ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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読暑中
暑い暑いと板張りの床をころげまわっていた。どこにもだれもいないので、自分の声だけが狭い空間
にこだましていた。しょうがないかと起きあがり机の前にすわった。窓の外をながめてもだれがが来
る気配はなかった。ひとりぼっちなのか。そうだな、ひとりぼっちだよな。慣れるしかないよ。いわ
れるまでもなく慣れてますが。のどが渇いたなあ。冷蔵庫に冷たいお茶があるよ。他になにかないの。
ビールはありません、ジンなら冷やしてありますが。昼間からジンはねえ。ふと気づく。だれがだれ
と話しているの。だれもいないはずだよね。まわりを見わたすが物音もしやしない。なんか変な感じ
だ。だけど、ここってどこなんだ。ゴロンと寝ころがって天井を見あげた。たしかに見覚えのある板
の木目だが。ガタンという音がして目が覚めた。机につっぷして寝ていたようだ。横に本がひろげた
ままになっていた。夢かと思いながら、汗のあとが点々とついている机をしばらくみつめていた。

N6373かたつむりベイビー

「パンツの面目ふんどしの沽券」 米原万理 筑摩書房 ★★★★
筆者は九歳から十四歳まで在プラハ・ソビエト学校に通っていた。ソ連外務省が管轄する学校だから、
教科書もソ連製、教師もソ連人、生徒も大半はソ連人。四年生になって女の子は家庭科の裁縫の授業
で最初に教わったのが、スカートでもエプロンでもなく、下着のパンツの作り方だった、というとこ
ろから筆者の疑問がはじまるのである。なぜパンツなんだ。パンツって自分で縫うものなのか。夏休
みにあった林間学校は二ヵ月間。「持参すべき物品リスト」にあったのは、寝間着二枚、パンツ三枚、
シャツ二枚、…。日本人の母親はびっくり、自分で洗濯しなさいということだとなんとか納得。しか
し、彼女と妹には一〇枚のパンツを持たせた。いろいろ注意はあったが、毎日パンツを取りかえるよ
うに、とは注意しない。気候が乾燥してるからかと思いつつ、なんだか腑に落ちなかった。
『ところが、イタリアにコック修行に行っていた妹から、あるとき、こんな話を聞かされたのである。
妹の間借りしていた家の中学生ぐらいの娘さんが、ある日、合宿から帰って来るなり、
「ねえ、ママ、○○ちゃんて、どうしようもなく不潔なのよ。あたし一緒の部屋なのが、気持悪かっ
た」
 と憤懣やるかたないという風情で母親に言いつけていた。
「だって、最低一日一回もビデを使わないのよ!」
 この話を聞きながら、心の中で叫んでいた。
 そうか、そうか! 彼らはパンツを取りかえないかわりに、パンツの中味を毎日洗浄していたのか
! ということは、もしかして、プラハ時代のルームメイトたちは、心の中でわたしのことを不潔だ
と思っていたのかもしれないな、と。』
なにごともそうなのだが、文化のちがいは意外なところにその理由が隠れているのだ。パンツという
形態の下着は比較的歴史が浅い。日本人も比較的最近まで、女は腰巻、男はふんどしであった。その
男の場合はどんなことになっているのか著者の興味はそちらへものびる。
アイルランドのケルトの民族衣装を着用するときなど、正式には絶対にスカートの下にはなにもはい
てはいけない。そんなこともわかってきた。フィンランド人はワイシャツの下端で下半身をくるんで
いた、という証言もある。ルパシカの下端が、そろいもそろって真っ黄色になっていたとも。ソ連に
抑留されていた人たちが一番困ったのは、一枚のちり紙も支給されなかったこと。トイレにいってど
うすればいいのか。どうもソ連人はふかないようだと知るが、日本人はそうはいかない。四苦八苦し
たとのこと。なかなか興味深い考察が続きます。パンツはどうも騎馬民族の発明らしいということは
わかる。それはそうでしょうね。ふんどし状態では馬に乗りにくいでしょう。あたりまえと思われる
ことがじつはローカルルールということはよくありますからね。
これは文化人類学の論文といってもいいのではないでしょうか。じつにおもしろい。

