないからこそ浪費家であるといえるように。
記憶のなかに住んでみれば、蓄積する記憶などないことがわかるだろう。
憶えていると思うのは、すべて連想、想像のたまものでしかない。
たがいにネットワークを形成した記憶は容易に変形することができるのである。
人は記憶したいことだけを記憶し、都合のいいように記憶をかえていく。
しかもそれが無意識のうちに進行しているとしたらどうなんだろう。
ヒトの意識などたわいもないと嘲笑っている輩がどこかにいるようにも思えるのだ。
 そうであるかもかもしれない、そうしていたのだろうか、それでよかったのだろうか。
思考はいつも生きるとは正反対の方向へとむかってはぼくに後悔の念を感じさせるのだった。
ときおり閃くようにたちあらわれる光景は、いったいなにを語っているのだろうか。
悔むぼくをながめるぼくはいつしか無感覚なヒトになってゆくのだろうか。
そうして人はなにかを忘れるのではなく、人生の耐性を獲得するのだとでもいうのか。
どうせちっぽけな生物にすぎないこのぼくなのに…。
だけどそれでも生きているからにはなにかを感じ、すべてを呼吸していくのだろうな。


級友の読書
工業高校だったせいもあるかもしれない。クラスメイトに読書が好きそうな連中はいそうもなかった。
ぼくも休み時間に本を読むなんていうことをしなかった。それがあるとき、本を読んでいる奴をみつ
けた。彼はハンドボール部の正ゴールキーパーだった。県内ではトップクラスらしく毎年国体に出場
していた。ある日、背も高くて強面の彼が文庫本をひろげているのをみつけた。おやっと思って声を
かけると、照れたように笑った。日本の小説が好きなんだという。国木田独歩、田山花袋や正宗白鳥
とか。ぼくにはあまりなじみがない小説家の名前をあげた。ときにはリラックスしないとな。スポー
ツばかりやっていると、遊ぶ時間もない。それに疲れきった体でどこかへ出かけるのも億劫だ。本を
読むのなら自分のペースでできるからいい。すこしの空き時間にでも本を読んだりしてると、これが
集中力の訓練になるんだ。意外な面はだれにもあるんだと、そのときから考えるようになった。

N6285スパイシーベル

「そよ風ときにはつむじ風」 池辺良 毎日新聞社 ★★★
筆者は往年の映画俳優というか銀幕スタアであった。いつだったか、もうずいぶんと前のことだが、
そこらへんにあった雑誌をぺらぺらとめくっていると池部良という名でエッセイが書かれていた。な
にげなく読んだのだが、なかなか達者なものだという印象はうけた。それからすっかり忘れていたが、
ここでまたこうして出会うというのも不思議なものだ。大正七年、東京は大森の生まれ。父は画家の
池部鈞で、母は漫画家の岡本一平の妹。ということは、岡本太郎が従兄になる。立教大学の学生のこ
ろから東宝のシナリオ研究所で学び、卒業と同時に入社。監督希望だったが戦時下のこと助監督の空
きがなかった。しかし人生はどこでどうなるかはわかないものなのである。島津保次郎監督に請われ
て「闘魚」に俳優として出演することになる。知的ですらりとした風貌から人気をがでてきたところ
で、太平洋戦争がまじまる。陸軍の将校として中国、さらには南方戦線へ。インドネシアの島で終戦
をむかえる。帰国後はふたたび映画界に復帰し、「青い山脈」をはじめ数々の文芸作品にも出演する。
「坊ちゃん」、「雪国」、「暗夜行路」など。そして東映の高倉健主演「昭和残侠伝」、渋い演技で
好演してあらたなファン層を獲得する。もともと監督志望だったので文章を書くのに躊躇はなかった。
毎日新聞に連載されたこのエッセイ集が文筆家でのデビューとなる。
夕餉の光景、父親が自分のまえにならべた大好物の秋刀魚を食う。突如縁側に飛びだし、庭に向かっ
て血を吐いた。しまった胃潰瘍だと騒ぎ巻紙に筆で遺書を書きだした。とりあえず近所のかかりつけ
の医師に診察してもらうことになった。一同そろって杉田医師のご宣託をまつ。
『「骨が刺さっとる」と杉田先生が言った。
「ホネ?」とおふくろ。
「咽喉の奥に魚の小骨が刺さっとる。血は吐き出すとき刺さった処から出た血だな。胃潰瘍なんぞ、
何もありはせん」
 おやじの右腕が毛布の中から伸びて、書きかけの遺書をつかみ布団の下に挟んだ。』
戦争前、昭和のはじめころの家庭のありさまがいきいきと描かれている。

