ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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友だちの意味
無私のつきあいなんていうけど、そこまで考えなくていいんじゃないか。
どうして、そういう人って素敵だと思うよ。

だけど息苦しくなるんじゃないのか。
そうかあ、そうかもしれないな。

ギブアンドテイクって知ってるよな。
なんかドライな感じがして嫌かも。

物質的・経済的だけではなくって考えてみたことないか。
そういう考え方もあるよね。

いっしょにいるとどうしてだかよくは分からないんだけど楽な人っているだろ。
そういう人、たしかにいるね。

なにかをもらっているんじゃないのか。
そうだよね、もらっているんだと考えればいいのか。

6319ひと休み

話しを聞いてもらうだけで気持ちがすっきりしたりするんだよな。
そういうこともあるね。

つまらんカウンセラーよりよっぽど上等な人がいるぜ。
ほんとにすごいよね。

これができそうで、なかなかできないんだよ。
そうなの。

黙って微笑みながらいつまでもいつまでも人の愚痴や泣き言を聴き続ける自信あるかい。
うーん、ちょっと無理(笑)。


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友だちづくり
人生に友だちって大切だよな。
そうだね。

あいつのことを思いだしたりすると懐かしいな。
懐かしいのか。

そうだよ、遠くに離れて暮らしているからね。
どこで知り合ったの。

どこだったかなあ、あまりはっきりとは覚えていないな。
そういうものかな。

旅先で気がついたらいろいろと話してた、って感じだ。
どっちから話しかけたの。

それもはっきりとしないな。
そういうのを超越してるんだ。

そうだななにか超自然的な力が働いていた(笑)。
気が合うんだね、そんな友だちがいるっていいな。

そうだよなあ、幸運に感謝。
どうしたらそんな友だちができるの。

わからないな。
そうかあ。

それよりも、どんな人と友だちになりたいんだよ。
自分にはないなにかを持っている人と友だちになりたい。

じゃあ、反対に考えてみればいいんじゃないの。
どういうこと。

相手だってそういうことを望んでいるって考えないの。
そうか、自分がなにかをもってないと、かあ。
でもな、俺たちだって友だちだよ。

N8675金と銀


リビングで読書
リビングで本を読んでいた。白いレースのカーテンがゆらいでいる。どこかでイヌが吠えているよう
だが、やがて静かになった。うららかな陽がさしてあたたかい。おやっ、あの鳴き声はと耳をそばだ
てる。どうやらメジロがやってきているようだ。そっとのぞくと木に吊るしたワイヤの籠のなかのミ
カンの実をついばんでいる。かれらは甘いものが好きだ。数羽が鳴きかわしながらミカンを食べてい
る。もうすこし暖かくなってくると山へ帰ってしまうのだろうな。いましばらく眺めていたくなる。
そこへうるさく鳴くヒヨドリがやってきた。たちまちメジロは四散する。おいおいヒヨドリはあっち
に行けよ、と追っぱらったがメジロはもどってはこない。そこで急にやるせなくなった。俺は差別主
義者なのか。メジロはかわいい。ヒヨドリはかわいくない。そんなことで差別していいのか。ヒトは
見た目で差別する動物なんだ。とくに故なくカブトムシではなくゴキブリを嫌うのがその証拠だ。

