ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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寒風と読書
駅で待ちあわせをすることになった。約束時間のすこし前に着いて、改札口がみえる柱にもたれて脚
を交差するようなかっこうで本を読んでいた。なかなか相手は現れない。まあ、いい。そのまま読書
をしていた。冬のことで足元が寒かった。なんどか足を組みかえてみたが、じんじんしてきた。時計
を見る。すでに30分以上すぎている。もうこないのだろう。なにか急用でもできたのだろうか。そ
れとも忘れてしまったのだろうか。携帯電話もない時代だったので、そこであきらめた。相手から相
談があるということだったのだが、もう解決したということなのだろうと思った。あまりに寒かった
のでどこかで熱燗でも飲もう。路地奥の居酒屋で関東煮をあてに燗酒をのんだ。五臓六腑にしみわた
るというのはこのことだ。そのあいだも文庫本を読むことをやめなかった。すっぽかされた、という
事実を考えたくないだけだったのだろうか。もしや、ふられたのか。書名は思いだせない。

N6605蝶二匹

「闊歩する漱石」 丸谷才一 講談社 ★★★★
漱石の出世作は「坊ちゃん」であることはいうまでもない。しかし、単なる痛快青春グラフティのよ
うなものであったのかと思ったのだが、丸谷氏はそういう立場をとらない。
『つまり『坊ちゃん』はイギリス十八世紀文学のことを考えつづけるかたはらに想を構へ、筆を執つ
た小説であつた。それゆゑもしもあのころの漱石の小説を大学教師の余技とする立場(これが昔は横
行した)に立てば、『坊ちゃん』はイギリス十八世紀文学研究の副産物と見立てることもできるでせ
う。そしてもちろんわたしとしては、漱石がフィールディングに刺激され触発されたからこそ、あれ
だけの名篇を書くことができたと感がへるのである。念のため言ひ添へて置くならば、一般に文学作
品は単なる個人の才能によつて出来あがるものではなく、まして個人の体験のみによつて成るもので
なく、伝統の力による所が大きい。しかもそれが自国の文学の伝統と限らないことは言ふまでもない
でせう。』
イギリスに留学していたことがおおきく影響しているというのである。漱石は作家になるまえは英文
学の研究者、教師であった。
『コールリッジが、亡くなる二週間ほど前、友達を相手に文学談に興じてゐる最中、文学作品で構成
の見事なものが三つあると言つた。それは、
 ソポークレス『オイディプス王』
 ベン・ジョンソン『錬金術士』
 ヘンリ・フィールディング『トム・ジョーンズ』
の三つです。』
どれも読んでいないのだが、ベン・ジョンソンは知らないですね。さらにこれに「坊ちゃん」を並べ
て丸谷氏はこう言うんです。
『といふ名作のリストをじつとみつめてゐるうちに、わたしは一つ妙なことを考へた。『坊ちゃん』
は『トム・ジョーンズ』の影響下に書かれたのではないかと思つたのです。』
うーむ、また読んでみなければならない本が増えた。こういう本との出会いは楽しい。

「日本雑記帳」 田中章夫 岩波新書 ★★★
中国語とおなじく日本語も漢字をつかう。だが、おなじ漢字であっても意味はちがうこともおおい。
『「奥さん」の意味の「愛人」や「無理やり」の意味の「勉強」、あるいは「自動車」を指す「汽車」
などは、日中両語間の意味の隔たりの例として、よく引かれるが、日本に来た留学生などがとまどう
のは、大学の「学長」は「同窓生・先輩に対する尊称」であり、学校の「長」は小学校から大学まで
「校長」である。』
おなじ漢字だから余計に混乱するのでしょう。熟語など中国からきたものもおおいのですが、逆に日
本から中国へと逆輸入されたものもおおいのです。「新名詞」と名づけられて排斥もされながらも、
「取締・場合・打消・手形・切手・片務・経済・相場」など二〇世紀初頭に中国へ流れこんでいった
のです。また科学技術・医学などで「遺伝・温度・科学・細胞・触媒・比重」なども日本語由来なん
だとか。どれがと判断するのは至難のわざのようです。身近なことばではこんなのがあります。
『永井荷風が、一九一九年(大正八)に発表した、短編『申訳』の中に、
  お民は父母のことを呼ぶに、当世の娘のやうに「おとうさん、おかあさん」とは言はず「おつか
 さん、おとツつアん」と言ふ。僕の見る所では、これは東京在来の町言葉で、「おとうさん」と云
 ひ、「おかアさん」と云ひ、或は略して、「とうさん、かアさん」とふのは田舎言葉から転化して
 今は一般の通用語となつたものである。
という一節がある。東京人を自負する断腸亭主人には「オトウサン・オカアサン」は耳ざわりなコト
バだったようである。』
ちょっと考えると、逆のような気がするのだが実際はこうなのだったのでしょう。ことばは時代と共
に変化していくものです。いまでは「パパ・ママ」なんて呼ぶ家庭もおおいのではないかと思われま
す。それぞれこだわりがあるのでしょうね。関西の芦屋あたりの子息は関西弁をしゃべらない子ども
もいるし、意外に「おとうさん・おかあさん」派が主流なようです。「パパ・ママ」はすこし恥ずか
しいという感覚のようで、呼び方は厳しく躾けられているようであります。