「風の食いもの」 池辺良 文春文庫 ★★★★

池部良さんは高倉健さんのヤクザ映画にも多く出演してなかなか渋い演技をみせていました。ですが、
戦争時には戦地でそれこそ辛酸をなめられたであろうことはこの本を読むとわかります。暗くならず
にひょうひょうと書かれているところに逆にその厳しさが伝わってくるものです。戦争批判の書より
もこうした実体験にもとづくエッセイから、なにか感じられるところが多々あるものなんですね。
『昭和十九年五月中旬、北中国に駐屯していた第三十二師団はフィリピン・ミンダナオ島警備のた
め上海を出港した。
 師団衛生隊小隊長だった僕も、当然同行、途中セレベス海で、便乗していた輸送船がアメリカ潜水
艦の魚雷攻撃を受け撃破、一時間も持たせずして、水深三千メートルはあるという海溝に沈没。
 十一時間泳いだ夜陰、味方駆逐艦に救助され、赤道直下のハルマヘラ島なる島に上陸した。拾った
生命に改めて感激、涙を落としながら虚ろな心で砂浜に立ったのを覚えている。』
題名からもわかるように軍隊でのたべものの話が軸となって語られる。では兵士のめしとは。
『めしは白米六分高粱四分、お菜は透明度世界で三番目だという湖の如き味噌汁、身ときたらあるか
なしの名もない菜っ葉、マグカップを半分にしたほどの汁食器に一杯。寸法で言えば五ミリと違わな
いメニューで三食が宛がわれた。叫びたくなるほどに嘆いたのが食事の量だった。』
今日わかっているところではアメリカ軍とのちがいは歴然である。よく頑張ったものです。しかし、
赤道直下のハルマヘラ島ではもっと悲惨なのだが、これを池部さんは「風の食べもの」と称する。
『漁ったものが紹介する風の食べもの。
 椰子の実。椰子の木もそうは沢山なかったから、みんな腹を満足させるわけにはいかなかった。
 とけい草。時計草なのかトケイ草なのか分からなかったが、棘のない野薔薇に似た葉と茎の蔓草、
干して煎じて飲む。お茶の代わりに。不味いの、なんの。腹を空らしているときに飲むものじゃなか
った。
 ホルステリン。インドネシア語なのだろう。青々とした葉っぱの類。長い柔らかい茎。幅の狭い長
い葉。多くは見つからなかったから、七十名にひと摘みほどの「おひたし」にして何回も口にしない
で終わってしまった。
 ひどい青臭さには驚いたが、青物のない際だったから有難く頂戴した。』
このあたりはまだなんとなくそうなのかと分かる。塩も海水からつくり、パパイヤの根っこのキンピ
ラなどちょっといけそうな気がする。
『蛇、蜥蜴、蛙、鼠、鰐、なまけもの、鸚鵡、サペタ(虫の幼虫)、鹿など、蛋白質源になる動物も
いることはいたが、たまに見かける程度だった。見かけたときに、隊員を総動員して三八式歩兵銃で
撃ってはみたが、なかなか命中してくれない。兵隊さん達の栄養失調もひどくなって来たから運動神
経が鈍くなって狙っても的を外してしまったのか、銃の精度が悪いのか、数えるほどしか捕まえてい
ないから、十分に賞味致しましたというところまでには至っていない。
 魚。目の前はワンレ湾と呼んでいた綺麗な内海だったから、魚はいるに違いないが、海岸に出れば
アメリカ軍の飛行機が怖かったし、釣り針も糸もなく、徒に指を銜えていた。』
いよいよ取って置きの乾パンもすくなくなる。七十名の身体は餓鬼のようになってきた。
『「隊長どの、どうしますか」と下士官の相談があったが、隊長にしても知恵がでない。
 土俵際のうっちゃり的に思いついたのが「蚯蚓」だった。首を傾げる隊員たちに蚯蚓を集めさせた。
蚯蚓が食いものになるのか、ならないのか見当もつかなかったが、口に入る最後の蛋白質源だと思い
込むことにして、集めた蚯蚓を茹でに茹でぬき、それぞれに茶碗半分ほどを配給して食べてもらった。
誰も「結構なお味です」とは言わなかった。』
最後にはその辺に生えている雑草を、毒にあたるかと思いながら海水で煮て食べたという。
『それが半年も続いたある日、青天の霹靂か、終戦の通報を受けた。』

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テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

印刷と製本
冊子にするものは、印刷が終わると製本にだす。別工程である。それぞれの専門家がいて、分業にな
っていた。製本所は下町にあった。男兄弟ふたりでやっていた。兄貴はあまりしゃべらない。弟のほ
うが渉外的な役割になっていた。まだなにも知らないぼくに仕事のことをいろいろと教えてくれた。
十六ページものだったら、こう割りつけるんだよと。紙を八折りにして、裏表それぞれにページ番号
をふる。こう折ると、裁断して製本にするときれいに冊子になるだろうと。なるほどそうだったのか。
だから気をつけて見てみるといいよ、ページ数というのは2からはじまって倍数つまり4、8、16、
32というふうになっていることが多いから。とくに16ページ以下の冊子だったら印刷製版の関係
でたいていはそのページ数に無理やりにでもしてるから、と笑っていた。そうするほうが、手間も印
刷や製本コストも安くなるし時間短縮だってできるんだ、ということだった。