N7425二羽のメジロ

「赤の女王 性とヒトの進化」 マット・リドレー 長谷川眞里子訳 ハヤカワ文庫 ★★★★
生物学の分野では「赤の女王仮説」として知られるものがある。「鏡の国のアリス」のなかで、アリ
スが出会うあの女王のことである。赤の女王は走り続けるのだが、永遠におなじ場所にとどまってい
る。風景が彼女についてくるからだ、とされています。つまり、すべての進歩は相対的である、とい
う概念のことをいうです。この考え方は、進化の理論にますます大きな影響を与えるようになってき
ていると著者はいいます。
『速く走れば走るほど、世界はまた速度を増し、それだけ進歩は少なくなる。人生はチェスのトーナ
メントだ。ゲームに勝ったところでまた次のゲームに進まなければならない。しかも「駒落ち」とい
うハンディを負って。』
科学万能の昨今の世のなかだが、進歩が相対的となれば幸福も相対的なのか。という疑念もわいてく
る。絶対的真理などというものがあるのか。ニュートンの万有引力の原理が支配していた世界は、ア
インシュタインの相対性原理の宇宙にはいりこんでいった。物質の存在も、ハイゼンベルグの不確定
性原理によって確定できないものになる。さらにはニールス・ボーアらが提唱する量子論により確率
的なものになっていった。物質が確率的に存在するとはどういうことなのか、直感的には理解しがた
いのである。そんなことを思いながら本書を読みすすめていった。さて、リドレーは進化に関するこ
んな古いエピソードを紹介している。
『ある哲学者とその友人がクマに襲いかかられたときのことである。二人は一生懸命逃げたが、途中
で論理的思考をする友人がこう叫んだ。
「むだだ、しょせんクマより速く走るなんてできやしない」
 すると哲学者はこう答えたのだった。
「クマより速く走る必要などないのだ。ただ、君より速く走らなければならないだけだ」』
そうなのだチーターに攻撃されたカモシカは、チーターより速く走ることではなく、他のカモシカよ
り速く走れれば危機を脱出することができるということなのだ。進化とはそういうものなのだという。
ヒトの知性はなぜ進化したのか、脳はなぜおおきくなったのかもおなじではないのか。ケンブリッジ
大学の心理学者ニコラス・ハンフリーは次のような解答をだした。
『我々が知性を駆使するのは、実際的な問題を解決するためではなく、機知により他者を出し抜くた
めなのだ。人を欺くこと、他人の欺きを見破ること、人の動機を見抜くこと、狡猾に人を操ること。
これらのために知性は使われるのである。つまり重要なのは、どんなに賢いか、どんなに狡猾かでは
なく、どれだけ他人よりも賢く、狡猾かなのだ。知性の価値は無限である。同種内淘汰は、異種間淘
汰よりもはるかに重要なのである。』
なかなか興味深い説である。また、進化から道徳的結論を引き出すことはできないとリドレーは書く。
『「自然」だからといってそれが正しいことにはならない。類人猿が日常的に殺害を行い、人類の祖
先もそうであったという意味においては、殺人は「自然」である。偏見、憎悪、暴力、残虐。これら
はすべて我々の本性の一部なのである。そしてしかるべき教育によってこれに逆らうことはできるの
だ。本性は柔軟性に欠けているわけではなく、融通がきくのである。さらに、進化に関して最も自然
なことは、ある種の本性は他の本性と敵対するということである。進化の行きつく先はユートピアで
はない。ある男にとって最善の状況は、他の男にとって最悪の状況、ある女にとって最善の状況は、
ある男にとって最悪の状況という事態に導くのだ。どちらかが「不自然」な運命を余儀なくされるの
である。これが赤の女王のメッセージの核心である。』
本書は文庫ながら、本文だけで545ページもある。すべてを紹介することはできない。いたるとこ
ろになるほどといえる知見がある。根気のある方には是非ご一読をおすすめする。読んでおもしろか
った、と思えるのではないか。

「「婚活」時代」 山田昌弘 白河桃子 ディスカヴァー・トゥエンティワン ★★★★
パラサイトシングルということばを山田氏の著書で知ったときの驚きはいまでも覚えている。あれか
らどれくらい経ったのだろうか。いま日本では「就活」とも密接に関係する「婚活」が話題だ。これ
らをどう考えればいいのだろうか。「規制緩和」によって、就職活動を積極的にする、いやしなけれ
ばならない時代に変化していった。山田氏はこういう。
『では、もう一方の結婚はどうかというと、状況は同じです。男女交際に関する規制緩和が起きたが
ゆえに、自動的に結婚できない時代が出現しています。つまり、個人が、意識的に結婚活動を行わな
いと、よい結婚相手どころか、結婚自体をすることがむずかしい時代に突入しているのです。』
職場結婚やお見合いではなく、恋愛結婚があるべき結婚だという時代感覚もあったのでしょう。だか
ら結婚適齢期ということばもある意味、否定的な含みをもってきていたのです。
『結婚年齢が多様化しているとか、結婚しない人が増えているというと、一般には、自分の意志でそ
うしている人が増えたからだと思われがちですが、実際には、まったく逆です。結婚年齢がばらつく
ことにより、逆に、自分の思ったタイミングで結婚できるとは限らなくなってくるのです。就職にし
ろ結婚しろ、自由化が起これば思いどおりにならなくなる、というパラドクスです。』
うーん、ちょっと学者っぽい発言だな。それに比して白河さんはどうみているのか。女性にとって、
結婚とはしなければならないものではなくなってきている、という。
『つまり、依存型、自立型、どちらのタイプの女性たちにとっても、結婚がかつてのような生活必需
品ではなくなってきていること、それが根底にある要因だと思います。生活必需品ではなくて嗜好品。
だから、自分の嗜好に合わない結婚ならしたくない、というのが、本音でしょう。』
女性経験のない男ほど女性に対する要求水準が高い、とくにビジュアル面でと白河さんはおっしゃる。
まあ、ひとことでいえば身の程知らず。よくいえば、それだけうぶなのだ。しかし、男のうぶはどう
しようもない。だから売れ残る。もちろん、女性陣も結婚の条件にこだわりはある。
『たしかに、女性の「経済力へのこだわり」に相当するものが、男性の「外見と年齢」へのこだわり
なのでしょう。けれども、女性のこだわりは現実に立脚したものであるのに対して、男性のこだわり
はファンタジーだと思います。』
ファンタジーを求める男。つまり、おたくだ。だから、現実をわきまえてそれなりの社会でのポジシ
ョンを確立している男はある意味そういう女性に幻滅する。だから、なかなか結婚に対する腰をあげ
ない。そいう男が独身で一人いると、最低五人の女性が引きずられてしまうのだ。そして婚期を逃す。
『「結婚しない男」には婚活は必要ありません。必要なのは、流される勇気だけです。それをもてば
すぐに結婚できます。婚活が必要なのは、男磨きしないと「入り口すら入れない人」「声をかけられ
ない人」です。女性の目線の範囲内にとまるように男を磨き、傷つくことを恐れぬ勇気をもつことが、
彼らの婚活です。』
こうしてミスマッチが重なって、結婚しない結婚できない男女があふれてくる、のだそうだ。そうい
うことなんですかね。なるほど、ね。って他人事ですが、むずかしいものなのですね。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

親友ってなに
わたしには友だちがいます。
たくさんかどうかわからないけど、そこそこはいます。
でも、わたしには親友はいません。

ですから、わたしと親友だという人は必然的にいないはずです。
でも、そう言う人がいるらしいです(笑)。

親友というのは双方向かと思っていました。
そうでもないかもしれないですね。
親友と思ってくれている人には感謝です。

しかし、なにもあげることができないのが心苦しいです。
いつまでもは無理でも、お元気でいてほしいと思います。

6322花とニンフ

親友がいると考える人はすこし寂しい人なのかなと想像したりします。
いやそんなことはない、素直な純真な人なのでしょう。
だから、すこし心配してしまいます。

わたしのように親友はいないと考えるほうが気楽なのにな、と思います。
親友って夢や希望のようなものかなと思っています。

もし親友がほしいですかといわれれば、考えてしまいます。
やっぱり友だちでいいかなと思います。
お互い仲よく、ときには喧嘩もしましょうか。


赤穂坂越の牡蠣
一昨年、牡蠣を食べに行った赤穂の坂越がよかった。
場所は丸山県民サンビーチだ。
夏にはキャンプ場でにぎわうんだろうな。
だから、今年はここへ行こう。
ということで総勢八人が参集した。

N8892牡蠣BQ

鎌倉水産さんがやっているゆる~い雰囲気がとてもここちよい。
まず、時間はとくに制限はなくゆっくりできる。
持ち込みは自由というから、まさしくリベラルだ(笑)。
もちろん、牡蠣とかホタテは購入する。
だが、残念ながら今年はホタテの入荷はないとのこと。
それ以外の食材・飲料はご自由にどうぞ、ということだ。

N8887鎌倉水産

だから、カセットコンロをもちこんで焼きそばだ。
バケット、チーズ、ワイン、ビール、焼酎、飲み物はお好み次第。
だから時間が長くなるのは必然である。

N8897焼きぞば

サンビーチというくらいだから海が近い。
景色がとてもいい。
ただ難点というか、露天吹きさらしである。
お天気次第のまさしく牡蠣バーベキューなのだ。
われわれワイルド派(?)にはぴったり。
たまにはこういうのもいいんじゃないんでしょうか。

N8896海も近い


スキー場で読書
バスの添乗のバイトでスキー場に行った。夜行のバスで途中チェーンの装着などあった。着いた所は
湯田中だった。路線バスならワンマンも可能だが、観光バスはそうもいかない。法律でふたり以上の
乗務が義務づけられていた。で宿に着くと帰路まではなにもすることがない。運転手さんたちはのん
びり温泉三昧である。スキーをしてきてもいいぞといわれたが、そんな気はなかった。宿にいてもす
ることもなく退屈なのでスキー場まで歩いて行った。ゲレンデが見わたせるロッジの食堂でビールを
頼んだ。雪の白さがまぶしい。若者たちはワイワイと楽しそうだ。おれだって若者なんだけどな、と
その感想に思わず苦笑いがでた。美味くもない焼そばを食いつつ本を読んでいた。かたわらを通りす
ぎる女性は怪訝な表情である。この人なに、という視線だったのだろう。旅館への帰り道、まわりの
連中の見よう見まねでスノーシューズで滑ってみた。スイスイとはいかないが存外に楽しかった。

N8840雪中電車

「ことわざの知恵」 岩波書店辞書編集部編 岩波新書 ★★★
ふとしたときにそうだよなと思わされることわざがある。しかし、あれってどういうことなんだろう
というのもある。たとえば「人を呪わば穴二つ」、でこの穴二つってどういう意味があるのか。人に
禍が降りかかるようにと呪うようなことをすると罰を受けますよ、という戒めがこめられていること
わざだとは分かる。だがこの「穴二つ」がいまいちわかっていなかった。
『省略しない形では「人を呪わば穴二つ掘れ」。なぜかといえば、呪った相手が葬られる穴と、自分
自身が葬られる穴と二つ必要になるからだ。
 のろい殺すからには、自分も命を失うことを承知せよ、あだやおろそかに人を呪ってはならぬぞ、
という教え。』
なるほど、その覚悟もないのに人を呪うものではない。ということですね。「ごまめの歯ぎしり」と
いうことわざも、力のない者がいたずらに憤慨するという意味だ。この「ごまめ」とは小さな片口鰯
のことだが、なんだか腑に落ちない。ちょっと「ごまめ」をあなどっている感がぬぐえない。
『ごまめは、田の肥料にすれば四万俵だった収穫が五万俵にもなるということで「五万米」と当て、
「田作り」とも呼ばれる。また、「まめ」は、誠実・達者の意味の「まめ」からきているという語源
説もあり、お節料理に使われるのはこれらの縁起による。
 ことわざの世界では、これといい、「ごまめの魚交じり」といい、縁起のよい方は切り捨てられ、
取るに足りないものの代名詞的な扱いを受けている。』
イワシ好きな者としては、すこし溜飲をさげるのだ。ことわざには西洋由来のものもおおい。「目か
ら鱗が落ちる」などは代表的なものだろうか。「新約聖書」使徒行伝からきていることは「広辞苑」
にも載っている。だがこの鱗、魚だとするとなんだか辻褄があわない。
『キリスト教を迫害していたサウロ(パウロ)は、その罪で失明する。イエスはその目を元に戻すべ
く弟子を彼のもとに遣わす。弟子が彼の体に触れると、「目から鱗のようなものが落ちて」再び目が
見えるようになったという話。
 蛇は脱皮の際には鱗を落とすが、目も例外ではない。蛇のごとくに邪悪な男サウロ、ということで
「鱗」が想定されたのであろうという。』
なるほどね、蛇の鱗でしたか。しかし、蛇が邪悪というのにはちょっと納得がいかないのである。

「妻と罰」 土屋賢二 文藝春秋 ★★★
週刊文春の連載コラム「ツチヤの口車」の書籍化されたもの。相変わらず独特の切り口をみせている。
あきらめる方法についてである。なかなかためになる、かもしれない。
『打つ手のない状況に陥ったとき、打つ手は二つある。一つはあきらめる、もう一つはあきらめない、
だ。
 今では、「あきらめるな」と叫ばれることが多いが、古来、日本人はあきらめの中に美を感じとり、
あきらめようとしない人間を軽蔑していた(と聞いた)。
 わたし自身、これまで、あきらめの境地を目指し、多くをあきらめてきた。大ピアニストになる、
詩人になる、日記をつける、妻の性格を変える、豪邸に住む、車庫入れするなど、あきらめたことは
数え切れない。
 しかし残念ながら、あきらめきれないことも多い。大富豪になる、天使のような女と出会う、一人
静かに暮らすなど、あきらめきれないでいる。あまりにもあきらめが悪いので、今では、あきらめの
境地に到達することをあきらめている。』
あきらめる方法の一つ「どうせの方法」の考察もおもしろい。「どうせ……だから」という論法を使
ってあきらめる方法なのだが、それには説得力に欠けるものも多い。
『説得力があるのは、余命一年よ宣告された人が、「どうせ一年しか生きられないんだ。だから金を
貯めても無駄になるだけだ」と思って並寿司を上寿司にするような場合である。ただし、これを拡張
して「どうせあと五十年も生きられないんだ。節約するのは無意味だ」と考えて豪遊すると、取り返
しのつかない結果になる恐れがある。また仮定法を使って「どうせ明日交通事故で死ぬかもしれない
んだから、今日のうちに金を使い切ってしまおう」と考えるのも危ない。
 そもそも「どうせ」と言っても本気であきらめていないことが多い。無駄に金を使った人が「どう
せ死んだら無一文だ」と言っても、あきらめきれているわけではない。ためしに「それなら、金はい
らないよね」と言って金を巻き上げようとしてみれば、抵抗するはずだ。』
あきらめるのもなかなかむずかしい問題あり、なのだ。
『わたしがよく使うのは、「どうせ一週間後にはまた散らかるのだ。今日片づけ物をしても無駄にな
る」「どうせこの建物は百年後には取り壊されているのだ。本を整理するのは無駄だ」「どうせ地球
の寿命はあと千億年もない。だから棚を直す意味がない」「どうせ金は妻にとられてしまうんだ。使
ってしまえ。使うと怒られるが、どうせ怒られるなら、一万円使ってやれ」などだ。
 今、妻が「いい加減、そこにある本を片づけてよ!」と叫んだ。つい先日、「どうせいくら言って
も片づけないんだから」と言ったばかりではないか。あきらめの悪い女だ。』
こうしてツチヤ家の日々はすぎていく、のだろうか。しかし一抹の真理はあると思うのだが、分かる
人には分からない人のことが分かりようもなかったりする。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

うんちの成分
食べたものが体内で消化吸収されて、その残りが排泄される。
つまり「うんち」の中身はすべて食べ物のカスだ。
そう考えている人は多いかもしれない。

そんなわけがないよな。
いろいろと調べてみた結果わかったことがある。

おおむね「うんち」の約70%は水分である。
まあ、便秘気味とか下痢状態とかいいろいろあるから。
あと10%が腸内細菌やその死骸、10%が古くなり脱落した腸粘膜だという。
そして、残り10%が消化管で吸収されなかった食べ物のカスということらしい。
そういえばヒトのからだも約70%は水分だった。

かなり常識とはかけ離れている感じ。
それから色が黄褐色なのは十二指腸に排出された胆汁の色素ビリルビンによるとのことだ。
腸内の状態によって色が変わる。
腸内が善玉菌優位で酸性なら黄色みを帯びた黄褐色。
悪玉菌が繁殖しやすい環境のアルカリ性なら黒っぽい色になる。
黄色いほうが健康なんだな。
そういえば赤ちゃんのは黄色かった。

啄木ではないが、たまにはじっと便を見る、のもいいのではないですか。

N8842余呉湖


行為と好意
なにげなく「こうい」と入力したら「好意」と変換された。
ちがうなあと再変換すると「行為」となった。
これでいいんだ。

だが、ふと気になった。
好意と行為って関係するのかな。
好意をもっているから行為をなす、なんてね。
高校生かよ、と思わなくもない。

けれどいちど気になるといつまでも尾をひくものだ。
もうすこし続ける。

「こうい」を短くすると「こい」になるな。
連続するというより変形していくんだな。
「故意」に、つまりわざとだ。
意地悪するのも「恋」のうち、なんて。
「こうい」に狭隘物がはいると「こうかい」になる。
よくあるでしょ。
経験したことないですか。

「こうかい」も「後悔」ではなく「公開」してしまえばいいのだ。
あたってくだけろ、なんてアドバイスをする奴がいるけど、無神経だね。
それができないから悩んでいるのに。
だからそういうときには、どうすればいいのか。

それを考えてあげなくては。
ってお節介もほどほどにしないと為にならないから。

N8788大飛島


小顔がいいのかい
最近とくに女性の方は小顔にこだわっている。
なぜなんだろうかと考えてみた。

スタイルのよさは何頭身といわれるように比率であらわされる。
当然、顔がちいさいほどスタイルがよくみえるというわけだ。
なるほどね。

しかしスタイルがいいというのはどういうことか。
健康的だと無意識下で感じとるんだろうな。

だが世のなかでは誤解している方がいる。
じつはスタイルがいいと感じる条件があるのだ。

N8775六島漁港

それは痩せているとか肥っているとかと直接的な関係はない。
ウエスト÷ヒップの比率が重要なのだ。
これが0.7ぐらいがちょうど男がスタイルがいいと感じる数値だ。
わかりやすくいうと腰にくびれがあるということだ。

たとえば、ツィッギーとオードリー・ヘップバーンとマリリン・モンロー。
だれがいちばんスタイルがいいと思いますか。
じつは彼女らすべてがこの数値にあたる。
つまり男は好ましい、魅力的だと感じるのだ。

ヒトの感覚は、相対的なものについてはかなり正確に反応する。
この荷物の重さは何キログラム、にはなかなか答えられない。
しかしどっちの荷物が重いか、ならかなり正確に答えられる。

さて、顔が小さいということは頭も小さいのかな。
すると当然ながら脳もちいさくなるよな、と思う。
だが、知能指数と脳容量に正の相関はないらしいです(笑)。

顔がおおきいほうが存在感はあるのに。
というか、存在感のある人物を注意してみればいい。
たいていふつうより顔がおおきいということがわかる。
その人物については、小顔なんていうしょうもないことを忘れている。
というようなことがあるんじゃないですか。

いえ、そんなことはいいのです。
ひっそりと世界の片隅で生きていきたいのです。
なんていうように、小顔の人はつつましいのかな。

いつの世にもいろんな流行がある。


ディスコで読書
あるとき友人からひまかと電話があった。ひまだよと答えた。ディスコの仕事しないか。想像もつか
なくてなにをするんだよと聞いた。サラまわしだね。なにそれ。ごめん、レコードをかけるってこと。
なんとなく理解できたことは、ディスコでレコードをかけてさえいればそこのお酒は自由に飲んでも
いいという条件だ。だいじょうぶなのかと言うと、酒屋の経営だから問題なし。よし、のった。とい
うことで栂池スキー場まででかけた。ディスコは地下にあった。やってくるのはスキー客の若者ばか
り。最初はうるさいと思っていたディスコ音楽も耳が慣れてくる。もっとボリュームを上げようかと
思ったら最大なんてこともあった。飲み放題だといわれた酒もそんなに飲めるものではない。レコー
ドの入れ替えもあるし、酔っ払うわけにはいかない。いまでも憶えているのは「ジンギスカン」とい
う曲だ。読書でもできるかと思ったが、まったくあてが外れたディスコ勤務の一週間であったのだ。

N8843雪と樹木

「生徒たちには言えないこと 教師の矜持とは何か?」 諏訪哲二 中公新書ラクレ ★★★★
いまの日本ではだれもが学齢に達すると学校へ行く。学校はなにを子どもたちに教えるのか。長年教
師をしてきた筆者は、学校は「真実」を教える場ではないという。これはなにを意味するのか。
『学校では近代社会において公認されていることしか教えられない。人間は合理的であり、理性的で
なければならないと教える。だから、いつも自己の信じる「真実」を語りたい人は教師には成らない
ほうがいい。学校で語る「真実」は「建前」に包んで教えるしかない。あるいは、どんなに自己の信
じる「真実」を語っても、学校という場では「建前」として受け止められる。』
「真実」は「こうある」であり、「建前」というと「こうあるべき」ということだ。「こうありなさ
いよ」というのが教育である。「こうあるすがた」を子どもたちに語っても子どもたちはどうすれば
いいのか混乱を起こすだけかもしれない、と彼はいう。「真実」と「建前」の話をこう書いている。
『たとえば、「人間は平等である」という考えは現在日本では自明のこととされている。私が子ども
の頃である昭和二十年代には、平等といえば男女平等の「建前」のことであり、いま以上に男女差別
は厳然と残っていた。この考えは近代の中核を成すし、キンキラキンの絶対の「真実」であるように
も思われるが、世界や日本の「現実」を見渡せば、事実を表してている「現実」ではありえない。差
別や格差や抑圧や虐待などがあらゆるところに存在し、近代の「建前」ではあるが、「現実」や「真
実」でないことは明白である。』
教師と学者はどう違うのかというところでこうも書いている。
『どこかで「教師は学者の成り損ないだ」と述べていた評論家がいたが、そんなことはない。教師は
学者の研究したこと(「真理」「真実」)を薄めて生徒に伝えるのではない。生徒の「現実」に合う
ように、学校の「現実」に沿うように「建前」化して教えるのである。』
先生は大変な職業だと思う。しかし大変だからこそと考える方たちもいるのだろう。大変だからとい
って投げだしていてはなにもできない、という気持ちで頑張っておられるのだろう。しかし、いい教
師とはどのような先生のことをいうのでしょう。
『観察力のすぐれた人、あるいは、とてつもなく善良な人がいい教師とは限らない。私は昔から「い
い人、必ずしもいい教師ならず」と言っている。善意の人は生徒に学校生活という枠をかぶせること
が苦手で、かえって、生徒を不安定にさせてしまうことも多い。学校の教師と生徒という公的な「建
前」的なものとして向き合っているのに、どこかで一対一の人間関係の「真実」にいるような錯覚を
するからである。これはどんな教師も陥り易い落とし穴である。』
これはふつうの会社員でもある。取引関係ではどうしても主従的な関係になることがある。とくに大
企業ともなればその力はおおきい。しかしそれは企業の力であって、その担当者の実力ではないこと
が多々ある。だが自分の実力と勘違いする輩がいて退職後も引きずって嫌われ嗤われることがある。
教育などは物理学や化学とちがって、なにが正しいか実験することができない。実験の条件を整える
ことすら困難であるだろう。実験的授業は可能だろうが、あくまで実験的で普遍にはならない。
『現在行われている教育を否定することで、本当の教育であることが保証されるわけではない。本当
の教育など誰にもわからない。本当の教育を考えること自体がひとつの症状であり、ましてや本当の
教育がわかっていると考えるということはひとつの病状である。』
それでも現場では日々教育が行われているわけであり、試行錯誤、ケースバイケースなのでしょう。
謙虚でありながら自信にもみちた態度が必要で、真面目な教師ほど病みそうな気がしてくる。おまけ
に学校教育と経済活動をごっちゃにしてクレームをつけてくる親などいて察するに余りあるのだ。

