ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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ベニカミキリの無念
車の後方に捨てる発泡スチロールの箱をおいていた。
庭の雑草(この呼び方、どうも抵抗を感じる)を抜いて一時的にそこに入れていたりした。
そのせいもあって枯れた草がついていたりして、それがゴミのようにみえてもいた。
あるとき、そこに赤い色をみつけてなんだろうと目を近づけてみるとカミキリムシのようだった。
紅色をしたカミキリムシはじっとして、生きているのか死んでいるのかわからなかった。
あくる日もどうしているかと思ってみると、すこし位置を変えてはいたがその箱のなかにいた。
指先でつついてみるも動かないのだが、足でしっかりと発泡スチロールの箱をつかんでいるかのようだった。
部屋にもどって机のまえにすわり本を読んでいても、ときにふとその暗い紅色がうかんでくる。
これから暑い夏をまえに、なんとなくはかなくなり、しばしなぜ読んでいるのだろうと嫌になったり。

4787ベニカミキリ

「逆襲するテクノロジー」 エドワード・テナー 早川書房 ★★★★
なぜ科学技術は人間を裏切るのか、という副題のついた本書は読んでいると暗澹とした気分にもなる。
本来は人を幸福にするはずの科学や技術が問題を解決するどころか思いがけない影響を及ぼしている。
先般の地震でもそうだったがクリーンエネルギーといわれた原子力発電が問題をあらわにしてきた。
本書では医療や自然災害、有害生物、コンピュータ、スポーツなど多岐にわたる分野で検証している。
抗生物質を投与すればするほど、ウイルスは抵抗力を身につけていくということがわかっている。
沖縄でのハブ対策として移入されたマングースは沖縄固有の動物相におおきな影響をあたえている。
単純に、これにはこれが対策だでは、生物世界の複雑なリンクから思わなかった反撃をうけることになる。
この思わぬ反作用現象を「報復作用」という概念で説明していくのである。
単純な清潔さ信仰がゆらいでいるのが、現代の状況ではないだろうか。
『若い上流中産階級の大人は、汚い場所で育った同世代の人々よりも、小児麻痺にかかるリスクがより高い。
花粉症も、より高い生活水準と結びついて生じる病気の一つだ。
イギリス人の医師マイケル・ポストックが一八一九年に初めて喘息について記述したとき、
彼自身も数少ない患者の一人だった。
事実、花粉症などのアレルギーが一九世紀に激増したとき、工業地帯にただよう霞のど真ん中で
育った労働階級の子どもたちではなく、上流の家庭で育った子どもたちが病気に冒されていた。
疫学者たちは、大家族や汚い遊び、そして早い時期の感染が、
花粉のようにどこにでもある物質と初めて遭遇したときに、子どもたちの免疫システムが
その物質を受け入れる準備をするのに役立っていると確信し始めているところだ。』
細菌を殺すよりも、細菌と共生できる人類にならなければこれからの世は渡っていけないのかもしれない。
それではお医者さんの出番が少なくなるというので、一部からはそうではないという反論も根強い。

「猫だって夢を見る」 丸谷才一 文藝春秋 ★★★
オール讀物に連載された随筆だが、一九八八年から一九八九年にかけてのものだからすこし古い。
時事的なものはそうだが、そうでないものにいろいろと啓発される視点があったおもしろい。
とりわけ数に関する言葉で、数年などとなんとなく使っているがどういう語感が正しいのだろうなんてこと。
『誰か中国の人が日本人の言葉の使ひ方の悪口を言つてゐて、それがすこぶる斬新なものだつたのだ。
「日本人が『数人』とか『数年』とか言ふときに『数』といふ字の使ふ方はいい加減である。
二か三でも使つてゐる。あれはよくない。中国語では、ああいふときの『数』ははつきりしてゐる。
大体、七くらゐの意味だ」
そんなことを言つてゐたのである。』
そこから、英語へと話題が転じていくのであるが、こういう結末になった。
文藝評論家、経済学者、科学者だの、ジャーナリストたちとの会話では、
『ア・フュー(a few)は二か三
セヴェラル(several)は五か六
サム(some)は七か八(あるいは四から七)ぢやなかろうかなどと、みんなでワイワイ論じ合つた。』
そんな感覚だろうなと、わたしも思う。
ところが、イギリスの詩人で英文学も教えているデニス・キーンさんに訊ねると、
『ア・フューは五か六か七、なんださうである。(先日われわれが言つた二か三とはまるで違ふ。)
サムは、はつきり覚えてないとき。あるいははつきりしないときに使ふ由。
(われわれの七か八、あるいは四から七とは大違ひ。)
なかんずく驚愕に値するのは、
「セヴェラルは、そうねえ、十三か十四ですね」という説であつた。』
なんとなくそう思っていたりすることって、まったく語感がちがっていたりするものである。
おまけに、そういうこととはまったく知りもしないしで、話が行き違っていたりということもあるのだろう。

「ルボシカミキリの青」 福岡伸一 文藝春秋 ★★★
ちまたにあふれる健康食品、あるいはサプリメントとよばれる一群のものについていつも不思議に感じる。
これはアルカリ性食品だから身体にいいのよ、などとおっしゃるご婦人方によくであった。
福岡ハカセが懇切丁寧に以下のように解説してくださっている。
『美容と健康のために、いわゆる「コラーゲン食品」を食べることは、
じつは美容と健康にとってほとんど何の意味もない。
たしかにコラーゲンは細胞と細胞のあいだのクッションとなり、
また皮膚の張りや関節の動きなどに重要な働きをしている。
しかし、他の動物から採取した(多くの場合、牛の骨や皮が原料である)コラーゲン食品を食べた場合、
それがダイレクトに吸収されて、細胞のスキマや関節に達し、
コラーゲンの不足を補うなどということは決して、ない。
外来のタンパク質が勝手に身体の中を行き来すれば重大なアレルギー反応や拒絶反応が起こる。
そうならないように私たちは、食べたタンパク質をまず消化管内で消化する。
つまりアミノ酸にまで分解する。
コラーゲン、というタンパク質に一番多く含まれているのはグリシンというアミノ酸であり、
プロリンがそれに次ぐ。
グリシンもプロリンもごくごくありきたりのアミノ酸であり、あらゆる食べ物に含まれている。
そして、これらのアミノ酸は非・必須アミノ酸といって細胞は他の材料からいくらでも作り出すことができる。
だから、もし身体がコラーゲンを必要とすれば、どこにでもあるグリシン、
プロリンなどをかき集めて合成を行う。
コラーゲンを作るための材料が不足するなどということは普通の食事をしている限り起こりようがない。』
だが、おどろくことにこれら健康食品は効果があるのである。
それら古来からの言い回しだと「鰯の頭も信心から」、現代だと「プラシーボ効果」といわれるものである。
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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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