ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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夜汽車で読書
いまではもうそんな列車は運行されていないかもしれない。わたしが若かったころにはこれに乗って
よく旅立った。もちろん寝台列車などに乗る余裕はなかった。それでも向かい合わせの四人掛けの座
席をひとりでつかえたりした。乗ってしまえばすることなどない。本でも読むか、酒を飲むか、眠る
か。窓枠にウヰスキーの小瓶をおく。附属しているちいさなプラスチックの容器に注ぐ。ぐいっと一
口にのむ。しばらくは喉を熱く染める液体を感じている。ああ、旅にでたんだ。車窓をながれていく
夜景がにじんでいる。ヒトはなんのために生きるのか。それを言っちゃあ、おしめえよ。かもしれな
いなあと可笑しくなった。それからひとしきり本を読んでいると、いつしかわたしのこころは列車の
なかからいなくなった。暗い夜空を飛行しているのだった。眼下にひろがる街の灯かりが明滅を繰り
返している。哀しいような気持ちになったとき、目が覚めた。目尻には涙がにじんでいた。

N7173夜景

「ミレニアム2 火と戯れる女」 上 下 スティーグ・ラーソン
               ヘレンハルメ美穂・山田美明訳 早川書房 ★★★★

前作「ドラゴン・タトゥーの女」で、雑誌「ミレニアム」の発行責任者のミカエル・ブルムクヴィス
トは一連の事件をリスベット・サランデルの活躍で窮地から脱して解決した。その後サランデルは一
方的にミカエルとの関係を断ち外国へと旅立ってしまった。「ミレニアム」で仕事に没頭していたミ
カエルのもとにフリージャナリストのダグ・スヴェンソンが女性の人身売買と強制売春な関するルポ
ルタージュの話をもちかけてきた。彼はパートナーのミアと協力して、買春を働いた男たちを実名で
告発し、人身売買組織の実態に迫ろうとしていた。「ミレニアム」はこの話を受け、特集号と書籍出
版に向けて動きだした。だが、ダグとミアは自宅でなにものかによって殺されてしまう。現場に落ち
ていた拳銃にはリスベットの指紋が残されていた。リスベットは帰ってきているのか。警察は彼女を
重要参考人として指名手配した。警察は彼女が犯人だろうと考えていたが、彼女を知る人たちに話を
聞くたびに資料に書かれている像と実物はまったくといっていいほどちがう印象なのだ。この第二部
の主人公はリスベット・サランデルといっていい。少女かと思われるほどな未発達な身体でありなが
ら、頭脳明晰で映像記憶能力を備えた天才ハッカーである。しかしながら中学校中退、一人で生活す
る能力なしと判定され後見人がついている。なぜだろうか。その鍵は彼女の過去にある。エキセント
リックな魅力に読者は引きこまれていく。事件究明のなかででてくる「ザラ」とはだれのことなのか。
それとも…。そして衝撃的なのは、本編後半においてリスベットは三発の銃弾を受け殺されてしまう
ということだ。はたして事件の解決はミカエルがおこなうのか。はたまた解決されるのか。このあた
りは読んでいただくしかしかたがない。しかし、スウェーデン社会というのはいままで考えていたよ
うなものではなかった。ドイツやバルト三国とちかい地理的関係もあり、複雑な様相をみせてもいる
ようだ。高福祉国家の優等生ではけっしてないのかなあ。それを映すミステリってすごいといまさら
ながらに思うのである。ヘニング・マンケルがいうようにミステリがノーベル文学賞っていうのも、
べつにいいんではないでしょうか。そのくらいレベルの高いミステリってありますよね。

