ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
11 | 2015/12 | 01
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

観光バスで読書
学生時代にはいろんなアルバイトをした。観光バスの車掌というかガイドというかのようなのもやっ
た。バイト代がよかったのもあるが、いろんな所へ行けるのが魅力だった。いちど女子高の遠足に添
乗したことがあった。昼休みになると数人がバスで休憩しているぼくのところへやってきた。座席で
本を読んでいたのだが、なにかと話しかけてくる。どこの大学ですか。K大学だけど。彼女はいるん
でしょう。いないよ。どうしてですか。いやあ、別に理由はないけど。もてそうな感じですよ。いや
いや、気のあう女性にめぐりあわないな。あのういっしょに写真を撮らせてもらえませんか。うーん、
いいけど。ぼくのまわりをぐるっと取り囲んで、はいパチリ。ありがとうございます。やったね、と
かなんとか騒ぎながら去っていった。彼女らをながめながら、青春ここにあり、なのかなあと思った。
しばらくは本を読む気にもなれず、ぼんやりとしていた奈良は春日大社の杜の昼下がりでありました。

N6642森のサンタクロース

「ガセネッタ&シモネッタ」 米原万里 文藝春秋 ★★★★
いつも軽妙な話しぶりで、読者をあきさせない米原さんである。こんな有名なジョークはいかが。
『神様との意思疎通には是非とも通訳を使うべきです。そんなことをわたしが申しますと、どうせ通
訳者の雇用拡大を図りたいのだろうと勘ぐられてしまいそうですが、これだけは、少し事情が違いま
す。
 というのも、ニューヨークはハーレムで数年前、例の恐ろしい事件があったからです。すでにお聞
きおよびかと思いますが、ある黒人のホームレスの前に、神様が立ち現れ、三つの願いをかなえてあ
げようとおっしゃたらしい。ホームレスは迷うことなく、叫んだと伝えられています。「白くなりた
い! 女たちの話題の的になりたい! いつも女の股ぐらにいたい!」
 たちまち男の姿は跡形もなく消え失せ、路上には小指大の白いタンポンが転がっていたのだそうで
す。
 どうです? それでもあなたは神様と通訳なしで直接交信なさる自信がおありですか?』
たしか、ちあきなおみの曲にそういうのがあったような気がします。欧米のジョークっぽいですね。
おもしろい。男女間のいろいろな問題(?)についても明確な意見をもっている米原さんである。
『ジェンダーが言葉の表現として表れるか、あるいは言語外の様式や習慣として表れるかは、民族や
国によってそれぞれ異なると思います。ヨーロッパの習慣にレディファーストがありますが、必ずし
も女性が尊敬されているわけではないし、また最近の日本では夫婦別姓が話題になってるけれども、
それですべてが平等になるかというとそうではない。中国や韓国は伝統的に夫婦別姓だけど、では日
本より女性の社会進出や権利拡大が進んでいるかというと、そうは言い切れないでしょう。形に表れ
ないからといって差別がないということではないと思うんです。』
言い方を変えただけでは差別はなくならない。その言葉にしみついている差別意識というものは、言
葉の問題ではない。というような認識はある、と思う。しかし世間一般はそうはとらえない、という
ことなのだろうか。そこにこそジャーナリズムの出番だと思うのだが、日本ではそれも期待できない。
メディア自らが自己規制とかなんとか。あ~あという感じ。触らぬ神に祟りなし、なのか。