N6345木製ネコ

「血の咆哮」 ウィリアム・K・クルーガー 野口百合子訳 講談社文庫 ★★★★
コーク・オコナー・シリーズの七作目にあたる。オコナーは保安官を辞めてミネソタ州オーロラの北
にあるアイアン湖畔の「サムの店」で観光客あいてにハンバーバーなどを売っている。しかしそれも
観光シーズンだけなので私立探偵のライセンスをとった。そのときにオジブワ族の老まじない師メル
ーが心臓の病で倒れたという知らせをうけた。見舞いにおとずれたオコナーに彼は奇妙な依頼をした。
息子がいるという。名前も知らない。母親の名はマリア・リーマというだけだ。それも七十三年前だ
という。オコナーの母はオジブワ族という因縁もあり、以前彼に助けられたことがあった。なんとし
ても彼の願いを聞き届けてあげたいが、これだけの情報でどうしたらいいのだろうか。そしてついに
メルーは若いころの出来事を彼に語りはじめたのだった。それはおどろくような出来事の連続だった。
アメリカは他民族国家である。当然ながらそれぞれの民族によって人生観、価値観がちがう。
『保留地では、あまりにもものが少ない環境で育った。だれもがほとんどものを持たなかった。仲間
より多く持っていること、持ちすぎていることは、オジブワ族の流儀ではなかった。』
いろんな人々がいるというアメリカ国家、こうした異色の主人公が活躍するミステリがひろく支持さ
れているということがアメリカの魅力でもある。物語りがどう展開していくのか、それは読んでいた
だくしかないのだが、世のなかには科学だけでは割り切れない世界が確実に存在するということが実
感いただけると思う。科学万能は、ある意味専制国家に似ているといえなくもない。科学の限界とい
うことをもっと知らなくてはゆがんだ科学観をもつことになってしまう。本末転倒である。

「なんでもカロリー換算」 竹内薫 丸山篤史 PHPサイエンス・ワールド新書 ★★★★
『1カロリーとは、1グラムの水を1℃上げるエネルギー量のこと』
そうなんだ、なんとなく知っているような気がする(笑)。ところがこの「カロリー」は栄養学と生
理学の分野だけで使われている。これ以外では「ジュール」という単位が定番となっている。そのう
ち「ジュール」に統一されるのが世のなかの流れだとか。
『もともと「カロリー」という単位は、理論的な値ではなく、熱力学の実験によって求められた値で
す。そのため、実験上の誤差を含んでしまい、厳密な定義を求める物理学にはなじまないとされてき
ました。
 一方、「ジュール」という単位は、数学の定義みたいなものであり、あらかじめ決められた基準値
です。』
で「カロリー」と「ジュール」の関係は、1ジュール=0.24カロリーとなる。
このあたり学校の勉強のようで退屈かもしれない。カロリーといえばダイエットと連想される方が多
いと思われる。そのあたりを以下にすこし紹介してみましょう。
『大人は1日に2000キロカロリー(女性は1700キロカロリー)を消費する』
なるほど、でも基礎代謝ってありますよね。つまり寝ているだけでも消費されるカロリーが。これが
そのうちの4分の3あるそうだ。いろんな数値が書かれていますが、参考までにご紹介しましょう。
すべて基礎代謝に対しての比率。椅子の座る1.2、料理1.4、デスクワーク1.6、歩行2.2、
掃除2.7、自転車3.6、ラジオ体操4.5、階段の登り降り7.5、とこんな感じです。という
わけで、人間の仕事率は、約100ワットだそうです。あの100ワットの白熱電球と同じ。つまり、
一日中100ワットの電球をつけているのと人間の活動はいっしょだということ。けっこう省エネで
できているもんです。
最近問題になっている電力事情の話には、案外知られていないこんなことがあります。原子力発電に
対しては宗教的とも思える拒否感がありますが、遠い将来のことも考えると必要だからここで完全に
やめてしまうのはどうかと思います。原子力潜水艦なんてのもあるんですがね。それは別として。
『水力発電というと、自然エネルギーの代表格のように感じられますが、水力発電の大部分は、実は
揚水発電です。純粋な水力発電というのは、自然頼みとなってしまい、雨が降るのをひたすら待って
いるしかなくなります。それでは膨大な需要を満たす大きな電力量にはならないため、電力を使って
ダムの上に水を汲み上げ(揚水)、それを放水することによって、発電を行なっています。』
では、その汲み上げるための電力はどうするのかというと。
『現在の揚水発電は、原子力と組み合わせて使われています。原子炉は動き続けていて簡単に止める
ことができませんので、需要の少ない深夜にも発電し続けます。深夜の余った電力を使って、夜の間
に水を持ち上げて、ダムの中に貯めます。そして、昼間の需要がピークを迎える時間帯などに放水を
して発電し、安定的な電力供給を行っているという仕組みです。』
水力発電は蓄電池の役割を果たしているわけですね。
『原発事故後、「原子力をやめて、水力を増やせばいいのではないか」という意見もありましたが、
実際には、原子力とペアになった揚水発電が大部分を占めているため、原子力発電を止めると、水を
汲み上げる電力が足りず、水力発電も減ってしまう、という困った状況なのです。』
こういうことも知っておかないと、割箸問題のときのようにトンチンカンな議論になってしまいます。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

