ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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秋の集い
もうずいぶんと会っていない。
どうしているのかな。
元気だといいんだが…。
ひさしぶりにいっぱいやりたいなあ。

というような思いがいずこからともなく湧きあがってきた。

遠路はるばるの方も含めて十三名が集まった。
メンバーすべてはほとんど約一名を除きすでに還暦をすぎている。
人生後半戦といってもまだまだいろいろとある。

9152キャンドル

元気そうな笑顔がみれてうれしかった。
いますこし旅をつづけよう。

あのふたりは帰ったけれど、深夜まで宴はひらかれていた。
いつのまにか眠りについた十一名たち。

お昼ころにはそれぞれがまた各地へと散らばってゆく。
このつぎまで元気でおすごしください。

掃除やかたずけを終えてかみさんになにげなく言った。
「だれもいなくなって、なんか淋しい感じがするなあ」
こちらをみて、ただ笑っていた。

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テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

シルヴァーウィーク終了
先日の連休をシルヴァーウィークだというと知った。
なるほど、ご高齢の方々を敬ってのことだと思っていたが違うらしい。
春のゴールデンウィークとの対比での命名だとか、そうなのか。
それもいつのまにかすぎてしまった。

なんだか片付けや掃除ばかりしていた気がする。
庭の木々もすっきりとしただろう。
切った枝や葉などが指定のごみ袋で20袋ばかりになった。
植物の成長力はすごくて、また来年になれば剪定が必要になるのだろう。

あたりを見まわすと、ゆずの木にいもむしが数匹いる。
蝶たちは柑橘系の木を好むということを本で読んで知っていた。
期待をこめて、数年前にホームセンターで購入した。
実を期待しているわけではない。
それでも今年はやっとなんとかふたつ実をつけた。

N6507クロアゲハ

先日まではこの容姿だったのだ。
これは眼ではないのだが、眼に見えるところが自然の造形としておもしろい。
なんともかわいらしく思うのはわたしだけではないとも思う。
クロアゲハの幼虫でしょうか。

N6487幼虫1

N6499幼虫2

ダリヤも一輪だけ咲いている。
すっかり秋になったのだ。
いつのまにか蝉はいなくなり、夜に虫たちが鳴く。

N6511ダリア一輪


旅する安芸
すっかり涼しくなってどこかへでかけたくなる。
なにせ毎週三連休であるから、問題はない。
ではあるが、そこはなんとかやりくりしていただくしかない。

N6379道の駅たかの

N6387ゆめランド布野

というようなことで未知の駅をめざして出発である。
摂津の國をたって、播磨、美作、備中、備後を通過して安芸へと向かう。
今夜の宿は庄原にとることになった。
一泊二食付、ふたりで一万円とすこし、料理も旨いしこれまた問題なし。
(かみさんは格安な宿を探すのがことのほか上手だ)
どうしてなのか、旅にでるとよく眠れる。
(これについては異論もあると思うが…)

N6393かんぽの郷庄原

明けて、翌日もいい天気である。
事前の天気予報では三日間ともまず好天とのことであった。
秋のまえぶれ、彼岸花群生地(三次市辻地区)へいってみる。
やはりまだ早すぎたようだ。
ちらほらとしか咲いていない(見ごろは九月下旬とか)。
ただハグロトンボが群舞していた。

N6406ヒガンバナ群生地

N6399ハグロトンボ

ここから南下して、呉の「大和ミュージアム」をおとずれる。
第二次世界大戦のときに大和・武蔵という巨大戦艦を日本は建造した。
当時、イギリスには不沈戦艦とよばれた「プリンス・オブ・ウェールズ」があった。
しかし、マレー沖の海戦で日本軍に沈められてしまった。
航空機主体の戦争に移行していくという時代の流れは日本軍も承知していた。
なのになぜ巨大戦艦をつくったのか、という疑問は残る。

N6427戦艦大和

N6425ゼロ式艦上戦闘機

戦争はそれに巻きこまれた国民に惨禍をのこす。
それはどこの国もよくわかっている。
だがいまも世界のいたるところで戦争の火の手はあがっている。
(規模の大小をとわなければ、そういうことだ)
戦争反対と叫べば戦争がなくなればほんとうにベストなんだが。
そうはいかないことは世界の現状をみればよくわかる。