「心の視力」 オリヴァー・サックス 太田直子訳 早川書房 ★★★
視るということは、網膜に映されたものを理解できるということだ。生まれつき視神経に問題があっ
て見ることができなかった人は、手術でその障害が取り除かれれば視えることになるのかというと、
そうではない。しかし、逆の立場も成り立ちうるということがだんだんわかってきた。
『認知神経学者は二、三〇年前に、脳はかつて考えられていたように回路が固定されているわけでは
ないことを知った。ヘレン・ネヴィルはこの分野のパイオニアの一人で、言語習得前難聴者(つまり、
二歳くらいになる前に耳が聞こえなかった、または聞こえなくなった人々)の場合、脳の聴覚野は退
化していないことを示した。その部位は変わらず活動的で機能するが、活動も機能も新しくなる。つ
まり視覚言語を処理するように変化する――ネヴィルの言葉を借りると「再割り当て」されるのだ。
生まれつき目が見えない、あるいは幼いときに目が見えなくなった人についての類似の研究は、視覚
野の一部が音と触感を処理するように再割り当てされて使われる場合があることを明らかにしている。
 このように視覚野の一部が再割り当てされることで、視覚障害者の聴覚や触覚などの感覚は、目の
見える人にはおそらく想像もできないほど、素晴らしく鋭くなりうる。一九六〇年代に球面を裏返す
方法を示した数学者ベルナール・モランは、六歳のとき緑内障で失明した。彼は自分の数学の業績に
は、特別な種類の空間感覚が必要だと感じていた――それは目の見える数学者がもっていそうにない
触知覚と想像力だ。貝類学者のヒーラット・ヴァーメイが、貝殻の形と輪郭の微妙な違いをもとに多
くの新種の軟体動物を正確に叙述した業績も、同じような空間や触覚の能力が中心になっている。ヴ
ァーメイは三歳のときに失明している。』
視るとはいったいなにを指すのだろうか。サックス博士は自分の経験などからこれらの問題について
考える。自身右眼にメラノーマ(黒色腫)をわずらい視力を完全に失っているのだ。そんなサックス
氏は二〇一五年八月三〇日に眼にできた早期のメラノーマが肝臓に転移し、がんのため死去している。
八二歳でした。ご冥福をお祈りいたします。


スポンサーサイト

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

忘年会にて
ひさしぶりの顔もあれば、そうでない人もいる。
声をかけたら、十九名があつまった。
梅田の地下のとある店でのこと。

はじまる前にひと騒動あり。

会費徴収しま~す。
最長老がひとこと、あれっ財布がない。
落としたのか、家に忘れてきたのか。
免許証やクレジットカードははいっていなかったのか。
手持ちのかばんの中、上着のポケットなどなど、探索は続く。
しかし、出てはこないのだ。

事後の対応のため、家に電話するやら、てんやわんやである。
しかたがない、打てる手は打った。
と空気が平穏にもどろうとするころ。

ふとテーブルの下に、なにやら財布らしきものあり。
あれじゃないの。
そうこれだ。
よかったね。
で、一件落着。
まさに灯台下暗し、でありました。

これが、ひとりであったなら、どれだけ悲嘆にくれただろう。
そう考えると、友というのはありがたい。

これもひとつの笑い話になる。
明日はわが身、ということもあるからね。

しかし、皆よく笑った。
しゃべる相手がいるという楽しさ。
笑い声を聞いているだけでも気分が高揚してくる。
なんとなく気持ちがつうじている、という気がするから不思議だ。
若いころから知っている、という気安さか。

人は未来に不安を感じることがある。
一寸先は闇だと思ってしまうのだ。
知らないということが、怖れにつながってしまう。
だが人生には先輩がいるではないか。
その背中をしっかりとみつめていこう。
(ちと、頼りないと感じるときもあるが)

それができる幸せをかみしめる師走のことでありました。

N6815総持寺の屋根瓦


テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

病院で読書
高熱がでて肺炎だと診断がくだると即入院ということになった。40℃ちかくまで体温があがり、し
ばらくは朦朧としていた。食欲もなく点滴でなんとかつないだ。一週間あまりがすぎ体調がおちつい
てくると、こんどは退屈の嵐にさらされる。学生時代に定価改定の時期があり、そのときに買った岩
波文庫がたくさんあった。ドストエフスキー、ゴーゴリ、チャールズ・ダーウィン、ベルグソンなど
をこの機会に読もうと思った。しかし、この手の本は時間があるからといってそう読めるものではな
い。といってきっかけがないといつまでも読まないで積読ということになりがちだ。時間はいくらで
もあるという気分だった。いざはじめてみるとウンウンと唸りながら読むような感じになった。また
も熱がでるかと思ったが、そうはならなかった。ヒトは状況に影響される動物だとつくづく思った。
だから当然のことながら、回復するとそんなことをすっかり忘れてしまうのだった。