エスカレータの意味論
エスカレータに乗るとき、どちらの側を空けて乗るかというと。
関西では、左側を空ける。
東京では、右側を空ける。
正反対だね、関西VS東京の構図ここにあり。

「よくいわれるけど、はっきり言ってまちがってます」
「どこがよ」
「意味がちがうってこと」
「どういうことなんだよ」
「つまり、関西は左側を空けるというのは、歩きが前提だということ。
エスカレータでは歩くをもって正常と考えてるわけね」
「じゃあ、東京は」
「左側に乗るでしょ。そこが定位置。急ぐ人は空いてる右側を行く」
「そういう理屈か」
「そうなんだよ。本来的に左側がエスカレータの乗り位置なわけ。
関西人はイラチ、つまりせっかちだから歩くのが基本で左側を歩く。
東京では歩かないで左側に乗るが常識、というわけ。
基本・原則がちがうということだね」
「なるほどね」
「わかりましたか」
「おそれいりました」

N6331ゆず

歩く動的な関西人と、泰然不動の東京人。
どちらを選ぶかはあなたの自由ということになるのだろう。
ですが、まわりをよく見てぶつからないように。


鉛の活字
ある時期印刷関係の仕事をしていたことがある。活字をひとつひとつ拾って組む活版印刷はすでに主
流ではなかったが、ほそぼそと仕事をしているところもあった。高架下の印刷工場は、インクと鉄錆
びのようなにおいがした。ほんのときおり頼まれる仕事をもっていくと、汚れた作業着のおじさんが
手についた油をふきながらでてきた。発注書を黙ってうけとって、期日を確認するときだけぼそぼそ
としゃべった。印刷機械のおいてある場所だけが、蛍光灯に照らされていた。おじさんは不機嫌なわ
けではないことはわかっている。きっと話すことが苦手なんだろうと思う。とくにぼくのような若い
者とではなにをしゃべったらいいのかわからないのだろう。どうしてそう思ったのだろう。そうだ、
いつか前を車で通りすぎたときの光景が思いだされた。おじさんは近所の手伝いのおばさんとなにや
ら楽しそうに話しているのを見たからだ。案外シャイなんだなおじさん、と思った。

N6317メダカ育つ

「鯨神」 宇能鴻一郎 中公文庫 ★★★★
宇能鴻一郎といえば、われわれの世代であれば官能小説の帝王とでもなるのであろうか。まあ、じっ
くりと読んだことはないのだが。世間的にあまり知られていないが、彼は芥川賞ををうけている。そ
れは知っていた。そんな彼がなぜいわゆるポルノ小説といわれるような世界にとびこんでいったのか、
そちらのほうが興味をひかれるのだ。ポルノ小説は低俗であるというような安物宗教感にはくみしな
い。D・H・ローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」や村上春樹の「ノルウェイの森」だって、ポル
ノ小説だといえなくはない。そういうことではなく、世評芳しくない官能小説という世俗にまみれた
ような世界に宇能氏はなぜ突き進んでいったのか、ということに興味が湧くのである。芥川賞と直木
賞のちがいなどよくわからないが、小説に高級と低俗などあるわけがない。しかし、それでは世間が
マスコミがあるいは出版社がもしくは小説家自身が、納得というか了としないのだと理解している。
それはともかく、「鯨神」である。明治のはじめ、肥前平戸島和田浦の集落に、鯨漁で肉親をなくし
たひとりの刃ザシ(銛師)シャキがいた。セミ鯨のなかでもひときわ巨大なクジラ、「鯨神」とよば
れていた。その鯨神を仕留めることだけが彼に課せられた使命であった。仇をうつのは肉親の義務で
もあった。何年かの周期でやってくる鯨神とシャキとの対決。その壮絶な戦いの描写を読んでいるう
ちに、鯨神とは擬人的なものだったのかという思いにとらわれた。生きるためには生命あるものを食
べなければならない。職業に貴賤はない。とおなじように、生命に生きものに優劣というものがある
のだろうか、とも考える。ここから、宇能鴻一郎氏が官能小説へとすすんでいったこころのうちはな
んであったろうか、と考えると思いはつきない。ご一読して是非考えていただきたい。