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干柿その後
あれから晴天続きでいい感じになってきました。
鳥に取られないようにときどきは見守っています。
しかし、取られたらそれはそれでしかたがないでしょう。
と言うと、かみさんはとんでもないと反論いたします。

せっかく手間ひまかけたのに、と。
それもわかるのですが、すこしぐらいあげてもいいかなと。
ただきれいに食べてくれるのか、そこが心配です。
そこかい、と突っこまれそうですが。

熟しすぎた柿の実にメジロが集まっていた光景を思いだします。
これは塩田字八幡宮に初詣にいったときのことでした。

N1452柿とメジロ

まあ、食べてみないとおいしいかどうかわからないですが。
正月に食べられるか、そこまで残っているか(笑)。

N6628一週間後


ラベンダーマンの季節
ときおり電車のなかでみかけるラベンダーマン。
まだコートは着ていないがあいかわらずデニムの半パンツ姿だ。
今朝も耳にはおしゃれなのかどうかわからばいが、シルバーのリングがゆれていた。

いつも喉元でひっかかってる感じでもどかしかった。
あの芸能人というか俳優さんに似ているのだ。
顔も思いうかべることができるのだが、名前がでてこない。
もともと記憶になかったのだろう。
ではどうしたら知ることができるのかと思いあぐねていた。

あるときテレビで偶然にその俳優さんを見た。
名前がテロップでながれた。
覚えた、佐藤二朗さんだとわかった。

たしかにあごのあたりが似ている。
ゆっくりと安堵の気分が満ちてゆくのであった。

N6587秋桜


干柿作り
いつも干柿をいただくご近所さん。
今年はことのほかおおくの柿が田舎から送ってきたのだという。
自分で作ってみたら、おいしいかもしれないよ、って。

いろいろとネットでも調べて、いざ干柿づくり。

やってみるとなかなかおもしろい。
小学生のころにもどったような気分になる。

竹原の山里でみたようにはならないが、まあよしとしよう。
いまから楽しみである。
とかいいつつ、そんなに干柿好きだったか、とまあ疑問もある。
しかし、いいではないか。
やることによって分かることもある、ということですな。

N6626干柿作り


読書する女性
その女性は壁際にすわって本を読んでいた。離れた場所からなのでどんな本を読んでいるのかはわか
らない。広間のような畳敷きの部屋の片隅にである。窓からの朝の光が彼女の顔半分に射していた。
まわりでは多くの人が行きかっていた。話し声もきこえてくる。だが、そんなこともなにも気になら
ないというふうに読書していた。しばらくぼくがながめているあいだ、顔をあげることもなかった。
ふっくらした頬がすこし赤みがかってみえた。大学生なのだろうか。おちついた雰囲気をかもしだし
ている。だれかに呼ばれてすこしのあいだその場を離れた。戻ってきたぼくがふたたび見たとき、す
でに彼女はいなかった。どこに行ったのか、探そうという気はまったくしなかった。逆に、ほんとう
にここに居たのだろうか。なんだか夢をみているようだ。そのときふいに思いだした。本を読んでい
る彼女が微笑んでいたのを。アルカイックスマイルとでもいったらいいのだろうか。