N6649半月

「死を哭く鳥」 カミラ・レックバリ 富山クラーソン陽子訳 集英社文庫 ★★★
エリカ&パトリック事件簿のシリーズ第4弾。場所はスウェーデン王国のフィエルバッカ、ターヌム
スヘーデ警察署のパトリック・ヘードストルム刑事のもとに事故の報がはいる。自動車事故で死亡し
た女性からはひどいアルコールの臭いがした。飲酒運転によるものかと思われたが、彼女は一滴も酒
を飲まないことがわかる。では殺人事件なのか。そのころ町ではテレビのリアリティ番組「ファッキ
ング・ターヌム」の撮影がおこなわれていた。町を巻きこんでの大騒ぎのなか、出演者のひとりバー
ビーと呼ばれている女性が死体となって発見される。ちいさな警察署はふたつの事件をかかえ、パト
リック以下たいへんな捜査に連日おわれることになる。おまけにパトリックはエリカとの結婚式を控
えていたが、エリカの妹アンナに助けてもらうことになる。これが結果的にアンナの精神の安定につ
ながるのだからなにが幸いするのかわからない。別々の事件と思われたものが、関連性をみせはじめ
る。自動車事故にみせかけた殺人も実は同様の事件がいくつも起こっていたのだ。ここにいたる謎解
きはさすがと思わせるものがあるのだが、事件以外の人間関係がすこしうっとうしい感じがする。ミ
ステリとしては一流だと思うのだが、このあたりは好みがわかれるかもしれない。おなじスウェーデ
ンのミステリでは、マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーのマルティン・ベックのシリーズがい
い。それに加えて、ヘニング・マンケルの刑事クルト・ヴァランダーのシリーズも人間味あふれてい
て、これらのほうがわたしは好きである。

「ゴースト・スナイパー」 ジェフリー・ディーヴァー 池田真紀子訳 文藝春秋 ★★★★
第一作「ボーン・コレクター」でリンカーン・ライム・シリーズがはじまってこれが第十作目となる。
人気ミステリのシリーズである。四肢麻痺のリンカーンだが、先進の医療技術と手術により右腕と右
手の自由をほぼ取り戻していた。これが今回のおおきなテーマになっている。動けないリンカーンか
ら動くこともある捜査官へと。しかし、物語りはそう単純には運ばない。逆転の名手ディーヴァーな
のでストーリーは二転三転いったいだれが主犯なのか。だれが犯行を企てているのか。真犯人はだれ
なのか。犯行の真の目的はいったいどこにあるのか。いかにもアメリカのエンターテーメント満載感
が半端ではない、ということを読後いだくことはまちがいない。そこにこそディーヴァーの真骨頂が
あるのはだれもが認めるところである。
アメリカ政府を批判していた活動家モレノがバハマのホテルでインタビューを受けているときに狙撃
されて殺された。距離は2000メートルもある地点からだと想定された。同時にインタビューをし
ていたジャーナリストとボディガードも死んだ。この事件はアメリカの諜報機関の仕業とだというこ
とで、その真相を究明するべくリンカーンに依頼がとどいた。そのことはすぐさま知られた。
『「スペンサー。犯行現場はどこだ?」
「ああ、そうか。バハマだ」
「四肢麻痺の男に何ができる?砂浜を這い回って空薬莢やタイヤ痕を捜すか?」』
ところが今回、リンカーンは現場へと出向くことになる。そこでリンカーンが見たものとは…。とい
うように事件は息もつがせないように次々と展開していくのである。さすが、ディーヴァーというし
かないのである。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

熱海冬花火紀行 その三
二泊三日なんて、あっというまだよねえ。
もうお別れかあ、なんだか名残惜しいな。
でも、来月新年会があるんですけど(笑)。
そうでした、またいっぱい笑えるネタを拾っておきましょうか。
元気でねえ、と帰路につくのであった。
その前にはもちろん、「来たときよりも美しく」を忘れず清掃実行。
(こういうところに若いときから旅した経験が生きるのだ)