ゲーム理論によると、最適解は「しっぺ返し戦略」である。
つまり、やられたらやりかえす。
これも欧米各国などはよくわかっている。
自分の身は自分で守るしかない。
(日本だけがそういう考え方の埒外にいるようだ)
(だから、不思議の国ニッポンでもある)
相手のヒューマニズムを信ずるなんて寝ぼけたことは言わない。
(建前としては有効だから、外交的な言辞では常套句でもある)
なめられたら、とことんやられるとは各国が身にしみて知っている。
だからなめられないためにはどうするべきか、を考えてすべての行動がなされる。
(世界でいちばん日本がなめられている感じがする)

N6428サブマリン

なんていうことを考えながら展示物をみてあるいた。
しかしながら日本はとにもかくにも平和だ。

N6433大和ミュージアム

いつのまにかすこし雨がぱらついていた。
ハレの日はつづかない。

今夜の宿はバブル時代の後遺症(?)みたいな施設である。
いたるところに傷みがみられるが活用しなければ、というところか。

まあ夜露がしのげればいい。
若いころはそんな旅を続けていたから問題はない。

最終日の帰路も「道の駅」をめぐりながらである。
最近は新しくできたものもおおく人気も高いようでたいそう混雑している。
トイレもきれいで快適というのがいいのだそうだ。

N6462はっさくん

最後にかみさんがどうしても行きたかったというカフェへ。
御調町にある「まるみデパート」というユニークな名づけのところ。
以前はたしか御調郡だったが、いまは尾道市に合併されている。
そういえば、御調高校に通っているという女子高生にであったことがある。
ずいぶんと前のことである。わたしが二十代前半のころだったろうか。
田舎なんですよ、わが家は虫や蝶たちの無料休憩所なんですです、なんていってた。

N6463まるみデパート

もと医院だという古い建物をうまくつかっている。
人気のお店なんだときかされた。
なるほどね、こういうのがカフェ好き女性にうけるのだな。
すわっていると、ゆったりと時間がすぎてゆく。

N6468内部

N6473おやつセット

二泊三日などあっというまである。
それをいえば休日もいつのまにかすぎていく。
人生も、ということかもしれない。

さて次なる旅はどこへ行こうか。
といっても、もう決まっているのが三つほどあるんだが。


尾道友愛山荘ものがたり(45)
 <最終話>旅の終わり その五(完)

 ヒトの思考は低きに流れるようになっている。
別のいい方をすれば、省エネ指向ということなのだ。
無駄なものはどしどし切り捨ててすすんでいく。使えるものはとことん使う。
行きあたりばったりながら、合理的性をどこまでも追及していく。
まちがっているかどうかなど考えている暇はないことにも対処しなければならない。
多少の失敗、不具合は盛りこみ済みのところがあるように思う。
だからではないが、一度の失敗に拘泥していないで前をむいて生きていくしかない。
また、ヒトが考えることなどたかが知れていると知らなければならない。
決意・信念などというが、たやすく崩れるものだし、ゆるぎやすいのである。
物理学に有名な相対性理論というものがあるが、考えも相対性にゆれうごくのだ。
高尚なことを考えていたはずなのだが、風邪でもひけばころっと変わってしまう。
医者から余命宣告をうけてもゆるぎないという人がどれほどいるだろうか。
考えなど百八十度反転してしまうことなどめずらしくはない。
自分の利害しか考えていないような政治家がいう「ぶれない姿勢」などを信じてはいけない。
そう知ったうえで生きていくしかないのだ。

 光と影、熱気と冷気にさらされた青春だったように思う。
いろんな人に出会って、いろんな経験をして、いろんな思いのなかですごした。
すべての始まりは終わることが前提だといえなくもない。
終わることが始まりへとつながっていくということもあるだろう。
人生は出会いと別れの繰り返し、と歌謡曲にもあるではないか。
別れをおそれて出会いを避けるのは本末転倒である、という人もいる。
失敗をおそれて挑戦をしないということとおなじではないか、というのである。
アンビバレントな感情はだれにもあるのである。
試行錯誤の連続であったとしても、それはそれでいいではないか。
明日は明日の風が吹く、悪くはないかもしれない。
すべてを知ろうとすることは無謀かもしれないが、知らぬふりも大人げない。
知りたくないことも知ってしまうということもよくあるのだ。
そんなことより、これからどうして生きようかと考えながら天を仰いでいた。

 向島からの帰りの船に乗ったのはぼくたちだけだった。
対岸までのほんのすこしの時間、船べりから海面をながめてすごした。
だれもなにも言わずに海風に吹かれるにまかせた。
どこからかきこえてくる汽笛が別れの合図だと思った。
ぽんと飛び降りてふりかえると、向島のドックに建つ巨大なクレーンがみえた。
未来に立ちはだかるのか招いているのか、判断はつかなかった。