N6545額縁の島

「警視の因縁」 デボラ・クロンビー 西田佳子訳 講談社文庫 ★★★
ダンカン・キンケイド警視シリーズの第十三作目になる。シリーズものが長く続くというのは人気が
あるという証である。しかし、ながく続くことによる弊害がないわけではない。いわゆるマンネリに
なるのである。だからマンネリを避けようとして墓穴を掘る方向へと作品がむかってしまうことがな
きにしもあらずなのだ。また作中の人物が歳をとることになる。警察の機構のなかにいれば昇進する
こともあるだろう。するとおのずと仕事の内容、進め方も変わらざるを得ない。それがミステリの場
合など変化であったり、あるいはなにか違和感であったりするのだ。このシリーズはどうなのだろう。
ダンカンのパートナーであるジェマの友人ヘイゼルを訪問したとき彼女の夫ティムの知り合いのパキ
スタン出身の弁護士ナツが娘を残したまま、どうやら失踪したのではと相談をうける。彼の妻サンド
ラも数ヵ月前から行方知れずになっていた。どうやら事件に巻きこまれたのではないかと心配してい
るところにナツが公園で遺体で発見されたという知らせがとどく。自殺ではなく殺されたのだった。
事件は所轄からの要請でスコットランドヤードのキンケイド警視が担当することになった。残された
幼いシャーロットはどうなってしまうのか気をもむジェマ。事件はどうやら移民問題にも関係があり
そうな様相になってくるのである。ミステリは時代をうつす鏡でもあり、イギリスもそうした問題を
抱えていることが本作からもうかがえるのである。

「お言葉ですが…別巻⑥ 司馬さんの見た中国」 高島俊男 連合出版 ★★★★
高島さんは本が好きでよく読まれる。で、本の話がこれまたよくでてくる。今回はこんな話に興味が
わいた。小島毅『「歴史」を動かす 東アジアのなかの日本史』亜紀書房、この本のことをこう書く。
『「現在日本国がこういうかたちで存在しているのは、足利義満のおかげです。」
「へえっ」と思いますよね。足利義満なんて、あんまり知らない人だものね。
 この本は、この「へえっ」にみちみちている。びっくりすることばかり。』
歴史上の人物ではあるが、そんなに有名ではないですね。その後、この小島氏の本の紹介が続く。
『研究者たちは日本の歴史の事実をつぎつぎに明らかにしているのだが、それは一般の日本人には知
られない。一般世間ではあいかわらず、古くさいおはなしが通用している。それを少しでも正すため
に、小島先生は熱心に講演活動をしているのである。
 この本は、坂本龍馬のことからはじまる。坂本龍馬は明治維新に何の働きもしていない。明治の初
めごろには誰も知らない人であった。ある時明治天皇の皇后が夢を見た。白い服を着た人が出てきて、
自分は海軍の守り手だと言った。おつきの田中光顕にきいたら「ああそれは私の友人の坂本龍馬とい
う者です。いつも白い服を着てました」と言ったので、名が知られるようになったそうだ。皇后が会
ったこともない、存在も知らない者が夢に出てくるというのもけったいな話ですねえ。
 今の日本人が思い描く坂本龍馬は、司馬遼太郎が作った虚像である。
 そのように、現在世間で流布している日本史観念を作ったものとして小島先生は、三つのものをく
りかえしあげる。頼山陽の『日本外史』と、司馬遼太郎と、NHKの大河ドラマである。先生は大河
ドラマを実に丹念に見ていらっしゃる。頼山陽については「一九世紀における司馬遼太郎のような役
割をはたした人なのです」とある。端的でわかりやすいね。
 いや、この三者を、取るに足りないもの、として軽視するのではありませんよ。それどころじゃな
い。「頼山陽の『日本外史』がなかったら明治維新はなかったろう」とあります。
 『日本外史』は、源平から徳川氏までの時代を書いた歴史書である。水戸藩の『大日本史』の観点
によっている。文政年間、十九世紀前半に出た。幕末の知識人たちは皆争ってこれを読み、これが日
本の歴史だ、と信じた。』
歴史かあ、そういえば大学生のとき読んだ本を思いだす。E・H・カー「歴史とはなにか」岩波新書。
正しい歴史認識なんてなにを言っているのだろう、と思いますよね。