すんなり帰っては身も蓋もない(?)。
細い山道(でも国道)をくねくねとやってきたところはこんなところ。
大井川鉄道の千頭駅の横にある「道の駅」奥大井音戯の郷。
なんだか感じのいい喫茶室があった。
ひと休みとばかりにコーヒーを飲む。
キリマンジャロの渋みがいいですねえ。
窓の外には紅葉がひろがっている。

N6774道の駅音戯の郷

「あれっ、あそこにあるのは機関車トーマスじゃないか」
「どれどれ、ほんとだ」
「こんなところにいるのね」
(正しくは、これは「トーマス」じゃなくて仲間の「ヒロ」だそうです)
(トーマスくんはあいにく出張中でした)

N6777機関車ヒロ

なぜかはしらねど、旅気分になりますねえ。

N6785大井川鉄道千頭駅

N6804池に映る紅葉

暮れどきの真っ赤な夕陽をながめながら、もの思う。
「旅は道連れ、世は情け」
なんとなく口をついてでてくる。
いろんな人と出会ったなあ。
懐かしいような、まぶしいような思い出もある。
いろんな方々に助けてもいただいた。
人の数だけ人生があるのだ、ということも実感としてわかってきた。
すべてふくめて世は情けに満ちている、と思う今日この頃である。

N6796ジョウビタキ


テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

熱海冬花火紀行 その二
目覚めれば、まず天候を確かめる。
古来より旅人がおこなってきた習いであろう。
まずまずの晴れ具合、一路伊豆半島の南端をめざす。

N6716伊豆半島

歌の文句にもあるように。
ここは、♪伊豆の下田~の、で知られた下田港だ。
最近、各地の道の駅をめぐっていて気がついた。
道の駅とは単なる休憩所ではないのだ。
地域情報の発信基地であり、各種イベント会場でもある。
人が集まる状況が先にあり、だから催しを企画するのか。
イベントが先にあって、だから人が集まるのか。
いずれにせよ相乗効果があっての、このにぎわいなのだろう。

N6722道の駅開国下田みなと

N6723道の駅下賀茂温泉湯の花

しかし、おどろくのはトイレの快適さだ。
新しくできた道の駅はそこに最先端のアイデアが満載である。
その完成度によって、集客力は大きく変化するから手抜きは致命的である。
さらにくわえて、IT時代といえども口コミもばかにはできない。
日本はウォシュレット(もう普通名詞だ)発祥の地、さもありなんということだ。

さて旅の楽しみのひとつ、お昼にはなにを食べるのか。
こんなお店があるんだけど、でやってきたのがここ。

N6736魚重食堂

深海魚料理と聞けばおどろおどろしいが、なにはともあれ経験である。
身はさっぱりとしてほどよい脂ののり具合。
まあ、いちどは食べてみて損はない、という感想であります。

N6732深海魚料理

夜になれば、これが最後になるであろう熱海の冬花火だ。
暗い夜空に、光の筋がヒュルヒュルとたちのぼる。
しばらくして、あたりには轟音がとどろく。
それほど近い場所からの花火見物である。

N6750熱海冬花火

振りかえってみれば、ここ数年いつもいつもお世話になってきました。
ホストのYちゃんには感謝しきれません。
あれこれといつもいつもお世話様でした。
伝えきれないほどの、ありがとうございましたが溢れます。
まだまだいっしょに楽しくやっていきたいものですね。
そのためにも、おたがいに元気でいられますように。
と祈る夜空に花火がひらく、のであります。


テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

熱海冬花火紀行 その一
わが家を五時過ぎに出発し、滋賀の友人夫妻と合流していざ東下の旅のはじまりなり。
新名神から伊勢湾岸道路を経て愛知県の豊田松平ICへ。
ここから新城市へとやってきた。なぜ新城市なのかというのはわけがある。
同行者に道の駅・スタンプラリー好きがいるからなのだ。
ということで新城市の三箇所をめぐる。

N6683道の駅つくで手作り村

N6690道の駅もっくる新城

道の駅では今夜の宴会の鍋材料として野菜を購入する。
白菜がまるごと一個で80円、これは安い。
こういうところが人気なのだ、ついでに白葱、水菜、椎茸なども買っておく。
ついでといってはなんだが、長篠城址・史跡保存館にも立ち寄る。