 駅前のスーパーマーケットの店頭にはときおりおばさんが乾物などを売っている。
今日はいなかったが、サヨリの干物は安くてうまかった。
デベラも人気があってお土産にと買って帰る旅行者もおおかった。
あぶった肴でいっぱいやるというのがなんともいえない楽しみでもあった。
花見のころはよく食べたし、買いにもここまででかけてきていた。
土地にはその土地ならではの食べものがあり、それが文化でもあるのだった。
懐かしさの感情は写真などの視覚記憶だけでよびおこされるものではなかった。
味覚や匂い、そのとき流れていた歌などとともに喚起される。
なにかはなにかにつながり、ネットワークをつくっているようなのだ。
いつかはそれらがほつれてバラバラになったりしてしまうだろうか。

 土堂小学校の脇をすぎて尾道城の下までのぼってきていた。
石造りの階段に腰をおろして、眼下にひろがる景色をまばゆくながめた。
セミの声はするのだが、うるさいとは感じなかった。

「なんども見た景色やなあ」
「そうね、なんどものぼってきた道よね」
「走って下ったことありますよ。駅まで十分で行けましたね」
「若かったんやなあ」
「いまでも若いじゃない」
「そうでもないかな」
「なんかなつかしい気分になるのはどういうことなんやろ」
「そうねえ、ここにいるのにね」
「どうしてか分かりませんけど、たしかにそんな気持ちになります」
「やっぱり、そうなのかなあ」
「どういうこと」
「教えてくださいよ」
「予感があるからじゃないかな」
「別れの、ってこと」
「いつかはくるんですよね」
「そう、かならずくる」
「いやよねえ、でもしかたがないのよね」
「宿命なんだ」
「形あるものがいつかは壊れるように、出逢ったものたちはかならず別れる」
「それがさだめの浮世なれ、かしら」
「別れない場合もあるのではないですか」
「まあ、例外のない法則はないというからな。しかし最後は別れなければならない」
「でも別れたら、また会えるということもいえる?」
「そうですよね」
「そうや、途中経過のなかではという限定付き」
「ムッシュ、ちょっと意地悪よねえ」
「身も蓋もないないです」
「そういうなよ。そう思ったほうがいいだろ」
「最低ラインを想定しておくのね」
「そうか、でも淋しいです」
「またどこかで会えるよね」
「会いたいですね」
「会えるんじゃないの、たぶん」
「たぶんは余計よ」
「そのときはどうなってるかな」
「さあ、もういいおやじ、もしかしたら爺さんかも」
「やだあ、わたしもおばさんになってるってこと。会いたくないかも」
「それより会ってお互い分かるか不安です」
「わかるさ、それは保証する」

 ヒトの細胞は日々入れ替わっているという。
一年もすればすっかり元の細胞はなくなって新しくなっている。
でも、ぼくはぼくであって、あなたはあなただ、なんとも不思議なことである。
記憶のなかと現実の乖離はどうなっているのだろうか。
たぶん、ヒトの記憶は眼の前のヒトのはるかむこうをみているのだろう。
現在の網膜上の投影画像が、過去の記憶とリンクをしているのだ。
つまり、現前するあなたのむこうに以前出会ったあなたを見ているのである。
視るとは単純な網膜上の刺激の再現ではない。
そこに意味がなければ視えていることはならない。
どこかでまたいつか、あなたというクオリアに出遭えるかもしれない。

ヒロミちゃんとセンちゃん


尾道友愛山荘ものがたり(44)
 <最終話>旅の終わり その四

 突然の雨に誘われて這いだしてきたのだろうか。
アスファルトの上をくねくねと進んでいる蚯蚓がいた。
だが、はやくも黒くアスファルトを濡らしていた雨は乾きはじめている。
土のなかにもどろうとしても、堅固なアスファルトに阻まれてしまう。
どんどん気温は上昇するばかりだ。
いつのまにか、のたうちまわるようになった蚯蚓の体内から水分はうばわれていく。
体をくねらせることしかできないで、身もだえを続けていた。
それもやがて動かなくなってしまった。
あっというまに水分はうばわれ干からびていくのだろう。
自然はそれでも活動をやめることはない。
いつしか蟻たちが集まってきていた。
こうしてやがてなにごともなかったかのような日常にもどる。