「世界を騙しつづける科学者たち」 上 下 
     ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ 福岡洋一訳 青土社 ★★★

世間の人は科学的ということばは知っているが、科学とはどういうものかは知らないことがおおい。
だからそこを逆手にとって、似非科学なるものがはびこることになる。もともと科学は厳密な手続き
を要求する。だからその手続きにあてはまらないものは科学では扱わないことになっている。たとえ
ば、宗教などがそれにあたる。仮に科学的な宗教というものがあるとして、どう思われるだろうか。
宗教家といっても人格者とはかぎらない。科学者も邪悪なこころをいだいていないとはいえない。人
がいろんな性格・気質・倫理観をもっているのとちがいはない。本書はいかにもアメリカという感じ
がする。こうした書物が出版できるということが、どこかの国とのちがいである。良きにつけ悪しき
につけアメリカは資本主義(経済第一)の国だなあと思う。ここで問題としてとりあげられているも
のは、おもに環境がらみのものがおおい。酸性雨、オゾンホール、二次喫煙、そして地球温暖化。政
治的な立場がちがえば、主張もちがってくる。しかし、科学は思想ではなく、証拠に基づかなくては
ならない。だが、思弁は巧妙だから正しく判断できるのかが問題だ。だから、近年リテラシーという
ことがいわれるようになっている。
『科学研究――実験、経験、観察――を通して検証可能で、実際にこれまで検証されてきた主張、仲
間の科学者による批判的な検討が加えられてきた科学研究に基づく主張こそが重要だからだ。このプ
ロセスを経ていない主張や、このプロセスにかけられて通過できなかった主張は科学的ではなく、科
学論争において同等の時間を割く価値はない。』
もっといえば、そうしたプロセスを経ていても後日まちがいだったということがわかったものは、ノ
ーベル賞(科学分野)を受けたものでも皆無ではないことを肝に銘じていなくてはならない。しかし、
根拠のおかしい主張はいつの時代にもある。それが見抜けるかどうか。
『時代は一気に二〇〇七年に移る。インターネットに、レイチェル・カーソンはヒトラー以上の大量
殺人者だという主張があふれている。カーソンはナチスよりも多くの人々を殺した、カーソンの手は
血にまみれていると、故人を非難する発言がある。なぜだろうか。『沈黙の春』によってDDTが禁
止され、おかげで何百万ものアフリカ人がマラリヤで死んだというのだ。』
ばかばかしいと笑うのは簡単だが、これを信じる人たちがいることも事実である。この論法だと、ノ
ーベルも同罪ということになるのだろうか。彼の発明したダイナマイトが戦争で使われ多くの人が亡
くなっている。こうした論陣はコマーシャルに似ている。ある面しか述べない。異様に強調する。冷
静な筆致で書かれることがない。なにかうしろめたさをいだいているのか。科学の及ばない、及ぼせ
ないことについても考えてみようと思わせられた。


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茶髪の個性
通勤時の電車のなか、夏らしく女性の服装も色とりどりである。
ならんでいる彼女らの髪はおなじようでいておなじでない。
あかるい茶色からダークなブラウンとそれこそ色見本のようだ。

「ねえ、茶髪って個性的なのかな?」
「さあ、そんなこと考えたことないけど、どうして?」
「いまふと思ったんだけど、どうなのかなって」
「むかしはそれこそ髪を染めるのは芸能人くらいだったからね」
「そうよね、こう猫も杓子もだと目立たないわよね」
「そうそれよ、いまは目立たないように茶髪にしてるんじゃない」
「でもブラウンでもいろんなカラーがあるのよ」
「目だたないようにでありながら、それでも人とはちがう感がほしいんじゃない」
「ささやかな個性主張ってところなのかな」
「そんなに考えないでもいいんじゃない」
「でもあなた染めてないわよね」
「だって面倒なんだもの」
「あっ、なんでも面倒って思うのは老化の兆候、かもよ(笑)」
「じゃあ染めようかな、黒に」
「それって白髪隠しでしょ」
「あらっ、それでみんな染めているんじゃないの」
「ちがうわよ、個性的でありたいからなの」
「でも、みんな染めてるんでしょ」
「そこが悩みどころでもあり、安心感でもある」
「なんだかややこしいのね」
「そういう深層心理が働いているのかも」
「真相心理じゃあないの」