N6703長篠城址

N6696•強右衛門磔刑

無事当初の予定を消化し、宿泊先の三島市をめざす。
暮れかけた夕日に照らされた富士山がきれいだ。

N6706赤富士

夕刻に到着、駐車場で出迎えてくれた。
ひさしぶりに会ったのだが、そんな気がしないから不思議だ。
刺身を食い、鍋をつつきながら話はつきない。

記憶は昔のことほどよく保たれている。
最近の物忘れぶりにくらべて、どうなんだと思うほどである。
なぜ記憶があるのか、考えるとおもしろい。
記憶がなくなると、自分もなくなる。
これは記憶喪失症の方をみればわかる。
だから記憶とは自己、自我なのだということもできる。
記憶は現在と過去をつなぐ橋である。
でなければ、この老婦人とあの写真の美少女が同一人物だとどうして信じることができるだろう。

楽しい記憶だけが残ればどんなにかいいだろう。
と思うことは、いささか人生を単純に考えているのではないか。
苦味がシコウに深みをあたえている、ということもある。


テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

リーガンでもなくレーガンでもない
あっ、そうか、ローガンだ。

ふふっ、なんとなくもの哀しいぜ。

N6679ススキ


連絡船乗り場で読書
都はるみの歌がヒットしていたころだったろうか。若者は船着き場にくると、なぜか哀愁の衣をまと
いたくなる。そんな空気が漂うなか、ときおり鳴きながら飛ぶカモメやウミネコにパンくずを投げた。
スピーカからながれでる歌謡曲や民謡はここが観光地なんだとうそぶいている。そんなやすっぽい別
れの雰囲気が気にいらない。かならず近くには食堂があり、片隅には土産物なども陳列されいる。ギ
シギシと音をだす窓をあけ、潮風をよびこんだ。定食と焼酎をいっぱいください。運ばれてきたコッ
プにはいった焼酎をすする。しみるんだよなあ、これが。五臓六腑が正確にはなにをさしているのか
は知らない。だけど飲みながら本を読んだでいたら、書かれていることばがしみいるのだった。つま
み代わりのフライを食えば、空を飛びたくなったりした。ときにソースが跳びはねて文庫本にシミの
ように滲んだ。つと、それがなんだか孤島にみえてきて思わず落涙におよびそうになった。

N6546桟橋

「日中アヘン戦争」 江口圭一 岩波新書 ★★★
まずモルヒネとヘロインおよびアヘンについて、その関係を知っておこう。
『アヘンの麻薬作用は、生アヘンに五~一五%、多い場合には二〇%含まれているモルヒネによって
もたらされる。生アヘンから精製されたモルヒネ(略称モヒ)は無色の結晶で、少量でも強力な鎮痛
作用をもち、鎮痛・鎮咳・鎮静・催眠のための薬剤として用いられるが、連用するとモルヒネ依存を
生じ、慢性中毒をきたす。モルヒネは麻薬の代表的散在である。
 ヘロインはモルヒネのアセチル化物=ジアセチルモルヒネで、もともとはドイツのイー・ゲー・フ
ァンベン系のドイツ・バイエル会社の登録商品名であったが、後に一般名となった。白色の結晶性粉
末で、鎮痛作用はモルヒネより劣るが、呼吸器官にはモルヒネより強力に作用し、一八七五年開発後、
鎮咳剤としてひろく用いられた時期もあった。ヘロインはモルヒネよりも多幸感・依存性がさらに強
く、容易に慢性中毒となり、今日では麻薬といえばヘロインを指すほどである。』
軽量であるから輸送にてまどらない。金(ゴールド)と同等の利便性がある。かっこうの手段だ。と
いうことで、昔から注目されていた。
『アヘンの吸煙は、一七世紀初め頃に、オランダの植民地であったジャワから明朝末期の中国南部に
もたらされ、中国全土にひろがっていった。中国のアヘン禍を深刻にした元凶がイギリスの東インド
会社であることは、あまりに名高い。イギリス東インド会社は、一八世紀後半から植民地インドでア
ヘンの生産・専売をはじめ、これを中国に輸出し、中国からイギリスへ茶の輸出、イギリスからイン
ドへの綿製品の輸出と補完しあう一九世紀のアジア三角貿易をつくりあげた。』
そこでこれを阻止しようとする清とイギリスとの間でアヘン戦争が起こって、清は敗れた。その次に
は日本が乗りこんできて戦費調達の手段としてアヘンに目をつけた。日中アヘン戦争のはじまりであ
る。どのように日本がアヘン政策を中国で行ってきたかは本書を読んでいただきたい。ずいぶんと非
道なことをしてきたものだと思う。南京虐殺・慰安婦問題などよりも深刻な被害を与えたのではない
か。しかし、そのことをなぜか中国は言わない。だから、逆に歴史的事実とかというよりも政治的な
ものだとわかるのである。いまさら、イギリスと対立する道は選ばない、ということか。

