ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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チベット夏の陣
太平洋上に台風が停滞しているようで、なんだか天候も不安定だった。
しかしそんなことに影響をうけるようなわれらではない。
夏を乗り切るためには決起することが肝要である。
ならば、宴を張るしかないではないか。
ではチベットの地に、ということなのですかな。

西は九州、東は関東方面から集まった人数は十三名。
その日のうちに一人は帰るといったが、残り十二名は宿泊希望あり。
さあ困ったぞ、寝る場所もそうだが寝具が足りない。
なんとかかんとか帳尻をあわせて、こんどは宴の料理の準備だ。

こんなお品書きができあがりました、とのこと。
(次回のハードルがあがるわあ、との声もあり)
まあ、いいんじゃないですか。
こんなに食べられるのかという心配のほうが先です。

N8302チベット夏の陣お品書

近くの温泉で汗を流してさてはじまりです。

まずはこの七月に亡くなったM氏への献杯です。
いっしょに飲めればよかったのですが、これもしかたがない。
一服つけながら、見守っていてください。
しかしこのにぎやかさ、きっと微笑んでいるでしょう。

こんな宴がひらけるのも、あの島での出会いがあってのこと。
あのころはみんな若かったなあ、と感慨深い。
わかってはいるけど、不思議なめぐり合わせと思うんですよ。
遠慮のない辛口のコメントができるのも、若いころから知っているからこそ。
よかった、そこそこいい人ばかりで(笑)。

いつも新鮮な魚を提供していただくNくんありがとう。
珍味というべき鯨の肉もコロもうまかった。
りっぱな鯛の刺身、寿司も最高でした。
(鯛の荒煮、出すの忘れてた、ごめん)
また機会があれば、よろしくお願いいたします。
(あの金額では赤字だろうな、申し訳ない)

みんなが帰った後、片付けをしながら思う。
家具など移動でしんどいこともあるんですが、やっぱり楽しい。
遠路はるばる来ていただいて、どうもありがとうございます。
また機会があれば、是非お越しください。
相方もまた、いろいろと秘策を練っていることでしょう。
そのためにも元気でいてください。

なんといっても、みんなの笑顔最高!


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テーマ:真鍋島の愉快な仲間 - ジャンル:旅行

旅のしくみ
サルの実験である動作をしているときに興奮する神経細胞があった。
ところが、この動作を見ているだけのサルもおなじ神経細胞が興奮した。
これはミラーニューロンと名づけられている。
この発見は非常に重要なことだと考えられている。
人が共感するということは、このミラーニューロンのせいだ。
もし、このミラーニューロンに欠陥があればどうなるか。
他人の感情が理解できない人というのは、そのためではないか。
自閉症との関連も当然考えられる。

ヒトは複雑である。
もちろん、微生物だって十分に複雑なのだ。

いろんな形の生命がありそれらすべてで地球生態系を構成している。
そう思えば、自分という存在がいかにちっぽけなものなのかがわかる。
しかしながら、ちいさいと重要とは比例関係にはない。
おおきいと大切も正比例しない。
「人の命は地球よりも重い」という比喩は偏っている。
もちろん、他の生命体を軽んじているのではないのだろう。
だから「すべての生物の命は地球よりも重い」の含意があるのだろう。

3099赤トンボ

ヒトもクジラもウシもゴキブリもおなじように生物である。
好きだとか嫌いだとかとはちがう物差しをもちたい。
しかし、ものごとはそう単純には割り切れない。
ヒトの行動原則の根本にあるのは、好きか嫌いかだという。
嫌うことを嫌ってはいけない。
好きだということのすべては生きるための指針だ。
単純化すれば、食べられるものは好きで、毒は嫌いだということになる。

しかしである、人は嫌いな理由をいろいろと考えだす。
その最たるものは、生理的に受けつけない。
なるほど、差別しているのではないといいたいのだろう。
どういう生理学的な変化によるという説明はない。
生理的つまり生得的なものなのだからしかたがない。
主義や心情ではないですよ、アプリオリなんだからということらしい。