ふーん、なかなか奥深い。

N6280かめむしの卵


読書のあとで
小学校の夏休みの宿題にはかならず読書感想文があった。本を読むことが嫌いではなかったが、読書
感想文はいやだった。書かなければいけないと思うと読む気力もしぼんでしまう。暑いさなかなのに、
しかたなく課題図書といわれるものを読む。なんだかつまらない。こんな本のなにを書けばいいとい
うのだろうか。あらすじだけを四苦八苦して書くと、そうじゃないといわれた。感想というのだから、
ただたんに読んでみてすごくよかった(そうは思わないけど)でいいのか、と反抗的にも思った。そ
うではなくて、どういうところが、どうよかったのかを書きなさいと。そんなこといわれても、よく
わからない。つまりは考えを文章にする訓練を自分に課してこなっかたということだったのだろうと、
いまではそう思う。だから読む楽しさと、書く苦しさが振り子のようにこころのなかでゆれていた。
ふてくされて顔に本をかぶせて昼寝する夏休みを思いだすのだ。

N6250樹の共生

「偉大な記憶力の物語」 A・R・ルリア 天野清訳 岩波現代文庫 ★★★★
『この物語の発端は、一九二〇年代にまでもさかのぼる。
 その当時、まだ若い心理学徒であった著者の実験室へ、一人の人が訪ねてきた。そして自分の記憶
力を調べてほしいと頼んできた。
 この人は――シィーと呼ぶことにするが――ある新聞社の記者で、この新聞社のデスクの発案で、
実験室を訪ねてきたのである。』
というのは、デスクが仕事の指令をするのだがシィーメはいっさいメモをとらなかった。不注意な部
下に小言を言うつもりだったが、彼はデスクの求めに応じて課せられたことを正確に反復した。これ
にはデスクが驚いて、シィーの記憶力を調べてもらうため実験室に彼をよこしたのだった。そして彼
に種々の実験をおこなった。その結果、当惑するのは実験者のほうになった。
『明らかになったことは、シィーの記憶力は、たんに記憶できる量だけでなく、記憶の痕跡を把持す
る力も、はっきりした限界というものをもっていないということであった。いろいろな実験で、数週
間前、数ヵ月前、一年前、あるいは何年も前に提示したどんなに長い系列の語でも、彼はうまく――
しかも特に目立った困難さもなく、再生できることが示されたのである。』
記憶力の不思議さはじつはふつう人にはわからない。それは案外想像できないことなのである。つま
り、こんなことがあるのである。
『われわれの多くは、よく記憶するためにどうしたらよいのか、その方法を見つけ出すことを考える
のが普通である。そして、誰も、どうしたら、よく忘れることができるかという問題は考えない。し
かし、シィーの場合は、問題が反対である。どのようにしたら、忘れることができるようになるのか
?シィーをしばしば悩ませる問題は、ここにあるのである。』
こんなことを思ってもみたことがないでしょう。いつももっと頭がよくなりたい。じつはそれはもっ
と記憶力がよくなりたい。なぜなら、試験に合格するそれが近道だと思っているから。なんだか主客
転倒のようにも思えるが、それが世間の感想である。じつは、かれはそれだけではなくというか共感
覚(シネステジア)でもあった。記憶力と関係があるのかどうか。考察は続く。学生時代から知って
はいたがなかなか読む機会がなかった。今回読むことができて、ますます世界には不思議なことが満
ちあふれているという思いがするのである。

「野蛮な読書」 平松洋子 集英社 ★★★★
平松さんは食べもの関連のエッセイだけではなく、書評もなかなか的確だ。なつかしい感じがするの
は、読んだ本がそれも感銘をうけた本がとりあげられたときだ。「おていちゃん」こと沢村貞子(て
いこ)さんの本が好きだったから、なんとなくうれしい気がする。文は人をあらわす、とかいうがそ
ういう場合もあるとは思う。とくにエッセイなどはその人の生活なりが描かれたりするわけだから。
『鹿児島で老夫婦の農家を訪ねたときのことである。畑からもいだばかりのきゅうりと手製の味噌が
ねっとり絡んでたまらなくおいしい。勢いこんで、こんな味にはめったにお目にかかれませんと伝え
ると、日焼けした額に何本も深い皺を刻んだおじいさんが照れながら、しかしきっぱり、わたしの顔
を見据えてこう言ったのである。
「まあ東京のひとはおおげさを言いよるねえ。わしらはなんでもあたりまえに食うとる。うまいもん
もまずいもんも、黙って食うことにしとる。うまいとかまずいとかいちいち考えとったら、きりがな
いからのう」』
照れもあったのだろうが、近ごろのテレビの旅番組など見ているとついそんなことも言いたくなる。
おいしいとすなおに言うのはいいが、それにしてはその他の言動が稚拙だ。いっそのこと、本音をさ
らけだしたほうが共感できるのだが。まあ、テレビだからと視聴者は思っているのだろう。
『出されたものは四の五のいわずありがたく食べたいとつねづね肝に銘じているのだが、ことさら「
おいしいもの」をまえにすると、おおいに反応してしまう。やたら褒めそやしたり、「感動」してし
まうのだ。とにかく食べものの味について過剰に反応しがちなのは、習い性とはいえ「東京のひと」
の悪癖でもあるのだろうか。』
無理に感動することはないのだが、せっぱつまってしまうのだろう。これまでの来し方を振り返って
みるのもいいかもしれないな。などと関係者ではないから気楽だ。しかし、安易にながれていると、
いつかはしっぺ返しがくるのではないかと、いらぬ心配などしてしまう。

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「あじさいなんでも講座」
去年受講してよかったので、今年もネットから申し込みをした。
おまけに先週の予定だったが、雨模様なので今週に変更してもらった。
神戸市立森林植物園はいま紫陽花まっさかりである。
平日金曜日でありましたが、バスで団体さんも大挙やってくる。

これは藤井先生がみずから手作りされた「あじさいなんでも講座」テキストである。
まずはなにはさておき、ありがとうございましたとお礼を申しあげます。

N6241あじさいなんでも講座

N6212藤井先生

さて、西洋アジサイはシーボルトが日本からもち帰って品種改良をくわえたものである。
それがいままた日本に里帰りして梅雨の季節に花ひらく。
なんとよろこばしいことではありませんか、とおっしゃる。

N6216こんなアジサイも

N6219希少種

ところかわれば品変わるともいう。
ヨーロッパではアジサイも華やかな、あでやかなものが好まれる。
だからおおきな株にして、こんもりとした形にしあげる。
たとえば、このようなたくさん花が盛りだくさんに咲くもの。
文化のちがいが如実にあらわれている。
カルチュアル・ギャップですな。

N6208コンペイトウ

日本では、あんがいひっそりと咲くものが風情ありといわれる。
「わびさび」に通じるところがあるかもしれません。

N6236藤井氏の発見したロッコウヤエテマリ

ふだんは立ち入ることのできないエリアをご案内いただく。
アジサイにとっては水はけがことのほか大切だという。
だから自然状態では傾斜地などに咲く。
ご自宅で育てる場合にはそういう工夫が必要ですね、とお話をきく。
なるほど、なるほどの連続である。

ひさしぶりに学生にもどったような気分。
勉強嫌いでしたが、たまにはいいでしょう(笑)。

N6243ハート形の紫陽花


夏は図書館
とにかく暑かった夏は朝から近所の友人とふたりで市の図書館にでかけた。けっこうな道のりを歩い
ていった。ひんやりとした空気と、冷たい木肌の椅子がなにかとても高級な気分であった。あのころ
はよく図鑑を読んでいた。本文とは別に漫画での解説があったりした。虫取りにはいけないけれど、
本のなかでいろんな生物にであっていた。昆虫採集はお金持ちのこどものすること、となんとなく思
っていたのでうらやましくはなかった。ぼくには縁がないだけだった。それでも兵隊虫を小さなビン
にいれてながめたりしていた。いま思いだしても宿題をやっていたという記憶はほぼないといえる。
先生にしかられた記憶はないからやっていたんだろうけど。それよりもどぎつい色をしたワタナベの
ジュースの素の味とか、飲んだあとの舌の色とかを思いだす。まさしく人工甘味料(チクロといった
かな)という味だったのだが、なぜか懐かしい気もするからこどものころの記憶って不思議だ。

N6253梢のさき

「背後の足音 上 下 ヘニング・マンケル 柳沢由実子訳 創元推理文庫 ★★★★★
ヴァランダー・シリーズ七作目、シリーズのなかでも非常に面白いし考えさせられる作品になった。
一九九六年六月二十二日、夏至の日(ミッドサマー・デイ)の未明に事件は起こった。日本人にはわ
からないかもしれないがヨーロッパとくに北欧の人々は日光浴を好む。というより、日本人からすれ
ば異常ではないかと思えるほどなのだ。スウェーデンの夏至祭は、キリスト教以前から人びとに夏を
太陽の恵みをよろこぶ伝統的な行事である。その夏至の日を祝う古の扮装をした若者たちが額を撃ち
抜かれて殺されたのだ。しかし死体はなぜか隠された。
『それは一九九六年六月二十二日、夏至の日の未明のことだった。
 予報ではその日は一日快晴だった。
 南スウェーデンのスコーネ地方にやっと夏がやってきた。』
ある朝、イースタ署で恒例の捜査会議が開かれたが、いつも時間をきっちり守ることで知られている
スヴェードベリが来なかった。電話しても留守電がこたえるだけだ。いく日かそういう状態が続いた。
そんななか、ある婦人が娘のことでと署にやってきた。旅先からだと絵葉書が届いたのだが、これは
娘の字ではないという。筆跡は娘の丸い字に似ている。だが、どうしてもちがうといいはった。では、
だれがなんの目的でこの絵葉書を書いたのか。一方、スヴェードベリにふたたび電話するがでなかっ
た。これはどうもおかしい。ヴァランダーは彼の家に行くことにした。鍵がかかっていた。彼はドア
をバールでこじ開けた。頭部半分が吹き飛ばされた彼の死体があった。少し離れたところにライフル
銃が投げ出されていた。鑑識のニーベリとも見解が一致した。これは自殺ではなく殺されたというこ
とだ。そして、扮装した若者たちの死体が発見された。続いて新婚のカップルとカメラマンが銃で額
を一発で撃ち抜かれて殺された。射撃の腕は確かだ。これらの犯人は同一だと考えられた。しかし、
これらの人びとに共通するものがない。さらに、動機はなんなのか。手がかりもいっこうに得られな
かった。捜査のなかでスヴェードベリの知られざる個人生活がすこしづつあきらかになっていく。そ
れとともに事件の輪郭がおぼろげにうかんできた。しかし、こんなことが現実にあるのだろうか。す
こしづつ追いつ詰められてきたと感じた犯人はついに禁断の行為にふみだしていく。
『この結論が出たのは午後もかなり遅くなってからだった。次の目標は警察官クルト・ヴァランダー。
それもすぐに実行するつもりだった。スヴェードベリの葬式は明日に予定されている。その一日は準
備のために使おう。スヴェードベリに協力してもらうとは、と思い、彼はほくそ笑んだ。』
人間関係がうまくむすべずに社会の底辺に沈む人間はどんな思いで生きているのだろう。世界は、彼
らとどう折りあっていこうとしているのか。そんな社会が産みだした犯罪なのだろうか。

「脳と心の進化論」 澤口俊之 日本評論社 ★★★
脳はどのようにして進化してきたのかと考えるとき、まず思いつくのはいろんな動物の脳の構造を比
較してみるということだ。この王道ともいえる方法でマクリーンは「三位一体説」という理論を展開
した。彼の理論は脳の進化学だけではなく、哲学などにも大きな影響をもたらした。
『具体的には、爬虫類では大脳基底核が脳のほとんどをしめており、大脳皮質はない。これを爬虫類
脳(R複合体)という。ところが、下等哺乳類になると辺縁系などの古い皮質(旧哺乳類脳)が発達
してきて、大脳基底核を覆うようになる。そしてさらに高等な哺乳類になると、大脳新皮質(新哺乳
類脳)が発達して、旧哺乳類脳とその下の大脳基底核を覆ってしまう。こうして、ヒトなどの高等哺
乳類の脳は、爬虫類脳、旧哺乳類脳、そして新哺乳類脳の三つの主要な脳が「三位一体」となってい
るわけだ。』
ここで重要なことは進化とは、新しくなにかを産みだすということではなくておうおうにして既存の
ものの焼き直しというか、利用できるものは利用するということ。ふつうに考えればそのほうが効率
あるいはスピードが速いということはすぐにわかる。臨機応変ということは進化でも大切だ。
『脳の相対的な大きさも、大脳新皮質を代表としたいくつかの脳部位の相対的な大きさも社会構造と
密接に関係する。つまり、多妻型の霊長類のほうが一妻型の霊長類にくらべて大きな脳・大脳新皮質
をもつ。くわえて、脳と大脳新皮質の相対的な大きさは群れの大きさ(社会の大きさ)と正の相関を
もつ。群れが大きいほど、脳も大脳新皮質も大きいのである。しかも、多妻型の真猿類にかぎっても、
同じような相関がみつかった。つまり、多くのメスがいて群れが大きいサルほど、より発達した脳・
大脳新皮質をもつ。』
必要は発明の母である、ということばを思いだす。脳は知能は、なぜ発達したのか。発達せざるを得
ないという状況が生みだしたものなのだろうか。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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