 だが、それもわたしがそう思っているだけかもしれない。
世界は、宇宙はなにも変わりはしない。
いや、そういうことではないな。
こうしてすこしづつ変化していくのだ。
わたしたちが知ろうと知るまいと、まったく無関係に進行していく。

 そんなことを考えながらぼんやりしていた。
キラキラとした反射を感じて見あげると赤トンボが飛んでいた。
編隊を組んでスイスイと空高く飛んでいる。
はやくも季節はつぎなるステージへと移行している。
死ぬものと生きるものがいる世界、なぜだか知らないが切なくなった。
これから始まるであろうことを暗示しているように感じたからか。

F0073西郷寺(時宗)

「赤トンボが飛んでいるなあ」
「そうね、もう秋が近くなってるのよ」
「これでやっと暑さからのがれられますね」
「秋かあ、どうするかな」
「どうするって?」
「夏休みはもうお終いってことやな」
「そうね、終わるのよね」
「なにごとも終わりはあります」
「そう、それは始まりの合図でもある」
「なにがはじまるのかしら」
「さあ、なんですかね」

 それでもまだまだ強い陽射しがぼくたちに降りそそいでいる。
光はどこからやってくるのだろうか。
太陽からだということは知っているのだが、なぜ太陽は輝いて燃焼し続けているのか。
科学はなぜに答えられないというが、人はなぜと考えてしまう動物である。
なぜが成り立つこともあるが、なりたたないこともある。
なぜ、なぜと考えるのだろうか。小学生のような気分になった。
きっと学生のときの思考習慣が抜けきらないのだろう。
テストにはかならず答えがあった。
答えを探す、知る、記憶しておくことがテストされるということだと思った。
でも生きているなかで、答えのないことがあると知るようになる。
はて、答えとはなんだろうか、といつか考えるようになった。

「ほんとうに、これからどうするのがいいのかなあ」
「答えはいろいろとあるんじゃないの」
「たとえば、どんな」
「まっとうな職業に就くとか、仕事にありつけそうな資格をとるとか」
「なんかちがう気がするんですが…」
「そうか、どんな生き方がいいとかってこと」
「近いけど、しっくりこない」
「でもね、仙人じゃないんだから霞を食って生きてはいけない」
「そこですよね。食うために生きるのか、生きるために食うのか」
「そうやな、そこが悩みどころやなあ」
「まあ、高尚なお話で」
「ヒロミちゃんはそんなこと考えないの」
「それはまあ、人並みには考えますけど」
「けど、の後にはなにがくるんですか」
「人はパンのみにて生きるにはあらず、だから」
「パンばかりだと飽きるから、たまにはケーキも食べたいし」
「そうですよね。うどんとか蕎麦、ラーメンもありますね」
「そう茶化してばかりいると天罰がおちるから」
「ごめん、ごめん。そいう意味やないんやけどなあ」
「じゃあ、どういう意味なのよ」
「パンのみには云々、ということは物質的なものだけではなくもっと精神のこともということやろ」
「そうよ」
「しかし、食生活をないがしろにしては正しい生活はおくれない」
「ふーん、それで」
「物質と精神、唯物論と唯心論の統合されたものを考えねばならない」
「わかった、あまり考えてないということね」
「畏れいりました。ヒロミちゃん鋭いなあ」
「まあ、慣れですね。同じようなことばかり聞いているとね」
「でもねえ、二分法の考えは動脈硬化をうながすな」
「つまり、気温でいえば暑い寒いかというのは、これは相対的なものやな」
「人によっては25℃が暑いと感じたり、いや寒いと言ったり」
「それはそうよ」
「だから、25℃という物差しをつくったわけやな」
「暑いか寒いか、という二分法ではないものをね」
「でも、ちょうどいい気温でいうのがあるんじゃないの」
「えっ、そやなあ、困った」
「めずらしいですね、ムッシュがやりこめられて。すこし愉快です」
「よろこんでもらえて、うれしいわ」
「なんだか話が逸れてない」
「そうや、なにが言いたかったんやろ」
「これからどうやって生きるのがいいのか、でしょ」
「もうある程度落ちこぼれているわけやからな」
「そうですね、官僚は無理でしょうね」
「そやけど、司法試験は学歴不問やで」
「検事とか弁護士っていやだなあ」
「おれも、人を裁くってのが性にあわんな」
「わたしは芸能人やモデルって柄じゃないし」
「みんな好き勝手なこと言ってる」
「言うだけやったら自由ですから」

 三人で笑ってみたけれど、なんだか盛り上がらない。
だけど、これまで生きてきてみんなに会えたということは素敵なことだ。
そう考えたら、なんとかやっていけそうな気もするのだった。