そう考えることにより自己防御のバリアをきずく。
うすうす、根拠が弱いなとも感じているのかもしれない。
嫌いだから嫌いだ、という人を軽蔑している。
軽蔑しながら、羨ましい気持ちが捨てきれない。
好きだから好きだ、ならいえそうな気がする。
嫌いはなぜ言えないんだろう。

「他人を嫌ってはいけません」と教えられた。
これはドグマ(教条)としてこころの底に潜んでいる。
だから嫌ってはいないんだ。
生理的だからしかたがないでしょ、ということになるらしい。
人生(哲学)は疑うことからはじまる。
疑うことをおそれてはいけない。
なにかをしないでいるということを恐れなければならない。

ドグマが蔓延すれば教条主義になる。
そのドグマを疑え、と学んだ。
疑うというのが嫌なら、それが正しいのか道筋をたどりながら考える。
やっぱり正しいとなれば、どれだけすっきりすることだろう。
こころが清々するのではないか。
そんなところから人生の旅をはじめてみる、のはどうか。


旅のかたち
人生はひとの数だけあり、まったくおなじ人生というのはない。
旅も同様に旅人の数だけあり、おなじ旅をすることはできない。
だが、他人はどんな旅をしているのかとは興味のわくところだ。
そういう意味では、他人の旅の話をきくのはおもしろいことでもある。

旅は非日常といわれ、ふだんの暮らしとはちがう。
ハレとケの関係といってもいい。
一昔前の旅行にはかならず新調の服を着たりしたのはそのせいだろうか。
また、旅は日常からの逃避だといわれたりもする。
しかしながら、いつかは日常にもどってくるという前提もある。
日常から旅へ、また旅から日常への循環というとらえ方もできる。

旅は人生のようだとも、人生は旅であるともいわれる。
つぎつぎと思いがけない出来事に遭遇していく旅もあるのだ。
かと思うと流れるようにすぎていったこともある。

美しい風景よりは人との出会いのほうが印象には残る。
なぜなんだろうか。
ヒトが社会性をおびた生物であるからなんだろうか。
こうして書いていてもつぎつぎと想い出はうかんでは消える。

いろんな顔が、そして島での別れの情景がよみがえる。
ちぎれんばかりにふられていた白いタオルが空に弧をえがく。
連絡船に乗るわたしは言葉を発することさえ忘れていた。
じっとその動きを光景をみつめているだけだった。
気がつけば、隣で女性が涙をうかべていた。
出会うということは、別れることを意味するのだと知った。

ずるずると滞在を続けるのは別れがこわいからだ。
笑って話したあとでひとりになると考えこんでしまう。
だれかを愛したということではない。
なにも約束することはなかった。
「流れ者に女はいらない」という映画のセリフ。
陳腐だと思っていたが、唐突にうかんでくる。
なんの関係があるというのだろうか。
それでも知らずしらずに視界がかすんでくるのだ。

3520天体観測台

こうした経験がいろいろと人生を教えてくれたのだといまでは思う。

人生は出会いと別れのくりかえしだと歌う。
メロディはこころのひだをふるわせるように響く。
いくつ越えればいいのだろうか。
どれだけ眠れぬ夜をすごせばいいというのか。
自問ともとれるなげかけに静寂だけがおしかえしてくる。
酒でも飲んで眠るがいい。
人間は忘れる動物なんだよ。
そう思っていたが、いまだに忘れないことがある。

悲しいから泣くのではない。
泣くから悲しいのだ、という。
では、なぜ泣くのだろうか。
こころのなかの無意識でニューロンが発火しているのか。

泣く人を見ていると泣けてきたりする。
もらい泣きするという。
こころも同時になにかをもらっているのだろうか。


旅のはじめ
あれは旅といえるのかどうかわからない。
小学校にあがる前のことだった。
夏になると、淡路島にある親戚の家にあずけられた。
なぜそのようなことになっていたのか、いまはもう知るすべもない。
とにかく、行きと帰りだけ親がいっしょだった。

