ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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続・習慣と慣習
ふつうに考えればすぐに思いつく。
習慣と慣習のちがいについて書こうと思って、中途半端になっていた。

ふつうは個人の習慣、社会の慣習などという。
では、反対に入れ替えるとおかしく感じるだろうか。
社会の習慣、個人の慣習。

微妙な意味あいになる。
社会の習慣は、これは言い得る。
個人の慣習は、どうもそぐわないようだ。

一般的には、習慣とは社会的なものもあるが個人的なことにつかわれる。
慣習は社会や地域で習わされているものということになるだろうか。

こんなことを書いていて思いだしたことがある。

文化ということばの意味である。

わたしは大学の講義で、「文化とはその社会での行動様式のこと」と教えられた。
たとえば、箸をつかって食事をする、これは日本の文化であると。
補足として、これはアメリカの文化人類学の考え方、とらえ方なのだといわれた。
つまりは、アメリカ=世界標準との認識がそのころの雰囲気だった。

日本の世間を見わたしてみると、またちがった光景がある。

いまはあまりつかわれないが「文化住宅」などとよばれるアパートがある。
ネーミングした当時は、文化ということばの価値が高かったのだ。
文化住宅は時代の先端をいく技術の粋を建築の形にあらわしたものだとにおわせていた。

どちらかというと文化=文明ととらえられていたのではないかと思う。
おなじような成り立ちのことばに「文化教室」があったが、いまや「カルチャースクール」に変身した。
文化人もいちじるしい権威の低下で、そうよばれることもよぶことも少なくなった。
言葉の鮮度(目新しさ)は時のすぎゆくままに、陳腐へと追いやられてしまうのだ。

慣習とはある意味その土地土地の文化であるのかもしれない。

5279八幡宮の駒
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