尾道友愛山荘ものがたり(43)
 <最終話>旅の終わり その三

 眼の前か空かはわからなかったが、こちらは見ずにヒロミちゃんは話しだした。
東京は人がこころやすらかに暮らせる街ではないのよね。
だからといって、どこか別の土地で暮らせば解決ということでもないんだろうし。
なんだか毎日決まりきったレールの上を走っているだけの気がする。
だからかな、ときどきこれじゃいけないって思う。
でもね、なにがいけないのかも分からないのに莫迦よねえ。
ふと気がついたら何カ月もすぎていた、なんて感じなの。
わたしって、こんなふうに生きていてそれでいいのかな。
わたし自身が納得できるというか、やすらかな生活ってほんとうにあるのかな。
そんなこと考えたりするとき、なにがなんだか分からなくなるの。
王子様がやってきて連れ去ってくれないかな。
それですべては解決、そんなことあるわけないのに弱いなわたしって。
男の人とお酒飲んだり話してたりしていても、なにか醒めた自分がいるときがある。
彼のことが好きとか嫌いとかという問題じゃない。
こんな気持ちはだれだってあるんだろうけど、わたし駄目よね。
逃げるばっかりで向きあわないからいけないんだろうな。
でもどう向きあったらいいのかわからない。
なにをどうすればいいの。なにもしなくていいの。どう思うムッシュ。

 人にはそれぞれ悩みがある。
それはお金持ちであるとか貧乏であるとかとは関係がない。
頭脳明晰でありさえすれば悩まなくていいのかということでもない。
呑気そうにみえるからといって、なにも苦悩をかかえていないとは限らない。
だれも他人のこころのなかまでは観とおすことができない。

 ぼくだって、いつも考えているんだよ。
これは答えのない問いだといえるかもしれない。
答えはだせるかもしれないが、その答えがまたあらたな問いを生むんだ。
だから終わりなき問いということになるのかな。
いや、終わりはあるけどね。それはぼくが死ぬときだ。
だから自殺ってあるのかなあ、なんて思うよ。
でも、自殺しなくてもかならずいつかは死ななければならないというか、死ねるというか。
この世のなかで人の死くらいじゃないのかなあ、絶対といえるものは。
いろんな本を読んだりしたけど、禅のなかにこんなのがあった。
禅問答なんてつまらないなという感想だったけど、これはちがった。
生きるとは、ただ生きるということ。
自分なりに解釈すると、あれこれ言い訳しない。
自分がした行為の結果はすべて謹んでうけいれる。
泣き言はいわない、というか言ってどうなるものでもない。
言ったら気持ちが軽くなるのでは、というのはうそ。
泣き言は姿勢を後ろ向きにして見ないようにしてるだけだからだめ。
楽しく暮らしても、泣いてくらしても、恨んでくらしても、一生は一生。
できれば楽しく暮らしたいものだよね。
とはいいながら、失恋ありいの、失敗ありいのだけどね。
病は気からというじゃないか、気持ちのもちようは大切だよ。
って、なにが言いたいんだろうねおれって、ハッハッハ。

 そうですよね、とサンペイもつられたのだろうか。
おれっちもこんな生活してていいのかなあって不安ですよ。
でもヒロミちゃんやムッシュみてると、いろいろ考えてるんですよね。
だけどこれでもいいじゃないか、とか無理やり思ったりしてます。
やっぱりみんないろいろ悩みはありますよね。
ないほうがおかしいぐらい、おれだって分かりますよ。
どうすればいいのかなあ。
仕事探さないといけないんでしょうね。
それに人ってどう生きていくのが正解なんでしょう。