親戚の子(もちろん年上、たぶん小学生)たちと池や小川にでかけた。
池でイモリを釣った(?)し、川でメダカをすくったりもした。
トンボやカナブン、クワガタもつかまえた。
早朝には、じいちゃんといっしょに伝馬船に乗って、蛸突きにもつきあった。
朝食にでる蛸のてんぷら、うまかったなあ。
家に帰りたいと思ったことはいちどもなかった。
どこか変わった子だったのだろうか。

そんな経験があるからなのか、知らないところに行くということに抵抗はない。
どちらかというと、未知なる地に行きたい願望のほうがつよい。
決して観光地に行きたいというのではない。
遊園地などは行きたくないほうだ。
ありふれた町を歩いて、どこにでもある店先をのぞき、いきあう人々をながめる。
それのなにがおもしろいの、とよく聞かれる。
べつにおもしろくはないよ、でもいつもとはちがう感じがするんだ。
逆に巨大な遊園地、テーマパークには興味がなかった。
なにが楽しいんだろう、といつも疑問だった。

その感覚がなにかを考えるきっかけになるような、ならないような。
よくわからんけど、知らない土地の知らない人たちの会話を聞いているのが好きだ。
食堂や居酒屋でどこからともなく聞こえてくる会話が新鮮だ。
土地の言葉がよくわからなくても前後の関係でなんとなくわかるのだ。
わからなければ、それはそれでもいい。
じっと聴いていれば、イントネーションが感情を含んでいるのがわかる。
抑揚だけで思いを伝えることも可能だったりする。
いろんな人がいて、いろんな人生を送っているんだなあ。
そう感じるだけで、なんだか生きているのが楽しいと思えたりする。

F0048西桟橋

旅しているとき、列車からすぎていく景色をながめるとき。
いつもなにかを考えていたのかもしれない。
あるとき、旅をするって考えることなんだと知った。
考えるためにはよく観なくてはならない。
それ以来、いつもなにかを見ているのだ、じっと、ときにはぼんやりと。
見るといったが、聴くもあるし、さわるもあるし、においすらも関係するんだと。
五感すべて(いや第六感さえも)がなにかを感じるのを知る。
そこからおのずとなにかが考えられる、というのかな。
息をするようなことなんだと思う。
だれもがそうしているんだが、意識にのぼるかどうかはひとそれぞれのようだ。

感じる考えることがすべてことばになるかといったら、どうかな。
あえて、それは関係がないといえる。
あとから言葉で理解しようとすると齟齬が生じる。
ことば以前の最初に観る、感じる、考えることが大切なんだと思う。
といいつつ、こうして文章に書いていることがもどかしい。

だれでも経験があるだろうけど、夕焼けが美しいと感じたこと。
城や塔や建造物から荘厳なものを受けたことが。
ありふれたものなんだが、それがなぜか輝いてみえたことなど。
おなじ食べ物でもなんだかとてもおいしく感じたりする。
それらが旅の魅力の一部を構成しているのだろうな。


旅のしかた
若いころからよく旅をした。
いつもひとりであてどもないような旅をした。
そのうちに、なんども出かけて行くところもできた。
そこにはおなじようにやってくる連中もいて、自然と話をするようになった。
しかし、いっしょに旅をするということはなかった。
若さがひとりの気楽さ、自由さを優先させた。

おなじところに何度も行くから自然と顔なじみになる。
だが、よくよく観察しているとそれぞれがすこしづつちがう旅のしかたをしている。
どんな旅がいいのかとは考えないが、それぞれの性格があらわれている。

ひとり旅をやたら強調する奴は、基本的にさみしがり屋で気が小さいのだ。
話しながら相手の顔色をうかがっているし、話しぶりに誇張が多い。
おまけにだれかの受け売りでは、と思わせるようなことがしばしば混じってくる。
すこしでも自分をおおきく見せたいという思いががうかがえる。
嘘をつくということではないから憎めないし、かえってほほえましい。
だが、どうも旅を観念的にとらえているようだ。