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雨に濡れた本
窓の近くに本棚をそなえていた。暑いときなど開けはなしたままにしていた。出かけている間に雨が
降ることもあった。帰ってくると本棚が濡れている。しまった、と思っても後の祭りである。くっつ
いてしまったページを一枚一枚ひろげて乾かす。しかし雨にいちど濡れた紙はもうもと通りにはなっ
てくれない。よれよれとなって、変に分厚くなってしまっている。なんだか情けなくなって後悔しき
りだった。だからといって捨てるのはしのびない。そのまま本棚の隅っこに引越しをすることにした。
なにかの拍子にその本たちが目にはいる。後悔の念がまたわきあがる。だから見ないようにしようと
するのだが、それが反対に意識する結果となる。いまではそれらの本たちもどこかに散逸してしまっ
た。ときどき思いだすことがあるのだが、なぜか書名は記憶にない。なにか抑圧があって、無意識下
に押しこめられてしまったのだろうか。雨が降ると思いだすことがある。

N6558窓辺

「バカの壁をぶち壊せ! 正しい頭の使い方」 日下公人 養老孟司 ビジネス社 ★★★★
日本のジャーナリズムについて養老先生はこういいます。
『七〇年安保のころ、学生運動の騒動の真ん中にいて、朝日新聞が記事を書くたびに状況が悪くなり
ました。ジャーナリズムは事件の当事者なんですが、書いている記者自身に、自分が当事者だという
意識がない。それが大問題。自分たちが書くことで、情勢が影響を受けるということが分かっていな
い。それ以来、僕は朝日新聞を購読しなくなりました。
 今では新聞は積極的に影響を与えようとしている。末期的な症状です。読売新聞なんかはその典型
でしょう。僕は「朝日新聞も読売新聞も世論誘導をするな」と、ある新聞に書いたんです。イラク戦
争のときも、始まる前に朝日新聞が、「七割五分の人が戦争に反対している」という調査結果を出し
て、始まったら今度は読売新聞が「七割五分の人が戦争に賛成だ」という結果を出した。それだけを
見たら、日本人はいったいどうなっているだと思います。これは答えを誘導しているに違いないと誰
だって思いつきます。誘導できると思っているところが傲慢なんです。日本人はそんなバカじゃあり
ません。』(養老)
記者の方々は客観的立場で書いているというのだろう。しかし、客観性について考えたことがあるの
だろうかという疑問はいつもある。個性をのばそうとかいう教育の問題でもそうだ。
『客観性というのは、「共通了解性」にすぎません。共通了解性というのは、文字通り、共通に了解
できること。論理は通っているから、どこの国の人でも分かる。その論理が実体と対応しているかど
うかは別の話です。
 この共通了解性に立てば、数学みたいなものは極端に言えば、誰でも分かる。わからない人は前提
を理解していないだけです。「2A-A=」という数式があったとして、「2A-A=2」だと誰か
が言い張ったら、それで終わりです。2AからAを取ったら、残るのは2だというのは国語としては
正しいとしか言いようがない(笑)。共通了解事項ですから、私の言ったことも日下さんに伝えられ
ないと意味がありません。人間の脳は共通了解性を追求していった部分で決まっていきます。
 そうすると、「個性」というのは何なのかという話になります。これは現代教育の根本に関わって
くる問題です。数学には必ず正解があるのと同じで、全員が共通の了解に達するはずです。感情も同
じで、私がおかしいと思うことは、他の人もおかしいと思う。私が悲しいことは、他の人も悲しいは
ずだというのが理想の社会です。理想の社会を追求しているにもかかわらず、個性尊重が叫ばれてい
ます。
 現実に、みんながおかしいと笑っているときに、悲しくて泣いていたり、みんなが悲しくて泣いて
いるときに、おかしくて笑っていたりする人は、強烈な「個性」の持ち主です。でも、行きすぎれば
精神病院に送られてしまいます。それでも「個性」を発揮しろというのでしょうか。混んだ銭湯で、
個性を発揮されても、他人は困るだけです(笑)。』(養老)
もうすこしなんとかならないのか日本の新聞は、などと思うのである。いつも自己弁護に汲々として
いるようでは、つらいことこのうえないのでは、と同情することもある。