「女子的産業遺産探検」 前畑温子 創元社 ★★★
こんな本がありますよ、と紹介をうけた。いまや産業遺産は文化観光資源となってよみがえってきた
感さえある。廃墟となったものには、なにか不思議な魅力があるのだという。ピカピカの新品にはな
い鈍い光をはなつ渋さといった風情がいいのだそうだ。前畑さんがこういったものに興味をもったき
っかけは本屋で廃墟の写真集を手にしてからだという。それはそれまでに彼女の体内で熟成されてい
たものがそれをきっかけにして表に飛びだしたということなのだろう、と思う。
『中に入るとさっそく私好みの壁がたくさんありました。じつは私、壁が大好きなんです。なぜ「壁」
なのか……。それは、二つと同じものが存在しないから。』
じつは私も同様にお城の石垣になぜか惹かれるのである。おなじようでおなじでない。だけどおなじ
などそもそも存在しえないから、おなじだと思いたい。そんな気がしている。これは巷間よくいわれ
る、オンリーワンイムズとでもいったらいいようなものだ。逆にいえば、二つと同じものってどんな
ものがあるのだろうか。そういわれて考えてみれば、じつは二つと同じものというのは存在しない。
脳のなか、概念としては存在しうるというだけだ。工業製品にしても、まったく同じはないのだ。で
なければ、不良品などというものも存在しようがない。それは、わかったものとしての、オンリーワ
ンなのだろうけど。ほんとうは、同じとはどういうものをいうのか、をいつも考えるのである。同じ
とは、なんなのだろう、と考える契機になる遺産探検であればいいのになあ、なんて私は思うのであ
る。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

背中にひろがる哀愁
地下鉄から改札へとむかうエスカレータ。
ふと前を見ると、白いワイシャツ姿の男性がいた。
背中にうかんでくるなにやらアルファベットの文字列。
スーツの上着とカバンを左手にもって乗るサラリーマン風な男だ。

Tシャツのバックプリントの絵柄がすけて見えていた。
本人は気づいていないのかもしれないな。
四十代ぐらいだろうか。
若くはない。
だが、独身者なのだろうか。
おたくっぽい趣味をもっているのかもしれないな。

服装のセンスなんてくそくらえ。
なにを着ようが自由じゃないか。
そんな哀愁がただよっている彼の背中だ。

朝からすこししんみりする雨上がりの通勤時間帯であった。

N6326懸賞当選ビール


旅とミステリ
旅先で時間があまったときなど、ふらりと書店にはいることがあった。そんなにおおきな本屋じゃな
いのでたいした期待をいだいていたわけではない。狭い通路で左右をみながら本をさがす。列車のな
かで読むのだからミステリあたりが手頃かなと思ったりした。背表紙が見つけやすい赤だったので、
よくハヤカワミステリ文庫のものを買った。クリスティのポアロかミス・パープルのシリーズを読ん
だ。かならず書店のカバーをかけてもらった。カバーには地元の書店名が印刷されていた。オリジナ
ルがあったり大手の出版社のものであったりした。ときどきそのカバーをながめると、どこで買った
のかがわかり、そのときのことが思いだされたりする。博多であったり、土佐の中村であったりした。
ただそれだけでのことなのだが、なにかなつかしいような気分になれた。そのカバーもいまでははず
してしまったので、それもわからなくなってしまった。すこし残念な気がする。