やたらにどこに行ったことがあるのかと聞く者がいる。
どこどこに行ったと言うと、かならずそこなら行ったことがあると言う。
観光地をきょろきょろとうろついている負けず嫌いの君がみえる。
旅は寂しいものなのだと彼の背中が語っている。

なんどもなんどもおなじ旅の話をする。
本人はまったく気がついていないようなのだ。
よほど楽しかったのか、それとも忘れがたいなにかがあったのか。
でもそんな話があるというのは本人にとっては幸せなことだ。
ただ聞いているほうは飽きるんだがと思いつつ、横の奴とアイコンタクトをとる。
許してやれよ、きっと辛いこともいろいろあるんだろうから。
と考えたとしても、直接的な言辞は慎むことにしている。

素直な若者は、どんな旅がベストなんですかなどと問いかけてくる。
(さあて、ベストな旅なんてないな。最悪だった旅ならあるが)

9180メダカ群泳

「なんでもいいんじゃない。好きなように旅すれば」
「その好きなようにがわからないんですよ」
「行きたいところに行けばいいんちゃうの」
「行きたいところ、うーん特にないんですよ」
「えっ、じゃあじっとしてれば」
「でも、旅したいんです」
「ははーん、旅に恋しているんやな」
「そうなんですか」
「そうや、旅したいんとちゃうんや。ひとり旅することがかっこいいと思っているのとちゃう?」
「うーん、そういうところもあるような気がします」
「人生、トライアル・アンド・エラーやで」
「試行錯誤が必要だというんですか」
「やってみなけりゃ、わからない。とにかくやってみるんや」
「でもどうやったらいいのか…」
「いや、やり方はたぶんわかっていると思う。失敗を恐れているんやな」
「そうかもしれません、万全の態勢を、と考えてしまうんですよ」
「恋愛もおなじやで、あたってくだけろや」
「じゃあ、ムッシュの旅のしかたを話してくださいよ」

さあて、どう話したものだろうか。
ところで、わたしはどんな旅をどのようにしてきたのだろうか。
しばし考えるのである。


プールで読書
こどもたちとプールにやってきた。もう泳ぐという年齢ではない。こどもらを見守りながら、プール
サイドの芝生に寝そべっていた。真夏の太陽が容赦なく照りつける。どこからともなく汗がわきだし
てくる。ビーチパラソルも太陽の運行を自動追尾するようにはできていない。いつのまにか陰の外に
いる。読んでいるミステリのせいでかっかしているのかと思ったが、そうではなかった。ビールをと
いいたいところだが、ここではご法度である。しかたがない、冷たい水で我慢する。しかし、この水
がうまいのだ。からだの要求するものはうまく感じるのだろう。言うではないか、空腹にまさるご馳
走はない、と。そろそろ帰るかと立ちあがったところにこどもたちがもどってきた。笑いあいながら、
「おとうさん、おなか」と指す。たるんだおなかの日焼けしたところとそうでないところが縞模様だ。
いっしょに笑いながらもなんだか物悲しくなった。文庫本のページが風をはらんでハラハラとなる。