「脳の中の身体地図」 サンドラ・ブレイクスリー マシュー・ブレイクスリー
                      小松淳子訳 インターシフト ★★★★

感覚というのは不思議なもので、ときに伸縮するようなのだ。車の運転をしているときにはたぶんだ
れもが感じているのではないだろうか。でもあれってどういうことなんだろう。そんな疑問に答えて
くれるのが本書である。
『立ち上がり、指先までピンと張って、両腕を前に伸ばそう。上下、左右に振ってみる。頭の上から
大きく回して脇に下ろす。片足ずつ、できるだけ遠くまで蹴り出して、つま先で地面に半円を描く、
ヘディングするか、唇や舌で何かに触れる感じで首をいっぱいに伸ばし、頭を回して前後左右に倒し
てみる。身体を取り巻く、腕が届く範囲のこの目に見えない空間体積を、神経科学者たちはペリパー
ソナル・スペース(身体近接空間)と呼んでいるが、これはあなたの一部である。
 あなたの一部というのは、メタファーではなく、最近発見された生理学的事実だ。脳は特殊なマッ
ピング手法によって、この空間をすっぽりと身にまとうのである。物理的な身体をコードするボディ
・マップ(身体地図)は、この空間内のあらゆるポイントのマップと直接、即座に、自ら結びつくば
かりでなく、この空間内での行為遂行能力も緻密に計画する。自己は肉体の境界で完結するのではな
く、他の生物をも含めた周囲の世界へとあふれ出し、融合する。つまり、自信満々で巧みに馬を乗り
こなしているとき、あなたのボディ・マップは馬のそれと、共有する空間内で溶け合っているわけだ。
愛を交わすとき、あなたのボディ・マップは愛する人のボディ・マップとお互いの情熱の中で渾然一
体となっている。』
なるほど、そういうことか。もうひとつ、アフォーダンス理論というのも気になった。以前からこと
ばとしては知っていたがもうひとつ理解できずにいた。それはこういうことだ。
『アフォーダンス理論は身体の曼荼羅の特徴と深く結びついているので、ぜひとも少し詳しく見てお
きたい。これは一九六〇年に、コーネル大学のジェームズ・ギブソンという型破りな心理学者が打ち
出した理論である。一九七九年に没したギブソンは、動物や人間は環境を、客観的に定義された形状
と量ではなく、行動の可能性という観点から見ていると主張した。言い換えれば、あなたは物を目に
するととっさに、自分がそれとどのような形で相互に作用しあえるかという面からとらえる。あなた
が見ているのはアフォーダンス(訳注:与える、利用可能にするという意味の英単語アフォード=a
ffordからギブソンが作った造語)だ。アフォーダンスは特定の動作を可能にして促す。つまり、
ハンドルは握ることをアフォードする。階段は上り下りすることをアフォードする。ノブは回すこと
をアフォードする。ドアは通り抜けることをアフォードする。ハンマーは木っ端みじんに砕くことを
アフォードする。』
具体的な例でいうと、日髙敏隆さんもよくいっていたことなんだが。
『イグサに縁取られ、睡蓮の葉がぷつりぽつりと浮かんでいる。静かな湖畔の入り江を思い浮かべて
みよう。この光景が、たとえばカエルやカバ、スズメなど、さまざまな種類の動物にとって、どれほ
ど違って見えることか。どの動物もこの光景を一瞬にして、数々のアフォーダンスとして受け止める。
カエルとカバはこれを、泳いだり、潜ったりできるものとしてとらえる。しかし、泳げる、潜れると
いったアフォーダンスは、スズメにとっては思いも寄らないものだ。カエルとスズメは睡蓮の葉をプ
ラットホームになりそうなもの、つまり留まることをアフォードするものとして見るが、カバは飲み
込めるものとして見るだけで、睡蓮の葉に留まれるという考えは一〇億分の一秒も頭をよぎらない。』
考えてみればあたりまえのことを言っているようでもある。だがここからは客観的事実てどういうこ
となんだろう、という疑問が導かれる。そんなこと考えない人はそれはそれでいい。
『あなたもアフォーダンスの自動フィルタを通して世界を知覚している。あなたが知覚したある光景
は、形状、空間的関係、光、影および色の単なる総和ではない。知覚したものは目、鼻、皮膚を通っ
て流れるだけではなく、身体の曼荼羅によって自動的に処理される。それにより、知覚したものがそ
れぞれのアフォーダンスとして表出されるのである。これは、手と腕と細かい作業のマッピングが実
に豊かに発達した身体の曼荼羅を持つ霊長類全般に言えることであるから、人間という動物であるあ
なたの場合はなおさらだ。』
ときにいろんなこと考えてみるのは楽しい、と思ってみるのである。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

