ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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幻想肯定
これから春めいてくると、窓からさす光のなかでうつらうつらするのもいい。
いつのまにか夢うつつになって、先ほど読んでいた本の世界に紛れこんでいる。
どんどんと時間をさかのぼるのがちっとも不自然でなくて、かえって痛快でさえある。
親しげな口をきいているのだが、あなたはだれだったっけ。
考えれば考えるほどわからなくなって、困ってしまうのだが苦の感覚はない。
笑ってばかりいるあなたは、逆光のなかでまぶしくてよく見えないのだ。
これは夢なんだから、ということは自分でもよく分かっている。
それでもなんだか楽しい気分になれるから、いいではないですか。

6320フェアリー?

「希望とは自分が変わること」 養老孟司 新潮社 ★★★★
多くの人が自分は確固としたものであり、それなりに(笑)意志もかたいなどと漠然と感じている。
だが、体調不調に陥ったりすると、それこそ人生観もかわってしまうということがある。
ただそれも過ぎさってしまえば、もうなにごともなかったように忘れてしまえるから不思議だ。
『意識は体の都合で変化する。
チェホフのいうとおり、「風邪を引いても世界観は変わる、ゆえに世界観とは風邪の症状である」。
若いときにこれを読んで、まことにそうだと、いまでも思っている。』
養老先生の本を読んでいると、つぎつぎといろんなことが連想されておもしろいのだ。
『世界のすべてのものを観察すれば、かならず差異が発見される。
同一性が存在するのは意識のなかだけである。
考えたことのない人は、なにをいうかと思うかもしれないが、
ためしに考えてみれば、納得するはずである。
それを認めるとすると、世界を客観的に記述するには、同一性だけでは不十分である。
「種」は同一性だから、意識のなかにある。
しかしなぜ人と大腸菌が「同じ」種か、それを議論したら、答えは出ない。
人と大腸菌は、分類学上では同じ「種」というカテゴリーになっているが、
どう「見たって」、「同じ」カテゴリーに属するとは思えないからである。
見るということは、感覚を通して、外界が意識に侵入してくることである。
そこではわれわれは、たちまち差異に気づいてしまう。』
世界に一つだけの花、というような歌が流行って多くのひとがなぜかそうだよな、と思った。
世界にたったひとりしか存在しない自分としても、これってあたりまえのことじゃないか。
(あたりまえのことが、なぜか含蓄があるということはよくありますが…)
しかし、世界におなじものがあると考える方が、じつは変わった考えではないだろうか。
おなじものなどというのは、上記養老先生のご指摘通り頭のなかだけあるものだから。
いくら読んでも読み飽きることがない氏の本であります。

「マレー蘭印紀行」 金子光晴 中公文庫 ★★★
紀行文の鏑矢といえば、かならずあげられるのが本書である。
あと沢木耕太郎氏の「深夜特急」(知っていますが、いまだ読んでいません)がありますね。
『カユ・アピアピは、馬来語で、カユは木、アピは火、炎の木という意。
水のちかく枝を張るこの木をこのんで、夜になると螢があつまる。
螢火の明滅で、枝なりの梢が燃えているようにみえるので、その名があるのだという。』
馬来半島ジョホール州、バトパパへ、やってきたときのことである。
木枯紋次郎ではないが、旅の目的などないのである。
ただひたすらにさすらう感覚が人気のゆえんだろうか、などと読みつつ思う。
旅には大自然の脅威などもあるが、人が重要なポイントになることはいうまでもない。
マレーの旅でもいろんな人種の、職業の、ひとびとが羅列されているのだそれが想像をかきたてる。
だが、わたしは下川裕治さんの旅のほうがなんとなくすきだ、というのが正直なところ。
(朝日新聞HPのどらくのなかに週末アジア旅というのがあります、興味のある方はどうぞ)

「おすもうさん」 高橋秀実 草思社 ★★★
いまでは多くのひとたちが相撲は国技だとなんとなく思っている。
だが調べていくうちに、国技だとは、じつは順序が逆だったというのだ。
『明治四十二年(一九〇九年)、両国に「國技館」という相撲常設館が建設されてから、
相撲は「国技」と呼ばれるようになったという。
ではなぜ、その相撲常設館に「國技館」という名前が付いたのだろうか。』
こう疑問をたどっていくと、真相がわかってきた。
『事の経緯を整理すると、まず相撲常設館が建設された。
たまたまその完成案内状に「國技」と大きな字で書いてあった。
大きいから目に留まり、相撲常設館を「國技館」と名付け、
そう名付けたから、相撲は国技になったというわけなのである。』
相撲は興行だったのであるが、国技となってしまったら、
『「国技」は当初から力士たちを非難するための方便だったが、ここで新たに登場しているのは「品格」。
いつの間にか力士には「品格」が求められているのである。
誰が求めているのかというと、横綱審議委員会である。』
でもねえ、おすもうさんに品格を求めるとはご無体な、という感じですなあ。
『どの格闘技にも「真剣勝負」はあるが、「待った」はない。
便利というか都合がよいというか、この「待った」こそ相撲の相撲たるゆえんではないだろうか。』
そこらへんを、よ~くお考えいただきたいものである。
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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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