「青い雨傘」 丸谷才一 文藝春秋 ★★★
丸谷さんの随筆を読んでいると、ゼミのクラスで雑談を聴いているようなそんな気分になる。もちろ
ん師事した先生であるから傾聴するのだが、疑義を呈することを歓迎する雰囲気がある。厳しい面も
あるが、頑固ではないという感じか。もう亡くなって四年が経つのだなあと残念だ。今回も音楽のこ
と、ちょっと興味がわきました。もちろんクラシックなんですが。指揮者カルロス・クライバーのこ
と。完璧主義者クライバーの説明をウィルナー教授に聞きましょう。
『クライバーはいつも作曲家についての文献を読みつくすことから始め、探し出せるだけのレコード
を聴き、他の指揮者が同じスコアをどのように解釈したかを調べます。それから、どの版を使うか決
め、演奏者のパートを個々にマークするんです。すべての音符をチェックし、音の出だしを確認し、
弦楽器のボウイングを書きこむんです。(中略)リハーサルの準備にこれだけ時間も何もかも捧げて
没頭する指揮者は彼の他にはいないでしょう。そしてクライバーはリハーサルが始まると、いつも最
初から演奏会が終了するまで同じオーケストラのメンバーで過ごすことを主張します。』
そして自分の要求が通らないとき、あっさり帰ってしまう。それでも人気は絶大だという。日本にも
そんな職人がいそうな気がしますが(いまは、もういないか)。彼よりある意味有名なバーンスタイ
ンが絶賛し、カラヤンはクライバーのことを正真正銘の天才だと言う。
さて、もうひとつスコッチ・ウィスキーの飲み方について。
『氷を入れてはいけない。スコットランドでは、ウィスキーに氷を入れることは、女房を殴ることよ
りももつと野蛮な行為とされてゐる由。
 コニャックと同じように室温で飲め。
 水はかまはない。スコットランド人は、ウィスキーと水を半々にすることを「たつぷりと水を入れ
る」と称する。』
まだまだいろいろと知らないことがおおいようです。


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猫語礼讃
かみさんがときどき「なんとかだにゃあ」とか言う。
最初は、女学生(古い!)でもないのにアホとちゃうか、と感じていた。
だが、どういうときに猫語(というのかな)を発するのか。
冷静に観察してみると、あることに気づいた。

場が緊張感をはらみそうになったとき。
うまく言い表せないが不満があるんだけど、なんだかもどかしい、というとき。
たまにはパフォーマンスもよくはない、とすこし機嫌がいいとき。
あ~あ、猫飼いたいなあと(たぶん)思っているとき。
などなど。

で、わかったことは、場の緊張を解くという効果がみこめるということ。
これはむずかしいことで、相手によっては逆効果になることもある。
しかし、わたしぐらいになれば、なんなくこなせる。

こちらものっかって「そうだにゃあ」などと返すこともある。
各ご家庭でつかわれることを期待しますね。
世界の平和などいうのは案外こういうところから始まるのやもしれん。

ただ困るのは職場でつい「にゃんでしょうか」と問い返しそうになることだ。
今日もあぶなかったなあ、と緊張感をもてるというリハビリ効果もあります。
失敗しても笑い話ですませられるというメリットもあるでしょうか。

2325招き猫


非常階段で読書
読書は静かなところでするのがいい。そう考えるならば、おのずと答えはでてくる。騒音にもいろい
ろあるが、案外気になるのが人の気配である。これを騒音といっていいのかわからないが、たしかに
気になるし集中できないのである。そこでひらめいたのが非常階段である。ここなら人は来ない。ゆ
っくりと本が読めると判断をくだした。壁にもたれて上目遣いに階段を見上げる。火災でも起これば
別だがいつもは人の通行はないはずだ。ところが現実はそうではなかった。そう頻繁にというわけで
はないが人は通るのである。ちょうどいいところにさしかっかた時など、ガタンという扉の開く音が
響きわたる。当然のことながら驚く。通行人もおなじようにビクッとする。こんなところで本を読ん
でいる人がいるなんて、と。この導線が近道なのである。非常などとついている名は捨て実をとる。
ヒトなんてそういう生き物だ、と変に納得する読書場所選定失敗の経験談である。