「日本人はどう死ぬべきか?」 養老孟司×隈研吾 日経BP社 ★★★★
ヒトは死ぬ。かならず死ぬ。不確かな世のなかではあるが、ヒトの死亡率だけは100%である。そ
こを知らぬふりして生きるというのにも限界がある。では死をどう考えればいいのか。
『死というものは、個人に関して言うと「時間」の話です。でも、他人から見ると、その人がいる、
いないの「空間」の話になるんです。他人として死を語ることはできます。でも、自分の死は、あく
まで生きているうちの話です。だから、自分の死を考えても、それは無駄の典型ですよ、と僕はお答
えします。』(養老)
そう、養老先生はよく死と眠ることとの比較で話される。死が怖い、では眠ることが怖くないのか。
目覚めないというのは死そのものではないか。死は生きているかぎり経験できない。経験できないこ
とを恐れる。なにか逆説的な皮肉のようでもある。でも、死が怖いんだという。知らんがな。自殺に
ついていえば、ご両人とも理解できないという。わたしからすれば、あせるな、かならずみんな死ぬ
んだ(笑)、ということだ。話を変えましょう。男と女とのちがいってなんだ。
『それはもうわかりきっていることで、女性のほうが強いに決まっているんですよ。
 哺乳類は女性のほうが平均寿命が長い。哺乳類の染色体は女性がXXで男性がXY。メスの染色体
が基本で、そこから作られるのがオスなんです。そうやって無理して作られているからね、オスは弱
いんです。』(養老)
隈さんもおっしゃいます。分かる気がします、と。
『ちなみに鳥類の性別を決めるZ染色体は逆で、ZZがオスでZWがメス。おんどりを去勢しても何
も変わらないけど、めんどりを去勢すると、とさかができて、コケコッコーって時を告げる。でも哺
乳類は逆です。男が去勢すると、お乳が大きくなって、髭が生えなくなる。だから、どっちが元にな
っている染色体かというのは大きいんです。』(養老)
最後に有名な「スタンド・バイ・ミー」という映画の原作はスティーヴン・キング「THE・BOD
Y」といって、日本語で死体のことである。
『英語の授業では習わないでしょう。でも「ボディ」が死んでいるものを指すというのは、江戸時代
以前の日本でも同じだった。それがグローバルスタンダードだったんです。なぜ分かるかというと、
「体」の語源は「空」だから、辞書にそう載っています。』(養老)
『空だから「カラダ」なんですよ。それを「身体」と書くようにしたのは江戸時代から。つまり「空」
のものに身が付いちゃった。さらに引っくりかえったのが「心身」という言葉です。道元の時代には
「身心」って、「身」が先に来たのですが、今はパソコンで入力して文字変換しても、「心」が先に
来ますよ。』(養老)
江戸時代に心が優先、つまり「葉隠」の精神ですね。身体よりも心が重要になった。「腹が減っては
戦ができぬ」から「武士は食わねど高楊枝」。そして、この精神のもと太平洋戦争に突入していった。
その結果、日本陸軍における戦死者の七割が餓死と言われている。なんとも痛ましい。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌



プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

11 | 2015/12 | 01
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー