ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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用水路で読書
あるとき、田園地帯をあるいていた。田には水がはられ、これから田植えがはじまるのだろう。木立
ちがあり陰になった場所があった。そこに腰をおろして休憩することにした。脇にコンクリートの用
水路がはしっていた。そっとのぞきこむと、いきおいよく水が流れていた。つくられたばかりのよう
で、灰色の地肌そのものだ。藻や水草、小魚もみあたらない。ただ、どうどうと水がながれていくば
かりだった。顔をあげると、空の青さが眼にしみた。草のうえに寝ころんだ。身体がバキバキと音を
たてるようで、痛さが気持ちよかった。ふんわりとした風がほほをすぎる。ズボンのポケットから煙
草を取りだしてマッチで火をつけた。煙がゆっくりとたちのぼっていく。ふと列車のなかで読んでい
た本のことを思いだした。あわててリュックからとりだした。しおりを挟んだ箇所をそっと開いた。
そこには短歌が一首。「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」

N9213霧のなか

「日本語の乱れ」 清水義範 集英社 ★★★
短編集だが、やはり表題にある「日本語の乱れ」がおもしろい。ラジオ番組でのことである。聴取者
に気になる日本語の乱れがあれば番組あてに送ってください、と提案した。すると思いのほか反応が
よくて投書がどんどんどやってきた。ことばの乱れが気になる方は多いのだ。特に六十歳以上の老人
からの投書半数以上になったという。おもしろいのを抜粋してご紹介しよう。
『「テレビのアナウンサーともあろう者が、『他人事』を『たにんごと』と読んでおった。もちろん
『ひとごと』に決まっておるではないか。なげかわしい」東京都 男性 七十六歳。』
これはよくあるやつですね。訃報を「とほう」と読んだアナウンサーが現実にいました。思いだしま
した。そういうことってありがちじゃないですか(笑)。
『「『とんでもない』という言葉を、ちょっとていねいに言ってるつもりで、『とんでもありません』
と言う人がいる。もっとていねいにしたつもりで、『とんでもございません』とか。実にとんでもな
い間違いである。『とんでもない』は“とんでも”が無い、と言っているのではない。だからていね
いにしたって、ありません、にはならないのである。『みっともない』『かたじけない』と同じ成り
立ちの言葉で、『みっともありません』『かたじけありません』とは言わないだろう。それとも若い
人などはそう言うようになっているのだろうか。『とんでもない』をていねいに言うとすれば、『と
んでものうございます』か『とんでもないことでございます』となるだろう。
 ところで、『とんでもない』の“ない”はまた、否定の助動詞の“ない”でもない。『わからない』
『知らない』の“ない”とは違うのだから、『とんでもぬ』にもならないのである。
 それなのに近頃、『おぼつかぬ』という言葉を使う人が出てきているのにはあきれる。『正確なと
ころはどうもおぼつかぬ』なんて。『影を慕いて』という歌の中に、『月にやるせぬ わが想い』と
いう詞があり、それが有名な誤りだということを近頃の人は知らないのであろう。『やるせない』は
『やるせありません』にも『やるせぬ』にもならないのである」東京都 男性 七十歳。』
なるほどなあ、なんてちょっと反省したりしました。では最後にこんなのはどうでしょう。
『「『えんどうまめ』という言葉を使う人がいるが間違っている。『えんどう』を漢字で書けば『豌
豆』であり、『えんどうまめ』というと『豌豆豆』ということになってしまうのだぞ。『あずきまめ』
(小豆豆)とか『だいずまめ』(大豆豆)とは言わないように、『えんどうまめ』も言ってはダメ」
東京都 男性 七十歳。』
なんだか笑えてくるでしょう。これ川名の英語表記にもあてはまるよなあ、なんて思いますね。

「それでも、読書をやめない理由」 デヴィッド・L・ユーリン 柏書房 ★★★★
ユーリン氏にとって読書とはなんなのか。こう語っている。
『本は、パラシュートを開くひも、脱出用ハッチ、現実の人生から出ていく扉だった。どこへいくに
も本を持っていった。』
そこには広大なちがう世界があることを知ったのだ。それからは必然的に本がともだちになった。だ
がそのことはなにを意味しているのかと考える。そして知ることになる。
『重要なのは、読書を発見の旅ととらえ、自分の内面世界の発掘ととらえることだ。誰の本を読むか
はたいして問題ではない。ともかくはじめのうちは、思い切って読書の世界へ飛びこむことが大切な
のだ。』
本は未知なる自己を知り育てていく手助けになるのだ。何を読むかはそれぞれで自ずと身につく。新
たな発見、知見をそこに見いだすのに読書が役に立つ。自分で考えるのだ。ところが、現代の状況は
どうなっているのか。筆者はすくなからず危惧をいだいている。
『ほとんどの現代人は携帯用の電子機器を持ち歩き、それらは十年前の最高のパソコンよりはるかに
高機能だ。しかし、高機能な携帯機器はわたしたちを解放するどころか、むしろ休息の時間を秒単位
で削り取るようになった。何かにつけてEメールやフェイスブックやツイッターをチェックし、仕事
や娯楽関連のウェブサイトをチェックする。家族と一緒にレストランにいるときにも、車の中にいる
ときも。』
インターネットから始まったITの世界はわたしたちの生活を格段に変えた。時代はいつも変化して
いる。それは現代に限ったことではない。しかし立ち止まって考えてみようではないか。便利がすべ
てではない。そんなことはだれだってわかっている。短い人生のなかでなにが重要なのか。ときに考
えをめぐらすのは悪いことではない。なにか一辺倒になるのは危険だと歴史が教えている。
『二〇一〇年六月にアップル社は、会社全体の反ポルノ方針を理由に挙げて、『ユリシーズ』のウェ
ブコミックバージョンからコマをいくつか省くよう、制作者たちに強要した。登場人物たちが裸で登
場する場面だ。これはそのコミックがiPadのアプリショップで発売される直前のことだった。』
当然、非難の嵐が巻き起こった。だが、いまでは信じられないかもしれないが「ユリシーズ」は合衆
国で発禁になったことがあるのだ。ポルノをめぐる問題はむずかしい。「チャタレイ夫人の恋人」や
「北回帰線」はどうなのか。電子媒体の世界でまた再燃するかもしれない。本はグーテンベルクの印
刷術の発明でおおきく変わった。いまは電子書籍が登場している。どちらかがいい、ということはな
いと思う。それより読む、読書するとはどういうことかをこの機会に考えてみてもいいのではないか。


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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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