N8212夏空

「独断! 中国関係名著案内」 高島俊男 東方書店 ★★★★
わたしは高島さんを尊敬している。いや、すばらしい先輩だと敬服もしている。自分に非があると認
めるとすぐに訂正しお詫び申しあげる。できるようでできないことのひとつだ。他人に厳しく自分に
はおおあまなジャーナリストもどきがたくさんいる。それはさておき、本書である。近年、日本と中
国の関係はいいとはいえない。しかし中国は日本が古来から手本としてきた国である。もっとおたが
いに仲良くなれればいいだがと思うのだが、現実は厳しい。日本人は中国を理解しているのかという
と、どうもそうではないという気がする。まず高島氏のこんな指摘をご覧いただこう。
『中国と日本は異質である。
 もちろん、アメリカやヨーロッパも日本とは異質であろうが、中国のばあいは、もっと本質的に異
質である。
……
 もう一つ。中国はフィクションの上に成り立つ国である。このフィクションを一部分でも信じたと
たん――たとえば「解放前」「解放後」というコトバを(たとえ不用意にでも)用いたとたん、中国
像はたちまちゆがみはじめる。日本の新聞記者の中国レポートがだめなのは、彼らの所属する大新聞
社が、かつて受け入れたフィクションを基本的に疑おうとしないからである。
 わたしが、日本の若い人たちの中国レポートが好きなのは、フィクションから解放されており、異
質に対する感性がたしかだからだ。』
たしかに某新聞社の記者だった方の本は読んでいてもつまらん。記者クラブの発表の受け売りのよう
なもので、目が曇っている。思いこみというのはだれにでもあるが、気をつけなければ。中国といえ
ば、台湾問題もある。台湾人の立場だとどう考えるのか。黄昭堂氏(台湾人は中国人ではないという
立場の方)の本からこう紹介している。
『外来者の台湾支配は日本が最初ではなく、一七世紀のオランダを皮切りに、スペイン、鄭氏王朝、
清国があり、そして日本のあとを受けて中華民国がつづく。
 中華民国国民政府、ぞくに国府、国民党政権、蒋政権と称される集団による台湾占領は……いまも
つづいている。』
かつてヨーロッパ人が「シャングリア」と呼んだチベットの問題もある。中国といってもさまざまな
面があるのだ、ということも考えておかなければならない。というようにいろんな書籍が紹介されて
いるのだが図書館にあるものは少ないのだ。たまには本屋にでかけますか。

「ソポクレス オイディプス王」 藤沢令夫訳 岩波文庫 ★★★★
テーバイの王オイディプスの物語を題材とする「オイディプス王」はソポクレスが、紀元前427年
ころに書いたとされる戯曲である。ギリシャ悲劇の最高傑作として有名である。主題は「父親殺しと
母親との姦淫」だ。ではどのように物語りは展開していくのか。テバイの王ライオスと妃イオカステ
の間に男の子が生まれる。だが、アポロ神の神託にこの子は「父を殺し母と姦淫する」という預言が
なされる。預言を恐れた王は赤子の両かかとをピンで貫いた上で、家来に山に捨てて殺せと命じたが
不憫に思った家来は、その子を牧人に預ける。ところがこの子は子どものいなかったコリントス王の
手に渡り、出生の秘密を知らぬままコリントス王子として育てられる。かかとの傷から「腫れ足」を
意味するオイディプスと名づけられた。また、オイディプスもアポロの神託に「父を殺し母と姦淫す
る」と告げられる。オイディプスは預言の実現を避けるため、コリントスを去り旅にでる。その途中
でオイディプスは馬車に乗った老人一行と出くわす。そこで争いになり、彼は一行を殺してしまう。
彼は知るよしもなかったが、この老人こそは実の父ライオスだったのだ。テバイにやってくると、都
では怪物スフィンクスの出現で大騒ぎ。スフィンクスの謎に答えられないと食われてしまう。このス
フィンクスの謎というのは有名な「朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か」
というものだが、オイディプスがそれに挑み、謎に「人間」と答えると、スフィンクスは谷に身を投
げて自殺する。スフィンクスを退治した者に今は亡きライオスに代わる王の地位を約束するのとおり
にオイディプスはテバイの王となる。つまり実の母と知らずイオカステを妻にするのだ。そして、そ
の間に二男二女をもうけた。だが、それからテバイに凶作と疫病が広がっていく。「この国には一つ
の穢れが巣食っている。さればこれを国土より追い払え」とアポロの神託が下る。そこでオイディプ
スはライオス王殺しの犯人探しをはじめる。だがやがて、オイディプスは自らが犯人であり、すでに
「父を殺し母と姦淫して」いることを知ることになる。それを知ったイオカステは自殺し、オイディ
プスは自分の目を潰して放浪の旅に出る。まさに悲劇なのである。
この物語にヒントを得て、ジークムント・フロイトは「エディプスコンプレックス」という概念を唱
える。母親を愛してわがものにしようと思う一方、父親に対して強い対抗心を抱くという幼児期にお
ける現実の状況に対するアンビバレントな心理である。当然それはいけないことだという抑圧もあっ
て心理的葛藤のうちにある。これらのことが無意識下に抑えこまれる。そういわれればそんな気もす
る、というのが精神分析の功罪といえなくもない。