N6325レインボー

「無知の壁」 養老孟司、アルボムッレ・スマナサーラ サンガ新書 ★★★★
養老先生はよく仏教のなかにたいていのことは書いてある、とおっしゃっていた。本書は初期仏教・
アルボムッレ・スマナサーラ長老との対話である。といって養老先生のほうが七つ年上なのであるが。
『多くの方が、ごく普通の常識としては、「思う」のが先であり、後から行動すると思っています。
たとえば、「喉がかわいたと思ったから水を飲む」と思っている。しかし、脳を測ってみると、「思
う」のは後です。皆さん方の脳が、まず水を飲むほうにはっきりと動き出し、半秒くらい経ってから
「水を飲みたい」という意識が起こります。これは当たり前のことで、意識というのは脳から出てき
ます。意識のほうが行為よりややこしい働きですから、脳の行為に遅れて意識がでるわけです。根本
的に、それが意識の限界です。
 ですから、多くの方は自分の意図で何かをしていると思っていますが、必ずしもそうではありませ
ん。この水を飲む例でいえば、脳が勝手に、まず水を飲むほうに向かって動き出しているわけですか
ら、我々が意識できることは、たぶん止めることだけなんですね。
 止めることはたぶんできるのです。そう考えるとおもしろいことに、「道徳律」というのは、必ず
「○○してはいけない」という形になっています。』(養老)
古くから科学的な裏付けはなくともわかっていた、ということなのだろうか。
『仏教は、「死という現実は智慧が現れるために欠かせないキーワードである」と考えます。死とい
う現実は、宗教の専売特許になっています。一般的に諸宗教が謳っているのは、「死んでも気にする
なかれ。汝に永遠の命がある」というような話です。喉から手が出るほど欲しいこの永遠の命を手に
するためには、各宗教が推薦するさまざまな行為をしなくていけません。わかりやすく言えば、「死
にたくはない」「死んでも永遠に生き続けたい」と思う人々は、何かの信仰の人質になってしまうの
です。宗教が人を自由にさせるのではなく、誘拐します。』(スマナサーラ)
まあ、お釈迦さんはそんなバカなことはおっしゃっていませんでしたね。死にたくないと同時に幸せ
に生きたいというのもあります。現代ならエネルギー使い放題に生きるというようなことでしょうか。
『私が前から申し上げているのは、いったい人はどれくらいエネルギーがいるんだろうということな
です。しかも日本の場合、経済成長とエネルギー消費の増加はまったく同じですから、「エネルギー
を三%増やせば、経済が三%成長する」というバカみたいな話なんです。それだけのことなんですよ。
それを成長と言ってきたのです。つまり、エネルギーを使えば、皆さん方はいい生活ができて、景気
がよくなるんです。』(養老)
これは原子力をやめて代替エネルギーを使えばいいというようなことではない。それでは同じことを
ちがった(目先を変えて)やり方でやっているだけではないか。というようなことも考えてみなけれ
ばいけないのではないか、と思うだが、まあ無理なんでしょうね。経済成長のために人口を増やせ、
なんていうバカな言説がまかりとおる世の中である。地球は無限大の人間を養える空間なのか。

「タンゴステップ」 上 下 ヘニング・マンケル 柳沢由実子訳 創元推理文庫 ★★★★★
冒頭、ドイツで戦争犯罪者の処刑がおこなわれる。そのためにイギリスから執行人がやってきた。と
どこうりなく処刑は行なわれた。その後、ドイツ側の立会人と短い会話がかわされる。
『「イギリス人戦犯を処刑するためにドイツの絞首刑執行人がイギリスに飛んだかもしれないという
ことだ。ドイツ人捕虜を鞭で打ち殺したイギリスの若い娘を処刑するために。ヒトラーやナチスの形
を取ってドイツ人にのりうつった邪悪が、われわれにのりうつることもあり得たということだよ」
 ダヴェンポートはなにも言わなかった。彼は黙って話の続きを待った。
「邪悪を抱いて生まれてくる人間はいない。今回は、ナチスはドイツ人だった。だが、ここで起き得
たことがイギリスではけっして起きないとは、だれにも言えない。それはフランスだって、アメリカ
だって同じことだ」』
戦争は「勝てば官軍である」。これまでの歴史をみればよくわかる。事件はスウェーデン北部ヘレェ
ダーレンの森のなかで起こった。殺された老人は元警察官だった。ここから七百キロほど南下したと
ころの町ボロースの警察官であるステファン・リンドマン、まだ37歳だ。だが最近舌にがんがみつ
かって病気治療のための休暇にはいることになった。これからどう生きていこうかと思っているとき、
先輩同僚だったモリーンが殺害されたことを新聞記事で知る。彼が定年退職以降のことは知らなかっ
た。だがなぜか気になって、休暇をいいことにヘレェダーレンへ向かった。モリーンは惨殺された。
背中に残る傷は鞭に打たれたもので、皮膚が形をとどめていなかった。死因は疲労だった。鞭が彼の
体から文字どおり命を追い出していた。何時間も苦しんだであろうと推測された。床に流れたおびた
だしい血痕にはまみれた被害者の足跡があった。そこにはパターンがよみとれた。これはタンゴのス
テップだ。それがなにを意味しているのか。猟奇的殺人事件と思われたのだが、続いてすぐ近くで同
年輩の男が殺された。同一犯人なのだろうか。殺人の動機はなにか、事件の捜査にリンドマンは地元
警察に手をかすことになる。以前、モリーンが家を買うとき、不動産屋との手伝いをしたのは、スヴ
ェーグに住む七十代の女性だということがわかった。そして彼女になにかひっかかるものを感じたリ
ンドマンは留守に彼女宅に忍びこんだ。そこで見たものとは。
『エルサ・べリグレンのクローゼットにかかっていたのは、ナチス親衛隊の制服だった。』
モリーンもナチスだったのか。本作は、本国のスウェーデンのみならずヨーロッパ各国はもちろん、
ドイツでもベストセラーのナンバーワンになっている。ナチスというのは単にヒトラーだけが、とい
う問題ではない。ユダヤ人とヨーロッパというのは長い歴史的な問題があるのだ。それは現代にも受
け継がれている。問題作、ということができようし、たちもどってユダヤ人問題を考えるきっかけに
なるかもしれない。長篇だが読み応え、スリルとサスペンスそして人間とはという問題、いろいろと
考えながら読んでいるとあっというまに結末をむかえることになる。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