「正解なんてないよね、それはわかるよな」
「そうかしら、あるんじゃないの」
「要は自分が納得できるかどうかでしょ」
「それはそうだけど、その納得できることはなになのか、がわからないんですよ」
「人のふり見て、わがふり直せっていうよ」
「どういうことですか」
「ものごとはね、なんでも模倣からはじまるんだよ」
「なんか分かるようで分からない」
「赤ん坊がね、ことばを覚えるのもお母さんの口まねからだからね。芸術だって模倣、つまり模写す
ることが原点にあるでしょ。いきなりなにかが生まれることなんてことはない」
「でも所詮は、まねでしょ」
「なにか模倣を甘くみているような気がするけど。そんなに簡単じゃないんだよ。まず模倣するには
対象物をよく観察しなければならない。観察するということは、集中力がないとできない。集中する
には訓練が必要である。修行といってもいい。こうした経験を積んではじめて模倣がなにかを知って
いくわけだ。こう説明してるとそれって模倣ですか、と思うだろ」
「まねするって、もっと簡単じゃないんですか」
「まねするったって、ピンからキリまであるでしょ。本物そっくりから箸にも棒にもかからないまで。
だから模倣はスペクトルをとるんだね。このスペクトルのなかでサンペイくんはどのへんを指してい
るのかな」
「またまた、どうしてそんなに難しく言うんです」
「ごめん、つい無駄な教養がでてしまった。つまりおなじようでもおなじでないものがある。ひと言
で模倣とくくれないということ。まあ、だれかの生き方を参考にさせていただいたらどうかと」
「それがねえ、なかなかそういう人がいないんですよ」
「いるんじゃないの、どこかそのあたり」
「まったくといっていいほどいません。あっ、ムッシュは尊敬してますけど、すこしちがうかな」
「残念やな。まあそういう視点をもって生きていたら、見つかるんじゃないかな」
「そうですね、気をつけてみます」
「なに、ふたりで真面目なふりしちゃって。変よ」
「じゃあ、ヒロミちゃんはどうなんや」
「やはりね日々の仕事に真摯に取り組むということかな。職業に貴賎はないっていうでしょ。そうし
て暮らしていると、いつかは素敵な…」
「王子様が現れる、というんかいな」
「そんなことは言ってませんけど。べつにハンサムな若者でもいいのよ」
「気がつかないだけで、あんがい身近にいるんじゃないのかな」
「残念ですが、あなたがたにはまったく該当しません」
「きついなあ」

 サンペイが笑っている。笑えばなにかいい考えがうかんでくるとでもいうように。

4885向島


尾道友愛山荘ものがたり(42)
 <最終話>旅の終わり その二

 神社には雨宿りするのにちょうどいい森があった。
おおきなクスノキには注連縄がまかれており長い年月を感じさせた。
信心深いとは真反対なぼくたちだったが、なにかしらこころに響くものがあった。
しばらくすると、雨もあがりそれまでは止んでいたセミがまた鳴きだした。
ミーンミーンとうるさいほどの鳴き声もまた夏の風情だったのだ。
境内におかれたおおきな床几に腰をおろした。
見あげながら、ふりそそぐセミの声をあび続けていた。
すこし涼しくなったような気もするが、異界にはまりこんでしまったのだろうか。

「なんだかゾクっとしない、ムッシュ」
「それよりなんか頭がぼんやりしてきたわ」
「暑さを感じなくなりましたね、変な気分です」
「やはり神様がおられるのかしら」
「信仰心あるんやねえ、ヒロミちゃんは」
「そうでもないんだけど、そんな気がするのよね」
「鎮守の森って、依り代なんだろうね」
「なにそれ」
「杜の木々には神様が住んでいるという信仰だよ。一種のアニミズムでもあるんだろうな」
「だからかしら、神聖な気分になるのね」
「そやから、カップルが神社に来たりするのに違和感があるな」
「どうして」
「そりゃあ、神様だってやきもちを焼くんじゃないの」
「そうかな」
「そやから、カップルで参拝に行くと別れるなんて言い伝えがあるのよ」
「聞いたことありますよ」
「別れたいときの神頼み、だったりして」
「どうしてそう皮肉っぽく考えるのよムッシュは」
「すんんまへんなあ、人間素直じゃなくて」
「そうそう、素直にしないと幸せになれませんよ」
「そうよね、悲しすぎるわね」

 ときおり涼しい風が吹きぬけてゆく。
ここから岩子島へはそんなに遠くはない。
いつだったろうか、海水浴に行ったことを思いだした。

 海岸べりには家族連れがちらほらといる程度だった。
砂浜にカラフルなパラソルを立てた。
強い陽射しからへだてられたちいさな空間はそれでも快適だった。
しかし、熱をふくんだ風が肌にあたる。
意を決して汀へと走りだす。しぶきをあげてなおも走る。
もういいかと、ばったりと前へ倒れる。
つよく潮のにおいを感じながら、頬で水のつめたさをうけとめる。
おおきく手をのばして、ぐいとばかりに足で砂地をけった。
眼の下にゆらめく光景のなか小魚が泳いでいた。
生きているものたちよ。
生命ってなんて不思議なんだ。
水の惑星ってだれかが言っていたな。
大地と海、か。
 