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眠れない夏の夜
暑くて眠れない。
なんとか眠ろうと努力する。
二転三転とベッド上を反転しながら彷徨する。
眠れ眠るんだと自己暗示をかけてみる。
ますます頭が冴えてきた。

眠ろうとするから眠れないんだと気がつく。
では眠るまいとすると、どうなるか。

やはり予想通り眠れない。
まだまだ眠りたいという気が残っているのだ。
もっと真剣に眠りについて考えたほうがいいのかもしれない。
だが考えるということは神経の興奮を意味する。
これでは眠れるわけがない。

ヒトは眠れない状況にあると眠くなるらしい。
授業中、会議のとき、眠ってはいけない。
そうか、仮想会議を考えればいいのだ。
しかし議題が思いうかばない。
ああ、もう絶望である。

ふと目が覚めた。
あれっ、眠っていたのか。
朝になっている。

人生は不条理に満ちている。

N82601散氷機


メダカの夏
いっときの食欲旺盛なようすからはだいぶ変わって落ち着いてきた。
しかしまだまだ元気いっぱいだ。
あいかわらず稚魚メダカは生まれている。

N8291メダカ稚魚

N8286玄関前

どうしたものか。
しばし考える日々である。
なにもせず自然にまかせるのか。
(これだと親メダカに食べられるかもしれない)
親とは別にするため救出するか。
悩みはつきない。

初夏にうまれた子メダカたちはこんなに大きくなった。
それにしても個体差はおおきいな。

N8275今年誕生

夏は生命の輝くときでもある。
ホテイアオイも一株からこんなに増えた。
すごいなあと思う。

N8265ホテイアオイ増殖

どこか、だれかにかわいがってもらえるといいのだが。
ご希望の方には差しあげます。
取りに来てください、待ってます。
ひろがれ、メダカの輪(笑)。


喫茶店で読書
出張先の朝。ビジネスホテルに泊まっていたので食事はついていない。訪問予定先の営業開始時間は
10時だ。しかたがないので近くの喫茶店でモーニングでも食うか。さて、店にはいってみるとすで
にたくさんのお客さんがいた。みなさんゆったりと新聞などひろげながらトーストを食べコーヒーを
のんでいる。なかなかの地域密着型の喫茶店だななどと感じる。こちらもおなじようにモーニングを
頼んだら、小さな器にソーメンもついてきた。夏だからのサービスか。すこし得した気分だ。のんび
りと食べて時計をみるとまだ時間があるので店にあった本を読んだりしていた。すると、緑茶と小さ
な皿におかきがのせられたものがテーブルに置かれた。あれっと思って店員さんの顔をみるが、軽く
会釈して去っていった。これもサービスなのだろうか。そう思いつつまわりの様子をみる。だれもが
あたりまえのようにお茶をのんでいた。これがこの地のモーニング。南国は高知でのことであった。