倉敷から美星へ
なごり惜しいですが、またこの景色に会いにきましょうか。

N6525福原浜

N6563島宿三虎

島を離れるのは高速船、あっというまに笠岡に着く。
昼食は山のなかにある「アダージョ」というレストラン。
おいしかったし、おなかいっぱいになってしまった。

N6569アダージョ

倉敷の友人宅にはすでに先客あり。
ちかくの温浴施設で汗をながし、さて宴会ですか。
先週にひきつづき、ウヰスキーをのみます。
なんだかんだとなにをしゃべったのか憶えてないですね。
まあ、憶えていなきゃならないことなどないですから。

でもね、脈略なく思いだすこともあるんですね。
若いころ飯塚でいった焼き鳥屋。
「大三元コース」なるメニューがありました。
なにこれってきくと。
ハクにハツ、それからチュンだからすずめです、とのこと。
それから遠賀川の河原で宴会しました。
肉屋で軟骨のから揚げなんか買って、ビールや焼酎でね。
資金はパチンコで勝ったやつがおごることに。
なんだかいまかんがえるとのどかな青春時代(?)でした。

明けて日曜日、さて帰りますか。
という段になって、昨夜食した「ポポー」の実っているところを見たい。
じゃあ、いきましょうかということでわが家だけ美星町へ。

なるほどね、こういう状態でなっているんですね。
ついでといってはなんですが新米もゆずっていただきました。
玄米30kg、ずしりと秋を感じます。

N6574ポポーの実

旅するって、いろんな人にお世話になること。
若いころはあまり意識していませんでしたが、つくづくそう実感しております。
二泊三日もあっというまに過ぎ、みなさんたいへんお世話になりました。
これからも、いましばらくよろしくお願いいたします。
そんな気持ちで帰途につくのでありました。

N6578美星町

テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

秋には島へ
春には行かなかったからなあ。
秋になったし、もう彼岸も命日もすぎたけれど。
たまには顔をみせに行ってみよう。
いい天気になればいいのだが、それがいちばん気がかりだ。
でかけると、よく雨が降るから。

港からほんとうにひさしぶりという定期船に乗った。
普通便とはいえ一時間ちょっとで島に着く。
たしか最初に行ったときは、二時間近くかかった。
料金も160円だったかなあ。
いまでは1020円になっている。
時代のながれを感じるよなあ。

N6515ぷりんす

桟橋もかけ替っているもの。
とてもいい天気だよ。
秋晴れっていいのはこういうのをいうんだろうな。

N6518真鍋島本浦港

お墓に線香をあげて手をあわせる。
これでやっと気が済んだ。

N6519墓参

今夜は「潮騒」に部屋をとってくれた。
この部屋に泊まったことは、たぶんないと思う。
なぜだかしらないが、むかしからいちばんいい部屋というイメージがある(笑)。

三虎YHに初訪問のころは、一泊二食550円でしたかねえ。
そこからだんだんと物価上昇とともに…。
いまは島宿三虎に衣替えして10800円也(これ平日料金です)。
う~ん、いろいろと変遷しているんですね。
しかしながらこの料理ですから、いいんじゃないですか。
逆に、なにか申し訳ない気がするくらい。

N6528刺身いろいろ

N6529アクアパッツァ

岩坪からも知りあいがやってきてテラスから秋の海をながめながら話をした。
ときおりエイが海面でジャンプする(写真は無理でした)。
宿の女将やご主人とも話していると時間を忘れる。
島時間というんですか。

N6523佐柳島を望む

みんないろんな思いで生きているんですねえ。

N6531夜に輝く


テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

読書夢
夢のなかでも本を読んでいることがある。これはすごいことを知ったと感銘をうける。だけどこれは
夢なんだということもうすうすわかっている。起きればきっと忘れているだろうな。それもわかって
いる。なんとか忘れない工夫をしなければとも考えてきた。しかしその工夫もことごとく失敗してき
た。もう万策尽きたというくらい、夢のなかで繰りかえしている。考えてみれば、そうしていること
は憶えているわけだ。だが、どうしても内容が思いだせない。もういいやと思ったら思いだしたりす
るのかな、と考えたりしてやってみたが駄目だった。あるとき、夢のなかでこれはいつかの夢のとき
と同じものだとわかった。絶対に忘れないぞとこころに念じた。なんどとなくアイデアを反芻して目
覚めに備えた。もう万全である。これでだいじょうぶだと安堵感がひろがっていった。目が覚めた。
あれっ、アイデアが思いだせない、というようなことをこれまたなんどか経験している。

