ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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運の総量
運の話を書いていて思いあたったのだが、よくこんなことを言わないだろうか。

思いもかけずなにかで景品が当たったりしたときなど。
「こんなことで(大事な)運をつかってしまった」と。

つまらないことで運をつかってしまうと、重要な局面ではすでに運が残っていない。
(商店街のくじではなく、ジャンポ宝くじの一等が当たってほしいものだ)

つまり、人は一生においてもっている幸運の総量はきまっている、というものだ。
(そう仮定しても、決まってはいるが、どのくらいの量であるのかは知ることができない)

そんなにまじめに信じているわけでもないが、どこかでそういうこともあるのかな、とも思っている。
これらはすべて結果論としりぞけられるが、ほんとうの心情はべつのところにある。

運によって人生が左右される、と考えることは運命論・宿命論につながっていく。
人にはそれぞれの運命があり、その輪のなかから抜けだすことはできない。
金斗雲に乗ってあばれまわる孫悟空だが、お釈迦さんの掌でのことだという図がそうだ。

自分では変えることのできない運命ならば、どう生きようとおなじことだと考える者がいたとき。
その者はそういうふうに考えるように宿命づけられていたのだ、ということになる。
つまりは、どのように反論しようともそういった説明は可能だから、反論じたいがむだである。
そういうふうに構築されているのだから、これは一種の人生観・世界観だということだ。

だったら、せめてすこしでも多くの運がめぐってくるような人生でありますように、と願う。
そうなのです、そのためには守らなければいけない戒律がありますよ。
人として生きるためには、神を、あるいは仏を信じて生きましょう。
となれば、これは宗教ではないかといぶかってみても、そういうものだというのが運命論なのだ。

運命論・宿命論とは決定論であるから、科学的な検証には肌がなじまない。
運をうんぬんする人びとのなんと信心深きことだろう、と思わずにはいられない(笑)。

幸運であればこそ、いまここに生きているのかもしれない。

6329幼子
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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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