ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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再び読みの國へ
このところなぜか自分でもわからないが、あまり本を読む気がしなくて、したがって無理に読みもしなかった。
とはいえ、ポツポツと読んでもいるから、読書感想文も書かなければいけないなあ、などとぼんやり思ったり。
もともと歴史書に興味がなかったのではなく、たまたまおもしろい本に出会わなかった、ということにしていた。
歴史は事実か、あるいは真理を描けるかなど混沌とした議論に嫌気がさしていたからかもしれない。
もちろん、科学が真理を示しているなどと考えたことはないのだが、それでも仮説と標榜しているのはいい。
なかにはどこをどう勘ちがいしたのか、絶対的真理が科学の特性だと思っている人がいるようだが。
数学もそうだが、ある前提において成り立つのだということを忘れがちである。
とにかく、半藤氏の「昭和史探索」はまだ読了していないが、是非読んでみる価値ありだと思う。

5270庭に咲く

「NかMか」 アガサ・クリスティー ハヤカワ文庫 ★★★
エルキュール・ポワロやミス・マープルのシリーズで知られるクリスティーだが、この手のものもある。
トミーとタペンスは夫婦でありながら、いろんな事件に首を突っこんでいくという展開になる。
などと思っていたら、これは前にも読んだことがあると気がついた。
しかし、この二人の関係というかやり取りは絶妙で、いい夫婦なんだとだれもが思うだろう。
今回は脚注にあったこの解説によって、長く疑問だったこの色がなぜこういうのかわかった。
印刷(の場合はこれに黒を加える)などでつかう三原色は、シアン・マゼンタ・イエローだと知っていた。
『マゼンタは、イタリア統一戦争中の一八五九年、マジェンタの戦いがあった年に発見されたので、
こう名づけられた赤紫色の染料』
なるほど、なるほど、だから他の色とはちがった呼び名なんだな。
あるいは、本書のカバーデザインは真鍋博だと知る。
そんなところにまたなんとなく感興がわく読書なのである。

「漂流 本から本へ」 筒井康隆 朝日新聞出版 ★★★
筒井康隆氏が自らの読書遍歴を成長とともにふりかえるのだが、そこになつかしい書名がみえる。
井伏鱒二『山椒魚』、カフカ『審判』、リースマン『孤独な群衆』、川端康成『片腕』、
ローレンツ『攻撃』、ハイデガー『存在と時間』
私は小説などあまり読まないのだが、川端康成のこの短編にはえもいわれぬ世界を感じたものだ。
夏目漱石とはまたちがった魅力があり、彼のほうが外国の人にも受けがいいのではないかなどと思った。
いまだ読んでいないものでは、ディッケンズ『荒涼館』に興味をおぼえた。
それに、筒井氏が演劇青年であり、舞台で主役を演じたことがあることなど知らなかった。
『ぼくは初めて「本読み」なるものを体験した。
今は「読み合せ」と混同されているが、「本読み」というのは本来、
作者がひとりで台本を役者たちに読んで聞かせることだったのである。』
「本読み」で作者の気迫が伝わってきてこそ、作品の意味がわかるのだろう。

「昭和史探索 3」 半藤一利編著 ちくま文庫 ★★★★
昭和九年から昭和十一年にかけてのこと。後の眼でみれば、時代はおおきな転換点をむかえていた。
満州帝国の建国、天皇機関説問題、国体明徴、二・二六事件、ベルリン五輪とスペイン戦争など。
で、近代日本と天皇との関係でよくでてくる天皇機関説とはなんだったのだろうか。
『天皇機関説とは、G、イエリネックの国家法人説を日本の帝国憲法解釈に応用して、
一木喜徳郎たちによって唱えられたもので、統治権は法人である国家に属し、
天皇はその最高機関として統治権を行使するものと規定した。
そして明治の末期に、天皇個人が国家の統治権を所有するという天皇主権説
(上杉慎吾、穂積八束など)とはげしく対立した。
これが大正時代になって、一木の弟子であった美濃部達吉によって継承され、
いっそうきちんと理論化されて、大正デモクラシー時代には政党内閣制に理論的根拠を与える学説として、
むしろ憲法学の主流になったのである。
昭和七年に美濃部が貴族院の勅選議員となったのもその学説が認められていたからにほかならない。』
これのどこが問題になったのか、すこし長いが美濃部の弁明を紹介しておこう。
『統治権は天皇の一身一家の属さず     美濃部達吉
わが憲法上、国家統治の大権が天皇に属するということは、天下万民一人として、
これを疑うべき者のあるはずはないのであります。

ただそれにおきまして、憲法上の法理論として問題になります点は、
およそ二点をあげることができるのであります。
第一点は、この天皇の統治の大権は、天皇御一身に属する権利として観念せらるべきものであるか、
または天皇が、国の元首たる御地位において総攬し給う権能であるか、という問題であります。
一言で申しますならば、天皇の統治の大権は、法律上の観念において権利と見るべきか、
権能と見るべきかということに帰するのであります。
第二点は、天皇の統治の大権は、絶対に無制限な万能の権力であるか、
または憲法の条規によって行われまする、制限ある権能であるか、この二点であります。

すなわち権利主体といえば、利益の主体、目的の主体に他ならぬのであります。
したがって国家の大権が、天皇の御一身の権利であると解しますならば、
統治権が天皇御一新の利益のため、御一身の目的のために存する力であるとするに帰するのであります。
そういう見解がはたしてわが尊貴なる国体に適するでありましょうか。
わが古来の歴史におきまして、いかなる時代においても、天皇が御一身御一家のために、
御一家の利益のために、統治を行わせられるものであるというような思想の現れを、見ることはできませぬ。』
決して天皇が国を統治することを否定してはいないのである(そんな説だと勘違いしないように)。
また今日ある民主主義をとなえたものではなかったところを、あらためて理解しておこうと思う。
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