 がばっと立ちあがって砂浜のほうをふりかえった。
かげろうのなかにあるように景色がゆれていた。
一瞬、音がすべてなくなった。時間がとまったのか。
だが、とまるわけがない。なのにとまって感じるわたしとはなにか。
それが生きるということなのだろうか。

 パラソルのなかにもどって水をしたたらせた。
合成樹脂でできたシートは海水をはじいてちいさな流れをつくった。
紆余曲折しながら端っこから砂地に黒い染み模様をみせた。
あっというまもなく蒸発してもとの色にかえる。
すべてのことはこうしてあったのかなかったのか、わからないこととなる。
網膜上のインパルスもすでになく静かな状態にもどっている。

4878尾道海岸通り

 あれは夏の日のまぼろしだった、とだれかがいう。
そのときには、たしかに起きたことなのかどうかという問題ではすでにない。
まぼろしであれば納得できるのにという思いの表明だったりするのだ。
くわえて記憶というのは、はかないものだ。
写真のようなものと考えるのはまちがいのはじまりである。
どちらかというと、砂に書いた文字のようだ。
風が吹けば、浪がうちよせれば、雨が降ったりしようものなら。
あるいはだれかの手によって、あるいはちょっとした噂話にでも影響をうける。
そんなはずはない、と思うことによってほんのすこし慰めはあたえられる。
だが、よくよく考えてみなければならない。
こんな経験をしたことはなかっただろうか。
あのときレストランでこんなことがあって驚いたわね、というあなた。
いやそうじゃなかっただろう、こうだったじゃないかという彼。
そんなことはないわ、あたしのほうが正しいんだから。
なにをいっているんだ、ばかなこというなよ。
そのときその現場にいた給仕人はにんまりする。
どのようにご理解されてもご両人の自由ですから、でもどちらもちがいますけど。
刑事ドラマのように目撃者の証言によって決着はつかない。
どちらかというと、記憶なんて簡単にくつがえされるのだ。
人は暗示に弱い。その暗示がまさに彼の望んでいるようなものであったりしたらどうなる。
なつかしい記憶は美化される、という。
人は見たいものしか見ない、と同様に記憶したいものしか記憶に残らない。
メモリはアポトーシスの森を抜けなければならないのだ。

 はるかかなたから雷鳴が轟いてきた。
ゴロゴロとする音の方角をみあげた。
空には湧きあがる真っ白な積乱雲のなかにときおり稲光がはしる。
すこし遅れて音がのろのろときこえてくる。
頭上の空はあくまでまぶしく青く晴れわたっている。
トンボがたくさん飛びかっているのに気がついた。
なかに赤い色をしたものもいる。アカトンボだな。
思いだすのだが、夏休みも終盤になると小学校の校庭を群舞していた。
それは秋の始まりであり、夏の終わりでもある。

「ムッシュ、なにを考えているの」
「もうそろそろ夏も終わりかなあ、って」
「そうね、雷は夏の終わりを告げるのよね」
「暑い夏ももうおしまいですか」
「そう考えると、なんやちょっと淋しくなるんやな」

 意味もなく遠くをながめてしまう。
遠くになにかがある、というわけでもないのだが。
いや、なにかはあるのだ。
あると考えるしかないのではないか、ぼくたちは。


尾道友愛山荘ものがたり(41)
 <最終話>旅の終わり その一

 嵐のような一夜が明け、空は一転からりと晴れわたっている。
セミの鳴き声が山荘全体をおおうように降りそそぐ朝になっていた。

 夏が過ぎれば秋になり、やがて冬がやってくる。
季節はめぐりめぐりて、いつしか春になっている。
そんなことの繰り返しだといえば、そうである。
そうなのだが、どこの国でもおなじだというわけではない。
四季が移りゆく日本に住んでいるからそう思うだけなのかもしれない。
こうしたことが自然なんだと思って暮らしているだけなのだ。
しかしひとたびちがった状況に遭遇するとき、すべてが根底からくつがえされる。
あらゆることにそういった状況がみられるのだ。
あのときのこともそうだったのだろうか。
冷静に考えてみれば、もっとちがった行動がとれたのかもしれない、と思ったりする。
すぎさった時間は遡行することができない。
だが、人はいつもいつも悔恨の日々をおくっているわけではない。
過去にちがった面をみいだし、新たな過去へとふたたび記憶をたどる旅にでることもある。
もちろん記憶のあてにならないことは重々承知している。
だが、それでも旅を断念することはできない。