N7223コンビナート

「私の本棚」 新潮社編 新潮社 ★★★
家や学校の図書館にある本を読む。読むことで本が好きになる。自分で本を選び買いたい。買うと本
が増えてくる。本を収納する場所が必要になる。本棚を買う。最初に買ったのは高校生のころだろう
か。スチール製の実用一点張りの本棚だった。いっぱいになると、前後二列にならべた。上の隙間に
も詰めこんでいった。ぎちぎちではいりきらない本は段ボール箱にいれて積んでいた。本棚を買うお
金も置く場所もなかった。しかたがないとあきらめていた。引越しをして住まいがすこし広くなるた
び本棚を買った。ほかに欲しいと思うような物はあまりなかった。本が買えるような収入になってう
れしかった。でも読むならば同じだと文庫本が主体だった。でも文庫にならない分野の本はしかたが
ない。すこしずつ買った。できるだけ安いものを足をつかってさがした。一日に何軒も本屋巡りをし
た。楽しかった。女の子といっしょにいるよりもずっとリラックスできた。本とお酒と女性、どれが
一番か。あほらしくて答える気にもならない。ずっと決まっている。ゆるぎない。うーん、いちどだ
け、ゆらいだかもしれない。もう昔のことだ。で、本書である(笑)。で、本棚である。いろんな方
が書かれているが、いちばん共感できるのは南伸坊氏だ。彼はこういう。
『本棚を見ると、それを分類して、それぞれの関連性のようなものをレイアウトしていくと、さらに
自分の脳ミソを一望できる気がする。』
わかるなあ、だがそれですんなりとは納まらないから困る。
『ところでこの脳内把握の本棚レイアウトと、視覚的な整頓感というのが、困ったことにすこぶる矛
盾するのである。
 つまり、分類して把握して並べ替えをしていくと本棚は雑然としてくる。すなわち、本は寸法がま
ちまちであるし、色もさまざまである。
 視覚的にスッキリさせるには本の色や高さや厚みを揃えればいいのだが、それと本の内容というの
は、本来無関係なのであって、両方を満足させるというのは不可能である。』
いろいろやっているうちにわけが分からなくなってくる。
『そんなことをするうちに、ええい、もういい! といってフタうをつけてしまったというわけだ。
フタをしてしまえば、見えないから、いつまでも並べかえをする必要もなくなった。』
だからといって、伸坊氏の本を並べ替えるという性癖(?)がおさまったということではないらしい。
本人もおっしゃっている。
『たしかに怪しい。本を並べ替えるのが趣味なんて、怪しいと私も思う。』
だが、趣味なんてそういうものではないですか。

「ユーゴスラヴィア現代史」 柴宜弘 岩波新書 ★★★★
ユーゴスラヴィア、現在はなくなってしまったがどんな国だったのだろうか。そう考えると、地理の
教科書にあった断片的なことしか知らなかったことに気がついた。すこし調べてみようと本書を読む。
『ユーゴスラヴィアとは、そもそも「南スラヴ」を意味する言葉だが、国家としてのウーゴスラヴィ
アは二度生まれ、二度死んだといわれる。一度は、一九一八年一二月に王国として建国され、四一年
四月にナチス・ドイツをはじめとする枢軸軍の侵攻にあい、分割・占領されて消滅した。もう一度は、
四五年一一月に社会主義にもとづく連邦国家として再建されたが、九一年六月にスロヴェニア、クロ
アチア両共和国議会が独立宣言を採択するに至り、翌九二年二月に、ECを先頭として約五〇ヵ国が
これら二国を承認することによって解体した。三度生まれ変わることはできず、民族対立による凄惨
な内戦を通じて、七三年間の歴史の幕を閉じたのである。
 第二次世界大戦後のユーゴは、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗
教、二つの文字、一つの国家」という表現に端的に示される、複合的な国家であった。』
クロアチア内戦やボスニア内戦については、よく新聞報道に接したことを思いだす。多民族だけでな
い複雑な事情があったのがこの文章からもうかがい知ることができる。
『また、ユーゴは「はざまの国」といわれた。それは「冷戦」期に東西両陣営に属さず、政治・外交
的に非同盟政策を採っていたからだけでなく、歴史をさかのぼってみると、この地域が古くは東ロー
マ帝国と西ローマ帝国との境界線に位置していたし、中世においてはビザンチン・東方正教文化圏と
西方カトリック文化圏との接点でもあったからである。さらに近代に至ると、ユーゴを構成すること
になる南スラヴの諸地域は、ハプスブルグ帝国とオスマン帝国との辺境を形成し、イスラム文化との
接触も進んだ。』
地勢的なこともおおきくユーゴの運命を左右したことであろう。
『この「ユーゴスラヴィア人」という民族概念は、自主管理社会主義体制のもとで既存の民族を越え
る新たなユーゴ統合の概念として」、共産主義者同盟によって提案され、導入された。旧ソ連におけ
る「ソ連人」と同様の概念であった。』
ソ連も解体したし、次なる解体国家は東方にあるのだろうか、と考える。しかし、あらためて国家と
はなになのか。必要不可欠なものなのか。そんな思いがうかんでくるのである。