二律背反的カロリー問題
人の欲望には限度がない。
生きるために必要な衝動だったが、限度を設けていなかった。
いや設ける必要などあるはずがなかったのだろう。
痛恨の極み、なのかどうかはわからない。
ATS(自動列車停止装置)のようなものが備わっていたなら。
だが、それも解除してしまったら意味はない。

「ねえ、これってどういうことなるのかなあ」
「どういうことなの」
「食べると肥る、でも肥りたくない。だけどどうしても食べたい」
「食べたきゃ、食べればいいじゃないか。そのうえで肥らない対策をとればいいってこと」
「運動するとかは、なしだよ」
「簡単な話で、カロリーを摂取したら、摂取した分消費すればいいだけ。なにも運動でという制約は
ない。しかし、運動がてっとり早いからな。だったら、頭使えばいいんじゃない」
「頭を使うって?」
「ヒトのエネルギー消費って、脳で使われる量が多いんだよ。約20%だからね」
「それって、苦手だわ」
「だから哲学者って肥った人がすくないだろ」
「ソクラテスって肥ってなかった?」
「まあ、なかにはそういう人もいるけど」
「そんなことより、あまり食べないし、けっこう動いているんだけど痩せないのよね」
「そのあまり食べない、は正直信じられない」
「どういうことよ」
「自分に都合のいいように解釈してるってこと。間食はしてない?」
「ちょっとつまむぐらいよね」
「そうだろ、けっこう動いているというのもそんな気がしているだけかも」
「そうかなあ、あっちこっちとコマネズミのように働いているわよ」
「家のなかでちょこまか、カロリー消費としてはあまり期待できないよな」
「どうすればいい?」
「歩くのがいちばんいい、全身運動だからね」
「ああ悩むわよね、歩くべきか食べざるべきか、それが問題よね」
「歩きながら食べる、ちょっとお行儀が悪いけど」
「マッチポンプ的ね」
「いい解決法を見つけた」
「なに?」
「ポリネシアに移住」
「どういうこと?」
「肥っているほど美人なんだって」
「それはいいかも、ってなんでやねん」

相反すること(肥りたくないけど食べたい)をどう解決するか。
自己矛盾的パラレルワールドの住人の悩みはつきない。

N6310IKEA299円


読書の左岸
読書といっても小説はあまり読まない。いま考えると不思議な気がするのだが、ある時期にフランソ
ワーズ・サガンのものをよく読んでいた。最初に読んだのは「悲しみよこんにちは」だった。朝吹登
水子訳の新潮文庫。翻訳ものというとなんだかやたら堅苦しい日本語というイメージだったのだが、
この作品に関しては気にならなかった。やはり訳者の朝吹さんの力量がぬけていたのだろう。あらす
じや細かいところはほとんど憶えていない。しかし、フランス人はこんな生活を送っているのだろう
かと衝撃をうけた。もちろん、すべてのフランス人がとは思はないが。だが、あまりにもちがうぼく
たちとの差がある。アメリカ文化とはあきらかに一線を画している。いま思うと、人はどのように生
きるべきなのか、生きるというのはどういうことなのか。人によっては堕落ともいえる生活スタイル
だ。かたわらにある倫理社会の教科書とのはなはだしい乖離にすこしブルッとした。

N6319夏蝉

「サバイバル・マインド」 下條信輔×タナカノリユキ 筑摩書房 ★★★★
脳科学と現代アート、異質なものだと思われがちだ。だが、おなじヒトの営みではないか、と考える
ことは決して不思議なことではない。たぶんアプローチがちがうのだろう。ではどういうふうに、ど
んなところがちがうのか。そんな思いから「ルネッサンス ジェネレーション」という催しが始まっ
たのだろうと想像できる。十五年間続いたそうだ。当事者どうしの語りあいがこうして本になったと
いうことである。なにか接点がみつかったのだろうか。読んで考え感じるしかない。たとえば、見る
ということは案外単純なことではない。
『見ることはカメラで撮ることとは全然ちがうんです。眼と網膜の構造が似ているために、見るとい
うとついカメラで撮ることを想像しがちですが、それは網膜に像を結ぶまでの話です。そこまではカ
メラの機能と同じ。では、何が違うかというと、われわれが見る場合には、網膜に与えられている情
報以上のもの、外界の情報を復元して見ているのだと点。そしてもっと言ってしまえば、見える可能
性のあるものとして立ち現れるものを見ているということ。ここに一つの知覚の本質があるんです。
見えているものは見えていて、見えていないものは一切見えていないという見え方とは、本質的に違
うんです。』(下條)
見るということは網膜にうつる像を言葉なり概念と結びつけること。生まれながらに視覚神経系統に
障害があっておとなになった場合、その障害がなくなっても目が見えるということにはならない。網
膜に映っているものがなにかと判断できなければ、見えてることにはならない。見えるということは
視覚像がある意味をもって認識されるということだ。たとえば、見知らぬ言語が話されている空間に
ほうりこまれたら、ことばではなく雑音がきこえているのとおなじである。生きものはつねに快を求
めているというふうに考えられている。だが、そう単純ではなさそうなのだ。
『ある瞬間を切り取れば、快と不快が同時に含まれていることがあるはずです。それは強烈な快、強
烈な不快の場合に起り得ます。もうひとつは、不快なものが反復されてゆくと快に変わるケースです。
こちらは神経メカニズムがかなり分かっていて、ドラッグやスポーツのトレーニングなどの場合、初
めのうちは苦痛の信号が出ているんですが、繰り返しやっていると次第に脳が苦痛に対処し始めるん
です。』(下條)
ヒトにはどのような状況下でも対応できるような可塑性があるから、人生はおもしろいともいえる。