「健康の味」 南伸坊 白水社 ★★★★
健康は幸福とおなじで、健康なときや幸福なときには考えないものらしい。しかし、年をとってくる
と必然的(?)にいろんなところに不具合、損なわれ感がでてくるものである。
『健康の味は、健康の時には味わえず、
 健康の損なわれた時にはじめて味わえる。』
という逆説的なものなのである。そこで病院にいったり、健康法を試したり、種々行動したりしなか
ったりすることになった次第を伸坊流の文章で読ませてくれるわけだ。そうだよな、と思いつつ気楽
に、あるときは真剣に読みすすめる。
『現在のいわゆる解熱消炎鎮痛剤は、どんどん強力なものが開発されていて、驚くほど作用が強いの
だそうだ。この抗炎症薬を、長期間連用すると、体がいちじるしく冷えてしまうらしい。
 なぜかというと、こういった薬は血流をとめることで消炎しているからなのだそうだ。解熱消炎鎮
痛は、すべて同じ働きで解決する。つまり血流をとめることで消炎し、血流をとめることで解熱し、
血流をとめることで解熱しているのだった。
 炎症が起こるのも、発熱するのも、痛みを感じるのも、実はからだが治癒反応を起こしているのだ
が、消炎鎮痛剤というのは患者の不快をとりのぞくことに主眼を置いているのであって、そもそもの
原因である病気のおおもとをとりのぞくようには働かず、結果かえって治癒のジャマをしている、と
いうのだった。』
こういうことを知るのはおもしろい。伸坊氏もそう感じ薬をやめたのだった。それにストレスもいけ
ないよなあ、などと考えるのだった。
『病気に不安やストレスや気のせいは、ものすごくイケナイ。と私は思う。医学は、本来なら、いつ
のまにか治ってしまったような病気を、細かく調べ上げたり、正確に数値を出したり、悲観的な予測
をたてたりすることで、確実な、立派な病気へと推し進めていると私は思う。
 病気になるのは、自分の責任である。それで病気を治すのも、自分の力である。』
そのためにもいろいろと知らなければならない。そこも自己責任だ。冷水浴や冷水摩擦などをやる。
効いていると思えば効いているようだし、効いていないといえば効いていないのかなあと頼りない。
また、ねじり体操なる「ウエストをしぼって腹筋を鍛える体操」もはじめる始末だ。しかし「ガン疑
惑」などあり、やせているのはガンのせいかもと思うとイヤになってやめてしまう。世のなかはダイ
エットばやりだが、こんなダイエットもありますよと推奨(?)してくれている。
『「クヨクヨダイエット」というのは、私の先生の赤瀬川源平さんが提唱しているダイエット法であ
る。まだ本にはなっていない。
 みんな、やせたいというけれども、やせるのなんてカンタンだ。クヨクヨ悩めばいいので、クヨク
ヨするだけで、食事はいつも通り、体操なんかしなくたって、やせられる。というダイエット法であ
る。』
これはいいかもしれない(笑)。しかし、知らず知らずのうちに実践しているなんてことがあるかも
しれませんよ。若い人には、失恋ダイエットもいいんじゃないかな。やせるは気から、っていうから。


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プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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