 夏の終わりになれば、朝夕には涼しげな風を感ることがふえてくる。
旅をする若者にとってはひとつの岐路になり、ここで街に帰るのか、旅を続けるのか。
都会の喧騒がなつかしいと感じたならば、帰るのがよい。
そう思えず、なにかにこころひかれつつ旅をつづける者もいた。
季節が変わるときが旅立つきっかけになるのであるが、さりとてゆくあてもない。

 都会のどこに未練があるのだろうか。
人なんてのはどこでだって生きていけるじゃないか。
いや、都会じゃないほうが人らしい暮らしができるというものじゃないか。
こうした地方回帰の雰囲気もあり、大都会をジャングルと形容したりした。
人間関係を砂がはらはらと指の間からこぼれ落ちるかのような沙漠と比喩する。
街育ちには田舎への憧れがあり、地方に暮らす若者は未来都市を夢想する。
ふとしたきっかけで旅にでることもよくあることだった。
気がつけば汽車に乗り車窓の景色をながめていたりする。
いつまでこうした暮らしが続くのだろうと考えることもないではない。

 いつものように朝の掃除をした。
いつも聞いている歌声が館内にこだまする。
♪ 好きよ好きよキャプテン、小麦色の肌に ♪

「若いっていいなあ」
「夏の高校野球も終わってしまいましたね」
「なにか打ちこめるものがある、ああ青春やなあ」
「そうですね、なつかしい気がします」
「えっ、そんな経験したの」
「そりゃあ、ぼくだっていろいろありましたよ」
「そうやろな、だれだってあるやろな」
「わたしもあるわよ」
「どんな」
「どんなって、いろいろよ」
「そうやな、いろいろあるよな青春は」
「われら、まだ青春ですよね」
「そうかもしれない」
「そうよ、そうよ」
「成長途上ということで」
「成長できるんでしょうか」
「神のみぞ知る」

「ねえ、町へ行こう」
というヒロミちゃんのひとことでぼくたちは動きだした。

 お盆休もすぎて、旅行者も日に日にすくなくなってきていた。
それでも尾道の町は暑くて、なんだかだらだらと暮らしているという気がした。
山荘をでて坂道を下り線路をこえてアーケード街までやってくる。
日陰にはいればほっとひと息つける、そんな夏の日だ。
すでに気温は三十℃近くなっているのではないか。

「渡船に乗れへんか」
「どこに行くの」
「とりあえず、向島へ」
「なにかあてはあるんですか」
「ない」
「ないって、どうするのよ」
「人生に目的はあるのか」
「そりゃあ、あるでしょ」
「おれはないって思うな、サンペイくんはあるんか」
「あるっていえば、ありますけど」
「わたしはあるわよ」
「ヒロミちゃんの目的は」
「みんなと仲良くすることよ」
「えっ、そんな、ことなん」
「なにかいけませんか、倫理的にでも」
「それは、ないわな」
「でしょう」
「ヒロミちゃんって、あんがい哲人なのかも」
「ふっふっふ、ムッシュの真似してあげた」
「うーむ、おぬしやりおるな」
「あー、のどが渇いたわ」
「即物的でもあるな…」
「なにか言った?」
「いえ、めっそうもない」
「であろう、よきにはからえ」

 あきれた顔していたサンペイはさっさと近くのお店にはいっていった。
なにやら店のおばさんと会話していたが、両手にアイスクリームをもってでてきた。
ヒロミちゃんはちょっと眉をあげ、にっこりして受けとった。

 駅前の渡船乗り場から向島へむかう。
船のベンチに横並びですわり、冷たいアイスをなめた。
青い青い空に積乱雲がもくもくと立ちのぼっていた。
夏の日をうけて海面がきらきらと反射してまばゆいばかりだった。
風がぼくたちのまわりでゆれながら踊りながらとおりすぎていくのだった。
波のしぶきがまぶたにあたる。
指でなぞって口に入れたら、潮の味がした。
鼻孔がすこしひらいて、海を吸いこんだ気分になった。
なぜだかしらないが対岸までの十分あまりの時間が永遠のように思えた。
船が減速したとき、身体がうける加速度が胸に迫ってくるように感じられた。
悲しいから泣くんじゃない泣くから悲しいのだ。
唐突にうかんできたのはジェームズ・ランゲ説だった。
いまがそういう状態だと、おれが認識しているのか。
なぜだか落ち着かない気分でどうでもいいからはやく着いてくれと念じていた。

 そのとき急に雨が降ってきた。
はっとした途端、なにかを悟った気がしたがなにを悟ったかは分からない。

2479渡船



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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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