「新廃線紀行」 嵐山光三郎 光文社 ★★★
旧国鉄がJRになったとき、多くの地方線が採算がとれないということで廃線になった。また地方の
私鉄もおなじ運命をたどったものもおおい。第三セクターという新たな組織でがんばっているものも
あるが、どこも厳しい現状に青息吐息である。
『廃線には過疎化する地方というイメージがある。
 村の人口が減って、鉄道が赤字になり、やむにやまれず電車が消える。企業努力しても経営が行き
づまって力つきる。
 けれども、過密する都市で幹線道路が整備された結果、鉄道が不要になってしまうケースがけっこ
う多い。廃線は都市化現象でもあり、わかりやすい例をあげれば路上を走っていた市電がそうである。
 鉄道には寿命があり、一定の役割を終えると廃線になる。では、廃線となったあとはどうなるのだ
ろうか。これが廃線の課題である。』
三木鉄道は二〇〇八年四月に全線が廃止されました。廃線となると、全国から鉄ちゃんが襲来して、
サボ(行先標示板)を盗んで大騒動になったりする。こんなことがあったりするとますます廃線がう
ながされてしまうのだろうか。
『イジメられてサボを盗まれて、かわいそうに。頭の芯に昨夜、三宮ガード下の居酒屋で飲んだ焼酎
がヒヤヒヤと残っている。「金盃、森井本店」という居酒屋で四三〇円のドテ焼きがめっぽうしぶと
く、つい飲みすぎた。』
しかし、消えゆくものにはなぜか哀愁を感じるのもまた事実である。
『カラスが鳴く。蛇が横切る。コウモリが舞う。蟻がうごめく。蜘蛛の巣が顔にかかる。蛾にぶつか
る。蚊の群れが襲う。ミミズが這う。蜂が飛ぶ。日は暮れる。なんでこんなうら淋しい道を歩かねば
ならぬかというと、ひとえに廃線霊にとりつかれたのである。』
形あるものはいつかは消えゆく運命であるが、それでもなんだか忘れがたいものでもある。どこか初
恋に似ているかもしれない。時間のなかで美化されていくということもありそうだ。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

電車のなかのアリス
いつもの通勤時のことだった。
地下鉄車両の端っこ、四人掛けのドアよりに座る。
ルーティンのように本をひらき読みはじめる。

斜め向かいの席にだれかやってきた気配を感じる。
ちらっと見れば、服装はモノトーン調でフリルづかいのスカートだ。
目はぱっちりとしていて、前髪をきりそろえて後ろでまとめている。
少女漫画やアニメでみかけたことがあると思えるような女の子だ。
ちょこんと座って、膝のうえにコンビニのビニール袋をのせた。
二十歳前後なのかな、となんとなく思う。

いきなり袋のなかからサンドウィッチをとりだし食べだした。
わたし、すこし動揺する(化粧する場面にはよく出くわすが…)。
パクリ、パクリ、ペットボトル飲料をごくり、ごくり。
上品に(?)いちいち袋にもどしながらも、平然と食べすすめる。
食べ終わり、満足したかのような表情になった。

つづいてコンパクトをとりだし、まず鏡でお顔のチェック。
肌をおさえるように、ペタリ、ペタリ、これで準備万端忘れごとなし。

まもなくして駅に到着した。
なにごともなかったかのように、膝頭の横にあった黒い日傘を手にとり静かに立ちあがる。
前をすぎるとき、本から目を離しちらっと見あげた。

むむっ、三十歳はこえているかもしれない。
と年齢予想を変更してみるが…。
うーん、女性の歳ってわからんなあ。
(余計なお世話だ、でしたね、ハハッ)

電車のなかは迷宮なのである。

N6308抜け殻




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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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