N8263ナガバオモダカ

「北京から来た男」 上 下 ヘニング・マンケル 柳沢由美子訳 東京創元社 ★★★★
ノルウェーとの国境近くスウェーデン側にあるヘッシューヴァレンの村でのこと。さまよいながらや
ってきたオオカミが人の死体を引きずっていく場面からストーリーははじまる。黒澤明の「用心棒」
の一場面が思いだされる。村人十八人と少年一人が殺害されているのが発見された。どの家にも死体
があり、犬も猫も切り殺されていた。鋭く研ぎ澄まされた刃物でめった切りにされていたのだ。ただ
少年だけは一太刀で、ほかの人間は何度も斬りつけ拷問のような無残な殺し方だった。これはなにを
意味するのか、捜査陣は考えこむばかりだった。一方、このミステリの主人公ともいうべきビルギッ
タ・ロスリンはヘルシングボリの裁判官をしている。彼女はこの事件の新聞報道をまじまじと見た。
この写真にでている家に見覚えがあった。母親は十五年ほど前に他界していたが、もっていた写真の
なかに写っているのが確かにその家だ。この事件、自分に全く関係がないとはいえない。母親が子ど
も時代をすごした村でむごたらしい殺人事件がおこったのだ。話は一八六三年へとさかのぼる。中国
は広東の片田舎にサンと兄と弟の三人兄弟がいた。広東で弟は殺され、サンと兄のグオシーは奴隷船
に乗せられてアメリカへ向かうことになった。
『一八六三年の話である。何万人もの貧しい中国の農民が攫われてアメリカへ連れて行かれた年だっ
た。アメリカは大きな口を開けて彼らを呑み込んだ。彼らを待ちかまえていたのは、いつの日か解放
されたいとあれほど願った重労働だった。』
サンはアメリカで鉄道敷設の重労働につくのだが、この話がどうつなっがっていくのかは後半になる
までわからない。そこは読んでいただくほかはない。ヘニング・マンケルといえば、刑事クルト・ヴ
ァランダーのシリーズが有名だが、かならず社会の闇の部分も描く。今回もアメリカの奴隷はかなら
ずしも黒人だけではない。中国の苦力やヒスパニック系の人々もいるということを思いださせてくれ
る。この長編ミステリ、読み応えあり。

「超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会」
                 ラメズ・ナム 西尾香苗訳 河出書房新社 ★★★

著者はエジプト系アメリカ人で、マイクロソフトのインターネットエクスプローラーやアウトルック
の開発者のひとりということだ。研究者ではないが、近年のテクノロジーの成果には注目している。
本書では、脳同士を結びテレパシーのようにイメージや音声を伝え合う実験や人間の知能や記憶力を
高めたり、老化を防止する技術、肉眼では見られない波長を見る視力、一時的に肌の色を変えられる
技術など最先端のテクノロジーの萌芽の事例が紹介される。当然、遺伝子レベルでの操作がある。そ
のことに対してさまざまな抵抗があるが、世界均一というわけではない。
『アジア諸国は概して欧米諸国よりも、人間能力増強という考え方になじんでいる。たとえば以前「
遺伝子操作に対してどのように考えるか」という調査が国際的に行われたが、「遺伝子操作技術を用
いて子どもの性質を望み通りにつくり出す」ことに賛成するアメリカ人は二〇%ほどであるのに対し
て、インドでは六三%が賛成、タイでは賛成の割合は八三%という途方もない数字になった。』
スポーツ界では禁止薬物摂取によるドーピング問題がある。なかなか線引きがむずかしいのだが、能
力増強と治療のちがいはどこにあるのか。また経済的な側面からも注目される。
『ほかの医学技術と同様、社会はこれら生殖・衛生技術の恩恵を得ることになる。疾病を抱えて生ま
れてくる子どものための保健医療費が削減できるからだ。』
ということもあり、単純ではない。また薬には副作用がつきものだが、本来の使われ方ではない用法
もあったりする。
『ほかにも、いま世の中に広く普及している知的能力増強剤がある。抗うつ剤だ。世界中で三八〇〇
万人近くの人々がプロザックを処方されていて、さらに少なくともそれと同じくらいの人数が同類の
薬を服用している。普通、抗うつ剤は能力増強剤だなどと思わないだろう。何と言ってもこの薬は精
神を回復させて「正常」な状態に戻すのが目的だ。しかし現に、プロザックや類似の薬はうつ病患者
にもそうでない人にも効力を発揮している。』
最先端医療関連技術等に興味のある方は是非お読みください。


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プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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