9149まあ、いっぱい

「未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命」 片山杜秀 新潮選書 ★★★★
日本は明治維新により政体が変わってから運にも恵まれ、日清戦争、日露戦争と勝利した。さらに連
合国側として第一次世界大戦にも部分的に参戦し勝利していた。だからこそ、この次戦争に突入すれ
ば国力・技術力・物量が勝敗を決するということは分かりすぎるほどわかっていた。
『歴史の趨勢が物量戦であることは明々白々、しかし日本の生産力が仮想敵国の諸列強になかなか追
いつきそうにない。このギャップから生じる軋みこそ、第一次世界大戦終結直後から日本陸軍を繰り
返し悩ませてきたアポリアであり、現実主義をいつのまにか精神主義に反転させてしまう契機ともな
ったのです。』
アメリカと戦争すれば勝ち目が薄いということを当事者たちは十二分にも知っていたのである。だの
に、なぜ戦争に突入していったのか。戦争以外の選択肢はなかったのか、どうだったのか。後の時代
の立場からはなんとでもいえるのである。このあたりは経済政策と似ている。しかし反省すること、
しっかり総括することは必要である。それを考察したのが本書である。それはこれから戦争しないた
めにも必要なことであるだろう。その精神主義がもっともよくわかるのが戦陣訓である。
『『戦陣訓』の「本訓」は三部に分かれ、第一部は七つ、第二部は一〇、第三部は二つのそれぞれ短
い章で出来ています。うち、とりわけ有名なのは第二部の第八章「名を惜しむ」。そこには「生きて
虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」とあります。
 戦場で劣勢に追い込まれる。所属部隊が全滅同然の情況に至る。そうなったら降伏し捕虜になって
も少しもはずべきことではない。戦争の一般常識です。ところが『戦陣訓』は常識に逆らいました。
絶対に捕虜になるな。どんなに不利でも死ぬまで戦え、そう教えたのです。』
いまなら、どうしてと考えることもできますが、あの時代はまたちがった空気が支配していたのです。
そこから「玉砕」や「特攻」には容易に進んでしまうでしょう。詳しく知りたいと思う方は本書を是
非読んでいただきたい。わたしはこれを読んでいて、「葉隠」を思いだしました。それ以前の信長に
代表される勝つためにはなんでもするから、平和な江戸時代にうまれた精神主義。書いたのは武士と
いっても小姓あがりの人物なのですから、複雑な思いにかられます。

「最重要容疑者」(上)(下) リー・チャイルド 小林宏明訳 講談社文庫 ★★★★
ジャック・リーチャー・シリーズの十七作目になる。それだけ人気があるということなのだが、本作
もなかなかおもしろく、リーチャーの魅力満載である。訳者あとがきから引用することにした。
『元アメリカ陸軍警察少佐、ジャック・リーチャーは、除隊してから本国各地を巡り歩いて、いろい
ろなエピソードを体験している。彼は、なにか事件に巻き込まれると、冷徹な行動力と推理力と決断
力を人一倍発揮する。気の利いた話術に長けているわけでもないし、なにかのトラウマが強靭なばね
になっているわけでもないし、飛び抜けた学歴の持ち主でもない。軍隊生活が長かったため、市民生
活にうまくとけ込めず、ときおり周囲の空気をうまく読むこともできない。着るものにもまったく無
頓着。口をひらけば、あっさり単刀直入にものを言う。だが、百九十五センチ、百十キロほどの巨漢
でも、自分が意図しなければ相手に威圧感や不快感をけっしてあたえない。好漢なのだ。』
リーチャーは移動にヒッチハイクをすることがおおい。冬のネブラスカで乗り継ぎするために次なる
車をまっていた。見かけがごついだけになかなか乗せてやろうという車がとまらなかった。かなり時
間が経ったころ一台の車が彼のまえにとまった。車内には前部座席に男がふたり、後部座席に女がひ
とり。仕事仲間かと思われた。しかし走っているうちにどうも様子がおかしいことに気がついた。一
方、その近くの場所で殺人事件が発生していた。FBIが動きだし、事件にはCIAがからんでいる
ようだ。アメリカの典型的なミステリなのだが、警察組織がちがうので日本のような感覚では理解が
むずかしい。しかし、そこがまた魅力でもあるのだが、国際的な様相をおびてくるのである。あまり
いろいろと考えないで読めるものもたまにはいいのではないか、と思う。


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プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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