ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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勲章嫌い
恒例秋の叙勲が発表され、丸谷才一氏は文化勲章を授与されるとか、おめでとうございます。
そういえば、以前文化勲章を辞退したので勲章や賞じたいが嫌いなのかと思われた方がいました。
なにかジャン・ポール・サルトルみたようですごいなあと思ったものでした。
が、なんのことはないノーベル賞はいただくと、どういう料簡なのかよくわからないご仁もいました(笑)。
いらないという方がなんとなく左翼的だという時代の気分でもあったような気がしたものです。
全共闘世代では、国家と名のつく、においのするものすべてが否定されなければいけない。
そしてそこに新たな世界をつくっていくのがわれわれの使命であり生きる道なのだというのです。
映画やテレビでも「キューポラのある街」や「若者たち」などがその雰囲気をかもしていました。
でも、すべては無からつくりだされるということはないのであり、自然は超合理主義でもあるのだ。
使いまわしなんてあたりまえ、リフォームにリフォームを重ねていく温泉地の日本旅館のようなのだ。
すべてを白か黒かと判じるのはすっきりとはするが、また後悔がついてくるものでもあります。
ものごとがそんなにすっきりとはできていない、とだんだんとわかってくることも多かったのです。
熱いか冷たいではなく、ぬるま湯もあるんだ、その状況で熱くも冷たくも感じるものだと知ったものです。
丸谷さん、いつまでも舌鋒鋭い評論など書き続けてください。

6067栄光協会

「機械の中の幽霊」 アーサー・ケストラー ちくま学芸文庫 ★★★★
J・B・ワトソン流の行動主義は、心という概念を排除して、それを条件反射の連鎖で置きかえた。
『オックスフォードの哲学者で行動主義の傾向のつよいギルバート・ライル教授は、
著書『心の概念』(一九四九年)の中で、肉体と精神の事象のあいだに通常立てられる区別を攻撃して、
後者を(ライルによれば「あえて軽蔑をこめて」)「機械の中の幽霊」と呼んだ。
のちにBBCの放送で、彼はこのたとえをさらに凝ったものとして、
機械の中の幽霊がこんどは機関車の中のウマということになった。』
しかし、幽霊は迷信だとしりぞけられることはなかったのである。
行動をすべて刺激→反応として説明することはできないと、徐々に人びとは考えはじめてもいた。
『道理に訴えた議論で相手を説得しようというとき、いつでもそれとなく前提とされていることは、
ホモ・サピエンスは一時的に情緒に目がくらむことはあっても、基本的には理性的な動物であり、
自分自身の行為や信念の動機はよくわきまえているということである。
ところが、歴史の証拠あるいは神経学的な証拠のどちらにてらしても、この前提はもはや通用しない。
すべてこの種の訴えは、むなしく不毛の大地に落ちる。』
ヒトは条件反射でできているのでもなく、理性がすべて行動を支配しているわけでもない。
白(行動主義)か、黒(理性的動物)か、と問うことじたいがまちがっているのかもしれないのだ。

「死角 オーバールック」 マイクル・コナリー 講談社文庫 ★★★
ハリー・ボッシュのシリーズもこれで第十三作目になる、ということは人気のある証拠でもある。
ある夜、ロス市街地の展望台で後頭部に銃弾をうけた男の死体が発見された。
彼は医療で放射線同位体を専門的に扱う医学物理士であったことから事件は意外な方向へと。
くしくも男の職場の一つからセシウムがなくなっていることが判明する。
ただの殺人事件ではなくテロがらみと思われ、FBIも介入してきておおががりな様相をみせてきた。
だがボッシュはなにかわりきれないものを感じ、独自の捜査を続けていくのであった。
そんななか事件はめまぐるしく動き、はたしてどうなっていくのかと息をのむ展開に。
アメリカはテロには異常な恐怖と同時に、奇妙な執着をみせる世界でもある。
新聞に(といっても日曜版)に連載されたものだというから、テンポも軽快で山場もそここにある。
日曜日の朝を楽しみにしていたおおくの人びとの顔がうかんでくるようでもあります。

「裏声で歌え君が代」 丸谷才一 新潮社 ★★★
ひさしぶりに連続して小説(といってもジャンルはちがうが)を読んだのは疲れているからか。
丸谷氏の小説はいつも厳としたテーマを軸にすえて書かれているなあ、という感じがする。
秋も終りに近い日の午後五時ごろ、中年の画商、梨田が地下鉄の上りエスカレーターにのっている。
一つ置いて隣のエスカレーターで降りて来る若い女性、三村朝子と偶然に出会う。
そして、ふたりで台湾民主共和国準備政府の大統領就任パーティに出席するところから物語は始まる。
梨田の戦時中の追想もふくめて物語りはながれていくのだが、テーマははっきりしている。
国家とはなにか、である。さらに国家とわたしとの関係は、治世はなにをもって良しとするのか。
どちらかといえば、アナキーな考え方に傾きがちな彼だが、台湾との妙な縁でつながっているだ。
台湾の現状から、日本とは国家とはと考え懊悩するひとりの中年男がいるのである。
やはり評論のほうが冴えをみせるなあ丸谷氏は、と思ってしまうのであります。
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遠くに眺めるのも好きです。
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