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模倣するヒト
模倣のことを真似するともいう。
揶揄して猿真似などといったりすることもある。
(サルの集合のなかにヒトも含まれる)
だが、模倣はヒトの基本的な習性というか本能なのである。
ミラーニューロンの発見はそれを裏付けている。

たとえば、模倣なくして言語を獲得することはできない。
母親が赤ん坊にことばを教える(まねさせる)行為ははたから見ていてもほほえましい。
模倣できないこどもは自閉的になっていく。
というよりも、自閉症とはそういうことなのだろう。
まねることができない、まねる意味がわからない。
相手の身になってなどということが、生理的に理解できないのだ、と思う。

芸術は模倣からはじまる、ともいう。
模倣かオリジナルかという問題は常につきまとう議論だ。
なかなかむずかしい、と思う。
区別すること自体が問題なのかもしれない。
しかし分節することをやめられないのがヒトの脳の特徴なのだ。
例にあげると、顔と首の境はどこだというようなこと。
連続するものをどこで区切るのか、区切れるのか。
模倣と独創の境界も意外にそんなにはっきりしているわけではない。

N7185ライトアップ

子どもが親に似るのはしごく当然のことである。
歩き方からしゃべり方、しぐさも知らずしらずに模倣しているからだ。

自らを観察してみればわかるのではないか。
たとえば映画館でやくざ映画を見て出てきたら、歩き方がそうなっていた。
話し方もそれ風になっている、というのも模倣する習性なのだ。

この模倣が利潤が発生する商業行為等におよぶと問題が発生する。
パクリ疑惑などと騒がれることもある。
しかし、冷静に考えてみるとこれもヒトゆえになせる業なのかもしれない。


立春過ぎて
暦の上では春がきたのが、体感的にまだ冬だな。
そんなことを思っていた。

しかし庭を見ると、
メジロがいて、
メダカが日向ぼっこ(?)
している。

N7142メダカ

N7145メジロ

やはり春は近づいているようだ。


津和野・出雲紀行 後編
曇り空の下、西へとむかう。
途中の道の駅でみかけたポスター。
「石州半紙」(せきしゅうばんし)に女性陣は反応した。
調べて電話をかける。
こころよく受けてくださり、いざ紙漉き体験へと道をもどる。
やって来たのは、浜田市三隅町にある石州和紙会館

N7027石州和紙会館

みぞれ降る日でしたが、暖かく迎えいれてくださいました。
「石州半紙」は重要無形文化財に指定されている。
またユネスコの無形文化遺産にも登録されているのだとか。

ていねいな解説もあり、さて実際に紙漉きをやってみましょうとなる。
このすくってゆらす作業が、微妙にむずかしい。

N7045紙漉き体験

ものごとは経験してみないとわからない部分がかならずある。
(すべてがわかるというわけではないが)
だから機会があればやってみるというのはいい。
その姿勢が生き方にも人生観にも影響をあたえるだろう。
まあ、どちらが先かは異論のあるところではあるが。

さて、きっと来たことがあるであろう出雲大社にやってきた。
寒くもあり夕方でもあったので観光客はすくなかった。
これが逆に、森閑とした雰囲気を感じさせる。
まったくもって記憶がない、ということが判明した。
日御碕灯台は覚えているのだが…(今回は行けなかった)。

N7089出雲大社

N7085大注連縄

いまでは出雲大社はそれなりの知名度がある。
だが時代をさかのぼれば、そうではなかったことがわかる。
そこで当時の神主だか広報担当だかは全国行脚をおこなったとある。
彼はなかなかのアイデアマンだったわけですね。

N7103旧大社駅

今夜は山陰の荒れる海辺の宿に泊まる。

二泊三日の旅なんてあっというまに最終日。
朝から強風がうずまいている。
松江道を南下していたがだんだんと雪と風が強くなってくる。
なんとなく不安が増してくる。
途中までいったところで、この先通行止め、なんと。
しかたがない、情報を確認して一旦引っ返して米子道へと向かう。
こちらも雪が積もっていたが、なんとか通過することができた。

N7114道路情報

途中、蒜山のサービスエリアでは除雪機が雪を噴きあげていた。
子どもたちはおおよろこびである。
わたしにもそんな時代があったのだろうが、おお寒いというのが実感。

N7121除雪機

N7124積雪多し

寒かろうが暑かろうが、元気なうちは旅を続けよう。
まだまだ、いろんなところに行くぞ。




プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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